梁 柱東(ヤン・ジュドン、1903年8月16日〈太陰暦: 6… 梁 柱東(ヤン・ジュドン、1903年8月16日〈太陰暦: 6月24日〉 - 1977年2月4日)は、大韓民国の詩人、評論家、国文学者、英文学者、翻訳家、随筆家、教授。本貫は南海梁氏(済州梁氏)。号は无涯(ムエ、무애)。 京畿道開城に生まれた。幼児期をいっとき平壌で過ごし、長淵で育った。京城中東高等普通学校を経て渡日し、1928年に早稲田大学英語英文学科卒業。1919年に廉想渉と共同で『文芸公論』を発刊し、崇実専門学校(現・崇実大学校)教授を務め、1923年同人誌『金星』で文壇に登場した。1930年には詩集『朝鮮の脈拍』を出版した。その後、郷歌の研究をし、1942年に郷歌25首の解読を行った『朝鮮古歌研究』を出版した。
新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 19… 新庄 博(しんじょう ひろし、1902年8月16日 - 1978年11月17日)は、日本の経済学者。専攻は、金融論・国際金融論。神戸大学経済学部教授・関西学院大学商学部教授を歴任。 京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校)の級友に野村寅三郎神戸大学名誉教授がいた。同校を経て、神戸高等商業学校(現:神戸大学)卒業後、東京商科大学(現:一橋大学)に入り、高垣寅次郎の下で金融論を専攻。テニス部出身。1928年(昭和3年)に卒業し、神戸高等商業学校講師となる。その後、同校の昇格に伴い神戸商業大学助教授、神戸経済大学教授、神戸大学経済学部教授として勤務。 門下生には、神戸大学名誉教授・三木谷良一(神戸大学名誉教授)、則武保夫(神戸大学名誉教授)、千田純一(名古屋大学名誉教授)、片山貞雄(滋賀大学名誉教授)などがいる。
小林 正次(こばやし まさつぐ、1902年8月16日 - 1… 小林 正次(こばやし まさつぐ、1902年8月16日 - 1975年10月31日)は、日本の技術者、工学博士。元日本電気(NEC)専務取締役。元慶應義塾大学工学部教授。 岡山県久米郡加美村字亀甲(現・久米郡美咲町)生まれ。父親が広島で郡長、のち広島赤十字社主事等になったため広島県比婆郡庄原町(現庄原市)や府中市他で育つ。 1917年、福山中学校(現・福山誠之館高校)から広島高師附属中学(現・広島大学附属高校)に転入、第八高等学校を経て東京帝国大学工学部電気工学科卒業(1926年)。同年日本電気(NEC)入社。大学の先輩・丹羽保次郎が優秀な大学卒を採用するという方針で入社した第一期で、英才の誉れ高い小林が引っぱられたものであった。
中島 菜刀(なかじま さいとう、1902年8月16日 - 1… 中島 菜刀(なかじま さいとう、1902年8月16日 - 1955年7月19日)は、日本の画家。 中島菜刀は、明治35年(1902年)、鳥取県八頭郡賀茂村(現在の八頭町)にて村芝居の巡業一座の座長格の父と結髪担当の母の両親の元に生まれた。幼いころからの恵まれた画才から、郷里の人々の後援を得て京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)に学ぶ。苦学をしながらも卒業し、昭和4年(1929年)第16回日本美術院展に初入選を果たし、以降院展を主な舞台として活躍した。昭和16年(1941年)『樹海』が横山大観から激賞され、翌年『薫風梨園』が第29回院展で第三席(白寿賞・この年の絵画の部では最高位)を獲得し、その高い画力が認められる。
川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月1… 川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月16日 - 1987年(昭和62年)11月2日)は、日本の内務官僚、国会職員。最後の官選静岡県知事。位階は正四位。 神奈川県出身。川井立の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し、茨城県属となる。 1935年、山口県書記官・経済部長に就任。以後、千葉県労務部長、内務省計画局庶務課長、同省監査官、京都府内政部長、中国地方行政事務局次長などを歴任。 1947年3月、前任の小林武治が知事選に出馬のため辞任したことに伴い静岡県知事に就任。
園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日… 園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日 - 1962年(昭和37年)12月23日)は、大正から昭和期の官吏、農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県鹿本郡山東村大字小野(植木町大字小野を経て現熊本市北区)で生まれる。1914年(大正3年)3月、山東小学校を卒業し、同年4月、熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)に入学したが、1915年(大正4年)9月、肋膜炎となり同校を退学。その後回復して家業の農業に従事した。 1922年(大正11年)11月、朝鮮総督府官吏となり、1931年(昭和6年)6月まで在任。同年11月、満州国官吏に任官し新京警察署に赴任。1937年(昭和12年)10月、満州国官吏を辞任し、同年11月、北京の北支派遣軍嘱託となり特務部総務課に配属。
町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月1… 町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月16日 - 1992年(平成4年)12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。
井上 五郎 (いのうえ ごろう、1899年(明治32年)8月… 井上 五郎 (いのうえ ごろう、1899年(明治32年)8月16日 - 1981年(昭和56年)11月18日)は、日本の実業家。中部電力会長、中部経済連合会会長を務めた。 実業家・政治家の井上角五郎の五男として東京府東京市芝区[要出典](現・東京都港区[要出典])三田[要出典]に生まれる。慶應義塾幼稚舎(1912年(明治45年)卒業)を経て、1923年(大正12年)に東京帝国大学工学部を卒業し、東邦電力に入社する。 1951年(昭和26年)に中部電力設立とともに、初代社長に就任する。のち会長に就任する。 1957年(昭和32年)社長時代に推進した井川ダムは施工を担当した間組社長 神部満之助の提案により自身の名「五郎」を冠した「井川五郎ダム」と名付けられた。
堺 時雄(さかい ときお、旧姓:金井〈かない〉、1898年〈… 堺 時雄(さかい ときお、旧姓:金井〈かない〉、1898年〈明治31年〉8月16日 - 1991年〈平成3年〉)は、日本の写真家。 新潟県新潟市南浜通2番町(現 新潟市中央区中大畑町)の金井写真館を経営する写真師・金井弥一の三男として出生。 1919年(大正8年)3月に新潟中学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京美術学校臨時写真科を卒業、帰郷して父の金井写真館を手伝う。 1922年(大正11年)12月に一年志願兵として岐阜県の各務原陸軍飛行場の飛行第2大隊偵察隊に入隊、1923年(大正12年)11月に陸軍航空兵軍曹に任官、12月に予備役に編入、1924年(大正13年)5月に飛行第2大隊に入隊、9月に召集解除、陸軍航空兵曹長に任官。
宮本 正清(みやもと まさきよ、1898年8月16日 - 1… 宮本 正清(みやもと まさきよ、1898年8月16日 - 1982年11月16日)は、日本のフランス文学者。 高知県高岡郡奈路に農民の子として生まれる。1914年台湾総督府勤務の叔父長曽我部重親に伴われ台湾に渡る。1916年神戸へ移り関西学院中等部編入、1924年早稲田大学仏文学科卒業。1926年まで大学院に在籍し吉江喬松の指導を受ける。1927年日仏文化協会、関西日仏文化学館設立に参加し書記長兼教授。1930年仏国政府より勲章授与、以後数次にわたり授与される。1939年立命館大学予科教授、1942年立命館大学教授、1945年6月15日京都府警察に連行され敗戦まで監禁される。1950年大阪市立大学教授、同年渡仏。
木村 義雄(きむら よしお、1897年(明治30年)8月16… 木村 義雄(きむら よしお、1897年(明治30年)8月16日 – 1988年(昭和63年)5月27日)は、日本の医師、政治家。 1897年、山口県大津郡仙崎町(現・長門市仙崎)に生まれる。1921年、岡山医学専門学校を卒業。 1937年に妻の従兄弟で当時の日置村長の安倍寛(安倍晋三の祖父)の勧めで大津郡日置村に産婦人科医院を開業。1946年に安倍が死去すると、安倍が出馬を予定していた第22回衆議院議員総選挙に、安倍の長男である安倍晋太郎が被選挙権を得るまでのつなぎ役として出馬し当選するも、戦時中に地元の大政翼賛会の幹部を務めた事により公職追放され、衆議院議員の地位を失う。 1965年から油谷町長を1期務め、1971年には勲四等瑞宝章を受章。
下村 彌一(しもむら・やいち、1897年(明治30年)8月1… 下村 彌一(しもむら・やいち、1897年(明治30年)8月16日 - 1990年(平成2年)4月6日)は、日本の実業家。坂本龍一の祖父。 長崎県諫早市出身。下村代助の三男。生家は小さな農家である。1905年に父の代助は家族を連れ佐世保に移住し、市役所の臨時雇いの雑用夫として働いた。 現在の佐世保市立白南風小学校を卒業後、家が貧しかったため佐世保海軍工廠の見習工になった。しかし、進学が諦め切れず旧制長崎県立佐世保中学校の校長を訪ねて直談判し、試験を受けて中学4年に編入学する。1919年に旧制第五高等学校文科甲類に入学し、池田勇人と友人となり、1922年に卒業。1925年に京都帝国大学法学部を卒業し、小学校時代の恩師の娘・美代と結婚。
兵頭 儁(ひょうどう まさる、1897年(明治30年)8月1… 兵頭 儁(ひょうどう まさる、1897年(明治30年)8月16日 - 1946年(昭和21年)4月16日)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。全羅南道知事。 兵頭清行の五男として愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)に生まれる。1924年(大正13年)東京帝国大学法学部政治科を卒業する。朝鮮総督府に奉職し、平安南道属兼警部、慶尚南道地方課長、総督府水産課長、咸鏡南道、慶尚南道各警察部長を経て、1937年(昭和12年)釜山税関長に就任。1939年(昭和14年)7月、大邱税務監督局長となり、1942年(昭和17年)11月、総督府総務局企画室長に任じた。その後、全羅南道知事を務めた。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年〈明治28年〉8… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1989年〈平成元年〉5月13日)は、洋画家。 東京府八王子生まれ。白馬会洋画研究所で黒田清輝に師事する。 1934年(昭和9年)出品した第二十一回二科展で推奨に選出されたことなどを契機に、1936年(昭和11年)、二科会に新会員として迎えられる。1955年(昭和30年)、二科会を退会して一陽会を結成し中心的存在として活躍する。1960年(昭和35年)、日本芸術院賞受賞、1969年(昭和44年)、日本芸術院会員、1988年(昭和63年)、文化功労者。
瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月1… 瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1968年〈昭和43年〉)は、日本の政治家、東京府多額納税者、鍋屋、金融業、地主・家主。東京市会議員(板橋区選出、革正会会員)、板橋区会議員。 東京府北豊島郡板橋町大山出身。質商・瀬田文次郎の長男。 早稲田中学、同高等学院を経て1917年、早稲田大学大学部法学科英法科卒業。貸地貸家業、金融業を営んだ。 1921年5月、板橋町会議員に当選し、1932年9月市郡併合迄3期在職。1931年4月、板橋町名誉助役として市郡併合迄在職。 1932年11月、板橋区会議員に当選。1933年3月、東京市会議員に当選。1938年4月、東京市参事会員に当選。
岡本 季正(おかもと すえまさ、1892年8月16日 – 1… 岡本 季正(おかもと すえまさ、1892年8月16日 – 1967年11月23日)は、日本の外交官。 駐オランダ大使、日蘭協会会長。
鑓田 研一(やりた けんいち、1892年8月16日 - 19… 鑓田 研一(やりた けんいち、1892年8月16日 - 1969年1月28日)は、日本の伝記作家、小説家。作家評伝家。 山口県岩国市生まれ。神戸中央神学校卒業。1915年宇野千代らと回覧雑誌を作る。 トルストイ、プルードンに影響を受け、農民文芸会の機関誌『農民』を拠点に、無政府主義的重農主義を展開。また賀川豊彦に師事しキリスト教、親鸞などに傾倒した。 明治期作家評伝も書き、新島襄の著作の編集も行う。 戦後は一般向け実用書なども執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
赤土 正強(赤土 正强、しゃくど まさたけ、1888年(明治… 赤土 正強(赤土 正强、しゃくど まさたけ、1888年(明治21年)8月16日 - 1944年(昭和19年)3月11日)は、日本の内務官僚、足利市長。 奈良県北葛城郡下田村(現在の香芝市)出身。天王寺中学校を経て、第四高等学校を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。内務省に入省し滋賀県属となる。 以後、滋賀県警視、同県神崎郡長、同野洲郡長、鳥取県理事官・視学官、京都府理事官・産業部長、山梨県書記官・警察部長、奈良県書記官・内務部長、愛媛県書記官・内務部長、福島県書記官・内務部長、長崎県書記官・総務部長などを歴任。 1937年7月8日、依願免本官となり退官した。
坪内 士行(つぼうち しこう、1887年〈明治20年〉8月1… 坪内 士行(つぼうち しこう、1887年〈明治20年〉8月16日 - 1986年〈昭和61年〉3月19日)は、日本の演劇評論家、早稲田大学教授、戯曲家、振付師。女優・坪内ミキ子の父。 現在の愛知県名古屋市に生まれる。坪内逍遥の兄・義衛の三男で、逍遥に子がなかったため7歳のときに養子となった。旧制早稲田中学校を経て、1909年(明治42年)早稲田大学文学部英文科卒業。その後、ハーバード大学に留学して演劇を学び、1915年(大正4年)に帰国。翌年、留学中深い関係となったアメリカ人女性マッグラルド・ホームズが後を追って日本に来た。しかし逍遥は士行に娶合わせるつもりで鹿嶋清兵衛の娘のくにを養女にしており、この関係を許さなかった。
渡部 信(わたなべ しん、1884年〈明治17年〉8月16日… 渡部 信(わたなべ しん、1884年〈明治17年〉8月16日 - 1973年〈昭和48年〉12月13日)は、日本の宮内官僚。帝室博物館総長(第6代)。宮中顧問官。貴族院勅選議員。文献によっては渡辺 信あるいは渡邊 信と表記される。位階・勲等は、正三位勲一等。 下野国壬生藩(栃木県下都賀郡壬生町)出身で日光二荒山神社や三嶋大社の宮司を務めた渡邊邁の二男として生まれる。 1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業。逓信書記官、東京帝国大学法科大学講師を経て、宮内省式部官となり、内務参事官や外務書記官を兼ねた。さらに宮内省参事官、内大臣府御用掛、大臣官房文書課長、 宗秩寮審議官、図書頭・諸陵頭、帝室博物館総長(現東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館の総称)、宮中顧問官、日仏協会理事を歴任した。
新海 栄治(しんかい えいじ、明治16年(1883年)8月1… 新海 栄治(しんかい えいじ、明治16年(1883年)8月16日) - 昭和44年(1969年)12月22日)は、甲府市長(官選第15代、17代)。号は為水。 山梨県北巨摩郡篠尾村(現在の北杜市小淵沢町)に、父「富栄」、母「こう」の長男として生まれる。明治35年(1902年)に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、大正6年(1917年)1月に家督を相続し、父親の経営した甲府市白木町の「港屋酒造店」を継承。大正7年(1918年)に甲府市会議員に当選し同年5月28日から昭和5年(1930年)5月27日まで在任し、大正15年(1926年)6月12日から昭和5年(1930年)5月27日まで甲府市会議長を務めている。
青木 文一郎(あおき ぶんいちろう、1883年8月16日 -… 青木 文一郎(あおき ぶんいちろう、1883年8月16日 - 1954年7月2日)は、日本の哺乳類学者。台北帝国大学教授を経て、岐阜大学初代学長。 1883年、岐阜県厚見郡日置江村に生まれた。且格尋常小学校、岐阜中学校、第三高等学校を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学理科大学動物学科に入学。1910年に卒業し、同大学大学院に進学した。 1913年(大正2年)、九州帝国大学助手に採用され、解剖学教室に勤務。1915年5月に依願退職。1909年8月に高等学校教員免許を取得し、9月より旧制愛知医科大学(現名古屋大学)予科教授となった。1922年、同校講師に昇格。 1927年4月、台湾総督府高等林業楽校教授に任命され、同時に在外研究を命じられて2年間イギリス、フランス、イタリア、アメリカの4か国へ研究留学した。
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年〈明治16年〉8月16日… 堀 悌吉(ほり ていきち、1883年〈明治16年〉8月16日 - 1959年〈昭和34年〉5月12日)は、日本の海軍軍人、実業家。日本飛行機 社長、大日本兵器社長、浦賀船渠(現:住友重機械工業)社長を歴任した。 海軍兵学校32期首席・海軍大学校16期次席。海軍軍人としての最終階級は海軍中将。海軍の現役を退いた後の1941年(昭和16年)に、法制局長官(現:内閣法制局長官)に擬されたが、辞退した。大分県杵築市出身。 天下の秀才を集める海軍兵学校の同期生たちをして「神様の傑作の一つ堀の頭脳」 と畏敬せしめる程の、桁外れの英才であった。 からの信頼が厚く、山本権兵衛(兵2期)・加藤友三郎(兵7期)の系譜を継ぐ人物として、いずれ海軍大臣に就任することが確実視されていた。
田辺 尚雄(たなべ ひさお、1883年8月16日 - 198… 田辺 尚雄(たなべ ひさお、1883年8月16日 - 1984年3月5日)は、日本の音楽学者、文化功労者。日本で初めて東洋音楽概説をまとめた。 1883年、東京府生まれ、東京帝国大学(現 東京大学)理学部物理学科卒。フランス人宣教師のノエル・ペリから作曲・音楽理論を学び、大学院で音響心理学を専攻する。 1920年より正倉院および宮内省(現 宮内庁)の楽器研究、東洋音楽研究に従事し、1929年に帝国学士院賞受賞。東京帝国大学、東京音楽学校で教鞭をとり、1936年東洋音楽学会を設立。戦後は武蔵野音楽大学教授に就任。多くの著書があり、啓蒙活動に功績があった。田辺禎一名義の艶笑随筆もある。1983年より音楽学の業績に対して田辺尚雄賞が授与されている。
税所 篤秀(さいしょ あつひで、1882年(明治15年)8月… 税所 篤秀(さいしょ あつひで、1882年(明治15年)8月16日 - 1930年(昭和5年)7月10日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 本籍鹿児島県。警察官僚・税所篤一の長男として生まれる。 1908年(明治41年)私立東洋大学を卒業。同年、東亜煙草に入社し大連販売所で勤務。その後、浪速銀行書記、十五銀行勤務となった。 父・篤一の死去に伴い、1914年(大正3年)6月30日、子爵を襲爵した。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属して活動し死去するまで1期在任した。
井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年〈1881年〉… 井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年〈1881年〉8月16日 - 昭和38年〈1963年〉11月10日)は、日本の実業家。 「段ボール」の実用新案を取得。大量生産と強固な段ボール箱の開発に成功し、聨合紙器(現社名・レンゴー)を設立した。「日本の段ボールの父」と評される。 兵庫県姫路市郊外で農業を営む長谷川家の三男として生まれた。2歳の時に、兵役を逃れるため遠縁にあたる井上家の死籍相続人になる。 高等小学校を卒業後、1895年(明治28年)から神戸の商家で丁稚を始める。その後中国料理店、パン屋、石炭屋等職を転々とする。1905年(明治38年)には妻・お雪と別れ、1人満州に旅立つ。 1909年(明治42年)に放浪の旅から立ち直り、東京で「三盛舎」(後に「三成社」と改名)を創業。
畑 歓三(はた かんぞう、1880年8月16日 - 1957… 畑 歓三(はた かんぞう、1880年8月16日 - 1957年1月31日)は、日本の教育者。関西学院文学部教授などを歴任した。 1880年8月16日に、香川県丸亀市で生まれる。愛媛県松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を卒業後、1897年に関西学院普通学部へ編入する。1899年に同校を卒業し、1900年に同志社大学へ進学するも、退学。1902年に、文部省中等学校教員英語科試験合格。同年、早稲田大学に入学し、1905年卒業。1906年から1912年まで、私立麻布中学英語科教員を務め、1913年にカリフォルニア州アラメダ市日本人小学校長。また、同年、カリフォルニア大学大学院に入学し、美学・ギリシャ哲学を専攻する。
孤峰 智璨(こほう ちさん、1879年8月16日 - 196… 孤峰 智璨(こほう ちさん、1879年8月16日 - 1967年11月1日)は、日本の曹洞宗の僧侶。神奈川県最乗寺住職、總持寺独住18世貫首。俗姓は奥田。号は瑩堂。 明治12年富山県生まれ。1892年13歳で得度、石川県永光寺の孤峰白巌の法をつぐ。1901年から臨済宗円覚寺の釈宗演、長国寺の杉本道山、西宮海青寺の中原南天棒、原劉洲らに師事。1904年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。1909年教導講習院卒業。 1905年から千葉泉福寺、長野県頼岳寺、石川県永光寺、神奈川県最乗寺各住職。1928年師家となり、最乗寺専門僧堂長、長野県専門尼僧堂長、曹洞宗総持寺副監院、藍院、副貫首を経て1957年貫首。
田中 茂穂(たなか しげほ、1878年8月16日 - 197… 田中 茂穂(たなか しげほ、1878年8月16日 - 1974年12月24日)は、日本の魚類学者であり、東京帝国大学の動物学の教授である。「近代魚類分類学の父」として知られる。魚類やサメに関する多くの論文を発表し、著名なアメリカ人科学者であるデイビッド・スター・ジョーダンおよびジョン・オターバイン・スナイダー(英語版)とともに日本の魚類に関する書籍(Jordan, Tanaka & Snyder 1913)を共著し、一般性の高い地方名に基づく標準和名を提唱した。財団法人板垣会顧問。 研究論文を約300編、書籍は50冊に及ぶ著作を行っている。
谷野 格(たにの かく、1874年(明治7年)8月16日 -… 谷野 格(たにの かく、1874年(明治7年)8月16日 - 1923年(大正12年)6月10日)は、日本の裁判官。 兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事、司法省参事官、東京控訴院検事、東京帝国大学法科大学講師嘱託を歴任。1913年(大正2年)、大審院判事となる。1914年高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員に就任。1916年(大正5年)には法学博士の称号を得た。 1917年(大正6年)、台湾総督府法院判官に転じ、覆審法院長、高等法院長を務めた。
池松 時和(いけまつ ときかず、1873年(明治6年)8月1… 池松 時和(いけまつ ときかず、1873年(明治6年)8月16日 - 1953年(昭和28年)4月17日)は、日本の内務官僚、官選府県知事。 鹿児島県出水郡武本村向江平良馬場(現在の出水市向江町)にて鹿児島県士族(元薩摩藩士)・池松静蔵の長男として生まれる。幼名・与一郎。父静蔵は西南戦争で戦死。1878年3月、家督を相続する。1893年7月鹿児島高等中学造士館予科卒業、1895年7月鹿児島高等中学造士館本科卒業。1898年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り警視庁警部となる。 以後、佐賀県参事官、群馬県警部長、岩手県警部長、栃木県事務官・第四部長、愛知県事務官・第四部長、福井県内務部長などを歴任。
錦小路 在明(にしきのこうじ ありあき、1869年8月16日… 錦小路 在明(にしきのこうじ ありあき、1869年8月16日〈明治2年7月9日〉 - 1911年〈明治44年〉11月24日)は、明治期の華族。官位は従五位、爵位は子爵。 山城国京都で式部大輔・唐橋在光の四男として生まれる。唐橋在正の弟。東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業。明治維新以降、子爵に叙せられた。 1897年、群馬県尋常中学校教諭に就任。1898年、叔父・錦小路賴言の次女益子の入夫、錦小路家の養子となる。同じ年、賴言の死去に伴い、家督を相続する。1899年、東宮職御用掛となる。1900年、東宮主事に就任。 1911年11月24日死去。43歳没。
飯野 喜四郎(いいのきしろう、慶応4年6月28日(1868年… 飯野 喜四郎(いいのきしろう、慶応4年6月28日(1868年8月16日) - 昭和15年(1940年)3月21日)は、埼玉県出身の政治家・実業家。埼玉県会議員・埼玉県会議長。 武蔵国埼玉郡蓮田村(現・埼玉県蓮田市)生まれ。粕壁中学校(現埼玉県立春日部高等学校)卒業。1887年に飯野運送店を開業し、東北本線でサツマイモを東北地方に販売した。1894年から埼玉県会議員を通算11期務めた。この間、1918年から1919年までと、1921年と1922年までの2度に渡って埼玉県会議長を務めた。また、教育の普及にも尽力し、粕壁中学校や旧制浦和高校(現埼玉大学)の設置に力を注いだ。元荒川、中川、古利根川などの河川改修や耕地整理にも尽力した。
松木 宗隆(まつのき むねたか、1868年8月16日〈慶応4… 松木 宗隆(まつのき むねたか、1868年8月16日〈慶応4年6月28日〉 - 1943年〈昭和18年〉11月16日)は、明治から昭和前期の政治家、華族。貴族院伯爵議員。幼名・保丸。 左近衛中将・松木宗有の四男として生まれる。父・宗有の隠居に伴い、1879年(明治12年)5月2日、家督を継承。1884年(明治17年)7月7日、伯爵を叙爵した。 学習院、東京専門学校、日本法律学校で学んだ。 貴族院伯爵議員に選出され、研究会に属して1904年(明治37年)7月10月から1911年(明治44年)7月9日までと1918年(大正7年)7月10日から1943年4月9日まで在任した。 Template:Normdatem
黒須 竜太郎(くろす りゅうたろう、慶応4年6月28日(18… 黒須 竜太郎(くろす りゅうたろう、慶応4年6月28日(1868年8月16日) – 昭和26年(1951年)8月10日)は、衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)、弁護士。 武蔵国足立郡瓦葺村(現在の埼玉県上尾市)出身。1886年(明治19年)、埼玉県師範学校を卒業し、小学校の校長となった。小学校を辞して東京に出て、1888年(明治21年)から英吉利法律学校(現在の中央大学)と東京英語学校に学んだが、在学中の1891年(明治24年)に弁護士試験に合格し、東京で開業した。1902年(明治35年)、東京弁護士会副会長に選任。 1903年(明治36年)、芝区会議員に選出され、後に区会議長となった。
中村 直吉(なかむら なおきち、慶応元年6月25日〈1865… 中村 直吉(なかむら なおきち、慶応元年6月25日〈1865年8月16日〉 - 昭和7年〈1932年〉7月27日)は、明治時代の冒険家。生来の旅好きで「旅行狂」「風船玉」を自称した。 三河国吉田呉服町(現・愛知県豊橋市呉服町)に生まれる。 明治20年(1887年)、福沢諭吉が横浜正金銀行初代頭取だった中村道太とともに、アメリカに「日本村」建設を計画すると、これに共鳴し参加を志す。しかし、計画の責任者だった井上角五郎が甲申政変に関与した嫌疑で逮捕されたため、渡航直前に計画が頓挫してしまう。 アメリカ行きの志を諦めきれない直吉は、翌21年(1888年)に結婚後間もない妻を残し単身渡米した。以後、同26年(1893年)の一時帰国を挟んで、明治31年(1898年)までの前後10年間に及ぶ海外放浪を続け見聞を広める。
豊国 覚堂(とよくに がくどう、慶応元年6月25日〈1865… 豊国 覚堂(とよくに がくどう、慶応元年6月25日〈1865年8月16日〉 - 1954年〈昭和29年〉2月4日)は、明治期から昭和にかけての曹洞宗の僧、郷土史家。俗名、義孝(よしたか)。群馬県前橋市堀越町長善寺住職。上毛郷土史研究会を結成し『上毛及上毛人』を刊行したほか、『高崎志』『前橋風土記』などの郷土資料の出版、『征露記念高崎繁昌記』『戦捷記念前橋繁昌記』『歩兵第十五連隊日露戦役史』『高山彦九郎叢書』など地域関連書籍の刊行を行った。 慶応元年(1865年)、上野国多野郡日野村猪田(現・群馬県藤岡市)曹洞宗長湯山興春寺に父田川義水、母知加の子として生まれる。父が校長を務めていた下日野小学校に学んだ。
秋山 文太郎(あきやま ふみたろう、1864年8月16日(元… 秋山 文太郎(あきやま ふみたろう、1864年8月16日(元治元年7月15日)- 1934年(昭和9年)10月30日)は、日本の政治家。第4代八王子市長、牛込区長、八王子市議(2期)。俳号は佳森(かしん)。 1864年(元治元年)7月15日、農家の長男として多摩郡上川口村(南多摩郡川口村を経て、現在の八王子市)で生まれる。 1882年(明治15年)、五日市勧能学校勤務。自由民権運動に関わり始める。 1884年(明治17年)、自由党に入党。森久保作蔵の側近となる。1897年(明治30年)7月19日、八王子町助役となるものの失火の責任を取る。1899年(明治32年)8月19日に辞任。森久保作蔵により浅草区役所戸籍課長に就く。
比留間 邦之助(ひるま くにのすけ、1860年8月16日(万… 比留間 邦之助(ひるま くにのすけ、1860年8月16日(万延元年6月30日) - 1924年(大正13年)12月25日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 武蔵国多摩郡三ツ木村(現東京都武蔵村山市三ツ木)出身。漢学と兵学等を学ぶ。農業と牧畜業に従事する。学務員、三ツ木村(のち村山村、村山町を経て、現・武蔵村山市)会議員、三ツ木村外三ヶ村長、神奈川県会議員、東京府会議員、同常置委員、同参事会員、所得税調査委員、地方衛生会委員、日本農民会北多摩郡支部長、東京物品火災保険(株)相談役となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において東京13区から無所属で立候補したが落選。同年9月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して落選した。
岡田 佐平治(おかだ さへいじ、文化9年7月10日(1812… 岡田 佐平治(おかだ さへいじ、文化9年7月10日(1812年8月16日) - 明治11年(1878年)3月3日)は、幕末-明治時代の農業指導者、報徳運動家。名は清忠。字は至誠。号は無息軒。 遠江国佐野郡倉真村(現:静岡県掛川市)の豪農。15歳で家を継ぐ。二宮尊徳の報徳思想を安居院庄七から学び感銘し、嘉永元年(1848年)居村に牛岡組報徳社を結社。長男良一郎と共に領内の荒地開墾、窮民救済に尽力した。明治8年(1875年)遠江国報徳社を設立し、社長となる。 大正7年(1918年)、従五位を追贈された。
美稀 千種(みき ちぐさ、8月16日 - )は、宝塚歌劇団星… 美稀 千種(みき ちぐさ、8月16日 - )は、宝塚歌劇団星組に所属する男役。星組副組長。
栗生 みな(くりゅう みな、8月16日 - )は、長野県出身… 栗生 みな(くりゅう みな、8月16日 - )は、長野県出身の女優、歌手である。20代は主に舞台女優として活動する。2023年から「Cru」名義でアーティスト活動を本格的に開始し、ワーナーミュージック・ジャパン ADA Japanより、楽曲を配信する。過去には、グラビアアイドル、モデル、アイドル歌手の活動の経験あり。愛称は「くりゅ」。アイドル時代のキャッチコピーは「ぶたどる(舞台女優+アイドル)」。 〜ブラウン管の向こうへ〜2016 ザ・スターリーステージ ウェディングドレス衣装 東京公演 / 長野公演、ウェディングドレス衣装 (紅島弓矢)(2回目) 〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜 福島公演 / 会津公演 (Whisperチーム) (エリザベート・バートリ) 〜トウドウ編・ツチヤ警部編〜 The Five God Chronicle・琉球編 (オリジナルサウンドトラックに収録) Live Collection Live Collection 主に、舞台・映画・アニメ等の作品の中で、テーマソングや劇中歌として歌った楽曲。
長尾 奈奈(ながお なな、8月16日 - )は、日本の女優、… 長尾 奈奈(ながお なな、8月16日 - )は、日本の女優、ナレーター。宮崎県生まれ、千葉県浦安市育ち。株式会社 仕事所属。無名塾出身。 2000年4月、仲代達矢主宰の俳優養成所「無名塾」に入塾(24期生)。
終焉(しゅうえん、8月16日 - )は、日本の漫画家、イラス… 終焉(しゅうえん、8月16日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。男性。北海道函館市出身、茨城県在住。血液型はA型。主に成人向け漫画を執筆している。同人サークル「民宿いなりむし」として活動もしている。 2004年4月、竹書房『ビタマン』、ワニマガジン社『COMIC快楽天』にてデビュー。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。