竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - … 竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - 2008年12月16日)は、日本の官僚・政治家。元広島県知事。島根県大田市出身。
島根県:135人
竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - … 竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - 2008年12月16日)は、日本の官僚・政治家。元広島県知事。島根県大田市出身。
竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26… 竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26日 - 2000年〈平成12年〉6月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 内閣総理大臣(第74代)、大蔵大臣(第84・86・87・90代)、建設大臣(第38代)、内閣官房長官(第35・38代)、内閣官房副長官(第1次佐藤内閣・第1次佐藤第1次改造内閣)、通商産業政務次官(第3次池田内閣)、衆議院予算委員長、衆議院議員(14期)、島根県議会議員(2期)、自由民主党総裁(第12代)、同幹事長、同幹事長代理、同青年局長を歴任した。異母弟は、自身の秘書を経て復興大臣、自由民主党総務会長、平成研究会会長、衆議院議員などを務めた竹下亘。
恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月2… 恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月21日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、日本の経済学者、政治家。島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制・道州制を提唱。戦国武将で尼子氏の家臣・立原久綱の後裔にあたる。 島根県大田市生まれ。武蔵高等学校、京都帝国大学経済学部卒業後、農林省(現・農林水産省)入省。 1958年(昭和33年)学習院大学経済学部教授に転じ、1975年郷里の知事に担ぎ出され、日本社会党の推薦で初当選。県議の8割を占める保守系県議の支援も得て、3期務めた。任期中は、賛否が割れていた宍道湖・中海淡水化事業を巡って苦心したほか、1981年(昭和56年)には韓国・慶尚北道を訪れ、姉妹提携の筋道をつけた。
神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1… 神門 至馬夫(ごうど しまお、1922年(大正11年)3月1日 - 1974年(昭和49年)12月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 島根県邑智郡川戸村(桜江村、桜江町を経て現江津市)で生まれる。江津町小学校高等科を卒業し、1937年(昭和12年)鉄道省に入省。1941年(昭和16年)広島鉄道教習所機関士科を卒業し機関士として乗務。 戦後、日本国有鉄道浜田機関区で勤務。1950年(昭和25年)国鉄労働組合の専従となり、国労米子地方本部書記長、同委員長、島根県労働組合協議会議長、同事務局長、島根県農民協議会副会長、島根県労働委員、島根県労働基準審議会委員などを務めた。 小瀧彬の死去に伴い1958年(昭和33年)7月に実施された第4回参議院議員通常選挙・島根県地方区補欠選挙に出馬して落選。
牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1… 牛尾 一弘(うしお かずひろ、1921年(大正10年)1月1日 - 2004年(平成16年)9月25日)は、日本の政治家。島根県江津市長(2期)。位階は正五位。 島根県那賀郡江津町(現・江津市)出身。1937年、島根県立江津工業学校(現・島根県立江津工業高等学校)卒。1966年、江津市議会議員に当選し、文教厚生、建設の各委員長、副議長を務める。1990年、江津市長に当選し、市長を2期務める。1998年、市長を退任する。1999年、勲四等旭日小綬章を受章する。2004年に死去。死没日付をもって正五位に叙された。
成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12… 成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12月4日 - 1998年(平成10年)11月10日)は、日本の政治家、参議院議員を務める(2期)。柔道家。 島根県出雲市出身。慶應義塾大学法学部政治学科を1941年に卒業。島根県議会議員を経て、1977年の第11回参議院議員通常選挙に出馬し当選。同郷の櫻内義雄に近かったため中曽根派に所属し、参議院議院運営委員会筆頭理事、参議院農林水産委員長、自由民主党参院副幹事長などの要職を歴任した。1989年の第15回参議院議員通常選挙では自民党公認が得られず、無所属で出馬して落選、政界を引退した。 1998年11月10日、肺炎のため出雲市の島根医科大学医学部附属病院で死去、82歳。
原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 -… 原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の政治家。島根県平田市(現・出雲市)長(5期)。位階は従四位。 島根県簸川郡平田町(のち平田市、現・出雲市)出身。1930年(昭和5年)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)中退。中退後は印刷所を経営。1941年(昭和16年)に島根合同印刷専務に就任し、のち報光社代表取締役となる。1955年(昭和30年)、平田市議会議員に当選する。1959年(昭和34年)、島根県議会議員選挙に平田市選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選を果たした。県議を2期務めた後の1967年(昭和42年)、平田市長に当選する。
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治4… 細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之。 島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす。
景山 俊弘(かげやま としひろ、1911年(明治44年)4月… 景山 俊弘(かげやま としひろ、1911年(明治44年)4月23日 - 1999年(平成11年)3月19日)は、日本の政治家。掛合町議会議員、掛合町長を歴任した。位階は従五位。 旧制松江中学校(現島根県立松江北高等学校)卒。島根県の大財閥として重きをなしていた田部長右衛門知事の秘書をつとめる。1942年から1951年に合併するまで旧掛合村村議となり、町制施行後は引き続き掛合町議となる。また同町教育委員を1952年から1955年まで務め、同町農業委員も1957年から務めた。後に、掛合町から竹下登が田部の後押しを受け、県議を経て国会議員となると、景山は竹下側近として掛合町議会議員となり、町議会議長となった。
木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日… 木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日 – 1991年(平成3年)12月31日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 島根県八束郡古江村(現松江市)で生まれた。松江中学校(現島根県立松江北高等学校)を3年で中退し、1929年(昭和4年)に文学を志して上京したが半年で帰郷。農民運動に加わり、全国農民組合島根県連青年部書記を務めた。1931年(昭和6年)治安維持法違反容疑で起訴された。また、若松汽船大阪出張所、山陰道産業にも勤め、のち陸上小運搬業も経営した。 戦後、日農島根県連の結成に参与し書記長に就任し、県農地委員となり農地改革を推進した。日本共産党に入党し、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で島根県全県区から共産党公認で出馬して初当選。
伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)1… 伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)12月6日 - 1994年(平成6年)10月11日)は、日本の政治家、地方公務員、弁護士。島根県知事(1期)。知事退任後、弁護士に登録。 島根県松江市生まれ。旧制松江高等学校を経て東京帝国大学法学部、大同学院を卒業。満洲国政府に勤務し、西安県副県長、鉄鋼司弁事などを歴任する。 終戦で引き揚げ、1947年(昭和22年)島根県職員となる。漁政、財政各課長、総務部長を経て、田部長右衛門知事の女房役として、1960年(昭和35年)から10年間副知事を務め、3期知事を務めた田部の後継者として選ばれ、1971年(昭和46年)4月の島根県知事選挙に立候補した。
大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 -… 大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 - 1989年2月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。元参議院議員(4期),大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中佐。 レイテ沖海戦にて戦艦「大和」の副砲長として乗艦していた深井俊之助が、栗田艦隊がレイテ湾に突入せずに反転したのは当時、栗田司令部の作戦参謀を務めていた大谷による電報の捏造が原因だったと主張しているが、当時通信士として栗田らの板第一艦橋に配属されていた都竹卓郎は、月刊「歴史街道」2015年1月号において、深井氏のレイテ沖海戦での数々の証言を否定しており、他の生存者の証言でも深井の主張と辻褄が合わない点が多くあり、現在は否定的に考えられている
第23代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1906年(… 第23代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1906年(明治39年)3月25日 - 1979年(昭和54年)9月15日)は、日本の実業家、政治家、芸術家。衆議院議員。島根県知事。位階は従三位。勲一等瑞宝章。 奥出雲の山林大地主で「たたら御三家」の一つ「田部家」の第23代当主。名は朋之。号は松露亭。茶室「明々庵」の再建や「田部美術館」の設立など文化振興にも尽力した。竹下登元首相も彼が支援した政治家の一人である。 祖父と同じ部屋で寝起きしていたため、大ダンナ教育は早朝から始められた。夜も明けぬ暗いうちに起こされ、武士の出で養子だった祖父の長秋から毎日昔の武士気質を聞かせられたという。 若い頃、女優司葉子の父・庄司繁二郎に良いことも悪いこと(遊ぶこと)もしょっちゅう連れ歩いてもらって教わったこともあり司の姉妹揃って大いに可愛がった。
大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月… 大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月24日 - 1981年〈昭和56年〉10月3日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員。運輸大臣、労働大臣、警察予備隊担当大臣、法務総裁を歴任。 島根県仁多郡三成町(現在の奥出雲町)出身。島根士族大橋只三郎の養子で陸軍少将常三郎の長男。母は代言人北田正董娘の酉。 内務省に入り岡山県警察部長のあと終戦直後の戦災復興院次長となる。1949年の衆議院選挙(島根県全県区)に初出馬当選、1976年の総選挙で落選、引退するまで連続10回当選。この間第3次吉田内閣で法務総裁、国務大臣(警察予備隊担当)、第2次及び第3次池田内閣で労働大臣、第1次及び第2次佐藤内閣で運輸大臣を歴任する。
小瀧 彬(小滝 彬、こだき あきら、明治37年(1904年)… 小瀧 彬(小滝 彬、こだき あきら、明治37年(1904年)7月1日 - 昭和33年(1958年)5月28日)は、日本の外務・商工官僚、政治家。参議院議員(2期)、防衛庁長官(第6代、第7代)。位階は正三位。 島根県雲南市(旧飯石郡三刀屋町)出身。東山中学、旧制松江高校文科甲類を経て、1927年東京帝国大学経済学部。 総領事、外務省情報部長、貿易庁輸出局長、通商産業省通商監、国際捕鯨委員会日本政府代表、終戦連絡大阪事務局局長。戦時中は陸軍司政官に任命された。 1950年に行われた第2回参議院議員通常選挙の島根県選挙区に自由党公認で立候補。国民民主党公認の櫻内義雄にわずか389票差で敗れた。しかし小瀧側は、櫻内の票の中に無効票(櫻内義雄の父櫻内幸雄の名を書いたものが義雄の有効票に数えられていた)が含まれているとの訴えを起こした。
中村 英男(なかむら ひでお、1904年5月25日 - 19… 中村 英男(なかむら ひでお、1904年5月25日 - 1988年2月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。参議院議員(2期)。歯科医師。 現在の島根県江津市出身。旧制島根県立浜田中学校(現在の島根県立浜田高等学校)、1927年日本歯科医学専門学校卒業。卒業後は帰郷し、歯科医を開業する傍ら農民運動を指導する。戦後、日本社会党島根県連を結成し、副委員長となる。島根県議を2期務め、1952年の第25回衆議院議員総選挙で島根全県区から日本教職員組合の政治団体である日本教職員政治連盟公認で立候補して初当選。以来連続5期当選した(その後は無所属を経て左派社会党から日本社会党に入る)。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選。
加納 莞蕾(かのう かんらい、1904年3月1日 - 197… 加納 莞蕾(かのう かんらい、1904年3月1日 - 1977年8月15日)は、日本の画家、政治家。本名辰夫。莞蕾は雅号。島根県能義郡布部村(現在の安来市広瀬町布部)出身。マニラ軍事裁判により戦後フィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯の釈放に尽力したことで知られる。 1926年(大正15年)に上京して川端画学校および本郷洋画研究所に入り、岡田三郎助に師事し、前田寛治・佐伯祐三らと交友を深めた。 1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展に出品し、入選を重ねた。1932年から1937年まで島根県那賀郡浜田町(現在の浜田市)原井尋常高等小学校(現在の浜田市立原井小学校)に赴任し、訓導として児童の指導にあたるかたわら、中尾彰らと本格的な洋画研修会を開き、東京から中山巍を招いて指導を仰いだ。
12代 桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、明治36… 12代 桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、明治36年(1903年)12月9日 - 平成3年(1991年)3月24日)は、日本の実業家、政治家。旧姓は大村、幼名は泰吉。桜井家第12代当主。 実父は実業家大村貞蔵、実兄は実業家大村義雄。 島根県簸川郡大社町(現出雲市)大村家に生まれ、大社中学を卒業して桜井家の養子となった。 島根県信用農協連、中央農協連、同信連各会長、県農業会議員、仁多郡町村会長、同畜産、同農業雲南漁業各組合長、仁多町長、島根県日産販売(株)、山陰酸素工業(株)各社長等を歴任。
松本 美行(まつもと よしゆき、1901年〈明治34年〉 -… 松本 美行(まつもと よしゆき、1901年〈明治34年〉 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。 島根県松江市生まれ。1925年、京都帝国大学経済学部を卒業。山陰合同銀行参与、山陰貯蓄銀行頭取、松江市議会議長、島根県松江市教育委員会委員長などをつとめた。 趣味は読書。宗教は禅宗。住所は松江市寺町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
竹下 勇造(たけした ゆうぞう、1900年〈明治33年〉6月… 竹下 勇造(たけした ゆうぞう、1900年〈明治33年〉6月25日 - 1984年〈昭和59年〉3月21日)は、日本の実業家、政治家。掛合町名誉町民。島根県議会議員、掛合村長、竹下酒造代表取締役などを務めた。旧姓は武永(たけなが)。 第74代内閣総理大臣・竹下登の実父。漫画家・影木栄貴、ミュージシャン・DAIGOの曾祖父。 島根県簸川郡今市町(現:出雲市)出身。武永貞一の弟。掛合町(現:雲南市)竹下儀造の養子となった。旧制島根県立松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、1923年(大正12年)早稲田大学専政科(現、政治経済学部)卒業。 竹下家は日本三大山林王の一家として出雲一円に権勢を誇っていた田部家の傘下で庄屋を務めており、掛合一の旧家であった。
恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月1… 恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月18日 - 1963年(昭和38年)5月20日)は、日本の政治家・歴史学者。島根県知事(2期)、大田市名誉市民。政治家・恒松隆慶の孫。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 島根県安濃郡長久村(現大田市長久町)で、恒松嘉吉・ケン夫妻の二男として生まれる。杵築中学校(現島根県立大社高等学校)在学中は剣道に励んだ。祖父隆慶と岡本かの子の父・大貫寅吉が親しかったことから、慶應義塾大学予科に進学後、岡本一平・かの子の家に寄宿していた。岡本夫妻はともに家事家計が苦手であり、見るに見かねて手伝っているうちに家事一切や幼い息子太郎の世話、夫妻の給金や原稿料の貯蓄、かの子の執筆のための資料集めや原稿の清書までやる羽目になったという。
武永 貞一(たけなが ていいち、1898年〈明治31年〉8月… 武永 貞一(たけなが ていいち、1898年〈明治31年〉8月5日 - 没年不詳)は、日本の実業家、政治家。元武永明文舎印刷工場経営主、今市水道取締役。 元首相竹下登の伯父。元島根県会議員竹下勇造の実兄。 旧制島根県立杵築中学校(現・島根県立大社高等学校)卒業。1925年(大正14年)より1955年(昭和30年)まで今市町議から出雲市議を連続つとめ、また同商工会議所会頭等を歴任。 趣味は書画、骨董、旅行。宗教は真宗。
竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈… 竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈明治30年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の酒造家(竹内本店)、政治家。 島根県能義郡宇賀荘村(現・安来市)に岩崎庫三郎の長男として生まれ、竹内信次郎の養子となる。1921年、家督を相続する。明治大学修業。 小学校訓導を経て酒造業を営む。町会議員、町信用組合理事、出雲銀行取締役などをつとめる。 宗教は浄土宗。趣味は文学。住所は島根県大原郡加茂町(現・雲南市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
生越 三郎(おごし さぶろう、1897年(明治30年)4月1… 生越 三郎(おごし さぶろう、1897年(明治30年)4月1日 - 1969年(昭和44年)12月2日)は、大正から昭和期の技術者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 島根県那賀郡、現在の浜田市で生まれる。1919年(大正8年)大阪工業専門学校機械科を卒業。 三菱造船に技師として入社した。1935年(昭和10年)に日本機械車両工業を設立し社長に就任。その他、東京大同商会代表社員、日本電気漂白専務取締役、三星工業取締役社長、日本化機工業取締役などを務めた。 1940年(昭和15年)財団法人石見工業専修学校を設立し理事長に就任。同校は石見工業学校、益田商工高等学校を経て益田工業高等学校(現益田東高等学校)となり各理事長を務めた。
松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1… 松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1月1日 - 1950年(昭和25年)10月9日)は、日本のプロレタリア詩人、無政府主義者、政治家。衆議院議員。本名・淳造。 島根県美濃郡高城村神田(現益田市)で、山口唯美、松本カノ夫妻の長男として生まれ、祖父養軒に養育された。1914年、島根県立浜田中学校を卒業し、慶應義塾大学部理財科に進んだが1916年に中退し、その後、西日本各地や東京などを放浪した。 1918年、久原鉱業佐賀関製錬所に作業員として就職。1920年、堺利彦の推薦で雑誌『中外』の記者となり、日本社会主義同盟に加盟。1921年、自由人連盟の演説会で右翼に刺された。同年9月、再刊された『種蒔く人』の同人となる。
山本 亮(やまもと りょう、明治27年(1894年)12月1… 山本 亮(やまもと りょう、明治27年(1894年)12月14日 - 昭和48年(1973年)2月18日)は、日本の実業家、漢詩人、政治家。鳥取県西伯郡境町長(17代)、町会議員。号大麓。鳥取県平民。 境町長、鳥取県議会議長等を歴任した山本熊吉の長男。 鳥取県西伯郡境町栄町(いまの境港市)出身。山本熊吉の長男。 松江農林学校を卒業後、家業(醤油醸造)を継いだ。境電気会社設立等、実業界で活躍した。 昭和20年(1945年)4月23日、軍用船玉栄丸爆発事故が発生。山本町長は昼夜にわたる救援活動を指揮する一方で、軍に対して罹災者補償を請求、自ら現地調査に当たる等の尽力によってこの問題を解決した。 茶道、琵琶、漢詩等趣味も多かった。
大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5… 大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5日 - 1955年(昭和30年)9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。内務大臣(小磯内閣)、文部大臣(第5次吉田内閣)。参議院議員(1期)。 島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)に、酒造業・大達新作の次男として生まれる。浜田中学から一高に進み、1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、内務省に入る。宮城県属。 内務省では地方局財務課長を経て1932年(昭和7年)福井県知事となる。福井師範学校整理問題で県会と衝突し、それに対する内務省の扱いに不満を抱いて辞表を提出した。 1934年に満洲国に招かれて満洲国国務院総務庁法制処長、1936年同国務院総務庁長を歴任。
木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10… 木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10月16日 - 1969年〈昭和44年〉6月7日)は日本の実業家、政治家。島根県平田市名誉市民。木佐家第9代当主。号は旅峰。島根県多額納税者。農業。位階は正六位。 徳三郎の男。慶大に学ぶ。農業を営む。 雲洋石油株式会社を創設し、1928年(昭和3年)社長となり、1945年(昭和20年)帰郷。 1948年(昭和23年)に平田町長に就任した。1954年(昭和29年)、町長を辞任した。1955年(昭和30年)2月5日から1967年(昭和42年)5月16日まで、平田市長を務めた。 宗教は大社教。住所は島根県平田市平田町。美術茶道など多方面で造詣深い風流人として知られた。
熊野 英(くまの えい、1889年〈明治22年〉8月3日 -… 熊野 英(くまの えい、1889年〈明治22年〉8月3日 - 1963年〈昭和38年〉2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。官選群馬県知事、松江市長。旧姓・石倉。 島根県出身。石倉家に生まれ、熊野家の養子となる。松江中学校を経て、第一高等学校を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1915年、内務省に入省し鹿児島県属となる。 以後、鹿児島県警視、同県日置郡長、同薩摩郡長、同県理事官、和歌山県理事官、同農林課長、同地方課長、帝都復興院書記官、復興局書記官・整地部庶務課長、同用地課長、愛知県書記官・学務部長、大阪府書記官・学務部長、岐阜県書記官・内務部長、三重県書記官・総務部長などを歴任。
木村 小左衛門(きむら こざえもん、1888年2月2日 - … 木村 小左衛門(きむら こざえもん、1888年2月2日 - 1952年2月28日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。初名吉郎。多額納税者・木村義三郎の次男。 地方実業界の重鎮として多年活躍したが、1924年衆議院議員に当選以来、中央政界で活動した。若槻禮次郎(元首相)との関係極めて密であった。総理大臣秘書官、大蔵大臣秘書官等を経て農林大臣、内務大臣、国務大臣建設院総裁(初代、後の建設大臣)、国務大臣地方自治庁長官等を歴任した。 島根県大原郡大東町(現在の雲南市)に生まれる。 松江中学(現島根県立松江北高等学校)、早稲田大学に学ぶ。郡会議員・郡会議長を経て1924年の第15回衆議院議員総選挙に故郷の島根県から憲政会公認で初当選。
金藤 英夫(かねとう ひでお、旧姓・石橋、1886年〈明治1… 金藤 英夫(かねとう ひでお、旧姓・石橋、1886年〈明治19年〉2月6日 - 1977年〈昭和52年〉10月27日)は、日本の実業家、政治家。金藤家第12代当主。 島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)生まれ。石橋孫八の五男、あるいは八男。石橋正彦の弟。金藤秀四郎の養子、あるいは金藤米太郎の養子となる。また金藤シミの入夫となる。 松江中学校、第五高等学校を経て、1913年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。米子製鋼所支配人、米子銀行常務取締役、赤江村長などをつとめる。 宗教は真宗、仏教。書画、骨董に親しむ。趣味は運動、政治。住所は島根県能義郡赤江村東赤江(現・安来市)。
櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年〈明治13年〉8月… 櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年〈明治13年〉8月14日 - 1947年〈昭和22年〉10月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。商工大臣、農林大臣、大蔵大臣など歴任。 元中国電力会長櫻内乾雄、元衆議院議長櫻内義雄の父。福田康夫元首相の妻貴代子や政治家の太田誠一は孫。 旧雲州広瀬藩士・櫻内和一郎の長男。東京専門学校(現:早稲田大学)中退。岐阜新聞、愛知新聞などで記者を務めていたが、実業家の雨宮敬次郎に認められ、実業界に入り、大日本軌道、日本高架鉄道の設立に参画、1907年(明治40年)に東洋競馬会を起こして理事。 また銚子、石巻、埼玉、逗子などで電燈会社を創業、1910年(明治43年)に日本電燈株式会社を設立し取締役。
石倉 俊寛(いしくら しゅんかん、1880年(明治13年)2… 石倉 俊寛(いしくら しゅんかん、1880年(明治13年)2月18日 - 1975年(昭和50年)3月20日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家。大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍主計少将。島根県松江市長。旧姓は青戸。 青戸林平の三男として島根県に生まれ、石倉益蔵の養子となる。島根県第一尋常中学校(島根県立松江北高等学校の前身)、和仏法律学校(現・法政大学)を経て、1901年(明治34年)12月に海軍主計候補生となった。呉経理部第一課長を経て、1926年(大正15年)12月、軍令部出仕と共に海軍主計少将に進み、翌年の1927年(昭和2年)3月、待命し翌月予備役編入となった。雷型駆逐艦「朧」乗組として日露戦争に出征し、日本海海戦では「出雲」乗組として参戦した。
石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11… 石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11年〉11月10日 - 1937年〈昭和12年〉10月31日)は、日本の政治家、実業家、島根県の大地主。雲陽実業銀行取締役。松江銀行監査役。族籍は島根県平民。 出雲国簸川郡古志村に生まれる。石橋助市の長男。幼い頃に父母が亡くなり、祖父母の鞠育を受け成長する。1881年、家督を相続する。1899年、青年実業会を起し、その会長となる。 1901年、村民の輿望を受け、村長に選任され、村政を統治する。古志貸金合名会社を創起し、その社長となる。古志銀行、雲陽実業銀行各取締役、松江銀行監査役などをつとめる。 住所は島根県簸川郡古志村(現・出雲市)。 石橋家は旧幕時代に累代組頭及び下郡役を勤め、苗字帯刀を許された閥閲で、郷党に推重された。
竹下 儀造(たけした ぎぞう、1877年〈明治10年〉10月… 竹下 儀造(たけした ぎぞう、1877年〈明治10年〉10月 - 1947年〈昭和22年〉12月26日 )は、日本の醸造家、政治家、島根県多額納税者。前名・蔵利(くらとし)。政治家竹下登(元首相)は孫。漫画家影木栄貴、ミュージシャンDAIGOなどは玄孫にあたる。 島根県飯石郡掛合村(現・雲南市掛合町)出身。竹下荘太郎の三男。のちに先代竹下儀造の養子となり1905年、家督を相続した。酒造業、工業を営み、島根県多額納税者に列する。掛合村農会会長、村会議員を務めた。1947年12月26日、死去。法名は法蔵院釋普照居士。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。住所は島根県飯石郡掛合村(現・雲南市掛合町)。
島田 俊雄(しまだ としお、1877年〈明治10年〉6月18… 島田 俊雄(しまだ としお、1877年〈明治10年〉6月18日 - 1947年〈昭和22年〉12月21日)は、日本の政治家。 政界入りする前は地方自治の現場にいて地方自治の研究をした数少ない人物であり、政界に入ってからは衆議院議員選挙に9回当選し、農林大臣・衆議院議長等を務めた。雄弁家としても知られた。 島根県江津市出身。旧制山口高等学校卒業。1900年(明治33年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、雑誌『明美王道』及び『実業時論』両誌の編集者となる。1903年(明治36年)、東京市吏員に転じ、教育課長・勧業課長を歴任。1905年(明治38年)、中国雲南省法制学堂講師となる。1907年(明治40年)、帰国。
高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10… 高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10月31日 - 1943年(昭和18年)2月7日)は日本の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 島根県神門郡稗原村(簸川郡稗原村を経て現出雲市)で大地主・高橋守衛の長男として生まれる。松江修道館を修了した。1906年(明治39年)3月に家督を相続した。 1904年(明治37年)稗原三等郵便局を開設して同局長に就任。稗原村会議員、同村区会議員、同村農会長、同村学務委員、島根県地方森林会議員、簸川郡教育会長などを務めた。 実業界では、1906年、簸川銀行取締役に就任。その他、簸上鉄道取締役、出雲電気取締役社長、島根県農工銀行頭取などを務めた。
石田 孝吉(いしだ こうきち、明治5年2月30日(1872年… 石田 孝吉(いしだ こうきち、明治5年2月30日(1872年4月7日) - 1926年(大正15年)8月9日)は、日本の衆議院議員、勲四等旭日小綬章。 島根県邇摩郡波積本郷(波積村、江東村を経て現江津市)に生まれる。祖先は毛利公に仕えた家臣で石田量太郎の長男。1896年(明治29年)7月慶應義塾を卒業し島根県に帰郷。温泉津村(温泉津町を経て現大田市)に石見銀行を設立し頭取に就任した。 迩摩郡会議員、島根県会議員、島根県農会議員などを経て、1901年(明治34年)日本赤十字社特別社員に列せられ、1903年(明治36年)3月衆議院議員に当選。1904年(明治37年)帝国義勇艦隊建設の際の地方委員に嘱託。
中村 彌之祐(なかむら やのすけ、1871年6月2日〈明治4… 中村 彌之祐(なかむら やのすけ、1871年6月2日〈明治4年4月15日〉 - 1931年〈昭和6年〉1月3日)は、日本の政治家、実業家。兵庫県会議員。中村組社長。舞子土地取締役。族籍は兵庫県平民。 島根県邑智郡口羽村(現・邑南町)、三上新市郎の弟。先代祐七の養子となり1915年、家督を相続する。会社重役であり、中村組社長、舞子土地、中播運送、不二商会、姫路電気化学工業、姫路水力電気、紅屋コークス、幡美鉄道、関西土木電気興業各取締役、姫路商業銀行、神戸布引土地、姫路水力電気各監査役などをつとめた。 資性温厚で、神仏を尊崇するところ深く、特に日蓮宗に帰依する。 1930年、破産者となる。住所は兵庫県姫路市龍野町1丁目。
大村 貞蔵(おおむら さだぞう、明治3年(1870年)7月 … 大村 貞蔵(おおむら さだぞう、明治3年(1870年)7月 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。旧姓は勝部。島根県平民、島根県多額納税者。町会議員。平田銀行取締役。松江銀行監査役。松江銀行常務取締役。農業。 六女真佐子は坂口合名会社・代表社員会長2代目坂口平兵衛の妻。坂口合名会社・代表社員会長3代目坂口平兵衛は孫。坂口合名会社・代表社員社長坂口清太郎・山陰放送社長坂口吉平は曾孫。 島根県人・勝部仙太郎の九男。先代キチの養子となる。明治29年(1896年)家督を相続する。 松江中学、中央大学に学ぶ。農業を営む。 地方自治および産業振興に尽くした。
金子 有道(かねこ ありみち、1869年10月4日(明治2年… 金子 有道(かねこ ありみち、1869年10月4日(明治2年8月29日)- 1938年(昭和13年)3月18日)は、明治後期から昭和初期の政治家、歌人、神職、華族。貴族院男爵議員。旧名・健麿。 石見国安濃郡川合村(現島根県大田市川合町川合)で物部神社社家・金子有卿の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1920年(大正9年)8月30日、男爵を襲爵した。 皇典講究所で学び、1896年(明治29年)物部神社禰宜に就任。1916年(大正5年)御歌所編纂部に嘱託として加わり、『明治天皇御集』『昭憲皇太后御集』の編纂に従事した。その他、久邇宮家御用掛、大礼使典儀官、御歌会始奉行、同頌講、御歌所参候などを務めた。
俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日〈明治2年5… 俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日〈明治2年5月7日〉- 1944年〈昭和19年〉6月17日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員。商工大臣、立憲民政党幹事長などを歴任した。従二位勲一等。 1869年(明治2年)5月7日、石見国浜田(現:島根県浜田市)に俵家の3代目・三九郎、ミナの五男として生まれる。幼少の頃から家業の醤油醸造、ろうそくの製造販売等を手伝う。 浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)、泊園書院(現:関西大学)、共立学校(現:開成中学校)、第一高等学校を経て1895年(明治28年)帝国大学法科大学英法科(現:東京大学法学部)を卒業する。卒業後は内務官僚として官界に入り、1907年(明治40年)大韓帝国の学部次官、1910年(明治43年)同国の土地調査局副総裁(後の朝鮮総督府臨時土地調査局副総裁)に就任。
今崎 半太郎(いまさき はんたろう、1869年4月5日 - … 今崎 半太郎(いまさき はんたろう、1869年4月5日 - 1957年2月28日)は、隠岐知夫郡西ノ島の浦郷出身の政治家。1904年(明治37年)から1946年(昭和21年)まで、43年間もの長期間にわたって島根県知夫郡浦郷村(現・隠岐郡西ノ島町)の村長を務めた。「浦郷の父」とされる。 今崎は1869年(明治2年)4月5日に隠岐諸島西ノ島の浦郷で生まれた。尾張屋(屋号)の佐藤大四郎の次男である。 1889年(明治22年)以後には各地で町村制が施行され、1904年(明治37年)5月1日には隠岐諸島でも町村制に準ずる「島根県隠岐国ニ於ケル町村ノ制度ニ関スル件」が施行された。近世以来の浦之郷村が単独で自治体を形成し、同年5月1日に島根県知夫郡(現・隠岐郡)浦郷村が発足、35歳の今崎半太郎が初代浦郷村長に就任した。
桑原 羊次郎(くわばら ようじろう、慶応4年4月18日(18… 桑原 羊次郎(くわばら ようじろう、慶応4年4月18日(1868年5月10日) - 昭和30年(1955年)7月21日)は、明治後期から昭和前期にかけての美術工芸研究家、社会事業家、政治家(衆議院議員)。号は双蛙(そうあ)。 肉筆浮世絵コレクター、装剣金工研究家として知られる。1910年の日英博覧会では日本美術部門委員を務めた。 慶応4年4月18日(1868年5月10日)、代々松江藩両替商を務めた「桑屋太助」本家の6代目・愛三郎の次男(第4子)として生まれた。明治9年(1876年)より内村友輔(鱸香)の私塾「相長舎」に通う。明治14年(1881年)5月、本町小学校上等科を卒業し、同年9月に松江中学校へ入学した。
岸 清一(きし せいいち、慶応3年7月4日(1867年8月3… 岸 清一(きし せいいち、慶応3年7月4日(1867年8月3日) - 1933年(昭和8年)10月29日)は、日本の弁護士、政治家。国際オリンピック委員会(IOC)委員。日本の体育・スポーツ界発展のため尽力し、“近代スポーツの父”として慕われた。法学博士。 慶応3年7月4日(1867年8月3日)、松江雑賀町(現在の島根県松江市雑賀町)に松江藩の下級武士・岸伴平の次男として生まれる。小学校時代の同級生に若槻禮次郎(第25代・第28代内閣総理大臣)がいる。岸と若槻は血のつながりはないが、近い親類だった。 松江雑賀小学校、島根県第一中学校(現在の島根県立松江北高等学校)、大学予備門を経て東京帝国大学法科大学英法科に進学。
若槻 禮次郞(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(186… 若槻 禮次郞(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(1866年3月21日) - 昭和24年(1949年)11月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。栄典は正二位勲一等男爵。旧姓は奥村。幼名は源之丞。号は克堂。新字体にて若槻 礼次郎(わかつき れいじろう)と表記されることもある[注釈 1]。
伊藤 啓一郎(いとう けいいちろう、1866年(慶応2年4月… 伊藤 啓一郎(いとう けいいちろう、1866年(慶応2年4月) - 1965年(昭和40年)11月21日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 出雲国神門郡神西村(のち島根県簸川郡神西村、現・出雲市)生まれ。1889年、島根尋常師範学校(のち島根師範学校)卒。農業の傍ら、南画を田能村直入と塩田鉄香に学び、書画を作成する。1939年に神武天皇聖徳奉体会を提唱し、橿原神宮聖域画讃を頒布する。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において島根3区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から立候補して落選した。1965年に死去した。
江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(… 江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(元治元年11月18日)- 1934年(昭和9年)6月19日)は、明治から大正期の地主、農業経営者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・楽所、有所。 出雲国出雲郡坂田村(島根県出雲郡坂田村、出東村、簸川郡出東村、斐川村、斐川町を経て現出雲市)で、大地主・江角権蔵、すい の長男として生まれる。普通学を学び、黒田龍二から漢学を、雨森精斎から和漢の歴史を学んだ。 村会議員、町村組合会議員、簸川郡会議員、徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(島根県第3区)で初当選し、その後、第9回総選挙まで3回再選され、最後は大同倶楽部に所属し衆議院議員に連続4期在任した。
後藤 快五郎(ごとう かいごろう、元治元年5月9日(1864… 後藤 快五郎(ごとう かいごろう、元治元年5月9日(1864年6月12日) - 昭和2年(1927年)1月11日)は、日本の実業家、政治家。町会議員、郡会議員、県会議員。旧姓小林。山陰鉄道敷設最大の功労者である。 出雲国能義郡布部村宇波(現・島根県安来市)出身。広瀬の山村塾・県立松江中に学び、小学校教師を勤めた。 明治20年(1887年)鳥取・米子の名門商家後藤家の養子となる。養子のため当主が代々襲名する市右衛門を名乗ることはなかった。当時後藤家の経済はやや苦しかったが、為替倉庫業・質業などで次第に業績をあげた。刻煙草製造業も経営していたが、煙草専売法施行後、松江との競争に勝って岡山専売局の出張所誘致に成功し、その働きによって山陰の煙草元売捌権を得た。
北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈… 北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈文久3年7月29日〉- 1918年〈大正7年〉11月9日)は、日本の神職、政治家、華族。出雲大社北島国造家76代、貴族院男爵議員。旧名・殿若丸。 出雲国出雲郡(現島根県出雲市大社町)で北島国造家75代・北島脩孝の長男として生まれる。父の死去に伴い1893年(明治26年)4月7日、男爵を襲爵した。 1882年(明治15年)出雲大社権宮司に就任。同禰宜、大教正、神道出雲教(現出雲教)大教主を務めた。 1908年(明治41年)7月1日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した。