蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 19… 蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 1965年11月17日)は、日本のプロ野球選手(内野手)。
1月16日生まれ:356人
蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 19… 蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 1965年11月17日)は、日本のプロ野球選手(内野手)。
小玉新次郎(こだま しんじろう、1927年1月16日- )は… 小玉新次郎(こだま しんじろう、1927年1月16日- )は、日本のアジア史学者、関西学院大学名誉教授。 神戸市生まれ。1952年京都大学文学部史学科(東洋史専攻)卒業。関西学院大学文学部助教授、教授を経て、98年定年、名誉教授となる。1974年「シリア文明交流史研究」で関西学院大学文学博士。西アジア古代史が専門。
林 修(はやし おさむ、1927年1月16日 - )は、日本… 林 修(はやし おさむ、1927年1月16日 - )は、日本の経営者。近鉄百貨店社長、会長を務めた。 愛媛県周桑郡小松町出身。1949年に拓殖大学専門部を卒業し、1950年に近畿日本鉄道に入社。1972年6月に近鉄百貨店に転じ、1978年5月に取締役に就任し、1983年3月に常務、同年5月に専務を経て、1986年1月に社長に就任。社長時代には、阿倍野本店と奈良店の増床などの大型プロジェクトを推進した。1993年5月に取締役相談役を経て、1995年5月に相談役に就任。
井手 恵生(いで めぐみ、1927年1月16日 - 2005… 井手 恵生(いで めぐみ、1927年1月16日 - 2005年9月6日)は、日本の経営者。コニカ社長、会長を務めた。東京都出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に小西六写真工業(のちのコニカ)に入社した。主に販売畑で携わり、1973年5月に取締役に就任し、1976年7月に常務、1979年12月に専務、1982年7月に副社長を経て、1983年12月に社長に就任した。1990年6月から1996年6月までに会長を務めた。東京工芸大学理事長も務めた。 1989年にゴールデン・フォト・ピン賞を受賞し、1991年11月に藍綬褒章を受章し、1997年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2005年9月6日前立腺がんのために死去。
貴舩 悦光(きふね よしみつ、1927年(昭和2年)1月16… 貴舩 悦光(きふね よしみつ、1927年(昭和2年)1月16日 - 2010年(平成22年)9月5日)は、日本の政治家。山口県岩国市長(2期)。 山口県岩国市今津町出身。1952年法政大学経済学部卒。同年興亜石油に入社。1961年帰郷し旭興産(現:アラインテック株式会社)に勤務し、1965年に社長に就任する。1991年に岩国市長に当選。それにより同社の会長に就任した。1999年に市長を引退、社長に復帰した(会長兼務)。 2010年9月5日死去。11月25日に市民葬が営まれ、現岩国市長の福田良彦が葬儀委員長を務めた。
藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 20… 藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 2016年6月1日)は、日本の経営者。日立造船社長、会長を務めた。香川県高松市出身。 旧制高松中学校を経て、1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1974年7月に常務、1977年12月に専務を経て、1982年4月には副頭取に就任し、1985年6月には副会長に就任。1988年6月には日立造船社長に就任し、今日の主力事業である環境事業の祖を築き、経営の再建に尽力し、「中興の祖」として活躍した。また、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが大阪市に進出する計画が浮上した際には、新宮康男の要請に応じ、桜島工場を閉鎖し、土地を提供し、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業に後押しした。
石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日… 石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日 - 2017年1月8日)は、日本古代史研究家。東京都出身。 1953年、東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文科卒業。1953年~1977年、東京都立千歳高等学校教諭。 主に以下のような説を主張している。
柳沢 孝(柳澤 孝、やなぎさわ たか、女性、1926年1月1… 柳沢 孝(柳澤 孝、やなぎさわ たか、女性、1926年1月16日 - 2003年9月6日)は、日本の美術史家。専門は仏教絵画史。東京文化財研究所名誉研究員。 1926年1月16日、長野県上田市に生まれる。1943年3月、長野県立上田高等女学校を卒業。1945年9月、日本女子大学校国文科卒業。1946年に帝国美術院付属美術研究所(現・東京文化財研究所)に入り、美術部長などを務めた後、東京芸術大学客員教授に就任する。 1960年「醍醐寺五重塔の壁画」(共同研究)で学士院恩賜賞を受賞。上野アキとともに、女性として初めての受賞者となった。 1987年3月、東京文化財研究所を定年退職する。1996年勲四等宝冠章を受章。
吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日… 吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日 - 2014年〈平成26年〉1月15日)は、日本の詩人。 山形県酒田市生まれ。1938年(昭和13年)酒田市琢成第二尋常小学校を総代として卒業し、1942年(昭和17年)12月、山形県酒田市立酒田商業学校を戦時繰り上げ卒業した。若いころ高村光太郎の「道程」を読んで感銘を受ける。商業学校卒業後、1943年(昭和18年)1月に帝国石油に就職した。1944年(昭和19年)に徴兵検査に合格するが、入隊5日前に終戦を迎えた。戦後は労働組合運動に専念していたが、1949年(昭和24年)に過労で倒れ、肺結核のため3年間療養した。入院中に詩人の富岡啓二と親しくなっている。
青井 忠正(あおい ちゅうせい、1925年 <大正14年> … 青井 忠正(あおい ちゅうせい、1925年 <大正14年> 1月16日 - 1999年 <平成11年> 3月15日)は、日本の機械工学・物理学者。大阪工業大学第6代学長・名誉教授。理学博士(京都大学)。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 専門は、数値流体力学・流体機械、航空物理学。 石川県出身。京都大学理学部物理学科卒業(指導教授:日本の流体力学の第一人者である友近晋)。同大学助手などを経て、1954年理学博士(京都大学)。その後、大阪工業大学工学部に着任し、一般教育科教授、機械工学科教授などを経て、1973年大阪工業大学学長(1981年まで)。1995年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部にて、25年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に数値流体力学の研究育成に貢献した。
阿久根 巌(あくね いわお、1925年1月16日 - 201… 阿久根 巌(あくね いわお、1925年1月16日 - 2018年10月14日[要出典])は日本映画の美術監督、サーカス研究家。東京出身。 1944年、東京高等工芸学校(現・千葉大学)卒業。1948年に東宝撮影所に入社。美術監督として『独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』『犬神家の一族』『八甲田山』『ビルマの竪琴』『螢川』等を手がける一方、日本のサーカスの歴史研究を続ける。浅草六区など、数多くの資料を収集・提供し、数々の文献に名前を残す存在である。 ※賞歴のある作品は太字で記す。
川勝 堅二(かわかつ けんじ、1924年1月16日 - 20… 川勝 堅二(かわかつ けんじ、1924年1月16日 - 2010年7月4日)は、日本の実業家。三和銀行会長兼頭取や、UFJ銀行名誉顧問を務めたほか、経団連副会長等の公職も務めた。1987年ベルギー王冠勲章コマンドール章受章、1991年エセックス大学名誉博士、1992年大英帝国勲章受章、1994年勲一等瑞宝章受章。 京都府亀岡盆地の八木町出身。実家は呉服店。旧制京都府立園部中学校(京都府立園部高等学校の前身)を経て、1942年4月、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)予科入学。クラスの同級生には速水優(元日本銀行総裁)や本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)、岡稔(元一橋大学教授)が、他クラスの同期に俳優の久米明がいる。
土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年(大正13年)1月1… 土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年(大正13年)1月16日 - 1993年(平成5年)1月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。元国立歴史民俗博物館長。
稲葉 興作(いなば こうさく、1924年1月16日 - 20… 稲葉 興作(いなば こうさく、1924年1月16日 - 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。石川島播磨重工業社長、会長、日本商工会議所会頭を務めた。
中東 素男(なかひがし もとお、1924年1月16日 - 2… 中東 素男(なかひがし もとお、1924年1月16日 - 2014年 )は、日本の経営者。大阪府出身。 1941年に江田島の海軍兵学校に入学し、1949年に大阪大学工学部応用化学科を卒業し、同年に宇部興産(現:UBE)に入社。1975年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1991年6月に社長に昇格した。1995年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 2001年から化学工学会会長を1年間務めた。
山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月1… 山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日本の津波災害史研究家。元日本共産党中央委員会文化部長。『津波ものがたり』で「日本自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。 1924年1月16日生まれ。岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。この時期の昭和東北大凶作も体験している。 1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日本共産党と日中友好協会への批判に反論した。
松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月1… 松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。位階は正三位。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約交渉の際には条約課長として交渉の実担当となり、論点の一つだった韓国の対日請求権について「日韓請求権並びに経済協力協定によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題に対する外交的保護権は放棄されている」とした内容で締結に導いた。
土田 将雄(つちだ まさお、1923年1月16日 - )は、… 土田 将雄(つちだ まさお、1923年1月16日 - )は、国文学者、イエズス会司祭。
海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16… 海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉2月19日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士。神戸大学名誉教授。元日本経営学会理事長。 福井市出身。1942年和歌山高等商業学校卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年神戸経済大学(現神戸大学)卒、1949年同助手、1951年神戸大学経営学部講師、1953年助教授、1964年教授。1980-82年経営学部長、1983年日本経営学会理事長、1986年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。
北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 19… 北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 1994年2月25日)は、日本の男性俳優、声優。劇作家、演出家。東京都出身。 日本大学芸術科卒業。 1944年、瑞穂劇団に入団。1947年、新協劇団入団。1958年、東京芸術座入団。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属。1965年の時点では劇団砦に所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2… 内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2004年7月3日)は、日本の農林官僚である。 1945年に東京帝国大学経済学部を卒業後、農林省に入省する(食管局嘱託)。 食糧庁、農林経済局、水産庁漁政部、1963年~1967年外務省在ロンドン大使館一等書記官、農林経済局国際部長、食糧庁次長、農政局長、農林経済局長を経て、1974年に水産庁長官、1976年~1978年に農林事務次官に就任した。退官後は1981年~1985年に日本中央競馬会理事長、1987年から大日本水産会会長を務めた。 その他に日本農業研究所理事長、国際農友会会長、自然資源保全協会代表設立発起人、農村更生協会代表、農業者年金基金理事長など、農政分野で要職を歴任した。
山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984… 山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984年6月15日)は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - … 上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。 1921年、台湾で生まれた。台北高等学校で学び、高校時代から哲学や宗教に関心を持った。京都帝国大学文学部哲学科に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により徴兵され、1943年に卒業。その後は海軍に入隊した。人間魚雷「回天」での出撃経験を持つが、死を免れた。 戦後は1948年に和歌山県立田辺高等学校教諭となった。同年、愛知第二師範学校助教授に就いた。1954年、京都大学人文科学研究所助教授に転じた。1968年に教授昇格。1982年、第11代京都大学人文科学研究所所長に就任。
野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 201… 野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 2015年2月25日)は、日本の政治家。勲章は勲一等瑞宝章。 国土庁長官(第18代)、衆議院議員(6期)、埼玉県議会議員(3期)等を歴任した。 衆議院議員の野中厚は孫。 埼玉県加須市生まれ。旧制粕壁中学校、慶應義塾大学法学部卒業。 大越村議会議員、埼玉県議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区(定数3)から無所属で出馬したが、次点で落選した。1969年、第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区から再び無所属で出馬し、得票数2位で当選した(野中に代わり、日本社会党の板川正吾が落選し、保守系で3議席を独占した)。当選後、自由民主党に入党。
甲田 和衛(こうだ かずえ、1920年1月16日 - 199… 甲田 和衛(こうだ かずえ、1920年1月16日 - 1993年9月23日)は、日本の人文学者。大阪大学名誉教授。放送大学元学長。 大阪府出身。旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学。社会学科で社会学を専攻し、1942年9月に卒業。1944年、蒙古聯合自治政府領張家口で西北研究所が設立されると所員となった。 1951年6月、大阪大学文学部助教授に就いた。1966年4月、大阪大学文学部教授に昇格。1972年5月からは大阪大学人間科学部教授。1976年5月からは大阪大学人間科学部長もつとめた。1983年、大阪大学を定年退職し、名誉教授となった。同1983年4月からは放送大学教授として教鞭をとった。
乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012… 乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012年9月13日)は、日本の工学者(造船学・船型学)。学位は工学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学工学部船舶工学科卒業。船体の造波抵抗、流れの可視化、数値解析、球状船首の研究などを行い、1958年東京大学から工学博士号取得。論文は「船体の造波抵抗に関する研究」。 1958年東京大学工学部教授、1980年定年退官、玉川大学教授、1988年文化功労者となる。日本学士院会員。2012年9月13日、肺炎により東京都内の病院で死去した。92歳没。 造船学や船型学を専門としており、波の重要性に着目し波紋解析的船型試験法を開発した。
石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 20… 石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 2007年9月5日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)出身。 1943年9月に東北帝国大学法学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年3月に大蔵省に入省。1968年4月に岩手銀行常務に就任し、1974年11月に専務を経て、1977年12月には頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 2007年9月5日、心不全で死去。
中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16… 中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16日 - 1994年〈平成6年〉11月24日)は、日本の工業化学者、高分子化学者。工学博士(東京大学・1964年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市(現 新潟市中央区)の新潟医学専門学校精神病学教室初代教授・中村隆治の三男として出生。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。 1942年(昭和17年)1月に東京帝国大学工学部講師に就任、太平洋戦争で陸軍に入隊、最終階級は陸軍大尉、戦後、東京帝国大学第二工学部応用化学科主任教授・友田冝孝の指導下で研究。
中村 民雄(なかむら たみお、1917年1月16日 - 20… 中村 民雄(なかむら たみお、1917年1月16日 - 2003年5月20日)は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手。
国塚 一乗(くにづか かずのり、1917年1月16日 - 没… 国塚 一乗(くにづか かずのり、1917年1月16日 - 没年不明)は、日本の軍人、事業家。 太平洋戦争において通訳将校として活躍。杉田一次に評価され、その部下でインド国民軍の編成やインド独立に影響を与えた藤原岩市の通訳として従事。以後モーハン・シンやスバス・チャンドラ・ボースからの信任を得る。 山口高等商業学校卒。戦前は神戸の貿易会社に勤務。1939年1月、広島第二電信連隊入営。半年後に陸軍通信学校に入学。英語で修養日記を書くことが注目され、第5師団司令部付を命じられ参謀付将校へ昇進する。 太平洋戦争開戦時の1941年12月8日早朝、タイ最南端のシンゴラに上陸。日泰軍事協定直前の上陸であり、激しい抵抗に遭遇する。
野津 克巳(のづ かつみ、1917年〈大正6年〉1月16日 … 野津 克巳(のづ かつみ、1917年〈大正6年〉1月16日 - 2002年〈平成14年〉9月13日)は、日本の実業家。野津総業代表取締役会長、カバヤ食品会長、オハヨー乳業社長、会長を務めた。長男は野津喬(日本カバヤ・オハヨーホールディングス会長)、孫は池田基煕(喬の長男、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子、日本カバヤ・オハヨーホールディングスCEO)。 岡山県総社市真壁出身。1941年、ハルビン学院出身、満鉄に入社し、奉天鉄道局総務部での勤務を経て、1946年に林原に入社。 1948年12月にカバヤ食品に転じた。常務、専務を経て、1979年に会長に就任した。
御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1… 御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1965年7月10日)は、山口県防府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球史上2人目のシーズン無敗を達成した。 1916年1月16日に山口県防府市で生まれる。山口県立山口中学校在学時は1933年の第10回選抜中等学校野球大会に出場経験を持つ。進学先の関西大学体育会野球部では新人戦で完封勝利を記録するなど話題の投手となり1936年2月1日に設立されたばかりの大阪タイガースから誘われると僅か1年で大学を中退し、入団した。 入団当初から主戦投手として活躍し、同年5月27日の対阪急軍戦で初勝利を挙げると、1937年秋季には15試合に登板して11勝無敗、勝率1.000の大活躍でタイガースの初優勝に貢献した。
喜多 善平(きた ぜんぺい、1916年1月16日 - 198… 喜多 善平(きた ぜんぺい、1916年1月16日 - 1983年1月31日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1938年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社。1963年に取締役に就任し、1970年5月に常務、1974年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月に社長に昇格した。 1983年1月31日膵臓癌のために在任中に死去。67歳没。
金 益俊(キム・イクチュン、朝鮮語: 김익준/金益俊、191… 金 益俊(キム・イクチュン、朝鮮語: 김익준/金益俊、1916年1月16日 - 1984年6月18日)は、大韓民国の警察官僚、ジャーナリスト、大学教授、政治家。江原道警察局長、第7・9代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の平安北道宣川郡出身。培材中学校(朝鮮語版)を経て、1943年東洋大学専門部拓殖経済科卒。日本メートン(ペートン)・カレッジにて政治学博士取得。学徒義勇軍を組織し、隊長として出戦した。高麗大学校法科大学助教授・教授、ソウル大学校法科大学助教授・教授、治安局教育課長、警察専門学校校長、第8代江原道警察局長(1950年8月12日~1951年7月27日)、漢城日報論説委員、国家再建最高会議企画委員、培材中高校後援会長、東萊中央傷痍軍人静養院長、大韓陸上競技連盟理事長、世界大学奉仕会(英語版)韓国委員会理事、民主共和党中央常任委員・中央常任委員会宣伝分科委員長・ソウル市龍山区党委員長(1963年より)・院内副総務、亜細亜放送局理事、学生陸上競技連盟会長、極東放送理事、国際青少年指導委員会韓国東部理事長を務めた。
井上 泉(いのうえ いずみ、 1916年1月16日 - 20… 井上 泉(いのうえ いずみ、 1916年1月16日 - 2003年5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。 現在の高知県南国市出身。高等小学校卒業、1947年高知県稲生村(現南国市)村長、1951年高知県議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙に高知県全県区で日本社会党より立候補し初当選。以降、7期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず政界から引退した。 同年11月の秋の叙勲で勲二等に叙され。旭日重光章を受章する。 2003年5月18日、呼吸不全のため、高知県高知市の病院で死去した。87歳没。死没日をもって正四位に叙された。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
藤井 誠司(ふじい せいじ、1913年1月16日 - 199… 藤井 誠司(ふじい せいじ、1913年1月16日 - 1997年10月4日)は、日本の経営者。不二家社長、会長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1930年に日本大学第三中学校を卒業し、同年に不二家に入社。副社長を経て、1948年に社長に就任し、1969年5月には会長に就任。 キャラクターの「ペコちゃん」と「ポコちゃん」を考案した。 1997年10月4日、呼吸不全のために死去。84歳没。
松田 正平(まつだ しょうへい、1913年1月16日 - 2… 松田 正平(まつだ しょうへい、1913年1月16日 - 2004年5月15日)は、日本の洋画家。山口県宇部市出身。 1913年、島根県鹿足郡青原村(現・津和野町)で久保田家の二男として出生するが、8歳のころに山口県宇部市の松田家の養子となる。 神原尋常小学校を経て旧制宇部中学(後の山口県立宇部高等学校)に入学。卒業後は上京して川端画学校に通う。2年の浪人生活を経て1932年に東京美術学校西洋画科に入学し藤島武二教室に学んだ。1学年上に同じ山口出身の香月泰男がいた。 美校卒業してまもない1937年10月に渡欧、パリのアカデミー・コラロッシュでデッサンを学ぶ。1939年に帰国した後、1940年第15回国画会展に出品するも落選、同年宇部市の緑屋百貨店で滞欧作展を開催する。
一叩人(いっこうじん、本名命尾小太郎(めいお こたろう)、1… 一叩人(いっこうじん、本名命尾小太郎(めいお こたろう)、1912年1月16日 - 1999年4月9日)は、昭和時代から平成時代の川柳作家。 1912年、宝生流の地謡の能楽師である命尾家の子として東京府に生まれる。元は丹波猿楽の出といい、一族に命尾幾右衛門、命尾長左衛門、命尾与作、命尾(日吉)寿八、命尾寿六(その養子に工学者の命尾寿次)などがいる。 法政大学を卒業。プロレタリア川柳作家の鶴彬の作品や関係資料などを収集し、1977年(昭和52年)には「鶴彬全集」を刊行した。その後絶版となっていた同書は、1998年(平成10年)沢地久枝により増補改訂のうえ再版された。1999年(平成11年)4月9日死去。
村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 19… 村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 1974年3月6日)は、日本の経済学者。専門は中国社会経済史。一橋大学学長事務取扱等を歴任。日本学士院賞、日経・経済図書文化賞特賞受賞。従三位勲二等瑞宝章。 東京府八王子市寺町出身。旧制府立二中(現東京都立立川高等学校)を経て、1933年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。根岸佶門下。 1933年大学を卒業し近衛歩兵連隊入隊。1936年大日本帝国陸軍主計少尉、1938年同中尉、1939年東京商科大学助教授。 1951年一橋大学経済学部教授、1954年東京大学文学部講師併任、1963年一橋大学経済学部長、1969年一橋大学学長事務取扱を歴任するも、1974年北里大学病院にて肝硬変のため死去。
津田 信敏(つだ のぶとし、1910年1月16日 - 198… 津田 信敏(つだ のぶとし、1910年1月16日 - 1984年1月4日)は、舞踊家。静岡県出身。 青山学院大学英文学科卒業。在学中より児童舞踊から活動を開始。芸術舞踊へ活動の場を広げる。 1935年、モデルネ・タンツ(いわゆるモダンダンス)研究のためドイツ留学。マックス・テルピス舞踊学校やドイツ国立舞踊大学で学んだ。帰国後は津田信敏近代舞踊学校をひらくなどして数々の影響を与えた。 1952年、元藤燁子(1928-2003)と結婚。津田近代舞踊学校(津田・元藤近代舞踊研究所、のちのアスベスト館)を設立した。1962年、津田は、元藤燁子と別れ、アスベスト館を出て、津田信敏舞踊研究所を開設。ここで小林琴美・藤田三恵子・小林美代子・原さなえなどを育てた。
箭内 健次(やない けんじ、1910年1月16日 - 200… 箭内 健次(やない けんじ、1910年1月16日 - 2006年)は、日本の歴史学者。 東京都小石川に、東洋史学者箭内亘の次男として生まれる。旧制静岡高等学校から、1934年東京帝国大学国史学科卒業。36年台北帝国大学講師、38年助教授、敗戦によって引き上げ、47年外務省調査課入局、48年文部省教科書局、50年金沢大学教授、53年九州大学教授、64年同文化史研究所所長、68年東海大学教授、74年駒澤大学教授。
小西 茂也(こにし しげや、1909年1月16日 - 195… 小西 茂也(こにし しげや、1909年1月16日 - 1955年4月21日)は、フランス文学者、翻訳家。 栃木県生まれ。東大文学部仏文科卒。19世紀フランス文学を中心に多くの翻訳書がある。 河出書房、逓信省嘱託、外務省にも勤務後に、オノレ・ド・バルザック、ギ・ド・モーパッサンや、ピエール・ブラントームなどのフランス艶笑譚を翻訳。戦後1946年には、かねて敬愛する永井荷風を市川の自宅に約2年間住まわせたことでも知られている。その間、我儘で奇行の多い荷風に大変悩まされたことを「同居人荷風」(1952年発行『新潮』掲載)などに書いている。 近年刊の秋山征夫『荷風と市川』(慶應義塾大学出版会、2012年)で、両者の関係が明かされた。
大岩 正仲(おおいわ まさなか、1909年1月16日 - 1… 大岩 正仲(おおいわ まさなか、1909年1月16日 - 1972年6月19日)は、日本の言語学者・国語学者。千葉大学元教授。 専門は方言学、文法学。 東京市芝区(現:港区)生まれ。東京外国語学校ドイツ語学科を経て京城帝国大学文学科卒。外国語学校卒業後にはすでに東条操のアシスタントとして平凡社『大辞典』(1933年)の方言の項目を担当。それを皮切りに『全国方言辞典』(1951年)、『分類方言辞典』(1954年)の刊行の際実質的な作業に力を注いだ。 その後、いよいよ大岩の名前で『日本方言大辞典』を編集・刊行すべく作業を進めていたが、1972年、その完成を見ずに死去。享年64。 その後徳川宗賢が大岩の遺志を受け継ぎ『日本方言大辞典』を刊行した。
浜田 隼雄(はまだ はやお、旧字体:濱田 隼雄、1909年1… 浜田 隼雄(はまだ はやお、旧字体:濱田 隼雄、1909年1月16日 - 1973年3月26日)は日本統治時代の台湾で活躍した日本の小説家。代表作は『南方移民村』。 宮城県仙台市生まれ。旧制台北高等学校を経て、東北帝国大学卒業後、台湾で教員となる。小説を西川満が主宰する『文芸台湾』に発表。1943年(昭和18年)、『南方移民村』で台湾文学賞を受賞。戦後は郷土を題材とした作品を執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
江頭 豊(えがしら ゆたか、1908年(明治41年)1月16… 江頭 豊(えがしら ゆたか、1908年(明治41年)1月16日 - 2006年(平成18年)9月24日)は、日本の実業家。チッソ株式会社の社長(1964年12月 - 1971年7月)として水俣病問題の対応にあたった。皇太子徳仁親王妃雅子の母方の祖父。学位は法学士(東京帝国大学)。
平沼 恭四郎(ひらぬま きょうしろう、1908年(明治41年… 平沼 恭四郎(ひらぬま きょうしろう、1908年(明治41年)1月16日 - 1991年(平成3年)1月19日)は、三明商事創立者、大協石油取締役などを務めた実業家。無窮会理事長。衆議院議員平沼赳夫の実父で、首相を務めた平沼騏一郎は義父。 群馬県知事、特許局長官などを歴任した内務官僚中川友次郎、貞以夫妻の四男として東京に生まれる。 開成中学校から慶應義塾大学予科へ進み、1931年(昭和6年)経済学部を卒業。産業組合中央金庫(現農林中央金庫)に入り、札幌支店へ勤務。1936年(昭和11年)平沼騏一郎の兄である平沼淑郎の孫娘・飯田節子と結婚。媒酌人は終戦直後の枢密院議長であった清水澄博士夫妻。農林中金を退職し、三井生命へ移る。
川崎 庸之(かわさき つねゆき、1908年1月16日 - 1… 川崎 庸之(かわさき つねゆき、1908年1月16日 - 1996年11月3日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授、和光大学名誉教授。 1908年東京生まれ。第一高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に進んで、辻善之助に師事した。1930年に卒業。 1936年に東京帝国大学史料編纂所に入り、1954年に教授昇進。1968年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は和光大学教授として教鞭をとった。 仏教を中心とした古代史、日本思想史、日本文化史の研究を続けた。
大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - … 大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - 1981年6月11日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1929年に騎手デビュー。1955年より日本中央競馬会の調教師となり、1970年にメジロムサシで天皇賞(春)に優勝。俗に「メジロ軍団」と呼ばれた北野豊吉所有馬を数々手掛けた。1973年度中央競馬全国最多勝利調教師。 実子の大久保洋吉も日本中央競馬会調教師。ほか兄の大久保福蔵、大久保亀治、弟の三井末太郎らも騎手や調教師を務め、親族は競馬一族として知られる。 1908年、函館競馬場の近隣で大久保福松の三男として生まれる。父・福松は近代日本ホースマンの祖・函館大経の一番弟子であった。長兄に福蔵、次兄に亀治がおり、末子として「末吉」と名付けられた。
吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1… 吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1988年4月17日)は、日本の検察官、司法・法務官僚。 東京府生まれ。京華中学、第一高等学校 (旧制)(一高)を経て、東京帝国大学法学部に入学。在学中は新人会に属し田中清玄らと並び称され、日本共産党にも入党した。1930年(昭和5年)大学卒業、直後に離党。 1932年司法官試補となり、各地の裁判所で検事を務める。東京地方裁判所時代には主任検事(思想検事)として1941年のゾルゲ事件の捜査に参加、リヒャルト・ゾルゲを取り調べた。 戦後は公職追放を免れ、法務庁事務官を経て1948年(昭和23年)に設置された法務庁特別審査局(後の公安調査庁)の初代局長、翌1949年に改称された法務府でも局長などを務めた。
藤島 達朗(ふじしま たつろう、1907年1月16日 - 1… 藤島 達朗(ふじしま たつろう、1907年1月16日 - 1985年1月24日)は、日本の仏教史学者。大谷大学名誉教授。浄土真宗大谷派講師。 1907年、島根県美保関町で生まれた。1929年、大谷大学文学部国史学科を卒業。大谷大学文学部助教授となり、後に教授昇格。1962年に学位論文『我国古代に於ける浄土教思想の研究』で大谷大学より文学博士の学位を取得。1978年に大谷大学を定年退職し、名誉教授となった。また、奈良大学教授、真宗大谷派講師も務めた。