中島 恵理(なかじま えり、1972年 - )は、日本の環境… 中島 恵理(なかじま えり、1972年 - )は、日本の環境官僚。長野県副知事を経て、環境省大臣官房環境計画課計画官。 京都府京都市出身。京都大学法学部卒業後の1995年、環境庁(現・環境省)入庁。1999年、ケンブリッジ大学環境政策修士課程修了。2000年、オックスフォード大学環境の変化とマネジメント課程修了。 2015年より長野県副知事、2021年3月まで環境省脱炭素化イノベーション研究調査室長、2021年12月より、信州大学経法学部特任教授。2023年4月より同志社大学政策学部・総合政策科学研究科教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
由布 和嘉子(ゆふ わかこ、1970年8月10日 - )は、… 由布 和嘉子(ゆふ わかこ、1970年8月10日 - )は、日本の総理府・内閣府官僚。滋賀県副知事。 京都府京都市左京区出身。同志社高等学校から東京大学に入学。3年次に法学部に進学。行政学や官僚システムを学ぶうちに政府の意思決定やそれぞれの局の仕事に興味を持つ。4年次に国家公務員一種試験(法律区分)に合格。東大法学部卒業。1994年 総理府入府。内閣総理大臣官房内政審議室調査企画第1担当主査付。1996年 文部省生涯学習局学習情報課。教育の情報化に関する企画立案を行った。2005年1月 内閣官房内閣総務官室参事官補佐。女性、女系天皇を推進し、皇室典範改正案を起草、閣議の準備も担当。2012年9月 内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官(少子化対策担当)付企画官。
中井 亨(なかい とおる、1969年〈昭和44年〉7月19日… 中井 亨(なかい とおる、1969年〈昭和44年〉7月19日 - )は、日本の総理府・総務官僚。 京都府京都市出身。洛星高等学校を経て、1993年(平成5年)、京都大学法学部を卒業。同年4月、総理府に入庁。同月内閣官房内閣内政審議室に配属。その後、公害等調整委員会事務局総務課法規係、資源エネルギー庁石油部備蓄課、総理府特別基金等事業推進室主査を経て、タフツ大学大学院(フレッチャー・スクール)を修了。修了後、総務庁行政管理局企画調整課課長補佐を務め、2003年(平成15年)7月からは在英国日本国大使館一等書記官を務めた。その後、内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)兼行政改革推進本部事務局参事官、行政評価局企画課長、行政管理局管理官(厚生労働省・文部科学省・公正取引委員会・府省共通の情報システム(研究開発))、内閣官房内閣参事官(内閣人事局)、同(内閣総務官室)、内閣官房皇室典範改正準備室参事官、同皇位継承式典事務局参事官、同公文書監理官室参事官、総務省大臣官房秘書課長兼人事管理官などを歴任。
片岡 宏一郎(かたおか こういちろう、1969年〈昭和44年… 片岡 宏一郎(かたおか こういちろう、1969年〈昭和44年〉5月9日 - )は、日本の経産官僚。 京都府京都市出身。1988年(昭和63年)、立命館高等学校卒業。1992年(平成4年)、京都大学法学部卒業。同年、通商産業省入省。入省後、主にエネルギー政策に携わり、プリンストン大学公共政策大学院を経て、経済産業政策局産業構造課長、資源エネルギー庁電力・ガス事業部電力市場整備課長、同庁省エネルギー・新エネルギー部新エネルギー対策課長、経済産業大臣秘書官、経済産業省大臣官房参事官(エネルギー政策担当)、資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課制度審議室長、経済産業政策局経済産業政策課長、経済産業省大臣官房政策審議室長、経済産業政策局参事官、経済産業省大臣官房秘書課長などを歴任。
小谷 敦(おだに あつし、1969年 - )は日本の自治・総… 小谷 敦(おだに あつし、1969年 - )は日本の自治・総務官僚。内閣府大臣官房審議官(防災担当)兼内閣府地方創生推進室次長。 消防庁国民保護・防災部長、岡山県副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課長などを歴任。 京都府京都市出身。京都教育大学附属高等学校を経て、1993年(平成5年)に東京大学法学部を卒業し、自治省入省。入省後、地方行政や危機管理行政に携わり、阪神・淡路大震災の発災に際しては消防庁総務課で防災体制の見直しなどに取り掛かった。1993年7月、秋田県総務部財政課。1995年4月、消防庁総務課。1996年9月、自治省行政局選挙部選挙課。 1999年4月、徳島市財政部長兼理事。建設省が進める吉野川可動堰建設計画の住民投票において、住民投票を巡る議論に携わったほか、財政運営や議会の対応に携わった。
田中 佐智子(たなか さちこ、1968年(昭和43年)4月3… 田中 佐智子(たなか さちこ、1968年(昭和43年)4月3日 - )は日本の労働・厚生労働官僚。 京都府舞鶴市出身。京都府立西舞鶴高等学校を経て、1991年(平成3年)3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、同年4月労働省入省(職業安定局高齢・障害者対策部企画課)。雇用均等・児童家庭局短時間・在宅労働課長、社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課長、職業安定局雇用保険課長、職業安定局総務課長、大臣官房地方課長、大臣官房参事官(総合政策統括担当)、労働基準局安全衛生部長などを歴任。途中浜松市に出向し、北脇保之市長のもとで助役(副市長)を務め、保健福祉や商工、農林水産などを担当した。
栗田 照久(くりた てるひさ、1963年8月21日 - )は… 栗田 照久(くりた てるひさ、1963年8月21日 - )は、日本の財務・金融官僚。金融庁長官、金融庁総合政策局長、金融庁監督局長などを歴任。 京都府出身。立命館高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部では会社法を専攻。京大法学部4年次に国家公務員一種試験(法律)に合格。1987年 大蔵省に入省。配属先は理財局国債課。入省時の課長は坂本導聡、課長補佐は滝本豊水、畑中龍太郎、道盛大志郎。1992年7月 仙台国税局白河税務署長。1999年7月 金融庁長官官房総務課長補佐。2000年7月 金融庁総務企画部企画課長補佐。2001年1月6日 金融庁総務企画局企画課長補佐。2006年7月 金融庁監督局総務課監督調査室長。
水嶋 智(みずしま さとる、1963年〈昭和38年〉6月28… 水嶋 智(みずしま さとる、1963年〈昭和38年〉6月28日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 京都府京都市出身。洛星高等学校を経て、1986年3月に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格して、1986年4月に運輸省に入省。 2017年7月7日から観光庁次長、2018年7月31日から国土交通省海事局長、2019年7月9日から国土交通省鉄道局長を務め、2020年7月21日に大臣官房長に就任。2021年1月5日に辞職。同月6日、小島滋の後任として独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構副理事長に就任。同機構の副理事長に国交省の現役幹部が就任するのは初めてであり、官房長に就任したばかりであったことも含めて異例の人事となった。
森 清(もり きよし、1963年〈昭和38年〉4月10日 -… 森 清(もり きよし、1963年〈昭和38年〉4月10日 - )は、日本の経済産業官僚。 京都府宇治市出身。洛星高等学校から東京大学に入学。1986年(昭和61年)、東京大学法学部(公法学)を卒業し、同年、通商産業省へ入省(産業政策局総務課)。 大臣官房総務課を経て、1992年(平成4年)、アメリカ合衆国へ留学。ハーバード大学ケネディ・スクール修士課程を修了。修了後、ブルッキングス研究所でゲストスカラーを務めた。 通商産業省入省以来、貿易問題やエネルギー問題、中東やアフリカの通商政策やエネルギー政策、サイバー政策の国際的調整業務に携わり、通商産業総括政務次官・経済産業副大臣秘書官、通商政策局中東アフリカ課長、資源エネルギー庁国際課長、同庁資源・燃料部政策課長、貿易経済協力局通商金融・経済協力課長、大臣官房審議官(貿易経済協力局・海外戦略担当)、同政策評価審議官(併)サイバー国際経済政策統括調整官などを歴任。
坂口 卓(さかぐち たかし、1962年〈昭和37年〉8月1日… 坂口 卓(さかぐち たかし、1962年〈昭和37年〉8月1日 - )は、日本の労働・厚生労働官僚。 京都府京都市出身。洛星中学校・高等学校を経て、1985年(昭和60年)3月、大阪大学法学部を卒業。 1984年(昭和59年)10月、国家公務員採用上級試験(甲種・法律)に合格し、翌年4月、労働省に入省。 婦人局婦人福祉課課長補佐、職業安定局庶務課課長補佐、労働基準局賃金時間部労働時間課課長補佐、労働基準局監督課中央労働基準監察監督官、職業安定局雇用政策課長補佐、厚生労働省大臣官房総務課国会連絡室長、職業安定局業務指導課若年者雇用対策企画官、職業安定局総務課公共職業安定所運営企画室長、職業安定局需給調整事業課長、労働基準局安全衛生部計画課長、職業安定局雇用保険課長、厚生労働省大臣官房参事官(会計担当)、厚生労働省大臣官房総務課長などを歴任。
井上 一徳(いのうえ かずのり、1962年7月31日 - )… 井上 一徳(いのうえ かずのり、1962年7月31日 - )は、日本の政治家、防衛官僚。衆議院議員(1期)、希望の党幹事長(第2代)兼政策調査会長(初代)兼国会対策委員長を務めた。 京都府舞鶴市生まれ。京都府立東舞鶴高等学校、横浜国立大学経済学部卒業。在学中に1年間休学し、アルバイトをしながらアジアやヨーロッパを旅行して回った。 1986年、防衛庁(現防衛省)に入庁。同期入省に、岡真臣(防衛審議官)、芹澤清(防衛省大臣官房長)、土本英樹(防衛装備庁長官)らがいる。 2006年、安倍政権下では公募により白間竜一郎や、高橋洋一、清水康弘らとともに首相官邸で首相補佐官付内閣参事官を務め、国家安全保障問題担当の首相補佐官だった小池百合子に仕えた。
石田 優(いしだ まさる、1962年〈昭和37年〉5月2日 … 石田 優(いしだ まさる、1962年〈昭和37年〉5月2日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。復興庁顧問、第11代復興庁事務次官を歴任。 京都府京都市出身。洛星高等学校を経て、1986年3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、1986年4月建設省入省。 2018年7月27日に国土交通省住宅局長に就任し、建築士事務所の業務報酬基準の改正に「業務報酬の算定に用いる略算表見直し」「業務難易度に応じた補正係数のパターン充実」「標準業務と標準外業務の区分明確化」という3つのポイントを挙げて意欲を示した。 2019年7月9日に復興庁統括官に就任し、2020年度末に設置期限を迎える復興庁の後継組織について必要な法制度の改正を検討する考えを表明した。
義本 博司(よしもと ひろし、1961年〈昭和36年〉12月… 義本 博司(よしもと ひろし、1961年〈昭和36年〉12月20日 - )は、日本の文部・文部科学官僚。文部科学事務次官。 京都府京都市生まれ、城陽市育ち。洛南高等学校を経て、1984年(昭和59年)、京都大学法学部を卒業し、同年4月、文部省へ入省。 入省後、初等中等教育局幼児教育課長、文部科学省大臣官房総務課広報室長、高等教育局大学振興課長、同局高等教育企画課長、文部科学省大臣官房会計課長、同審議官(初等中等教育局担当)、同審議官(高等教育局担当)などを歴任。途中、厚生労働省などに出向し、福岡県教育委員会義務教育課長、在フランス日本国大使館一等書記官、厚生労働省雇用均等・児童家庭局保育課長などを務めた。
杉田 定大(すぎた さだひろ、1955年5月26日 - )は… 杉田 定大(すぎた さだひろ、1955年5月26日 - )は、日本の経産官僚。東京科学大学環境・社会理工学院特任教授、東京医科大学理事、KPMGジャパン顧問。 経済産業省中国経済産業局長・経済産業省大臣官房審議官・早稲田大学客員教授・日中経済協会専務理事等を歴任した。 京都生まれ。京都府立桃山高等学校を経て、1980年一橋大学経済学部卒業。荒憲治郎ゼミ出身。同年通商産業省入省。経済協力や、自由貿易協定、流通政策などに携わった。 通商産業大臣秘書官補佐、外務省在マレーシア日本国大使館参事官等を経て、1997年初代産業政策局新規産業課長。2002年通商政策局アジア大洋州課長兼早稲田大学客員教授。貿易経済協力局総務課長を経て、2005年内閣官房知的財産戦略推進事務局内閣参事官。
廿日岩信次(はつかいわ しんじ、1953年5月12日 - )… 廿日岩信次(はつかいわ しんじ、1953年5月12日 - )は、日本の財務官僚、司法書士。関東信越国税不服審判所長、社団法人金融先物取引業協会事務局長などを歴任。 京都府京都市出身。京都市立塔南高等学校卒業。京都大学法学部を受験するも失敗。2年間、右京社会保険事務所に勤めた後、滋賀大学経済学部経済学科に入学する。滋賀大学経済学部経済学科卒業。1978年 大蔵省入省(証券局総務課)。1980年1月 証券局業務課。1983年7月 中津川税務署長。1995年6月 沖縄開発庁振興局振興総務課長。2000年7月 近畿財務局総務部長。2003年8月 関東財務局総務部長。2004年6月 関東財務局金融安定監理官。
北井 久美子(きたい くみこ、1952年〈昭和27年〉10月… 北井 久美子(きたい くみこ、1952年〈昭和27年〉10月29日 - )は、日本の弁護士、労働・厚生労働官僚。 京都府出身。京都府立綾部高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月、東京大学法学部を卒業。東京大学在学中に司法試験に合格した。 1976年(昭和27年)4月、労働省に入省。 労働省入省後、雇用政策や雇用均等行政に携わり、男女雇用機会均等法の改正、パートタイム労働法の改正などにあたった。職業安定局業務指導課課長補佐、婦人局婦人政策課課長補佐、職業安定局雇用保険課課長補佐、労働省大臣官房総務課課長補佐、職業安定局雇用政策課企画官、同局地域雇用対策課長、婦人局婦人福祉課長、同局婦人政策課長、女性局女性政策課長、厚生労働省大臣官房審議官などを歴任。
豊田 潤多郎(とよだ じゅんたろう、1949年(昭和24年)… 豊田 潤多郎(とよだ じゅんたろう、1949年(昭和24年)8月22日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。生活の党と山本太郎となかまたち京都府第4区総支部長、医療法人淳宰晃会理事長。
山本 孝之(やまもと たかゆき、1945年3月11日 - )… 山本 孝之(やまもと たかゆき、1945年3月11日 - )は日本の大蔵官僚。東京税関長、大臣官房金融検査部長、印刷局長、佐賀共栄銀行代表取締役頭取などを歴任。 京都府京都市出身(父は京都府、母は大阪府)。洛星高等学校、東京大学法学部卒業。1967年4月 大蔵省入省(銀行局総務課)。1972年7月10日 坂出税務署長。1973年7月から横浜市財政局で勤務。本省帰還後は主に主計局で主査(課長補佐)を務める。1990年6月29日 中国財務局長。1991年6月24日 内閣官房内閣審議官(内閣内政審議室)。1993年6月25日 東京税関長。1994年7月1日 大臣官房金融検査部長。1995年5月26日 印刷局長。
段本 幸男(だんもと ゆきお、1944年(昭和19年)12月… 段本 幸男(だんもと ゆきお、1944年(昭和19年)12月12日 - 2012年(平成24年)3月18日)は、日本の農水官僚、政治家。 参議院議員(1期)、財務大臣政務官を歴任。京都府京都市出身。 議員在職中は、財務大臣政務官、参議院政策審議会副会長などを経験。 他に、土地改良換地対策全国協議会中央委員、土地改良測量設計技術協会会長、全国土地改良事業団体連合会顧問などの要職を歴任した。
山口 務(やまぐち つとむ、1941年6月7日 - )は、京… 山口 務(やまぐち つとむ、1941年6月7日 - )は、京都府出身の通産官僚。 1970年代の公害第一課総括係長在任中に経験してきた産業公害対策や、さらに大気汚染防止法や水質汚濁防止法の立案作業に第一線で関わり、その経験を踏まえて21世紀に世界が直面する温暖化等地球環境問題の解決に革新的技術の開発、実用化が不可欠であり、日本が世界で主導的役割を果たすべきとして通産省(現:経産省)で地球環境室の設置を他に先駆けて実現した。この考えを基に設立された(財)地球環境産業技術研究機構(RITE:関西文化学術研究都市(京都府木津川市)に本部)の専務理事として11年間、その創立、発展を牽引し、化学的CO2固定化プロジェクト、CO2地中貯留プロジェクトや砂漠緑化プロジェクトなどCO2削減の研究開発促進に携わってきた。
服部 明世(はっとり あきよ、1940年 - 2014年)は… 服部 明世(はっとり あきよ、1940年 - 2014年)は、造園系の建設官僚。退官後は(財)都市緑化技術開発機構理事(現:都市緑化機構)・大阪芸術大学環境デザイン学科教授を歴任。 京都市出身、両親も京都府出身。洛星高等学校を経て、1964年東京大学農学部卒業。 1969年建設省入省。1984年建設省都市局公園緑地課建設専門官。 1985年4月から1988年1月まで、大津市助役に出向。 建設官僚として公園緑地行政のほか、1990年開催の国際花と緑の博覧会では都市局国際花と緑の博覧会推進室長に就任。1989年、「健康づくりに関する研究 環境と運動の及ぼす影響について」で造園関係者としては初の医学博士の学位を岐阜大学より取得。
伊吹 文明(いぶき ぶんめい、本名:伊吹 文明(漢字同じ、い… 伊吹 文明(いぶき ぶんめい、本名:伊吹 文明(漢字同じ、いぶき ふみあき)、1938年〈昭和13年〉1月9日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。勲等は桐花大綬章。 自由民主党所属の元衆議院議員(12期)。文部科学大臣(第8代)、財務大臣(第9代)、労働大臣(第64代)、国家公安委員会委員長(第66代)、防災担当大臣(初代)、自由民主党幹事長(第41代)、志帥会会長(第4代)、衆議院議長(第74代)、自民党たばこ議員連盟顧問を歴任した。 その人格から、「イブキング」とも呼ばれている。 京都府京都市下京区に生まれる。生家は文久年間に創業した室町の繊維問屋・伊吹株式会社で、現在も室町で営業している。
柴田 章平(しばた しょうへい、1936年8月2日 - 20… 柴田 章平(しばた しょうへい、1936年8月2日 - 2021年9月)は日本の大蔵・公取官僚。 公正取引委員会事務局長、神奈川銀行会長、財団法人公正取引協会会長、公益財団法人公正取引協会会長(初代)などを務めた。 京都府京都市出身(父は愛知県、母は東京都)。1955年3月:京都市立紫野高等学校卒業。1959年3月:京都大学経済学部卒業。 1959年4月:大蔵省入省(為替局総務課)。1964年7月:大臣官房調査課調査第一係長 兼 大臣官房調査課調査第二係長。1965年7月:大臣官房調査課調査第一係長。1966年7月:倉敷税務署長。1967年7月:通商産業省企業局商務第一課長補佐。 1969年7月:大臣官房調査企画課長補佐(内国調査)。
藤田弘志(ふじた ひろし、1936年7月1日 - )は日本の… 藤田弘志(ふじた ひろし、1936年7月1日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はA型。 京都府福知山市出身(父母も京都府出身)。京都府立福知山高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。1966年7月 大阪国税局富田林税務署長。その後は経済企画庁総合計画局、証券局で勤務し、主計局の主計官補佐(主査)としては1〜2年目には司法、警察予算、3年目には防衛予算の係に着いた。関税局総務課長の後、1985年7月1日に富山県副知事となり、1987年7月1日 理財局次長(国有担当)。1988年6月15日 理財局次長(国有担当)を兼ねたうえで関東財務局長に就任。1989年6月23日 退官。
川崎正道(かわさき まさみち、1935年11月23日 - )… 川崎正道(かわさき まさみち、1935年11月23日 - )は、日本の大蔵官僚。血液型はB型。 大臣官房審議官(大臣官房担当)兼財務研修所長、人事院事務局任用局審議官、人事院事務局職員局長、東洋海上火災保険会長などを務めた。 京都府京都市出身(父母も京都府)。洛星高等学校から京都大学法学部に入学。1957年10月 国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。京大法学部を卒業し、1958年 大蔵省に入省。主計局総務課企画係に配属。 主計局主計官補佐(総理府、特別機関係主査)、人事院事務局給与局給与第二課長、主計局給与課長、主計局主計官(総理府、司法・警察担当)などを務め、1979年4月1日 環境庁企画調整局企画調整課長。
野々内 隆(ののうち たかし、1933年5月 - )は、日本… 野々内 隆(ののうち たかし、1933年5月 - )は、日本の通産官僚。通商産業省基礎産業局長や、資源エネルギー庁長官を経て、中小企業診断協会会長や経済産業調査会理事長などを歴任した。 京都府立洛北高等学校を経て、1956年京都大学経済学部卒業、通商産業省入省。同期に尾身幸次(第6代財務大臣)、杉山弘(通商産業事務次官、電源開発社長)、川崎弘(経済企画審議官、東京電力副社長)、守屋一彦(日本化学繊維協会理事長)など。 1972年通商産業大臣官房審議官。1973年通商産業大臣官房参事官。1974年通商産業省通商政策局西欧アフリカ中東課長。1977年通商産業省産業政策局商政課長。1978年通商産業省通商政策局経済協力部経済協力課長。
竹岡 勝美(たけおか かつみ、1923年(大正12年) - … 竹岡 勝美(たけおか かつみ、1923年(大正12年) - 2016年(平成28年)7月22日)は、日本の官僚。位階は従四位。 元警察閣僚の四方修は実弟。 京都府亀岡市出身。警察庁で警察本部長を務め、首相官房を経て防衛庁で調達実施本部長。 警察庁交通規制課長時代の1970年、銀座通(中央通り (東京都)の銀座部分)他において日本初の歩行者天国を実施、またスクランブル交差点を発案。 冷戦終結まで盛んに喧伝された「ソ連脅威論」を、経験を元に“日本を自国の世界戦略に組み込んでおきたかったアメリカによるプロパガンダだった、その証拠に仮想敵国をソ連として北海道で行なわれた演習に米軍は参加しなかった”とインタビューで切り捨てた。
左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 -… 左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 - 2002年8月16日)は、日本の官僚、経営者。中小企業庁長官、共同石油社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、学徒動員で満洲に出征。終戦後は3年間のシベリア抑留を経て、帰国。1949年に商工省に入省し、1978年6月に中小企業庁長官に就任。1980年6月に東京銀行顧問に就任。1982年6月に共同石油専務に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年11月に社長に就任した。1990年6月には会長に就任した。1992年12月に日本鉱業と合併し、日鉱共石副会長に就任し、1996年6月には相談役に退いた。
大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23… 大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23日 - 1998年(平成10年)8月20日)は、日本の法学者・官僚・公務員。北海学園大学元学長。福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市)出身。 学内ではこの他、北海学園大学学生部長などを、学外では、北海道地方労働委員会公益委員(1968-1977年)や北海道人事委員会委員(1982-1990年)、公共企業体等労働委員会調停委員など多くの公職を歴任。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995… 柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995年10月13日)は日本の内務・自治官僚。香川県出身。 京都一中、第三高等学校を経て、1941年3月に東京帝国大学法学部卒業。高等試験行政科に合格し、同年4月に内務省入省(地方局配属)。1942年1月に茨城県経済統制課長に就任。1946年7月に内務省官房調査部、1948年1月に内事局官房自治課、同年4月に地方財政委員会企画課で勤務。1949年に地方自治庁総務課長、1950年5月に地方自治庁府県税課長、1953年10月に自治庁財政課長、1958年6月に北海道総務部長、1960年1月に自治庁官房長(同年7月から自治省官房長)、1962年5月に自治省税務局長、1963年10月に自治省財務局長を歴任。
喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月… 喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月24日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚、実業家。国税庁元次長。万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)元専務取締役。東京都世田谷区在籍。長男は弁護士(ミネルバ法律事務所所属)の喜田村洋一。 京都府京都市出身。喜田村眼科病院院長を務めた喜田村朔治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1939年(昭和14年)高等試験行政科に合格。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、大蔵省に入る。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月、経理学校を卒業し山城に配属。
上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年… 上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年9月17日)は、日本の官僚、政治家及び技術士(建設部門)。京都府京都市出身。自由民主党参議院議員(4期)。京都帝国大学工学部卒業。1986年、勲一等瑞宝章受章。従三位。
前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 … 前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 - 1981年7月23日)は、日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。
八木 芳信(やぎ よしのぶ、1903年(明治36年)11月1… 八木 芳信(やぎ よしのぶ、1903年(明治36年)11月14日- 1993年(平成5年)6月5日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。最後の官選三重県知事。 京都府出身。京都府立京都第一中学校、第三高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、千葉県属となる。 以後、長野県経済部長、神奈川県警察部長、神奈川県内務部長などを歴任。戦時中は海軍司政官に転出した。 1947年3月、前任の佐伯敏男が知事選に出馬のため辞任したことに伴い三重県知事に発令された。知事選挙などを執行して同年4月に退任。 その後、経済安定本部高松地方安定局長、帝国産業株式会社(現テザック)社長、同会長を歴任。
古海 忠之(ふるみ ただゆき、1900年5月5日 - 198… 古海 忠之(ふるみ ただゆき、1900年5月5日 - 1983年8月23日)は、日本の大蔵官僚、満洲国官僚、実業家。東京府出身。義兄に小金義照。長男は古海建一(国際善隣協会理事長、元東京銀行常務、元ユアサ商事会長)。勲二等瑞宝章(1971年)。 京都一中、三高を経て、東京帝国大学法学部政治学科に進む。学生時代を通じて野球部に在籍し、主にキャッチャーをしていた(帝大時代にはラグビーも兼部)。中学時代には第3回全国中等学校優勝野球大会に出場した。 1924年大学卒業し、大蔵省入省。入省同期に、青木実(満洲国経済部次長、戦後はシベリア抑留を経て合同証券会長、水戸常陽銀行社長)、難波経一(のち満州国専売公署副署長、軍需省燃料局長官・同整備局長官などを経て、戦後山陽パルプ社長・会長)など。
吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8… 吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8日 - 1970年(昭和45年)9月17日)は、日本の内務官僚、政治家。山梨県知事(官選第42代、公選初代)。参議院議員(3期)、衆議院議員(1期)。号は知山。 京都府愛宕郡八瀬村(現京都市左京区)に吉江四郎の長男として生まれる。京都府立第一中学校(現京都府立洛北高等学校)のとき、教師から「スッポン」の漢字を知っているかと聞かれ、教室で自分だけが手を挙げて黒板に「すっぽん」と平仮名で書いてみなを唖然とさせ、それ以来、あだ名が「すっぽん」になった。 第三高等学校文科時代は柔道部で主将だった。1927年(昭和2年)に東京帝国大学法学部英法科を卒業。
周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 198… 周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 1981年8月8日)は、日本の政治家・官僚。農林大臣や自治大臣などを歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 山口県大津郡三隅村(現・長門市)生まれ。少年時代より京都で過ごし、京都一中(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。農商務省に入省する。後に農林大臣を務めた井野碩哉の懐刀として、農林省米穀局長、農務局長、総務局長の要職を務める。その後企画院第四部長、商工省物価局長官を経て、1942年、帝国油糧統制会社初代社長となる。 戦後の1946年、第1次吉田内閣にて内閣副書記官長に就任し、書記官長林譲治のお株を奪う八面六臂の活躍ぶりを見せ、吉田茂に引き立てられた。
三谷 隆信(みたに たかのぶ 1892年6月17日 - 19… 三谷 隆信(みたに たかのぶ 1892年6月17日 - 1985年1月13日)は、日本の官僚、外交官、教育者。
吉阪 俊蔵(よしざか しゅんぞう、1889年9月10日 - … 吉阪 俊蔵(よしざか しゅんぞう、1889年9月10日 - 1958年7月14日)は、日本の男性官僚。商工省・内務省で活動した。 兵庫県武庫郡西灘村(現・神戸市灘区)の造り酒屋の六男に生まれる。京都府立三中、五高を経て、1913年東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、初め農商務省に入り、その後商工省を経て内務省に移った。1919年パリ講和会議全権随員となり、1921年に内務省社会局書記官に就任。1928年12月に国際労働機関理事会日本政府代表事務所長に就任しジュネーヴに駐在した。1936年内務省社会局参与。退官後は商工中金理事長、日本商工会議所専務理事等を歴任。 妻の花子は動物学者・箕作佳吉(箕作阮甫の孫)の次女で、俊蔵・花子夫妻の長男が建築家の吉阪隆正である。
夏 粛初(か しゅくしょ、1889年〈光緖15年〉 - 没年… 夏 粛初(か しゅくしょ、1889年〈光緖15年〉 - 没年不明)は、中華民国の官僚・実業家。別号は旭初。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会の要人。呉甌・李元暉と共に、王揖唐側近の部下と目された。 日本に留学し、京都府立第一中学、第一高等学校を卒業した。その後、ドイツにも留学し、ベルリン大学で学んでいる。帰国後の1929年(民国18年)10月21日、北平特別市政府秘書処秘書に任命された。後に黄郛配下となり、行政院駐平政務委員会で科長をつとめる。1935年(民国24年)12月に冀察政務委員会が成立すると、ここでも科長となった。 1937年(民国26年)12月に中華民国臨時政府が成立すると、夏粛初はこれに参加している。
岡田 信(おかだ まこと(通称:おかだ しん)、1885年(… 岡田 信(おかだ まこと(通称:おかだ しん)、1885年(明治18年)3月10日 - 1946年(昭和21年)8月15日)は、日本の大正・昭和期における大蔵省官僚・銀行家。大蔵省官僚としては主に特殊銀行・植民地金融を担当した。滋賀県出身。 1885年(明治18年)3月10日、滋賀県野洲郡守山村吉身(現・滋賀県守山市吉身)で誕生。 父は滋賀県議会議長や衆議院議員を務めた岡田逸治郎、母は逸治郎の三番目の妻・義子。八男七女の六男として誕生したが、長男・四男が夭折により対外的には四男と称す。 京都府立一中(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)より第四高等学校(1905年(明治38年)7月5日卒業)を経て、1909年(明治42年)7月10日東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。
黒崎 定三(くろさき ていぞう、1885年(明治18年)2月… 黒崎 定三(くろさき ていぞう、1885年(明治18年)2月16日 - 1948年(昭和23年)7月19日)は、日本の法制官僚、政治家。貴族院議員、法制局長官。 京都府出身。黑崎武右衛門の二男として生まれた。郡山中学、第三高等学校を経て、1911年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年12月、文官高等試験に合格。逓信省に入り通信局書記に就任。その後、法制局参事官、内閣恩給局審査官、法制局書記官などを歴任。その他、日独戦役講和準備委員、法制審議会幹事、交通審議会幹事などを務めた。1933年3月、齋藤内閣の法制局長官となり1934年7月まで在任。退任後すぐ同月3日に貴族院勅選議員に任命され、研究会に属し1946年(昭和21年)5月17日まで在任した。
下村 寿一(しもむら じゅいち、1884年(明治17年)7月… 下村 寿一(しもむら じゅいち、1884年(明治17年)7月31日 - 1965年(昭和40年)1月9日)は、日本の文部官僚。東京女子高等師範学校校長。女子学習院長。
松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月… 松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月25日 - 1960年(昭和35年)1月5日)は、日本の司法官僚・政治家。 検事総長、および太平洋戦争時の司法大臣を歴任した。 京都府久世郡宇治町(現在の宇治市)の地主で製茶業の家に生まれた。京都二中、東京神田中学校、一高を経て、1910年(明治43年)、東京帝国大学法科を卒業。1912年(大正元年)、検事となる。 名古屋裁判所の検事だった1925年3月に定型犯として賭博に関する調査を命じられた。7月に東京へ転出した後も高木常七により継続され12月に完成。あくまで事務処理の利便目的だったが結果が優れていたため、司法資料に取り上げられた。
生野 団六(團六、しょうの だんろく、1878年(明治11年… 生野 団六(團六、しょうの だんろく、1878年(明治11年)2月1日 - 1973年(昭和48年)3月1日)は、日本の鉄道官僚・技師、土木技術者、鉄道実業家。台湾総督府交通局総長、京浜電気鉄道社長。 大分県大分郡、のちの稙田村(大分村、大分町を経て現大分市)で生野米蔵の長男として生まれる。大分尋常高等小学校、京都府立中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第四高等学校を経て、1902年(明治35年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業した。 逓信省に入省し鉄道作業局に配属された。1909年(明治42年)欧米に留学し1911年(明治44年)に帰国。鉄道院運輸局に配属され、1912年(明治45年)3月のジャパン・ツーリスト・ビューロー(現日本交通公社)創立に際して幹事に就任。
松島寛三郎(まつしま ひろさぶろう、1875年4月1日 - … 松島寛三郎(まつしま ひろさぶろう、1875年4月1日 - 1956年4月22日)は、日本の鉄道技術者・鉄道官僚。京阪電気鉄道常務取締役。 広島県比婆郡口北村(現庄原市)に生まれ、13歳の時に単身同志社中学(現同志社中学校・高等学校)に入学。第一高等中学校経て、1897年(明治30年)卒業。東京帝国大学に合格するが、その年に新設される京都帝国大学に振り分けられた。第一高まで野球部に所属しており、京大在学中に同支社中の野球部のコーチに招聘されている。現在の同志社大学硬式野球部の基礎を作り上げたとも言われる。 京大工学部一期生として1900年(明治33)卒業。同年10月に山陽鉄道に入社し、1906年(明治39)の国有化後は鉄道作業局湊町保線事務所長、北海道鉄道管理局工務課長、名古屋鉄道管理局工務課長等を歴任。
冨島 元治(とみしま もとはる、1874年(明治7年)2月1… 冨島 元治(とみしま もとはる、1874年(明治7年)2月16日 - 1945年(昭和20年)11月16日)は、日本の判事・台湾総督府官僚。高雄州知事。 京都府に冨島元起の長男として生まれる。京都府立第一中学校、第二高等学校を経て、1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。京都地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、宇都宮地方裁判所部長判事を歴任。 台湾総督府総務長官・賀来佐賀太郎の招きにより台北に赴任し、覆審法院判官となった。その後行政官となり、南投庁長、台北庁長を歴任した。さらに台湾総督府警視総長(1919年5月21日 - 1919年6月28日)、同警務局長(1919年6月28日 - 1920年9月1日)を務めた。
神谷 卓男(かみや たくお、明治4年12月9日〈1872年1… 神谷 卓男(かみや たくお、明治4年12月9日〈1872年1月18日〉 - 1929年〈昭和4年〉10月22日)は、明治末期から昭和初期にかけての官僚・政治家である。名古屋市助役や衆議院議員、東邦電力常務取締役を務めた。京都府出身。 神谷卓男は、明治4年12月9日(新暦:1872年1月18日)、京都府与謝郡宮津町波路(現在の宮津市)に生まれた。父・広生は旧宮津藩士で明治維新後は地方自治に尽力した人物である。宮津小学校・天橋義塾・京都中学校を経て同志社に入り、1892年(明治25年)に同志社を卒業。1894年(明治27年)からはアメリカ合衆国へと留学し、スタンフォード大学およびコロンビア大学で学んだのち1900年(明治33年)に帰国した。