佐藤 文香(さとう あやか、1985年6月3日 - )は、日… 佐藤 文香(さとう あやか、1985年6月3日 - )は、日本の俳人、詩人、作家。 兵庫県神戸市生まれ。父は日本語学者の佐藤栄作。1997年、愛媛県松山市に転居。1998年より句作を開始。2002年、愛媛県立松山東高等学校在学中に第五回俳句甲子園にて団体準優勝、「夕立の一粒源氏物語」が最優秀句に選ばれる。2004年、早稲田大学に入学、早大俳句研究会に入会。また2006年1月より月刊俳句同人誌「里」に参加。2005年、上田信治、谷雄介とともに俳句ユニット「ハイクマシーン」を結成(2007年に谷が抜け、2012年に解散)。2006年、第二回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子審査員奨励賞を受賞。 2008年、早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。
光森 裕樹(みつもり ゆうき、1979年5月26日 - )は… 光森 裕樹(みつもり ゆうき、1979年5月26日 - )は日本の歌人。 兵庫県宝塚市出身。大阪教育大学附属高等学校池田校舎、京都大学文学部卒業。京都大学短歌会出身で、特定の歌誌には所属せずに活動している。2008年(平成20年)、「空の壁紙」で第54回角川短歌賞受賞。理知的でクールな作風が特徴。IT企業の技術者であった経験を持ち、コンピュータ用語を詠み込むこともある。沖縄県石垣市在住。
津川 絵理子(つがわ えりこ、1968年7月30日 - )は… 津川 絵理子(つがわ えりこ、1968年7月30日 - )は、日本の俳人。兵庫県出身、神戸市在住。 明石市生まれ。関西学院大学社会学部卒業。1991年、「南風」入会、鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事する。2006年、第一句集『和音』刊行。2007年、『和音』により第30回俳人協会新人賞、作品「春の猫」50句により第53回角川俳句賞受賞。第一句集上梓後に結婚。2012年、第二句集『はじまりの樹』を刊行。2013年、『はじまりの樹』により第4回田中裕明賞、第1回星野立子賞を受賞。「南風」副代表を経て、2014年から2019年まで「南風」主宰(村上鞆彦と共宰)。第61回俳人協会賞受賞。俳人協会会員。 「サルビアや砂にしたたる午後の影」など、みずみずしい感性による有季定型の句で評価される。
前田 康子(まえだ やすこ、1966年7月30日 - )は、… 前田 康子(まえだ やすこ、1966年7月30日 - )は、日本の歌人。「塔」短歌会所属(「選者」2015年より)。夫は塔短歌会主宰の吉川宏志 。息子は、映画監督の吉川鮎太。 兵庫県伊丹市生まれ。武庫川女子大学卒業。1987年、塔短歌会入会。同時に京都大学短歌会に入会し、吉川宏志、梅内美華子、田中雅子、大山令彦らと活動する。2012年、第四歌集『黄あやめの頃』(2011年、砂子屋書房)にて日本歌人クラブ近畿ブロック優良歌集賞を受賞。2018年、第五歌集『窓の匂い』(2018年、青磁社)にて第5回佐藤佐太郎短歌賞を受賞。第六歌集『おかえり、いってらっしゃい』(2022年、現代短歌社)
小林 恭二(こばやし きょうじ、1957年11月9日 - )… 小林 恭二(こばやし きょうじ、1957年11月9日 - )は、日本の小説家、俳人。専修大学文学部教授。 メタ・フィクション的なユーモアに富んだ作風で知られる。 兵庫県西宮市生まれ。神戸製鋼専務取締役を務めた小林俊夫を父に持つ。父は奇矯な人物で、第一高等学校在学時代に橋川文三と親友になり、1970年三島由紀夫が自殺した際、橋川が小林の父のところへ来たという。 東京大学文学部美学芸術学専修課程卒業。同学科に宮城聰がいた。東京大学在学中には東大学生俳句会に所属し、のちに『俳句という遊び』『短歌パラダイス』といった著作で、「句会」「歌会」の楽しさを一般に紹介する。 1984年に『電話男』第3回海燕新人文学賞を受賞してデビュー。
稲畑 廣太郎(いなはた こうたろう、1957年5月20日 -… 稲畑 廣太郎(いなはた こうたろう、1957年5月20日 - )は、日本の俳人。母は稲畑汀子。曾祖父に高浜虚子、稲畑勝太郎。祖父は高浜年尾。伯母は坊城中子。従弟は坊城俊樹。大叔母は星野立子、高木晴子、上野章子。従伯母は星野椿。再従兄は星野高士。再従姪は星野愛。大叔父に稲畑太郎、池内友次郎。 兵庫県芦屋市生まれ。幼少時より母・汀子について俳句に親しむ。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校を経て、1982年に甲南大学経済学部を卒業後、合資会社ホトトギス社入社により本格的に俳句を志す。1988年「ホトトギス」同人、同誌編集長。2000年虚子記念文学館理事、2001年日本伝統俳句協会常務理事。2005年「ホトトギス」雑詠選者及び副主宰。
夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、… 夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、日本の俳人。明治大学法学部教授(専攻は比較文学)。本名:乾 昌幸。 妻は俳人の鎌倉佐弓。同じく俳人の乾佐伎は娘。兵庫県相生市生まれ。埼玉県富士見市在住。 20代より「俳句研究」「俳句評論」「未定」などで俳句・俳論を発表。代表句として「未来より滝を吹き割る風来たる」「神々のあくびが桜を枯らすのか」など。多数の著書があり、句集では1冊ごとに新しいスタイルを試みる前衛俳人である。 1998年、国際俳句雑誌「吟遊」を創刊しその発行者・編集者・代表を務める。既成俳壇、とくに角川俳壇をさまざまな理由から拒否し、季語以外に活路を見出すキーワードの提唱やコスモロジー的俳句観、多言語俳句朗読、楽器演奏とのコラボレーションによる俳句朗読の実践など、国際的視野に立った活動を展開。
中川 佐和子(なかがわ さわこ、1954年11月5日 - )… 中川 佐和子(なかがわ さわこ、1954年11月5日 - )は、日本の歌人。兵庫県西宮市出身。神奈川県横浜市在住。「未来」選者・編集委員、横浜歌人会会員、神奈川県歌人会会員。 兵庫県西宮市に生まれ、芦屋市で育つ。芦屋市立精道小学校卒業後、甲南中学校時代に父の転勤により東京都世田谷区に転居。祖母と叔母が「女人短歌」の会員であったことから、その機関誌を読んで短歌を知る。 早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。20代半ばの頃に国文社現代歌人文庫の河野愛子歌集と出会って作歌を始め、1984年に「未来」に入会、河野愛子に師事。河野没後は大島史洋選歌欄に投歌。天安門事件を題材とした歌で、1989年度朝日歌壇賞受賞。
伊丹 啓子(いたみ けいこ、1948年2月25日 - )は、… 伊丹 啓子(いたみ けいこ、1948年2月25日 - )は、日本の俳人、編集者。兵庫県生まれ。父は俳人の伊丹三樹彦、母も俳人の伊丹公子。夫は沖積舎舎主・沖山隆久。 1948年(昭和23年)兵庫県伊丹市生まれ。兵庫県立西宮高等学校を経て、関西学院大学文学部日本文学科卒業。在学中から父、伊丹三樹彦の結社「青玄」に学んだ他、攝津幸彦と知り合い「関学俳句会」を創立する。1991年、伊丹市芸術家協会新人賞受賞。2005年、伊丹三樹彦が病に倒れ「青玄」終刊、2006年に後継誌「青群」を立ち上げる。編集発行人を経て、顧問。現代俳句協会会員、日本文藝家協会会員。 著書に父の伊丹三樹彦を書いた『軒破れたる』、その師である日野草城を書いた『日野草城伝』などがある。
攝津 幸彦(せっつ ゆきひこ、1947年1月28日 - 19… 攝津 幸彦(せっつ ゆきひこ、1947年1月28日 - 1996年10月13日)は、日本の俳人。 兵庫県養父郡八鹿町に生まれる。母良子(摂津よしこ)は桂信子主宰の「草苑」の幹部同人で、1980年の角川俳句賞受賞者。 高槻中学校・高等学校を経て、関西学院大学卒業。高校時代より叔父の影響でジャズを聞くようになり頻繁にジャズ喫茶に通った。大学では在学中は映画研究会に所属。また伊丹啓子(「青玄」主幹伊丹三樹彦の娘)を知り「関学俳句会」創立、機関誌「あばんせ」を創刊。また学生俳句会のつながりで、他大学の坪内稔典、澤好摩らと交流、大学を超えた同人誌「日時計」創刊に参加する。 1970年、広告会社の東京旭通信社(現・ADKホールディングス)に入社し上京。
車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ、1945年〈昭和20年〉… 車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ、1945年〈昭和20年〉7月1日 - 2015年〈平成27年〉5月17日)は、日本の小説家、エッセイスト、俳人。本名は車谷 嘉彦。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。妻は詩人の高橋順子。兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)出身。 「反時代的毒虫」と自称して、放浪の経験や、挫折感や煩悩から逃れられない生の苦しみを主題とする私小説を書き、高い評価を得た。 代表作に『鹽壺の匙』(芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞)『漂流物』(平林たい子文学賞)『赤目四十八瀧心中未遂』(直木三十五賞)などがある。 1945年、小地主兼自作農兼呉服屋の長男として兵庫県飾磨市下野田221番地に生まれる。
小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、… 小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、日本の国語学者、歌人、甲南大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1966年甲南大学経済学部卒、74年同大学院文学研究科国文学科博士課程満期退学、同助手、76年講師。奈良教育大学講師、助教授、甲南大学文学部教授。2011年退任、名誉教授。上代日本語を専門とする。 短歌は安田章生に師事、結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人。 師・安田章生の、「一首のなかに文語と口語とを混用することも、美感を損しない限り許されるべきことであって、すべて窮屈に考える必要はない」という教えに従い、故郷の方言である播州弁を混交させた短歌を作る。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10… 岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。
友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 20… 友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 2022年8月19日)は、兵庫県出身の俳人。本名は清。 神戸市灘区生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、甲南大学文学部卒業。大学在学中、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句。1957年「椰子会」を結成。1958年より「青」編集。1968年、「青」を辞し「雲母」入会、飯田龍太に師事。同誌同人。同人誌「椰子」創刊。1991年、椰子会代表。1992年、「柚」創刊に参加。1993年、廣瀬直人の「白露」創刊に参加。1998年「椰子」終刊。2012年「椰子会」解散。 1977年、第1回雲母選賞、1978年、第25回現代俳句協会賞、2006年、『雲の賦』で第6回俳句四季大賞、2009年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、2013年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞受賞、2018年、『海の音』で第52回蛇笏賞受賞。
豊長みのる(とよなが みのる、1931年10月28日- )は… 豊長みのる(とよなが みのる、1931年10月28日- )は、日本の俳人。 神戸生れ。本名・稔。兵庫県立尼崎工業高等学校卒。山口草堂に師事、1966年「南風」新人賞受賞。南風編集同人。1986年1月「風樹」創刊主宰。日本詩歌句協会会長、現代俳句協会理事、関西現代俳句協会副会長、大阪俳人クラブ常任理事、日本ペンクラブ会員、日本現代詩歌文学館振興会評議員、「俳句四季」四季吟詠選者、朝日カルチャーサロン俳句講師ほか。
後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 20… 後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 2008年2月16日)は、日本の翻訳家、歌人。本名は二日市 安。 兵庫県西宮市生まれ。 生来の脳性麻痺のため、堺市立熊野国民学校卒業後は自宅で暮らす。少年期から青年期にかけては幽閉同然に大分県で育った。1958年に桐三樹夫の推挙で短歌結社「中央線」入会。1964年に結社新人賞、1972年に作品賞を受賞。数か国語を独学で学び、翻訳家となる。ジョン・ガードナーやトマス・チャステイン(Thomas Chastain)など、推理小説を翻訳。障害者運動にも積極的に活動した。「車椅子の国会議員をつくる会」を立ち上げて代表をつとめようとしたこともあるが、すぐにつぶれたという。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 20… 沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 2013年4月27日)は、日本の女性の歌人である。中国残留孤児帰国運動にも携わった。 父は国文学者の沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。妹は女優で声優でもあった沼波輝枝。また、名付け親は、安井てつ(元東京女子大学学長)。
伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 20… 伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 2019年9月21日)は、日本の俳人、写真家。本名は岩田 秀雄(いわた ひでお)。別号・写俳亭。 兵庫県伊丹町(現伊丹市)に生まれ、同三木町(現三木市)で育つ。三木市立三樹小学校、兵庫工業高等学校卒業。13歳から長谷川かな女の俳誌「水明」にて俳句を始める。高校卒業後は神戸大学工学部を受験するも失敗、神戸市役所に採用される。1937年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。また「太陽系」に参加。1949年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、編集・発行を行う。1956年の草城没後は「青玄」を継承し主幹となる。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23… 後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。 大阪府西成郡今宮村に生まれる。神戸一中、旧制一高を経て、1941年に大阪大学物理学科を卒業。戦時中は陸軍の技術研究所に勤務。1947年、大阪市にボン電気会社を設立。1951年、父・夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。1955年、波電子工業所を創業、1960年に株式会社となり代表取締役に就任。
安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日… 安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は、昭和期の歌人、国文学者。文学博士。 尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。2歳のとき朝鮮・釜山に、4歳のとき京城に移る。1921年、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に転居。1925年、宍粟郡山崎町に移る。 龍野中学校(現兵庫県立龍野高等学校)、姫路高等学校文科を経て、東京帝国大学国語国文学科卒。大手前高等女学校教諭となる。戦中は土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍教授を務める。1945年、天理語学専門学校(現天理大学)教授。1946年、樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)教授。
岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4… 岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4月3日 - 2012年(平成24年)11月28日)は歌人。 兵庫県神戸市生まれ。神戸尋常小学校、関西学院中等部を経て、熊本薬学専門学校(現熊本大学薬学部)卒業。 1937年(昭和12年)、山下陸奥の歌誌「一路」入会。1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)にかけて、作歌を中断。1947年(昭和22年)、上京し国立習志野病院の薬局長として勤務。1948年(昭和23年)、「一路」を退会し、山形義雄、芝山永治らと「工人」を創刊。1950年(昭和25年)、金子一秋、葛原繁、三木あや、山崎一郎らとともに「泥の会」の活動を開始。1954年(昭和29年)、山崎方代らと同人誌「黄」を創刊。
片山 桃史(かたやま とうし、1912年8月23日 - 19… 片山 桃史(かたやま とうし、1912年8月23日 - 1944年1月21日)は、兵庫県出身の俳人。本名・隆雄。 黒井村(現・丹波市春日町)生まれ。酒屋の次男。旧制柏原中学校(現・兵庫県立柏原高等学校)を卒業後、鴻池銀行(三菱東京UFJ銀行の前身)に入行。俳句は旧制中学在学中よりはじめ、「鬼灯」誌で西山泊雲に師事、「ホトトギス」を経て、1935年に日野草城の「旗艦」創刊に同人参加。1937年8月応召、中国大陸にて従軍しながら戦地で詠んだ前線俳句を本国に送り「旗艦」に発表した。1940年帰国、句集『北方兵団』(三省堂 俳苑叢刊)を刊行。1941年に再度応召し、東部ニューギニアで戦死した。戦後、宇多喜代子が遺稿などを集め、1984年に『片山桃史集』を編集刊行している。
細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 199… 細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人。松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「風」同人。夫は沢木欣一。 1907年(明治40年)、父・細見喜市、母・とりの長女として兵庫県氷上郡芦田村、現・兵庫県丹波市青垣町東芦田に生まれる。実家は江戸時代から名主をつとめた素封家。 1919年、柏原高等女学校に入学、寮生活を送る。1923年、日本女子大学校国文科入学。1927年(昭和2年)、同大学を卒業、同時に東京大学医学部助手の太田庄一と結婚。1929年、夫を結核で失い、秋に肋膜炎を発病したため帰郷。佐治町の医師でもあった俳人・田村菁斎の勧めで俳句を始め、松瀬青々の俳誌「倦鳥」に入会、その年に投句し初入選する。
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月… 初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。 兵庫県姫路市大黒町(現・大国壱丁町)に、薬種商井上又次・たねの三女として生まれる。本名・しづ江。姫路高等女学校(現・兵庫県立姫路東高等学校)を卒業し、大阪道修薬学校(現・大阪薬科大学)に入学。薬剤師の検定試験を受けて合格。姫路に帰郷し、親戚の病院へ調剤の見習いに通う。 その後、姫路高女時代から交際していた初井佐一と結婚(当時20歳)。佐一の生家・初井家は姫路を代表する大地主で素封家であった。歌誌『アララギ』の会員で短歌を作っていた夫に勧められて作歌を始め、1926年に「日光」に入社、北原白秋に師事。
永田 耕衣(ながた こうい、1900年(明治33年)2月21… 永田 耕衣(ながた こうい、1900年(明治33年)2月21日 - 1997年(平成9年)8月25日)は、俳人。本名軍二(ぐんじ)。別号、田荷軒主人。禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
奥田 雀草(おくだ じゃくそう、1899年7月29日 - 1… 奥田 雀草(おくだ じゃくそう、1899年7月29日 - 1988年12月13日)は、日本の俳人・俳画家。本名は奥田 哲良(おくだ てつろう)。 雀草の句碑は上の12基。この他、洲本市“文学の森” に蜷川虎三、夫人・奥田雅子の句にそれぞれ雀草が絵をつけた合同句碑2基がある。
五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - … 五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は、日本の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。兵庫県出身。 姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校、第三高等学校を経て、1923年京都帝国大学医学部卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。 大学在学中の1920年より句作をはじめ、京大三高俳句会で高浜虚子と出会い師事する。1922年、「京鹿子」同人。1930年、山本梅史の跡を継いで「九年母」選者。1932年、「ホトトギス」同人。
三木 露風(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964… 三木 露風(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964年12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。国木田独歩の曾祖母が三木家出身。その縁もあり1912年『独歩詩集』を刊行した。早稲田詩社結成に加わり、『廃園』(1909年)を刊行。ほかに詩集『寂しき曙』(1910年)、『白き手の猟人』(1913年)など。 近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並んで「白露時代」を築いた。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。 1889年(明治22年)6月23日、兵庫県揖西郡龍野町(現・たつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた。
川端 千枝(かわばた ちえ、1887年(明治20年)8月9日… 川端 千枝(かわばた ちえ、1887年(明治20年)8月9日 - 1933年(昭和8年)7月4日)は、大正・昭和期の歌人。 1887年(明治20年)に神戸市で生まれた。父は神戸又新日報副社長を務めた炬口又郎。神戸市の親和女学校卒業。その年、淡路島の川畑隆平と結婚。 結婚3年目を迎えた頃、ひとり娘の母となり、加寿と名付ける。後の歌人・杉村けい子である。しかし、加寿が3歳になったばかりの1909年(明治42年)、夫と死別する。 1913年(大正2年)、亡夫の友人前田夕暮主宰の『詩歌』に入門する。同じく『詩歌』同人であった清水白花との相聞歌で誌面を騒がせた。また娘の杉村けい子は、別の同人、田中白夜を恋人に擬した作品を引用している。
杉田 つる(すぎた つる、通称・鶴子、1882年(明治15年… 杉田 つる(すぎた つる、通称・鶴子、1882年(明治15年)12月6日 - 1957年(昭和32年)4月20日)は、兵庫県神戸市出身の小児科医、歌人。 第二次世界大戦後、国立東京第一病院二宮分院主任医を務めた。歌壇では、1920年(大正9年)「朝の光」創刊に参加し、窪田空穂、宇都野研に師事したのち「勁草」(けいそう)同人となった。 杉田玄白の5世孫に当たるが、鶴子は生涯未婚であったため、彼女が玄白の血筋を引く最後の医師になった。 杉田鶴子は、杉田玄白の4世孫で開業医だった杉田雄の一人娘として生まれた。1905年(明治38年)、大阪市の私立関西医学院に入学するが、翌年、彼女が14歳の時に父の雄が死去した。
西山 泊雲(にしやま はくうん 1877年4月3日 - 19… 西山 泊雲(にしやま はくうん 1877年4月3日 - 1944年9月15日)は、兵庫県出身の俳人。本名亮三。 兵庫県竹田村(現丹波市)生。酒造家西山騰三の長男。弟は野村泊月で、泊月の紹介で高浜虚子に師事した。酒造業を継いだが、青年期には神経衰弱に陥り家出や自殺未遂を経験。また家業が不振となった折には、虚子がその醸造酒を「小鼓」と命名し、「ホトトギス」に何度も広告を出して再興を助けた。 鈴木花蓑と並び「ホトトギス」沈滞期を代表する作家で同誌巻頭を28回取っているが、山本健吉は(花蓑と比べても)「泊雲のほうがより没主観の写生主義であり、句柄も鈍重で冴えたところがない」としている(『定本現代俳句』「鈴木花蓑」の項)。
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月… 永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月23日 - 1943年(昭和18年)9月17日)は、兵庫県三原郡長田村(現:南あわじ市倭文長田)出身の日本の官僚、政治家、俳人、随筆家。第18代官選三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学学長、貴族院勅選議員。廣田内閣の拓務大臣、阿部内閣の鉄道大臣を歴任。俳名・筆名は永田 青嵐(ながた せいらん)で、多くの著書や句集を残している。 長男は自由民主党衆議院議員の永田亮一。 初代倭文村村長を務めた永田実太郎の次男として出生。弟に京都市土木局長、横浜市電気局長を務めた永田兵三郎がいる。 三原高等小学校卒業後、進学校の1つだった姫路中学校を受験するが不合格となる。
川西 和露(かわにし わろ、1875年(明治8年)4月20日… 川西 和露(かわにし わろ、1875年(明治8年)4月20日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は日本の俳人、俳書収集家。本名は徳三郎。 兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立神戸商業高等学校卒業後、鉄材商を営む。俳句は河東碧梧桐に師事。俳誌「阿蘭陀渡」を創刊。句集に「和露句集」がある。碧梧桐主宰の俳誌『海紅』に創刊号から参画した。