波多野 勤子(はたの いそこ、1905年12月26日 - 1… 波多野 勤子(はたの いそこ、1905年12月26日 - 1978年9月15日)は、日本の心理学者。東京出身。父は畠山健。 1927年(昭和2年)日本女子大学英文学部を卒業、女子経済専門学校の英語教師となる。 1928年(昭和3年)日本女子大学児童研究所の開設で所員になる。1930年(昭和5年)波多野完治と結婚。 1936年(昭和11年)東京文理科大学心理学科選科を卒業。 1937年(昭和12年)日本女子大学児童研究所を辞して東京文理科大学教育相談員兼心理学科副手となる。1948年(昭和23年)日本大学の大学院に入学する一方、恩賜財団愛育会愛育研究所教育部員となる(1957年まで)。 1950年(昭和25年)に出版した『少年期―母と子の四年間の記録』がベストセラーとなり、脚光を浴びる。
町田 増夫(まちだ ますお、1903年〈明治36年〉12月2… 町田 増夫(まちだ ますお、1903年〈明治36年〉12月26日 - 1994年〈平成6年〉3月7日)は、昭和期の教育者、農業技師、政治家。長野県小諸市長。位階は従五位。 長野県更級郡八幡村(現千曲市)で、町田新治郎、しげ の長男として生まれた。更級農学校(現長野県更級農業高等学校)を経て、旧制岐阜高等農林学校農芸化学科卒業。昭和2年(1927年)埴科郡埴南農蚕学校(現長野県坂城高等学校)教諭となり、飯山高等女学校(のち長野県飯山南高等学校)教諭、旧制飯山中学校(のち長野県飯山北高等学校)教諭、旧制伊那高等女学校(現長野県伊那弥生ヶ丘高等学校)教諭を歴任。 1935年(昭和10年)以後、長野県農林技師、高知県農林技師、新潟県農林技師を務め、1944年(昭和19年)軍需省管理官に転じ、1949年(昭和24年)通商産業省長野事務所長に就任。
田中 和夫(たなか かずお、1903年12月26日 - 19… 田中 和夫(たなか かずお、1903年12月26日 - 1998年8月3日)は、日本の法学者。専門は英米法、民事訴訟法。一橋大学名誉教授、九州大学名誉教授、獨協大学名誉教授。和歌山県伊都郡山田村(現橋本市)出身。長男は英米法学者の田中英夫。田中ゼミ出身者には池田光晴(元創価大学教授)、魚谷増男(元愛媛県警察本部長)などがいる。高柳賢三門下。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
栗原 善夫(くりはら よしお、1902年〈明治35年〉12月… 栗原 善夫(くりはら よしお、1902年〈明治35年〉12月26日 - 1977年〈昭和52年〉11月21日)は、日本の皮膚科学者、皮膚科医。医学博士。大阪医科大学名誉教授、日本皮膚科学会名誉会員。趣味は蝶の収集。 新潟県西蒲原郡味方村大字西白根(現 新潟市南区西白根)の白根尋常高等小学校訓導・栗原九十九の長男として出生。1908年(明治41年)4月の父の吉田尋常高等小学校への異動に伴って新潟県西蒲原郡吉田村(現 燕市)に転居。 吉田尋常高等小学校を経て、1921年(大正10年)3月に新潟中学校を卒業、1925年(大正14年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年(昭和5年)3月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。
山県 四郎(やまがた しろう、1902年12月26日 - 1… 山県 四郎(やまがた しろう、1902年12月26日 - 1989年8月2日)は、日本の経営者。三菱金属鉱業社長、会長を務めた。山口県出身。 1927年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年4月に三菱鉱業に入社。1950年4月に太平鉱業取締役に就任し、1956年6月に三菱金属鉱業常務を経て、1960年3月には社長に就任。1967年5月に会長に就任し、1971年11月には相談役に就任。1971年11月から1983年6月までには三菱原子力燃料社長を務め、日本鉱業協会会長も務めた。 1963年に藍綬褒章を受章し、1973年に勲二等瑞宝章を受章。 1989年8月2日心不全のために死去。86歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1… 稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。 1920年代(大正末)から1970年代(昭和後期)にかけて、抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好、エロティシズム、天体とオブジェなどをモチーフにした数々の作品を発表した。代表作は『一千一秒物語』、『少年愛の美学』など。 稲垣は1900年(明治33年)の年末、大阪市船場に歯科医の次男として生まれた。7歳の頃から謡曲、仕舞を習う。小学生の時に祖父母のいる明石に移住し、神戸で育った。小さいころから映画や飛行機などに魅了され、その経験を後の作品に昇華させている。1914年、関西学院普通部に入学。同院では今東光と同級になる。
山田 節男(やまだ せつお、1898年12月26日 - 19… 山田 節男(やまだ せつお、1898年12月26日 - 1975年1月8日)は、広島県出身の政治家。広島市長、参議院議員。
坂本 種芳(さかもと たねよし、1898年〈明治31年〉12… 坂本 種芳(さかもと たねよし、1898年〈明治31年〉12月26日 - 1988年〈昭和63年〉)は、日本の技師、アマチュア奇術師、奇術研究家。筆名は天城 勝彦(あまぎ かつひこ)。技師としては、九州の筑後川昇開橋を始めとする、多くの可動橋を設計した。奇術師としては、日本初のアマチュア奇術師団体である「東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ(Tokyo Amateur Magicians Club、以下TAMCと略)」で中心的な人物として活躍した。また、アメリカの奇術雑誌「スフィンクス(英語版)」から奇術の優秀作品へ贈られる「スフィンクス賞」を、日本人として初めて受賞した。 岩手県上閉伊郡綾織村(後の遠野市)出身。
上原 正吉(うえはら しょうきち、1897年(明治30年)1… 上原 正吉(うえはら しょうきち、1897年(明治30年)12月26日 - 1983年(昭和58年)3月12日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。参議院議員(5期、自由民主党)。科学技術庁長官(第16代)。 若き頃、大正製薬創業者の石井絹治郎に見出され、以後、懐刀として活動、後に第3代目社長に就任した。また高額納税者番付の常連としても知られ、1964年-1966年、1976年、1977年、1979年の計6回トップを占めた。甥は参議院議長、埼玉県知事を務めた土屋義彦。 埼玉県北葛飾郡田宮村(現在の杉戸町)に、中学校教師の六男として生まれる。幼くして両親と死別し、高等小学校卒業後兄を頼って上京。
海野 十三(うんの じゅうざ)、1897年(明治30年)12… 海野 十三(うんの じゅうざ)、1897年(明治30年)12月26日 - 1949年(昭和24年)5月17日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家。「日本SFの始祖の一人」と呼ばれる。本名は佐野 昌一(さの しょういち)。 徳島市徳島本町に生まれ、幼少期は安宅町の祖父の家で育つ。徳島市立福島小学校3年生の時、神戸に移住。神戸一中(現兵庫県立神戸高等学校)を卒業後、早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電務局電気試験所に勤務しながら、機関紙などに短編探偵小説を発表。 1928年(昭和3年)、雑誌『新青年』から依頼を受け、探偵小説「電気風呂の怪死事件」を発表して本格的文壇デビュー。
岸田 正次郎(きしだ まさじろう、1897年〈明治30年〉1… 岸田 正次郎(きしだ まさじろう、1897年〈明治30年〉12月26日 – 1979年〈昭和54年〉3月29日)は、日本の実業家。 元衆議院議員岸田正記の弟。元衆議院議員岸田文武の叔父。衆議院議員・第100代内閣総理大臣岸田文雄の大叔父。 広島県出身。父は岸田幾太郎。大正10年(1921年)早稲田大学政経科、大正14年(1925年)ハーバード大学各卒業。英独に留学、昭和元年(1926年)帰朝、内務省嘱託、富士瓦斯紡績に勤務、昭和9年(1934年)幾久屋百貨店専務。 宗教は真宗。趣味は庭球、碁。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
成瀬 正二(なるせ せいじ、1893年12月26日 - 19… 成瀬 正二(なるせ せいじ、1893年12月26日 - 1960年1月29日)は、日本の工学者・海軍軍人。海軍技術少将正五位勲四等。海軍航空技術廠雷撃部長。
菊池 寛(きくち かん、旧字体: 菊池 寬、1888年〈明治… 菊池 寛(きくち かん、旧字体: 菊池 寬、1888年〈明治21年〉12月26日 - 1948年〈昭和23年〉3月6日)は、日本の小説家、劇作家、ジャーナリスト。本名の読みは「きくち ひろし」。実業家としても文藝春秋社を興し、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設に携わった。帝国芸術院会員。 生家は高松藩の儒学者の家柄。幼少期より旺盛な読書家であった。京大英文科卒。芥川龍之介などの『新思潮』に参加。 著作に『屋上の狂人』(1916年)、『父帰る』(1917年)などの戯曲のほか、『忠直卿行状記』(1918年)、『藤十郎の恋』(1919年)(のち脚色)などの小説がある。人生観や思想を基盤とした明快な主題を打ち出した、いわゆるテーマ小説が特徴である。
斎藤 源八(さいとう げんぱち、1888年12月26日 - … 斎藤 源八(さいとう げんぱち、1888年12月26日 - 1970年5月6日)は戦前の日本ホーリネス教会(戦後の日本ホーリネス教団)の牧師である。 1888年(明治21年)に長野県小県郡西内村(現上田市)に生まれる。1906年(明治39年)に日本聖公会上田教会に出席し、同教会で1907年(明治40年)に聖公会の洗礼を受ける。 1909年(明治42年)に上京し単立教会・本郷浅嘉町教会に出席する。そこで、初めて救いの確信を得る。その後、牧師になるため直接献身する。聖書学院に入学し、神学を学ぶ。 1916年(大正5年)に聖書学院を卒業し仙台福音伝道館の牧師に任命される。 その後、兵庫県武庫郡住吉村で開拓伝道をする。
渋沢 武之助(しぶさわ たけのすけ、1886年〈明治19年〉… 渋沢 武之助(しぶさわ たけのすけ、1886年〈明治19年〉12月26日 - 1946年〈昭和21年〉6月4日)は、日本の実業家。子爵・渋沢栄一の二男。族籍は東京府平民。 渋沢栄一の二男で、渋沢正雄、渋沢秀雄の兄、渋沢篤二の弟、渋沢敬三、渋沢信雄、渋沢智雄の叔父。第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学に学んだが、病を得て半途退学し実業界に入った。 石川島飛行機製作所社長、国産電機相談役、国際産業、十勝開墾、仏国通商、浅野セメント各取締役、日本醋酸製造、大島製鋼、渋沢同族、浅野セメント、東京石川島造船所各監査役、帝国飛行協会理事などをつとめた。 1914年、分家した。趣味は運動。住所は東京市滝野川区西ヶ原町。
田阪 千助(たさか せんすけ、1884年(明治17年)12月… 田阪 千助(たさか せんすけ、1884年(明治17年)12月26日 - 1945年(昭和20年)9月)は、台湾総督府官僚。名古屋市長。 山口県出身。1904年(明治37年)、早稲田大学邦語法律科(現・法学部)を卒業。一年志願兵として陸軍三等主計となる。台湾総督府事務官、殖産局商工課長・庶務課長、勅任参事官、台北州内務部長を歴任した。 退官後、名古屋市助役を経て、1924年(大正13年)から1927年(昭和2年)まで名古屋市長を務めた。 その後、東北電気株式会社取締役、東邦瓦斯証券株式会社顧問、東邦電力株式会社顧問となった。 戦時中は新潟県内に疎開し、1945年(昭和20年)9月に亡くなった。
澤田 兼吉(さわだ かねよし、1883年12月26日-195… 澤田 兼吉(さわだ かねよし、1883年12月26日-1950年4月7日)は、日本の菌学者・植物病理学者。 1883年12月26日、岩手県盛岡市の生まれ。 1903年3月、岩手県立盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)を卒業。その後、1903年6月から1908年7月まで盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)の植物学教室と図書館に勤務、同教室の教授だった山田玄太郎の助手として植物標本製作などの業務に従事する。1908年8月より、同年6月に設置されたばかりの台湾総督府農事試験場(後に中央研究所農業部)に植物病理部技手として勤務、1910年より教育部技手、同年7月より図書館取扱主任を兼任、1920年より植物病理部主任心得を務める。
今成 留之助(いまなり とめのすけ、1882年(明治15年)… 今成 留之助(いまなり とめのすけ、1882年(明治15年)12月26日 - 1965年(昭和40年)6月17日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。 新潟県高田市(現在の上越市)出身。税務属となった後、日露戦争に従軍。後、1907年(明治40年)に日本大学を卒業し、判事検事登用試験に合格した。司法官試補を経て、甲府地方裁判所・甲府区裁判所判事、新潟地方裁判所判事を務めた。その後新潟市で弁護士を開業し、新潟市会議員、同参事会員、新潟県会議員、同参事会員に選出された。 1937年(昭和12年)、第20回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第21回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。戦後、日本進歩党の結成に参加するが、大政翼賛会の推薦議員だったため、公職追放となった。
青木 雷三郎(あおき らいさぶろう、1881年(明治14年)… 青木 雷三郎(あおき らいさぶろう、1881年(明治14年)12月26日 - 1960年(昭和35年)7月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、明石市長。弁護士。 岡山県浅口郡富田村(現在の倉敷市)に尾藤廉平の三男として生まれ、青木与八郎の養子となった。1912年(大正元年)、弁護士試験に合格。翌年に中央大学法科を卒業し、弁護士を開業。後に神戸弁護士会会長に選ばれた。1920年(大正9年)、明石市会議員に選出され、議長に当選した。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第18回、第19回でも再選された。1937年(昭和12年)、明石市長に就任した。1946年(昭和21年)、明石市長を辞任した。
山地 土佐太郎(やまじ とさたろう、1878年(明治11年)… 山地 土佐太郎(やまじ とさたろう、1878年(明治11年)12月26日 - 1958年(昭和33年)2月2日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。貴族院勅選議員。極洋捕鯨(現・極洋)の創業者である。 東京府京橋区新富町(現・東京都中央区)で、警視庁勤務・山地享吉の長男として生まれる。山地家は土佐国安芸郡津呂村(現・高知県室戸市室戸岬町)の出身で、先祖代々「津呂組」という鯨組の株主だった。父が西南戦争従軍後、一家は1880年(明治13年)に高知県へ帰郷した。土佐太郎は1888年(明治21年)、安芸郡羽根尋常小学校を卒業。同県土佐郡第一高等小学校に進学したが、父の死去に伴い1891年(明治24年)に高等小学校を中退し、家業に従事した。
納富 陳平(のうとみ ちんぺい、1876年(明治9年)12月… 納富 陳平(のうとみ ちんぺい、1876年(明治9年)12月26日 - 1934年(昭和9年)3月1日)は、日本の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員。北浜銀行取締役兼支配人、福岡銀行取締役などを歴任。 福岡県怡土郡神在村(糸島郡加布里村大字神在、前原町、前原市を経て現糸島市神在)で、納富義雄の二男として生まれる。1896年(明治29年)福岡県立尋常中学修猷館、1899年(明治32年)第五高等学校法科、1903年(明治36年)京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年8月、北浜銀行に入行。陸軍三等主計となる。 その後、北浜銀行取締役兼支配人となり、1919年(大正8年)12月、同行破綻の整理を行い退職。
久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年(明治7年)12月2… 久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年(明治7年)12月26日 - 1939年(昭和14年)11月12日)は、日本の医学者・歌人・俳人。医学博士。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学、現・九州大学)教授。 明治7年12月26日、陸奥国二本松藩の藩士久保常保の子として現在の福島県二本松市に生まれる。戊辰戦争の当時、猪之吉は6歳、実兄たちは、二本松藩士久保長一郎常保(父親と同名のため父親と誤認されるが、実兄である)、二本松少年隊の久保鉄次郎13歳と久保豊三郎12歳として知られる。猪之吉は兄の豊三郎と共に二本松の戦いに参加したいと母親に懇願したが、懐妊中の母は猪之吉を無言で抱き締めていたと伝わる。
伊沢 多喜男(いさわ たきお、旧字体: 伊澤 多喜男、186… 伊沢 多喜男(いさわ たきお、旧字体: 伊澤 多喜男、1869年12月26日〈明治2年11月24日〉 - 1949年〈昭和24年〉8月13日)は、日本の内務官僚、政治家。 信濃国高遠藩士伊澤勝三郎(文谷)(高遠藩士武井堀右衛門の子で、高遠藩主内藤頼寧に召しだされた伊澤清治の子)の子として生まれる。慶應義塾普通部、第三高等中学校を経て、1895年(明治28年)、東京帝国大学法科大学を卒業、一旦愛知県属となり1897年(明治30年)内務省に入省する。以後山梨県と岐阜県の各県参事官、岐阜県・福井県・滋賀県の各県書記官、滋賀県事務官などを歴任した。1907年(明治40年)に内務大臣であった原敬に引き立てにより警視庁警視、次いで和歌山県知事を務めた。
中原 岩三郎(なかはら いわさぶろう、1868年12月26日… 中原 岩三郎(なかはら いわさぶろう、1868年12月26日 - 1945年4月1日)は、明治から昭和時代前期の電気工学者、電気技師。 明治元年11月13日(グレゴリオ暦1868年12月26日)、吉敷毛利家の御家人であった中原衛人の三男として周防吉敷郡吉敷村(現・山口県山口市吉敷)に生まれる。幼少期に木から落ちて顔に傷が残り、そのことで勉学に打ち込むようになったという。1885年(明治18年)2月に上京し第一高等中学校に入学、工科を専攻し1889年(明治22年)7月に卒業した。1892年(明治25年)7月東京帝国大学電気工学科を卒業。 卒業後すぐ東京電燈に入社し、1897年(明治30年)5月には社命でベルリンに留学する。
忽滑谷 快天(ぬかりや かいてん、慶応3年12月1日(186… 忽滑谷 快天(ぬかりや かいてん、慶応3年12月1日(1867年12月26日) - 1934年7月11日)は、戦前日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶、文学博士。道号は仏山。 古代禅学及び東洋禅学思想史を研究し、禅仏教を内省主観主義として捉えた「忽滑谷禅学(忽滑谷派)」と呼ばれる禅道思想を確立した。大正天皇の御大礼仏教雑誌『星華』、『達磨禅』創刊者。 曹洞宗大学が大学昇格時に駒澤大学に改まると、初代学長に就任。駒澤大学の建学の理念「行学一如」、その実践項目としての「信誠敬愛」を打ち立てた。 武蔵国入間郡古谷村(現・埼玉県川越市)の善長寺従弟、多摩郡東村山久米川(現・東京都東村山市)に遠藤太郎左衛門の4男として生まれる。
大喜多 寅之助(おおきた とらのすけ、慶応2年11月20日(… 大喜多 寅之助(おおきた とらのすけ、慶応2年11月20日(1866年12月26日) - 1961年(昭和36年)2月13日)は、名古屋市長。弁護士。 美濃国大垣出身。1866年に父・次助と母・幸の第6子(五男)として生まれる。大垣小学校、岐阜華陽学校大垣分校、大学予備門、第一高等中学校を経て、1888年(明治21年)に東京帝国大学法科大学に入学した。1892年(明治25年)に卒業した後は名古屋市で弁護士事務所を開業した。弁護士業務のかたわら、愛知法律学校を創設して校長に就任し、また『金城新報』の編集監督も務めた。1896年(明治29年)には名古屋弁護士会長に選出された。 名古屋市会議員、同参事会員、名古屋市会議長に選出され、1921年(大正10年)には名古屋市長に就任した。
矢野 猪之八(やの いのはち、慶応元年11月9日(1865年… 矢野 猪之八(やの いのはち、慶応元年11月9日(1865年12月26日) - 昭和3年(1928年)3月31日)は、日本の政治家。元徳島市長。弁護士。 阿波国名東郡富田浦町(現在の徳島県徳島市)出身。1887年(明治20年)、東京帝国大学別科法学部を卒業。1895年(明治28年)、検事となり、大垣区裁判所検事、岐阜地方裁判所検事、台湾総督府法院判官、台湾覆審法院判官、台南地方法院判官、台湾覆審法院部長を歴任した。1910年(明治43年)に退職した後は、台北市で弁護士を開業した。 1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙に出馬するが落選。 1926年(大正15年)に武市彰一に代わって徳島市長に就任、翌1927年(昭和2年)まで市長を務めた。
岩岡 伊代治(いわおか いよじ、元治元年11月28日(186… 岩岡 伊代治(いわおか いよじ、元治元年11月28日(1864年12月26日) - 大正10年(1921年)11月28日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。画家岩岡とも枝の父。 信濃国安曇郡、のちの長野県南安曇郡倭村(梓川村を経て現松本市)出身。明治法律学校(現在の明治大学)を卒業し、東京市日本橋区で弁護士を開業した。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
朝汐 太郎(あさしお たろう、元治元年11月28日〈1864… 朝汐 太郎(あさしお たろう、元治元年11月28日〈1864年12月26日〉- 大正9年〈1920年〉8月26日)は、高砂部屋(入門時は押尾川部屋)に所属していた大相撲力士。伊予国宇和郡(現在の愛媛県八幡浜市)出身。本名は増原 太郎吉(ますはら たろきち)、出生名は杉本 太郎吉(すぎもと たろきち)。最高位は大関(現役中に1日限りの横綱免許)。身長179cm、体重102kg。得意手は左四つ、上手投げ、寄り。 元治元年(1864年)、増原勘十郎の長男として伊予国宇和郡(現在の愛媛県八幡浜市)に生まれる。子供の頃から力自慢で、7歳の頃には一斗樽(約18リットル)を楽に持ち上げることが出来たといわれる。
海老名 みや(えびな みや、1862年12月26日(文久2年… 海老名 みや(えびな みや、1862年12月26日(文久2年11月6日) - 1952年(昭和27年)3月4日)は、海老名弾正の妻で、キリスト教会の婦人活動家である。 横井小楠と後妻つせ子の娘として、熊本郊外の沼山津(現・熊本市東区沼山津)に生まれる。戸籍上は熊本県士族・伊勢平四郎の長女。1869年に小楠が暗殺されると熊本に転居し、リロイ・ランシング・ジェーンズの妻から英語を学ぶ。1875年に母方のいとこ徳富初子と共に洋学校への編入を認められる。 1876年、兄時雄や海老名喜三郎(弾正)らと一緒にキリスト教への入信を誓う。1877年に京都に移り、同志社に入学する。1882年、新島襄から洗礼を受ける。
片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年1… 片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 美作国久米南条郡羽出木村(後の弓削町、現在の岡山県久米郡久米南町羽出木)に庄屋藪木家の次男として生まれる。幼名は菅太郎(すがたろう)。 1877年(明治10年)10月、神目村(現在の久米南町神目中)の親戚・片山幾太郎の養子となる。この養子縁組は兵役忌避が目的だったと言われている。安達清風の私塾で学んだのち、1880年(明治13年)に岡山師範学校(現在の岡山大学教育学部)に入学するが、翌1881年(明治14年)に退学して上京。
内田 周平(うちだ しゅうへい、1857年12月26日〈安政… 内田 周平(うちだ しゅうへい、1857年12月26日〈安政4年11月7日〉 - 1944年〈昭和19年〉12月23日)は、日本の漢学者・哲学者。朱子学崎門派の末裔、中国哲学研究の開拓者、西洋哲学の紹介者、国体論者。哲学館・慶應義塾・大東文化学院など東京の大学や、熊本の第五高等学校で講義した。 字は仲準。号は遠湖(内田遠湖)・遠湖釣者・帆影子。堂号は谷門精舍。 1857年(安政4年)、遠江国浜松にて、漢学者兼蘭法医の父のもとに生まれる。生年を1854年(安政元年)とする文献もあるが誤りとされる。 1875年(明治8年)、上京し本郷壬申義塾でドイツ語を学ぶ。1876年外国語学校入学。1877年東京大学医学部予科入学、1881年本科進学。
7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえ… 7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえもん、1856年12月26日(安政3年11月29日)- 1924年(大正13年)8月25日)は、明治から大正期の地主・農業経営者・酒造家・実業家・政治家。京都府多額納税者、第一期及び第二期貴族院多額納税者議員互選人。衆議院議員、京都府何鹿郡中筋村長。幼名・逸郎、松逸郎。 郡是製絲株式会社(現・グンゼ株式会社)初代社長、明瞭銀行頭取。郡是製絲株式会社の第2代社長波多野鶴吉は次弟。比叡山鉄道株式会社初代社長、愛宕山鉄道株式会社取締役で京都法政学校(現・立命館大学)設立評議員・理事の羽室亀太郎は末弟。羽室亀太郎の妻ゆうは衆議院議員河原林義雄の妹。
稲田 邦植(いなだ くにたね、1855年12月26日(安政2… 稲田 邦植(いなだ くにたね、1855年12月26日(安政2年11月18日) - 1931年(昭和6年)5月28日)は稲田家16代当主。稲田家は代々徳島藩の筆頭家老であり、かつ淡路国洲本城主(現在の兵庫県洲本市)だった。維新後は男爵。 安政2年(1855年)11月18日、14代当主稲田植乗の長男として生まれた。母は禎寿院。幼名は小八郎。 父が早く亡くなり、15代当主稲田植誠の養子となった。1865年(慶応元年)12月、11歳で家督を継ぎ、九郎兵衛を名乗った。徳島藩は佐幕であったのに対して、尊皇攘夷派であったため早々に新政府軍に帰順した。1868年(慶応4年)、鳥羽・伏見の戦いでは日の御門を守衛し、摂津国西宮への出兵や高松藩の征討、有栖川宮熾仁親王の護衛などの任を務めた。
福留 清四郎(ふくとめ せいしろう、1855年12月26日(… 福留 清四郎(ふくとめ せいしろう、1855年12月26日(安政2年11月18日) - 1921年(大正10年)2月8日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。勲等は勲四等。 伯耆国生まれ(現・鳥取県西伯郡大山町)。農業を営む。1895年(明治28年)2月から同年5月まで、同年6月8日から1897年(明治30年)4月まで、1899年(明治32年)9月21日から1903年(明治36年)9月20日まで、同月21日から1904年(明治37年)3月3日までの4期に渡って帝国党所属鳥取県会議員を務めた。 同年の第9回衆議院議員総選挙において鳥取県郡部から帝国党公認で立候補して初当選。続く1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙では大同倶楽部公認で立候補して再選。
田代 進四郎(たしろ しんしろう、嘉永3年11月23日(18… 田代 進四郎(たしろ しんしろう、嘉永3年11月23日(1850年12月26日) - 大正15年(1926年)3月13日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 肥前国小城郡小城町(現在の佐賀県小城市)出身。茨城県学務課勤務や出版事業経営を経て、宮城県仙台市に弁護士事務所を開業した。仙台弁護士会長、宮城県教育会副会長、仙台英語学校校長などを務めた。また仙台市会議員、同議長、宮城県会議員、同議長に選ばれた。 1912年(明治40年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、広瀬電力株式会社取締役を務めた。
町田 菊次郎(まちだ きくじろう、嘉永3年11月23日(18… 町田 菊次郎(まちだ きくじろう、嘉永3年11月23日(1850年12月26日) - 1917年(大正6年)4月2日)は、群馬県の養蚕家。高山長五郎の後を継いで高山社第2代社長となり、私立甲種高山社蚕業学校を設立した。 嘉永3年(1850年)11月23日上野国緑野郡本郷村の養蚕農家町田藤太郎の子として生まれた。幼名は藤太郎。明治5年(1872年)3月9日家督を継ぎ、1874年(明治7年)3月本郷村副戸長となった。 矢場村で堤防工事を監督した際、休憩時間に吉田半十郎宅で高山長五郎の清温育の講義を聞いて興味を持ち、1875年(明治8年)入門し、1876年(明治9年)蚕児飼育法授業員として地域を巡回した。
河目 正平(かわめ しょうへい、1849年12月26日(嘉永… 河目 正平(かわめ しょうへい、1849年12月26日(嘉永2年11月12日) - 1890年(明治23年)8月6日)は、三河国碧海郡熊村(現在の愛知県刈谷市)出身の教育者。 刈谷市熊野町の安養寺には石碑「河目正平先生之碑」がある。 1849年(嘉永2年)11月12日、河目正平は三河国碧海郡熊村(現在の愛知県刈谷市)に生まれた。幼名は幸太郎であり、後に源吾と称し、やがて正平に改めた。 刈谷藩の藩校である文礼館の教師を務めていた。明治維新期の1870年(明治3年)7月、刈谷藩の命で大垣藩に遊学し、帰郷すると刈谷学校(現・刈谷市立亀城小学校)、熊村学校、高浜学校(現・高浜市立高浜小学校)、野田学校(現・刈谷市立双葉小学校)で教員を務めた。
16代 木村 庄之助(じゅうろくだい きむら しょうのすけ、… 16代 木村 庄之助(じゅうろくだい きむら しょうのすけ、嘉永2年11月12日〈1849年12月26日〉 - 明治45年〈1912年〉1月6日)は、大相撲の立行司。本名は柘→大家→柘新助。出身地は、現在の愛知県豊橋市。 吉田船町(現・豊橋市船町)で煮売屋の長男として生まれる。田舎相撲の強豪だった父親の影響で相撲に興味を持つが、体格に恵まれなかったため行司として研鑽を積むようになる。 安政6年(1859年)秋、吉田で江戸相撲の興行があり、その折に3代目清見潟に預けられ入門。13代庄之助に師事し、元治元年(1864年)4月に木村新介の名で初めて番付に載った。明治4年(1871年)4月に、3代木村龍五郎を襲名。
南摩 綱紀(なんま つなのり、文政6年11月25日(1823… 南摩 綱紀(なんま つなのり、文政6年11月25日(1823年12月26日) - 明治42年(1909年)4月13日)は、日本の武士(会津藩士)、教育者。通称は八之丞、号は羽峯。 南摩家は元下野国南摩城主であった。会津藩においては家禄300石の上級藩士であったが、綱紀は次男で当主ではない。藩校日新館に学び、秋月悌次郎とともに秀才として知られた。昌平坂学問所に留学し、その後洋学も修めている。西国諸国を歴訪し、その見聞を『負笈管見』と題して著す。帰藩後は日新館教授を務め次いで蝦夷地代官として現地に赴任。現地でも藩士子弟の教育にあたり、その中に会津藩出身者として最初の海軍将官となる角田秀松がいた。蝦夷地代官としての手当ては5両3人扶持であった。
小幡 高政(おばた たかまさ、1817年12月26日(文化1… 小幡 高政(おばた たかまさ、1817年12月26日(文化14年11月19日) - 1906年(明治39年)7月27日)は、幕末の長州藩士。明治時代の官吏。実業家。銀行家。宇都宮県参事、小倉県参事、同権令。諱は高政、通称は又介、蔵人、図書、彦七、雅号は缾山、并山。本姓は祖式。 長州藩士。祖式正良の子として周防国吉敷郡恒富村(山口県吉敷郡黒川村、平川村を経て、現山口市)に生まれ、1844年(弘化元年1月)小幡定一の養子となる。1850年(嘉永3年8月)家督を相続し、非常手当表番頭、1851年(嘉永4年)大組物頭弓頭役、1856年(安政3年)手廻物頭鉋砲頭役、1858年(安政5年)萩町奉行役、江戸留守居役などを歴任した。
西 炯子(にし けいこ、12月26日 - )は、日本の漫画家… 西 炯子(にし けいこ、12月26日 - )は、日本の漫画家。女性。にし けいこ名義でも活動している。代表作品に『三番町萩原屋の美人』『ちはるさんの娘』『STAY』『娚の一生』などがある。 鹿児島県指宿市出身。鹿児島県立指宿高等学校、都留文科大学国文科卒業。雑誌『JUNE』(マガジン・マガジン(旧:サン出版))の「竹宮惠子の漫画教室」へたびたび投稿し、高校在学中の1986年11月号に『太陽の下の17歳』が採用掲載されデビュー。その後、教員をしながら作品を発表する多忙な生活を経て、漫画家として独立する。 2006年に「STAY〜ああ今年の夏も何もなかったわ〜」が古田亘監督により、2015年に「娚の一生」が廣木隆一監督により実写映画化される。
山中 千尋(やまなか ちひろ、12月26日 - )は、群馬県… 山中 千尋(やまなか ちひろ、12月26日 - )は、群馬県桐生市出身の、日本のジャズ・ピアニスト。
深田 愛衣(ふかだ あい、12月26日 - )は、日本の女性… 深田 愛衣(ふかだ あい、12月26日 - )は、日本の女性声優。鹿児島県鹿児島市出身、東京都在住。ケンユウオフィス所属。 子供の頃から声優になりたく、カセットテープに自分の声吹き込んで夢中で遊んでいたという。 愛知県立大学外国語学部フランス学科出身。 2015年4月1日よりぷろだくしょんバオバブのジュニア所属になり、2018年4月1日より同事務所の正所属となる。2023年2月末をもってぷろだくしょんバオバブを退所、フリー期間を経て、同年11月1日よりケンユウオフィスに所属。 趣味は舞台鑑賞(宝塚、ミュージカル)、海外旅行、釣り。特技は日本舞踊(坂東流名取 坂東愛菊)、茶道、料理(特に魚の血抜き)、三味線。
石橋 可奈美(いしばし かなみ、12月26日 - )は、日本… 石橋 可奈美(いしばし かなみ、12月26日 - )は、日本の国際法学者。専門は国際環境法。学位は、博士(法学)。東京外国語大学世界言語社会教育センター准教授。 1989年、筑波大学大学院社会科学研究科法学専攻修士課程修了、1992年、同博士課程修了、博士(法学)、学位論文は「国際環境法の形成ダイナミズム-第三の法源「法の一般原則及びエクイティ」への積極的アプローチを通じて-」。 香川大学法学部助教授等を経て、2004年4月より東京外国語大学外国語学部助教授、2009年4月、東京外国語大学総合国際学研究院准教授(国際社会部門 国際研究系、大学院重点化に伴う配置換え)、2022年より同大学世界言語社会教育センター准教授。
鶴岡 ひなた(つるおか ひなた、12月26日 - )は、日本… 鶴岡 ひなた(つるおか ひなた、12月26日 - )は、日本のファッションモデル。特技は発酵マイスター、洋裁、バスケットボール。 宮城県石巻市出身。文化服装学院卒業。実家は石巻にて、洋菓子店経営(2011年4月10日付本人ブログより)。