幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日… 幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日 - 1991年(平成3年)1月31日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東北大学名誉教授。従三位勲二等。我妻榮門下。弟子に徳本伸一など。 1923年(大正12年)3月30日、福井県福井市に生まれる。1939年(昭和14年)3月、東京府立第一中学校四年修了。1942年(昭和17年)3月、第一高等学校文科甲類卒業、同年4月東京帝国大学法学部法律学科入学。1944年(昭和19年)9月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。
大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 19… 大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 1994年1月28日)は、日本の政治家。元福井市長。福井市名誉市民。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 福井県福井市出身。1946年、名古屋帝国大学医学部卒業後、福井市に勤務し、厚生部長、総務部長等を歴任。1974年、前市長死去に伴い行われた福井市長選挙で立候補し、初当選。以後連続5期20年に亘り市長を務めた。 在任中は、30万人都市実現を目標とし、都市開発、教育文化、国際交流等を推進し、福井市の発展に寄与。また、特に、治水・利水対策には、「百年の計」との思い入れがあって注力し、九頭竜川鳴鹿大堰の建設推進等に努力した。 在任中の1994年1月28日、肝不全のため死去。
海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16… 海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉2月19日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士。神戸大学名誉教授。元日本経営学会理事長。 福井市出身。1942年和歌山高等商業学校卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年神戸経済大学(現神戸大学)卒、1949年同助手、1951年神戸大学経営学部講師、1953年助教授、1964年教授。1980-82年経営学部長、1983年日本経営学会理事長、1986年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。
高瀬 重二郎(たかせ じゅうじろう、1923年 - 2018… 高瀬 重二郎(たかせ じゅうじろう、1923年 - 2018年5月16日)は、日本のハンセン病回復者。全国ハンセン病療養所入所者協議会会長。 福井県大飯郡(現・高浜町)出身。1962年に国立療養所長島愛生園に入所。ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」の1996年の廃止時には、全国ハンセン病療養所入所者協議会(旧全国ハンセン病患者協議会)の会長を務め、差別や偏見の撤廃に向けて尽力した。 2018年5月16日、午後5時26分、岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539の国立療養所「長島愛生園」で死去、95歳。葬儀は長島愛生園で執り行われた。
山本 俊一(やまもと しゅんいち、1922年10月24日 -… 山本 俊一(やまもと しゅんいち、1922年10月24日 - 2008年12月13日)は、日本の医師、衛生学者。 福井県敦賀市生まれ。1946年東京帝国大学医学部卒。47年医師国家試験合格、東大衛生学教室助手。60年医学博士、東京大学医学部助教授。1965年教授。83年定年退職、名誉教授、東京都老人総合研究所副所長。1987年聖路加看護大学教授、92年副学長。96年退職。1986年東京都文化賞受賞。公衆衛生の研究に尽力し、はじめてのハンセン病の歴史を執筆、ハンセン病訴訟では熊本地裁に原告側意見書を提出した。
田辺昇一(たなべ しょういち、1922年3月15日 - 20… 田辺昇一(たなべ しょういち、1922年3月15日 - 2015年12月22日)は、日本の経営コンサルタント。タナベ経営(現:タナベコンサルティンググループ)の創業者・名誉会長。 福井県小浜市出身。1945年東北帝国大学工学部航空力学科卒。成瀬政男に師事。岡田金属工業勤務、京都能率協会理事を経て、田辺経営相談所を設立、のちタナベ経営とし、社長。経営コンサルタント。
池田 勤也(いけだ きんや、1922年(大正11年)2月4日… 池田 勤也(いけだ きんや、1922年(大正11年)2月4日 - 2007年(平成19年)10月27日)は、昭和時代の政治家。福井県勝山市長。 勝山市出身。1944年(昭和19年)東京外国語大学独語部卒業。 外務省を経て、1955年(昭和30年)勝山市役所に入る。1972年(昭和47年)助役を経て、1976年(昭和51年)以来、勝山市長に3選。1988年(昭和63年)引退した。
市橋 保(いちはし たもつ、1921年 <大正10年> 2月… 市橋 保(いちはし たもつ、1921年 <大正10年> 2月18日 - 2005年 <平成17年> 9月17日)は、日本の銀行家。福井銀行頭取、会長を務めた。位階は正五位。 福井県福井市出身。1944年に慶應義塾大学工学部を卒業し、1945年11月に日本銀行に入行。1962年4月に福井銀行に転じ、1965年11月に取締役に就任し、1969年4月に常務、1972年11月に副頭取を経て、1982年10月に頭取には就任。1992年10月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年9月17日心不全のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro… 南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro Nambu、1921年1月18日 - 2015年7月5日)は、日系アメリカ人の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授・特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学・1952年)。 福井県福井市出身。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。 日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者のひとりとしても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。
竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004… 竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004年4月20日)は、日本の物理学者(地球物理学)。東京大学名誉教授。理学博士(1949年)。科学啓蒙家。科学雑誌『Newton』初代編集長。代々木ゼミナール札幌校元校長。 独特のふちの厚いメガネがトレードマークの、科学者でありながら質実剛健を地で行く人物で、自分に厳しく他人(特に子供)に優しい性格であった。科学者として偉ぶらず、時にユーモアを交えながら落ち着いた話しぶりで、その独特の口調はタモリに「歩くヨーデル」と評された。 彼が科学者を目指したのは寺田寅彦に憧れてのことであった。大学に東京大学を選んだのも、「地球物理学」が東京大学以外では学べなかったことと、何より寺田寅彦の弟子筋にあたる人物がいた(坪井忠二と思われる)ということをテレビ番組の対談で述べていた。
白崎 秀雄(しらさき ひでお、1920年5月25日-1992… 白崎 秀雄(しらさき ひでお、1920年5月25日-1992年2月22日)は、作家、美術評論家。福井市出身。 法政大学修了。1966年「真贋」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。伝記小説に新境地を開き、骨董、書画、日本絵画、篆刻などの関連著作が多い。北大路魯山人を世に広めた人物としても知られる。魯山人の芸術性・技術的な特異性を鋭く評価した。
熊田 誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007… 熊田 誠(くまだ まこと、1920年1月17日 - 2007年6月28日)は、日本の化学者。専門は、有機ケイ素化学・有機金属化学・有機合成化学など。京都大学名誉教授。1993年勲三等旭日中綬章受章。1994年恩賜賞・日本学士院賞受賞。2007年正四位。福井県小浜市出身。 有機金属化学、特に有機ケイ素化学、遷移金属触媒反応の分野において先駆的な研究をしこの分野の発展に指導的役割を果たした。また多くの門下生を輩出した。 専門は有機ケイ素化学、有機合成化学、有機金属化学を中心とする有機化学。 特に有機ケイ素化合物その他有機金属を用いる有機合成、構造有機化学で先駆的研究成果を多数。現在、シリコーン接着剤や化粧品などの原材料として幅広く使われる有機ケイ素化合物の新しい合成法や物性の研究開発を行った。
緩詰 修二(ゆるづめ しゅうじ、1920年 – 没年不明)は… 緩詰 修二(ゆるづめ しゅうじ、1920年 – 没年不明)は、日本の大日本帝国陸軍軍人。実業家。日本繊維新聞代表取締役社長を務めた。 福井県遠敷郡口名田村(現・小浜市)に生まれる。明治大学専門部を経て、1941年3月、歩兵第119連隊に入営して兵科甲種幹部候補生に採用され、豊橋予備士官学校を経て見習士官となる。1942年12月に陸軍歩兵少尉に任官した。[要出典] 1943年12月に歩兵第119連隊の第3歩兵砲小隊長に任命される。1944年1月にシンガポールに上陸した後、2月にマレーへ移駐。同月28日、事故の責任を取って自殺した前任者に代わり機動砲小隊長に任じられた。[要出典]5月にビルマに入る。
石田 佐久馬(いしだ さくま、1919年〈大正8年〉12月5… 石田 佐久馬(いしだ さくま、1919年〈大正8年〉12月5日 - 2006年〈平成18年〉)は、日本の国語教育者。 福井県小浜市出身。福井県師範学校本科・専攻科卒業後、福井県での小学校訓導を経て、お茶の水女子大学附属小学校教諭、十文字学園女子短期大学教授。日本国語教師の会代表。 、『新しい学力観に立つ説明文の授業はいま』東洋館出版社、1993 国語授業を変える
松下 秀雄(まつした ひでお、1919年11月14日 - 2… 松下 秀雄(まつした ひでお、1919年11月14日 - 2013年3月5日)は、日本の実業家。オーディオテクニカ創業者。 福井県南条郡武生町(現越前市)出身。福井市立商業学校(現福井県立福井商業高等学校)卒業。高松高等商業学校(現香川大学経済学部)卒業。1951年ブリヂストン美術館入社。やがて石橋幹一郎の助言を得て、館内レコードコンサートを開催するようになった。 1962年オーディオテクニカ創業、同社代表取締役社長に就任。1973年製造会社のテクニカフクイを設立。1993年オーディオテクニカ取締役会長及びテクニカフクイ取締役会長に就任。2005年オーディオテクニカ代表取締役相談役及びテクニカフクイ代表取締役相談役に就任。
水上 勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日 - 2004… 水上 勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら宇野浩二に師事、社会派推理小説で好評を博して、次第に純文学的色彩を深め、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得。その後は歴史小説や劇作にも取り組む一方、伝記物に秀作を残した。作品の映像化も多い。日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。 福井県大飯郡本郷村(現おおい町)の、佐分利川沿いの集落で棺桶造りや宮大工をしていた家に生まれ[要ページ番号]、5人兄弟の次男として育った。
高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日… 高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日 - 2012年〈平成24年〉6月1日)は、日本の政治家、実業家。高木建設創業者、同社社長。高木商事社長。福井県議会議員。敦賀市議会議員。第57代福井県議会議長、第13-16代敦賀市長などを歴任した。長男は第5代復興大臣、自由民主党衆議院議員の高木毅。 福井県敦賀市出身。1936年、国鉄敦賀機関区に勤務する。1950年、国鉄を退職する。 1951年、敦賀市議会議員に当選する。1954年、高木建設を創立する。1959年、福井県議会議員に当選する。 1966年6月28日から同年12月16日、第54代副議長を、1972年5月26日から1973年6月25日、第57代議長を務めた。
立野 留志子(たての るしこ、1919年 - 2009年10… 立野 留志子(たての るしこ、1919年 - 2009年10月27日)は、フランソア喫茶室の装用者である立野正一の妻。 福井県武生(現越前市)で1919年に生まれた。兄は日本画家の佐藤晴行。兄の紹介で16歳の時に、京都のフランソア喫茶室にウエイトレスとして勤務。戦時中は物資不足でコーヒーのかわりに番茶を提供して営業を続けた。徴兵で知り合った永井東三郎(洋画家)と晴行は、結婚していた留志子に会いにフランソアへ通った。 晩年、パーキンソン病を患った。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
いわさき ちひろ(本名:松本 知弘 まつもと ちひろ、旧姓:… いわさき ちひろ(本名:松本 知弘 まつもと ちひろ、旧姓:岩崎)、1918年12月15日 - 1974年8月8日、女性)は、子供の水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。岩崎ちひろ、岩崎千尋、イワサキチヒロで発表された作品もある。父は陸軍勅任建築技師の岩崎正勝。母・文江は大日本連合女子青年団(のちの大日本青少年団)主事。前夫は東洋拓殖職員、後夫は日本共産党元衆議院議員で弁護士の松本善明。孫は絵本作家の松本春野。 1918年、雪の降る師走の朝にちひろは日本帝国陸軍築城部の建築技師の父親、女学校の教師の母親という当時としては珍しい共働き家庭における三姉妹の長女として福井県武生町(現在の越前市)橘で生まれた。
土田 帆山(つちだ はんざん、1918年12月15日 - 2… 土田 帆山(つちだ はんざん、1918年12月15日 - 2008年2月6日)は、日本の書家、福井県越前市出身。本名は土田 修(- おさむ)。代表作は『剛』、『驪』、『春 一生青春』、『閑古錐』、『天上十分月』。地方文化功労による文部科学大臣賞を受賞。 死去直前の役職は、独立書人団参事、毎日書道展名誉会員、全日本書道連盟評議員、洗心書道会代表、若越書道会薫事、越前市書道連盟会長、武生書作家協会名誉会長、越前市文化協議会顧問、丹南芸術家協会常任顧問。 1940年杉本長雲に師事、高志書道会に入会。1948年文部省主催の書道講習会に福井県代表として小林抱牛(独立書人団元代表)、稲村雲洞、木村蒼岳とともに受講。
真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18… 真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1981年〈昭和56年〉1月10日)は、日本の法制官僚、裁判官、弁護士。内閣法制局長官。 福井市出身。弁護士・真田一夫、政乃夫妻の七男として生まれた。福井県立福井中学校、第三高等学校を卒業。大学在学中に高等試験司法科試験に合格。京都帝国大学法学部を卒業。1942年(昭和17年)1月、司法官試補となり東京地方裁判所判事に任官。召集され陸軍の戦車隊に配属されたが、海軍短期現役士官を志願し海軍法務官に転じ、終戦時は海軍法務中尉であった。 戦後、裁判官に復帰したが、1947年(昭和22年)法制局に転じ参事官となり、第二部長、第一部長、内閣法制次長などを歴任。
大嶋 正(おおしま ただし、1918年(大正7年)4月11日… 大嶋 正(おおしま ただし、1918年(大正7年)4月11日 - 1984年(昭和59年)3月3日)は、スペイン文学者、同志社大学商学部教授。専攻はスペイン古典文学。 福井県福井市出身。1940年、東京外国語学校スペイン語部文科を卒業する。日本郵船社員、都新聞記者などを経て、1962年に同志社大学商学部助教授となる。 1966年、給与所得者は過重な税負担を課せられているとして「サラリーマン税金訴訟」を起こした。一、二審で敗れ、1984年3月3日、最高裁上告中にS状結腸癌により死去。享年65歳。 1975年、『魔女セレスティナ』で第12回日本翻訳文化賞を受賞する。
森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 19… 森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 1947年4月1日)は、福井県坂井市三国町(現坂井市)出身の俳人。高浜虚子の写生文「虹」のヒロインとしても知られる。 1917年(大正6年)、 三国港で回船問屋を営む豪商・森田三郎右衛門と田中よしの娘として生まれる。三国の芸者置屋の娘である田中よしは名妓といわれ、18歳で森田三郎右衛門の側室となった。2人の間には長男武雄、長女敏子がいたがふたりとも夭折している。森田愛子の父・森田三郎右衛門は、銀行業(森田銀行)や森田農園を営み、運送会社、みそ、醤油醸造も手がけていた。父も俳句に親しんでおり、句が残っている。愛子は、森田本家の父母や兄弟にもかわいがられ、裕福で何不自由ない少女時代を送る。
矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月2… 矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月24日 - 1990年 <平成2年> 3月3日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1916年、福井県福井市生まれ。福井市立福井商業学校(現福井県立福井商業高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業。商業学校では、赤松要ゼミで学んだ。その後は神戸商業大学(現神戸大学)に進み、1940年に卒業、田中金司ゼミで学んだ。 卒業後、指導教官田中の推薦で、1940年に神戸商業大学助手に採用。1944年より神戸商業大学大東亜研究所調査員。1944年に神戸経済大学助手、1946年に同助教授、1952年に同教授に昇進。
池田 義祐(いけだ よしすけ、1915年 <大正4年> 3月… 池田 義祐(いけだ よしすけ、1915年 <大正4年> 3月28日 - 1992年 <平成4年> 3月28日)は、日本の社会学者。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 福井県坂井郡雄島村出身。旧制福井県立三国中学校卒業。1931年、大谷大学文学部社会学科卒業。1962年、「支配関係の研究」により大谷大学文学博士。 1946年大谷大学文学部講師、49年助教授、1954年京都大学文学部助教授、64年教授、78年定年退官、名誉教授、大谷大学教授。1988年3月退職。同年春の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。1992年3月死去。死没日付をもって正四位に叙された。
中川 平太夫(なかがわ へいだゆう、1915年3月18日 -… 中川 平太夫(なかがわ へいだゆう、1915年3月18日 - 1987年6月14日)は、公選第4代福井県知事(任期は1967年4月23日 - 1987年4月22日、5期)。福井県遠敷郡野木村(のちの遠敷郡上中町、現在の三方上中郡若狭町)出身。若狭町名誉町民(1983年11月3日、当時の遠敷郡上中町より称号贈呈)。息子は元福井県議会議長の中川平一。
松井 聰(まつい さとし、1915年3月12日 - 1995… 松井 聰(まつい さとし、1915年3月12日 - 1995年8月1日)は、日本のバスケットボール選手、指導者。 1936年のベルリンオリンピック日本代表。福井県福井市出身。176cm。 1915年、福井県福井市に生まれる。府立五中、成城高校を経て、京都帝国大学経済学部に進学する。高校の途中まではサッカーの選手だったが、16歳でバスケを始め、3年の秋には日本代表に選出された。 京大在学中は籠球部に所属し、大学3年時の1936年にはベルリンオリンピックに出場した。 大学卒業後は神戸学士クラブに所属し、高校、大学、社会人のすべてで全国制覇を経験した。 現役引退後は日本バスケットボール協会の理事や副会長を務めたほか、1979年夏季ユニバーシアードの団長や日本オリンピック委員会の委員等を歴任した。
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 19… 梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。 福井県小浜市生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学医学部卒業。卒業後、当時の東京帝国大学医学部細菌学教室、東京帝国大学付属伝染病研究所に勤務。1947年国立予防衛生研究所設立とともに初代抗生物質部長に就任。1954年以降は、東京大学応用微生物研究所教授(兼務)となる。 ペニシリンの国産化に尽力し、1956年、国産初の抗生物質カナマイシンを発見、精製。カナマイシンは、ストレプトマイシンの効きにくい耐性菌にも効果のある抗生物質として世界的に用いられた。当時の厚生大臣橋本龍伍の計らいにより、このカナマイシンの特許料を基金として、1959年財団法人微生物化学研究会を設立、理事長に就任。
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 19… 梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。
宇野 重吉(うの じゅうきち、1914年〈大正3年〉9月27… 宇野 重吉(うの じゅうきち、1914年〈大正3年〉9月27日 - 1988年〈昭和63年〉1月9日)は、日本の俳優、演出家、映画監督。本名:寺尾 信夫(てらお のぶお)。 宇野は第二次世界大戦前から戦後にかけて長く演劇界をリードしてきた名優の1人であり、滝沢修らと劇団民藝を創設した。飄々とした風貌と軽妙な演技を持ち味とし、『ゴドーを待ちながら』『夕鶴』などの舞台に出演。演出家としても多くの作品を残しており、リアリズムを基調とした近代的な芸を追求した。映画・テレビでも活躍し、主な映画出演作に『愛妻物語』『第五福竜丸』『金環蝕』など。映画監督として4本の作品も発表している。宇野重吉の芸名は、中野重治と鈴木三重吉に由来している。
伊原 徳栄(いはら とくえ、1914年8月6日 - )は、福… 伊原 徳栄(いはら とくえ、1914年8月6日 - )は、福井県出身のプロ野球選手。
杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月… 杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月25日 - 1999年 <平成11年> 11月6日)は、日本の哲学者、民話研究家。位階は正四位。 福井県福井市出身。1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了、1965年「様相論理学研究」で京都大学文学博士。1949年福井大学助教授、1957年教授、1976年定年退官、名誉教授、岡山大学教授となり、1980年福井県立博物館長に就任。1970年福井県文化賞、1983年郷土史研究賞「忠直配流―その説話と史実」で受賞、1987年勲二等瑞宝章受勲。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
浜田 倫三(はまだ りんぞう、1914年(大正3年) - 2… 浜田 倫三(はまだ りんぞう、1914年(大正3年) - 2005年(平成17年))は、日本の政治家。元高浜町長。関西電力(関電)子会社の環境総合テクノス顧問。森山栄治助役と共に高浜原子力発電所誘致に尽力した。 1914年、福井県大飯郡高浜町三明生まれ。呉服商や町議を経て1962年から5期20年、高浜町長を務めた。1974年から1975年、運転を始めた高浜原発1、2号機の誘致に尽力。1982年、町長を退任。1983年から亡くなる2005年まで関西電力の子会社・関西総合環境センター(現環境総合テクノス)の顧問を務めた。 町長在任中の1976年-1977年、町民や町議会に報告のないまま、関電からの協力金9億円を浜田個人名の普通預金口座に受け入れ、うち3億3000万円が町内の5つの漁業協同組合に配分された。
松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - … 松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - 1997年11月6日 )は、日本の厚生労働官僚。日経連専務理事。 福井県小浜市出身。東京帝国大学卒業。昭和13年厚生省入省。のち労働省、中央労働委員会事務局長など経て、36年退官。厚労省在職中は、児童福祉法を起草した。その後、富士製鉄(現・新日本製鉄)に入社。40年子会社の東海製鉄常務。45年桜田武に雇われて、日経連専務理事に就任。第1次石油危機の際に賃上げガイドラインをまとめるなど、労使交渉の調整にあたった。84歳没。
南部 誠治(なんぶ せいじ、1912年10月19日 - 19… 南部 誠治(なんぶ せいじ、1912年10月19日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長を務めた。 福井県大野市出身。1936年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社。1957年11月に取締役に就任し、1959年9月に常務、1969年11月に専務、1974年11月に副社長を経て、1977年6月に社長に就任。 1970年6月に運輸大臣表彰を受け、1976年11月に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日、急性心不全のために死去。68歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 198… 多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 1980年7月8日)は、日本の小説家・俳人。福井県福井市出身。 旧制福井中学校、旧制第二早稲田高等学院、早稲田大学文学部仏文科卒業。横光利一に師事し、石塚友二らと交流する。高等学院時代は、八木義徳、辻亮一、中村八朗らと同人誌「黙示」を創刊。 1940年より上海へ渡り、上海中華映画に勤務、1941年、『大陸往来』に寄せた「長江デルタ」で第13回芥川賞受賞。 1945年福井に疎開するが空襲にあい、三国町(現坂井市)に移住し、三好達治らと交流を持つ。 1947年福井県社会教育委員を務め、福井県文化協議会の設立に参加。「蛇師」で大衆文芸懇話会賞佳作。
前田 喜代士(まえだ きよし、1912年4月20日 - 19… 前田 喜代士(まえだ きよし、1912年4月20日 - 1938年1月)は、福井県出身のプロ野球選手。 武生中学では主将で4番中堅手だった。卒業後は慶大に進むも病気で中退。その後、ノンプロの呉羽紡績、日本レイヨンでプレーした。 1936年、名古屋軍の結成に参加し、そのまま入団。最初の公式リーグ戦である1936年春の第一回日本職業野球リーグ戦では左翼手として活躍し、5月17日の東京セネタース(鳴海球場)戦では、石原繁三からランニングホームランを打った。これは球団史上初めての本塁打である(日本プロ野球公式戦でも、同年5月4日に本塁打を打った藤井勇(大阪)に次いで第二号本塁打である)。同年秋の第二回日本職業野球リーグ戦においても12月7日の東京セネタース(洲崎球場)戦で、同じ石原繁三から日本プロ野球公式戦史上初の代打本塁打を打つなど、長打力のある打者として、弱小・名古屋軍を支えた。
本田 弘慈(ほんだ こうじ、1912年3月31日 - 200… 本田 弘慈(ほんだ こうじ、1912年3月31日 - 2002年4月6日)は、日本の牧師。 1912年(明治45年)3月31日 福井県丸岡町出身。父善太郎、母はつえの長男として生まれる。 1929年(昭和4年)7月22日 丸岡教会で洗礼を受ける。1930年 福井商業学校(現・福井県立福井商業高等学校)を卒業後、上京し、魚河岸の金物屋に勤める傍ら、日本大学文学部に入学する。同大学を中退、米国聖書教会の聖書配布の仕事を務める。 1934年(昭和9年) 関西聖書神学校に入学して、沢村五郎らの薫陶を受ける。1938年(昭和13年) 関西聖書神学校を卒業し、牧師として働く。 1940年(昭和15年)4月22日、森田志づと結婚する。
水町 庸子(みずまち ようこ、本名︰三国 むめ子、1912年… 水町 庸子(みずまち ようこ、本名︰三国 むめ子、1912年3月24日 - 1941年1月11日)は、福井県出身の女優。夫は俳優の三国周三、娘は女優の水町瑛子(三邦瑛子)、甥は放送タレントの三國一朗。 三重県立津高等女学校(現 三重県立津高等学校)を中退後、1933年、21際の時に新宿の大衆劇場ムーランルージュ新宿座に入団。入団当初は「水町玲子」の芸名で地味ながら堅実な演技をこなす舞台女優として活躍した。徐々に女優としての頭角を現し、美人であった事も加わってトップ女優の仲間入りを果たしていく。 その後、同じムーラン所属の俳優であった三国周三と結婚、1938年に芸名を「水町玲子」から「水町庸子」に改名して「冬の宿」で映画デビューを果たす。
小林 利蔵(こばやし としぞう、1912年 - 1973年)… 小林 利蔵(こばやし としぞう、1912年 - 1973年)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手、三塁手。
近藤 吾朗(五郎)(こんどう ごろう、1911年〈明治44年… 近藤 吾朗(五郎)(こんどう ごろう、1911年〈明治44年〉2月4日 - 1999年〈平成11年〉1月11日)は、日本の芸術家。戦前は中国に在住し東洋美術を学び、パリを中心に西洋美術、中近東やアジア諸国の古代文明跡に漂泊の旅を重ね、「写実の美」、「存在のリアリティー」を追求した。 晩年は富士山麓の静岡県裾野市にアトリエ「無暦庵」を構え、黙々と富士山を描き続けた。どの絵画も丹念なマチエールでダイナミックで重厚感のある油絵が特徴である。 他数百点以上の作品を残している。
榊原 仟(さかきばら しげる、1910年(明治43年)10月… 榊原 仟(さかきばら しげる、1910年(明治43年)10月13日 - 1979年(昭和54年)9月28日)は、日本の医学者。心臓外科の世界的権威として知られた。 福井県福井市宝永上町に開業医の四男として生まれ、兄に榊原亨がいる。幕臣・榊原職直の後裔である。 旧制福井中学(現福井県立藤島高等学校)を経て、第六高等学校時代の1930年(昭和5年)、帝大生であった次兄・周と上京中の母が和田倉門辺りでタクシー乗車中に交通事故に遭い、母は頸髄損傷が元で、周も間もなく亡くなった。その後東京帝国大学に進み医学部を卒業。都築正男教授の医学部第二外科講座に入局。大学同期に、若月俊一、津川武一、近藤宏二など。 第二次世界大戦中は軍医としてフィリピン戦線に従軍し、1943年(昭和18年)には東京帝大医学部の支援で同仁会が設立した上海同仁大学の教授として赴任するが、日本の降伏後に同大は接収されたため、46年に帰国し東京帝大医学部第二外科講座で医局長を担う。
小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月… 小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月2日 - 2002年〈平成14年〉2月14日)は、日本の農林官僚、経済学者。 農林事務次官、政府税制調査会会長などを歴任した。特に、政府税制調査会会長は16年間を務め,「ミスター税調」と呼ばれた。旧姓は大井。著作に『土地立法の史的考察』など。 長男は元国際交流基金理事長で外交官の小倉和夫。三男は社会学者で津田塾大学名誉教授の小倉充夫。
大月 明(おおつき あきら、1910年7月25日 - 198… 大月 明(おおつき あきら、1910年7月25日 - 1987年2月16日 )は、日本の医学者。論文『から・あざーるニ関スル研究』で、博士(医学)の学位授与(主査:木村廉「微生物学」)。学位記宛先は、大阪府三島郡富田町(現・高槻市富田町)。現住所:不掲載。
島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年… 島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年9月28日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士。京都大学名誉教授。福井県敦賀市生まれ。
白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006… 白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。 1923年、福井市の順化尋常小学校(現・福井市順化小学校)を卒業後、大阪市に移り弁護士・広瀬徳蔵(大阪府会議員を経て立憲民政党代議士)の事務所に住み込みで勤務しながら、成器商業学校夜間部(現・大阪学芸高等学校)に通う。この時期に廣瀬の蔵書を読み漁り漢籍に親しみ独学していった。1930年、京阪商業学校(現・大阪府立芦間高等学校)卒業。 立命館大学専門学部国漢科(夜間)を1936年に卒業。在学中より立命館中学校教諭も務め、1941年には立命館大学法文学部漢文学科に入学。
坪川 信三(つぼかわ しんぞう、1909年(明治42年)11… 坪川 信三(つぼかわ しんぞう、1909年(明治42年)11月13日 - 1977年(昭和52年)11月20日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員(10期)、福井市長(1期)、建設大臣、総理府総務長官、沖縄開発庁長官を歴任した。福井県出身。 1909年11月13日、福井県足羽郡社村種池(現・福井市種池1丁目)に生まれる。 1924年3月社村江守尋常小学校高等科卒業。1929年3月福井師範学校(現・福井大学教育学部)卒業。 北京で日本居留民の教育に携わり,のち湯沢三千男内相の秘書官となる。 1946年4月、福井県全県区から第22回衆議院議員総選挙に立候補し初当選するも、炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問され、その後逮捕されたが起訴猶予処分となった。
米沢 英雄(よねざわ ひでお、1909年〈明治42年〉5月3… 米沢 英雄(よねざわ ひでお、1909年〈明治42年〉5月31日 - 1991年〈平成3年〉3月3日)は、日本の医師、浄土真宗の伝道者。 福井県福井市生まれ。旧制第四高等学校文科を経て、日本医科大学を卒業。医学博士。開業医のかたわら、親鸞聖人の教えに深く帰依し、多数の著作、全国各地での法話・講演などで、多くの念仏者を生み出した。著述、講演による伝道者・実践者としての功績で1989年<平成元年>第23回仏教伝道文化賞を受賞。
藤井 清(ふじい きよし、1909年4月17日 - 1998… 藤井 清(ふじい きよし、1909年4月17日 - 1998年10月6日)は、日本の歌人・国文学者。 福井県鯖江市生まれ。1939年広島文理科大学史学科卒。仙台の宮城県立第一高等女学校(現在の宮城県宮城第一高等学校)をふりだしに、宇都宮、福井など各地の高校、大学で教え、1969年退職。 1932年『国民文学』に入会し、松村英一に師事する。のち編集委員・選者。1978年「高樹会」会員となり、合同歌集「高樹」に参加。千代國一編集の歌誌「国民文学」の選者を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
伊藤 義教(いとう ぎきょう、1909年2月23日 - 19… 伊藤 義教(いとう ぎきょう、1909年2月23日 - 1996年10月23日)は日本のイラン学者。京都大学名誉教授。 1909年、山口県大津郡三隅町で生まれた。旧制福井中学校、旧制姫路高等学校を経て、京都帝国大学文学部に進むと、梵語梵文学を専攻し榊保三郎、足利惇氏に師事。1935年に卒業した。 1940年、京都帝国大学大学文学部副手に採用された。翌1941年に同講師昇格。1947年からは新制大学発足に伴い、京都大学文学部講師。1953年、学位論文『マーヌシュチフル書翰集の解読』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1968年、文学部教授に昇格。1972年に京都大学を定年退官し、1974年名誉教授となった。