濱田 浩一郎(はまだ こういちろう、1983年4月8日–)は… 濱田 浩一郎(はまだ こういちろう、1983年4月8日–)は、日本の歴史学者、作家、評論家。専門は日本中世史。 大阪府生まれ、兵庫県相生市出身。2002年に兵庫県立相生高等学校卒業すると皇學館大学文学部国史学科に入学し、歴史学者の恵良宏に指導を受ける。2006年に同学部を卒え、同学大学院の文学研究科博士前期課程に進む。同研究科では歴史学者の上横手雅敬に師事し国史学を専攻、博士前期課程を修める。同科博士後期過程は2011年に単位取得を満了して退学する。 2010年に大学院の籍を保ちながら姫路獨協大学播磨学研究所に研究員として赴く(2012年に非常勤講師)。兵庫県立大学内播磨学研究所の研究員を務め、姫路日ノ本短期大学では非常勤の講師として教壇に立ち、また客員研究員に招かれた大阪観光大学の観光学研究所で研鑽を積む。
荻上 チキ(おぎうえ チキ、男性、1981年〈昭和56年〉1… 荻上 チキ(おぎうえ チキ、男性、1981年〈昭和56年〉11月2日 - )は、日本の評論家、編集者、ラジオパーソナリティ。ニュースサイト『シノドス』編集長、特定非営利活動法人「ストップいじめ!ナビ」代表理事、 一般社団法人「社会調査支援機構チキラボ」代表理事を歴任。TBSラジオでは『ニュース探究ラジオ Dig』『荻上チキ・Session-22』『荻上チキ・Session』でパーソナリティを担当した。専門はテクスト論、メディア論。メールマガジン「αシノドス」の編集長も務めた。単著は『ウェブ炎上』『ネットいじめ』『社会的な身体』、『検証 東日本大震災の流言・デマ』『彼女たちの売春』『いじめを生む教室』など。
能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、… 能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。 2005年から2020年まで投手として阪神タイガースへ在籍した後に、2021年から投手コーチ兼任でオリックス・バファローズへ移籍。2022年限りで現役を引退した。 阪神投手時代の2019年にNPBの一軍公式戦における40代の投手としてのシーズン最多登板数記録(2022年シーズン終了時点)、オリックス移籍後の2021年に通算1,500奪三振を歴代最年長(小宮山悟と並ぶ41歳11か月)で達成した。また、阪神・オリックスの両球団で、一軍公式戦におけるセーブとホールドの球団最年長記録を達成。
田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、福岡県… 田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、福岡県生まれ、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 セントルイス・カージナルスとフィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズを制覇している。 妻は元TBSアナウンサーの香川恵美子で、一男あり。 福岡県生まれ。クラレに勤務していた実父・允之(よしゆき)の転勤によって、2歳から8歳まで千葉県、8歳から小学校5年生夏までを岡山県岡山市、中学校時代から大学時代までを兵庫県西宮市で過ごした。 允之はかつて、社会人野球チームのクラレ岡山硬式野球部(1973年廃部)の外野手として活躍していた。その影響で、2歳上の兄(捕手)と共に3歳から野球を始めると、岡山市立平福小学校では当時住んでいた同社社宅内のソフトボールチームに所属(遊撃手)、優勝大会多数。
本田 透(ほんだ とおる、1969年5月12日 - )は、日… 本田 透(ほんだ とおる、1969年5月12日 - )は、日本の著作家、評論家、小説家、脚本家。 別名義として宮小路 瑞穂(みやのこうじ みずほ)がある。これは、PCゲーム『処女はお姉さまに恋してる』へのオマージュである。 兵庫県神戸市出身。早くに父親が蒸発、残された母親に虐待されて育ったと称している。『電波男』には父と母が仕方なく結婚(後に事実上離婚)したため、嫌いな人との間に出来た自分が愛されなかったこと、まともな食事を与えられなかったこと、男である事を否定されて彼女が出来ると邪魔をされて妹と部屋を共にする事すら否定して仕切りで分けられたなどが克明に書かれている。 近所にあった灘中学校への進学を、貧困を理由に母から反対され断念。
可能 涼介(かのう りょうすけ、1969年4月10日 - )… 可能 涼介(かのう りょうすけ、1969年4月10日 - )は、日本の文芸評論家・劇作家・批評家・精神保健福祉士である。
増田 玲(ますだ れい、1968年 - )は、日本の写真評論… 増田 玲(ますだ れい、1968年 - )は、日本の写真評論家、写真史家である。東京国立近代美術館美術課主任研究員。 兵庫県神戸市出身。1990年、筑波大学第二学群比較文化学類卒業。1992年、筑波大学大学院地域研究研究科修士課程修了、修士(国際学)取得。東京国立近代美術館学芸員となった。今までに「奈良原一高展」「トーマス・ルフ展」などを企画している その後も各種写真展の企画を行っている。 Yahoo!百科事典 写真関連の記事を執筆 [リンク切れ] この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
宮内 見(みやうち み、1965年〈昭和40年〉12月7日 … 宮内 見(みやうち み、1965年〈昭和40年〉12月7日 - )は、兵庫県神戸市出身の放送作家、イベントプロデューサー、レトルトカレー評論家。 兵庫県立兵庫高校、同志社大学を卒業後、安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)に就職したが、サラリーマン生活に馴染めず、関西の放送作家・新野新に師事。関西時代にはぜんじろう、歌手の種浦マサオ、I少年Dの森田(現・コラアゲンはいごうまん)、矢野・兵動の兵動大樹らとテレビ、ラジオ、ライブを行っていた。銀行を辞めると同時に結婚したため、「おもろいやん、本気やな」とぜんじろうに気に入られた。ぜんじろうとはその後、10年近くにわたって海外での英語の舞台に挑戦していた。
永田 喜彰(ながた よしあき、1963年1月20日 - )は… 永田 喜彰(ながた よしあき、1963年1月20日 - )は日本のクイズタレント、クイズ評論家。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立神戸高等学校卒業、大阪大学基礎工学部化学工学科中退。血液型A型。1987年1月、関西クイズ愛好会に入会。1988年4月、「本格的にクイズに入りびたるため」として立命館大学クイズソサエティー(RUQS)に参加。 『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではグアムで敗退。『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではシドニーで一旦敗れるも、Mr.マリックの記憶術による敗者復活戦を勝ち上がり、最終的には準優勝となる。他にも『クイズMr.ロンリー』パーフェクト達成、『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』第2回・第4回大会優勝や『クイズ$ミリオネア』1000万円獲得など数々の賞歴やエピソードを作った。
荷宮 和子(にみや かずこ、1963年 - )は日本の評論家… 荷宮 和子(にみや かずこ、1963年 - )は日本の評論家、女子供文化評論家、文筆家。 神戸市出身。神戸大学法学部卒業。 大の宝塚歌劇ファン。また、デパ地下ファンとしても有名でテレビチャンピオンに出場したこともある。
佐々木 俊尚(ささき としなお、1961年12月5日 - )… 佐々木 俊尚(ささき としなお、1961年12月5日 - )は、日本のジャーナリスト・評論家。妻はイラストレーターの松尾たいこ。 兵庫県西脇市出身。1980年、愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年に毎日新聞社に入社。警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。 1999年10月、アスキーに移籍し『月刊アスキー』編集部などを経て2003年2月に退社して以後はフリーランス。 杉並区住基ネット調査会議委員、情報ネットワーク法学会会員、朝日新聞社総合研究本部客員研究員、オーマイニュース編集委員、経済産業省情報大航海プロジェクト制度検討タスクフォース委員、成城大学文芸学部非常勤講師、早稲田大学政経大学院非常勤講師、東京大学大学院情報学環電通寄付講座「コミュニケーションダイナミクス」特任研究員、「TABI LABO」編集長。
山下 景子(やました けいこ、1958年7月17日 - )は… 山下 景子(やました けいこ、1958年7月17日 - )は、日本の評論家。 兵庫県神戸市生まれ。武庫川女子短期大学国文科卒業。西宮市で音楽講師をしながら作詞家を目ざし、1991年「北海道・北の讃歌コンクール」で「地球岬」(歌・清水綾子)で最優秀賞、「愛知・名古屋マイソング」で最優秀曲を受賞する。2005年『美人の日本語』が、26万部を超えるベストセラーになり、以後文筆家となる。
鈴木 創士(すずき そうし、1954年4月8日 - )は、日… 鈴木 創士(すずき そうし、1954年4月8日 - )は、日本のフランス文学者、作家、評論家、翻訳家、ミュージシャン、兵庫県神戸市出身。 甲陽学院高等学校卒。その後、渡仏。帰国後、サバト館(顧問 生田耕作)の編集者でもあった。 伝説のカルト的ニューウェイヴ・バンドEP-4の初期オリジナル・キーボード奏者でもある。作家活動のほか、ミュージシャンとしてEP-4 、及び本隊からの別働隊として EP-4 unitP などでも活動。
楠木新(くすのき あらた、1954年 - )は、日本のビジネ… 楠木新(くすのき あらた、1954年 - )は、日本のビジネス評論家。元神戸松蔭女子学院大学人間科学部都市生活学科教授。神戸新開地・喜楽館アンバサダー。 神戸市生まれ。京都大学法学部卒業。大手生命保険会社に入社し、人事・労務関係を中心に、経営企画、支社長等を経験。47歳の時うつ状態で休職。その後、50歳から勤務と並行して、「働く意味」をテーマに取材・執筆・講演に取り組む。大阪府立大学大学院経営学研究科でMBAを取得。関西大学商学部非常勤講師を務める。2015年60歳で定年退職。神戸松蔭女子学院大学非常勤講師を経て、2018年4月より神戸松蔭女子学院大学人間科学部都市生活学科教授。2022年3月大学を退任。
淡口 憲治(あわぐち けんじ、1952年4月5日 - )は、… 淡口 憲治(あわぐち けんじ、1952年4月5日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、評論家。
村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - … 村上 知彦(むらかみ ともひこ、1951年11月29日 - 2024年12月22日)は、日本の編集者、漫画評論家。元神戸松蔭女子学院大学文学部教授。手塚治虫文化賞選考委員。日本マンガ学会理事、日本漫画家協会参与。 父は「具体」のメンバーだった画家の村上三郎。かつてのニックネームは「ギャーさん」。 兵庫県芦屋市に生まれ、1歳から西宮市で育ち、関西学院中学部・高等部に進学した。高校の文化祭で、阪神間の高校生が作った自主映画の上映を企画。同学年の大森一樹と知り合う。関西学院大学社会学部卒業。 1967年に創刊された漫画雑誌『COM』に衝撃を受け、特に、峠あかね(真崎守の筆名)の漫画評論の影響を受ける。
川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日 - … 川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日 - )は、日本の鉄道評論家(鉄道アナリスト)である。鉄道友の会会員、全国鉄道利用者会議会員。 兵庫県芦屋市出身、山梨県上野原市在住。 鉄道に関する著作が多く、中でも『全国鉄道事情大研究』(草思社)は25年以上続くシリーズとして現在も続刊中で、川島はこのシリーズをライフワークとしている。 兵庫県立芦屋高等学校、東海大学を経て、電気車研究会『鉄道ピクトリアル』編集部に勤務。同誌のグラフ写真の撮影のほか、同社が刊行していた『電気車の科学』の編集も担当した。その後はフリーのライターとして鉄道関連の記事を書いていたが、収入も微々たるもので、妻子を養うために父親が関わるベンチャー企業に技術職として就職。
佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 -… 佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 - )は、兵庫県氷上郡青垣町(現・丹波市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・監督、野球解説者、野球評論家。 少年時代は相撲を取ったら負け知らずだったため、相撲部屋からスカウトが来たという。 兵庫県立柏原高校では捕手で4番を打つと、社会人野球の新日本製鐵広畑に入社する。新人の頃は神部年男(後に近鉄でも先輩)の球も受けていたが、2年目から一塁手に転向して1970年の第41回都市対抗野球大会に鐘淵化学の補強選手として出場し、チームの準々決勝進出に貢献する。同年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズから9位指名を受けるが入団を拒否し、会社に残留する。
成田 一徹(なりた いってつ、1949年(昭和24年)10月… 成田 一徹(なりた いってつ、1949年(昭和24年)10月9日 - 2012年(平成24年)10月14日)は、日本の切り絵作家、バー評論家。 本名、成田 徹(なりた とおる)。新聞・雑誌・書籍を中心に作品を発表。BARの情景を刻んだモノクロの切り絵は、30数年来のライフワーク。個展、グループ展多数開催。講談社フェイマススクール・インストラクター。Society Of Illustrators (New York) 会員。日本出版美術連盟会員。 兵庫県神戸市出身。大阪経済大学卒業。1988年(昭和63年)、切り絵作家として独立。 公務員として勤務する一方、バーの多彩な魅力を切り絵で表現することをライフワークとした。
大角 修(おおかど おさむ、1949年 - )は、日本の仏教… 大角 修(おおかど おさむ、1949年 - )は、日本の仏教評論家。 兵庫県姫路市生まれ。筆名・菊池武夫。1968年白陵高等学校卒、1973年東北大学文学部宗教学科卒業。佼成出版社勤務をへて、有限会社「地人館」代表。仏教関連を中心に編集・執筆活動を展開している。
江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵… 江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ)の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家・タレント。 2025年現在でも日本記録であるシーズン401奪三振を達成したほか、NPB最多タイ記録となる最優秀救援投手(現在の最多セーブ投手)を6回獲得している。プレーそのものについても「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など多くのエピソードを持つ。 1948年5月15日、奈良県吉野郡にて生まれる。鹿児島県出身の母は大阪にいた頃大阪大空襲に遭い疎開先の奈良県吉野郡で江夏の父親となる男性と出会い、豊が生まれた。江夏の母親にとって豊は三男に当たり、14歳年上の長男、7歳年上の次男、と3人とも父親が全員異なるという複雑な家庭環境であり、江夏姓も母方の姓だった。
筆坂 秀世(ふでさか ひでよ、1948年〈昭和23年〉2月2… 筆坂 秀世(ふでさか ひでよ、1948年〈昭和23年〉2月28日 - )は、日本の政治評論家。元参議院議員(2期)。 日本共産党中央委員会常任幹部会元委員、同党政策委員長。同党から離党した後は政治家としての活動からは身を引き、北海道根室市納沙布岬のNPO法人望郷の塔(旧・納沙布岬平和の塔)の理事長を務めた。 1948年(昭和23年)、兵庫県川辺郡六瀬村(現在の猪名川町)柏原の農家に、5人兄弟の末子として生まれる。兵庫県立伊丹高等学校卒業 後、三和銀行(三菱UFJ銀行の前身行)に勤務。その傍ら日本民主青年同盟の活動を経て、日本共産党に入党。筆坂自身と同じ銀行員という経歴を持つ作家の小林多喜二を尊敬していたことも、日本共産党の活動に尽力していく要因となった。
黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )… 黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )は、兵庫県印南郡大塩町(現・姫路市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、野球解説者・評論家。 生家は黒田官兵衛の子孫と伝わる。黒田が生まれた頃、生家は薬局を経営しており、薬剤師をしていた母から整腸剤を毎日飲むように言われていたことが強い体の基礎となったと回想している。 中学生の時に本格的に野球を始め、姫路南高校では1年次の1963年からベンチ入り。その時の3年生主砲が切通猛で、凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていた。黒田は一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通からは「何でもええから走っとけ」と言われ、野球人生で最初に影響を受けた人になった。
ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よ… ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よしひろ)、1947年3月31日 - )は、日本のボクシング評論家、ボクシングのマッチメーカー兼トレーナー、ボクシング番組解説者、ボクシング誌記者。兵庫県神戸市出身。国際ボクシング名誉の殿堂博物館、世界ボクシング殿堂入り。 ペンネームの由来は、小泉信三元慶大塾長の著書に感動したことと、フランツ・カフカの小説の主人公の名前から。 神戸市兵庫区西出町に生まれる。先祖は広島藩の御納戸役であったという。祖父も父もエンジニアで父は戦前、皇太子の近衛兵として東京に召集されたが、広島への原爆投下により実家が壊滅。広島に居た親族のほとんどが亡くなり、姉のいた神戸で途中下車しそのまま住みついた。
柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年7月6日 - 2021… 柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年7月6日 - 2021年12月13日)は、日本のデザイン評論家、武蔵野美術大学名誉教授。兵庫県神戸市出身。 近代日本デザイン史、広告論、都市論を中心として研究。デザインを通して近代社会を考察した。著書に『日用品のデザイン思想』(1984年)、『「しきり」の文化論』(2004年)、『日記で読む文豪の部屋』(2014年)など。 1970年武蔵野美術大学産業デザイン学科卒。卒業後、自宅アパートでデザイン論・デザイン史を研究し始める。編集者などを経て、1983年東京造形大学助教授。1994年勝見勝賞受賞。文化庁芸術選奨選考委員となる。1996年武蔵野美術大学(近代デザイン史)教授。
小倉 エージ(おぐら エージ、本名:小倉 栄司(おぐら えい… 小倉 エージ(おぐら エージ、本名:小倉 栄司(おぐら えいじ)、1946年〈昭和21年〉6月15日 - )は、日本の音楽評論家、料理評論家。 兵庫県神戸市出身。甲南大学卒業後、URCレコードのディレクターとなり、はっぴいえんどのデビューアルバム『はっぴいえんど』の制作を手がけた(12弦ギターも演奏)。 またその頃、音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』(ミュージック・マガジン))の創刊に携わり、以後は主に音楽評論家として活動している。 洋楽から歌謡曲、アジアン・ポップスまで評論の幅は広く、日本レコード大賞の審査員も務めるなど、音楽業界の重鎮の一人である。NHK-FMの人気番組だった『クロスオーバーイレブン』の選曲も長きに渡り担当していた。
上田 武司(うえだ たけし、1946年3月16日 - )は、… 上田 武司(うえだ たけし、1946年3月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)・コーチ、評論家。 鳴尾高校ではエースとして活躍。3年次の1963年5月には、同年に夏の甲子園で優勝する明星高との練習試合で好投し、注目を浴びる。夏季兵庫大会では準々決勝に進出するが、宮本幸信、後にプロでチームメイトとなる吉田孝司のバッテリーを擁する市神港高に敗退。 卒業後の1964年に読売ジャイアンツへ入団。 1965年に内野手へ転向。1967年にはイースタン・リーグで打率.356をマークして首位打者、本塁打王にも輝いて二冠を獲得。 1969年9月8日のアトムズ戦(神宮)で浅野啓司から6年目で初のソロ本塁打を放つ。
河 信基(ハ・シンギ、하신기、1946年 - )は、作家、ジ… 河 信基(ハ・シンギ、하신기、1946年 - )は、作家、ジャーナリスト、評論家。兵庫県姫路市生まれ。 1971年、中央大学法学部卒業。朝鮮総連系新聞の朝鮮新報社記者、朝鮮大学校講座長(学科主任教授)を経て作家活動に入る。朴正煕を「開発独裁」と評価し、鄧小平の改革開放政策のモデルとなったと俯瞰し、北朝鮮経済再建の方向性を与えていると主張する。特にウクライナ戦争による地政学的な変化の中、金正恩の北朝鮮はロシア、中国との旧同盟関係復活で安保状況を安定させ、経済再建の環境を整え、戦後日本経済復興の契機となった旧朝鮮戦争特需のようなウクライナ戦争特需で高度経済成長軌道に乗るだろうと分析している。また、アジアからの米軍撤退が不可避の新情勢の下、過度の米軍依存の安保政策は中国、ロシアとの対立を激化させ、「日本有事」を招きかねないと警鐘を鳴らしている。
上村 武男(うえむら たけお、1943年〈昭和18年〉2月2… 上村 武男(うえむら たけお、1943年〈昭和18年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉7月28日)は、日本の文芸評論家、作家、神職。元水堂幼稚園長。 兵庫県尼崎市生まれ。1969年國學院大學文学部中退。2005年度尼崎市文化功労賞(文学)受賞。 水堂須佐男神社宮司を2014年6月まで務め、同月より名誉宮司となった。2017年、奉職にとどまらない旺盛な著述活動が評され、神道文化賞を受賞した。 ・『尼崎の今昔』郷土出版社、2009
小室 豊允(こむろ とよちか、1942年4月27日 - 20… 小室 豊允(こむろ とよちか、1942年4月27日 - 2013年6月13日)は、日本の法学者・政治評論家・政治学者。姫路獨協大学名誉教授・社団法人国際経済労働研究所常任理事。神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1965年中央大学法学部卒業、1969年立命館大学大学院法学研究科修士課程修了。1974年大阪社会事業短期大学専任講師。1979年コーネル大学客員研究員、1981年大阪府立大学社会福祉学部助教授。1989年姫路獨協大学経営情報学部教授、同地域センター長。1997年同経営情報学部長、1998年同大学院経営情報研究科長。1999年同学長。2002年同名誉教授、大手前大学社会文化学部教授。2007年同退職。
柄谷 行人(からたに こうじん(ゆきと)、本名:柄谷 善男〈… 柄谷 行人(からたに こうじん(ゆきと)、本名:柄谷 善男〈からたに よしお〉、1941年〈昭和16年〉8月6日 - )は、日本の哲学者、文学者、文芸批評家。兵庫県尼崎市出身。戦後日本を代表する批評家である。 筆名は夏目漱石の小説『行人』にちなむとされているが、本人は「kojin」という語感と響きから偶然思いついたと語っている。「国家」「資本」「ネーション」とは区別されるものとして、近年は「アソシエーション」という言葉を強調している。 『意識と自然ー漱石試論』(1969年)で論壇に登場。言葉と人間との関係を追究し、近代を読み直す。著書に『意味という病』(1975年)、『坂口安吾と中上健次』(1996年)、『トランスクリティーク カントとマルクス』(2001年)、『哲学の起源』(2012年)、『帝国の構造』(2014年)、『世界史の構造』(2015年)など。
松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2… 松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2013年8月13日)は、文芸評論家。久留米大学文学部名誉教授。本名・江頭肇(えがしら はじめ)。 兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業。1964年、「亀井勝一郎論」で第7回群像新人文学賞評論部門受賞。1993年久留米大学教授。2010年定年、名誉教授。左翼的な立場にたち、内向の世代論争では内向の世代の自閉を批判した。 2013年8月13日、膵臓癌のため福岡県久留米市の病院で死去。73歳没。 長女は脚本家の江頭美智留。 大阪文学学校チューター、神戸大学教育学部助教授を経て、2010年まで久留米大学文学部教授。 1993年から96年まで読売新聞で文藝時評を担当した。
鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年… 鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年8月1日)は、兵庫県三原郡広田村(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。 男四人兄弟の末っ子として生まれ、生まれて10日目に父が亡くなった。父は近隣地区の情報を特化する新聞を発行して生計を立てていたが、大黒柱が倒れ、家族は窮地に追い込まれる。長男もまだ働く年齢ではなく、母が新聞発行を引き継げるわけもなく、乳呑み児を抱いて淡路島内の実家に引っ越し、呉服を売り歩く商売を始めた。買ってくれるのは親戚だけで、母は自分の着物を質屋に入れ、実父の助けも借りて生きた。淡路島は空襲も少なく、周りは海で温暖な気候であったため、魚や野菜など食べ物に困ることはなかった。
大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )… 大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )は、日本の実業家、ゴルフ評論家、ゴルフ場設計者。 兵庫県西宮市生まれ。1959年、関西学院大学を卒業し住友ゴム工業の前身である日本ダンロップに入社。大学時代にゴルフ部に所属(主将まで務めた)していた経験を生かしてゴルフ用品の開発などに携わる[要出典]。 1973年、同社の関連会社でゴルフ競技運営などを行うダンロップスポーツエンタープライズの設立と同時に出向の形でマネージャーとして入社。トーナメントプロデューサー・ディレクターとして「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」など数多くのゴルフトーナメントを手掛けた。トーナメントのプロデュースをしていくうちにゴルフ場設計の重要性を痛感するようになり、ゴルフ場設計に本格的に乗り出す[要出典]。
清水 勤(しみず つとむ、1935年4月5日- )は、日本の… 清水 勤(しみず つとむ、1935年4月5日- )は、日本の経営評論家。 兵庫県神戸市出身。1958年東京大学教育学部教育心理学科卒、東京芝浦電気に入社し、人材開発部担当課長、総合企画部担当課長、勤労部福祉担当課長、76年日野工場総務部長、78年原子力事業本部総務室長、81年人材開発部担当部長を経て退職。職業能力開発総合大学校教授に就任。2001年退任後、HRDリサーチを設立しコンサルタントとなり、多数のビジネス書を執筆。1974年、日本労務管理協会藤林賞を受賞。
井上 隆一郎(いのうえ りゅういちろう、1935年 - )は… 井上 隆一郎(いのうえ りゅういちろう、1935年 - )は、日本の国際問題評論家、桜美林大学名誉教授。本名・井上朗。 兵庫県芦屋市生まれ。1957年、関西学院大学経済学部卒業。1959〜61年、フランス、イタリアに留学。日本貿易振興会(ジェトロ)に入り、調査部、経済情報部、パリ、アムステルダム駐在、主任調査研究員を経て、桜美林大学教授。2006年定年、名誉教授、日本貿易振興機構客員研究員。
小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月… 小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉12月3日)は、日本の小説家、社会評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。 幼時を上海で過ごす。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事。1958年に同大学を卒業してNHKに入り、ディレクターとして『夢であいましょう』などを手がける。 1964年に退職してフリーとなり、野坂昭如の薫陶を受けてルポルタージュやコラムを執筆。 1965年、小田実たちと共にベ平連を結成。世話人としてパリやハノイやストックホルムに赴き、国際連帯に貢献する。特に脱走兵援助では、ハノイやモスクワを巡った。 1970年から法政大学講師を務める。
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 20… 小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 2025年4月18日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。2001年に野球殿堂入り。 小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。
槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タ… 槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・放送作家・ファッション評論家・フリープロデューサー。主に関西で活躍中。 神戸市出身。神戸二中(現兵庫高等学校)卒業。1955年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社、同期に植草貞夫と山内久司と澤田隆治らがいる。その後、大阪テレビ放送へ出向し、大阪テレビ放送が朝日放送と合併後は新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ移籍。毎日放送退社後は松下電工(現・パナソニック電工)に転職。 朝日放送・大阪テレビ時代は制作部に所属し、多くの番組でディレクターとして活動。新日本放送時代は制作部門を渡り歩き、松下電工時代は広報・宣伝に携わる。
山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )… 山際 永三(やまぎわ えいぞう、1932年7月22日 - )は、日本の映画監督、演出家、評論家。石井輝男プロダクション代表、日本映画監督協会常務理事。兵庫県神戸市出身。
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 202… 内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。2006年、第16回イーハトーブ賞受賞。2008年、第60回NHK放送文化賞受賞。2021年9月1日午後4時37分、急性心筋梗塞により神奈川県鎌倉市の病院で死去した。89歳没。 読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンターを務めたほか、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人や、日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人となった。
中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2… 中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2011年3月3日)は、日本の美術評論家。京都精華大学学長、同大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。本名は江戸頌昌(えどのぶよし)。神戸一中、旧制三高、京都大学理学部卒、京都大学大学院中退。湯川秀樹研究室で理論物理学を専攻していたが、在学中の1955年美術評論が雑誌に掲載されたのを機に、美術批評家となる。 1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。 1970年に第10回日本国際美術展「東京ビエンナーレ」(通称「人間と物質」展)のコミッショナー、1976年と1978年にベネチア・ビエンナーレのコミッショナーを務めた。1990年3月から9月まで水戸芸術館美術部門芸術総監督を務めた。
吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27… 吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた。長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する。東洋英和女学院高等部卒業。1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同年、東映に入社。監督志望だったが広報部に配属され、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる。長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職。 フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。
日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9… 日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9日 - )は、日本の評論家、作家。日本財団特別顧問。多摩大学名誉教授。三谷産業株式会社監査役。 兵庫県生まれ。日本長期信用銀行取締役、ソフト化経済センター理事長、東京財団会長、社会貢献支援財団会長 などを歴任。原子力安全システム研究所最高顧問会議・顧問。2001年に共同で立ち上げた市民満足学会の会長。多摩大学名誉教授。著書『新・文化産業論』でサントリー学芸賞1979年度社会・風俗部門受賞。 アメリカや中国に否定的であり、日本の国益を潰そうとする国の第一に挙げている。[要出典]また、自著で「日本は核武装をすべきだ(原子爆弾を持て)」と主張している。
塚崎 幹夫(つかざき みきお、1930年6月1日 - )は、… 塚崎 幹夫(つかざき みきお、1930年6月1日 - )は、フランス文学者、評論家、富山大学名誉教授。 神戸市生まれ。1953年京都大学仏文科卒、同大学院を経て富山大学教養部助教授、教授。ロジェ・カイヨワの翻訳のほか、多彩な著書で知られる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
雑喉 潤(ざこう じゅん、1929年5月3日 - 2024年… 雑喉 潤(ざこう じゅん、1929年5月3日 - 2024年5月16日[要出典]または2021年ごろ)は、日本の評論家、元新聞記者。 神戸市生まれ。1953年京都大学文学部中国文学科卒業(吉川幸次郎・門下生)、朝日新聞社に入社、学芸部編集委員、学芸部長、音楽担当編集委員、浜離宮朝日ホール総合プロデューサーなどを務め、93年退職。97年名古屋自由学院短期大学教授、のち名誉教授。
横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973… 横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973年8月14日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名・輝雄。 兵庫県美嚢郡三木町大塚(現・三木市)生まれ。1946年湊川中学校夜間部卒業、小学校教師となり、生活綴方運動に加わる。1954年「文学と教育研究はくぼくの会」に参加、日本児童文学者協会に入り評論活動を行う。1958年教師を辞して上京、協会事務局長となる。児童向け再話なども行い、1970年日本子どもの本研究会会長を務めるが、1973年胃がんのため44歳で死去した。 1975年日本児童文学者協会賞特別賞。
多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 201… 多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 2011年4月13日)は、日本の美術評論家・写真評論家・建築評論家。専門は芸術学。元千葉大学教授。 写真評から出発し、美術、建築、思想と多岐にわたって批評活動を展開した。スポーツと社会の関連も論究。著書に『眼の隠喩』(1982年)、『天皇の肖像』(1988年)、『シジフォスの笑い』(1997年)などがある。 兵庫県神戸市生まれ。神戸一中、旧制第三高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業。和光大学助教授、東京造形大学教授、千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授を歴任。 1955年、『美術批評』誌の第2回芸術評論賞にて「井上長三郎論」で佳作入選。
福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 … 福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 - 1990年2月10日)は日本の指揮者、編曲家、音楽評論家。兵庫県神戸市生まれ。 関西学院中学部、西南学院中学部、西南学院高等部を経て、東京音楽学校(現:東京藝術大学)ピアノ科に入学したが、1948年1月に中退。東京音楽学校在籍中より、東宝交響楽団(現:東京交響楽団)にて、近衛秀麿の内弟子となり、指揮法、作曲法、管弦楽法を学ぶ。1950年、西南学院大学神学部に入学したが、翌年再上京し、藤原歌劇団に入団。マンフレート・グルリットの下でオペラ演奏法を学んだ。 晩年は腎臓病に苦しみ、人工透析に週3回通いながら音楽活動を続けていたが、1990年2月10日に死去。
永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は… 永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は、日本の美術史家、美術評論家。女子美術大学名誉教授。 神戸市生まれ。本籍は群馬県。京城帝国大学予科在学中に敗戦を迎え、引揚後、旧制松本高等学校理科甲類に編入。1948年東北帝国大学文学部東洋芸術史学科卒業後、東北帝国大学助手、1949年女子美術大学芸術学部講師、助教授、教授を歴任。1989年から1991年まで女子美術大学付属高等学校・中学校長(第十代)。1991年に女子美術大学を定年退職し、名誉教授の称号を得る。同年、沖縄県立芸術大学教授に就任し、1999年に沖縄県立芸術大学を退職。