森川 英正(もりかわ ひでまさ、1930年10月11日 - … 森川 英正(もりかわ ひでまさ、1930年10月11日 - )は、日本の経営史学者。 長崎県佐世保市出身。1954年東京大学経済学部卒、1959年同大学院経済学博士課程満期退学、法政大学経営学部講師となり、助教授、教授。1985年横浜国立大学経営学部教授。1987年横浜国立大学経営学部学部長。1990年慶応義塾大学大学院経営管理研究科・ビジネススクール教授となる。1998年定年、豊橋創造大学教授。 1993年「Zaibatsu」で日経・経済図書文化賞受賞。経営史学会会長を務めた。
藤本 哲夫(ふじもと てつお、1930年10月11日 - 2… 藤本 哲夫(ふじもと てつお、1930年10月11日 - 2017年1月20日)は、日本の流体工学者。名古屋大学名誉教授。三重大学名誉教授。名古屋大学工学部長、三重大学工学部長、名城大学理工学部長を歴任した。 名古屋大学工学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校に於いて希薄気体力学を専攻。1964名古屋大学工学博士。 三重大学工学部長を経て、母校名古屋大学教授。1992年名古屋大学工学部長。 静岡理工科大学教授、名城大学教授。1997年名城大学協議員。1999年名城大学理工学部長。 本邦での希薄気体力学の第一人者。2009年春瑞宝中綬章を受章。2017年1月20日、敗血症のため死去、正四位。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
村田 慶之輔(むらた けいのすけ、1930年10月11日 -… 村田 慶之輔(むらた けいのすけ、1930年10月11日 - 2015年3月19日)は、日本の美術評論家。 1930年生まれ。1956年、早稲田大学第一文学部を卒業。1959年11月に神奈川県教育委員会職員となる。1964年、神奈川県立博物館準備室の学芸員となる。1969年4月に文化庁文化部芸術課専門職員に転ずる。1974年7月に文化庁文化部文化普及課の国立国際美術館設立準備室主幹となる。1977年5月、国立国際美術館開館にともない学芸課長となる。1991年3月に定年退官。愛知県立芸術大学、静岡大学等で非常勤講師として教鞭をとった。1992年4月、高岡市美術館準備室長となるが、翌年3月に退職。1999年4月に川崎市岡本太郎美術館館長となる。
牧 柾名(まき まさな、1929年10月11日 - 2022… 牧 柾名(まき まさな、1929年10月11日 - 2022年1月12日)は、日本の教育学者。駿河台大学名誉教授。元東京大学教授。専門は、教育行政学・教育権。 1929年に東京都で生まれる。 東京府立第五中学校、静岡高等学校を経て、東京大学へ進学した。その後、東京大学大学院人文科学研究科を中退する。 東京大学教育学部教授として教育行政学研究室で教育・研究に従事した。東京大学退職後は、駿河台大学経済学部教授を歴任した。 その他に、川崎市子ども権利条例検討連絡会議副座長、子どもの人権埼玉ネット代表委員などを務めた。 子どもの権利条約など教育権に関する研究で多数の著作を執筆した。1998年に『牧柾名教育学著作集』(エムティ出版)が発表されている。
南 博方(みなみ ひろまさ、1929年10月11日 - 20… 南 博方(みなみ ひろまさ、1929年10月11日 - 2010年6月18日)は、日本の法学者。専門は、行政法・環境法・租税法。学位は、法学博士(東京大学・課程博士・1959年)。一橋大学名誉教授、筑波大学名誉教授。中国人民大学名誉客員教授。 兵庫県城崎郡豊岡町(現・豊岡市)出身。父は大阪の弁護士。田中二郎の勧めて研究の道に入り、行政訴訟や行政不服審査、行政争訟理論、行政手続、公害紛争調停等の研究を行った。途中、病床の父の希望で法律事務所を継ぐため大阪市立大学教授を辞職したが、大蔵省の要請を受け、国税不服審判所審判官に就任。 その後筑波大学で社会科学系長等を務めたのち、定年退官した市原昌三郎の後任として一橋大学教授に移り多くの学生を指導した。
三原 聖治(みはら せいじ、1929年10月11日- )は… 三原 聖治(みはら せいじ、1929年10月11日- )は、日本の経営者。アシックス社長を務めた。大阪府出身。 1959年に関西学院大学経済学部を卒業し、1960年3月にオニツカに入社した。1977年7月にアシックス取締役に就任し、1978年4月に常務、1983年4月に専務、1989年9月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任。1996年4月に業績不振の責任を取る形で社長を辞任し、取締役相談役に退いた。
朝日 稔(あさひ みのる、1929年(昭和4年)10月11日… 朝日 稔(あさひ みのる、1929年(昭和4年)10月11日 - 2009年(平成21年)10月6日)は、日本の哺乳類学者。 主に自然環境の保全と哺乳類の保護とを研究していた。森美保子との共同研究である「タヌキの歯数異常」は多数の個体(340個体)を扱った哺乳類の歯数変異の研究としては最も初期に行われたものの一つである。
鈴木 晄(すずき あきら、1928年10月11日 - 201… 鈴木 晄(すずき あきら、1928年10月11日 - 2014年4月17日)は、日本の映画編集技師。大阪府出身。 1945年に和歌山大学に入学。1952年に卒業と同時に宝塚映画に助監督として入社。1954年に日活撮影所に移籍して編集技師に転向。1978年に新設されたにっかつ撮影所の取締役になる。1989年に退任し技師一筋となる。『マルサの女』や『嵐を呼ぶ男』など430本以上の映画で編集を担当した。2004年文化庁映画賞受賞。 2014年4月17日、腎盂炎のため死去。85歳没。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
松澤 智(まつざわ さとし、1927年(昭和2年)10月11… 松澤 智(まつざわ さとし、1927年(昭和2年)10月11日 - 2003年(平成15年)4月6日)は、日本の法学者。元日本大学法学部教授。元東京地裁判事。元TKC全国会最高顧問。専門は租税法。 静岡県立志太中学校(現藤枝東高等学校)を卒業後、日本大学法文学部に進学。1950年日本大学法文学部卒業。 弁護士・租税法学会理事、日本税法学会理事、日本公法学会会員、法務大臣官房訟務部付検事、国税不服審判所審判官、東京地方裁判所判事、日本大学法学部教授、政務税制調査会委員等を歴任。1997年TKC全国会会長。 東京地裁判事時代には、ロッキード事件の公判審理も担当をした。租税判例研究として従来からあった判例の解釈・解説に対して、憲法を基本に置いて判例研究と実践を行った北野弘久、会計と租税実務を基本に置いて緻密な論理を展開した松澤智の両名は1つの時代を築いたと言えるだろう。
高田 竜二(たかだ りゅうじ、1927年10月11日 - )… 高田 竜二(たかだ りゅうじ、1927年10月11日 - )は、日本の男性声優。東京府(現東京都)出身。本名同じ。旧漢字表記高田 龍二。旧芸名は中山 民生、中村 民生。日本大学芸術学部卒。 東京府東京市神田区大和町(現在の東京都千代田区岩本町)で生まれる。大学卒業後、1953年に中部日本放送放送劇団に3期生として入団。1959年に太平洋テレビジョン所属、1960年に東京俳優生活協同組合に所属。その後は同人舎プロダクションに所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
土谷 武(つちたに たけし、1926年10月11日 - 20… 土谷 武(つちたに たけし、1926年10月11日 - 2004年10月12日)は、昭和後期から平成初期の日本の彫刻家の一人。 彼は主に、鉄や石といった素材を用いた作品を残している。1980年代以降は、「かたち」に注目し、そういった固い素材を使っているにもかかわらず『歩く鉄』や『開放 I』等、動きのある表現をしている作品が多い。 土谷 武『TSUCHITANI TAKESHI―土谷武作品集』美術出版社、1997年。ISBN 978-4568103137。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
和巻 耿介(わまき こうすけ、1926年10月11日 - 1… 和巻 耿介(わまき こうすけ、1926年10月11日 - 1997年10月14日)は、日本の作家、翻訳家。 兵庫県(大阪府)生まれ。本名・義一。1953年明治学院大学文学部英文科卒。役所勤務、教師などを経て文筆家。新鷹会会員。時代小説や怪奇ものを書き、翻訳した。 1972年池内祥三文学奨励賞受賞。
岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2… 岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2004年10月24日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、ジャーナリスト。 1925年10月11日に、日本統治時代の朝鮮または鳥取県で生まれる。陸軍士官学校在学中に敗戦を迎え、1946年には日本社会党へ入党。1950年に慶應義塾大学を卒業し、NHK東京放送局に放送記者・社会報道番組ディレクターとして入局。その後、鳥取・東京・大阪と放送局を転々とし、後にテレビドラマを手掛ける様になる。1957年にNHKを退社して、ラジオ東京(KRT、現・東京放送ホールディングス / TBSテレビ)へ入社する。 黎明期のテレビドラマにおいて、社会性のある作品を中心に活躍した演出家である。
山口 廣(やまぐち ひろし、1925年10月11日 - 20… 山口 廣(やまぐち ひろし、1925年10月11日 - 2017年7月12日)は、日本の建築史家。工学博士(論文博士・1972年)(学位論文「ドイツ表現派の建築」)。日本大学名誉教授。東京生まれ。 1959年日本大学旧工学部卒業。1971年明治大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。1972年「ドイツ表現派の建築」で工学博士。 日本大学生産工学部助教授を経て1975年同教授。1987年日本建築学会賞論文賞受賞。1988年に日本建築学会副会長。96年日本大学を定年、名誉教授。
松下 宏(まつした ひろし、1924年10月11日 - 20… 松下 宏(まつした ひろし、1924年10月11日 - 2000年3月10日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。滋賀県彦根市出身。 1948年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋信託銀行に入行。1973年11月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務、1980年12月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1987年2月に取締役に就任し、同年4月に取締役相談役を経て、1989年6月には相談役に就任。 2000年3月10日に肺炎のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
浅野 康介(あさの こうすけ、1923年10月11日 - 1… 浅野 康介(あさの こうすけ、1923年10月11日 - 1987年3月4日)は、日本の経営者。徳島県徳島市出身。 1947年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1974年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年11月には社長に昇格。 1987年3月4日脳出血のために死去。63歳没。
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は… 藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。
植木 公(うえき ただし、1923年(大正12年)10月11… 植木 公(うえき ただし、1923年(大正12年)10月11日 - 2005年(平成17年)7月14日)は、日本の政治家。高田市議会議員(5期)、上越市議会議員(1期)、上越市長(5期)。勲等は勲三等瑞宝章。位階は従四位。 新潟県出身。1948年、中央大学法学部卒。卒業後はブレート工場を経営した。その傍ら、中頸城郡連合青年団長、新潟県細巾織物協同組合理事などを務めた。1955年、高田市議会議員に当選、5期務め、副議長を務めた。1971年、高田市は直江津市と合併して上越市が誕生。上越市議会議員となり、議長に就任した。1973年12月に初代上越市長(旧・高田市長)の小山元一が死去。これに伴う翌1974年2月の市長選挙で当選、5期務めた。
朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 -… 朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 - 2013年11月11日)は、大韓民国の外交官、国会議員。民主正義党に所属した。本貫は密陽朴氏。 大邱府出身。大邱高等普通学校と日本の中央大学を卒業。 総理秘書、大統領秘書を経て、1951年に外務部に入省。儀典局長、駐イギリス参事官、外務部次官、駐ベトナム大使、駐ブラジル大使、駐ジュネーブ大使、国連大使、外務部長官(1975年-1980年)、国会議員(1981年-1985年)、国土統一院長官(1985年-1986年)、駐アメリカ大使(1988年-1991年)、韓国電力公社理事長、韓国外交協会会長を務めた。 2013年11月11日、京畿道龍仁市の病院にて老衰により死去。
古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2… 古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2004年4月26日)は、日本の歴史学者。専門は中国史。東京大学名誉教授。大東文化大学名誉教授。 1921年、長野県飯田市生まれ。1942年、旧制飯田中学を卒業。1943年、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)を卒業。東京帝国大学文学部入学したが、徴兵により兵役に就いた。 1945年、太平洋戦争終結にともなって復員。東京帝国大学文学部に復学し、1948年に卒業した。東京大学大学院(旧制)に進んだが、1949年に退学して東洋文化研究所助手となった。1954年、東京大学社会科学研究所助教授に就任。1967年、同研究所教授に昇格。1978年から1983年まで、現代中国学会代表幹事を務めた。
井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月1… 井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月11日 - 2010年〈平成22年〉1月30日 )は、日本の銀行家、経営者。滋賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。194年に東北帝国大学法文学部法科を卒業し、1946年9月に日本銀行に入行。1972年8月に預金保険機構理事を経て、1974年11月に滋賀銀行副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1989年6月には取締役相談役に退き、1992年4月に日本銀行政策委員会委員を経て、1996年4月には滋賀銀行特別顧問に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2010年1月30日、癌のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 20… 守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 2007年?)は、日本の英文学者。早稲田大学名誉教授。アーノルド・ベネットを専門とした。 北海道沙流郡(現日高町)出身。1942年早稲田大学文学部英文科入学、1943年学徒出陣し、1944年特別措置で大学を卒業。温祢古丹島に駐留、1945年ポツダム少尉。1946年早大大学院に在籍。1948年東京都立上野高等学校教諭、1953年谷崎精二の世話で早稲田高等学院教諭、1956年早大文学部専任講師、1959年助教授、1964年教授、1972-1974年第二文学部長、1992年定年退任、名誉教授。1996年勲四等旭日小綬章受勲。
尾島 隆利(おじま たかとし、1920年〈大正9年〉10月1… 尾島 隆利(おじま たかとし、1920年〈大正9年〉10月11日 - 1962年〈昭和37年〉)は、日本の食肉業者、会社役員。グリコ相模ハム常務取締役兼屠畜場長。 神奈川県藤沢市出身。2代目尾島正吉の嗣子。日本大学商科卒業。藤沢屠場主となる。1947年、神奈川県屠場協会専務理事、同県食肉商業協同組合専務理事。1951年、日本食肉協会理事。 1954年、神奈川県屠場協会長。1956年、日本食肉協会理事、神奈川県食肉組合連合会専務理事各辞任。1957年、グリコ相模ハム常務に就任。 尾島家は父祖3代にわたる屠畜・食肉業者で、尾島隆利は近代感覚と教養を身につけた紳士として知られた。住所は神奈川県藤沢市藤沢。
長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月1… 長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月11日 - 2001年〈平成13年〉3月11日)は、日本の教員、郷土史家。位階は正五位。 埼玉県生まれ。1942年埼玉師範学校を、1953年日本大学文理学部を卒業。埼玉県で高校教師を務めながら、郷土史研究を行った。1982年に埼玉県立坂戸高校校長をもって教員を退職した。その後、埼玉県郷土文化会会長、埼玉県文化振興基金幹事、嵐山町文化財保護委員長、嵐山町博物誌編さん委員会委員と同委員会中世部会部会長などを務めた。 1990年に勲四等瑞宝章受章。没日をもって正五位に叙せらる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1… 中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1983年8月11日)は、日本の詩人、翻訳家。 本名は白神 鉱一(しらかみ こういち)。 福岡県生まれ。1939年、英作文と教練の出席時間不足により兵庫県立神戸高等商業学校で進級不可能となり、同校中退後、父の預金通帳を盗み出して金を下ろし、家出して上京。徴兵逃れで日本大学芸術学科に途中入学し卒業。読売新聞の政治部記者として働く。詩誌『Le Bal』を主催し、田村隆一と知りあう。戦後、田村、鮎川信夫、黒田三郎と『荒地』を設立。のちに詩誌『歴程』にも参加。ミステリーやSFを翻訳しつつ、英国モダニズム詩人、特にW・H・オーデンを翻訳、詩作を行い、大学でも英文学の教員として活動した。
倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 20… 倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 2000年5月17日)は、日本の英文学者、演劇評論家、演出家。早稲田大学名誉教授。本名の読みは「けん」。 日本統治時代の朝鮮京城で出生後、現在の長野県飯山市で育つ。弟の倉橋潔は化学者(大阪大学名誉教授)。1941年早稲田大学英文学科卒。応召、1947年復員、1949年ワシントン州立大学留学、帰国後は早稲田大学文学部助手、講師、助教授、1958年教授。1970年から1989年まで早稲田大学演劇博物館館長。1988年から1990年まで日本演劇学会会長。1990年定年退任、名誉教授。1983年秋、紫綬褒章受勲。 アーサー・ミラーなどの翻訳だけでなく、劇団青俳に参加し安部公房の戯曲『どれい狩り』『快速船』の舞台演出を担当した。
飯島 滋弥(いいじま しげや、1918年10月11日 - 1… 飯島 滋弥(いいじま しげや、1918年10月11日 - 1970年8月9日)は、千葉県香取郡吉田村(現:匝瑳市吉田)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日 - 2… 横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日 - 2000年4月13日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。上智大学名誉教授。専門はドイツ・ロマン派、特にアイヒェンドルフ。 東京市本郷区(現文京区)湯島天神生まれ。1936年青山学院中等部卒業、1940年東京外国語学校ドイツ語科卒業、1942年上智大学文学部独文科卒業。同年駐日ドイツ大使館勤務、1944年 - 1945年ジャワ、スラバヤに勤務。1946年上智大学カトリック辞典編纂室勤務、1950年同図書館副館長、1953年同外国語学部ドイツ語学科講師、1962年同助教授、1966年同教授、1968年 - 1969年同学部長。1979年定年退職、名誉教授。
渡辺 栄一(本姓:渡邉 榮一、わたなべ えいいち、1918年… 渡辺 栄一(本姓:渡邉 榮一、わたなべ えいいち、1918年(大正7年)10月11日 - 1997年(平成9年)6月16日)は、日本の政治家、酒造家。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、建設大臣(第34代)、岐阜県美濃加茂市長などを歴任した。 岐阜県美濃加茂市出身。御代桜醸造社長・渡辺栄三郎の息子として生まれた。1938年(昭和13年)名古屋高等商業学校(現・名古屋大学)卒業。卒業後は家業の酒造業・御代桜に従事。徴兵され陸軍主計大尉に進み除隊した。 岐阜県太田町長を2期務め、1954年からは新たに誕生した美濃加茂市の初代市長を3期務めた。市長在任中の1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙に旧岐阜2区から自民党公認で出馬し初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
角田 和男(つのだ かずお、1918年(大正7年)10月11… 角田 和男(つのだ かずお、1918年(大正7年)10月11日 - 2013年(平成25年)2月14日)は、日本の海軍軍人、海軍航空隊戦闘機搭乗員。太平洋戦争(大東亜戦争)における撃墜王。乙飛5期。最終階級は海軍中尉。 1918年(大正7年)10月11日、千葉県安房郡豊田村(現南房総市)で農家の次男として生まれた。 1924年(大正13年)、父が死亡。不況もあって家は貧しかった。1933年、高等小学校2年時に海軍予科練習生を受験して不合格となるが、国語の点数が足りないだけなので徴募官の大佐から来年の再受験を勧められ、卒業後、実家の農業を手伝いながら浪人生活を送り、翌年合格。 1934年(昭和9年)6月、晴れて予科練5期生(乙種飛行予科練習生)に入隊して横須賀空予科練習部にて訓練を受ける。
草場 敏郎(くさば としろう、1917年10月11日 - 2… 草場 敏郎(くさば としろう、1917年10月11日 - 2002年10月23日)は、日本の経営者。三井銀行社長、会長を務めた。東京都出身。 1941年に京都帝国大学法学部を卒業し、翌年に三井銀行に入行した。1971年5月に取締役に就任し、1975年3月に常務、1977年12月に専務、1980年4月に副社長を経て、1982年2月に社長に就任した。1984年6月に会長に就任し、1988年6月に取締役相談役を経て、1993年4月からさくら銀行相談役を務めた。 全国銀行協会連合会会長、日本銀行政策委員なども歴任した。 1987年11月に勲二等旭日重光章を受章した。 2002年10月23日脳出血のために死去。
好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月… 好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月11日 - 1983年〈昭和58年〉4月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。奈良県橿原市の初代市長をつとめ、紀元節復活運動に尽力し、「紀元節市長」として全国的な知名度を有した。 1916年(大正5年)10月11日生まれ。 畝傍中学校(旧制、現・奈良県立畝傍高等学校)2年修了、陸軍幼年学校、陸軍士官学校(50期)を経て陸軍大学校(60期)を卒業。陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となり小隊長、中隊長として満州・中支に従軍。その後、陸軍参謀となり陸軍少佐として終戦を迎える。1947年(昭和22年)11月28日、元陸軍将校として公職追放指定。戦後は服飾学校「八木ドレスメーカー女学院」を経営した。
外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 -… 外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 - 2012年4月2日)は、日本の臨床心理学者、横浜市立大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1941年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業。1949年東京学芸大学助教授、1950年横浜市立大学助教授、1951年ロール・プレイング療法を日本に導入。1956年教授。1982年定年退官、名誉教授。1989年勲三等旭日中綬章受勲。
松尾 五郎(まつお ごろう、1915年10月11日 - 没年… 松尾 五郎(まつお ごろう、1915年10月11日 - 没年不明)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。
高橋 博(たかはし ひろし、1913年10月11日 - 19… 高橋 博(たかはし ひろし、1913年10月11日 - 1982年10月1日)は、芸能評論家、話芸家、アナウンサー。日本演劇協会会員、日本大学芸術学部講師。愛称は、博さん(はくさん)。 銀座生まれ浅草育ち。1936年にNHK入局(同期に志村正順等)。 学生時代から芝居好きで、脚本なども書き、芝居の世界との付き合いもあったせいもあり、主に舞台中継、朗読を担当。抑制した口調と独特の間の置き方で「語り」の世界を作り上げた。 敗戦後、戦意高揚に関わった責任を取ってNHKを辞職。1954年にニッポン放送へ移籍。同時期に坂本荘、中村要輔(両名ともNHKの後輩。当時はラジオ東京)とともに東北放送で教育も行った。
斎藤 正直(さいとう まさなお、1911年10月11日 - … 斎藤 正直(さいとう まさなお、1911年10月11日 - 1994年4月7日)は、日本のフランス文学者、文芸評論家、翻訳家。明治大学文学部教授、学長も務めた。 東京外国語学校へ進むが学生運動で放校、小林秀雄の援助を受け、1934年明治大学文芸科に入学して里見弴、今日出海、豊島与志雄の教えを受け、豊島の娘と結婚。1939年には同人誌『批評』の創刊に参加。 戦後『近代文学』同人となり、助手から明大文学部仏文科助教授、教授として倉橋由美子らを教えた。ヴィクトル・ユゴー、ロマン・ロランなどを翻訳、長島良三、矢野浩三郎らの翻訳家を育てた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
徳光 寿雄(とくみつ としお、旧字体:德光 壽雄、1910年… 徳光 寿雄(とくみつ としお、旧字体:德光 壽雄、1910年〈明治43年〉10月11日 – 2014年〈平成26年〉9月12日)は、日本の映画監督、実業家。 徳光和夫(フリーアナウンサー)、徳光次郎(英国伊勢丹初代社長)兄弟の父。徳光正行(キャスター)・ミッツ・マングローブ(女装家)の祖父。 徳光賢五郎の長男として生まれる。1907年、父は北海道から神戸市に移住。神戸でつねと結婚し、1910年に寿雄が誕生した。ほどなく両親が離婚し、寿雄は父に引き取られた。 賢五郎は再婚し、東京電燈へ転職。1930年、徳光家は東京市西巣鴨で暮らし始めた。寿雄は度重なる引っ越しであまり友達をつくる事もできずよく一人で過ごしていた。
月田 一郎(つきた いちろう、1909年10月11日 - 1… 月田 一郎(つきた いちろう、1909年10月11日 - 1945年9月27日)は、日本の俳優である。 本名は築田 智二郎(つきた ともじろう)だが、本名同じとの説や月田 一郎(つきだ いちろう)説などもある。戦前に松竹蒲田撮影所、新興キネマ、東宝などで多数の作品に出演したバイプレーヤーである。身長は5尺4寸(約163.6センチメートル)、体重は14貫200匁(約53.3キログラム)。 1909年(明治42年)10月11日、山口県岩国町(現在の同県岩国市)に生まれる。幼児期に東京府東京市(現在の東京都)へ移り、早稲田小学校(現在の新宿区立早稲田小学校)、東京中学校(現在の東京高等学校)を卒業して、法政大学に進学する。
八島 光(やしま みつ、英語: Yashima Mitsu … 八島 光(やしま みつ、英語: Yashima Mitsu 1908年10月11日 - 1988年12月7日)は、日本出身でアメリカ合衆国で活動した芸術家(画家)、活動家。夫(のち事実上離婚)は八島太郎。子女として信(マコ岩松)と八島桃(本名:岩松桃子)がいる。本名は笹子智江(八島太郎との結婚後は岩松姓)で、「新井光子」を名乗った時期もある。 1908年に母の実家のあった東京市赤坂で生まれる。8人きょうだい(上4人が女子、下4人が男子)の次女だった。父の笹子謹(ひとし)は千葉県出身で大阪高等工業学校卒業後、大阪鉄工所(現・日立造船)に就職し、光の出生当時は広島県因島にある備後船渠に勤務していた。
竹内 壽平(たけうち じゅへい、1908年〈明治41年〉10… 竹内 壽平(たけうち じゅへい、1908年〈明治41年〉10月11日 - 1989年〈平成元年〉11月3日)は、静岡県浜名郡小野口村大字小松(現浜松市浜名区小松)出身の検察官。プロ野球コミッショナー。位階は正三位。 第八高等学校を経て東京帝国大学法学部卒。法務省刑事局長、法務事務次官。東京高検検事長を経て1970年より3年間、検事総長を務める。法務省時代、馬場義続の知遇を得る。法務事務次官時代に田中伊三次法務大臣が馬場の後の検事総長に竹内を起用する案を持っていたが、竹内は法務・検察の序列を軽視した人事では検事長クラスの中に辞表を提出する者が出て混乱すると進言し、田中は断念した。 退官後にスイスのジュネーブで開かれた国際会議に政府代表団団長として出席した。
上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1… 上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1999年2月12日)は、日本の国文学者。専門は王朝女流文学、特に『蜻蛉日記』。日本女子大学名誉教授。 京都市生まれ。1933年日本女子大学校大学本科文学科国文学部卒業。1943年日本女子大学校国文学部教員。1948年日本女子大学専任講師、1949年助教授、1958年教授。1964年「蜻蛉日記 校本・書入・諸本の研究」で名古屋大学文学博士。1977年日本女子大を定年退職、名誉教授、東洋女子短期大学教授、図書館長。1986年教授職を退職し、翌年東洋女子短期大学を退職。1982年勲四等宝冠章。没後、従五位を贈られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
永田 靖(ながた やすし、1907年10月11日 ‐ 197… 永田 靖(ながた やすし、1907年10月11日 ‐ 1972年9月12日)は、日本の俳優。 長崎県島原市出身。台北高等学校文科卒業。その後上京し、1930年に新築地劇団に入る。久保栄演出の『新説国姓谷合戦』で初舞台を踏んだ。1934年の日本新劇祭で真山青果原作の『玄朴と長英』で高野長英を演じて好評を得た。1935年、『なみだの母』で映画初出演。1938年応召される。1940年に除隊するが、新築地劇団は強制解散させられた。以後、日活(合併後は大映)の映画に出演し、『将軍と参謀と兵』などで軍人の役を演じた。また、東宝演劇研究会を経て、丸山定夫らと苦楽座に入った。1945年に再び応召。戦後は第2次新協劇団をへて、1948年に、俳優座に入団した。
萩原 淳(はぎわら きよし、1904年〈明治37年〉10月1… 萩原 淳(はぎわら きよし、1904年〈明治37年〉10月11日 - 1987年〈昭和62年〉12月14日)は、将棋棋士。棋士番号5。九段。日本将棋連盟会長。土居市太郎名誉名人門下。兵庫県尼崎市出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1922年土居市太郎に入門。兄弟弟子に金子金五郎、加藤博二、大内延介らがいる。1924年四段昇段。 史上初の実力制名人を決める第1期名人戦(八段者によるリーグ、1935 - 1937年)の最中、将棋界の分裂事件(神田事件)が発生。欠員を補充する形で萩原は1936年に八段昇段し、リーグに参加。 1941年、オール八段戦優勝。
城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11… 城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11日 - 1976年(昭和51年)9月21日)は日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。 1904年(明治37年)、熊本県に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部哲学科を卒業し、1929年(昭和4年)に早稲田大学政治経済学部を卒業する。 法政大学社会学研究室助手・講師、九州日報編集局員、日本ピアノ輸入・帝國土地建物・甲南航空工業・天産航空部品・城興産・竜門木材工業各取締役、私塾城山学舎舎主、福岡文化学園理事長兼校長を歴任する。 1948年の参議院熊本県選挙区補欠選挙に日本自由党から出馬し、当選する。第3次吉田内閣で行政管理政務次官に就任し、自由党政務調査会副会長、同党顧問を務める。
村井 武生(むらい たけお、男性、1904年10月11日 -… 村井 武生(むらい たけお、男性、1904年10月11日 - 1946年2月1日)は、日本の詩人。本名=邑井武雄。 1904年(明治37年)石川県石川郡美川町(現:白山市)にて生まれる。幼少期に一家は金沢に移り、武雄は文学に興味を持つようになり、室生犀星、木山捷平など多くの詩人と交流し、雑誌を発行する。東京や大阪に転居したが、1934年(昭和 9年)に金沢へ移り、 粟崎遊園の少女歌劇の舞台監督、脚本などに関わる。1940年(昭和15年)中国の太原で新聞局員となり、終戦後、1946年(昭和21年)帰国前に北京にて客死。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
榎本 健一(えのもと けんいち、1904年(明治37年)10… 榎本 健一(えのもと けんいち、1904年(明治37年)10月11日 - 1970年1月7日)は、日本の俳優、歌手、コメディアンである。当初は浅草を拠点としていたが、エノケンの愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、第二次世界大戦期前後の日本で国民的喜劇俳優として活躍した。 東京市赤坂区青山(現在の東京都港区青山)で生まれる。幼少期に母を亡くし、その家系の祖母が引き取るが、その祖母も死去。父親の元で育てられるものの、生来のやんちゃな性格が仇となり、学校から親が呼び出されることもしばしばあった。小学校時代の通信簿に「修身」で「甲乙丙丁」の落第点である「丁」をつけられて、鉛筆で上手に丁の字に線を書き加えて「甲」に見せかけて父親に見せたが、すぐに見破られて大変叱られたエピソードがある。
久保 常明(くぼ つねあき、1903年10月11日 - 没年… 久保 常明(くぼ つねあき、1903年10月11日 - 没年不明)は、日本の経営者。香川県出身。 1929年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に近畿日本ツーリストに入社。1955年9月に近畿日本ツーリスト専務に就任し、1958年10月に社長に就任。1976年1月に取締役に退いた。 1976年4月に勲四等瑞宝章を受章。
広幡 増弥(ひろはた ますや、1903年(明治36年)10月… 広幡 増弥(ひろはた ますや、1903年(明治36年)10月11日 - 1988年(昭和63年)11月11日)は、日本の実業家。海軍技術少将。広幡家の第11代当主。東京都出身。父は伊藤安吉。養父は広幡忠隆。 東京都出身。海軍軍人・伊藤安吉とその妻で宮中顧問官・吉田要作の二女である貴代の次男として生まれる。東京帝国大学造船科を卒業後、海軍に入り海軍技術少将となる。 私生活では広幡忠隆の長女である信子と結婚し、広幡家の養子に入り11代当主となる。信子との間には3男を授かったが、1955年(昭和30年)に信子に先立たれ、後に工藤静と再婚した。 1988年(昭和63年)、死去。 忠幸 - 豊忠 - 長忠 - 前豊 - 前秀 - 経豊 - 基豊 - 忠礼 - 忠朝 - 忠隆 - 増弥 - 忠恒 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
島崎 敬夫(しまざき よしお、1902年10月11日 - 1… 島崎 敬夫(しまざき よしお、1902年10月11日 - 1975年6月29日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長を務めた。高知県高知市出身。実弟に俳優の志村喬がいる。 1926年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に古河銀行に入行。1931年に横浜ゴムに転じ、1948年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1965年には社長に就任。1973年2月に会長に就任。 1969年に藍綬褒章を受章。 1975年6月29日に肝硬変のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
黒沢 幸一(旧字体: 黑澤 幸一、くろさわ こういち、190… 黒沢 幸一(旧字体: 黑澤 幸一、くろさわ こういち、1902年(明治35年)10月11日 - 1977年(昭和52年)7月2日)は、昭和期の社会運動家、政治家。衆議院議員。 栃木県河内郡上三川町の農家に生まれる。1924年、日本大学専門部法律科を卒業した。 卒業後は家業に従事し、労農運動に加わる。労農党栃木県連合会の結成や、日本大衆党栃木県連合会の結成に加わり、小作争議の指導を行う。宇都宮市会議員も務めた。1932年、阿久津村事件の首謀者として検挙され懲役3年、また1936年の争議でも検挙され懲役6ヵ月に処せられ服役した。 戦後、日本社会党に入党し、同党栃木県連書記長、同会長、栃木県地方労働委員会会長、栃木機械製作所総務部長などを務めた。