佐良 直美(さがら なおみ、1945年1月10日 - )は、… 佐良 直美(さがら なおみ、1945年1月10日 - )は、日本の女性歌手・タレント・女優・作曲家。現在は主に実業家として活動する。 東京都出身、日本大学藝術学部卒業。日本芸術専門学校特別講師。 本名:山口直子、現在は戸籍名を芸名と同じく佐良直美に改名している。 明治時代の漢学者・川田甕江の玄孫で、住友財閥常務理事の川田順(甕江の三男)の従曾孫にあたる。遠縁に吉永小百合がいる。また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる。 雙葉高等学校在学時の16歳のとき、ジャズボーカリストの水島早苗に師事しジャズボーカルを学ぶ。1963年、日本大学藝術学部放送学科へ進学。 1967年に大学卒業後、NHK新人オーディションを受け、高成績で合格。
田中 未知(たなか みち、1945年〈昭和20年〉 - )は… 田中 未知(たなか みち、1945年〈昭和20年〉 - )は、日本の作曲家、楽器作家、映画監督、著作家。寺山修司を長年にわたり公私にわたって支えた人物、および1969年(昭和44年)のヒット曲『時には母のない子のように』の作曲家などとして知られる。東京都出身、東京都立千歳高等学校卒業。 昭和期の劇団「天井桟敷」の初期メンバーとして入団。初公演「青森県のせむし男」(1967年〈昭和42年〉)から劇団の一員として活動しており、制作と照明を担当していた。 天井桟敷の旗揚げ公演の資金作りのため、寺山を囲む会費制のサロンの会が開催され、そのコーナーの一環として、田中が寺山の詩に曲をつけ、ギターで披露した。
小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 … 小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。本名・神田 紘爾(かんだ こうじ)。 1971年に歌手としてデビュー。当初はフォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。銀行員としてエリートコースを歩む一方、デビューから20年以上もの間、ほとんど表舞台に出ないアーティストとして活躍する。 1993年、銀行を早期退職すると、音楽活動の一方で再び母校の東京大学法学部に学士入学し、1995年に法学部第3類(政治コース)を卒業。さらに東京大学文学部思想文化学科とその大学院(人文社会系研究科の思想文化コース)でも学び、2000年に修士号を取得した(哲学専攻)。
出門 英(でもん ひで、1942年〈昭和17年〉12月15日… 出門 英(でもん ひで、1942年〈昭和17年〉12月15日 - 1990年〈平成2年〉6月17日)は、日本の歌手、作曲家(作詞家の担当も有り)、俳優。本名は加藤秀男(かとうひでお)。夫婦デュオ「ヒデとロザンナ」の一人として知られる。血液型A型。 妻は歌手でテレビタレントのロザンナ、長男は音楽家・画家の加藤士門(しもん)。次男はミュージシャンの加藤来門(らいもん)。長女はモデルの万梨音(まりおん)。 東京府出身。中央大学中退後、ポニー音楽スクール卒。 水木 英二(みずき えいじ)の芸名で日活第6期ニューフェースに合格後、日活での約1年間の俳優活動と並行して1962年にソロ歌手として『東京ロマンチックガイ』で東芝レコードからデビュー。
三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は… 三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は、日本の作曲家、編曲家、コラムニスト。株式会社メイ・コーポレーション代表取締役、東京音楽大学客員教授、日本作編曲家協会副会長、日本交響楽振興財団理事、日本現代音楽協会理事、渡辺音楽文化フォーラム理事、全日本ピアノ指導者協会(PTNA)相談役、サイバー大学客員教授、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員。1989年までは本名の三枝 成章(読みは同じ)名義で活動していた。 疎開先の兵庫県西宮市に生まれ、生後40日で東京都に移り、千葉県や神奈川県を転々として育つ。1946年頃からピアノを習い始め、1951年、桐朋学園の子供のための音楽教室に入り、入野義朗に作曲を師事。
坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は… 坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は、日本の作曲家、編曲家。尚美学園大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学高等学院を卒業。東京芸術大学器楽科(チェロ専攻。中退)の後、1963年から1967年にかけて山本直純のアシスタントを務めると同時に作編曲を師事した。1965年に作曲家としてデビュー。 作品は幅広く、ビリーバンバンの「さよならをするために」、伝書鳩の「目覚めた時には晴れていた」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」、チェリッシュの「あの空へ帰ろう」の作曲・編曲を手がけている。 また、フジテレビの「世界名作劇場」の音楽を担当した他、数々のTVドラマや映画、アニメの音楽も手がけている。
福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2… 福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃。 東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動。 大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。
井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(… 井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(いのうえ ただお)、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。東京都出身。日本大学豊山高等学校、日本大学芸術学部卒業。 有楽町(数寄屋橋)の寿司・おでん料理の店・富可川本店の長男として生まれる。祖父の忠治郎は山形県米沢市から上京し、官吏や俳優、土工など様々な職を転々としたが、店を一代で築いた人物。また東京音頭の元となる盆踊り大会を企画した旦那衆の一人であった。泰明小学校入学し、コーラス部に所属。日本大学附属豊山高校2年からブラスバンドでクラリネットを吹き始める。その後、日本大学芸術学部に進学し、映画学科演出コースから音楽学科作曲部門に移り、学生バンドを作ってジャズ喫茶などでモダン・ジャズを演奏していた。
桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2… 桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2022年2月15日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京都立川市生まれ。国立音楽大学作曲科卒業。菊川廸夫、外崎幹二、島岡譲、高田三郎に師事。1970年に「吹奏楽のための3つの断章」でJBA作曲賞を受賞。 藤田玄播、斎藤高順、岩河三郎、岩井直溥、名取吾朗、川崎優、奥村一とともに作曲家グループ「ニュー・エイトの会」を結成し、意欲的に吹奏楽曲の作曲を行った。また、クラシック曲からの吹奏楽編曲も多く手がけている。
河野 土洋(かわの くにひろ、1941年8月31日 - 20… 河野 土洋(かわの くにひろ、1941年8月31日 - 2017年10月29日)は、日本の作曲家・編曲家。東京都出身。長男は、作曲家の河野圭。 テレビ・CM・吹奏楽など幅広いジャンルで活躍。シンセサイザーによる楽曲も多く手掛けた。代表作に、AC(公共広告機構)のサウンドロゴ、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM〈2代目〉)など。 中学生の頃からヴァイオリンを始め、朝日ジュニア・オーケストラにて指導者で作曲家の呉泰次郎に音楽の基礎を学ぶ。東京都立新宿高等学校卒業。 学生時代には大学のオーケストラや芥川也寸志が音楽監督を務めた新交響楽団のコンサートマスターとして活動。芥川直々の指導のもと、長期にわたるリハーサルや数多くのコンサートを通じて楽曲を演奏・分析した経験が、その後の音楽活動に大きな影響を与えることとなった。
石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941… 石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。一般社団法人真世界宗教連合会元相談役。 東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。 19歳の秋、自死を考えるが、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聴き、発奮され作詞家を志すようになる。
八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 19… 八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月15日)は、日本の現代音楽の作曲家。東京都出身。 9歳よりヴァイオリンを習い始め、「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。柴田南雄、入野義朗らに聴音、音楽理論、ソルフェージュ等の指導を受ける。中学より作曲とピアノを松本民之助に師事。1954年に東京都立駒場高等学校芸術科にヴァイオリン専攻として入学。 1957年に東京芸術大学作曲科に入学。在学中に、「オーケストラのためのレントとアレグロ」が第29回音楽コンクールにて第3位を受賞。島岡譲に師事し、1961年に東京藝術大学を卒業。芸大卒業後は都立高校の非常勤講師、東京理科大学のオーケストラ部の指導などで生計を立てていたが、和声への研鑽を深めるべく、東京芸大大学院に入学。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は… 矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は、日本の作曲家。 東京都新宿区内藤町で育ち、小学校2年時に神奈川県逗子市新宿へ疎開する。 学習院初等科、逗子市立逗子小学校、逗子中学、県立横須賀高校、東京芸術大学ピアノ科(中退)で学び、弘田龍太郎、川島英子、五十嵐光子、加藤秋子、松浦豊明、田村宏からピアノを、團伊玖磨から作曲を学ぶ。 1974年、團伊玖磨指揮で東京交響楽団と共に、中国の「黄河協奏曲」を日本初演する。山崎陽子脚本の朗読ミュージカル「とぎれた子守歌」「幻の肖像画」で作曲を担当し、「とぎれた子守歌」を含む「山崎陽子の世界IV」で、平成13年度文化庁芸術祭大賞を受賞する。 自作品のピアノリサイタルや地域コンサートの他に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、神奈川交響楽団、鎌倉交響楽団、横須賀交響楽団と協奏曲を共演する。
服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11… 服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11月1日 - 2020年〈令和2年〉6月11日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。幼少より音楽の英才教育を受け、国立学園小学校、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始める。 日本テレビ『サンデーダーク』、『ハニータイム』、フジテレビ『ミュージックフェア』などを皮切りに、テレビ、ラジオ番組、ドラマ、アニメ、映画の音楽を数多く担当。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003… 石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父。 幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013… 三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013年10月4日)は、日本の作曲家。位階は従四位。三善清達の弟。 東京府東京市杉並区阿佐谷(現:東京都杉並区)に生まれる。幼少期より自由学園でピアノ演奏法、音楽基礎を学ぶ。小学校入学の頃から高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、のち池内友次郎に師事する。都立高等学校尋常科から同高等科を経て、東京大学に入学。文学部仏文科在学中の1955年から1958年にかけて、フランス政府給費学生としてパリ国立高等音楽院に留学、のち中退。在学中はアンリ・シャラン、レイモン・ガロワ=モンブランに師事した。 1960年、東大文学部仏文科卒業。1963年東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授、1970年芸術祭優秀賞受賞。
今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 201… 今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 2014年1月4日 )は、日本の現代音楽作曲家、舞台演出家、構成作家。別名にまんじ 敏幸(まんじ としゆき)、島 敏幸(しま としゆき)。 純音楽や歌曲の作曲活動だけでなく、映像音楽、劇音楽、舞踊音楽などにも多くの作品を残す一方、まんじ敏幸の別名で舞台・演劇の構成作家や演出を手がけ、劇団を創設した。さらに島敏幸のペンネームで歌曲の作詞をするなど、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を精力的に展開してきた。その間、ヨネヤマ・ママコ、三条万里子、土方巽、小松原庸子らを指導し、世に送り出した。また、土方巽や“舞踏(BUTOH)”の命名者としても知られる。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11… 小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11日 - 2021年〈令和3年〉5月30日)は、日本の作曲家、作詞家、俳優、タレント。 日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯で6,000曲以上を残した。1976年に「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。 妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。 東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ、杉並区堀ノ内で育った。父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は新築地劇団の元女優で、小林を産むまで劇団に所属していた。
冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 … 冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 - 2016年〈平成28年〉5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。#主な作品を参照。
宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16… 宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16日 - 2006年(平成18年)11月27日)は、日本の作曲家。宮内 国郎と表記されることも多い。 東京府出身。実家は印刷業を営んでいた。 少年時代、音楽好きであった兄の影響でクラシック音楽に親しみ、16歳のときにジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』を見てジャズに傾倒する。国立音楽大学附属高等学校に入学、松本文男に師事し、トランペット奏者を志したが、高校2年生の時、軽い肺結核を患い断念した。服部正、入野義朗、斎藤一郎などの指導を受けながら、作曲家としての修業を積む傍ら、フリーの立場でアレンジを中心に、民放ラジオ局ニッポン放送関係の仕事に従事する。
神津 善行(こうづ よしゆき、1932年〈昭和7年〉1月2日… 神津 善行(こうづ よしゆき、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の作曲家。早稲田大学理工学部特別研究員。東京交響楽団理事、日本民謡協会理事。 東京府(現:東京都)出身。麻布中学校、 国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科卒業。作曲を信時潔、トランペットを中山冨士雄に師事する。主に映画音楽を中心に約300曲を作曲し、歌謡曲や吹奏楽曲も作曲している。エッセイなども執筆している。 1992年に民族音楽の復興のため、琵琶など日中伝統楽器を使った女性11名のグループ「六華仙」を結成する。植物と音楽による研究を早稲田大学で行っており、植物の微弱な信号音で小交響詩「依代」を作曲するという活動もしている。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - … 松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - 2023年1月9日)は、日本の現代音楽作曲家、生物物理学者。理学博士。立教大学理学部教授。 東京府に作曲家の松平頼則の長男として生まれる。祖父の松平頼孝は子爵で鳥類標本収集家。水戸徳川家の連枝(分家)で常陸府中藩の藩主家であった府中松平家の直系の子孫で、同藩の最後の藩主・松平頼策は曾祖父にあたる。出版楽譜によっては、父・頼則との区別を明確にするため Yori-Aki Matsudaira と書き、さらに生年を併記しているものもある。 1953年、東京都立大学理学部を卒業し理学士号を得る。この間、作曲とピアノを独学で学ぶ。1950年代より活発な作曲活動を始める。
青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026… 青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026年2月20日)は、日本の作曲家、編曲家。JASRAC会員。 クリスチャンの家系であり、幼少期から母親のオルガン演奏に合わせ賛美歌を毎週歌っていた。これが好きだったといい、後に青木は「私の音楽の原点だった」と回想している。 少年時代から音楽に親しみ、ヴァイオリンが得意であったという。 旧制東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)在学中、知人に誘われてバンド活動を始める。そこでステージ演奏の魅力に摂りつかれたことで学校を中退し、15歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。様々なバンドを転々としながら活動する。 当初は、自分が所属するバンドのために作曲・編曲をはじめたが、外部からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになったため、作・編曲家に転向。
松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日… 諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日 - 2013年〈平成25年〉9月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家。東京府(現・東京都)出身。イタリア語めかした変名マコトニオ・モンロイ名義による著作もある。 秩父セメント(現・太平洋セメント)の創業者一族であり、祖父は秩父セメント創業者の諸井恒平、父は作曲家諸井三郎、兄は秩父セメントの社長・会長を務めた諸井虔である。作曲家・指揮者の尾高尚忠・惇忠・忠明一家とも縁戚関係にある。 二十世紀音楽研究所に参加し、十二音技法、ミュジーク・コンクレートなどの新技法を早い時期に日本で実践した作曲家のひとりである。評論やNHKのクラシック音楽番組への出演でも知られる。
宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 -… 宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 - 2005年6月24日)は、日本の作曲家、編曲家である。 長野県南佐久郡田口村(現佐久市)生まれ。4歳頃よりピアノを始める。村立田口小学校から東京市の京橋小学校へ移る。旧制暁星中学校を経て(この頃に音楽人類学者・日本打弦楽器協会会長の生明慶二と出会う)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業。同期に黒柳徹子、石橋エータローがいた。音楽学校在学中よりクラブ等にてジャズピアニストとして活動を始める。 ミュージシャン仲間との親交の中で小杉太一郎に師事。映画音楽、TV音楽等の作曲・編曲に携わる。中でも1979年10月からテレビ朝日系列で放送が開始されたテレビドラマ『西部警察』のメインテーマ曲が知られる。
武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日… 武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1996年〈平成8年〉2月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。 濱田徳昭に対位法・和声を学び、作曲を清瀬保二に師事したが、東京音楽学校の入学試験を放棄。その後、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。 1930年10月8日に東京市本郷区駒込曙町(現:文京区本駒込一丁目)で生まれる。父は鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)隈之城町出身で帝国海上保険勤務、祖父の武満義雄は立憲政友会の鹿児島県幹事長を務め、第7回衆議院議員総選挙から第12回衆議院議員総選挙まで衆議院議員を連続6期15年務めた。
福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 20… 福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 2023年8月19日)は、日本の作曲家・音楽学者。上野学園大学日本音楽史研究所所長、同研究所特任教授。本名は石橋 和夫(いしばし かずお)。 東京市麻布区霞町(現在の東京都港区)生まれ。玉川学園中学部中退後、独学で作曲を勉強。その後、鈴木博義や武満徹らと知り合い、芸術家グループ「実験工房」に参加。これには姉の福島秀子も参加している。 東洋的な響きに近いフルートのための作品を多数発表、代表作の『冥』などが生まれる。また『エカーグラ』は1959年に来日したストラヴィンスキーによって武満徹の『弦楽のためのレクイエム』などと共に絶賛されたうちの1曲である。
いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日… いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日)は、日本の作曲家・政治家。元参議院議員(第二院クラブ)。中黒を付けていずみ・たくと表記される場合もある。本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。 歌謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌、交響曲(笙や能管などと管弦楽の組み合わせという作品も含めて数曲が残されている)と幅広いジャンルの曲を作曲。多作で知られ、総作数は15,000曲に上るという。 東京市下谷区(現:東京都台東区)谷中生まれ。家系は越智河野氏の末裔に当たる。 仙台陸軍幼年学校に在学中、敗戦を迎える。
内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1… 内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1988年7月9日)は、東京都出身の作曲家・編曲家・ピアニスト。
秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1… 秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1996年8月17日)は、日本の音楽評論家、音楽プロデューサー、詩人、作曲家。東京都生まれ。 父は陸軍軍人でのち牧車の号で俳人となった秋山邦雄。父の転任により、1935年から1937年までの幼年期を天津で過ごす。東京都立六中(現・東京都立新宿高等学校)、長野県松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、早稲田大学第二高等学院を経て早稲田大学文学部フランス文学科に入学。1950年代、日比谷にあったGHQのCIE図書館(民間情報教育局)でレコード・コンサートをシリーズで開き、アメリカやヨーロッパの現代音楽を紹介。また、音楽雑誌「レコード音楽」編集長などを務めた。
芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Ak… 芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Akutagawa、1925年7月12日 - 1989年1月31日)は、日本の作曲家、指揮者。JASRAC元理事長。 作風は大きく分けて3つに分かれる。東京音楽学校を卒業後、快活な旋律とリズムで彩られた作風が魅力の第1期。それらの要素を削ぎ落とし、減衰、静的な要素を取り入れた前衛的作風に転換した第2期。そして第1期の快活明朗なるリズムを用いつつも、第2期以来の作風とクロスオーバーさせ、新たな世界への転換を図った第3期。この区分においても共通するものに、彼自身の生涯のテーマとなるオスティナートの使用がある。リズムを失った音楽は死ぬ、と述べているように、リズムこそ彼の音楽そのものであった。
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Sa… 斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑。 1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学し、1947年に卒業。1949年に同校の研究科を修了。
大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - 201… 大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - 2018年12月3日)は、日本の作曲家。男性。土田藍(つちだ あい)という筆名で、自身の歌の作詞も手がけている。 父は『椰子の実』の作曲者である大中寅二。詩人、作家の阪田寛夫は従弟に当たる。 父親が霊南坂教会のオルガニスト兼合唱指揮者であったことから、歌を愛好するようになった(聖歌隊の女の子に惹かれたからだとも語っている)。1942年に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)本科作曲部に入学し、信時潔に作曲を、橋本國彦に管弦楽法を、細川碧に対位法を師事した。1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという。
菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 20… 菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 2011年1月15日)は、日本の作曲家、音楽評論家。
石丸 寛(いしまる ひろし、1922年2月19日 - 199… 石丸 寛(いしまる ひろし、1922年2月19日 - 1998年3月23日)は、日本の指揮者、作曲家である。 中華民国山東省青島に生まれる。六朝文化を愛した父の傍で、幼児期より音楽(ピアノ、ヴァイオリンなど)、美術(油絵)と親しむ。青島旧制中学時代には、ブラスバンド部のほか、中村八大らとバンドも結成する。1938年に帰国、東京・玉川学園中学部に転入する。コーラス部長、彫刻も学ぶ。1944年、文化学院大学部芸術科を卒業する。美術を今泉篤男、脇田和、岡鹿之助に師事した。一方で、管弦楽法と指揮法を山田一雄に師事した。第二次世界大戦のため出征、1945年に終戦で帰国(福岡市に復員)、画家としての活動を再開する。
四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助… 四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助、本名: 若林 英次、1922年1月5日 - 2010年8月7日)は、東京市芝区宇田川町出身の長唄囃子方、篠笛演奏家・作曲家。福原流鳴物六代目宗家、福原流百之助派四代目家元。東京芸術大学客員教授、国立劇場養成所講師。 長唄囃子方五代目福原百之助の跡取りとして生まれ、母親も長唄の師匠。幼い頃より芸の薫陶を受けた。 1939年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。 第二次世界大戦中は駆逐艦の建造等に動員されたが、戦後邦楽界の再建に携わり、1940年に福原英次を名乗る。1964年に六代目百之助を襲名。1981年に長唄協会理事。
鈴木 道明(すずき どうめい、1920年11月12日 - 2… 鈴木 道明(すずき どうめい、1920年11月12日 - 2015年12月23日)は、日本の作詞家・作曲家。東京府(現東京都)出身。 旧制早稲田中学校、早稲田大学卒業。学生時代は競泳選手であり、1940年に開催される予定であった東京オリンピック日本代表候補選手であった。大学卒業後に帝国陸軍飛行戦隊に入営し、戦闘機の搭乗員として南方戦線に出征した経験を持つ。 復員後、発足したばかりのラジオ東京(後のTBS〔東京放送〕)に入社し、テレビ・ラジオの音楽番組のプロデューサーやディレクターとして数々の番組を担当し、TBSでは編成局次長や第二演出部長の要職に就いていた。 その一方ではソングライターとして西田佐知子、日野てる子などに自作の楽曲を提供・発表し、数々のヒット曲を世に送り出した。
塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月1… 塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉10月13日)は、日本の経済学者・作曲家。経済学博士。國學院大學名誉教授。戸籍名、塚谷博通。 東京府本郷区湯島にて、鉄道照明機工場経営者の長男として生まれる。豊島師範附属小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)から武蔵高等学校 (旧制)尋常科・同高等科文科甲類を1937年に卒業。この間、14歳のとき母からピアノの手ほどきを受け、16歳で塚谷留太(国立音楽大学講師)からヴァイオリンを習い、旧制高校在学中から鯨井孝に師事、声楽を約2年間習う。 1938年、東京帝国大学経済学部入学。東大時代は同校の管弦楽団で1年間コントラバスを演奏。
近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 199… 近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 1992年7月5日)は、東京都出身の歌手、作曲家、映画監督である。本名大蔵 敏彦(おおくら としひこ)。兄は新東宝、大蔵映画社長を務めた大蔵貢、姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。孫にアイドルグループ「エレクトリックリボン」の元メンバー、ericaがいる。 正則中学校卒業。武蔵野音楽学校在学中に教授と進級試験の方法を巡って対立し、1936年(昭和11年)に退学した。タイヘイレコードから鮫島敏弘の芸名で「辷(すべ)ろよスキー」でレコードデビュー。ポリドール・レコード専属になるまで、マイナーレコードを転々とし、その間に大友博(リーガル)、大久良俊(アサヒ)など改名を重ねるが、ヒットに結びつく作品はなかった。
貴島 清彦(きじま きよひこ、1917年〈大正6年〉2月19… 貴島 清彦(きじま きよひこ、1917年〈大正6年〉2月19日 - 1998年〈平成10年〉7月14日)は日本の作曲家。 東京小石川茗荷谷で生まれる。父親は薩摩琵琶、姉は生田流の箏をよくした家庭であった。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)在学中、16歳の時に作曲したいという熱望から草川信に和声を学び始め、1934年、日本大学芸術科に入り、理論、作曲を小松耕輔、池内友次郎に、ピアノをジェームス・ダンに学び、1938年卒業。1938年11月、《交響曲の第1楽章》が第7回日本音楽コンクールに第2位入賞。翌年大学より芸術賞を受賞した。卒業後はしばらく療養生活を送り、創作を断ち、この間読書、音楽鑑賞などをしながら音楽観や作曲態度について思考する時間を持った。
柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日… 柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉2月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。 東京府東京市神田区駿河台袋町(現:東京都千代田区神田駿河台)に生まれ、1945年まで東京府豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区百人町)で暮らす。 1921年、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現:お茶の水女子大学附属幼稚園)に入る。1923年、暁星小学校入学。1932年、暁星中学校から成城高等学校尋常科(現:成城大学)に編入。1933年、成城高等学校高等科理科甲類(英語クラス)に進んだ頃から、ピアノを岩井貞麿、ジェームス・ダンに、チェロを鈴木二三雄に、作曲を細川碧、諸井三郎に、指揮法を斎藤秀雄に師事。
小倉 朗(おぐら ろう、1916年〈大正5年〉1月19日 -… 小倉 朗(おぐら ろう、1916年〈大正5年〉1月19日 - 1990年〈平成2年〉8月26日)は、日本の作曲家。本名:小倉 晋(すすむ) 、旧姓は小林。 鉄道技師小林源松の五男として福岡県門司市(現北九州市門司区)の鉄道官舎に生まれ、生後3ヶ月から東京市京橋区木挽町(現東京都中央区)の銅鉄商小倉家の養子として東京に育つ。6歳からピアノの手ほどきを受け、蓄音機やオルガン、ギター、マンドリンがある家で育つ。母から音楽家になるよう勧められ、声楽家下八川圭祐の紹介で深井史郎に師事する。易に凝っていた母から「朗」の字を贈られる。 1933年、早稲田第一高等学院仏文科にはいるが、下八川圭祐の主宰するコーラスで歌ったり、新交響楽団の打楽器の見習いなどをやり、学校は1学期で中退。
金 東進(キム・ドンジン、김동진、日本名:金森東振、1913… 金 東進(キム・ドンジン、김동진、日本名:金森東振、1913年3月22日 - 2009年7月31日)は、韓国の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者。現在の北朝鮮平安南道安州市出身で日本の日本音楽高等学校への留学経験もある。日本統治下時代にはハルピンで日本人演奏家を中心として1937年に結成された「新京交響楽団」に参加し、第一バイオリン奏者を務めた。 2008年に親日人名辞典編纂委員会より発表された親日人名辞典に名前が掲載された。2009年7月31日、ソウル特別市にて老衰で亡くなった。96歳。