岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、… 飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、日本の物理学者および化学者。埼玉県越谷市出身。文化功労者、恩賜賞・日本学士院賞受賞者、文化勲章受章者。日本学士院会員。名古屋大学高等研究院アカデミー会員、名古屋大学特別招聘教授。名城大学終身教授。NEC特別主席研究員。 カーボンナノチューブの発見(1991年)と電子顕微鏡による構造決定の功績で、世界的に有名になった。金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見(1984年)。ノーベル化学賞・物理学賞の有力候補とも見られている。 名城大学終身教授、NEC特別主席研究員をはじめ多数の職を現職で兼任する。 ナノ科学、物性物理、材料科学、電子顕微鏡学、結晶学
上田 惇生(うえだ あつお、1938年11月9日 - 201… 上田 惇生(うえだ あつお、1938年11月9日 - 2019年1月10日)は、日本の経営学者。ものつくり大学名誉教授、立命館大学客員教授、ドラッカー学会代表。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1964年慶應義塾大学経済学部卒。経団連会長秘書、国際経済部次長、広報部長、ものつくり大学教授(マネジメント、社会論)を経て、同大学名誉教授。立命館大学客員教授。ピーター・ドラッカー自身からもっとも親しい友人、日本での分身とされてきた。ドラッカー学会代表のほかに、渋沢栄一賞選考委員、埼玉ちゃれんじ企業経営者選考委員会代表も務める。ドラッカー経営思想の普及によりベスト・リスクマネジャー・オブ・ザ・イヤー2001(リスクマネジメント協会)受賞。
田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -201… 田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -2011年9月11日 )は、日本の生物学者。 埼玉県出身、埼玉県立春日部高校卒。1959年北里衛生科学専門学院卒業、1965年ペンシルベニア大学教養学部微生物学科卒業。北里大学衛生学部微生物学教室助手を経て、1977年に同大学衛生学部教授となった。アメリカ合衆国のウイスター研究所、フランスのパスツール研究所、ドイツのロベルト・コッホ研究所などへ留学し、1979年同大学院教授を併任。2003年より同名誉教授、微生物管理機構理事長となった。H2J株式会社取締役、特定非営利活動法人燃料電池・水素エネルギーネットワークの顧問などを勤める。 シロアリから分離させた水素生成菌やパンダの糞から分離した廃棄物処理菌など、地球環境へ配慮した微生物の有効利用研究の第一人者として知られ、2009年10月1日、同研究でイグノーベル賞・生物学賞を受賞した。
薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日… 薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日 - 2024年〈令和6年〉12月31日)は、日本の神職、宗教学者。秩父神社元宮司。京都大学名誉教授。 宗教学や民俗学の視点を入れた神道研究、日本宗教史研究を行う。2002年5月、京都・賀茂御祖(下鴨)神社糺森研修道場において、上田正昭らとともにNPO法人社叢学会を設立した。 埼玉県秩父市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1960年に東京大学文学部宗教学科を卒業、1965年に同大学院博士課程満期退学。1972年に國學院大學文学部講師、1974年に同助教授、1981年に同教授、1991年に京都大学教養部教授、のち京都大学総合人間学部教授、2003年に國學院大學神道文化学部特任教授、皇學館大学大学院特任教授を歴任。
金子 務(かねこ つとむ、1933年11月30日 - 202… 金子 務(かねこ つとむ、1933年11月30日 - 2020年12月16日)は、日本の科学史家、大阪府立大学名誉教授。 埼玉県川越市生まれ。1957年東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学卒。読売新聞社記者、中央公論社編集者、『自然』編集部次長。1981年『アインシュタイン・ショック』でサントリー学芸賞受賞。1985年大阪府立大学人間文化学研究科教授。1997年定年退官、名誉教授、図書館情報大学教授、1999年帝京平成大学教授。2007年退職。国際日本文化研究センター共同研究員、形の文化会会長、(財)日本科学協会理事。 2020年12月16日、死去。87歳没。
佐々木 雄司(ささき ゆうじ、1932年1月2日(昭和7年)… 佐々木 雄司(ささき ゆうじ、1932年1月2日(昭和7年) - )は、日本の精神医学者。 埼玉県川越市生まれ。1957年東京大学医学部卒。58年東大精神科に入局。1963年「我国における巫者(shaman)の精神医学的研究 "神憑り"の成立と展開」で医学博士。1966年東京都立精神衛生センター分室長、1971年埼玉県精神衛生センター所長。1977年琉球大学精神衛生学教授、1981年東京都立精神衛生センター所長。1985年東京大学医学部精神衛生学教授。1992年獨協大学経済学部教授兼保健センター診療所長。
高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )… 高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )は、英文学者、電気技術者、童話作家、大正大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。旧制川口中学校(現・埼玉県立川口高等学校)に入学後、15歳で就職し、31歳まで民間の工場や会社に電気技術者として勤務。その間、夜間課程の川口市立県陽高等学校卒、芝浦工業大学2部電気工学科卒業。1964-82年東京都立港工業高等学校定時制に電子科教諭として勤務。本務の傍ら、法政大学で英文学、中央大学でドイツ文学と法律学の学科を卒業し、東京大学医学部の研究生として6年間医用工学の研究に従事。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位修得退学。1982年大正大学に勤務。
小林 駿介(こばやし しゅんすけ、1932年 - ) は、日… 小林 駿介(こばやし しゅんすけ、1932年 - ) は、日本の電子工学者。東京農工大学名誉教授。山口東京理科大学名誉教授。元国際液晶学会副会長。元日本液晶学会会長。内田龍男と高性能液晶ディスプレイの研究開発を行い、日本学士院賞受賞。 埼玉県入間市出身。1951年埼玉県立豊岡実業高等学校(現埼玉県立豊岡高等学校)卒業。木下博元入間市長は同級生。1955年東京理科大学理学部物理学科卒業、東京理科大学助手。1964年東京大学大学院数物系研究科電子工学専攻博士課程修了、理化学研究所入所。1973年東京農工大学工学部電子情報工学科助教授。1978年同教授。1995年国際液晶学会副会長。1996年東京農工大学名誉教授、山口東京理科大学大学院基礎工学研究科教授、同大初代液晶研究所所長。
宮崎 直男(みやざき のぶお、1931年12月27日 - )… 宮崎 直男(みやざき のぶお、1931年12月27日 - )は、日本の教育学者・文部官僚。専門は特殊教育。 埼玉県加須市出身。1953年埼玉大学教育学部卒、文部省に入る。1972年文部省初等中等教育局特殊教育課教育調査官。1981年国立特殊教育総合研究所精神薄弱教育研究部長。特別支援教育の実技研究所所長/独立行政法人国立特別支援教育総合研究所名誉所員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮川 公男(みやかわ ただお、1931年11月16日 - )… 宮川 公男(みやかわ ただお、1931年11月16日 - )は、日本の経営学者。学位は、商学博士(一橋大学・論文博士・1963年)。一橋大学名誉教授、麗澤大学名誉教授。埼玉県行田市生まれ。 受験勉強を熱心にしておらず旧制浦和高等学校に進学する気にならなかったため、経済学専攻志望で慶應義塾大学予科、早稲田大学高等学院などを受験して合格し、戦時中に軍国主義教育に走らなかったなどとの評判から当時高倍率となっていた東京商科大学(現一橋大学)予科に進学した。在学中学制改革があり、改名された新制一橋大学の前期課程では石田龍次郎ゼミで人文地理学を専攻した。今井賢一(一橋大学名誉教授)は予科時代からの友人。 後期課程ではマルクス経済学者の杉本栄一ゼミに所属し、杉本のもう一つの専門であった計量経済学を継いだ。
須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 19… 須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 1995年9月4日)は、日本の医師、医学者。 埼玉県川越市出身。東京医科歯科大学卒。1979年より佐賀医科大学内科学教授に就任し、同医大付属病院総合診療部長、救急部長などを歴任した。 専門は、高脂血症、高血圧、高齢者の慢性期疾患であり、メタボリックシンドロームの臨床及び基礎的研究を行ったが、大学内で原稿を執筆中に心筋梗塞で倒れ、現職のまま死亡した。死後、従四位勲三等旭日中綬章が贈られている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
川野辺 敏(かわのべ さとし、1930年 - )は、日本の教… 川野辺 敏(かわのべ さとし、1930年 - )は、日本の教育学者、星槎大学特任教授。ソ連の教育政策について研究した。 埼玉県熊谷出身。埼玉県立熊谷高等学校をへて、1953年東京外国語大学ロシア語科卒。 文部省で外国教育調査(ソビエト担当)を担当した後に、国立教育政策研究所勤務、指導普及部長、生涯学習研究部長を経て、常葉学園大学教授。星槎大学副学長、特任教授。元日本比較教育学会会長。 日本学習社会学会創設にも関わり、初代会長を務め、同学会理事として活動中。
村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )… 村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )は、日本の古典中国文学者、早稲田大学名誉教授。日本詩経学会会長・日本中国学会顧問・斯文会参与。専門は中国古典学(特に詩経学)漢文学、江戸・明治漢学。
原 昭二(はら しょうじ、昭和2年(1927年)1月 5日 … 原 昭二(はら しょうじ、昭和2年(1927年)1月 5日 - 令和5年(2023年)6月 8日)は薬学者。東京薬科大学名誉教授。世界に先駆けて、光学異性体(対掌体)を高速液体クロマトグラフィー (HPLC)で分割することに成功し、核磁気共鳴(NMR)によって、鏡像体過剰率(混合比率)の高精度な計測法を確立した。さらに二酸化炭素の超臨界流体を用いて、秒単位の光学分割技術を開発したことで知られる。 原 昭二は、昭和25年(1950年)、東京大学医学部薬学科を卒業し、東京大学大学院に進んで、薬化学を専攻した。初期の研究は、分析化学、合成化学の基礎を研鑽することに始まり、業績として液体クロマトグラフィーの技術革新、天然有機化合物の構造研究、合成研究(猛毒成分として知られるアコニット・アルカロイドの構造決定、サラマンダーアルカロイド の全合成 など)、広領域にわたって先導的な成果を得た。
新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019… 新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019年1月6日)は、日本の法学者・弁護士。英米法学者。中央大学名誉教授。埼玉県熊谷市出身。 1949年司法試験合格。1950年、中央大学法学部卒業。1950年同大学院法学部助手(指導教授:守屋善輝)。この後、司法修習修了。1955年、同法学部助教授。1962年、中央大学法学部教授。1963年イギリス・ロンドン大学、アメリカ・ミシガン大学ロースクールに研究留学(~1965年)。1967年中央大学通信教育学部部長、1975年同日本比較法研究所長、1985年中央大学附属中学校・高等学校校長を歴任。1996年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。
倉林 正次(くらばやし しょうじ、1925年9月27日 - … 倉林 正次(くらばやし しょうじ、1925年9月27日 - 2024年11月6日)は、日本の日本史学者・民俗学者。 専門は日本の儀礼文化全般・宮中祭祀・埼玉県内における民俗学を研究。文学博士(國學院大學)。日本における祭祀研究の第一人者。 埼玉県秩父郡皆野町出身。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1950年國學院大學文学部日本文学科卒業、埼玉県神社庁職員、神社本庁職員を経て、1963年同大学院文学研究科日本文化専攻博士課程単位取得満期退学、同文学部専任講師、1970年に論題「饗宴の研究:文学編」で國學院大學にて文学博士号を取得した。同文学部助教授、同文学部教授。1968年西ドイツ・ボン大学客員教授(~1970年)。
野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 200… 野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 2009年4月21日)は、日本の西洋史学者。専門は西洋中世社会経済史。早稲田大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。1951年早稲田大学文学部西洋史学科卒業。1954年早稲田大学大学院文学研究科史学修士課程修了。ドイツなどヨーロッパ中世社会経済史が専門。1988年、「ドイツ中世農村史の研究」により文学博士の学位を授与。 早大文学部専任講師、助教授をへて、教授。早稲田大学史学会会長、日本歴史学協会監事、社会経済史学会理事・顧問等を歴任。1995年定年、同大学名誉教授となる。2002年、勲三等瑞宝章を受章。
鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2… 鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2月4日)は、日本の経済地理学者、トルコ研究者、法政大学名誉教授、特定非営利活動法人難民支援協会初代代表理事。 1924年3月、当時の東京市本郷区(現在の文京区の一部)に生まれ、後に埼玉県北足立郡浦和町(浦和市を経て、現在のさいたま市)へ移り、浦和町立浦和尋常高等小学校分校(現在のさいたま市立常盤小学校)、埼玉県女子師範学校付属小学校に学び、1936年に埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、1942年に浦和高等学校 (旧制)(理科乙類)に入学した。浦和高等学校では気管支喘息の悪化のため留年を余儀なくされ、また、学徒勤労動員で理化学研究所の圧延工場での労働も経験した。
三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、… 三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、天台宗の僧、仏教学者。 埼玉県生まれ。早稲田大学文学部卒。1981年「台密の研究」で早稲田大学より文学博士。早稲田大学文学部助教授、教授。91年定年、名誉教授。1980-91年早稲田大学仏教青年会会長。
木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年… 木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年2月17日)は、日本の政治史学者。 埼玉県春日部市生まれ。1944年早稲田大学文学部史学科卒業。学徒出陣で入隊、復員後は早稲田大学高等学院教諭をへて、68年早稲田大学社会科学部教授。75-83年社会科学研究所長。91年定年退任、名誉教授。
山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 20… 山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 2017年11月25日)は、日本の麻酔学者。東京大学名誉教授。旧姓は茂木。 埼玉県熊谷市出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制静岡高等学校、東京帝国大学医学部卒業。1948年医学博士。東京大学医学部助教授、1956年教授となる。1978年東京大学医学部長となる。1980年定年退官、名誉教授、東京専売病院長。1990年康済会病院理事長、1998年日本救急医療財団理事長。麻酔専門医制度の発足や日本麻酔学会の創設に参加し、1982年山村記念賞が設けられた。墓所は多磨霊園。
井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 20… 井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 2009年7月17日)は、日本の建築設備学者。日本建築学会名誉会員。早稲田大学名誉教授。 公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている。 埼玉県秩父郡秩父町(現・秩父市)生まれ。旧制熊谷中学校を経て1940年、旧制新潟高等学校を卒業したが、肺結核で一年療養を経て、東京帝国大学第一工学部船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。 戦後の1946年から大成建設株式会社に勤務を経て1953年より早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。
清水 大典(しみず だいすけ、1915年12月6日 - 19… 清水 大典(しみず だいすけ、1915年12月6日 - 1998年8月19日)は、日本の菌類学者である。「原色 冬虫夏草図鑑」(1994)を出版するなど、昆虫の成虫や蛹、幼虫に寄生する冬虫夏草などのノムシタケ属の研究で知られる。 埼玉県秩父市に生まれた。旧制秩父農林学校を卒業後、独学で植物学を学び、東京大学理学部小石川植物園などで働き、1940年には満州国大陸科学院植物研究室に奉職した。戦後は小石川植物園に復職した後、埼玉県下のシイタケ試験場、服部植物研究所などを経て、山形県米沢市立博物館で働き、米沢市営白布温泉熱帯植物園園長などを務めた。1968年、斎藤茂吉文化賞を受賞した。
幾瀬 マサ(いくせ マサ、1914年11月13日 - 201… 幾瀬 マサ(いくせ マサ、1914年11月13日 - 2011年2月22日)は、日本の植物学者。専門分野は花粉学、形態学。東邦大学名誉教授。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等女学校(現在の埼玉県立熊谷女子高等学校)を卒業後の1931年、帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)薬学科に入学した。1935年、卒業と同時に薬用植物学教室の助手に採用され、久内清孝の指導をうけた。 1940年、同校薬学科の講師、1944年に助教授となった。 1949年より花粉粒の研究に専念し、190科2300種の花粉粒を著書「日本植物の花粉」にまとめ刊行。本研究を主論文として、1957年に東京大学より薬学博士号を取得した。
高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年… 高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年5月)は、在野の歴史家、江戸時代研究家。 埼玉県川越市生まれ。1931年明治大学政治経済学部卒業。会社生活のかたわら、江戸時代史に関する研究と執筆を続ける。
鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月2… 鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月23日 - 2000年(平成12年)9月11日)は、日本の教育学者。北海道大学名誉教授、元市立名寄短期大学学長。位階は正四位。 埼玉県熊谷市出身。1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部卒業。同文学部助手。東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)助教授。同教授を経て、1948年北海道大学教育学部助教授、1950年同教育学部教授。1973年(昭和48年)北海道大学停年退官。同名誉教授。市立名寄短期大学学長に就任。1977年(昭和52年)市立名寄短期大学退官。札幌商科大学人文学部人間科学科招聘教授(~1983年(昭和58年))。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
奥貫 一男(おくぬき かずお、1907年(明治40年)1月2… 奥貫 一男(おくぬき かずお、1907年(明治40年)1月25日 - 1999年(平成11年)5月29日)は、日本の生化学者。大阪大学名誉教授。位階は正四位。 埼玉県に生まれる。旧制埼玉県立粕壁中学校、旧制山形高等学校を経て、東京帝国大学理学部に入学。1929年(昭和4年)に卒業後は徳川生物学研究所に入所し同所の研究員として活動した。その後は柴田桂太が主催した岩田植物生理学研究所に入り、後にわかもと製薬創業者の長尾欽弥が設立した長尾研究所に転勤する。 第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)には大阪大学の教授となり、同大学で教鞭を執る傍らでミトコンドリアの電子伝達系や生体の酸化還元反応等主に細胞呼吸の仕組みの研究に携わった。
三友 國五郎(みとも くにごろう、1904年 <明治37年>… 三友 國五郎(みとも くにごろう、1904年 <明治37年> - 1983年 <昭和58年> 3月1日)は、日本の地理学者、考古学者。吉野ヶ里遺跡の発見者。位階は正四位。 埼玉県大里郡久下村(現・熊谷市)に生まれる。 旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、1931年に京都帝国大学文学部史学科を卒業した。 卒業後は旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)の教諭となる。当地では北九州郷土史研究会に参加した。1934年に吉野ヶ里遺跡を学会に報告し、七田忠七とともに発見者となった。 1938年に日本統治下の朝鮮にあった旧制平壌第三中学校に転任、1940年に旧制平壌第一中学校に移る。
金澤 理康(かなざわ まさやす、1903年(明治36年)3月… 金澤 理康(かなざわ まさやす、1903年(明治36年)3月28日 - 1948年(昭和23年)1月17日)は、日本の法学者。早稲田大学教授。専門は日本法制史、西洋法制史、英国法。 1903年3月28日、埼玉県北葛飾郡吉田村(現・幸手町)において、金澤理三郎・あゑの長男として生まれる。吉田小学校尋常科、粕壁中学校、第一早稲田高等学院文科を経て、1926年3月に早稲田大学法学部英法科を卒業する。 1926年4月から早稲田大学法学部大学院に進学して法制史を専攻し、早稲田大学法学部の助手となる。論文『明治初期に於ける消費貸借法の変遷』により学会デビューを果たす。同年、文官高等試験司法科に合格する。 1931年5月から早稲田大学在学研究員として、ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク、フンボルト大学ベルリン、ロストック大学に留学し、西洋法制史を研究する。
齊藤 金作(さいとう きんさく、1903年2月6日 - 19… 齊藤 金作(さいとう きんさく、1903年2月6日 - 1969年11月25日)は、日本の刑法学者。従四位勲三等旭日中綬章。埼玉県出身。
金子 丑之助(かねこ うしのすけ、1903年(明治36年) … 金子 丑之助(かねこ うしのすけ、1903年(明治36年) - 1983年(昭和58年))は、日本の医学者、解剖学者。日本医科大学名誉教授、埼玉医科大学教授。解剖学の権威として知られた。1977年、勲三等瑞宝章受賞、松伏町初代名誉町民。 埼玉県北葛飾郡金杉村(現・松伏町)出身。埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)を大正10年に卒業した後、日本医科大学に入学。1928年 日本医科大学専門部卒業。東京帝国大学解剖学教室に入室。1929年から1931年日本歯科医専教授。1929年昭和医専教授。1930年日本医科大学講師、1936年助教授。1944年教授。1971年定年退職。その後1975年-1978年に埼玉医科大学の教授も務めた。
西角井 正慶(にしつのい まさよし、1900年(明治33年)… 西角井 正慶(にしつのい まさよし、1900年(明治33年)5月22日 - 1971年(昭和46年)1月22日)は、埼玉県生まれの国文学者、民俗学者。歌人としても著名で、見沼 冬男(みぬま ふゆお)のペンネームを持つ。折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人である。國學院大學教授。文学博士。 1900年、埼玉県北足立郡大宮町大字高鼻(現・さいたま市大宮区高鼻町)に生まれる。1918年、私立埼玉中学校(現・埼玉県立不動岡高等学校)卒業。1922年、國學院大學国文科を卒業。 卒業後、埼玉県立浦和高等女学校(現・埼玉県立浦和第一女子高等学校)教諭となる。1926年、國學院大學神職養成部講師。1928年、國學院大學講師となり、1935年同大学教授。
小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 19… 小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 1976年2月4日)は、日本の寄生虫学者。 埼玉県出身。旧制熊谷中学校、第一高等学校をへて、1925年東京帝国大学医学部卒、同衛生学教室助手。国崎定洞の影響を受けて社会医学を志す。1931年上海自然科学研究所に入所、寄生虫を研究。1932年「鐵筋コンクリート建病室に於ける換気に関する研究」で医学博士(東京帝国大学)。 戦後は、1949年群馬大学医学部教授、1952年目黒寄生虫館評議員、1966年国立予防衛生研究所長、1967年日本寄生虫学会名誉会員。1964年第8回野口英世記念医学賞を受賞。 戦前はマルクス主義者で、戦後も早くから中華人民共和国をたびたび訪れた。
武井 武(たけい たけし、1899年〈明治32年〉7月15日… 武井 武(たけい たけし、1899年〈明治32年〉7月15日 - 1992年〈平成4年〉3月12日)は、電気化学者。東京工業大学名誉教授、慶應義塾大学名誉教授。元電気化学協会会長。理学博士(東北帝国大学、1932年)。埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区)生まれ。 妻の万寿は大幸勇吉の娘。
浅見 義弘(あさみ よしひろ、1898年(明治31年)6月2… 浅見 義弘(あさみ よしひろ、1898年(明治31年)6月28日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、大正から昭和時代の電気工学者、通信技術者。 浅見竹三郎の三男として埼玉県深谷市に生まれる。1931年(昭和6年)分家する。旧制熊谷中学、旧制第一高校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省電気試験所研究員となる。1925年(大正14年)北海道帝国大学教授となり、12余年に渡り欧米各地に駐在し、帰国後の1936年(昭和11年)10月、工学博士となる。同年9月、北海道に行幸した昭和天皇に帯広市にて「高周波電気現象と其の応用」と題する進講を行った。第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)9月、同大学応用電気研究所長、のち1960年(昭和35年)同大工学部長を経て、1962年(昭和37年)退官し、成蹊大学主任教授、1969年(昭和44年)同大工学部長となる。
田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982… 田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982年9月20日)は、昭和の地理学、経済地理学者。神戸大学名誉教授。子爵。
長谷川 安兵衛(はせがわ やすべえ、1896年(明治29年)… 長谷川 安兵衛(はせがわ やすべえ、1896年(明治29年)7月20日-1942年(昭和17年)10月29日)は、日本の会計学者、早稲田大学商学部教授、商学博士、陸軍司政長官。 1896年7月20日、埼玉県北埼玉郡羽生町(現在の羽生市)に生まれる。埼玉県立不動岡中学校を経て、1915年4月、早稲田大学第四高等予科に入学する。1916年8月、早稲田大学大学部商科に進み、1919年7月に卒業する。卒業後、横浜の増田貿易株式会社に入社し、木材部を担当する。1921年4月、早稲田大学海外留学生に決定され、同年12月からペンシルベニア大学において、1923年からロンドン大学において、会計学を専攻する。同年8月に帰朝後、早稲田大学商学部の講師となる。
小澤 國平(おざわ くにへい、1893年1月17日 - 19… 小澤 國平(おざわ くにへい、1893年1月17日 - 1980年2月12日)は、日本の郷土史家、考古学者、教員。 埼玉県児玉郡長幡村(現上里町)の立石半五郎の三男として生まれる。1913年埼玉県師範学校師範学科第一部卒業。師範学校に訓導として勤務。1917年、文部省から「博物ノ内植物」の「師範学校、中等学校、高等女学校教員免許状」を授与され、1918年埼玉県立熊谷高等女学校教諭。1920年には「博物科ノ内動物及生理」の「師範学校、中学校、高等女学校教員免許状」を授与される 。1947年熊谷市立桜田中学校校長を経て、1949年熊谷市立女子高等学校校長となり、翌1950年熊谷市立公民館長。 高校の教員として教壇に立つ傍ら、鳥類の観測記録を日本鳥学会の機関誌に投稿を続けた一方で、埼玉郷土会などに活動の場を広げ、民俗・伝承や考古資料の調査・研究を行い、1939年には熊谷郷土会の例会で、熊谷地方の板碑について発表している 。
高柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年(明治20年)5… 高柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年(明治20年)5月11日 - 1967年(昭和42年)6月11日)は、日本の法学者。専門は英米法。位階は正三位。東京大学名誉教授。成蹊大学名誉教授。貴族院勅選議員。大正・昭和期の代表的英米法学者として知られる。弟子に末延三次、田中和夫、守屋善輝など。 埼玉県熊谷市に生まれる。正則英語学校、府立四中、一高を経て、1912年東京帝国大学法科大学卒業。 1913年東京帝国大学大学院(旧制)中退し、東京帝国大学法科大学助教授。1921年東京帝国大学法学部教授(後に附属図書館館長兼務)を歴任した。イギリス法研究が主流であった時代に、1915年~1920年ハーバード大学ロースクールなどに留学し、違憲立法審査権などアメリカ法研究に本格的に取組んだ。
安部 立郎(あんべ たつろう、1886年2月6日 - 192… 安部 立郎(あんべ たつろう、1886年2月6日 - 1924年2月29日)は、日本の図書館員、郷土史家。 埼玉県川越市生まれ。1903年埼玉県立川越中学校卒業、1909年早稲田大学政治経済学科卒業。学生時代は外交官志望であった。中学時代から図書館設立に努め、学生団体の学生同志会を創設すると、1906年に川越市内に同志会図書館を設立した。1913年には川越尋常高等小学校の図書館と合併し、私立川越図書館となり、同図書館の理事に就任した。1918年に町立川越図書館となると司書として勤務し、郷土資料の収集に努め、近世の地誌類を翻刻する川越叢書の刊行にあたった。資料の収集は文献のみならず、考古資料の調査研究にもあたり、考古学会や東京人類学会の会員となったほか、1919年には梅原末治の紹介により史学研究会に入会した。
宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1… 宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1967年9月14日)は、日本の工学者、政治家。 東北帝國大学教授、宮城県知事、東北工業大学学長などを歴任した。 1883年(明治16年)埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1908年(明治41年)東京帝國大学卒業。 仙台高等工業学校(現・東北大学工学部)教授となった後、1917年(大正6年)から翌年にかけてアメリカ合衆国に留学した。帰国後は東北帝國大学の工学部長などを務めて1945年(昭和20年)に退官、1946年から1950年までは宮城県仙台第一中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)の校長を務めた。1952年(昭和27年)から1956年(昭和31年)まで宮城県知事を一期務めた。
河野 省三(こうの せいぞう、1882年8月10日 - 19… 河野 省三(こうの せいぞう、1882年8月10日 - 1963年1月8日)は、日本の神道学者。國學院大學学長。埼玉県出身。号は紫雲。
林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年〈明治11年〉9… 林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年〈明治11年〉9月6日 - 1958年〈昭和33年〉5月7日)は、日本の刑法学者。検事総長・大審院院長・司法大臣を歴任した。旧姓・三輪。現在の埼玉県行田市出身。 三輪礼三の四男として生まれた。父は忍藩の御典医だったが、製粉業に失敗し、貧しい生活を強いられた。忍高等小学校在学中、父が病気となり、途中、北埼玉郡役所給仕となる。家計を助ける傍ら、出勤前早朝に恩師の自宅で英語を学ぶ努力家であり、16歳のときにその人物を見込まれ、政治家で北埼玉郡長林有章の養子となる。同年、林郡長の友人である高橋捨六弁護士の書生をしながら、東京法学院(中央大学の前身)に進学した。
渋沢 元治(澁澤 元治、しぶさわ もとじ、1876年(明治9… 渋沢 元治(澁澤 元治、しぶさわ もとじ、1876年(明治9年)10月25日 - 1975年(昭和50年)2月22日)は、日本の電気工学者。工学博士。東京大学教授、同大学名誉教授。名古屋帝国大学初代総長(1939年 - 1946年)。子爵・渋沢栄一の甥で孫婿にあたる。義父は男爵・穂積陳重。義兄に穂積重遠。 埼玉県榛沢郡血洗島村(のち大里郡八基村血洗島、現深谷市血洗島)の農家(旧名主の家系)に生まれた。渋沢市郎の長男で、母貞子の実兄が渋沢栄一である。高等小学校卒業後、進学を親に反対されるも進学を決意する。ただ、尋常中学は当時の埼玉にはなかったために上京、栄一の娘婿である大蔵省の阪谷芳郎邸で書生をしながら、一旦成立学舎に入学、12月に東京府尋常中学合格が決まり、同校2年次に編入学した。
竹越 與三郎(たけこし よさぶろう、慶応元年10月5日(18… 竹越 與三郎(たけこし よさぶろう、慶応元年10月5日(1865年11月22日) - 昭和25年(1950年)1月12日)は、日本の明治から戦前昭和にかけての歴史家・思想史家・殖民学者・政治家。衆議院議員・枢密顧問官・貴族院勅選議員・宮内省臨時帝室編修局御用掛、同編修官長などを歴任し、戦後に公職追放指定を受け、一切の職を辞任。位階は正三位、勲等は勲一等。号は三叉(さんさ)。 明治・大正・戦前昭和の3つの時代に渡り言論界をリード。日刊雑誌『世界之日本』主筆を皮切りに、「世界の日本乎、亞細亞の日本乎」 を以て自由帝国主義に根差した独自の文明史観で多くの著述を行った。またイギリスのホイッグ史観の代表的歴史家のトーマス・マコーリーに影響を受け「新日本史」と「二千五百年史」を著述した竹越は「日本のマコウレー」と言われた。
岸沢 惟安(きしざわ いあん、1865年9月12日(慶応元年… 岸沢 惟安(きしざわ いあん、1865年9月12日(慶応元年7月23日) - 1955年(昭和30年)3月26日)は、曹洞宗の僧、仏教学者。 武蔵国埼玉郡上池守(現・埼玉県行田市)の木元要吉の四男として生まれる。幼名は計之助。埼玉県師範学校卒業。開新小学校(現・熊谷市立成田星宮小学校)の訓導・校長を務めたあと、1897年西有穆山に就いて得度。丘宗潭にも師事、生涯を『正法眼蔵』の解明に尽くした。埼玉県の清法寺、兵庫県の永源寺、京都府の安泰寺、青森県の法光寺を歴住し、静岡県志太郡豊田村(現焼津市)に旭伝院を開創した。号に眠芳など。
佐野 友三郎(さの ともさぶろう、元治元年3月10日〈186… 佐野 友三郎(さの ともさぶろう、元治元年3月10日〈1864年4月15日〉 - 大正9年〈1920年〉5月13日)は、明治・大正期の教育者・図書館学者。息子に、戦前の日本共産党(第二次共産党)中央委員長を務めた佐野文夫、孫に慈善家の吉田千鶴がいる。GreenT株式会社代表の吉田愛一郎はひ孫にあたる。 上野国前橋藩士の子として武蔵国川越(現在の埼玉県川越市)に生まれる。明治15年(1882年)に群馬中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業後、明治18年(1885年)に東京大学(後の帝国大学)に入学する。だが、卒業直前に外国人教師との対立を理由に大学を中退、明治23年(1890年)に山形県の米沢中学校に教師として赴任し、翌年に地元の医師の娘と結婚した。
山川 義太郎(やまかわ ぎたろう、安政7年3月14日(186… 山川 義太郎(やまかわ ぎたろう、安政7年3月14日(1860年4月4日) - 昭和8年(1933年)1月27日)は日本の電気学者。 武蔵国高麗郡下赤工村(現・埼玉県飯能市下赤工)の山川辰蔵(埼玉県令)の長男。1875年、工部大学校(現・東京大学工学部)で電信学を学び卒業、工学士となる。1887年には工科大学校助教授に任ぜられ、1896年、官命で欧米諸国に留学し主に電気学を研究した。3年後の1899年に帰国すると東京帝国大学(現・東京大学)教授に昇進し、工学博士の学位を受けた。 1914年から1916年まで電気学会の会長をつとめ、電気学の権威として知られた。1919年に海外派遣を命じられ、再度欧米諸国を研究視察した。
田口 和美(たぐち かずよし、天保10年10月15日(183… 田口 和美(たぐち かずよし、天保10年10月15日(1839年11月20日) - 1904年(明治37年)2月3日)は、日本の医学者。字は士行、号は節堂。 武蔵国埼玉郡小野袋村(現在の埼玉県加須市)出身。医師の家に生まれ、江戸に出て佐藤一斎や塩谷宕陰のもとで漢学を学んだ。その後、林洞海のもとで蘭学を学んだ。1862年(文久2年)より下野国佐野で開業。1869年(明治2年)、大学東校に入り、ウィリアム・ウィリスらについて化学・解剖学・生理学を学んだ。東京医学校教授、東京大学医学部教授、東京帝国大学医科大学教授を歴任。1887年(明治20年)、ドイツに留学し、翌年に日本初の医学博士の学位を得た。墓所は染井霊園(1イ-1-12)。