小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996… 小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996年12月11日)は、日本の経営者。ニッカウヰスキー社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1953年に成城大学政治経済学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務を経て、1994年3月にはニッカウヰスキー社長に就任。 1996年12月11日肝不全のために死去。66歳没。
菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 20… 菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 2018年11月3日)は日本の版画家。山形県長井市出身。版画家棟方志功の兄弟弟子(版画家平塚運一に師事)。古民家、廃屋などの田舎の風景、子ども、最上川や雪景色など郷土の風景を題材とした作風で知られる。 その他、山形県長井市の文化誌、月刊「芳文」の表紙を長らく担当した。
岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は… 岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は、日本の児童文学作家。
富塚 文太郎(とみづか ぶんたろう、1929年2月28日 -… 富塚 文太郎(とみづか ぶんたろう、1929年2月28日 - 2022年11月28日)は、日本の経済学者、東京経済大学名誉教授、元学長、元法人理事長。 東京出身。東京大学に学び、在学中は「全日本学生自治会総連合の傘下で学生運動にのめり込んでいた」という。1952年、東京大学経済学部経済学科を卒業し、産経新聞に入社し、東京本社で新聞記者となった。その後、大学に戻り、東京大学大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程に学ぶ。国民経済研究協会主任研究員、後に兼任で理事長、会長となる。1968年に東京経済大学経済学部助教授、1971年に教授、さらに1992年から2000年まで東京経済大学学長、1998年から2005年まで学校法人東京経済大学理事長を務めた。
西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 20… 西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 2009年8月16日)は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、俳優。別名義に関谷四郎、千葉隆志などがある。 1960年代から1970年代にかけて制作された、葵映画での低予算、扇情主義のピンク映画で知られる。「日本で最も低俗な映画作家」、「ヤクザ映画ファンの間でカルト的人気者」と呼ばれた。 1929年2月28日大阪府大阪市に生まれ、愛媛県新居浜市で育つ。1945年に野口拳闘クラブに入門。プロボクサーとして活躍し、1946年には日本フェザー級西日本チャンピオンになる。1947年の佐伯幸三監督の大映映画『鉄拳の街』でボクサー役を演じたこのことがきっかけで1949年大映東京撮影所の助監督試験を受けて合格。
長澤 和俊(ながさわ かずとし、1928年(昭和3年)2月2… 長澤 和俊(ながさわ かずとし、1928年(昭和3年)2月28日 - 2019年(平成31年)2月23日)は、日本の東洋史学者。専門はシルクロード史。早稲田大学名誉教授。 1928年、東京都足立区生まれ。1946年、千葉県立千葉中学校を卒業して早稲田大学第二文学部史学科に進学し、東洋史を専攻。1951年に卒業し、早稲田大学大学院文学研究科史学東洋史専攻へ進学。1957年に博士課程を単位取得修了。 1957年4月、安田学園高等学校教諭となった。1960年より東海大学文学部専任講師。1967年に鹿児島短期大学助教授に転じ、翌68年に教授昇格。1966年1月から6月まで、作家・登山家の深田久弥を隊長とするシルクロード踏査隊の副隊長を務め、5か月にわたり現地史跡を調査した。
竹村 欣三(たけむら きんぞう、1927年2月28日 - 2… 竹村 欣三(たけむら きんぞう、1927年2月28日 - 2010年6月27日)は、立正佼成会の人物。 東京出身。1950年慶應義塾大学経済学部卒、1951年立正佼成会に入会、1958年教団本部。1966年佼成出版社取締役、71年会長秘書室長、理事、海外布教区長、佼成出版社社長。
山川 暁夫(やまかわ あきお、1927年2月28日 - 20… 山川 暁夫(やまかわ あきお、1927年2月28日 - 2000年2月12日)は、日本の政治評論家である。本名は山田昭。 1927年生まれ。福岡県出身。 1945年の浪速高校民主化運動に参加し、共産青年同盟に加盟する。1948年、東京大学経済学部に入学する。その年10月には、日本共産党本部の青年学生担当部員となっている。1960年代後半には、日本共産党の党員評論家の「川端治」として活躍し安保沖縄問題を論じている。ジャパンプレスサービスに従事するが、新日和見主義事件で日本共産党を離党する。 1974年に、「MAPP」(Military & Politics Perspective)という不定期雑誌を出版する。
菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日… 菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日 - 2018年〈平成30年〉8月10日)は、日本の女優。血液型はB型。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。生前は仕事に所属していた。本名は佐藤 キミ子。旧芸名及び旧姓名は須斎 キミ子。 東京府東京市牛込区早稲田町出身。 本村小学校、頌栄高等女学校卒業。 1943年から第二次世界大戦終戦直後までに、男性職員出征のため、文部省総務課調査課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた。1946年3月、有楽座で東京芸術劇場の第1回公演『人形の家』を鑑賞したことがきっかけで同劇団の研究生に応募し、補欠合格となる。両親はともに芝居好きであったが、劇団研究生に応募することを相談した際、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対されたが、義理の兄が理解者となり両親も渋々ながら認めたとされる。
水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 20… 水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 2009年6月20日)は、日本の新聞記者、実業家。
長谷川 修(はせがわ しゅう、1926年2月28日 - 20… 長谷川 修(はせがわ しゅう、1926年2月28日 - 2001年7月13日)は、日本の原子力工学者。九州大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。従三位勲二等瑞宝章。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館を経て、1947年九州帝国大学工学部機械工学科を卒業する。 卒業後、日立製作所栃木工場に勤務した後、1955年九州大学生産科学研究所助手となる。1956年から日本原子力研究所動力炉開発部に勤務し、九州大学に復帰した1959年に工学部助教授となり、1961年工学博士、1962年九州大学工学部教授に就任する。1967年より1年間米国、英国、西ドイツに留学する。1984年より2年間九州大学工学部長を務め、1986年日本伝熱学会会長。
黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984… 黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984年7月10日)は、日本の詩人。 山形県寒河江の生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う。関根弘、菅原克己らの同人誌『列島』や新日本文学会の雑誌『現代詩』などに参加、注目される。1959年、第1詩集『不安と遊撃』を刊行、翌年H氏賞を受賞する。プロレタリア詩と前衛詩の結合において戦後詩の一つの極北を示す詩人である。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
北 修二(きた しゅうじ、1925年2月28日 - 2007… 北 修二(きた しゅうじ、1925年2月28日 - 2007年5月25日)は、日本の政治家。北海道・沖縄開発庁長官、参議院議員(3期、自民党)。北海道空知郡奈井江村出身。農民運動を展開した。 空知農業学校卒業。1951年に25歳で奈井江町議に初当選し、1967年に奈井江農協(現・新砂川農協(JA新すながわ))組合長。北海道農協中央会(JA北海道中央会)副会長、北海道テレビ放送番組審議会委員などを経て1977年の参議院選北海道選挙区でトップで初当選。連続3回当選。1981年北海道開発政務次官。1984年参議院農林水産委員長。1990年に鳩山由紀夫を北海道知事候補に目論むが失敗。自民党道連会長を辞任。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 -… 左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 - 2021年1月9日)は、日本の政治家、弁護士(大阪弁護士会所属)。位階は正三位。 衆議院議員(10期)、国土庁長官、郵政大臣、法務大臣を歴任した。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)卒業。旧制高知高等学校を経て、1945年9月京都帝国大学法学部卒業。同年10月、逓信院入省。郵政省に所属し、大臣官房文書課長補佐、外務省出向(ジュネーブ領事)、貯金局国際業務部長、電波監理局放送部長、松山郵政局長などを歴任。 1969年、大阪府知事であった父・左藤義詮の在任中に旧大阪6区から自民党公認で立候補し初当選。衆議院議員連続当選10回(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
小倉 栄一郎(小倉榮一郎、おぐら えいいちろう、1924年2… 小倉 栄一郎(小倉榮一郎、おぐら えいいちろう、1924年2月28日 - 1992年3月23日)は、経済学・経済史学者。 滋賀県出身。1946年神戸経済大学(現神戸大学)卒。同大学院博士課程満期退学、1965年「江州中井家帖合の法」で大阪大学より経済学博士の学位を取得。1953年滋賀大学経済学部助教授、1968年教授、1970-1974年経済学部学部長。1989年定年退官、名誉教授。1962年「江州中井家帳合の法」で日本会計研究学会賞を受賞。湖東焼復興推進協議会会長。
氏平 競重(うじひら たかしげ、1921年2月28日 - 2… 氏平 競重(うじひら たかしげ、1921年2月28日 - 2012年4月6日) は、岡山県久米郡久米町出身の実業家。尼崎信用金庫元理事長、元会長。元尼崎商工会議所会頭。 1921年、岡山県久米郡久米町(現:津山市)で出生する。旧制閑谷中学(現:岡山県立和気閑谷高等学校)へ入学。1940年に卒業する。その後、法政大学へ進学し、1944年(昭和19年)法政大学経済学部を卒業する。しかしながら、第二次世界大戦で日本がアメリカと戦争を始めると、徐々に戦況が悪化し、大学卒業後、学徒動員で中国大陸へ出征する。そのまま、中国で敗戦を迎える。 終戦後、1947年(昭和22年)大蔵省(現:財務省)へ入省する。中国財務局金融検査官、金融課長補佐などを経て、1962年尼崎信用金庫へ転職する。
伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28… 伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28日 - 1990年(平成2年)9月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(4期)、兵庫県城崎郡余部村長。 兵庫県城崎郡余部村(香住町を経て現香美町)出身。1944年(昭和19年)関西大学法文学部卒業。その後、中央大学でも学んだ。従軍し陸軍主計少尉で除隊した。 1947年(昭和22年)余部村長に初当選。兵庫県立豊岡高等学校教諭を務め兵庫県高等学校教職員組合但馬支部書記長に在任。1950年(昭和25年)兵庫県議会議員に初当選し、以後3期務める。兵庫県議会日本社会党議員団幹事長、兵庫県日本社会党県本部副委員長などを歴任した。 1967年(昭和42年)第31回衆議院議員総選挙で旧兵庫5区に日本社会党公認で立候補し初当選。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月2… 趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月28日 - 1965年9月19日)は、大韓民国の政治家。第4・5代韓国国会議員。 日本統治時代の慶尚南道東萊郡(現・釜山広域市東萊区一帯)出身。中央大学法科中退あるいは卒業。 日本留学中に三星党組織事件により7回も検挙され、拷問を受けた。光復後は亡くなった李奉昌、尹奉吉、白貞基の遺骨を本国に奉安する使命で帰国し、申翼熙と会った後に民主国民党の発起人を務めた。同党中央執行委員および慶尚南道党企画部長・組織部長・青年指導部長を経て、民主党発起人・中央委員・釜山西区党委員長・政策委員、国会国防委員を務めた。 1965年1月に民主党院外政策委員に選出されたが、同年9月19日に持病により自宅で死去した。
佐波 正一(さば しょういち、1919年〈大正8年〉2月28… 佐波 正一(さば しょういち、1919年〈大正8年〉2月28日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は日本の実業家、元東芝社長・会長、国際基督教大学理事長。東京都出身。 曽祖父は佐倉藩士で蘭学者の佐波銀次郎(1825 - 1891)。手塚律蔵に学び、藩命で樺太探検、幕府蕃書調所教授手伝、神奈川奉行で外交文書の翻訳などに当たった。祖父の佐波一郎は、銀次郎の甥で養嫡子。一郎は横須賀造船所黌舎で学んだのち、フランス留学を経て海軍技師として軍艦設計に携わり、海軍兵学校の教官も務めた。一郎の実姉の淑は依田学海に嫁ぎ、次女は、一郎の学友で『八十日間世界一周』の訳者として知られる横浜正金銀行員の川島忠之助と結婚するも、のちに離婚する。
森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 -… 森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 - 2010年(平成22年)8月18日)は、日本の俳人。長崎県出身。本名、森澄夫。加藤楸邨に師事、「杉」を創刊・主宰。 「寒雷」に投句、のちに編集長を務める。日常の哀歓を材とし、古典回帰を重んじた格調高い句を詠んだ。句集に『雪櫟』(1954年)、『花眼』(1969年)、『四遠』(1986年)、『深泉』(2008年)などがある。 兵庫県旭陽村(現・姫路市網干区)に生まれ、5歳より長崎県長崎市で育つ。父・貞雄、母・まゑの長男。父は歯科医で冬比古の俳号を持つ俳人であった。長崎市立朝日尋常小学校、長崎県立瓊浦中学校、長崎高等商業学校(現長崎大経済学部)卒業。
瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 200… 瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 2008年12月16日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員。元参議院副議長。正三位勲一等旭日大綬章。 東京府に生まれ、1931年、中央大学法学部卒業後、鉄道省に就職。戦後国鉄労働組合(国労)の結成に参加し反共連盟→民主化同盟で活動、埼玉県国営企業体等労働組合協議会議長を歴任した。 大沢雄一の辞職(第29回衆議院議員総選挙出馬)に伴う1960年11月の参議院議員補欠選挙(第29回衆議院議員総選挙と同日)に埼玉県地方区(1983年の参院選より埼玉県選挙区)から社会党公認で出馬し落選するも、1962年7月参院選に同区より再び社会党公認で出馬し当選、以後連続6期務める。
佐藤 正之(さとう まさゆき、1918年2月28日 - 19… 佐藤 正之(さとう まさゆき、1918年2月28日 - 1996年12月16日)は、日本の演劇・映画プロデューサー。妻は女優の菅井きん。北海道小樽市生まれ。 明治学院大学卒業。1942年、満州映画協会脚本部に入社後、現地で応召。シベリア抑留後の1948年に帰国。 1948年俳優座に入団、主に舞台や映画の企画、製作に携わる。映画部長となり、仲代達矢を育てる。1968年俳優座映画放送設立とともに社長に就任。俳優座映画放送は1985年、俳優座から独立し「仕事」に社名を変更した。 1991年、日本映画テレビプロデューサー協会会長となる。 代表作に、佐分利信監督「広場の孤独」、森川時久監督「若者たち」、小林正樹監督「いのちぼうにふろう」、野村芳太郎監督「砂の器」、村野鐵太郎監督「月山」、五社英雄監督「鬼龍院花子の生涯」、「陽暉楼(企画)」、熊井啓監督「深い河」など。
小島 要治(こじま ようじ、1917年2月28日 - 199… 小島 要治(こじま ようじ、1917年2月28日 - 1991年10月23日)は、日本の経営者。カゴメ社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1935年、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業し、同年に愛知トマト製造(現在のカゴメ)に入社した。1949年に取締役に就任し、1962年に常務、1969年に副社長を歴任し、1979年から1982年までに社長を務めた。 1991年10月23日、心不全のために死去。74歳没。
中馬 兼四(ちゅうま けんし/ちゅうまん けんし、1917年… 中馬 兼四(ちゅうま けんし/ちゅうまん けんし、1917年(大正6年)2月28日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。位階は正六位。 鹿児島県薩摩郡上東郷村大字鳥丸(現在の薩摩川内市東郷町鳥丸)出身。父の姓は知敷。中馬は鹿児島県立川内中学校(現在の鹿児島県立川内高等学校)を卒業後、海軍兵学校へ進み、海兵66期として卒業した。海兵66期は、219名の同期生のうち143名が戦死し、戦死率は65.2%である。中馬と同様に特殊潜航艇(以下「特潜」 )艇長としてシドニー湾攻撃で戦死した松尾敬宇、同日にマダガスカル攻撃で戦死した秋枝三郎は同期生であった。
亀山 信郎(かめやま のぶろう、1917年2月28日 - 2… 亀山 信郎(かめやま のぶろう、1917年2月28日 - 2000年11月17日)は、日本の運輸官僚。 静岡県出身。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に逓信省に入省。1965年6月に運輸省海運局長に就任し、1967年3月から1968年6月までに海上保安庁長官を務めた。1974年に船舶整備公団理事長を経て、1984年12月から1985年12月までに運輸審議会会長を歴任した。 1987年11月に勲二等旭日重光章を受章した。 2000年11月17日、急性肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
海老原 直(えびはら すなお、1917年(大正6年)2月28… 海老原 直(えびはら すなお、1917年(大正6年)2月28日 - 1981年(昭和56年)5月29日)は、昭和時代の日本の作曲家。 宮崎県の生まれ。東京音楽学校卒業後、豊島師範(後の東京第二師範学校、現在の東京学芸大学学芸学部)を経て宮崎師範(現在の宮崎大学学芸学部)に移動後、学校で生徒に音楽を教える。小中学校の校歌を200曲以上作曲し、独唱曲を20曲以上作曲し、音楽の指導者として生涯を捧げた。また合唱の指導にも携わり、1950年(昭和25年)には故郷の宮崎県合唱連盟の理事長に就任した。 代表的な作品として『日向民謡による合唱曲集』などがある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
石井 正巳(いしい まさみ、1917年2月28日 - 199… 石井 正巳(いしい まさみ、1917年2月28日 - 1997年9月12日)は日本の実業家。元三井物産会長。クリスチャン。マレーシアタンスリ受章、スペインイサベル女王勲章上級エンコミエンダ章受章。 兵庫県出身。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。中尉、大尉として中支、サイゴン等で従軍。サイゴンで八尋俊邦(のちに三井物産社長・会長)との交友を得る。1946年5月に日本に帰国。 三井物産副社長等を経て、1982年三井物産副会長、経済同友会幹事、1984年三井物産会長、三越顧問。1985年三井業際問題研究所運営委員長。 マレーシア経済協議会会長を務め、1994年には日本・マレーシアの友好関係、経済の相互発展に功績があったとして、民間人に授与される最高勲章「タンスリ」をジャファール・アブドル・ラーマン国王から授与された。
根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日… 根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日本の実業家。東邦チタニウム社長、日鉱エンジニアリング社長。 埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制浦和高校を経て、1940年、東京帝国大学工学部卒業。 大学卒業後、日本鉱業に入社。金属事業本部金属加工部長、倉見工場長を経て、1968年、理事金属加工事業本部管理室長、1969年に取締役、1973年、常務、1976年、専務、1979年、日鉱エンジニアリング社長となる。日鉱エンジニアリング退社後、東邦チタニウム社長となる。 チタニウム協会副理事長、日本伸銅協会理事も歴任した。
伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日… 伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日 - 2000年(平成12年)12月11日)は日本の実業家。元三菱地所社長。 神田生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。大学の同期に水上達三(のちに三井物産社長)がいる。1953年三菱地所に転籍し、主に営業畑を歩む。 副社長等を経て、1980年社長就任。従来のオフィスビル事業、住宅事業に加え、新たに大型商業施設事業に参入。また三菱重工業横浜造船所跡地を取得し、横浜みなとみらい21の開発を行った。1987年取締役相談役。 2000年12月11日、神奈川県鎌倉市の病院で死去、享年84。
小島 信夫(こじま のぶお、1915年〈大正4年〉2月28日… 小島 信夫(こじま のぶお、1915年〈大正4年〉2月28日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の小説家。中国から復員後、教師を経て『小銃』で文壇に登場。「第三の新人」の一人と目されるも、抽象表現を帯びた前衛的手法の作品に独自の道を拓いた。評伝や文学論でも活躍。日本芸術院会員。文化功労者。位階は正四位。 岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市加納安良町)出身。旧制岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部英文科卒業。卒業論文は『ユーモリストとしてのサッカレイ』。 1942年より中国東北部で従軍、敗戦でポツダム上等兵(伍長)。1946年復員し、1948年4月から千葉県立佐原女子高等学校で教え、1949年度より東京都立小石川高等学校に移る。
荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年… 荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年9月2日)は、日本の画家、絵本作家。 愛知県北設楽郡稲武町(現・豊田市)に生まれる。ほどなくして岡崎市に移り住む。旧制岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。東京美術学校油画科入学。在学中に南薫造、猪熊弦一郎から指導を受ける。1937年、第2回新制作派協会展に初入選、以後出品を重ねる(1947年に会員となる)。1939年、東京美術学校油画科を卒業する。 1939年、東京美術学校を卒業。第4回新制作派協会展に出品し、新作家賞を受賞。1941年、第6回新制作派協会展で新作家賞受賞。1951年、第2回選抜秀作美術展。以後同展の他、日本国際美術展、現代日本美術展などにも出品した。
村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 19… 村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 1995年11月)は、日本の女優である。本名は村田 美代子(むらた みよこ)。兵庫県神戸市出身。元夫は俳優の見明凡太朗。姉の嘉寿代は「村田扶実子」の芸名で、芸術座や大映で活躍した女優。 旧芸名→村田智栄子→村田千栄子→村田千英子→村田知栄子→村田知英子。特技は三味線。 兵庫県御影師範学校附属小学校(現:神戸大学附属住吉小学校)、および松蔭高等女学校(現:松蔭中学校・高等学校)卒業。 1933年に日活太秦に入社。伊奈精一監督の現代劇映画『大東京曇後晴れ』にデビューする。明朗な娘役として売り出し、『夢に見る母』、『嫁ぐ日』などの作品に主演。1936年日活多摩川撮影所に移り、『人生劇場』で小杉勇と共演し、『恋は雨に濡れて』では岡譲二、時代劇『裸の町』では島耕二の相手役を務めた。
大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 19… 大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 1978年4月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門はシェイクスピア作品の研究。旧姓は吉成(よしなり)。 徳島県徳島市生まれで、1935年3月に津田塾専門学校本科を卒業した後、1942年9月に東京文理科大学(英語英文学専攻)を卒業し、同年10月に同大学院文学研究科に入学、1944年9月に同大学院を退学した後、同年10月に同大学副手となり、戦後は1946年4月から翌年3月まで津田塾専門学校教授を務め、1947年4月に東京第一師範学校に就職、文部教官となり世田谷分校で勤務し、1949年4月に東京学芸大学助教授となり、1962年3月に退職。この間、1950年10月に米国オハイオ州立大学大学院に留学、翌年に卒業しマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得した。
金 鍾漢(キム・ジョンハン、김종한、日本名:月田 茂(つきた… 金 鍾漢(キム・ジョンハン、김종한、日本名:月田 茂(つきた しげる)、1914年2月28日 - 1944年9月27日)は、日本統治時代の朝鮮の詩人。号は、高句麗の宰相であった乙巴素(ウルファソ)(朝鮮語版)から名をとって、乙巴素(을파소)としていた。 咸鏡北道明川郡西面に生まれた。生家は農家であったが、6歳の時に医師であった伯父の養子となり、清津府へ移り、さらに養父とともに雄基郡に移って、鏡城中学校、次いでに鏡城高等普通学校(朝鮮語版)に学んだ。鏡城高普の在学中の1933年ころから、「乙巴素」名義で雑誌や新聞のコンテストなどに自作の詩を書き送るようになり、その後一時期は満州などを放浪したとされる。
藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 200… 藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 2002年6月9日)は、日本の経済学者。経済学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「最低賃金制度の研究」)。元日本女子大学文学部教授。 京都府舞鶴市生まれ。1935年東京帝国大学経済学部卒、1962年「最低賃金制度の研究」で、東京大学より経済学博士の学位を取得。 全国米穀販売購買組合連合会、日本労働科学研究所、日本女子大学文学部教授、労働科学研究所客員所員。1972年社会政策学会代表幹事。
山本 太郎(やまもと たろう、1911年2月28日 - 没年… 山本 太郎(やまもと たろう、1911年2月28日 - 没年不詳)は、日本のラグビー選手。主なポジションはプロップ(PR)およびフッカー(HO)。旧姓は佐々倉(ささくら)。 1930年福岡県中学修猷館を卒業。慶應義塾大学へ進学し、ラグビー部に入部。 慶應義塾大学在学中にラグビー日本代表に選出され、1934年2月11日明治神宮外苑競技場で開催された、豪州学生選抜第1回来日第5戦、および1934年2月18日花園ラグビー場で開催された、豪州学生選抜第1回来日第7戦に出場した。キャップ2。 1945年9月中旬、山本は九州大学工学部のグラウンドで行われた修猷館中学対福岡中学のOB戦に出場した。この試合が九州ラグビー界戦後の幕開けとなっており、試合後に川津尚彦、松隈保、安武一道、速見伝吉らと共に、九州ラグビーフットボール協会設立を決議した。
高橋 良(たかはし りょう、1911年2月28日 - 201… 高橋 良(たかはし りょう、1911年2月28日 - 2013年10月)は、日本の耳鼻科医。 神奈川県横浜市出身。1934年東京慈恵会医科大学卒、1940年「聴器結核の研究」で医学博士。慈恵医科大学耳鼻咽喉科勤務、助手、1938年講師、1945年助教授、1959年教授となる。1976年退職し名誉教授。1977年港区赤坂に鼻の相談室クリニック開設。1981年勲三等旭日中綬章受勲。
税所 篤満(さいしょ あつみつ、1911年2月28日 - 1… 税所 篤満(さいしょ あつみつ、1911年2月28日 - 1966年6月22日)は、日本の華族、実業家。子爵、トヨタ自動車(元・トヨタ自動車販売)役員、監査役、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)総務部長、東京トヨペット株式会社常務取締役。薩南三傑の一人である税所篤の曾孫であり、税所家第4代当主。 1911年(明治44年)、税所篤秀(貴族院議員)の長男として生まれる。曾祖父は西郷隆盛、大久保利通と共に薩南三傑と呼ばれた薩摩藩士の税所篤。 1936年(昭和11年)、立教大学経済学部経済学科を卒業。大学卒業後、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に勤務し、総務部長を務める。 1958年(昭和33年)、トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)役員に就任し、監査役を務めた。
栗谷川 健一(くりやがわ けんいち、1911年2月28日 -… 栗谷川 健一(くりやがわ けんいち、1911年2月28日 - 1999年8月12日)は、北海道岩見沢市出身の画家・グラフィックデザイナー。 観光ポスターを中心に北海道の自然・酪農・アイヌ文化をモチーフとしたイラストを数多く描き、さっぽろ雪まつりや札幌オリンピックなどのイベントにも携わり「北海道デザイン界の父」とも評される。生涯を通じ北海道を拠点に活動、独自の趣きを持ったポスター類は北海道観光の起爆剤の一翼を担い、企業のカレンダーやパッケージ、デザイン学校の経営にも携わり幅広く活躍した。 1911年に岩見沢の開拓農家、林忠太郎・たまき夫妻の第7子3男として生まれたが、生後数日で母の妹きくよと製材所職員の栗谷川衛の夫妻の養子となる。
大庭 秀雄(おおば ひでお、1910年2月28日 - 199… 大庭 秀雄(おおば ひでお、1910年2月28日 - 1997年3月10日)は、東京市赤坂区青山(現・東京都港区青山)出身の映画監督である。妻は女優の森川まさみ。 1934年に慶應義塾大学国文科を卒業後、松竹蒲田撮影所に入社。清水組で佐々木康監督の助監督を経て、1939年に『良人の価値』で監督デビュー。1936年に開所した松竹大船撮影所で「大船調」と呼ばれるメロドラマやホームドラマを製作した。 菊田一夫原作のラジオドラマを映画化した『君の名は』三部作(1953年 - 1954年、主演・岸恵子)は空前の大ヒットとなった。そのためもっぱら通俗メロドラマの名監督として語られるが、地味なホームドラマにむしろ佳作が多い。
松丸 貞一(まつまる ていいち、1909年2月28日 - 1… 松丸 貞一(まつまる ていいち、1909年2月28日 - 1997年1月6日)は、東京都文京区本郷出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはハーフバック(現在のミッドフィールダー)、フォワード。 東京府立第五中学校(現在の東京都立小石川中等教育学校)3年生時の1924年に同校で蹴球部が創設されたことを機にサッカーを始める。慶應義塾大学に進み、1932年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業した。ソッカー部では1931年より主将を務め、1932年に関東大学リーグと東西大学1位対抗に初優勝した。 天皇杯は1933年4月に慶應BRBの選手として第12回大会で優勝、同年10月には東京OBクラブの選手として第13回大会で優勝、1936年には再び慶應BRBの選手として第16回大会で優勝した。
村上 浩三(むらかみ こうぞう、1909年2月28日 - 没… 村上 浩三(むらかみ こうぞう、1909年2月28日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(京都大学)。大阪工業大学機械工学科同窓会第2代会長。 専門は、機械動力学(特に歯付ベルト・振動ドリル・ワインダー)、精密工学・繊維機械。 京都帝国大学工学部機械工学科卒業。のちに、工学博士(京都大学)。1951年大阪工業大学工学部機械工学科教授、機械工学教室を担当。同大学機械工学科研究室で多数の研究室生を輩出し、その研究室卒業生により「かつら会」が1969年に結成される(2019年同会発足50周年を迎えた)。その後、1973年大阪工業大学名誉教授。 20年以上の長きに渡り大阪工業大学機械工学科にて教鞭を執り、大学初期の機械動力学・精密工学・繊維機械の研究の発展・育成に貢献した。
村田 潔(むらた きよし、1909年2月28日 - 1973… 村田 潔(むらた きよし、1909年2月28日 - 1973年11月3日)は、西洋美術史学者。東北大学名誉教授。専門は古代ギリシア美術、フランス印象派。 長野県松本市出身。東北帝国大学文学部美学美術史学科で児島喜久雄に学び、1932年卒業後、東北帝大文学部助手。イギリスなどヨーロッパに学び、帰国後1937年講師、1939年助教授、1947年東北帝国大学教授、東北大学文学部教授、1950年「印象派美術論」で東北大学文学博士。1972年定年退官、名誉教授、武蔵野美術大学教授。
山川 惣治(やまかわ そうじ、1908年2月28日 - 19… 山川 惣治(やまかわ そうじ、1908年2月28日 - 1992年12月17日)は、主に昭和20年代(1945年から1954年)から昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。 福島県郡山市生まれ。戦前より紙芝居作家として、戦後は絵物語作家として多くの作品を発表した。 昭和6年より紙芝居作成を始め、昭和7年より書いた『少年タイガー』が爆発的にヒットし、当時、紙芝居界の絶対的トップ作品であった『黄金バット』を抜いたとされる。少年タイガーには敵役としてブラック・サタンなる怪人物が登場するが、大きな翼と全身黒ずくめのマスク姿といういでたちがバットマンに酷似していると指摘される事がある。
北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 19… 北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 1973年9月29日)は、日本の小説家。 神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく旧制新潟高等学校理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。 都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。
折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月2… 折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者、歌人。折口信夫の門弟、養嗣子。國學院大學教授。最終階級は陸軍中尉。 1907年(明治40年)2月28日、石川県羽咋郡一ノ宮村一ノ宮寺家千五十七番地(現・羽咋市)に藤井升義の四男として生まれる。 1913年(大正2年)4月、一ノ宮小学校に入学。1919年(大正8年)4月、金沢市少将町高等小学校に転じる。長兄・次兄と共に、同村の老婦をつけて、早くから遊学させられた。1920年(大正9年)4月、石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)入学。 1925年(大正14年)4月、國學院大學予科入学。
樋口 澄雄(ひぐち すみお、1907年2月28日 - 198… 樋口 澄雄(ひぐち すみお、1907年2月28日 - 1985年10月12日)は、日本の初等教育者。 長野県小県郡中塩田村(現上田市)出身。旧制上田中学を経て、1926年東京府青山師範学校卒業、1930年同専攻科修了。東京都の小学校教諭をへて、港区桜田小学校校長、同区西桜小学校校長。日本幼児教育研究会会長を務めた。
山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 19… 山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 1961年5月17日)は、日本の官僚。