黒田 壽郎(くろだ としお、1933年8月27日 - 201… 黒田 壽郎(くろだ としお、1933年8月27日 - 2018年5月6日)は、日本のイスラーム学。 慶應義塾大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科博士課程東洋史専攻中退。カイロ大学客員教授、イラン王立哲学アカデミー教授、国際大学中東研究所初代所長。 1974年『イスラーム哲学史』で日本翻訳文化賞受賞。2012年、「イランの著名な哲学者アッラーメ・タバータバーイー師の著書を日本語に翻訳するためのイスラム研究」の功績により第19回イラン年間最優秀図書賞を受賞。 2018年5月6日に自宅にて逝去(享年84歳)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中西 洋(なかにし よう、1933年8月27日 - 2018… 中西 洋(なかにし よう、1933年8月27日 - 2018年10月22日)は、日本の経済学者、労働問題研究者。東京大学名誉教授。
戸川 芳郎(とがわ よしお、1932年8月27日 - 202… 戸川 芳郎(とがわ よしお、1932年8月27日 - 2025年12月14日)は、日本の中国思想学者。東京大学名誉教授、二松學舍大学名誉教授。 1932年、大阪市浪速区生まれ。1944年に大阪府立今宮中学校に入学し、1950年に今宮高等学校を卒業。 1951年、東京大学教養学部文科二類に入学。1953年、東京大学文学部中国文学科に進学し、1955年に卒業。 卒業後、大阪に帰郷。同年死去した父の仕事を継ぎ、ラジオ公論社で『新ラジオ公論』の編集に携わるとともに、府立高校の国語科教員として働く。高校国語教育研究会で出会った重澤俊郎に触発され、1958年、京都大学大学院中国哲学史専攻に入学。1963年、京都大学大学院博士課程中退。
三好 甫(みよし はじめ、1932年8月27日 - 2001… 三好 甫(みよし はじめ、1932年8月27日 - 2001年11月17日)は、日本の計算科学・コンピュータ科学者。「FACOM230-75 APU」「NSシステム」「地球シミュレータ」と、長年にわたり最高性能のベクトル計算機による数値シミュレーションに多大な貢献をした。 東京都中野区出身。早稲田大学第一理工学部数学科卒業後、科学技術庁に入省。その後、航空技術研究所に所属し、航空宇宙分野をはじめとする数値シミュレーション技術を先導する。シミュレーション技術が航空宇宙開発に不可欠である事を見抜き、非線形偏微分方程式の数値解析手法の研究を進める。この研究の成果として、数値流体力学を宇宙航空研究開発機構のコア技術の一つとなる基盤を作った。
村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月2… 村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月27日 - 2019年〈令和元年〉12月25日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲一等旭日大綬章。秋田県本荘市(現・由利本荘市)出身。血液型はB型。 衆議院議員(9期)、郵政大臣(第50代)、運輸大臣(第64代)、内閣官房長官(第62代)、自由民主党国会対策委員長(第34代、第42代)、自由民主党総務会長(第42代)、平成研究会会長代理を歴任した。 秋田県議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。1976年の総選挙で落選したが3年後の1979年の衆院選で政界復帰を果たす。 宇野内閣で郵政大臣で初入閣、第2次海部改造内閣で運輸大臣を務めた。
野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 201… 野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 2015年12月5日)は、児童文学・文芸評論家。父は野口雨情。文芸誌「群系」創刊同人。 東京府北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)生まれ。父・雨情の病気療養と疎開のため栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市)に引っ越し、栃木県立宇都宮高等学校卒業後、1954年早稲田大学第一文学部仏文科卒。55年金の星社に入り、57年財団法人大蔵財務協会に勤務。のち武蔵野女子大学客員教授。同人誌「群系」創刊同人。2012年12月、長年の執筆活動により、第一回群系賞を受賞。墓所は小平霊園。
石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日… 石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日 - )は、日本の法学者。専門は、商法。愛知大学名誉教授。瑞宝中綬章。 専攻は商法。愛知大学法経学部法学科、同大学院出身。 浜松短期大学(現・浜松学院大学短期大学部)をへて愛知大学に着任。短期大学部長、図書館長、法経学部長、法学部長を歴任し、出身者として初の学長を務める。 1931年、三重県鈴鹿市生まれ。1957年に愛知大学法経学部法学科卒業、1959年に愛知大学大学院法学研究科修士課程を修了。愛知大学では本間喜一の教えを受け、後に愛知大学に教員として勤めるようになった後も本間とは親しい関係が続いた。本間が1987年に亡くなった際には、大学葬の葬儀副委員長となった。
三輪 泰司(みわ ひろし、1931年 (昭和6年)8月27日… 三輪 泰司(みわ ひろし、1931年 (昭和6年)8月27日 - )は、京都芸術大学教授、同大学環境デザイン学科長、工学博士(京都大学、1974)。現・客員教授。株式会社地域計画建築研究所代表取締役・会長を経て現取締役相談役。専門学校ビジネスカレッジ京都校長。京都デザイン会議議長。NPO平安京 理事長。日本の都市プランナーで都市計画協会マスター都市プランナー。都市災害に備える技術者の会役員。府庁旧本館利活用応援ネット代表。京都デザイン関連団体協議会議長。京都商工会議所議員(都市美化・環境対策特別委員会副委員長)など。京都市生まれ。技術士建設部門(都市計画/地方計画)/再開発プランナー/一級建築士。
清水 靖夫(しみず やすお、1931年8月27日 - 202… 清水 靖夫(しみず やすお、1931年8月27日 - 2021年7月20日)は、日本の経営者。日本車輌製造社長を務めた。 東京都出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に日本車輌製造に入社。1986年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月には社長に就任。2000年6月に会長に就任。 2021年7月20日に肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 … 松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 - 2014年5月11日)は東京府出身のインド学者、幻想文学研究家。英語やサンスクリット語の他、フランス語やアラビア語などにも堪能。女子美術大学教授、國學院大學講師、多摩美術大学講師、美学校講師などを歴任。
斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年>… 斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年> 8月27日 - 2011年 <平成23年> 5月14日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1954年に東北大学法学部を卒業し、同年に岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。人事部長を経て1979年4月1日に仙台支店長に就任。1981年4月1日に本店営業部長となり、同年6月26日には取締役に就任。1985年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1996年6月には頭取に上り詰める。2001年には佐藤光の後任として、2月に盛岡商工会議所の会頭、6月には岩手銀行の会長に就いた。 2004年5月には、岩手の経済発展・産業振興に貢献したとして、岩手県より平成16年度県勢功労者に選ばれた。
内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8… 内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8月27日 - )は、日本の農業気象学者。農学博士(九州大学・論文博士・1961年)。お茶の水女子大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。1950年宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)農科卒業、農林省農業技術研究所に入る。1961年「水田用水ならびに水田水の熱状態に関する研究」で九州大学より農学博士の学位を取得。1962 - 1963年コーネル大学に学ぶ。九州農業試験場、農業環境技術研究所研究員、1983年同気象管理課長、1987年お茶の水女子大学教授、名誉教授、宮崎公立大学人文学部教授、学部長、学長。1965年日本農業気象学会賞、1986年農林水産省研究功績賞受賞。
桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年… 桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年8月13日)、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身。別名義に宇治 英三、リチャード・ピータース。本名は島内 三秀である。 父は高知県出身の陸軍将校。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し、ここで終戦を迎える。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた。 1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業。1955年(昭和30年)にTBSに入社。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社。
下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日… 下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日 - 2018年(平成30年)10月19日)は、生物学者(有機化学・海洋生物学)。 学位は理学博士(名古屋大学、1960年)。位階は従三位。ボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。 有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者、中でも生物発光研究の先駆者であり第一人者。旧制長崎医科大学、名古屋大学、プリンストン大学、ボストン大学、ウッズホール海洋生物学研究所などに在籍し、発光生物についての研究を継続。その中の一つ、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見は、その後生命科学、医学研究用の重要なツールに発展して2008年(平成20年)のノーベル化学賞受賞に結びついた。
柳町 隆造(やなぎまち りゅうぞう、1928年8月27日 -… 柳町 隆造(やなぎまち りゅうぞう、1928年8月27日 - )は、日本の生殖生物学者(米国ハワイ州在住)。理学博士。ハワイ大学名誉教授。
橋田 辰夫(はしだ たつお、1928年 <昭和3年> 8月2… 橋田 辰夫(はしだ たつお、1928年 <昭和3年> 8月27日 - )は、日本の経営者。ゼネラル石油社長、会長を務めた。 愛媛県出身。1952年に神戸大学経済学部経済学科を卒業し、同年にゼネラル石油に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1985年6月には社長に就任。1993年6月に会長を経て、1995年6月には相談役に就任。 1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
小黒 恵子(おぐろ けいこ、1928年8月27日 - 201… 小黒 恵子(おぐろ けいこ、1928年8月27日 - 2014年4月1日)は、日本の作詞家。 神奈川県川崎市出身。血液型はO型。 サトウハチローに師事。1973年、「ハダシとハダカ」で日本作詩大賞童謡賞を受賞。1982年、「やあ、こんにちは」で赤い靴児童文化大賞。同年、「飛べ、しま馬」「ライオンの子守唄」で日本童謡賞。1990年、川崎市文化賞受賞。1991年には「小黒恵子童謡記念館」を開館した。2001年、勲四等瑞宝章受章。2014年4月1日午後11時23分、慢性呼吸不全のため、川崎市高津区の病院で死去。85歳没。 1897年築の生家(川崎市高津区諏訪)に1991年に開館した。生前の意向に従い、他の資産とともに川崎市に寄贈され、川崎市による再整備後の2017年4月1日に再開館した。
高橋 貞子(たかはし さだこ、1926年〈大正15年〉8月2… 高橋 貞子(たかはし さだこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2017年〈平成29年〉5月または6月)は、日本の作家、民話収集家。岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉乙茂出身。岩手県立盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)卒業。岩手県庁地方課勤務。日本口承文藝学会・日本民話の会・岩泉民間伝承研究会 会員。 1926年8月27日、岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉乙茂に生まれる。1944年3月、岩手県立盛岡高等女学校卒業。同年4月より岩手県庁地方課勤務。 幼少時に両親や祖父母から多くの昔話を聞いて育つ。母親として子宝に恵まれたことを機に、幼少時に聞いた昔話や、周囲の人々からの昔話の採集を始める。 岩手県庁勤務時代、郷土史家・平野直の薦めで昔話集『火っこをたんもうれ』(1977年)を出版。
佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月2… 佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2018年〈平成30年〉7月19日)は、日本の弁護士、政治家。関西地方初の女性弁護士である。参議院議員を1期務めた。伊藤俊介 (政治家)の孫。 大阪市小松原町生まれ。父は弁護士で松島遊郭事件を担当した田村堅三。1944年(昭和19年)、大阪府立大手前高等女学校卒業。同年、18歳で旧海軍省官僚と結婚した。夫は仕事のため東京、静子は夫の両親の住む和歌山市和歌浦で暮らした。 終戦後、京都大学工学部の研究者となった夫ともに京都で暮らし始めたが、夫が公職追放のため栗本鉄工所に転職し、大阪に転居し、1948年に長女を出産。司法試験の受験を志し、受験資格を得るために子育ての傍ら1950年に大阪女子大学に入学した。
杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月2… 杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日本の歌人。塚本邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸本光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。
三輪 昌男(みわ まさお、1926年8月27日-2003年2… 三輪 昌男(みわ まさお、1926年8月27日-2003年2月16日)は、日本の農業経済学者。國學院大學名誉教授。専門は協同組合論。 山口県出身。東京大学経済学部卒。協同組合経営研究所研究員、國學院大學経済学部助教授、教授、1997年定年、名誉教授。日本協同組合学会会長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中部 藤次郎(なかべ とうじろう、1926年8月27日 - … 中部 藤次郎(なかべ とうじろう、1926年8月27日 - 1987年1月29日)は、日本の実業家。山口県出身。 1950年に北海道大学法文学部政治学科を中退し、1953年にアメリカのパシフィック大学政治学科を卒業し、同年に大洋漁業に入社。1966年3月に取締役に就任し、1970年12月に常務、1973年3月に専務を経て、同年10月に副社長に就任し、1977年1月に社長に昇格。 1987年1月29日心不全のために社長在任中に死去。60歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月2… 丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 主な小説作品に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までを除いて、独自の歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽快で知的な作品を書くことを目指した。評論・随筆も『忠臣藏とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』など長年にわたり多く刊行し、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く行い「文壇三大音声」の一人と自負していた。
本山 英世(もとやま ひでよ、1925年8月27日 - 20… 本山 英世(もとやま ひでよ、1925年8月27日 - 2005年11月22日)は、日本の実業家。キリンビール(現キリンホールディングス)社長・会長や、ビール酒造組合代表理事、全国清涼飲料連合会会長を務めた。通称「キリンの天皇」。勲二等瑞宝章受章。 新潟県出身。1950年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、キリンビール入社、一貫して営業畑を歩んだ。1984年同社社長就任。キリン一番搾り生ビールを発売し、ヒットさせるなど、ビール市場でのシェア低下を食い止め、1991年にはシェア50パーセントを達成させた。また腎性貧血治療薬のエスポーを発売するなど、医薬部門を拡大させ、事業多角化を行ったほか、飲料部門をキリンビバレッジとして独立させるなど、組織再編も行った。
河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月… 河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月27日 - 2007年(平成19年)1月20日)は、日本の童謡歌手。父は童謡作曲家の河村光陽。妹もそれぞれ童謡歌手の陽子(1927年11月18日 - 2021年2月7日)、博子(1929年8月9日 - )。 東京都小石川区久堅町(現在の東京都文京区)出身。1932年(昭和7年)、「かごめかごめ」「お薬とり」でポリドール・レコードからデビュー。1935年(昭和10年)1月、ポリドール専属となる。1936年(昭和11年)、キングレコードに移籍し、同年2月、父河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」が大ヒット。以降父の作曲した「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」、「赤い帽子白い帽子」などがヒットした。
中山 太郎(なかやま たろう、1924年(大正13年)8月2… 中山 太郎(なかやま たろう、1924年(大正13年)8月27日 - 2023年(令和5年)3月15日)は、日本の政治家、医師。位階は正三位、勲等は勲一等旭日大綬章、学位は医学博士(大阪医科大学)。 外務大臣(第112・113代)、総理府総務長官(第28代)、沖縄開発庁長官(第11代)、衆議院憲法調査会長、衆議院議員(7期)、参議院議員(3期)、大阪府議会議員(4期)等を歴任した。また歴代の総理府総務長官経験者として最長寿であった。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務めた中山福蔵。日本で初めて女性で閣僚(厚生大臣)を務めた中山マサは母。弟に建設大臣を務めた中山正暉がおり、長男は第一三共の代表取締役兼CEOである中山譲治、甥に衆議院議員の中山泰秀がいる。
砂川 一郎(すながわ いちろう、1924年〈大正13年〉8月… 砂川 一郎(すながわ いちろう、1924年〈大正13年〉8月27日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の鉱物学者。 東京出身。東北帝国大学卒業。通商産業省地質調査所(現:経済産業省産業技術総合研究所)鉱床部長を経て東北大学理学部教授となる。 鉱物、結晶の成長機構の研究で知られ、日本結晶成長学会会長、日本鉱物学会会長などを歴任した。西永頌らとともに、日本の結晶成長学の黎明期を支え、特にダイヤモンドをはじめとする天然鉱物の成長機構や、溶液中における結晶の成長機構の解明に大きく貢献した。 2002年、勲三等旭日中綬章受章。 2012年12月20日、肺炎のため死去。88歳没。 弟子に、塚本勝男(東北大学理学部教授)、佐崎元(北海道大学低温研教授)、北村雅夫(京都大学理学部教授)らがいる。
中平 和水(なかひら かずみ、1924年8月27日 - 19… 中平 和水(なかひら かずみ、1924年8月27日 - 1993年12月29日)は、日本の警察官僚。元警察庁刑事局長。 高知県土佐市出身。1952年に中央大学法学部を卒業後、国家地方警察本部(現・警察庁)入庁。 徳島・三重・神奈川・大阪各警察本部刑事部捜査第二課長などを歴任して1966年に警察庁刑事局捜査第二課理事官に就く。 1967年に神奈川県警察本部刑事部長に就任した際には翌年に国鉄大船駅付近で発生した横須賀線電車爆破事件を解決に導いた。 1971年に佐賀県警察本部長、1972年に警察庁刑事局捜査第二課長、1974年に同捜査第一課長にそれぞれ就任。 1975年になると2月に警察庁長官官房総務課長、同年8月警視庁刑事部長にそれぞれ就任。
宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27… 宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27日 - 1998年〈平成10年〉5月19日)は、日本の政治家。第75代内閣総理大臣。位階は従二位。勲等は勲一等。俳号は犂子(れいし)。 滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長官(第31代)、行政管理庁長官(第44代)、通商産業大臣(第42代)、外務大臣(第110代)、内閣総理大臣(第75代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁(第13代)などを歴任。 1922年(大正11年)8月27日、滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)に父・宇野長司と母・民子の間に長男として生まれる。
矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 198… 矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 1985年2月1日)は、日本の女優。戸籍上の本名は黒澤喜代(旧姓:加藤)だが、実生活では「喜代子」と名乗っていた。夫は映画監督の黒澤明。 香港生まれ。昭和高等女学校(現・昭和女子大学附属昭和高等学校)中退。1937年に若園照美の芸名で松竹少女歌劇団入団。 1940年に東宝映画に移籍。島津保次郎監督の『嫁ぐ日まで』でデビュー。1944年に黒澤の2本目の監督作品『一番美しく』に主演する。1945年に黒澤と結婚(挙式は明治神宮、媒酌人は山本嘉次郎夫妻)して女優を引退した。 引退後は家庭に入り、黒澤が気持ちよく映画を撮れるように、内助の功を発揮した。
荒木 正(あらき ただし、1921年8月27日 -没年不明 … 荒木 正(あらき ただし、1921年8月27日 -没年不明 )は、佐賀県出身のプロ野球選手。 唐津商業学校から門司鉄道管理局を経て、1941年に南海軍へ入団。1944年に退団。
今野 耿介(こんの こうすけ、1921年8月27日 - 没年… 今野 耿介(こんの こうすけ、1921年8月27日 - 没年不詳)は日本の内務・警察官僚。和歌山県警察本部長、新潟県警察本部長、四国管区警察局長などを務めた。 旧制浪速高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1944年 内務省に入省。熊本県に配属され、内務部農務課、内務部地方課兼農務課、内務部庶務課で勤務。その後は宮城県、栃木県警察部、国家地方警察栃木県本部、札幌警察管区本部、保安庁保安局、防衛庁防衛局などで勤務。1954年6月からサザンメソジスト大学へ留学。青木正国家公安委員会委員長秘書官(事務担当)、警務局付兼内閣調査室内閣調査官、大平・黒金両内閣官房長官秘書官(事務担当)。 1964年7月 長官官房能率管理課長。
中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 … 中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 - 2002年4月9日)は、日本の小説家・推理作家。本名は中園 英樹(なかぞの えいき)。 福岡県遠賀郡上津役村(現北九州市八幡西区)出身。旧制福岡県立八女中学校(現福岡県立八女高等学校)卒業。在学中、西洋史を教わった渡辺啓助の影響で『新青年』を愛読するようになる。卒業後は満州を経て北京へ遊学し、同仁会語学校などに学ぶ。 1940年、北京大学の文学院を聴講しながら東亜新報の学芸記者となる。かたわら同人誌『燕京文学』に加わり、創作活動を開始。1942年、「第一回公演」で北支那文化賞を受賞。 1946年、引き揚げ帰国し、新聞記者を経てフリーのジャーナリストとなる。
奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 19… 奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 1992年4月17日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 1987年9月5日に67歳で最高裁判所裁判官に就任。67歳での最高裁裁判官就任は三淵忠彦以来2人目。就任時の会見で「裁判や判決は法理の筋が通っているだけで値打ちが決まるものではない。この40年間、闘う手段を持たないで闘争している弱者の側にたって裁判所を下からみてきた。これからもこの立場で意見を」と述べた。 1986年衆院選の一票の格差訴訟と1986年参院選の一票の格差の最高裁判決において、合憲とする多数意見に対し、違憲とする反対意見を述べた。 1990年8月26日に定年退官した。
中村 輝彦(なかむら てるひこ、1919年 <大正8年> 8… 中村 輝彦(なかむら てるひこ、1919年 <大正8年> 8月27日 - 2007年 <平成19年> 2月7日)は、日本の外交官。 栃木県出身。東京帝国大学法学部卒業後、外務省に入省。調査局に配属。1979年から駐サウジアラビア大使を務めた(〜1982年)。また、外務省中近東アフリカ局長などの要職を歴任。1986年より住友商事顧問。1989年秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。 死後、死亡日に遡って従三位に叙せられた(2007年(平成19年)3月13日付官報にて告示)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
八十島 義之助(やそしま よしのすけ、1919年(大正8年)… 八十島 義之助(やそしま よしのすけ、1919年(大正8年)8月27日 - 1998年(平成10年)5月9日)は、日本の土木工学者。工学博士。東京大学名誉教授。専門は鉄道工学、交通計画学。 東京府出身。慶應義塾幼稚舎、旧制府立高等学校(7年制)を経て、1941年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。翌年、母校の講師となる。その後、東京大学工学部助教授を経て、1955年「敷設軌条の力学的特性に関する研究」で工学博士となり、同年教授に就任。東大紛争では大学改革準備調査会委員長を務める。1980年に定年退官、名誉教授となるとともに、埼玉大学教授に就任。 1986年、帝京技術科学大学(現・帝京平成大学)初代学長に迎えられ、1992年3月、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)会長となる。
清水 晶(しみず あきら、1916年8月27日 - 1997… 清水 晶(しみず あきら、1916年8月27日 - 1997年4月30日)は、日本の映画評論家、編集者である。『映画評論』編集長、フィルム・ライブラリー協議会(のちの川喜多記念映画財団)事務局長、川喜多記念映画財団常務理事、慶應義塾大学講師等を歴任した。 1916年(大正5年)、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 東京帝国大学(現在の東京大学)文学部美学科に入学、在学中の1938年(昭和13年)、映画評論を開始する。1941年(昭和16年)、同学を卒業、日本映画雑誌協会に勤務する。1942年(昭和17年)、中国の上海に渡り、中華電影公司に入社する。1943年(昭和18年)、帰国し、『映画評論』誌の編集長に就任する。
山下 与志一(やました よしいち、1916年〈大正5年〉8月… 山下 与志一(やました よしいち、1916年〈大正5年〉8月27日 - 1991年〈平成3年〉12月3日)は、日本の脚本家。本名は山下 義一。 台湾・台中の出身。早稲田大学文学部英文科(昭和15年)卒。文学座演出部員や東宝脚本部員を経て、シナリオライターとなった。日本放送作家組合の幹事も務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日… 並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の経営学者。 群馬県甘楽郡下仁田町本宿出身。旧制高崎中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年東京工業大学機械工学科卒。同年立川飛行機に入社。戦後、日本能率協会に入る。東京商工指導所工業診断課長、玉川大学工学部教授を務め、84年定年。1973年黄綬褒章受章。
祇園寺 信彦(ぎおんじ のぶひこ、1911年8月27日 - … 祇園寺 信彦(ぎおんじ のぶひこ、1911年8月27日 - 1998年11月23日)は日本の西洋史学者。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)生まれ。宮城県古川中学校(現:宮城県古川高等学校)卒業、第二高等学校(独法)卒業、東北帝国大学法文学部西洋史学科卒業。1962年「古ローマの社会と政治」で東北大学文学博士。東北大学文学部助教授、教授。1975年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授。 専門は西洋古代史で、主としたのは、古代ローマにおける政治権力のあり方とその歴史的変遷、さらにその過程において個人が織り成した役割の問題の解明であった。研究は大類伸、原随園の学問的伝統を継承しつつ、マックス・ヴェーバーの歴史学方法論をよりどころとし、西洋古代史の研究と後進の指導に当たり、古代ローマ史研究において開拓者的な役割を果たした。
海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - … 海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - 1968年7月3日)は、英文学者、翻訳家。 京都市生まれ。1931年東京帝国大学文学部美学美術史卒、34年同英文科卒。女学校教師などをしながら、英文学で斎藤勇に師事し、また横光利一に師事して創作も目指した。戦後1951年から68年まで一橋大学社会学部教授。
新田 圭二(にった けいじ、1909年〈明治42年〉8月27… 新田 圭二(にった けいじ、1909年〈明治42年〉8月27日 - 1996年〈平成8年〉12月14日)は、日本の政治家、経営者。山口県宇部市長(第17代)。宇部興産(現:UBE)取締役山陽無煙鉱業所長、日本石灰工業所社長。 1934年(昭和9年)、慶應義塾大学法学部を卒業。宇部興産(後のUBE)グループにおいて、同社取締役山陽無煙鉱業所長、宇部化学工業(後の宇部マテリアルズ)専務取締役を歴任した。1947年(昭和22年)4月22日、宇部市基本財産として多額の私財を寄付し紺綬褒章を受章。 また社業と並んで宇部市議会議員を務め、1952年(昭和27年)には教育委員会制度の発足に伴い市議会代表として教育委員に選出。
三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 19… 三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 1995年12月14日)は、日本の作家、健康研究家。 兵庫県神戸市生まれ。本名・敏夫。父親の三橋信三は三菱倉庫に勤務で、後、同社社長、三菱本社理事などを歴任。父親の影響で武術をはじめるが、一方で文学少年でもあった。 慶應義塾大学経済学部卒。在学中にヨーロッパへの留学経験がある。1940年ごろから同人誌『三田文学』、『文芸世紀』などに創作を発表し、終戦後の1948年には林房雄の紹介で『新青年』に「腹話術師」が掲載され、商業誌にデビューした。「不思議小説」と銘打った奇妙な作風で好評を博し、同誌の常連執筆者となる。『新青年』1949年6月号から同誌休刊の1950年7月号まで、横溝正史の命名による「まぼろし部落」のタイトルで不思議小説を毎号連載した。
川崎 勉(かわさき つとむ、1908年(明治41年)8月27… 川崎 勉(かわさき つとむ、1908年(明治41年)8月27日 - 1997年(平成9年)4月22日 )は、日本の実業家。日本鉄鋼連盟(鉄連)欧州事務所長を歴任。経済学博士。 三重県出身の政治家・川崎克の長男。弟は衆議院議員の川崎秀二。妻は大審院次長検事、大阪控訴院検事長を務めた金沢次郎の長女。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堀 啓三(ほり けいぞう、明治40年(1907年)8月27日… 堀 啓三(ほり けいぞう、明治40年(1907年)8月27日 - 昭和59年(1984年))は日本の実業家。元小西六写真工業(現コニカミノルタ)取締役。 妻・幸代は岡田商店の元代表取締役会長岡田洲二の妹、岡田汽船の元社長岡田庄作の三女。 鳥取県境港市相生町出身。了吉の三男。 昭和7年(1932年)東大経済学部卒業。小西六入社、輸出、業務各課長、小田原工場長歴任。昭和22年(1947年)営業部長 昭和24年(1949年)取締役に選ばれ、販売部長、東京営業所長、業務部長の後販売本部長、日本色彩映画監査役。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
石山 源治郎(いしやま げんじろう、1904年8月27日 -… 石山 源治郎(いしやま げんじろう、1904年8月27日 - 没年不明)は、滋賀県大津市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は武田 源次郎。最高位は十両6枚目。 春日野部屋に入門し、1923年1月に初土俵を踏む。1930年1月十両に昇進。2場所続けて負け越したため、5月に幕下に落ちた。1932年1月十両に復帰したが、番付発表直後に起きた春秋園事件により脱退し、新興力士団を経て、関西角力協会に入った。
横田 豊秋(よこた とよあき、1903年8月27日 - 19… 横田 豊秋(よこた とよあき、1903年8月27日 - 1936年8月28日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。本名同じ。撮影助手、撮影技師、助監督、監督、脚本家を経て、映画スターになった稀有な人材である。脚本家・俳優としての名は宇留木 浩(うるき ひろし)である。 1903年(明治36年)8月27日、東京市麹町区内幸町1-5(現在の千代田区内幸町1-5、現在の千代田区立内幸町ホールのあたり)に生まれる。父は弁護士、2歳下の妹は新劇から映画女優となった細川ちか子(本名・横田冬)である。 当時の私立エリート校・芝区芝公園の正則中学校(現在の正則高等学校)在学中、不良仲間の江川宇礼雄と知り合い、1920年(大正9年)に横浜の大正活動映画(大活)の俳優となった江川の影響で、映画界に入るべく、同校卒業後、進学せずに1921年(大正10年)、17歳のときに日活向島撮影所に入社、撮影助手となる。
水谷川 忠麿(みやがわ ただまろ、1902年〈明治35年〉8… 水谷川 忠麿(みやがわ ただまろ、1902年〈明治35年〉8月27日 - 1961年〈昭和36年〉5月20日)は、日本の男爵、貴族院議員。旧姓、近衛。 公爵近衛篤麿の四男として生まれた。兄に内閣総理大臣の近衛文麿、指揮者の近衛秀麿、ホルン奏者の近衛直麿がいる。 男爵水谷川忠起の養子となり家督を相続する。学習院中等科時代から有島生馬について洋画を習い、画家を志す。学習院高等科在学中、1921年(大正10年)に養母堯子を亡くした。1923年(大正12年)京都帝国大学文学部哲学科に入学した直後に養父忠起を亡くし、男爵位を相続。京大在学中は京都帝大オーケストラに参加してオーボエを吹き、京都音楽協会の設立に参加。
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月2… 臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月27日 - 1991年〈平成3年〉3月8日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。 長野県南安曇郡三田村田尻(現:安曇野市堀金三田)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1926年京都帝国大学文学部社会学科を卒業した。 1929年、京都帝国大学専任講師に着任。ドイツ、米国、フランスに研究留学した後、1932年に助教授昇進。1944年に教授昇進。1945年、学位論文『社会と民族』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年より京都大学文学部教授。1963年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
村井 貞敏(むらい さだとし、1900年(明治33年)8月2… 村井 貞敏(むらい さだとし、1900年(明治33年)8月27日 - 1944年(昭和19年)5月22日)は、日本の海軍軍人。 山形県鶴岡市で誕生、荘内中学校出身。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校50期を卒業、任官。1937年(昭和12年)12月1日駐満海軍部副官着任後、1938年(昭和13年)駐満海軍部が解散した後も、1940年(昭和15年)11/15帰任までの期間、満州国中枢における海軍諜報機関として日華事変の情報収集に当たった。1944年5月22日、砲艦橋立の艦長として南シナ海東沙島南方海域で損傷輸送船の救助中に、米潜水艦の雷撃を受け沈没、戦死した。