太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 198… 太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 1982年3月29日)は、日本の漫画家、絵本作家。本名、太田二郎。東京市京橋区八丁堀出身。 東京市京橋区八丁堀にて製本職人の家庭に生まれる。早稲田実業学校卒業後、新潮社や東宝美術部に勤務。日本画を学び、野口昂明たちの勧めで『日の出』誌にカットを寄稿、1941年、『イソップまんが』で漫画家としてデビューした。 1943年に徴兵され、大刀洗飛行場で従軍にあたった。1945年に復員した後、帷子進や芳谷勝に師事する。1950年、『少年クラブ』に『お山のクロちゃん』を連載。1952年、島田啓三の長女と結婚した。1960年、『こりすのぽっこちゃん』で第5回小学館漫画賞を受賞する。
岩崎 京子(いわさき きょうこ、1922年10月26日 - … 岩崎 京子(いわさき きょうこ、1922年10月26日 - )は、日本の児童文学作家。
中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年… 中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名であるが、ノヴェレット主体のマニエリスティクな推理小説・幻想文学において知られている。 別名に、塔晶夫、碧川潭、緑川弓雄、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世。 東京市滝野川区田端に生まれ育つ。父は植物学者で国立科学博物館館長、陸軍司政長官・ジャワ・ボゴール植物園園長、小石川植物園園長等を歴任した東京帝国大学名誉教授の中井猛之進。祖父堀誠太郎も札幌農学校教授、小石川植物園御用掛を歴任しており、二代続いた植物学者の家系であった。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
野原 一夫(のはら かずお、1922年(大正11年)3月30… 野原 一夫(のはら かずお、1922年(大正11年)3月30日 - 1999年(平成11年)7月31日)は東京府出身の編集者、作家。 東京府立第五中学校(現都立小石川高等学校)から浦和高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独逸文学科卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣、二等水兵として横須賀市の武山海兵団に入隊。その後、海軍の第四期兵科予備学生となる。1944年(昭和19年)12月に海軍少尉任官、埼玉県大和田通信隊勤務。1945年(昭和20年)4月、南九州・鹿屋基地に第五航空艦隊司令部付として赴任。終戦を大分で迎える。 1946年(昭和21年)8月26日、700名中2名の被採用者のひとりとして新潮社に入社(もうひとりの被採用者は野平健一)。
邦光 史郎(くにみつ しろう、1922年2月14日 - 19… 邦光 史郎(くにみつ しろう、1922年2月14日 - 1996年8月11日)は、日本の作家。本名:田中 美佐雄。父・力之助は時事新報の記者。妻は作家の田中阿里子。娘は作家・エッセイストの久我なつみ。 東京生まれ。高輪学園卒。父親の転勤で大阪に移り、東淀川区役所につとめる。応召し、広島第2総軍司令に在隊、1945年8月6日原爆に遭遇。同年10月に除隊し、京都で五味康祐らと『文学地帯』を創刊。のち放送作家となる。1962年『社外極秘』で直木賞候補。以後企業小説、推理小説、歴史推理小説、伝記小説を多数執筆。 戦前に保高徳蔵主宰の「文芸首都」懸賞に入選。戦時中は「新作家」同人となり、戦後は五味康祐とともに「文学地帯」を主宰し、十五日会に属する。
中山 あい子(なかやま あいこ、1922年(大正11年)1月… 中山 あい子(なかやま あいこ、1922年(大正11年)1月9日 - 2000年(平成12年)5月1日)は東京府(現・東京都)出身の小説家。本名、中山 愛子。 長崎の活水女学院を卒業後、結婚したが夫の戦死に遭い、一児(のちの女優中山マリ(燐光群))を抱えて寡婦となる。このため住み込みの英文タイピストとしてイギリス大使館に16年間勤務。退職後は東京神田の貸しビルに住み込み管理人として勤める。その傍ら、『女流』『炎』などの同人誌に小説を発表。1963年(昭和38年)、『優しい女』で『小説現代』の第1回小説現代新人賞を受賞して文壇に登場。『奥山相姦』『幻の娼婦たち』などを発表し、色川武大から「女流の焼跡闇市派」と賞賛される。
進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1… 進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家、随筆家、小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。 川端康成・志賀直哉・芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆・回想や小説も書いた。長男は眼科医・作家の若倉雅登。
島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 -… 島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 - 2013年3月31日)は、日本のロシア語翻訳家、ノンフィクション作家、歌人。 東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨出身。父は慶應予科教授の島原逸三。1939年普連土女学校卒。1941年玉成保母養成所卒、森村幼稚園に勤務。1944年慶應義塾大学工業図書館勤務。1945年から1946年に母と父が死去。1961年慶應義塾大学附属外国語学校ロシア語科卒。1965年同校講師、1966年日ソ学院講師、東京ロシア語学院講師。 1946年から同人誌「創作」(若山牧水創刊)会員。 島原の遺稿をまとめた芹生一(本名・島原健三〈1928年 - 〉、成蹊大学名誉教授、工業化学)は弟。
寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2… 寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2008年9月6日)は、作家、スポーツライター、浄土宗の僧侶。本名は成田 有恒(なりた ゆうこう)。 東京府荏原郡世田谷村(現在の世田谷区)生まれ。生家は浄土宗の大吉寺である。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業後、1945年に大正大学宗教学部卒業。大学在学中から富沢有為男の下へ出入りして文学を学び始めると共に、生家である大吉寺の住職となる。 1955年に「逢春門」で第47回サンデー毎日大衆文芸賞、翌1956年には「黒い旅路」で第8回オール新人杯受賞。この頃に記者として取材に訪れた司馬遼太郎と知り合い、1957年には彼らと同人誌「近代説話」を創刊、1961年には同誌に掲載した「はぐれ念仏」で第44回直木三十五賞受賞。
犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
樹下 太郎(きのした たろう、1921年3月31日 - 20… 樹下 太郎(きのした たろう、1921年3月31日 - 2000年12月7日)は、日本の小説家。 東京市池袋生まれ。本名・増田稲之助。京橋商業学校(現東京都立芝商業高等学校)卒、理研スプリングK.K.入社。出征し、復員後、福音電機に勤務、ドラマや放送台本を書く。1958年『週刊朝日』『宝石』共催の懸賞に「悪魔の掌の上で」が佳作入選。1961年「銀と青銅の差」で、1963年「サラリーマンの勲章」で直木賞候補。 推理小説、サラリーマン小説を書いた。
藤原 審爾(ふじわら しんじ、1921年3月7日 - 198… 藤原 審爾(ふじわら しんじ、1921年3月7日 - 1984年12月20日)は、日本の小説家。幾度も大病を患いながら、純文学からサスペンス、恋愛ものやハードボイルドなど、幅広いジャンルの作品を発表し、「小説の名人」の異名をとった。また映画化された作品の多さから「映画に愛された小説家」とも評される。女優藤真利子は息女。直木賞、小説新潮賞受賞。 東京市本郷に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県片上町(現在の備前市・法鏡寺がある場所)で祖母に育てられた。閑谷中学校在学中に祖母とも死別、青山学院高等商業部に進むが、肺結核のため中退する。療養生活を続けながら雑誌社で編集を手伝う傍ら、外村繁に投書雑誌の選者をしていた縁で師事して創作活動を行い、同人誌『曙』を発行。
内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 201… 内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 2011年10月20日)は、日本のノンフィクション作家。帝国海軍技術大尉。父内藤濯は仏文学者で『星の王子さま』の初訳者で著名。
土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - … 土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - 2017年)は、日本の軍事史研究家、作家。本名・近藤新治。妻は作家の近藤富枝。 東京出身。東京府立第四中学校を経て、陸軍士官学校(第55期、機甲科)卒業。騎兵第29連隊、戦車第28連隊中隊長等の部隊勤務をへて、終戦時は陸軍大尉、戦車第4師団通信隊長であった。 戦後、さまざまな職業を経て警察予備隊に入隊し陸上自衛隊勤務、富士学校教官などを経て防衛研究所戦史編纂官に就く。退官後も防衛研究所、自衛隊幹部学校で軍事戦略思想史、戦争指導史を講義。国際軍事史学会日本事務局担当を経て、日本軍事史学会副会長、戦略研究学会会長。 勤務のかたわら執筆した時代小説でサンデー毎日大衆文藝賞佳作。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年〈大正9年〉8月6… 古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年〈大正9年〉8月6日 - 2002年〈平成14年〉3月11日)は、日本の小説家、随筆家、編集者。芥川賞作家。 主として太平洋戦争(大東亜戦争)下の徴兵での従軍体験や、復員後の生活を舞台にした小説を発表し、いかなる場においても変わることのない人間のありかたを描き出した。 PL教団主宰の『芸術生活』誌では編集専従のデスク(副編集長)で入社し、のち編集長。『季刊藝術』誌では、音楽を担当する遠山一行、文学を担当する江藤淳、美術を担当する高階秀爾と共に、専任の編集長として同人を組み発行した。 編集者として、森敦を見出すなど、広い識見を高く評価される。また人脈も広く、予備校時代の安岡章太郎をはじめ、遠藤周作、寺山修司、田中小実昌、吉田満、小島信夫、円地文子らと深い交流を持った。
広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1… 広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1日 - 2007年(平成19年)11月25日)は、日本の小説家、評論家、ヨーガ研究家。埼玉県出身。本名は増田秋子。東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒。丹羽文雄に師事し、1953年「オンリー達」で芥川賞候補となる。以後は評論家として活動。 「オンリー達」は、『現代の女流文学 第1巻』(毎日新聞社、1974)、『女性作家シリーズ 現代秀作集』(角川書店、1999)、『戦後の出発と女性文学 第8巻 (昭和28年)』(ゆまに書房、2003)所収。
島尾 ミホ(しまお ミホ、1919年(大正8年)10月24日… 島尾 ミホ(しまお ミホ、1919年(大正8年)10月24日 - 2007年3月25日)は、日本の小説家。 奄美群島に属する加計呂麻島出身。太平洋戦争中、加計呂麻島に駐屯していた第十八震洋特攻隊隊長の島尾敏雄と出会い、戦後に結婚した。敏雄の代表作『死の棘』に登場する「妻」のモデルとなった。自身の小説では、『海辺の生と死』で第15回田村俊子賞(1975年度)を受賞したほか、『祭り裏』、短編「その夜」など、故郷に題材を取った作品が多い。島尾敏雄との間には2子がおり、長男は写真家の島尾伸三で、その娘(ミホの孫)は漫画家のしまおまほである。 ミホは1919年(大正8年)10月24日に、長田實之(おさだ さねゆき)・マス夫妻の長女として、警察官だった父の任地、鹿児島県鹿児島市で生まれた。
清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31… 清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31日 - 2008年3月30日)は、俳人、小説家。本名、清水基嘉(読み同じ)。 現在の東京都渋谷区の宇田川町・道玄坂、港区の青山かいわいに、生まれ育った。1925年(大正14年)、東京府青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)へ入った。1931年(昭和6年)東京市立第一中学校(現:九段高校)に進むが胸を病んで中退し、1934年16歳、正則英語学校(現:正則学園高等学校)へ転じた。 1938年(昭和13年)から4年近く、各地に転地療養し、その間の1940年横光利一を知り、翌年、句誌『鶴』の主宰者、石田波郷の門に入った。同人誌に参加し、北條誠、巖谷大四、村松定孝らを知った。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)… 中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。
有馬 頼義(ありま よりちか、1918年〈大正7年〉2月14… 有馬 頼義(ありま よりちか、1918年〈大正7年〉2月14日 - 1980年〈昭和55年〉4月15日)は、日本の小説家。中間小説、社会派推理小説の分野で活躍した。旧・筑後国久留米藩主有馬家の第16代当主。 伯爵有馬頼寧の三男として東京市赤坂区青山(現・東京都港区青山)に生まれる。母貞子は北白川宮能久親王の第2王女。 頼寧の母・寛子(頼義の祖母)は岩倉具視の五女。頼義の妹の澄子は足利惇氏の妻。姉の正子は亀井茲建の妻であり、衆議院議員亀井久興は甥にあたる。 兄2人の早世と病弱により早くから伯爵家を嗣ぐことを決められる一方、有馬家と母の実家・北白川宮家の複雑な家庭環境を肌で感じる多感な幼少期を過ごした。
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 199… 加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。 紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。
瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979… 瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。
結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 198… 結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 1984年10月26日)は、日本の小説家である。 東京府生まれ。1933年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。早稲田大学英文科卒。国際学友会の日本語学校の教師を経て、1948年、「秋祭」で作家デビュー。以後、『早稲田文学』ほかの文芸雑誌、年に二作程度の短篇を発表する寡作で地味な作家だったが、1980年、老人と少女の交流を描いた「空の細道」で日本文学大賞受賞。没後の2000年、未知谷より全3巻の『結城信一全集』(串田孫一、郡司勝義、結城信孝責任編集)が刊行された。アンソロジスト、エッセイストの結城信孝は息子。墓所は荒川区西日暮里の本行寺。
塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 200… 塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 2009年)は、歴史家、小説家。 山梨県生まれ。東京府立第七中学校(現東京都立墨田川高等学校)卒、日本大学卒。山梨県立甲府第一高等学校教諭。 京都の部落問題研究所に所属。下層の人間の歴史を研究した。『金印惑伝』では漢委奴国王印の金印を江戸時代の製作と主張した。
森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4… 森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4月14日)は、日本の女優、作家。 東京府渋谷町猿楽生まれ。岩谷松平の孫。旧姓は岩谷。跡見高等女学校卒。伯母森律子の養女となる。1932年松竹蒲田撮影所に入り、映画女優でデビュー。1934年新派に転向、花柳章太郎の相手役として活躍。1939年映画「残菊物語」で花柳の相手役を演じた。1956年失明して引退。同年、失明寸前に書き上げた自伝「女優」を出版。ベストセラーになり「書きますわよ」の流行語を生んだ。同作は映画化された(女優 (1956年の映画))。
芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991… 芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991年8月25日)は、小説家。
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005… 蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は、画家、塗り絵作家。東京都出身。 1914年(大正3年)、京橋の紙問屋「蔦谷音次郎商店」の9人兄弟の7番目(五男)として生まれる。 1931年(昭和6年)、東京市立京橋商業学校を中退し、画家を志し川端画学校で学ぶ。 1939年(昭和14年)、画家としてはなかなか芽が出ず、見兼ねた兄の口利きで25歳にして商売をすることになり、菓子店の経営者となるが、商才は全くなく、赤字により1年ほどで店を閉める。 1940年(昭和15年)、友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をフジヲの名で始める。フジヲは、夏目漱石の「虞美人草」の藤尾からとった。
北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1… 北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1984年12月)は、日本の作家、歴史家。 東京市日本橋区本町 (現・中央区日本橋室町) の提灯屋・大和屋四代目の家に生れる。彼の父は、番傘や提灯などにさまざまな書体や紋章を施す筆耕職人であった。9歳のとき、関東大震災を経験。 1937(昭和12)年10月、「明日はお天気」が第21回サンデー毎日大衆文芸賞に入選し作家デビュー。『新青年』や『宝石』などに執筆した。ユーモア小説、風俗小説、時代小説を書いた。ほか歴史ノンフィクションも書いている。 1958(昭和33)年1月刊行の『おとぼけ侍』 (和同出版社) を原作として、1961(昭和36)年6月公開の映画『橋蔵の若様やくざ』(河野寿一/監督、東映)が製作されている。
石川 利光(いしかわ としみつ、1914年2月3日 - 20… 石川 利光(いしかわ としみつ、1914年2月3日 - 2001年7月14日)は、日本の作家。宮中研三名義の官能小説も発表した。 弁護士を父に持ち、三男として大分県日田市に生まれる。日田中学(現在の大分県立日田高等学校)を卒業し、1932年早稲田高等学院を経て早稲田大学に入るが、1937年近藤忠義に誘われて法政大学国文科に転学し、1940年に卒業。1941年に同人誌を統合した『文藝主潮』の編集委員となる。1944年に日本文学報国会会員となり、日本航空機工業に勤務。1946年に九州書院を興す。丹羽文雄を中心とした会合に参加し、『文学者』の刊行を引き受ける。 1951年に執筆活動に入り、第25回芥川賞を『春の草』で受賞した。
岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 19… 岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 1963年2月6日)は、日本の児童文学作家。 「あすもおかしいか」「生きているレントゲン」「三人の0点くん」などの作品がある。 大阪府大阪市北区(現:此花区)で生まれる。1931年に上京、第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学文学部国文学科を卒業。大学在学中から早大童話会に入会し、口演童話や創作活動を行った。また卒業論文の題は「童話作家小川未明論」であった。 卒業後の1938年に大阪府に戻り、下畑卓や花岡大学らと同人「新児童文学集団」を結成。機関紙『新児童文学』に童話などを発表した。また、そこで発表した「八号館」が第1回日本新人童話賞を受賞、授賞式後すぐに上京、豊島区に下宿した。
戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日… 戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日 - 1997年〈平成9年〉11月7日)は、日本の紀行文作家、編集者。1983年(昭和58年)に第1回日本旅行作家協会賞を受賞した。 東京府(後の東京都)日本橋浜町生まれ。父の仕事の関係で、5歳の頃から小学4年までを横浜市神奈川区で過ごし、日本国外への憧れを抱いて育った後に、東京への転居を経て兵庫県神戸市に移った。 1934年(昭和9年)に日本女子大学英文科卒業後、女性として初めてジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)に入社した。東京駅案内所の案内係を経て、同社発行の雑誌『旅』編集部に移り、世界各国の数々の旅行情報を読者へ紹介した。
田中 英光(たなか ひでみつ、1913年(大正2年)1月10… 田中 英光(たなか ひでみつ、1913年(大正2年)1月10日 - 1949年(昭和24年)11月3日)は、日本の小説家。無頼派として知られる。 「出方名 英光(でかたな ひでみつ)」という筆名もある。名前の英光を「えいこう」と音読みされる場合もある。 息子は小説家の田中光二。 高知県出身の歴史家岩崎鏡川(英重)の息子として東京府東京市赤坂区榎坂町(現・東京都港区赤坂)に生まれ、岩崎家から母の実家である田中家に入籍、鎌倉市に育つ。神奈川県立湘南中学(現神奈川県立湘南高等学校)、早稲田大学第二高等学院卒業。 早稲田大学政治経済学部在学中の1932年(昭和7年)、ロサンゼルスオリンピックに漕艇選手としてエイト種目に出場した(予選敗退)。
阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008… 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。
塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 198… 塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 1988年2月20日)は、日本の作家、翻訳家、左翼活動家。 東京生まれ。本名・正。千葉県立旧制匝嵯中学校を経て第一高等学校に進学するが、伊藤律らと非合法政治活動に加わり、1931年に校友会雑誌に発表したものが問題となり検挙され中退。満州に渡り農村工作に当たる。 1941年、「アルカリ地帯」が『中央公論』懸賞小説に当選し掲載。一方で検挙され奉天の監獄に入る。 敗戦後、引き揚げの手助けをして1947年帰国。1953年、引き揚げの経験を描いた『背教徒』で芥川賞候補、同年「すべて世はこともなし」で再度候補。 日本教職員組合関係の仕事に就いて翻訳を行った。
島村 利正(しまむら としまさ、1912年3月25日 - 1… 島村 利正(しまむら としまさ、1912年3月25日 - 1981年11月25日)は、日本の小説家。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)に商家の長男として生まれる。家業を継ぐのを嫌がり、1926年、高遠実業補習学校(現・長野県高遠高等学校)を中退。家出して奈良の古美術写真出版社飛鳥園へ行き、小川晴暘の薫陶を受け、志賀直哉、武者小路実篤、瀧井孝作の知遇を得る。1931年、正則英語学校卒業。 1941年に『高麗人』で、1943年に『暁雲』で芥川賞候補となる。戦時中から撚糸工業会社に勤務し、1955年、会社を設立し代表取締役となるが、1962年、倒産し、以後、作家業に専念。若い頃から釣りを好む。1975年刊行の『青い沼』で平林たい子文学賞、1979年刊行の『妙高の秋』で、翌年に読売文学賞受賞。
小山 清(こやま きよし、1911年(明治44年)10月4日… 小山 清(こやま きよし、1911年(明治44年)10月4日 - 1965年(昭和40年)3月6日)は、日本の小説家。太宰治の門人としても知られる。 東京府東京市浅草区新吉原(現在の東京都台東区千束)の廓内に生まれる。生家は兼東楼という貸座敷業を営んでいたが、盲目の父は家業に関係せず義太夫を謡っていた。 府立三中を経て、明治学院中等部卒業。18歳のとき人生への煩悶から洗礼を受けるも、数年で脱会。母の死後、一家離散の憂き目を見る。島崎藤村の世話で日本ペンクラブ初代書記になるも、公金を使い込み、水戸刑務所に8ヶ月間服役する。出所後、下谷竜泉寺町界隈で新聞配達をしていたが、1940年に太宰治の門人となる。
由利 聖子(ゆり せいこ、1911年7月8日 - 1943年… 由利 聖子(ゆり せいこ、1911年7月8日 - 1943年2月)は、日本の児童文学作家。本名、鈴木 富美子。 1929年(昭和4年)、東京府立第三高等女学校卒業。第三高女在学中から少女向け雑誌「少女の友」に投稿する。1932年(昭和7年)頃から同誌に短編を発表。また、ミス・マミコのペンネームで「少女画報」誌に作品を発表。 「少女の友」の姉妹誌「新女苑」では丘 文子のペンネームを使用した。 『モダン小公女』……「少女画報」1934年1月~12月連載 新泉社 1935年 戦後版は偕成社1948年 『チビ君物語』……「少女の友」 1934年12月~ 1936年12月連載。単発あり。 実業之日本社 正編1939年 続編1941年 戦後版は東和社1948年 続編は『小さいお母さん』と改称。
中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5… 中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5日 - 1988年(昭和63年)7月12日)は、文芸評論家、作家。本名、木庭一郎(こば いちろう)。第6代日本ペンクラブ会長、文化功労者、日本芸術院会員。私小説批判で有名。
江津 萩枝(えづ はぎえ、1910年9月 - 2008年3月… 江津 萩枝(えづ はぎえ、1910年9月 - 2008年3月27日)は、日本の小説家。 東京・京橋出身。沢村貞子の紹介で築地小劇場内の移動劇団「メザマシ隊」に参加し、小杉てるの芸名を名乗った。小説家としては、原爆文学として知られる『桜隊全滅』や築地小劇場を描いた『メザマシ隊の青春』など、太平洋戦争の時代とそれに翻弄された演劇集団を描きだした著作がある。 『桜隊全滅』は1988年、新藤兼人の脚本・監督により「さくら隊散る」の題名で映画化された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
潮 寒二(うしお かんじ、1910年8月15日 - 1981… 潮 寒二(うしお かんじ、1910年8月15日 - 1981年)は、日本の小説家、推理作家。 本名:飯田実。東京市西新宿十二社生まれ。父は西新宿の大地主であった。法政大学法文学部文学科英文学主攻中退。戦前には逓信省に勤めていたが、戦時中に横浜の高射砲部隊(高射砲第117連隊)に一兵卒として入隊。これを機に以降、軍需産業に勤使し、30代で課長となり名古屋に転勤している。 作家としては、1932年に「逃亡した死体」を『漫談』誌に発表。これがデビュー作となる。デビュー後5年間は少年小説などを執筆するが、戦時中には筆を折る。戦後、「猿人の血型」(1949年)で復活。1952年、『富士』誌に掲載された「義賊の春」が、「流転」のタイトルでラジオ・ドラマ化され、ニッポン放送系から4夜連続で放送された。
赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 19… 赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 1990年6月8日 )は、日本の舞台美術作家、絵本画家、絵本作家。
植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - … 植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。
柴野 民三(しばの たみぞう、1909年11月4日 - 19… 柴野 民三(しばの たみぞう、1909年11月4日 - 1992年4月11日)は、日本の児童文学作家・詩人。 東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)生まれ。日比谷小学校(現千代田区立麹町小学校)、錦城商業学校卒業。 1929年(昭和4年)、大橋図書館にに勤務し、児童図書室を担当する。『赤い鳥』などに投稿し北原白秋に師事。童謡誌「チチノキ」同人として詩作する。1932年(昭和7年)、有賀連らと「チクタク」を創刊。1935年(昭和10年)、私立大橋図書館を退職し、小川未明主宰『お話の木』創刊に際して編集に当たる。のち絵雑誌『コドモノヒカリ』などを編集、1942年から文筆業。 1992年4月11日、呼吸不全のため死去。
金 来成(キム・ネソン、1909年旧暦5月29日 - 195… 金 来成(キム・ネソン、1909年旧暦5月29日 - 1957年2月19日)は、大韓民国の小説家。平安南道(ピョンアンナムド)生まれ。 1935年に日本の探偵小説専門誌『ぷろふいる』でデビューし、のちに朝鮮半島で探偵作家、大衆文学作家として活躍した。韓国推理小説の創始者とされる。 大韓帝国末期の1909年旧暦5月29日、平壌(ピョンヤン)近郊の平安南道(ピョンアンナムド)大同郡(テドンぐん)に生まれる。1925年、平壌公立高等普通学校(ko)に入学。当時この学校では、のちに翻訳家となる龍口直太郎が英語教師をしており、金来成はその授業でアーサー・コナン・ドイルやエドガー・アラン・ポー、江戸川乱歩についての話を聞き、探偵小説の魅力を知った。
村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月… 村上 信彦(むらかみ のぶひこ、1909年(明治42年)3月30日 - 1983年(昭和58年)10月31日)は、日本の作家、女性史研究家、医事評論家。 大衆作家村上浪六の三男として東京市下谷に生れる。「父浪六が手をつけようとした女中を救い出して父と義絶、その少女と結婚」したとされているが、このエピソードは彼の小説『音高く流れぬ』に登場するフィクションである。本小説は確かに村上本人とその周辺人物がモデルとなっており、村上の妻は女中として村上家に勤めていたが、エピソード自体は創作である。作中では女中に手を付けようとしたのも父ではなく叔父であり、主人公に父母はいない。村上が後年、彼の日記をもとに執筆したドキュメント小説『黒助の日記』にもこのエピソードはない。
葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) -… 葛巻 義敏(くずまき よしとし、1909年(明治42年) - 1985年(昭和60年)12月16日)は、東京市(現在の東京都)出身の作家、文芸評論家。芥川龍之介の甥。 芥川龍之介の次姉ヒサと獣医葛巻義定の長男として、東京市新宿(現在の東京都新宿区新宿)の耕牧舎牧場に生まれる。1910年に両親が離婚したため、東京市芝区銭座町(現在の東京都港区浜松町)の新原家(母の実家)で育てられる。ヒサはその後、西川豊と再婚し、龍之介の長男芥川比呂志の妻となる瑠璃子(1916年 - 2007年)を設けている。 1922年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。在学中、新しき村への参加を望んで家出した。