武久 堅(たけひさ つよし、1936年(昭和11年)7月27… 武久 堅(たけひさ つよし、1936年(昭和11年)7月27日 - )は、国文学者、関西学院大学名誉教授。 1936年、兵庫県武庫郡(現・芦屋市)で生まれた。1944年に強制疎開で奈良県へ転居。奈良県立五條高等学校を卒業し、関西学院大学文学部日本文学科に進学した。1960年に卒業。同大学大学院文学研究科に進み、1965年に博士課程を満期退学。 1962年、関西学院大学助手に採用された。1967年、広島女学院大学専任講師に就いた。1972年に助教授、1981年に教授昇格。1986年、関西学院大学文学部日本文学科教授に転じた。1990年、学位論文『平家物語成立過程考』を関西学院大学に提出して文学博士号を取得。
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村上 和雄(むらかみ かずお、1936年1月2日 - 202… 村上 和雄(むらかみ かずお、1936年1月2日 - 2021年4月13日)は、日本の分子生物学者。筑波大学名誉教授。 現在の奈良県天理市生まれ。1983年に、高血圧を引き起こす原因となる酵素「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功。 1958年京都大学農学部農芸化学科卒業、1963年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了、1964年農学博士。オレゴン医科大学研究員(生化学教室)。1968年京都大学農学部助手。1969年ヴァンダービルト大学医学部研究員、1975年ヴァンダービルト大学医学部助教授。1976年筑波大学応用生物化学系助教授、1978年教授、1984年筑波大学遺伝子実験センター長、1994年筑波大学先端学際領域研究センター長、1999年筑波大学定年退官、名誉教授、財団法人国際科学振興財団専務理事、同バイオ研究所所長。
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井尻 雄士(いじり ゆうじ、Yuji Ijiri、1935年… 井尻 雄士(いじり ゆうじ、Yuji Ijiri、1935年2月24日 -2017年1月18日 )は、日本出身のアメリカの会計学者、日本の公認会計士。カーネギーメロン大学のUniversity Professor(特別教授)。元アメリカ会計学会(The American Accounting Association)会長。 1935年2月24日に神戸市で生れる。幼少の頃より数学に興味を持ち、6歳よりそろばん塾に通う。高校1年生の時に、パン屋を営む父から経理を任される。その仕事に興味を持ち、公認会計士を志望する。1952年、奈良県立奈良商業高等学校を卒業する直前に公認会計士一次試験に合格する。1953年、同志社大学短期大学部夜間部に在学中に二次試験に合格して会計士補となる。
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光田 寧(みつた やすし、1933年10月13日 - 199… 光田 寧(みつた やすし、1933年10月13日 - 1999年3月25日)は、日本の気象学者。超音波風速温度計の開発で有名。「気団変質実験計画 (AMTEX)」や「黒河流域における地空相互作用に関する日中共同研究 (HEIFE)」、標準計画台風の概念の導入で知られる。京都大学名誉教授。腎臓障害で週3回の人工透析を19年余り続けながら研究を推進した。叙正四位、勲三等旭日中綬章受章。
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岩井 宏實(いわい ひろみ、1932年3月5日- 2016年… 岩井 宏實(いわい ひろみ、1932年3月5日- 2016年2月29日)は、日本の民俗学者。国立歴史民俗博物館・帝塚山大学名誉教授。大分県立歴史博物館顧問。 奈良市生まれ。奈良県立奈良高等学校、立命館大学文学部卒業。同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。大阪市立博物館学芸員、国立歴史民俗博物館教授、1996年定年退官、名誉教授、帝塚山大学教授、学長。88年「地域社会の民俗学的研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。民具、民間信仰、宗教民俗学研究。
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早川 和男(はやかわ かずお、1931年5月1日 - 201… 早川 和男(はやかわ かずお、1931年5月1日 - 2018年7月25日)は、日本の建築学者、神戸大学名誉教授。専門は住居学。 奈良市出身。京都大学工学部建築学科卒業。西山夘三に師事。1973年「都市開発における空間価値の研究」で京都大学工学博士。日本住宅公団技師、建設省建築研究所建築経済研究室長などを経て、1978年神戸大学教授。1982年日本住宅会議事務局長。1993年『居住福祉の論理』で今和次郎賞受賞。1995年神戸大学を定年、名誉教授、長崎総合科学大学教授、日本福祉大学客員教授。「住まいは人権」をかかげて住宅・土地問題に取り組む。日本居住福祉学会会長、国際居住福祉研究所長を歴任。2001年より「日中韓居住問題国際会議」を三国の研究者らと開催。
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井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月1… 井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月10日 - )は、カナダの考古学者、文化人類学者。専門は日本など東アジア先史考古学。マギル大学名誉教授。 1930年、兵庫県神戸市長田村房王寺谷(現・神戸市長田区房王寺町)に生まれる。 1948年、奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業後、1953年に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、東京都立大学社会学研究室助手補となる。 1954年に、東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程に入学する。1955年からフルブライト奨学生としてハーバード大学に留学した。1958年、ラドクリフ・カレッジで修士号(M.A.)を取得し、ラドクリフ・カレッジ博士課程を修了する。
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松塚豊茂(まつづか とよしげ、1930年- )は、日本の宗教… 松塚豊茂(まつづか とよしげ、1930年- )は、日本の宗教哲学者、島根大学名誉教授。 奈良県大和郡山市生まれ。1955年京都大学文学部哲学科卒、60年同大学大学院博士課程単位修得退学。島根大学助教授、教授、1996年定年退官し名誉教授。2001年「ニヒリズム論攷」で京大文学博士。浄土教と西洋実存哲学の比較などをしてきた。
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大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018… 大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018年1月30日)は、日本の哲学者、浄土真宗僧侶、俳人。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1976年)。大阪大学名誉教授、元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。俳号は大峯 あきら。 奈良県吉野郡大淀町出身。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1953年、京都大学文学部宗教学科卒業、1959年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年、京都大学文学部助手。1966年、大阪外国語大学助教授。1971年より1972年まで、文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学。1973年、大阪外国語大学教授。
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一海 知義(いっかい ともよし、1929年5月15日 - 2… 一海 知義(いっかい ともよし、1929年5月15日 - 2015年11月15日)は、日本の中国文学者、神戸大学名誉教授、河上肇研究で著名。 奈良県奈良市生まれ。1953年京都大学文学部卒、吉川幸次郎の門下生の一人、同じ吉川門下の筧久美子・筧文生夫妻とは友人で共著も多い。 神戸大学教授を務め、1993年に定年後は神戸学院大学教授、2000年退職。古典漢文のみでなく、近世・近代日本の漢詩文の校訂も行い、特に河上については著作多数。2007年『正伝 後藤新平』校訂で毎日出版文化賞特別賞受賞。2015年11月15日午前11時50分、急性心不全のため神戸市の自宅で死去。86歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
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網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
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堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)… 堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)、1918年(大正7年)12月8日 - 2001年(平成13年)8月31日)は、東大寺の僧、職員、仏教学者、古文書研究者、大学講師・教授。東大寺史研究所長。 1918年(大正7年)12月8日、東大寺修二会の三役の一つの会計職などの「小綱」(しょうこう)を代々、務めてきた堀池家に長男として生まれる。1936年(昭和11年)3月、旧制奈良県立奈良中学校(現・奈良県立奈良高等学校)を卒業。同年4月6日、雲井春海東大寺管長のもと得度し、僧名を春峰とする。翌年2月に東大寺小綱職となり、1980年までほぼ毎年、同寺二月堂の修二会(お水取り)に42回参籠する。
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福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 19… 福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本の化学者。京都大学・京都工芸繊維大学名誉教授。日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士。奈良県奈良市出身(大和郡山市出身の説もある)。大阪市西成区育ち。
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田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 20… 田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 2013年7月10日)は、日本史学者、仏教史学者、九州大学名誉教授。
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大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - … 大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は、元早稲田大学教授。大西鉄之祐とも。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。 早大選手時代のポジションはフランカー。卒業後は東芝に就職するも兵役に就き終戦を迎える。戦後、早大職員から教授へ。後に早大ラグビー部監督に就任する。兄の栄造も早大の選手・監督だった。 1950年度シーズンより早大監督に就任。以後5シーズン監督を務め、1950年、1952年、1953年の各年度において東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦に勝利し、『全国制覇』をもたらした。また、この第1期監督時代に優勝時に「荒ぶる」を歌唱する伝統が始まった。
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大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 19… 大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は元早稲田大学教授。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。
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中田 祝夫(なかだ のりお、1915年11月30日 - 20… 中田 祝夫(なかだ のりお、1915年11月30日 - 2010年4月13日)は、日本の国語学者、筑波大学名誉教授。 奈良県奈良市生まれ。東京文理科大学卒業。1958年「古点本の国語学的研究総論編」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。戦後、東京教育大学教授、筑波大学教授、1980年定年退官、名誉教授、愛知大学教授。1986年退職。1989年春、勲三等旭日中綬章受勲。 2010年、心不全のため94歳で死去。 漢文古訓点の権威で、『古語大辞典』編纂のほか、『日本霊異記』の全訳などで知られるが、専門は古辞書で、節用集諸本の影印作成、索引作成を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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北川三夫(ジョゼフ M. キタガワ、Joseph M. Ki… 北川三夫(ジョゼフ M. キタガワ、Joseph M. Kitagawa、1915年3月8日 - 1992年10月7日)は、日本出身のアメリカの宗教学者。シカゴ大学神学部名誉教授。宗教史研究の先駆者。 1915年大阪府生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校卒業。1937年立教大学卒業。1941年渡米。1942年から1945年ニューメキシコ州とアイダホ州の日系人収容所で過ごす。1947年イリノイ州エバンストンにあるシーベリ・ウェスタン神学校(Seabury-Western Theological Seminary)卒業(B.D.)。1951年シカゴ大学神学研究科博士課程修了(Ph.D.)。ヨアヒム・ワッハに学び、博士論文のテーマは空海と真言宗。
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堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1… 堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1971年8月15日)は、日本の文学博士、元名城大学教授。専攻は国文学古代と近代詩歌。 奈良県北葛城郡河合町出身。國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫に師事。万葉に関する著書を出版し、それらの業績を讃えられ奈良県文化賞を受賞した。他にも國學院大學の卒業者から優秀な研究業績をあげた者に授与される三矢博士記念賞も受賞した。また地元の学校河合町立河合第一小学校や河合町立河合第一中学校の校歌も作詞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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木村 毅一(きむら きいち、Kiichi Kimura、19… 木村 毅一(きむら きいち、Kiichi Kimura、1904年4月7日 - 1992年7月8日)は、日本の実験原子核物理学者。理学博士(京都帝国大学・論文博士・1940年)。京都大学教授、京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)長を経て、京都大学名誉教授。大阪府立放射線中央研究所長、福井工業高等専門学校長も務めた。勲二等旭日重光章受章。 台北帝国大学(現・国立台湾大学)の荒勝文策教授の下でアジアで最初の加速器(コッククロフト・ウォルトン型)の建設を行った(1934年完成)。敗戦直後の1945年11月に進駐軍によって廃棄された京都大学サイクロトロンをのちに再建し(1954年)、大阪府立放射線中央研究所(1959年発足)、京都大学原子炉実験所(1963年発足、現・京都大学複合原子力科学研究所)の建設を行うなど、日本の原子核・放射線研究の場を創ることに貢献した。
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佐藤 井岐雄(さとう いきお、1902年〈明治35年〉11月… 佐藤 井岐雄(さとう いきお、1902年〈明治35年〉11月22日 - 1945年〈昭和20年〉8月11日)は日本の生物学者。サンショウウオを中心とする両生類研究の世界的権威であった。 岐阜県郡上郡奥明方村(現・郡上市)に生まれる。命名の由来は、父の出身地・岐阜県の「岐」と母の出身地福井県の「井」にちなむ。 奈良県の中学を卒業したのち広島高師に入学し長野県の自然誌を研究[要出典]、高師卒業後は長野県で中学校教諭として勤務した。その後旧制広島文理科大学(現在の広島大学)に入学、阿部余四男教授に師事した(のち佐藤は自分が確認した新種のサンショウウオに命名する際、恩師の名にちなみ「アベサンショウウオ」とした)。
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北川 桃雄(きたがわ ももお、1899年3月3日-1969年… 北川 桃雄(きたがわ ももお、1899年3月3日-1969年5月19日)は、日本の美術史家。 1899年、東京都港区で生まれた。旧制芝中学を経て、旧制第二高等学校で学んだ。1921年に卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。1924年に卒業。 卒業後は、奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)の英語科教諭として勤務。同年8月に笠井ふぢと結婚。その後京都市立第一工業学校教師に転じた。同校での同僚には下村寅太郎、田中忠雄らがいた。 1937年8月13日、北川の参加する文芸雑誌『リアル』がコミンテルンと通じているとの嫌疑で、工業学校の同僚・田中忠雄らとともに治安維持法違反で検挙された。 翌1938年東京に転居し、志賀直哉の勧めで東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。
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橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - … 橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - 1978年3月25日)は、法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺元管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。 奈良県生駒郡平群村(現在の平群町)に生まれる。本名は東丈太郎。法隆寺の佐伯定胤に唯識を学び、その意向で後継者のいなかった薬師寺に入る。生涯肉食妻帯せず、厳格な仏教僧として活躍する。有名な尼僧が訪ねてきても絶対に寺に入れさせず、その手土産にも口をつけなかった。 あるとき弟子の高田好胤がよその家に呼ばれて、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
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由良 哲次(ゆら てつじ、1897年2月7日 - 1979年… 由良 哲次(ゆら てつじ、1897年2月7日 - 1979年3月28日)は、日本の歴史哲学者、日本史家、美術史家、浮世絵蒐集家。横光利一の『旅愁』のモデル。 1897年、奈良県添上郡柳生村(現・奈良市)にて、丹生神社の神官の家系に生まれた。旧制の三重県立第三中学校(現在の三重県立上野高等学校)に在学中、1級下の横光利一と親交を結ぶ。父の事業の失敗により経済的に困窮し、滋賀県立師範学校に進学。教員となり、大津市南尋常小学校で2年間の教員生活を送った後、1918年に上京し、東京高等師範学校に入学した。 東京高等師範学校では、三宅米吉と峰岸米造のもとで古代史と考古学を修めた。1924年、京都帝国大学哲学科に入学。
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中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - … 中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - 1968年8月1日)は、日本の経済学者、元京都帝国大学教授。文学博士。ナチス研究により戦後公職追放された。川田順の「老いらくの恋」騒動の当事者の一人。 富山県上新川郡熊野村江本(現:富山市江本)の農家、中川滋次郎・チイ夫妻の次男に生まれる。苦学して特待生で東京高等師範学校に入学、卒業後、奈良県郡山中学校(現・奈良県立郡山高等学校)で教師をしたあと、1924年に京都帝国大学経済学部卒業、大学院に進み、30歳の時に下宿先の娘鈴鹿俊子(17歳)と結婚、一男二女を儲ける。 1928年に大学院を中退して京大講師となり、1930年助教授、1931年から1933年まで文部省の辞令によりドイツ留学、1943年教授。
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今村 荒男(いまむら あらお、1887年(明治20年)10月… 今村 荒男(いまむら あらお、1887年(明治20年)10月13日 - 1967年(昭和42年)6月13日)は、日本の内科医学者。学位は、医学博士。大阪大学名誉教授。大阪大学総長。日本学士院会員。文化功労者。 奈良県生駒郡安堵町出身。衆議院議員今村勤三の四男。今村幸男、今村奇男の弟。1912年、東京帝国大学医科大学卒業。東京帝国大学伝染病研究所に入る。1922年、医学博士の学位を取得。1925年、大阪府立医科大学教授に就任。1931年、大阪帝大教授。微生物病研究所長、奈良県立医学専門学校(奈良県立医科大学の前身)初代校長、大阪大学学長を歴任する。1951年、日本学士院会員。1960年、文化功労者。
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東 季彦(あずま すえひこ、1886年(明治19年)1月17… 東 季彦(あずま すえひこ、1886年(明治19年)1月17日 - 1979年(昭和54年)7月18日)は、日本の法学者。旧姓乾(いぬい)。商法の権威として知られた。佐佐木信綱門下の歌人でもある。 奈良県十津川村出身。親類東武(衆議院議員、出版事業家)の養子となり、東姓を名乗る。1889年(明治22年)8月、故郷が大水害に遭ったため、同年11月、一家で北海道新十津川村に移住。村の小学校を卒業した後、上京して旧制開成中学に入学。同校を卒業後、旧制第一高等学校から東京帝国大学法学部を卒業し、陸軍経理学校の教授に就任。 1922年(大正11年)、文部省留学生として渡欧し、英・独・仏で民法を研究。1924年(大正13年)に帰国し、九州帝国大学法文学部教授に就任。
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喜多 源逸(きた げんいつ、1883年(明治16年)4月8日… 喜多 源逸(きた げんいつ、1883年(明治16年)4月8日 - 1952年(昭和27年)5月21日)は、日本の工業化学者である。京都帝国大学名誉教授。 奈良県生まれ。郡山中学を経て、京都市の第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)卒業後、上京し東京帝国大学工科大学(現在の東京大学大学院工学系研究科・工学部)応用化学科に入学する。1906年(明治39年)に同大学を卒業後は、翌1907年(明治40年)に同大学の講師を経て1908年(明治41年)には同大学の助教授に昇格した。1916年(大正5年)に京都帝国大学(現在の京都大学)に転勤し、同大学の工科大学(現在の京都大学大学院工学研究科・工学部)の助教授として活動し後に研究のため欧米に留学する。
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乾 政彦(いぬい まさひこ、1876年(明治9年)11月27… 乾 政彦(いぬい まさひこ、1876年(明治9年)11月27日 - 1951年(昭和26年)4月29日)は、奈良県出身の法学者、弁護士、貴族院議員。弟の東季彦と共に佐佐木信綱門下の歌人としても知られた。 十津川村出身。旧姓中垣。1889年、養子として乾家に入る。郷校文武館(現在の奈良県立十津川高等学校)を経て、1888年に上京。旧制日本中学校から第一高等学校を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学を卒業後、同年、東京高等商業学校(現一橋大学)の講師に着任した。 1901年、文部省留学生としてドイツに渡り、ボン大学で民法を研究。1904年に帰国後、1905年から東京高商教授を務め、1914年に法学博士号を受けたが、1915年に弁護士へ転じ、1920年に東京高商が大学に昇格するまで非常勤講師として教鞭を執った。
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米田 庄太郎(よねだ しょうたろう、1873年〈明治6年〉2… 米田 庄太郎(よねだ しょうたろう、1873年〈明治6年〉2月1日 - 1945年〈昭和20年〉12月18日)は、日本の社会学者。京都帝国大学教授。文学博士。日本聖公会の信徒。 奈良県添上郡杏村(のち添上郡辰市村、現・奈良市杏町)で農業を営む八十平の長男として生まれた。生地は被差別部落であった。1878年、村立辰市小学校に入学。 1886年、大阪府立郡山中学校(現・奈良県立郡山高等学校)に入学。1887年、奈良英和学校(立教大学の姉妹校)に転校。キリスト教聖公会に属する宣教師アイザック・ドーマンのもとで洗礼を受けた。1891年に同校を卒業。 1891年、恩師アイザック・ドーマンが東京の聖三一神学校(現・聖公会神学院の前身の一つ)の比較宗教学講師を嘱託されるにあたり、助手として上京。
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小笹隆司(こざさ たかし )は、日本の天体物理学者。学位は理… 小笹隆司(こざさ たかし )は、日本の天体物理学者。学位は理学博士(京都大学)。研究分野は自然科学一般・天文学。北海道大学大学院理学研究院(名誉教授)。 専門は天体物理学、AGB星星風中、超新星爆発時に放出されたガス中でのダスト形成。超新星残骸および星間空間での衝撃波によるダストの破壊。銀河ダストの起源と進化、ダストが関与する天体現象の解明。
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戸田 英作(とだ えいさく)は、日本の国際公務員、環境学者、… 戸田 英作(とだ えいさく)は、日本の国際公務員、環境学者、国家公務員。 国際連合環境計画(UNEP)水銀に関する水俣条約事務局(於スイス・ジュネーブ)のシニア・プログラム・マネジメント・オフィサー(SPMO:上席計画管理統括官、副事務局長相当)を務める。 UNEP勤務以前、環境省、地球環境戦略研究機関(IGES)に在職した。 1983年私立東大寺学園高等学校を卒業。1987年に東京大学教養学部基礎科学科第二を卒業し、同年環境庁に技官として入庁。環境基本法の立案、環境マネジメントシステム、越境大気汚染対策等に従事。英国サセックス大学、新潟県庁などを経て、2001年から2004年まで、経済協力開発機構(OECD:パリ)環境保健安全課にて化学物質の環境リスク対策を担当した。
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髙折 晃史 (たかおり あきふみ)は、日本の医学者。京都大学… 髙折 晃史 (たかおり あきふみ)は、日本の医学者。京都大学医学研究科教授(血液内科学)。 2023年より京都大学医学部附属病院 病院長を務める。 2024年、日本血液学会理事長に就任した。他に、日本内科学会(評議員)、日本エイズ学会(評議員)、日本ウイルス学会(理事・評議員)、日本HTLV-1学会(理事・評議員)、日本癌学会(評議員)などを務める。 開業医の家に生まれ、医学生時代は循環器内科医になることを希望していた。しかし、静岡の病院での初期研修中に血液疾患の患者と向き合ったことで、血液内科医を志すようになった。京大病院での研修医時代に担当した慢性骨髄性白血病の患者の1人が後に骨髄バンクの創始者となる大谷貴子であった。
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田中 文啓(たなか ふみひろ)は、産業医科大学教授。2020… 田中 文啓(たなか ふみひろ)は、産業医科大学教授。2020年4月から産業医科大学病院院長 医学博士。 専門分野は、呼吸器外科 (肺がんや胸膜中皮腫を含む胸部腫瘍、その他)、手術を含む肺がん及び胸膜中皮腫の集学的治療、肺がんや胸膜中皮腫の生物学的特性と個別化治療である。 早川電機工業(後のシャープ)の工学系技術者の父の勤務の関係で、大阪に生まれる。1960年代、父がベル研究所に社外留学のため単身赴任で渡米するも、赴任先で病気になり急遽帰国、田中の誕生間もなく再生不良性貧血で亡くなる。2歳の頃、母方の実家である奈良に移り住み、名柄小学校、中高一貫の東大寺学園中学校・高等学校に進学した。 京都大学医学部進学後は、「大学6年間サッカー浸り」で、1986年に卒業して進んだ医局はサッカー部の先輩が多かった京都大学胸部疾患研究所。
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谷口 規矩雄(たにぐち きくお)は、日本の東洋史学者(中国史… 谷口 規矩雄(たにぐち きくお)は、日本の東洋史学者(中国史)。大阪大学名誉教授。中国明清史専攻。 以下、「CiNii 谷口, 規矩雄」による。
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