板木 利隆(いたぎ としたか、1929年11月22日-201… 板木 利隆(いたぎ としたか、1929年11月22日-2019年10月2日 )は、日本の農学者。 島根県出雲市生まれ。1950年千葉農業専門学校(現・千葉大学園芸学部)卒業。千葉大学園芸学部助手、1954年神奈川県農業試験場技師、1965年同園芸試験場場蔬菜課長、1979年同技術研究部長、1983年園芸試験場長、1985年神奈川県農業総合研究所所長、全農営農・技術センター技術主管を経て、板木技術士事務所所長、園芸植物育種研究所理事、農林水産省高度環境制御技術研修検討専門委員、茨城県立農業大学校非常勤講師、NPO植物工場研究会諮問委員、日本野菜育苗協会技術顧問を務める。1976年「施設栽培における暖房方式ならびにキュウリ・トマトの気・地温制御に関する研究」で東京農業大学農学博士。
坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - … 坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - 2024年3月20日)は、日本の俳優。島根県出雲市出身。身長163cm、体重54kg。かつてはオフィスPSCに所属していた。 1967年、新宿の幕間狂言として当時38歳にて初演。以後55年に渡り演じ続け、ライフワークと言える坂本の代表作となった。1985年、紀伊国屋演劇賞特別賞、2000年、旅の文化賞を受賞。1996年1月、広島・因島公演で1000回を突破し、2012年3月の福島県昭和村公演で1150回となり、最終的には令和5年7月2日、栃木県佐野市での公演にて1223回を数えている。
若林 慎一郎(若林愼一郎、わかばやし しんいちろう、1929… 若林 慎一郎(若林愼一郎、わかばやし しんいちろう、1929年8月22日 - )は、日本の精神医学者。 島根県浜田市出身。1958年名古屋大学医学部卒、1963年同大学院精神医学博士課程修了、1964年「児童神経症についての一考察」で医学博士。1967年日本福祉大学助教授、1969年名古屋大学医学部付属病院講師、1974年愛知県立心身障害者コロニー・発達障害研究所治療部長、1978年名古屋大学医学部助教授、教授、1993年定年退官、金城学院大学教授、岐阜大学医学部教授。1991-1994年日本児童青年精神医学会理事長。
河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、1929年〈昭和4年〉8月14… 河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、1929年〈昭和4年〉8月14日 - 2010年〈平成22年〉10月25日)は、島根県平田市(現:出雲市)出身の日本の書家。本名は、河瀬喜重(かわせきじゅう)で、雅号を断魚としていた。昭和の三筆の一人と称されている手島右卿に師事。実弟には、考古学者で広島大学名誉教授の河瀬正利が存在したが2008年6月に病気の為兄より先に他界している。日本の漢字書家一覧 島根県平田市(現:出雲市)に河瀬家の三男として生まれる。長男は生後間も無く亡くなり、次男寿三郎も戦時中に戦死している。三男である喜重も通信兵として戦争に出兵したが幸いにして無事生還し次男寿三郎に代わり河瀬家の跡取となる。
七田 眞(しちだ まこと、1929年7月28日 - 2009… 七田 眞(しちだ まこと、1929年7月28日 - 2009年4月22日)は、日本の教育研究家。右脳を重視する幼児教育を提唱した。 中国東北部生まれ、島根県出身。ニューポート大学の日本校で教育学部教授。 1958年、島根県江津市に「児童教育研究所」という塾を開いた。高校生クラスからAFS日本協会試験の合格者を出すなど、次第に評判を呼び、その後、「右脳」の力を引き出すことを目的とした幼児教育(七田式教育)を提唱した。 『0歳教育』を提唱して反響を呼び、1976年に江津市に本部教室を開設。 1978年には「有限会社七田児童教育研究所」(現「株式会社しちだ・教育研究所」)を創立するとともに、七田式教室の日本国内での展開を開始。
田村 のり子(たむら のりこ、1929年5月27日 -202… 田村 のり子(たむら のりこ、1929年5月27日 -2023年9月12日)は、日本の詩人。島根県松江市生まれ。本名・田村徳子。松江高等女学校(現島根県立松江北高等学校)卒。1967年より季刊詩誌『山陰詩人』編集発行人。日本現代詩人会会員(平成28年度先達詩人顕彰)・中四国詩人会会員・島根県詩人連合所属。1972年、評論『出雲・石見地方詩史五十年』で第6回日本詩人クラブ賞を受賞。
石田 種生(いしだ たねお、1929年4月11日 - 201… 石田 種生(いしだ たねお、1929年4月11日 - 2012年4月30日)は、昭和後期から平成にかけての舞踊家、振付師。島根県大田市出身。
河添邦俊(かわぞえ くにとし、1929年1月27日 - 19… 河添邦俊(かわぞえ くにとし、1929年1月27日 - 1995年)は、日本の障害児教育学者・教育者。 島根県浜田市生まれ。島根大学卒業。島根県柿木村柿木中学校教諭、島根県立浜田ろう学校教諭、東北福祉大学助教授、教授、高知大学教育学部教授、河添育児学研究所長。妻は河添幸江。
西倉 実(にしくら みのる、1929年1月20日 - 195… 西倉 実(にしくら みのる、1929年1月20日 - 1955年12月19日)は、島根県簸川郡大社町出身のプロ野球選手。
梅津 和郎(うめづ かずろう、1929年1月1日 - )は、… 梅津 和郎(うめづ かずろう、1929年1月1日 - )は、日本の政治・経済学者、大阪外国語大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。 島根県松江市出身。別名・田中一狼。1959年京都大学大学院経済学研究科国際経済論博士課程満期退学、1964年「日本の貿易思想 日本貿易政策思想史研究」で経済学博士。大阪外国語大学講師、助教授、教授を経て、名古屋市立大学教授。1994年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授を務めた。1964年日本商業学会賞受賞。国際政治、大学経営などに健筆をふるった。2011年瑞宝中綬章受章。
ダーク大和(ダークやまと、1928年11月1日 - 1991… ダーク大和(ダークやまと、1928年11月1日 - 1991年8月10日、本名:長谷川 卓三)は日本の奇術師、司会者、役者。「奇術界の玉三郎」のニックネームで知られる。日本奇術協会副会長。 島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)生まれ。その後広島に移住し、父の仕事(鍛冶屋)を手伝う最中、原爆投下により被爆者となる。芸能好きの一家に育った大和は父の勧めで芸人となり、戦後は大衆演劇の大部屋俳優として辛酸を舐める。 1949年、師と慕う漫才師大和家八千代、酒井儀二郎を追って上京。この時「長谷川とんぷく」という芸名を名乗っていたが、師匠のアドバイスにより「ダーク大和」と改名。「ダーク」は暗い世相を反映して、大和は師匠に当たる大和家の屋号の一部を取って付けられたものであった。
砂川 繁視(すながわ しげみ、1928年〈昭和3年〉4月29… 砂川 繁視(すながわ しげみ、1928年〈昭和3年〉4月29日 - )は、日本の元俳優である。島根県那賀郡出身。 中学校卒業後、1950年(昭和25年)4月に演技協社に入り、後に東宝へ入社する。以後、東宝特撮を中心に多くの作品に出演したが、あまり目立たない役が多く、クレジットされることも少なかった。彫りの深い顔立ちが特徴。 1971年以降、映画出演の記録がない。
吉原米治 (よしはら よねじ、1928年2月8日 ‐) は、… 吉原米治 (よしはら よねじ、1928年2月8日 ‐) は、日本の元政治家。元日本社会党衆議院議員(通算5期)。国会議員白書には「よねはる」とある。
山根 卓二(やまね たくじ、1928年(昭和3年)1月5日 … 山根 卓二(やまね たくじ、1928年(昭和3年)1月5日 - 2008年(平成20年)9月5日)は、日本の新聞記者、実業家。産経新聞常務取締役編集局長、テレビ埼玉社長などを務めた。 陸軍獣医中将、戦後は日本動物薬事協会理事長を務めた山根定吉の二男として生まれる。東京出身。 旧制松江中学校から東京陸軍幼年学校を卒業。終戦時は陸軍士官学校の2年生であった。 第一高等学校を経て、東京大学文学部を卒業後、1953年に産経新聞社に入社(同期に俵孝太郎)。政治部長、取締役を経て、1982年には常務取締役東京本社編集局長に就任した。しかし、レフチェンコ証言で、「協力者」として名指しされ、社に迷惑をかけたことなどを理由に、1983年4月22日付けで辞任。
瀧見山 延雄(たきみやま のぶお、1927年9月29日 - … 瀧見山 延雄(たきみやま のぶお、1927年9月29日 - 2001年3月1日)は、現在の島根県出雲市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。元世話人。本名は藤江 延雄(ふじえ のぶお)。173cm、90kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、寄り。 1949年5月場所に初土俵。1956年1月場所に十両昇進。何度も十両上位に顔を出し、時には勝ち越したこともあるので入幕を期待されたが、負傷などで実現しなかった。大鵬のコーチ役を務め、現役晩年は幕下で相撲を取り、1962年1月場所限りで力士を廃業し、世話人に転じた。1992年9月で定年退職。
梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、… 梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、日本の精神病理学者。 島根県出雲市出身。本名・敬二。1950年徳島医科大学卒。57年「ヘモグロビン及びその誘導体の抗原性」で鳥取大学医学博士。鳥取大学医学部講師、1958年中央鉄道病院勤務、精神神経科医長、1981年晴和病院医長、1983年東京新生病院副院長。パトグラフィーで知られた。
筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 201… 筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 2013年5月15日)は、日本の弁護士(登録番号:22838)。検事総長。位階は正三位。 島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)出身。1940年 東京府立第一中学校入学。同期に山口光秀(大蔵事務次官)、杉山和男(通産事務次官)、手島冷志(外務審議官)、柳健一(駐韓大使)ら官界を中心に活躍した者のほかに出光昭介(出光興産会長)などがいる。その後一高を経て、1951年に東京大学法学部政治学科卒業。1953年に検察官となる。 1975年に法務省人事課長となり、以後、1978年に佐賀地方検察庁検事正、1979年に法務省大臣官房長、1982年、最高検検事、1983年、法務省刑事局長、1985年に法務事務次官に。
二所錦 照生(にしょにしき てるお、1927年5月21日 -… 二所錦 照生(にしょにしき てるお、1927年5月21日 - 没年不明 )は、現在の島根県出雲市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は大野 輝雄(おおの てるお)。176cm、83kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、下手投げ、掬い投げ。 1947年11月場所に初土俵。1951年1月場所に大見山 輝雄の四股名で十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越すが、その後3場所連続で負け越し、1952年5月場所で幕下に陥落。幕下に陥落してからしばらくの間は低迷していたが、1954年9月場所に十両に復帰した。1955年5月場所に28歳で廃業した。
安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 20… 安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日)は、日本の画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。東京都小金井市在住。文化功労者。 40年以上にわたって描かれた代表作の1つ『旅の絵本』シリーズ全10冊のうち9冊までの累計発行部数は、152万部を記録している(2022年1月末時点)。 子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く[要出典]。
森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1… 森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1月8日 - 2022年〈令和4年〉8月11日)は、日本のファッションデザイナーであり、日本人で唯一のパリのオートクチュールデザイナー。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。位階は従三位。1996年、文化勲章、2002年、レジオンドヌール勲章オフィシエ章を受章。旧姓「藤井」。 1965年にニューヨーク・コレクションで成功をおさめ、日本人デザイナーの海外進出の先駆けとなった。1977年には東洋人として初めてパリ・オートクチュール協会(サンディカ)のメンバーとなる。バルセロナおよびリレハンメルオリンピックの日本選手団の公式ユニフォームのデザインや、歌舞伎、海外のオペラやバレエの舞台衣裳を担当するなど、ファッション界の第一人者として活躍した。
大沢 貞義(おおさわ さだよし、1926年 - )は、島根県… 大沢 貞義(おおさわ さだよし、1926年 - )は、島根県出身の元アマチュア野球選手(投手、内野手、外野手)。 松江商業学校から1948年に立教大学に進学。投手、主力打者として活躍する。東京六大学野球リーグでは優勝には届かなかったが、1950年秋季リーグでは早大に次ぐ2位。1951年春季リーグでは13試合に登板し早慶両校との3者プレーオフに持ち込むが、敗退し3位に終わった。同季は42打数17安打、打率.405で首位打者となる。リーグ通算57試合登板、24勝19敗、156奪三振、防御率2.75。 卒業後は熊谷組に入社、エース兼右翼手として起用される。1952年の都市対抗で準決勝に進むが全鐘紡に敗退。
石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月… 石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月23日 - 2019年(令和元年)11月19日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。松江市長。 島根県松江市出身。中央大学法学部卒。1945年、松江市役所に入る。総務部長を経て、助役に就任する。1986年松江市総合文化センター館長になる。1989年の松江市長選挙に立候補して当選する。1993年の市長選挙で再選を目指したが、宮岡寿雄に敗れた。2011年、旭日双光章受章。 2019年11月19日、内臓疾患のため自宅で死去。94歳没。死没日をもって正六位に叙される。
岡崎 晋(おかざき すすむ、1925年3月8日 - )は、日… 岡崎 晋(おかざき すすむ、1925年3月8日 - )は、日本の北欧文学者、東海大学名誉教授。 島根県益田市出身。1945年陸軍特別幹部候補生水上特攻隊除隊、1949年京都府農林専門学校農学科卒業、1951年早稲田大学文学部卒業、54年同大学院修士課程修了。55-59年デンマークのコペンハーゲン大学およびアイスランド大学で一般言語学、デンマーク語、アイスランド語を学ぶ。1967年東海大学文学部北欧文学科専任講師となり、助教授、教授。95年定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大野篤美(おおの あつみ、1925年 - 2017年)は、日… 大野篤美(おおの あつみ、1925年 - 2017年)は、日本の金属工学者。千葉工業大学名誉教授、トロント大学客員教授。「OCCプロセス」の発明で知られる。その技術はまたたくまに世界中で応用され、ノイズのほとんどない音を出すオーディオ機器などを可能にした。 大野が発明した、加熱鋳型式連続鋳造法「OCCプロセス」は、高品質な金属材料を生み出すと共にNear Net Shape Castingとして画期的な製造法である。従来の金属は、冷却鋳型の中で外側から固める方法で製造されていたが、OCCプロセスは、この方法とは全く逆に、鋳型を加熱し金属を内部から固めるという画期的な鋳造法をとる。OCCプロセスによって得られる金属は、中心に巣や不純物等の偏析がなく、しかも表面が平滑な一方向凝固鋳塊であり、その優れた特性によって、材料の耐久性・耐食性・耐疲労性及び加工性を飛躍的に向上させる。
朱里 みさを(しゅり みさお、1924年12月15日 - 1… 朱里 みさを(しゅり みさお、1924年12月15日 - 1999年3月9日)は、日本の舞踊家、振付家。専門ジャンルはジャズダンス。宝塚歌劇団で振付を担当した。本名:田辺藤枝。朱里エイコの母。 島根県簸川郡乙立村大字東村(現・出雲市佐田町東村)生まれ。代々神官の家で、幼い頃から巫女舞いを習っていたが、7歳のとき、父が大きな借金を残して急死し、人生が暗転。人質として債権者の家に預けられ、一日中、牛の世話や草履作りなどをする。その後今市町の叔母宅で子守奉公。女学校の夜学に通いながら東洋レーヨンの今市工場で女工などをし、16歳のとき上京。転がり込んだ叔父宅の前の家がたまたま橘秋子のバレエのレッスン場で、女中として住み込みバレエを習う。
竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - … 竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - 2008年12月16日)は、日本の官僚・政治家。元広島県知事。島根県大田市出身。
竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26… 竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26日 - 2000年〈平成12年〉6月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 内閣総理大臣(第74代)、大蔵大臣(第84・86・87・90代)、建設大臣(第38代)、内閣官房長官(第35・38代)、内閣官房副長官(第1次佐藤内閣・第1次佐藤第1次改造内閣)、通商産業政務次官(第3次池田内閣)、衆議院予算委員長、衆議院議員(14期)、島根県議会議員(2期)、自由民主党総裁(第12代)、同幹事長、同幹事長代理、同青年局長を歴任した。異母弟は、自身の秘書を経て復興大臣、自由民主党総務会長、平成研究会会長、衆議院議員などを務めた竹下亘。
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12… 村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
金津 滋(かなつ しげる、1923年(大正12年)4月1日 … 金津 滋(かなつ しげる、1923年(大正12年)4月1日 - 1996年(平成8年)7月25日)は、日本の染色工芸家。島根県松江市出身。 出西窯が創業まもなく方向性も定まっていなかった昭和24年晩春、金津は松江美術工芸研究所の同窓であった石村英一、多々納利雄とともに出西窯を訪れた。窯の様子をみた金津は、「美しさも志も感じられん」と言葉を残して帰っていった。数日後、出西窯を再訪した金津は、柳宗悦著『私の念願』と浜田庄司作の急須等を置いていった。その本を読んだ出西窯の多々納弘光は、柳の工芸論に感銘を受け、民藝の考え方による実用の陶器をつくろうと決心する。その後、多々納をはじめとする出西窯のメンバーたちは、金津が仲介となり河井寛次郎と会い、民藝運動の指導者たちに指導を受けたことで、民藝運動に本格的に参加することとなった。
平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24… 平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24日 - 2014年〈平成26年〉9月20日)は、日本の歴史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1971年)。東京女子大学名誉教授。専攻は日本古代史。
石原 豪人(いしはら ごうじん、1923年3月15日 - 1… 石原 豪人(いしはら ごうじん、1923年3月15日 - 1998年6月19日)は、日本のイラストレーター。別ペンネームに林月光(はやし げっこう)。本名:石原徹。島根県簸川郡大社町出身。日本大学芸術学部中退。 18歳で満州に渡り、映画看板などを描く。体調を崩したため、1955年頃(昭和30年)から挿絵画家としての仕事を始める。以後40年間にわたって精力的に描き続けた。 テレビがなかった時代の映画の看板から始まり、光文社の江戸川乱歩シリーズの挿絵(『魔法人形』ほか数巻のみ)、立風書房のジャガーバックスシリーズを始めとする怪奇系児童書、小学館の「なぜなに学習百科」シリーズ、各社の学年誌・少年雑誌・少女雑誌の怪獣・怪人・幽霊・妖怪・怪奇現象などのイラストを手がけた。
恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月2… 恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月21日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、日本の経済学者、政治家。島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制・道州制を提唱。戦国武将で尼子氏の家臣・立原久綱の後裔にあたる。 島根県大田市生まれ。武蔵高等学校、京都帝国大学経済学部卒業後、農林省(現・農林水産省)入省。 1958年(昭和33年)学習院大学経済学部教授に転じ、1975年郷里の知事に担ぎ出され、日本社会党の推薦で初当選。県議の8割を占める保守系県議の支援も得て、3期務めた。任期中は、賛否が割れていた宍道湖・中海淡水化事業を巡って苦心したほか、1981年(昭和56年)には韓国・慶尚北道を訪れ、姉妹提携の筋道をつけた。
神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1… 神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1日 - 1974年(昭和49年)12月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 島根県邑智郡川戸村(桜江村、桜江町を経て現江津市)で生まれる。江津町小学校高等科を卒業し、1937年(昭和12年)鉄道省に入省。1941年(昭和16年)広島鉄道教習所機関士科を卒業し機関士として乗務。 戦後、日本国有鉄道浜田機関区で勤務。1950年(昭和25年)国鉄労働組合の専従となり、国労米子地方本部書記長、同委員長、島根県労働組合協議会議長、同事務局長、島根県農民協議会副会長、島根県労働委員、島根県労働基準審議会委員などを務めた。 小瀧彬の死去に伴い1958年(昭和33年)7月に実施された第4回参議院議員通常選挙・島根県地方区補欠選挙に出馬して落選。
上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年(大正10年)10月… 上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年(大正10年)10月14日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の体操競技選手・指導者。 島根県浜田市浅井町出身。1935年、旧制浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)に入学し、体操競技と出会う。昼休みに上級生(体操部の上級生には竹本正男もいた)が鉄棒で行っていた大車輪や宙返りに度肝を抜かされ、自分が進むべきスポーツだと直感して体操部に入部したという。体操に打ち込んだ上迫は、中学生の全国大会で優勝する戦績を残している。 1940年に中学を卒業し、日本体育専門学校(現・日本体育大学)に進学。1942年には東亜競技大会で個人2位の成績を残した。1942年7月、日本体育専門学校を繰り上げ卒業。
三ヶ月 章(みかづき あきら、1921年〈大正10年〉6月2… 三ヶ月 章(みかづき あきら、1921年〈大正10年〉6月20日 - 2010年〈平成22年〉11月14日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「強制執行と滞納処分の統一的理解」)。法務大臣(第56代)。東京大学名誉教授。1991年日本学士院会員、2005年文化功労者、2007年文化勲章受章。弁護士(大江忠・田中豊法律事務所)。菊井維大門下。弟子に青山善充、伊藤眞、上原敏夫など。 島根県浜田市出身。家計が貧しかったため中学進学は諦め洋服屋の小僧になるつもりでいたが、東京府立第五中学校(現東京都立小石川中等教育学校)に進み、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学入学。
牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1… 牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1日 - 2004年(平成16年)9月25日)は、日本の政治家。島根県江津市長(2期)。位階は正五位。 島根県那賀郡江津町(現・江津市)出身。1937年、島根県立江津工業学校(現・島根県立江津工業高等学校)卒。1966年、江津市議会議員に当選し、文教厚生、建設の各委員長、副議長を務める。1990年、江津市長に当選し、市長を2期務める。1998年、市長を退任する。1999年、勲四等旭日小綬章を受章する。2004年に死去。死没日付をもって正五位に叙された。
内田 朝雄(うちだ あさお、1920年〈大正9年〉8月1日 … 内田 朝雄(うちだ あさお、1920年〈大正9年〉8月1日 - 1996年〈平成8年〉9月30日)は、日本の俳優。本名:内田 朝雄(うちだ ともお)。 日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)平壌出生、島根県出身。平壌府第一中学卒業。円型劇場、劇団月光会を経て、コヒナタ企画に所属していた。 息子は俳優の内田岳志。 日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)平壌に役人の子として生れる。中学校卒業後、満州炭鉱傘下の東満和竜炭鉱に入社。1941年(昭和16年)に応召し、終戦を仁川で迎え、1945年(昭和20年)に復員。翌1946年北海道開拓公社に入社し、江別市で開墾事業に従事した後、長野県上水内郡の飯綱高原に入植するが、1950年(昭和25年)、地元の人間との意見対立から同地を引き払う。
岡崎 功(おかざき いさお、1920年7月17日 - 200… 岡崎 功(おかざき いさお、1920年7月17日 - 2006年)は、日本の右翼活動家・教育者。島根県出身。昭和戦前期から占領期にかけて活動し、1945年に松江騒擾事件を起こした。別名岡崎允佐夫(おかざき いさお)。 松江騒擾事件とは島根県庁の焼き討ち事件で、1945年8月24日、終戦に不満をもった岡崎らが「聖戦続行、昭和維新政府樹立」を要求して皇国義勇軍と名乗り、島根県知事公舎、発電所、新聞社等を襲撃した。襲撃後、皇国義勇軍は罪を不問とする条件で投降したが、岡崎は戦時騒擾罪等で無期懲役となって服役した。1952年、サンフランシスコ平和条約発効等による恩赦で出所。その後、1961年に学校法人淞南学園、現立正大学淞南高等学校を創立して理事長となり、長く学校の経営にあたった。
石本 正(いしもと しょう(本名読み:ただし)、1920年7… 石本 正(いしもと しょう(本名読み:ただし)、1920年7月3日 - 2015年9月26日)は、日本画家。創画会会員、京都市立芸術大学名誉教授、京都造形芸術大学教授。 島根県那賀郡岡見村(現浜田市三隅町)出身。島根県立浜田中学(現:島根県立浜田高等学校)卒業。京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学したが在学中に徴兵され中国に渡る。復員後、人物や風景を描く。1944年(昭和19年)9月、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)日本画科卒業。1947年(昭和22年)第3回日展で「三人の少女」が初入選。1950年(昭和25年)より創造美術、新制作展に出品し、1951年(昭和26年)「旅へのいざない」など四度新作家賞を受賞。
松田 岩男(まつだ いわお、1920年1月22日 - 199… 松田 岩男(まつだ いわお、1920年1月22日 - 1992年2月18日)は、日本の体育心理学者。 島根県浜田市生まれ。1945年東京文理科大学心理学科卒。1947年東京高等師範学校助教授、50年教授、1951年東京教育大学助教授、70年教授、1973年筑波大学教授、1981年上越教育大学副学長。85年退官、名誉教授。中京大学教授となり、1988年4月学長に就任。第14ー15期日本学術会議会員。1985年国際スポーツ心理学会功労賞。1992年2月18日、後述の事件にて客死する。享年72。 1992年2月18日、中京大学とマサチューセッツ大学ボストン校との交流協定締結のため、中垣昇経済学部教授らと共にボストン市内ウエスティンホテルに宿泊し、同日午後夕方より打ち合わせの予定があったところ襲撃される。
片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997… 片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997年3月18日)は、日本の実業家、起業家。マルマングループ創業者。 岡山県出身。島根県立隠岐水産高等学校卒業。明治大学商学部卒業。 大学卒業後、日本水産入社。気性が強く、入社半年後に、経営方針を重役に手紙で送りつけたエピソードなどがある。工場長などを務めたのち、1950年に独立し、日本ゴールドメタル工業株式会社を設立(1962年に株式会社マルマンに商号変更)。1959年に国産第一号のガスライターを販売開始し、後にゴルフ用品の製造販売も始め、1971年にはゴルフ用品部門を独立させてマルマンゴルフ株式会社を設立。1977年からはゴルフトーナメントの開催を開始。
斎藤吉史(さいとう よしふみ、1919年12月1日 - 19… 斎藤吉史(さいとう よしふみ、1919年12月1日 - 1991年1月12日)は、日本のジャーナリスト、アジア学者。 島根県益田市出身。東京文理科大学卒。1946年朝日新聞社に入り、アジア総局長、外報部長、論説委員をへて、1980年文教大学教授。「朝日新聞」書評委員を務めた。 1991年1月12日、膵臓癌のため死去。
竹本 正男(たけもと まさお、1919年〈大正8年〉9月29… 竹本 正男(たけもと まさお、1919年〈大正8年〉9月29日 - 2007年〈平成19年〉2月2日)は、日本の体操選手。日本体育大学副学長、日本体育大学名誉教授。1952年ヘルシンキオリンピック・1956年メルボルンオリンピック銀メダリスト、1960年ローマオリンピック金メダリスト。島根県浜田市出身。旧制浜田中(島根県立浜田高等学校)、日本体育会体操学校高等師範科(現・日本体育大学)卒業。「体操の神様」とも言われていた。浜田市名誉市民でもあった。 ローマ五輪を最後に引退。日本体育大学教授として後進の指導、研究に従事した。 ほかに、日本体操協会副会長、日本体操協会顧問、日本体育大学理事、日本体育大学女子短期大学副学長などの要職を歴任した。
石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2… 石塚 尊俊(いしづか たかとし、1918年9月21日 - 2014年4月16日)は、日本の民俗学者、神官。島根県を本拠地に、当地域を中心とした地方の民俗学を牽引した。 1918年(大正7年)、島根県大津村(2006年現在の出雲市大津町石塚村)の社家の長男として生まれる。少年時代は簸川郡大津村小学校(現・出雲市立大津小学校)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)に通った。中学時代は理数科が苦手であった反面、歴史に興味をもち、郷土史の作成、出雲市長廻谷横穴墓群の調査などをおこなった。 1936年(昭和11年)、 國學院大學神道部に進学するにあたって上京する。小学校教員になるために師範学校へ行かせようとする親に上京を反対されたものの、伯母の助言で「伯母の監督つき」の条件のもと許されている。
清水 秀雄(しみず ひでお、1918年7月8日 - 1964… 清水 秀雄(しみず ひでお、1918年7月8日 - 1964年3月23日)は、島根県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、外野手。
芦田 伸介(あしだ しんすけ、1917年〈大正6年〉3月14… 芦田 伸介(あしだ しんすけ、1917年〈大正6年〉3月14日 - 1999年〈平成11年〉1月9日)は、日本の俳優。本名:蘆田 義道(あしだ よしみち)。 満洲で演劇活動に加わり、敗戦の引き揚げ後に劇団民藝に入団。1950年代からは日活のアクション映画に常連出演し、舞台を中心に映画・テレビドラマと幅広く活躍した。渋い演技に定評があり、ドラマ『七人の刑事』『氷点』の演技で人気を得た。著書に自伝『ほろにがき日々』など。妻は元タカラジェンヌの香久美ひかる(本名:石川明子)。娘婿は俳優の松山英太郎、孫は女優の由夏と俳優の芦田昌太郎。 1917年(大正6年)3月14日(水曜日)、島根県松江市に生まれる。
堀川 潭(ほりかわ たん、1917年1月29日 - 1979… 堀川 潭(ほりかわ たん、1917年1月29日 - 1979年2月4日)は、日本の小説家。島根県益田市出身。本名・高橋義樹。 日本大学芸術科卒。1944年海軍報道班員としてサイパン島従軍、グアム島で捕虜となり、ハワイ収容所に送られて1946年帰国。伊藤整の弟子となり、「新文化」「文学生活」などに小説を執筆。短編集「運命の卵」ほか。 「高橋潭」とすることもある。文藝春秋の編集者・高橋一清は甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
深田 金之助(ふかだ きんのすけ、1917年1月19日 - … 深田 金之助(ふかだ きんのすけ、1917年1月19日 - 1986年11月27日)は、日本の映画監督、映画製作者、元撮影技師である。 1917年(大正6年)1月19日、島根県八束郡揖屋村(現在の松江市東出雲町揖屋)に生まれる。松江商工学校(現在の学校法人島根学園)を卒業後、松江高等簿記学校(現在の松江西高等学校)に進学したが、中途退学した。 1935年(昭和10年)、日活に入社し、日活京都撮影所撮影部で撮影助手になる。1941年(昭和16年)、技師に昇進、同年5月11日に公開された『天兵童子 第一話 幼き英雄』(監督組田彰造)で撮影技師としてデビューするとともに、『天兵童子』4部作すべてを手がける。
池田 敏雄(いけだ としお、1916年(大正8年)8月6日 … 池田 敏雄(いけだ としお、1916年(大正8年)8月6日 - 1981年(昭和56年)3月31日)は、島根県生まれの民俗学者。台湾の民俗学研究に携わった。 父は池田朝(旧姓:山崎)で、池田家の養子となった。池田敏雄は1923年に父親の仕事の都合で渡台し、台北市旭小学校に入学した。 1929年、台北第一師範学校に入学。石川啄木に憧れて短歌を創作し、同人誌『原生林』を発行した。 1935年に師範学校を卒業後、龍山公学校(中国語版)の教員となる。 1939年、師範学校時代に短歌を通して西川満を知り、最初の台湾民族に関する文章「台湾挑灯考」を『台湾風土記』に発表。 1940年4月、龍山公学校の任期が切れて総督府情報部嘱託となった。
渡辺 孝友(わたなべ たかとも、1916年5月22日 - 1… 渡辺 孝友(わたなべ たかとも、1916年5月22日 - 1986年12月17日)は、日本の銀行家、経営者。島根県大田市出身。 1939年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に日本銀行に入行。長崎支店長、総務部長を経て、1966年6月に営業局長に就任し、1968年1月から1975年2月までに理事を務めた。1975年4月に日本開発銀行副総裁に就任し、1979年4月には総裁に昇格した。 1986年12月17日脳内出血のために死去。70歳没。