MASAKI世界一周(まさき せかいいっしゅう、1981年7… MASAKI世界一周(まさき せかいいっしゅう、1981年7月29日 - )は日本のタレント、旅行作家、旅行評論家、モデル、ツアーコンダクター(海外添乗員)、クレーマーである。本名は小堺正樹。愛知県出身。パールハーバープロダクション 所属。札幌大学卒業後、ニューヨークに渡り留学後、旅をしながら雑貨やアパレルの買い付けや旅行本の執筆、写真、映像撮影、ジャーナリスト活動、テレビやラジオの出演などで旅行そのものを仕事にし、国連未承認国を含む204カ国を訪問。トークイベントや講演、テレビ、ラジオなどのメディア出演も多い。 関西テレビ「怒りのマネークリニック」(2016年9月17日)に出演。 はなわの「日本のパスポートが高すぎる」という怒りの処方箋として、たむらけんじの出す薬として評論を展開。
赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )… 赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )は、愛知県刈谷市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、野球解説者、野球評論家、タレント。妻はタレントの徳原恵梨。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 赤星曰く、幼少期から運動神経が良く、刈谷市立住吉小学校時代には野球以外のスポーツで誰かに負けたことがなかった。特に足の速さに関しては幼稚園に入園する頃にはすでに自覚があり、誰かに負けた記憶がないという。ただし努力をしなくてもあらゆるスポーツで負けることがないことで「何をやっても面白くない」、何をやってもうまくいくがゆえに「逆に自分は何をするべきなのか、何をやると一番楽しいのかということがわからない」心境に陥っていた。
岩瀬 仁紀(いわせ ひとき、1974年11月10日 - )は… 岩瀬 仁紀(いわせ ひとき、1974年11月10日 - )は、愛知県西尾市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、野球解説者・野球評論家。 現役時代は、1999年から2018年まで20年間にわたって地元の愛知県を保護地域とするNPB球団の中日ドラゴンズでプレーし、救援投手として活躍。若手時代は中継ぎ投手、後年に抑え投手として起用され、セントラル・リーグ最優秀中継ぎ投手のタイトルを3回、リーグ最多セーブ投手のタイトルを5回獲得したが、後者の獲得回数はNPB最多タイ記録である。また通算1002登板、407セーブはいずれもNPB記録である。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 1974年11月10日、愛知県で生まれた。
渡邉 哲也(わたなべ てつや、1969年〈昭和44年〉11月… 渡邉 哲也(わたなべ てつや、1969年〈昭和44年〉11月12日 - )は、日本の経済評論家、作家。 日本大学法学部経営法学科を卒業した。貿易卸業等の企業勤務を経て独立した。2ちゃんねるで「代表戸締役 ◆jJEom8Ii3E」のハンドルネームで、ハングル板や東アジアnews+板などを中心に書き込んでいた固定ハンドルネーム保持者の1人である。 韓国や欧米経済などへの論評などを行っていたが、近年は渡邉名義での経済書の執筆、チャンネル桜出演、大衆雑誌などへ経済評論家の肩書で寄稿も行うようになった。 同じく2ちゃんねるの常連投稿者出身の評論家・三橋貴明とは交流があり、共著や三橋の著書の監修、『宝島』など一般雑誌上での対談も行っている。
伊藤 剛(いとう ごう、1967年2月 - )は、愛知県名古… 伊藤 剛(いとう ごう、1967年2月 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の漫画評論家、鉱物愛好家。主著に『テヅカ・イズ・デッド』。
佐々木 敦(ささき あつし、1964年7月8日 - )は、日… 佐々木 敦(ささき あつし、1964年7月8日 - )は、日本の映画評論家・音楽評論家・文芸評論家・時事評論家、小説家。雑誌編集者。 早稲田大学元客員教授、慶應義塾大学ほか非常勤講師、HEADZ代表。雑誌『エクス・ポ』『ヒアホン』編集人。文学ムック『ことばと』編集長。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立桜台高等学校を経て、早稲田大学卒業。映画評、音楽評、時評、小説評などを多数の媒体に寄稿する一方、自らの事務所であるHEADZで海外ミュージシャンの昭凱[要説明]やコンサート、フェスティバルなどの企画制作を手掛ける。 2001年、慶應義塾大学環境情報学部の非常勤講師に着任。2002年から慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスおよび武蔵野美術大学で非常勤講師。
槙原 寛己(まきはら ひろみ、1963年8月11日 - )は… 槙原 寛己(まきはら ひろみ、1963年8月11日 - )は、愛知県半田市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家・タレント・YouTuber。 愛称は「マッキー」「マキさん」「ミスター・パーフェクト」「ミスター・3連発」など。所属事務所はノースプロダクション→オールラウンド。 斎藤雅樹、桑田真澄と共に1980年代中頃から1990年代の日本プロ野球・セントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(巨人)を支えた先発投手三本柱の1人。1994年5月18日、史上15人目にして平成年間唯一の完全試合を福岡ドームで達成したことで知られる他、ミスターバックスクリーン3連発など、同時代のセ・リーグにおける印象的な場面にも多く関わった。
池田 貴族(いけだ きぞく、1963年〈昭和38年〉5月8日… 池田 貴族(いけだ きぞく、1963年〈昭和38年〉5月8日 - 1999年〈平成11年〉12月25日)は、日本の歌手、評論家、作家、タレント。本名、池田 貴(いけだ たかし)。愛知県名古屋市出身。愛知県立千種高等学校卒業。ホリプロ最終所属。 1989年よりTBS系バラエティ番組『平成名物TV』内の1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演して脚光を浴び、翌1990年にロックバンドであるremoteのボーカリストとしてシングル『NO!』でデビュー。音楽関連以外にも心霊系タレントとして、テレビ番組出演や書籍の出版、CDやビデオ制作などの活動を行う。 中日ドラゴンズのファンであり、『機動戦士ガンダム』シリーズのファンでもあった。
鈴木 貴博(すずき たかひろ、1962年11月17日 - )… 鈴木 貴博(すずき たかひろ、1962年11月17日 - )は、経済評論家、フューチャリスト、経営戦略コンサルタントである。 所属事務所はアスリート・マーケティング株式会社。 愛知県名古屋市出身。 ボストンコンサルティンググループ出身。大企業に対する経営コンサルティングの経験をもとに、2003年ころから雑誌やWEBメディアでの経済記事の執筆を始める。経済評論家としての専門領域は未来予測、問題解決と企業戦略で、東洋経済オンライン、ダイヤモンド・オンライン、プレジデントオンライン、現代ビジネスにそれぞれ連載を持つ。2013年に出版した経済クイズ本『戦略思考トレーニング』がシリーズ累計で20万部を超えるベストセラーになる。
三輪太郎(みわ たろう、1962年 - )は、愛知県名古屋市… 三輪太郎(みわ たろう、1962年 - )は、愛知県名古屋市出身の小説家、文芸評論家。東海大学教授。本名、森孝雅。専門は三島由紀夫、村上春樹研究。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
七北 数人(ななきた かずと、1961年9月23日 - )は… 七北 数人(ななきた かずと、1961年9月23日 - )は、日本の文芸評論家、小説家、編集者である。愛知県名古屋市出身。 名古屋市生まれ。大阪大学文学部を卒業後、出版社勤務を経て、独立する。1990年ごろより、文芸評論を発表、書籍等の編集をする。 小説家坂口安吾に関わり、1997年から2000年まで『坂口安吾全集』決定版の編集に携わる。2000年から安吾を偲ぶ「安吾忌」の事務局を木村立哉らとつとめる(安吾忌は2016年以降は、坂口家主催となるが2024年まで世話人として残る)。 2002年、『評伝坂口安吾 魂の事件簿』を上梓、「こんなに面白くスリリングな評伝読んだことがない!」と安原顕から絶賛され、この年の本ベスト3に安原(本の雑誌)と井口時男(東京新聞)が選定。
鹿野 司(しかの つかさ、1959年1月27日 - 2022… 鹿野 司(しかの つかさ、1959年1月27日 - 2022年10月17日)は、日本のサイエンスライター、SF評論家。 宇宙作家クラブ会員。かつて日本SF作家クラブ会員であったが、2023年4月現在は、会員名簿の「物故会員」には名前がない。 名古屋市生まれ。日本大学文理学部応用物理学科卒業。 学生時代からSFファン活動を開始し、大宮信光らの「SFファン科学勉強会」などに参加。『ログイン』『S-Fマガジン』等にサイエンスコラムを寄稿。 また、映画『ガメラ2 レギオン襲来』やアニメ『科学救助隊テクノボイジャー』『宇宙戦艦ヤマト2199』のSF考証なども手掛ける。 著書『サはサイエンスのサ』で2011年星雲賞ノンフィクション部門を受賞。
杉浦 文夫(すぎうら ふみお、1958年4月1日 - 201… 杉浦 文夫(すぎうら ふみお、1958年4月1日 - 2016年10月25日)は、日本の経済評論家、民間人校長。元東愛知新聞社編集局次長、愛知大学三遠南信地域連携センター会議委員。豊橋ユネスコ協会理事。 愛知県出身。愛知県立時習館高等学校を経て、慶應義塾大学卒業。名古屋市立大学大学院経済学研究科修士課程単位取得満期退学。日本電装(現デンソー)海外事業企画部北中南米係長、デンソーメキシコ秘書役兼企画部長を経て退社後、東愛知新聞社編集局報道部記者、同社政治経済部長歴任後、編集局次長を務めた。また、浜松市立高等学校の民間人校長や豊橋百科事典編集委員にも選任された。
山倉 和博(やまくら かずひろ、1955年9月2日 - )は… 山倉 和博(やまくら かずひろ、1955年9月2日 - )は、福岡県田川市生まれ、愛知県大府市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。
平野 謙(ひらの けん、1955年6月20日 - )は、愛知… 平野 謙(ひらの けん、1955年6月20日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者、野球解説者、野球評論家、YouTuber。右投両打。 妻は元タレントの秋本理央、息子は俳優の平野潤也、姉はエッセイストの内藤洋子。業務提携先は株式会社レガシージャパン。 両親は平野金物店を営んでおり、6歳上の姉・洋子がいる4人家族だった。母に似て幼少期から運動能力が優れ、4歳の頃に父が買ったビニール製のグラブでキャッチボールを始めた。小学校4年で野球チームに入ると5年生で選抜チームの遊撃手を務めるようになり、「将来は絶対プロ野球選手になれる」との高い評価を受ける。なお、小学生時代は王貞治に憧れ、部屋に貼ったポスターの前で素振りをしていたという。
大宮 龍男(おおみや たつお、1954年6月19日 - )は… 大宮 龍男(おおみや たつお、1954年6月19日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ、解説者・評論家。
徳田 耕一(とくだ こういち、1952年(昭和27年)11月… 徳田 耕一(とくだ こういち、1952年(昭和27年)11月1日 - )は、日本の交通ジャーナリスト、作家、評論家。 鉄道に関する時事評論や紀行文、旅行ガイドを数多く発表している。特に中京圏(東海3県)の鉄道に関しては、自らの出身・在住地であるためか多くの著作がある。 北海道函館市の「はこだて観光大使」に任命されている。また台湾鉄路管理局の台鉄之友でもある。 愛知県名古屋市出身。名城大学附属高等学校、名城大学法学部卒業。名古屋市在住で中部地方の交通ジャーナリストとして活動。叔父の経営するパナソニックショップ徳田ラジオ商会の手伝いの傍ら、鉄道をメインに交通全般と旅、観光をテーマに執筆活動を続ける。
亜庭 じゅん(あにわ じゅん、1950年8月31日 - 20… 亜庭 じゅん(あにわ じゅん、1950年8月31日 - 2011年1月21日、男性)は日本の漫画評論家。愛知県名古屋市出身。批評集団「迷宮」の主要メンバーであり、MGMの創設者。本名は松田 茂樹(まつだ しげき)。愛称は「あにじゅん」。 1950年8月31日、愛知県名古屋市昭和区で誕生。 1969年4月、京都大学(文学部仏文科)入学。京都市左京区一乗寺に下宿する。1971年、月刊誌『COM』(虫プロ商事)8月号の読者投稿欄に「亜庭じゅん」のペンネームで長文のCOM批判を投稿し掲載される。 1972年、ぐら・こん関西支部長であった中島隆の紹介により、京都工芸繊維大学の学生だった高宮成河と出会い、意気投合。
西ヶ廣 渉(にしがひろ わたる、1950年4月18日 - )… 西ヶ廣 渉(にしがひろ わたる、1950年4月18日 - )は、日本の外交官、演劇評論家。駐ルクセンブルク特命全権大使、宮内庁宮務主管等を務めた。演劇評論家としての筆名は結城 雅秀(ゆうき まさひで)。 愛知県名古屋市生まれ。丹羽郡扶桑町出身。東海中学校・高等学校を経て、1974年に一橋大学経済学部を卒業し外務省入省。1977年オックスフォード大学哲学政治経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業。 小学生のときにローレンス・オリヴィエの『ハムレット』をテレビで観て以来、演劇に没頭するようになる。外交官の仕事のかたわら「結城雅秀」のペンネームで、1979年から『テアトロ』で演劇評論を定期的に執筆する。
呉 智英(くれ ともふさ、1946年9月19日 - )は、日… 呉 智英(くれ ともふさ、1946年9月19日 - )は、日本の評論家、漫画評論家。京都精華大学マンガ学部客員教授。日本マンガ学会2代目会長、現理事。筆名の読みは「ご ちえい」とも。 本名は新崎 智(しんざき さとし)。ペンネームは『水滸伝』の「呉用」に由来する。愛知県西枇杷島町(現・清須市)出身。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現・清須市)生まれ。東海高等学校卒業。 1965年、早稲田大学法学部入学。 学生運動では無党派の活動家として全共闘運動に参加。早稲田大学2年生の時、学費値上げなどを巡るストライキを防衛しようと、スト破りを計画する運動部の学生と乱闘して逮捕、起訴。2年半にわたる公判の後、1969年、4年生の終わりの頃に執行猶予つきの有罪判決を受けたが、大学からは何の処分も受けなかった。
田中 直毅(たなか なおき、1945年9月1日 - )は、日… 田中 直毅(たなか なおき、1945年9月1日 - )は、日本の政治評論家。
高 信太郎(こう しんたろう、1944年9月19日 - )は… 高 信太郎(こう しんたろう、1944年9月19日 - )は、日本の漫画家、芸能評論家、タレント。愛知県蒲郡市出身。本名は高橋信夫。血液型はB型。 公認候補者として所属した自由連合では文化局長を務めた。 1944年、左官の家に生まれる。県立蒲郡高校在学中の1962年に兎月書房より貸本単行本『ゆり子の窓から』で漫画家デビュー。当時のペンネームは高原信也だった。卒業後は家業を継ぐ意志が無かったことから上京して印刷会社へ勤務。後にあすなひろしのアシスタントを務めた。 ナンセンス系の作品を執筆して、1980年前後にマニア層からの強い支持を得る。 その一方で演芸に対する造詣の深さを買われて、テレビのバラエティ番組にアドバイザーとして関わり、自身もコメンテーターとして出演する機会が多かった。
木俣 達彦(きまた たつひこ、1944年7月7日 - )は、… 木俣 達彦(きまた たつひこ、1944年7月7日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球評論家。
鈴村 和成(すずむら かずなり、1944年3月22日 - )… 鈴村 和成(すずむら かずなり、1944年3月22日 - )は、日本の文学研究者、フランス文学者、文芸評論家、翻訳家。横浜市立大学名誉教授。紀行作家、写真家、詩人としても活躍。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒。1972年、倉橋健一、清水昶、藤井貞和、佐々木幹郎、米村敏人とともに、詩誌「白鯨」を創刊。1991年、アルチュール・ランボー没後100年に、写真家の大島洋とともにランボー紀行を行ない、イエメンのアデン、エジプトのカイロ、キプロスのラルナカ等を歴訪。翌年、四谷三丁目のギャラリー「モール」で写真展「ランボーのスティーマー・ポイント」を開催。同年、同題の本を集英社から刊行。同年、渋谷パルコで粟津則雄、渋沢孝輔、島田雅彦、瀬尾育生とともに、シンポジウム「ランボー101年」を開催。
相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月… 相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月20日 - )は、日本の演芸評論家、放送作家、エッセイスト。大阪芸術大学芸術計画学科元教授・学科長。日本笑い学会副会長。 愛知県名古屋市出身。1966年同志社大学法学部を卒業後、松竹芸能に入社。寄席のスタッフ職員・構成作家として活動した。一時は、大村崑、正司敏江・玲児などのマネージャーを務めている。 1978年に松竹芸能から独立した後は、フリーランスの上方演芸研究家として多数の演芸評論・エッセイを執筆するかたわら、放送作家として『すてきな出逢い いい朝8時』(MBSテレビ)の構成を担当。「M-1グランプリ」では、第1回(2002年)から第6回(2007年)まで、大阪予選の審査員を務めていた。
水谷 寿伸(みずたに ひさのぶ、1941年1月3日 - )は… 水谷 寿伸(みずたに ひさのぶ、1941年1月3日 - )は、愛知県名古屋市千種区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
中村 英樹(なかむら ひでき、1940年〈昭和15年〉9月1… 中村 英樹(なかむら ひでき、1940年〈昭和15年〉9月10日 - 2021年〈令和3年〉11月14日)は、日本の美術評論家、名古屋造形大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋大学文学部哲学科美学美術史卒業。1965年、69年美術出版社主催芸術評論募集に入選。近現代美術の評論を書く。名古屋造形芸術短期大学助教授、名古屋造形大学教授。国際美術評論家連盟会員。 2021年11月14日、肺炎のため死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝… 磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝鮮韓国に関わる作家、評論家、活動家。「在日朝鮮人作家を読む会」の主宰。金城学院大学非常勤講師。NPO法人「三千里鐵道」副理事長。 1937年、愛知県半田市生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒業。1977年から名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰し、会の文芸誌『架橋』を発行。 大学講師、警備員などの仕事をしながら、新日本文学会、マダン劇グループ、外国人登録法反対運動、在日韓国人に対する参政権付与運動、NPO法人「三千里鐵道」など、主に朝鮮韓国に関わる様々な活動に参加している。 2006年には、全18巻に及ぶ『〈在日〉文学全集』(勉誠出版)を黒古一夫とともに編集した。
各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2… 各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2025年8月27日)は、日本の海外ミステリ編集者、翻訳家、評論家、アンソロジスト。 本名は太田博(おおた ひろし)。日本推理作家協会会員。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学商学部在学中は歌人として知られた。歌人としての名義は太田比呂史であり、結社「未来」に参加していた。 同大学卒業後、早川書房に入社し、『ミステリマガジン』の編集に携わる。常盤新平の後を受け、1969年8月号から編集長になり、1973年6月号まで務める。その後フリーとなり、海外ミステリの翻訳(ジュニア向け多数)、評論執筆、アンソロジー編纂に携わる。 1995年に編著『チャンドラー人物事典』で、第48回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した。
杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17… 杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17日 - 2001年〈平成13年〉11月11日)は、愛知県西加茂郡挙母町大字挙母(現:豊田市若宮町)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球 (NPB) 史上5人目・パ・リーグ初の投手5冠を達成し、「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」などと呼ばれた。 現在の豊田市若宮町で生まれる。5人兄弟の四男で、「忠」の名は「南総里見八犬伝」から取られたもので、父・定治は、長男を「仁」、次男を「智」、三男を「孝」、四男を「忠」、五男を「義信」と命名した。挙母町立第一小学校(現:豊田市立挙母小学校)、挙母市立東部中学校(現:豊田市立崇化館中学校)、愛知県立挙母高等学校(現:愛知県立豊田西高等学校)を卒業。
北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日… 北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。本名は磯貝 満(いそがい みつる)。愛知県碧南市出身。 梅光学院大学特任教授。中原中也賞選考委員。現代詩から北村透谷、萩原朔太郎、中原中也論など著書多数。 1935年(昭和10年)に愛知県碧南市に生まれる。1958年(昭和33年)に愛知学芸大学(現・愛知教育大学)学芸学部国語科を卒業。高校教諭を経て、1962年(昭和37年)に詩誌「あんかるわ」を創刊し、詩と批評を掲載する。1990年(平成2年)に同誌を廃刊させ、1991年(平成3年)には山口県下関市に移住して梅光女学院大学教授となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5… 岡安 辰雄(おかやす たつお、本名:伊藤 辰雄、1934年5月19日 - 2014年5月31日)は、愛知県出身の演劇評論家、元新聞記者 。名古屋タイムズ社を経て、中日新聞社に勤務した。 愛知県西尾市生まれ。1953年愛知県立西尾高等学校卒業、1957年愛知大学法経学部経済学科卒業。同年名古屋タイムズ社入社、報道部長、文化部長、編集局次長を務めたのち、中日新聞社に転職し、2010年放送芸能部退社。新聞記者として「芸能」のほかに「釣り」「囲碁」などの取材執筆も担当した。 2010年からは演劇評論家、フリーランス記者として活動した。御園座・名鉄ホール・中日劇場の興業を軸に半世紀以上、主たる興業の稽古取材・プログラム執筆を手掛けた。
金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、… 金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。愛称は「カネやん」「カネさん」。
山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1… 山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1日 - 2009年〈平成21年〉2月2日)は、愛知県一宮市奥町出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。旧名は山内 和弘(読みは同じ)。 1952年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の毎日オリオンズに入団し、毎日および毎日大映オリオンズ(大毎オリオンズ)で「ミサイル打線」の主軸打者として活躍、後にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の阪神タイガースや広島東洋カープでもプレーし、通算19年間の現役生活で打点王4回・首位打者1回・本塁打王2回を獲得、通算2271安打、396本塁打、1286打点を記録した。引退後は毎日・大毎の後身であるロッテオリオンズや中日ドラゴンズで監督を務め、2002年に野球殿堂入りした。
長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 -… 長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 - 2006年7月29日)は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 黎明期の広島カープを代表する投手であり、身長167cmという野球選手としては当時としても小柄な体格から、小さな大投手の異名を取り、通算197勝を記録した。 愛知県半田商工学校卒業後、安田商店(福井県)・安田繊維・新田建設・第一繊維など4つのノンプロチームを渡り歩く。1949年末に設立された広島カープの石本秀一監督が選手集めをしていたところへ、広島への入団が決まっていた内藤幸三が新田建設時代の監督・横沢七郎経由で聞いた長谷川の噂を石本へ伝えたところ、1950年1月に長谷川は広島の入団テストを受けることになる。
亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - 2021… 亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - 2021年10月)は、浄土真宗の在家信徒、仏教評論家。 名古屋市生まれ。愛知県立商業学校(現愛知県立愛知商業高等学校)卒業。税官吏、工場経営、会社役員。1957年からたばこ店を経営、千代田ショップ社長。 1950年代より名古屋市真宗大谷派珉光院同朋会で聞法を始め、1965年名古屋東別院刊行の『名古屋御坊』を編集。 1978年から2009年まで東本願寺『同朋新聞』編集委員。NHK教育テレビ「こころの時代」の司会者も務める。
白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025… 白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025年2月26日)は、日本の評論家。鉄道技術者。鉄道ファン。元名古屋鉄道社員。元大井川鐵道副社長・顧問。日本ナショナルトラスト会員。 名古屋鉄道在籍時に、鉄道技術者としてパノラマカー(7000系)、モノレール車両(東京モノレール100形、名鉄MRM100形)の企画・製作・設計に携わった。大井川鐵道在籍時に井川線のアプト式新線開業、蒸気機関車の動態保存を手がけている。 同じく鉄道ファンであり鉄道関連の著書を多く手がけている白井良和は実弟である。 愛知県岡崎市出身。旧制豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 197… 日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 1979年9月11日)は、日本の科学評論家、科学読物作家、翻訳家。 愛知県安城市出身。1947年、東京大学理学部物理学科卒業。朝日新聞社に入り、科学記者、欧米特派員を経て、1969年退社。 日本宇宙飛行協会(副会長)、日本海洋学会などに所属し、科学評論家として活躍。 1961年、『ロケットよ土星をめざせ』で小学館児童文化賞佳作賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 20… 津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。愛知県岡崎市出身。 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。1947年に新制東京大学に再入学する。 1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。 日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11… 外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11月3日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。 東京文理大英文科卒。専門の英文学にとどまらず、言語学・修辞学・教育学などを広範に研究。言葉のまとまった意味は、視覚に認められる現象と同じような作用によると考えた『修辞的残像』(1961年)を出発点として、日本語の論理、読者論などに新説を出し続けた。『シェイクスピアと近代』(1977年)では、読者論を実践的に示した。また、『異本論』(1978年)、『古典論』(2001年)などでは、従来否定的に扱われてきた異本の積極的な機能を再評価した。
大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
森 一也(もり かずや、 1915年(大正4年)4月8日 -… 森 一也(もり かずや、 1915年(大正4年)4月8日 - 1998年(平成10年)2月1日)は、コロムビア専属の作曲家・音楽評論家(懐メロ解説)。愛知県出身。弟にアニメーション評論で知られる映画評論家の森卓也。 幼少の頃から詩人・西條八十の大ファンで、西條八十作の童話に親しみ、毎晩母親から読み聞かせてもらわなければ寝られぬほどであったという。昭和7年4月に愛知県の一宮中学校から明治大学附属中学校に編入、翌8年4月に家事都合で退学する。また、明治大学講堂で開かれた山田耕筰の音楽講座に出席するなど音楽についての研究に没頭し、その後、東京音楽学校(現:東京藝術大学)を卒業。一時、ビクターコンサートビューローに籍を置き、戦時中は地元名古屋で音楽教師として活躍。
杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9… 杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9日 - 2001年〈平成13年〉3月14日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。 1913年(大正2年)愛知県渥美郡福江村(現在の田原市折立町)で、小地主兼雑貨商の長男として生まれる。父の太平は、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)に死去するまで渥美町長をつとめている。 1926年(大正15年)、愛知県豊橋中学校(現在の愛知県立時習館高等学校)を四年生修了で第一高等学校へ進学、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部国文学科卒業。一年下の後輩、立原道造と一高の短歌会で知り合い、共に1935年(昭和10年)同人誌「未成年」を発行。
金沢 嘉市(かなざわ かいち、1908年10月2日 - 19… 金沢 嘉市(かなざわ かいち、1908年10月2日 - 1986年10月10日)は、日本の教育者・教育評論家。 愛知県出身。41年の教員生活で世田谷区立祖師谷小学校校長などを務め、定年後には「児童教育研究家」の肩書で活動した。 1908年(明治41年)10月2日に愛知県宝飯郡蒲郡町平田村(現・蒲郡市平田町)に生まれた。父親は平田村の副区長や区長を務めた。1915年(大正4年)に蒲郡町立東部小学校に入学し、1921年(大正10年)に宝飯郡実業学校(その後愛知県立蒲郡農学校に改称、現在の愛知県立蒲郡高等学校)に入学して教員の道を目指した。1927年(昭和2年)に東京の青山師範学校二部(東京学芸大学の前身)に入学し、1928年(昭和3年)に青山師範学校を卒業して小学校教師となった。
本多 秋五(ほんだしゅうご、1908年(明治41年)9月22… 本多 秋五(ほんだしゅうご、1908年(明治41年)9月22日 - 2001年(平成13年)1月13日)は、愛知県西加茂郡猿投村(現:豊田市)出身の文芸評論家である。 1912年、4歳で母と死別。1921年、旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)入学。同人誌『朱雀』に参加。1926年、旧制第八高等学校に入学。1929年、東京帝国大学文学部国文科に入学、マルクス主義に近づく。1930年、ロシア革命記念日のデモに参加し検挙される。1932年、東大を卒業。卒論は「森鷗外研究」、大学院に進学する。1933年、治安維持法違反で検挙され翌年釈放、郷里に帰る。のちに長兄について満洲を訪問。1936年に上京し、逓信省電務局無線課に勤務。
大橋 武夫(おおはし たけお、1906年(明治39年)11月… 大橋 武夫(おおはし たけお、1906年(明治39年)11月18日 - 1987年(昭和62年)7月13日)は、日本の陸軍軍人、実業家、経営評論家。 軍人として第53軍参謀・東部軍参謀等を務め、階級は陸軍中佐に至る。戦後東洋精密工業社長、同社相談役や偕行社副会長を歴任する。愛知県蒲郡市出身。 明治39年11月陸軍中佐大橋崧次郎の四男として生まれ、愛知四中・名古屋陸軍幼年学校・陸軍士官学校予科を経て昭和2年7月19日に陸軍士官学校を卒業。同年10月25日、陸軍砲兵少尉に任官され、野戦重砲兵第2連隊附を命ぜられる。士官候補生第39期の大橋の同期には陸軍省軍務局軍事課高級課員で戦後陸将・陸上幕僚副長となる高山信武大佐や、南方軍第2課長の矢野連大佐、関東軍作戦主任参謀の草地貞吾大佐がいる。
牧野 吉晴(まきの よしはる、1904年9月25日 - 19… 牧野 吉晴(まきの よしはる、1904年9月25日 - 1957年12月21日)は、日本の美術評論家・小説家。 愛知県名古屋市生まれ。本名・勝彦。父は軍人。東海中学校(現∶東海中学校・高等学校)卒。冨澤有爲男が中学の先輩にいた。さらに東京植民貿易語学校、川端画学校に学ぶ。 金子光晴、赤松月船に師事して詩作、ついで小茂田清樹に師事して日本画を描く。1930年「猿猴図」が聖徳太子奉賛展で入選。また、正岡容と浪曲の巡業をし、吉井勇に師事してともに関西北陸を放浪。 1936年に放浪生活をやめ、中西悟堂の推薦で美術雑誌『東陽』を編集、美術評論を書く。同誌の創作欄に掲載された冨澤有爲男「地中海」が同1936年、芥川賞を受賞。
本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日… 本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日 - 1978年6月30日)は、日本の英文学者、評論家、浄土真宗の僧侶。法政大学名誉教授。 愛知県名古屋市の寺院に生まれ、自らも僧籍を有した。本名・けんしょう。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を経て、1923年東京帝国大学文学部英文科卒。九州帝国大学講師、旧制福岡高等学校教授、東京女子高等師範学校教授を経て、1933年から1966年まで法政大学教授を務めた。その後、駒沢大学、実践女子大学、武蔵野女子大学の教授を歴任。シェイクスピア、ロレンスなど英文学の翻訳・研究に加え、近代日本文学など広範な評論活動をおこなった。 夏目漱石、親鸞に関する著作のほか、エッセイストとしても長年執筆を行い、学内事情を暴露した『大学教授』や『歎異抄入門』はベストセラーとなった。
谷川 徹三(たにかわ てつぞう、1895年〈明治28年〉5月… 谷川 徹三(たにかわ てつぞう、1895年〈明治28年〉5月26日 - 1989年〈平成元年〉9月27日)は、日本の哲学者、翻訳家、評論家。法政大学総長などを務めた。日本芸術院会員。常滑市名誉市民。 ジンメル、ゲーテの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。 1895年5月26日、煙草の元売りの店を営む谷川米太郎の三男として愛知県知多郡常滑町(現:常滑市保示町)に生まれた。旧制愛知県立第五中学校(現:愛知県立瑞陵高等学校)卒業。1913年、旧制第一高等学校に入学。在学中は真宗大谷派僧侶の近角常観が主宰していた求道学舎に寄宿する。西田幾多郎に影響され、1918年に京都帝国大学文学部哲学科へ入学し、西田に師事する。