青木 康征(あおき やすゆき、1944年1月12日 - )は… 青木 康征(あおき やすゆき、1944年1月12日 - )は、日本のラテンアメリカ史学者、神奈川大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語学科卒業。上智大学院文学研究科史学専攻(西洋史)博士課程満期退学。神奈川大学外国語学部講師、助教授、教授を務め、2014年定年。 専門はアメリカ大陸の発見からスペインによるアメリカ大陸の植民地化期のラテンアメリカ史。
上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉… 上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉1月12日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪を制した選手のひとり。現在の姓は小幡。 群馬県邑楽郡邑楽町出身。長柄中学校を卒業。群馬県立館林高等学校時代にレスリングを始め、2年時に国体、3年時にインターハイを制覇。その後は早稲田大学に進学し、更に早大2年時に八田一朗の勧めでオクラホマ州立大学に留学して自らの技量向上を図った。 オクラホマ州立大学時代に、NCAAディビジョン1で3度優勝、最優秀選手にも2度選ばれ、通算57勝無敗の戦績を収めた。1964年に全日本レスリング選手権でフリースタイル・バンタム級で優勝。
原田 英之(はらだ ひでゆき、1943年〈昭和18年〉1月1… 原田 英之(はらだ ひでゆき、1943年〈昭和18年〉1月12日 - )は、日本の政治家。 2001年から2005年まで(旧)袋井市長を2期、2005年から2021年まで(現)袋井市長を4期務めた。 1943年(昭和18年) 1月12日、 静岡県磐田郡久努村(現・袋井市国本)に生まれる。 1967年(昭和42年)3月、東北大学法学部卒業。同年4月、静岡県庁に入庁。1984年(昭和59年)2月、ロサンゼルス駐在員となる。1997年(平成9年)4月、東京事務所長に就任。1999年(平成11年)4月、健康福祉部長に就任。 2000年(平成12年)11月30日、旧袋井市長の豊田舜次がくも膜下出血のため、任期中に死去。
大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は… 大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は日本の教育学者。博士(医学)、国立大学法人筑波技術大学名誉教授・元学長、東京大学先端科学技術研究センター元客員教授 聴覚障害学の第一人者、宮城県出身。
宗像 紀夫(むなかた のりお、1942年1月12日 - )は… 宗像 紀夫(むなかた のりお、1942年1月12日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁特捜部長、最高検察庁刑事部長、名古屋高等検察庁検事長、内閣官房参与、中央大学大学院教授等を歴任した。瑞宝重光章受章。 福島県田村郡三春町出身。福島県立安積高等学校卒業。生家は裕福ではなく、司法試験合格者を多数輩出し、他の私学より学費が安かった中央大学法学部に進んだ。中央大学法学部の司法試験受験サークル「真法会」に入って勉学に励んだ。1965年に中央大学法学部を卒業し、同年の司法試験に合格。司法修習第20期を修了し、1968年に検事任官。 福島地方検察庁検事在職中、福島県政汚職事件では、東亜相互企業の町井久之(本名・鄭建永)ら3人からの贈賄も絡み福島県庁総務部長を逮捕・起訴し、追って当時の木村守江福島県知事を収賄の疑いで起訴する。
加藤 峻二(かとう しゅんじ、1942年1月12日 - )は… 加藤 峻二(かとう しゅんじ、1942年1月12日 - )は、埼玉県秩父市出身の元ボートレーサー。 登録番号は1485番(5期生)、埼玉支部所属。 2015年5月7日の引退まで現役最年長レーサーであり、17歳のデビューから73歳まで現役で活躍した。 愛称は「峻ちゃん」。若年層の競艇ファンからは、その功績を称えて「御大」とも称される。 兄は、元オートレーサーの加藤義則(期前、元川口所属)。 サッカー少年として育ったが、実兄の義則がオートレーサーになっていたため、自身も16歳の頃にはその同じ道に進もうとしていた。試験にも受かっていたが、養成の関係から2年程待たされるため、競艇に種目換えした。埼玉県立小鹿野高等学校を2年で中退し、競艇選手を目指す。
住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2… 住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2017年12月)は、日本の俳優。本名は同じ。旧芸名は住吉 道博。 旧関東州・大連出身。成城大学卒業。娘は女優の如月皐。高瀬プロダクション、アディックエージェンシー、オフィス松田などに所属していた。 1957年、埼玉県に引き揚げる。成城大学芸術学部在学中に劇団俳優座第14期生となり、卒業後の1965年に劇団青俳に入団。以後、テレビドラマを中心に活動し、1970年の『金太郎の孫』で布団屋職人を演じ、同年の『東京赤坂三代目』では呉服店の店員を演じるなど職人や店員役を多く演じた。 1976年、『がんばれ!!ロボコン』にスケジュールの都合で降板することになった大野しげひさに替わり、ロボコンの居候先のパパ役を演じた。
大内 捷司(おおうち かつじ、1942年1月12日 - )は… 大内 捷司(おおうち かつじ、1942年1月12日 - )は、日本の裁判官、弁護士。名古屋高等裁判所部総括判事や、名古屋地方裁判所所長、札幌高等裁判所長官、総務省公害等調整委員会委員長等を歴任した。 東北大学法学部卒業後、1967年東京地方裁判所判事補任官。1970年金沢地方裁判所判事補。1973年盛岡地方裁判所判事補。1977年岡山地方裁判所倉敷支部長。1979年岡山地方裁判所判事。1983年名古屋地方裁判所判事。1987年福島地方裁判所判事。1991年名古屋高等裁判所判事。1992年名古屋地方裁判所部総括判事。1998年福井地方裁判所長。1999年名古屋高等裁判所部総括判事。2002年名古屋地方裁判所長。
今西 和男(いまにし かずお、1941年1月12日 - 20… 今西 和男(いまにし かずお、1941年1月12日 - 2026年4月16日)は、広島県広島市中区東平塚出身の教育者、元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはDF。 日本におけるゼネラルマネージャーの地位を確立させた人物。サッカー界では日本の元祖ゼネラルマネージャーとも称される。 マツダ/サンフレッチェ広島F.Cでのチーム作りに辣腕を振り、大分トリニータや愛媛FC・FC岐阜がJリーグ入りを目指していたころにアドバイザーとして参加もしている。 育成に実績があり、森保一・久保竜彦らの無名選手を発掘し、小林伸二や松田浩らの指導者を育成した。今西が整備したサンフレッチェ広島アカデミーは、2012年現在日本有数の育成組織の評価を受けている。
藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022… 藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022年12月28日)は、日本のイラストレーター、天体写真家。天文宇宙の魅力を広く伝え、多様な天文ファンを先導する存在として国際的に知られる。50年以上にわたって第一線で活躍を続けた。 山口県山口市に生まれる。父は岸信介と旧制山口中学校の同級生で、山口県庁の職員を経て釣具店を経営していた。子供の頃は流星観測をしていた。山口県立山口高等学校在学中に天文部を創設。山口高校卒業後は多摩美術大学デザイン科に進学し、1963年同校を卒業。少年マガジンなどの雑誌のイラストを描く仕事に就いていた。その後、東京の光害から逃れるために福島県郡山市に移り住み、それまでやっていたイラスト描きの仕事を辞めて、郡山名物である薄皮饅頭の製造会社に入社して饅頭づくりに励んだ。
高橋 政行(たかはし まさゆき、1940年1月12日 - 2… 高橋 政行(たかはし まさゆき、1940年1月12日 - 2010年8月31日)は、日本の農水官僚。大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官、日本中央競馬会理事長を務めた。 『優駿』では髙橋 政行と表記されている。 岐阜県出身。1963年、東京大学法学部を卒業後、農林省(現在の農林水産省)に入省。北海道農務部長、食糧庁管理部長、農蚕園芸局長などを経て、1994年2月に大臣官房長。1995年7月に食糧庁長官。その後、農林水産事務次官に就任した。その後、1999年に日本中央競馬会理事長に就任。在任中、ワイド、馬単、3連複を導入、3連単を全国展開し、学生の馬券購入に舵を切った。2007年、土川健之に道を譲るまで務めた。
市口 政光(いちぐち まさみつ、1940年1月12日 - )… 市口 政光(いちぐち まさみつ、1940年1月12日 - )は、大阪府出身の日本のアマチュアレスリング選手、指導者。元東海大学体育学部教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・バンタム級の金メダリストでもある。 関西大学時代に1960年ローマオリンピックに出場し、5回戦で敗れたものの7位に入賞。卒業後はサラリーマンをしながら競技を続け、1962年の全米オープン選手権・世界選手権で優勝した。金メダルを期待された東京オリンピックでは足首の捻挫に苦しみながらも予選を勝ち進み、決勝トーナメントに進出する。しかし、他の予選突破選手が当時の罰則制限をオーバーして失格したため、決勝トーナメントを戦わずして市口の優勝(金メダル)が決定、グレコローマンスタイルでは日本人初の快挙でもあった。
早川 毅(はやかわ たけし、1940年1月12日 - )は、… 早川 毅(はやかわ たけし、1940年1月12日 - )は、日本の統計学者。一橋大学名誉教授。学位は、理学博士(東京工業大学)。元日本統計学会理事長。 1962年名古屋大学理学部数学科卒業、文部省統計数理研究所入所。1973年東京工業大学より理学博士の学位を取得。 1972年文部省統計数理研究所第1研究部第2研究室主任研究員。1973年同室長。1974年日本統計学会編集担当理事。1977年日本数学会『数学』常任編集委員。1979年一橋大学経済学部教授。1980年Journal of Statistical Planning and Inference編集委員。1985年一橋大学情報処理センター運営委員。
木暮 正夫(こぐれ まさお、1939年〈昭和14年〉1月12… 木暮 正夫(こぐれ まさお、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2007年〈平成19年〉1月10日)は、日本の児童文学作家。 元日本児童文学者協会会長。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)に生まれる。群馬県立前橋商業高等学校定時制を卒業。 1959年、20歳の時に「光をよぶ歌」が毎日新聞主催の児童小説コンクールに入選。1961年石神井公園駅前にある福本土地住宅社に勤務する。翌年東久留米市店長になる。初めての単行本は、『ドブネズミ色の街』(理論社、 1962年)で1963年のサンケイ児童出版賞推薦となり、同年12月28日にNHKで単発ドラマとして放送される。同ドラマは、第4回モンテカルロ国際テレビ祭審査員特別賞(ウンダ賞)、国際放送カトリック協会賞、NHK放送総局長賞受賞など数々の賞を受ける。
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 1994年〈平成6年〉3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗)。神奈川県横浜市出身。 フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。ピアノや絵の好きな子供だった。文化学院油絵科に進んだころ、アルバイトで訳詞した「GIブルース」の大ヒットをきっかけにNHKの林叡作に勧められ、初めて作詞したのが「女の子だもん」。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かま… かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - 2017年3月1日)は、日本のミュージシャン。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京都出身。血液型はB型。
大坪 愛雄(おおつぼ なるお、1939年1月12日 - )は… 大坪 愛雄(おおつぼ なるお、1939年1月12日 - )は、日本の経営者。ジーエス・ユアサコーポレーション社長を務めた。東京都出身。 1961年に成城大学政治経済学部を卒業し、同年に三井銀行に入行。 1992年にユアサコーポレーションに転じ、1994年に取締役に就任。1995年に常務、1997年6月に専務を経て、同年11月に社長就任。 2004年4月にジーエス・ユアサコーポレーション社長を経て、2006年6月に相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は… 小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は、日本の俳人、茶人。 東京府生まれ。1961年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒。博報堂などでコピーライターとして活躍後、(株)レマンに入社。コピーライター時代の代表作は1970年の森永製菓、エールチョコレートの『大きいことはいいことだ』。 1977年、同好の士と俳句同人「九九の会」を結成(現:未名句会)し、世話役として今日に至る。俳号は麦人(ばくと)。著書に『俳諧無辺』『俳句のことばたち』『花あびて』などがある。 また茶人として遠州流茶道を嗜み、茶道遠州会東京支部副部長を務める。茶名は有節庵宗生。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
松永 俊男(まつなが としお、1939年1月12日 - )は… 松永 俊男(まつなが としお、1939年1月12日 - )は、日本の科学史家、桃山学院大学名誉教授。 東京府東京市芝区芝新堀町(現・東京都港区芝)出身。東京都立日比谷高等学校卒、1961年東京大学理学部生物学科植物学卒業、1965年同大学院博士課程中退、理学部助手、1966年退職、1967年東大文学部哲学科に学士入学、1971年卒業、1974年同大学院修士課程修了。講談社契約編集者を経て、1977年桃山学院大学経営学部助教授となり、1987年教授、1989年文学部教授、2001年「ダーウィン進化論の自然神学的背景」で東大博士(学術)。2002年桃山学院大学社会学部教授。2009年定年退職、名誉教授。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かま… かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)千代田区出身。 父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。
高林 恒夫 (たかばやし つねお、1938年1月12日 - … 高林 恒夫 (たかばやし つねお、1938年1月12日 - 2009年9月5日)は、昭和中期(1960年代前半)のプロ野球選手(外野手)。 東京都神田出身。錦華小学校を経て、立教中学校(現・立教池袋中学校)で野球を始める。立教高校(現・立教新座高校)では1年生からレギュラーとなり、中堅手として1955年の春の甲子園に出場する。1回戦で坂崎一彦、山本八郎らのいた浪華商に完封負け。浪華商はこの大会に優勝する。同年夏は都予選準々決勝で早実高に敗退した。 1956年立教大学に入学するが、2年生までベンチ入りすらできなかった。2年生時の1957年11月3日立教大学が東京六大学野球の秋季リーグで優勝を決めた日の夜に、高林は前科3犯の窃盗犯を捕獲して、神田警察署から表彰状と賞金500円を受け取る。
大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )は、… 大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )は、日本の歌手。 愛知県豊橋市出身。私立桜ヶ丘高校卒業。 1953年(昭和28年)、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた。| 1955年(昭和30年)7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地政信がビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田が大津を指導することになる。
柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )… 柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )は、東京出身の生命科学者、サイエンスライター、エッセイスト、歌人。夫は柳沢嘉一郎。
木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は… 木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 岩国工業高校から1956年に阪急ブレーブスへ投手で入団。後に内野手へ転向。
岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、… 岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、和歌山県新宮市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - … 阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - 2012年11月21日)は、日本の実業家、馬主。 木材卸であった阿部木材工業(現・アベキャピタル)の第2代社長であり、会社を複合的な企業グループに拡大させた。また、競走馬の馬主としても著名で、GI競走に優勝したヒシアマゾン、ヒシアケボノ、ヒシミラクルなど数々の活躍馬を所有した。 阿部木材工業創業者の阿部雅信は父、第3代社長の阿部雅英は長男。両者もまた馬主として知られる。 慶應義塾大学卒業後、阿部木材工業に入社。1964年、雅信が脳溢血に倒れたため同社の経営を継いだ。良質な無垢材の確保が困難になりつつあったことから、合板の製造に着手すべく1967年に「阿部合板」を設立。
林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は… 林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は、日本の経済学者・心理学研究者・評論家。日本ユング研究会会長。 1937年、長野県飯田市生まれ。東京大学法学部に進み、在学中は1958年から1961年まで学生運動に加わり、全学連組織部長として60年安保闘争に参加した。1962年に東京大学を卒業し、同大学大学院経済学研究科に進んだ。指導教官は大塚久雄であった。1968年に博士課程単位取得満期退学。 1970年、東京女子大学専任講師となった。1971年にマックス・ウェーバーについて論じた学位論文『ウェーバー社会学の方法と構想』で経済学博士号を取得。1975年から1976年までドイツ・テュービンゲン大学に留学し、帰国後にカール・グスタフ・ユングの研究に転じてユングの著作の翻訳を手がける。
宮川 智雄(みやかわ としお、1936年1月12日 - )は… 宮川 智雄(みやかわ としお、1936年1月12日 - )は日本の実業家。元博報堂、博報堂DYホールディングス代表取締役社長・代表取締役会長。 東京都出身。1957年に早稲田大学法学部を卒業し、博報堂に入社。同社では主に営業部門を歩み、1999年東海林隆社長の指名を受け、社長に就任。2003年に株式移転により博報堂、大広、読売広告社が経営統合して設立された持株会社の博報堂DYホールディングス社長に就任。2006年からは同社会長を務め、2009年に取締役相談役に就任。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
白根 一男(しらね かずお、本名: 小池 正一、1936年〈… 白根 一男(しらね かずお、本名: 小池 正一、1936年〈昭和11年〉1月12日または1937年〈昭和12年〉1月11日 - 2025年〈令和7年〉10月10日)は、日本の演歌歌手である。 栃木県栃木市皆川町生まれ。高校在学中の1952年(昭和27年)にテイチクレコード第1回新人コンテストに出場し、優勝。 翌1953年(昭和28年)にテイチクから「夜霧の酒場」でデビュー。1955年(昭和30年)には、市川雷蔵主演の大映映画 『次男坊鴉』の主題歌「次男坊鴉」が大ヒットし一躍スターダムに。 1957年(昭和32年)には第8回NHK紅白歌合戦に出場、ヒット曲「面影いずこ」を歌唱。1959年(昭和34年)には創設間も無い東芝レコードへ看板歌手の一人として引き抜かれる形で移籍。
亀井 淳(かめい じゅん、1935年(昭和10年)1月12日… 亀井 淳(かめい じゅん、1935年(昭和10年)1月12日 - 2009年(平成21年)5月10日)は、日本のジャーナリスト、編集者。『週刊新潮』編集部次長、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。 東京都出身。鳥取県人・亀井常蔵の長男。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。1957年4月、新潮社に入社。同期に江國滋がいた。 『週刊新潮』編集部には21年在籍し、同誌編集部次長を経て、1978年に退社。フリーとなり、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。 2009年5月10日23時20分、肺癌のため東京都新宿区の病院で死去。74歳没。 週刊新潮編集部次長の経験を活かしたマスコミ・ジャーナリズムに関する評論のほか、三宅島や沖縄における自衛隊・米軍基地問題の取材・報告を主たる活動テーマとした。
江上 綏(えがみ やすし、1935年1月12日- )は、日本… 江上 綏(えがみ やすし、1935年1月12日- )は、日本の美術史学者。東京文化財研究所名誉研究員。 東京生まれ。江上波夫の長男。国際基督教大学卒、1963年東京大学大学院人文科学研究科美学美術史修士課程修了。東京文化財研究所主任研究官、上智大学教授を経て東京文化財研究所名誉研究員。
石井 トミコ(いしい トミコ、1935年1月12日 - 20… 石井 トミコ(いしい トミコ、1935年1月12日 - 2022年10月6日[要出典])は、日本の女優。本名は、山根富子。旧姓名及び旧芸名、石井 富子(いしい とみこ)。大阪府大阪市出身。血液型はB型、身長154 cm。趣味は水泳、日本舞踊。ワンダー・プロダクション所属。 大阪市東区に生まれ、明浄中学校を卒業。 1950年に大阪松竹歌劇団付属学校に入学。 歌劇学校卒業後、大阪松竹歌劇団へ入団。1953年にOSKを退団し、大映に入社。長谷川一夫主演『知らずの弥太郎』で映画デビュー。 草創期のテレビにも出演しており、グラマーな水着姿も注目された。 1957年、大映を退社してからは松竹へ移籍。 1962年からはフリーで活動。
酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 20… 酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 2007年8月15日)は三重県桑名市出身のプロ野球選手、新聞記者。現役時代のポジションは捕手。 三重県立桑名高等学校から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1年下のエース木村保とバッテリーを組む。4年生時の1955年秋季リーグでは、長嶋茂雄(立大)らと共にベストナイン(捕手)にも選ばれた。同年12月にフィリピンで行われたアジア・アマチュア野球選手権日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出され、木村、長嶋、森徹(早大)、佐々木信也(慶大)らとともに全勝優勝に貢献。リーグ通算58試合出場、160打数33安打、打率.206、0本塁打。
小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - … 小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - 1995年10月8日)は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は1964年から1970年まで中日ドラゴンズに所属し、1967年には29勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得、沢村賞を受賞するなど、アンダースローの好投手として活躍した。また1967年から1970年まで4年連続で開幕投手を務めたが、これは1996年時点で球団最長となる連続開幕投手記録だった。王貞治(読売ジャイアンツ)に対して腕を背中から繰り出す「背面投げ」を行った投手としても知られる。しかし1970年、球界を震撼させた八百長事件である「黒い霧事件」への関与が疑われ、オートレース八百長に関与したとして逮捕される。
明石 元紹(あかし もとつぐ、1934年1月12日 - )は… 明石 元紹(あかし もとつぐ、1934年1月12日 - )は、日本の実業家、文筆家。慶應義塾大学経済学部卒業。日産プリンス東京販売取締役、日産陸送常任監査役。学習院大学馬術部監督。金閣寺住職の有馬頼底らと共に上皇明仁の学友である。 明石元長の子で、陸軍大将明石元二郎の孫にあたる。上皇とは学習院初等科以来の親友で、太平洋戦争時には一緒に日光に疎開した。高等科時代には馬術部のチームメートで、お互いにあだ名で呼びあうほどの仲であった。それらの経験から上皇との親交のエピソードを数々の書籍によって著してきた。しかしながら2019年、眞子内親王と小室圭との結婚問題や昭和天皇の喪中にもかかわらず秋篠宮が婚約を発表されたことなどを例に挙げ、皇室が「公」より「私」を優先させるようになられたことを懸念し、学習院初等科の同窓会に欠席することで上皇陛下に対し週刊誌上で「絶縁宣言」を行った。
大槻 修(大槻 脩、おおつき おさむ、1933年1月12日 … 大槻 修(大槻 脩、おおつき おさむ、1933年1月12日 -2025年8月6日 )は、日本の国文学者、甲南女子大学名誉教授。 京都府生まれ。1955年大阪大学文学部国文科卒、1970年同大学院博士課程満期退学、甲南女子大学助教授、教授。2003年定年となり、名誉教授。中古・中世の物語文学が専門。国文学者・大槻節子は最初の妻、田淵福子(1960-)が現在の妻・大槻福子。
出村 彰(でむら あきら、1933年1月12日 - )は、日… 出村 彰(でむら あきら、1933年1月12日 - )は、日本の神学者、東北学院大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1955年、東北学院大学文経学部英文学科卒。1957年、東京神学大学卒。1959年、同大学院修士課程(組織神学)修了、東北学院大学助手。1964年、プリンストン神学校神学博士。バーゼル大学神学博士。 その後、東北学院大学助教授、同教授。同副学長を歴任。定年退職後には、2007年より学校法人宮城学院理事長も務めた。 1972年、日本宗教学会賞受賞。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
忍足 欣四郎(おしたり きんしろう、1932年1月12日 -… 忍足 欣四郎(おしたり きんしろう、1932年1月12日 - 2008年3月26日)は、日本の言語学者、英文学者。東京都立大学名誉教授。 東京都に生まれる。1955年に東京大学文学部を卒業。 都立大学教授を退官後、白百合女子大学教授を2006年まで務めた。ベーオウルフの新訳で知られる。 2008年3月26日、脳梗塞のため死去。
稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1… 稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1996年)は、日本のアナウンサー・報道記者である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12… 清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12日 - 2010年(平成22年)3月15日)は、日本の小説家。本名:清水和幸(しみず・かずゆき)。 実際に起きた経済事件に関わった実在の人物をモデルに、企業の実態や事件の内幕を描く作風を確立した。高杉良、城山三郎らと並ぶ経済小説の第一人者として知られる。息子に自動車評論家の清水草一、孫に元テレビ朝日アナウンサーの竹内由恵、元俳優の竹内太郎がいる。 東京府南葛飾郡吾嬬町(現在の東京都墨田区八広)の2階屋が4軒続く長屋で、大工の次男として生まれた。父は忠助、母ははな。清水が生まれた吾嬬町は、『玉の井』と呼ばれる私娼街(娼家が密集している地域)の南側に隣接していた。
岡本 康雄(おかもと やすお、1931年1月12日 - 20… 岡本 康雄(おかもと やすお、1931年1月12日 - 2015年8月2日)は、日本の経営学者。 東京生まれ。東京大学経済学部卒、1958年同大学院社会科学研究科博士課程修了。福島大学助教授、武蔵大学助教授、青山学院大学助教授、東京外国語大学助教授、東京大学経済学部助教授、教授、91年定年退官、名誉教授、青山学院大学国際政経学部教授。2000年退任。
大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)… 大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)は日本の児童文学作家。イラストレーターとして挿絵も兼任。人間心理のダークサイドをえぐる作品を書く。 東京都港区新橋生まれ。生家はファーストホテルヨシカワの正面にあった。3歳でぜんそくをわずらい、学校行事どころか朝礼もなかなか出席できなかった。兄弟も二人は乳児の時、一人は27歳で亡くなっている。食肉加工業者の父と異なる仕事につきたいと考え、将来の夢が小学生の時は漫画家だったが、16歳の時に作家を目指す。早稲田大学第一文学部仏文科でブレーズ・パスカル、大学院ではアンリ・ベルクソンに傾倒する。 卒業後は就職したくなく、神奈川県横浜の下宿先の大家がたまたま書道塾を兼業しており、ふとしたはずみでここを利用して学習塾を営むことになった。
内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2… 内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2013年8月12日)は、愛知県碧海郡高浜町(現・高浜市)出身の元騎手・元調教師・元馬主。管理馬通算出走11201回という中央競馬の史上最多記録を打ち立て、調教師として定年引退間際の2000年に騎手復帰を試みたことで話題を集めた。 実兄・博司は東海地方で飲食店をチェーン展開する株式会社だるまの創業者、同社会長で馬主の内藤耕造は甥である[要出典]。 実家は名古屋コーチンを生産する養鶏場を営んでおり、太平洋戦争を経て、戦後は定時制高校に通いながら鉄工所や瓦の製造会社に就職したが、工場内で排出される煤煙で肺を病み休職を余儀なくされて高校も中退。
良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 19… 良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 1985年10月20日)は、日本の哲学者。社会思想史家。元一橋大学社会学部長・教授。 1848年に相次いで起きたヨーロッパの市民革命やヘーゲル左派・カール・マルクスの研究に関して多くの業績を残した。特に初期マルクス研究は、廣松渉とともに国内においては代表的な存在であり、また日本に社会史研究を定着させるにあたっても、一橋大学社会学部で同僚であった阿部謹也らと共に主導的役割を果たした。 大学院での指導学生に野村真理(金沢大教授、日本学士院賞)、川越修(同志社大教授)、植村邦彦(関西大教授)、渡辺憲正(関東学院大教授)、杉浦秀一(北海道大学教授)、上野卓郎(一橋大学教授)、前田庸介(首都大学東京名誉教授)など。
槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 202… 槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 2020年12月13日)は、日本の実業家。従三位。 イギリス生まれ、東京府(現:東京都)。ハーバード大学卒業。三菱商事の社長・会長・特別顧問、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任した。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。 槙原稔の妻・喜久子は元三菱製紙会長・岩崎隆弥(弥太郎の孫、久弥の次男)の三女。旧制成蹊高校時代に隆弥の4人の娘に英語の家庭教師をしていた縁で隆弥の娘の1人・喜久子と結婚した。この結婚によって三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係で結ばれることになり、このことが後に三菱商事の社長に就任することにプラスになったと考えられている。
安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1… 安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1990年3月17日)は、日本の児童文学作家・文芸評論家。日本女子大学家政学部教授。本名は安藤 一郎。 京都府京都市出身。1954年京都大学文学部イタリア文学科卒業後、北海道で高校教師を務める。その傍ら、1957年頃よりイタリア児童文学の翻訳の刊行を始め、自ら創作を始めて、1961年『白いりす』でデビューし、産経児童文化賞を受賞。1962年、評論「ピノッキオとクォーレ」で高山賞(日本児童文学者協会主催)受賞。 1972年、北海道から東京都東大和市に移り、日本女子大学家政学部児童学科の非常勤講師となる。1973年『でんでんむしの競馬』で国際アンデルセン賞作品賞・野間児童文芸賞・日本児童文学者協会賞・赤い鳥文学賞・サンケイ児童出版文化賞受賞。
井上 正(いのうえ ただし、1929年(昭和4年)1月12日… 井上 正(いのうえ ただし、1929年(昭和4年)1月12日-2014年(平成26年)6月14日)は、日本の美術史家。佛教大学教授、京都造形芸術大学教授を歴任。専門は日本彫刻史。 長野県飯田市出身。奈良時代の僧行基の巡錫伝承を持つ寺院の仏像を丹念に調査し、上代日本の彫刻史に根本的な見直しを迫る「霊木化現仏」の概念を提唱。それまで9世紀作とみなされてきた木彫仏の制作年代を、50 - 100年引き上げる学説を提示した。
原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 200… 原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 2009年10月20日)は日本の小説家である。本名は佐々木康子(旧姓:原田)。 東京府生まれ、2歳から北海道釧路市で育つ。市立釧路高等女学校(現・北海道釧路江南高等学校)卒業後、1949年から東北海道新聞(のちの釧路新聞)に勤務。 1949年(昭和24年)に釧路の同人雑誌『北方文芸』に処女作「冬の雨」を発表し、以後も同誌およびその後継誌に相当する『北海文学』を中心に短編・長編を発表する。1951年(昭和26年)、東北海道新聞社の同僚と結婚。1953年(昭和28年)、前年10月に鳥居省三らが釧路で創刊した同人雑誌『北海文学』に同人として参加、初めての長編小説「廃園」を発表。
加納 一朗(かのう いちろう、1928年1月12日 - 20… 加納 一朗(かのう いちろう、1928年1月12日 - 2019年8月25日)は、日本の小説家、ミステリ作家、SF作家、時代小説作家。本名:山田 武彦。祖父は言文一致の先駆者である明治の作家・山田美妙。 東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)生まれ。満州国大連で育つ。二松學舍専門学校国文科卒業。教育委員会勤務、編集者を経て1960年「宝石」誌に「錆びついた機械」が掲載。『怪盗ラレロ』や『セブンの太陽』など児童文学にも多くの作品を残している。 また1963年から1964年にかけて、エイケンが製作し、東京放送(現 TBSテレビ)にて放映された連続テレビアニメ『エイトマン』(原作:平井和正)や『スーパージェッター』(原作:久松文雄)の2作品の脚本・監修を担当、特に『スーパージェッター』では主題歌(作曲:山下毅雄、歌唱:上高田少年合唱団)の作詩を手掛けたことで知られた。
宮崎昭威(みやざき てるたけ、1928年1月12日-2015… 宮崎昭威(みやざき てるたけ、1928年1月12日-2015年2月9日)は、英文学者。東京出身。法政大学文学部英文科卒、同大学院中退、中央大学経済学部助教授、教授、98年定年退任、名誉教授。