阿部 圭史(あべ けいし、1986年5月26日 - )は、日… 阿部 圭史(あべ けいし、1986年5月26日 - )は、日本の政治家、医師、元厚生労働官僚。日本維新の会所属の衆議院議員(2期)。 宮城県仙台市に生まれ、小中高校時代を岡山県で過ごす。岡山白陵中学校・高等学校卒業後、北海道大学医学部に進学し、2011年に卒業。 国立国際医療研究センターで初期研修医(脳神経外科専攻)を経たのち、2013年に厚生労働省に入省。 2016年から2年間、ジョージタウン大学外交大学院修士課程(国際政治・安全保障分野)に留学。 2019年から2年間、世界保健機関職員を務め、新型コロナウイルス感染症対策などに従事する。その後帰国し、コンサルティング会社の役員を務める。 2023年8月3日、次期衆院選兵庫2区に日本維新の会から落下傘候補として立候補すると表明。
星島郁洋(ほしじま いくひろ、1976年9月12日 - )は… 星島郁洋(ほしじま いくひろ、1976年9月12日 - )は、岡山県出身の元官僚。元Bリーグ・香川ファイブアローズ代表取締役社長兼GM。岡山県岡山市出身。 1976年(昭和51年)岡山県岡山市に生れる。その後、地元の岡山県立大安寺高等学校を経て、京都大学法学部へ進学する。2001年(平成13年)同大学を卒業し、4月、経済産業省に入省する。 2005年8月よりアメリカ合衆国カリフォルニア州に留学。 2007年5月から中小企業庁金融課課長補佐。 2010年4月、初めてbjリーグ公式戦を観戦し経営に興味を持つ。 2010年7月、経済産業省を退職し、高松ファイブアローズ代表取締役社長兼GMに就任。2016-17シーズンをもって退任後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、現在は経営コンサルティング会社勤務。
合田 哲雄(ごうだ てつお、1970年〈昭和45年〉2月 -… 合田 哲雄(ごうだ てつお、1970年〈昭和45年〉2月 - )は、日本の文部・文科官僚。 北海道に生まれる。岡山県倉敷市で育つ。1988年(昭和63年)、岡山県立倉敷南高等学校卒業。1992年(平成4年)、東北大学法学部卒業。同年、文部省に入省。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。 入省後、福岡県教育庁高校教育課長、アメリカ国立科学財団(NSF)フェロー、高等教育局企画官、研究振興局学術研究助成課長、初等中等教育局教育課程課長、同局財務課長、科学技術・学術政策局政策課長などを歴任。国立大学法人化、2008年・2017年の学習指導要領の改訂、大学教育質転換答申、高等教育修学支援新制度の設計、10兆円大学ファンドの創設などに携わった。
山下 貴司(やました たかし、1965年〈昭和40年〉9月8… 山下 貴司(やました たかし、1965年〈昭和40年〉9月8日 - )は、日本の政治家、検察官、法務官僚、弁護士(岡山弁護士会所属、登録番号43922)。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。衆議院内閣委員長、自由民主党岡山県連会長。 法務大臣(第100代)、法務大臣政務官、内閣府大臣政務官(第3次安倍第3次改造内閣、第4次安倍内閣)、自由民主党副幹事長を歴任した。 山下一盛・孝代夫妻の長男として香川県高松市に生まれる。父・一盛は中央大学法学部卒業の弁護士で1981年3月、京都地方検察庁検事を退官し、岡山で「山下一盛法律事務所」を開業した。両親は中央大学OBの勉強会仲間であり、結婚を機に母・孝代は試験の勉強をあきらめ、主婦として一盛を支えた。
植田 明浩(うえだ あきひろ、1965年〈昭和40年〉6月2… 植田 明浩(うえだ あきひろ、1965年〈昭和40年〉6月24日 - )は、日本の環境技官。 岡山県倉敷市出身、岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、東京大学農学部林学科を卒業。1988年9月に国家公務員採用Ⅰ種試験(造園)に合格し、翌年4月に環境庁入庁。主に自然環境保全や野生生物保護に従事し、小笠原諸島周辺の海域を保護区に加える自然環境保全法の改正に携わった。 2024年7月1日、環境省自然環境局長に就任。9月には奄美大島で駆除が続けられてきた特定外来生物フイリマングースの根絶宣言を行なった。2025年7月1日、辞職。
藤本 隆史(ふじもと たかふみ、1965年〈昭和40年〉3月… 藤本 隆史(ふじもと たかふみ、1965年〈昭和40年〉3月23日 - )は、日本の警察官僚。 岡山県岡山市出身。岡山県立岡山朝日高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、警察庁に入庁。 広島県警察本部刑事部捜査第二課長、警察庁長官官房総務課課長補佐、警察庁刑事局暴力団対策部暴力団対策第一課課長補佐、大分県警察本部警務部長、警察庁長官官房人事課理事官、警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策総務課長、兵庫県警察本部刑事部長、警察庁長官官房会計課会計企画官、警察庁生活安全局地域課長、香川県警察本部長、警察庁長官官房国家公安委員会会務官、警視庁生活安全部長、警察庁長官官房人事課長、警察庁長官官房首席監察官、警察庁長官官房総括審議官などを歴任。
藤原 章夫(ふじわら あきお、1964年(昭和39年)3月2… 藤原 章夫(ふじわら あきお、1964年(昭和39年)3月21日 - )は、日本の文部官僚。文部科学事務次官を務めた。 岡山県岡山市出身、岡山県立岡山芳泉高等学校(6期生)を経て、1986年3月東京大学法学部卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、1987年4月に文部省入省。課長補佐時代には、愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件を受けて国会対応や関係各方面との調整に当たった。 2017年には、文部科学省天下り問題では当時の人事課長として停職処分(1カ月)を受けた。 2023年8月8日、文部科学事務次官に就任。GIGAスクール構想に取り組んだ。 2025年7月15日、文部科学事務次官退任。
岡 真臣(おか まさみ、1964年1月 - )は、日本の防衛… 岡 真臣(おか まさみ、1964年1月 - )は、日本の防衛官僚。 2022年9月7日、防衛審議官として韓国国防部の申範澈(朝鮮語版)次官とソウルで会談し、6年ぶりとなる日韓防衛次官級協議を行った。 岡山県出身。父は、防衛大学校出身の陸上自衛官。岡山白陵高等学校を経て、東京大学法学部卒業。タフツ大学法律外交大学院(フレッチャースクール)卒業(修士)。 在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官も務めた防衛省の国際派。 2024年には、日英伊3か国の次期戦闘機の共同開発事業を管理する国際機関「GIGO」の初代トップの首席行政官に就任した。 昭和61年04月 防衛庁採用 平成03年04月 防衛庁長官官房総務課部員 平成04年06月 防衛庁防衛局調査第2課戦略環境評価班部員 平成05年04月 防衛庁防衛局防衛政策課政策第2班部員 平成07年07月 防衛庁防衛局計画課計画第1班部員 平成07年08月 防衛庁防衛局計画課計画第1班長 平成09年05月 外務省在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官 平成12年07月 防衛庁長官官房総務課部員 平成13年01月 防衛庁長官官房文書課部員 平成13年07月 防衛庁長官官房秘書課部員 平成14年08月 防衛施設庁仙台防衛施設局施設部長 平成16年07月 防衛庁防衛局調査課情報室長 平成17年08月 防衛庁長官官房企画官 平成18年09月 防衛庁長官官房参事官(米軍再編担当) 平成19年01月 防衛省大臣官房参事官(米軍再編担当) 平成19年09月 防衛省運用企画局国際協力課長 平成21年08月 防衛省大臣官房企画評価課長 平成22年09月 防衛省防衛政策局日米防衛協力課長 平成23年08月 防衛省経理装備局装備政策課長 平成24年09月 防衛省大臣官房米軍再編調整官 平成25年07月 防衛省地方協力局次長 平成26年07月 防衛省大臣官房付 平成26年08月 警察庁長官官房付 平成26年08月 (命)岐阜県警察本部長 平成28年08月 防衛省防衛政策局次長 平成30年08月 人事教育局長 令和02年08月 防衛政策局長 令和03年07月 地方協力局長 令和04年07月 防衛審議官 令和05年07月 防衛省顧問 令和06年12月 政府間機関GIGO(GCAP International Government Organisation)首席行政官
小野 洋(おの ひろし、1963年〈昭和38年〉3月9日 -… 小野 洋(おの ひろし、1963年〈昭和38年〉3月9日 - )は、日本の厚生・環境技官。 岡山県岡山市出身。岡山県立岡山大安寺高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、東京大学大学院工学系研究科都市工学専門課程を修了。同年、厚生省に入省し、同年4月、環境庁長官官房秘書課に配属。 その後、1999年(平成11年)1月、国際協力事業団海外長期研修でオーストラリアのニューサウスウェールズ大学に留学。地球環境局総務課研究調査室室長補佐、環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課課長補佐などを経て、2005年(平成17年)9月より国際復興開発銀行に派遣。その後、地球環境局総務課研究調査室長、総合環境政策局環境影響評価課環境影響審査室長を務め、2012年(平成24年)4月に富山県理事に就任。
小野田 壮(おのだ ひろむ、1963年1月17日 - )は、… 小野田 壮(おのだ ひろむ、1963年1月17日 - )は、日本の内閣府官僚。経済社会総合研究所総括政策研究官、内閣府政策統括官、内閣府賞勲局長などを務めた。 岡山県瀬戸内市出身。岡山県立朝日高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、1986年総務庁入庁。内閣府大臣官房人事課長や、経済社会総合研究所総括政策研究官、内閣府大臣官房審議官(子ども・子育て本部担当)を経て、2017年から内閣府政策統括官(共生社会政策担当)兼子ども・子育て本部統括官として、幼児教育・保育無償化のための子ども・子育て支援法改正などにあたったのち、2019年から内閣府賞勲局長を務めた。2023年7月3日、退職
高原剛(たかはら つよし、1961年5月9日 - )は、日本… 高原剛(たかはら つよし、1961年5月9日 - )は、日本の自治・総務官僚。 岡山県倉敷市出身。大阪府立茨木高等学校、京都大学法学部卒業。京大在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を受け、1984年 自治省入省。行政局公務員部給与課兼大臣官房総務課。岐阜県副知事や自治行政局公務員部長、地方公共団体情報システム機構副理事長などを経て、2019年7月2日に自治行政局長。2021年7月1日より内閣官房まち・ひと・しごと創生本部地方創生総括官。
萩原 誠司(はぎわら せいじ、1956年(昭和31年)4月2… 萩原 誠司(はぎわら せいじ、1956年(昭和31年)4月28日 - )は、日本の政治家、通産官僚。岡山県美作市長(5期)。岡山県岡山市長(2期)、衆議院議員(1期)を務めた。岡山県英田郡西粟倉村長を務めた萩原賢二は父。 岡山県英田郡西粟倉村生まれ。岡山県立岡山大安寺高等学校、東京大学教養学部教養学科卒業。プリンストン大学大学院(ウッドローウイルソンスクール)修了。1980年、通商産業省に入省。 1999年、通産省を退官。岡山市長選挙に自民・社民2党の推薦を受けて出馬し、初当選する。2003年の市長選でも再選されたが、任期途中の2005年8月、自由民主党の要請を受け、岡山市長を辞職し岡山県第2区から第44回衆議院議員総選挙に出馬。
加藤 勝信(かとう かつのぶ、1955年〈昭和30年〉11月… 加藤 勝信(かとう かつのぶ、1955年〈昭和30年〉11月22日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、自由民主党政治制度改革本部長。旧姓は室崎(むろさき)。 財務大臣(第23・24代)兼内閣府特命担当大臣(金融)兼デフレ脱却担当大臣(第1次石破内閣・第2次石破内閣)、厚生労働大臣(第19・20・22・26代)、内閣官房長官(第84代)、沖縄基地負担軽減担当大臣(菅義偉内閣)、拉致問題担当大臣(菅義偉内閣)、働き方改革担当大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、内閣府特命担当大臣(拉致問題)(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、一億総活躍担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、女性活躍担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、再チャレンジ担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、内閣官房副長官(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、内閣人事局長(初代)、内閣府大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、自由民主党総務会長(第56代)、自由民主党総裁特別補佐、第5代日本武術太極拳連盟会長などを歴任。
板東 久美子(ばんどう くみこ、1954年4月25日 - )… 板東 久美子(ばんどう くみこ、1954年4月25日 - )は、日本の文部・文科官僚。公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン理事、令和臨調運営幹事。 文部科学審議官、消費者庁長官、日本司法支援センター理事長、国立病院機構理事を歴任した。岡山県岡山市生まれ(出身が徳島県となっているプロフィールもある)。文部科学事務次官の山中伸一は入省同期。夫は元経産省官僚で、元日本貿易保険理事長の板東一彦。
大森 雅夫(おおもり まさお、1954年〈昭和29年〉2月2… 大森 雅夫(おおもり まさお、1954年〈昭和29年〉2月25日 - )は、日本の政治家、元建設・国土交通官僚。岡山県岡山市長(4期)。 岡山県岡山市北区東古松生まれ。岡山市立鹿田小学校、岡山市立桑田中学校、岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部卒業。1977年、大学を卒業し建設省に入省。本省での勤務の他、国土庁や内閣府、熊本県への出向も経験した。2012年9月より国土交通省国土政策局長。2013年6月11日に退官。 同年10月、岡山市長選挙に自由民主党・民主党・公明党・日本維新の会岡山県総支部・連合岡山の推薦を受け、無所属で出馬。元官僚で知名度不足を危ぶむ声もあったが、選挙戦では強固な組織力をバックにつけ、元衆議院議員の高井崇志や元衆議院議員・岡山市議会議員の熊代昭彦ら4候補を破り、初当選した。
林 省吾(はやし しょうご、1947年3月30日 - )は日… 林 省吾(はやし しょうご、1947年3月30日 - )は日本の自治官僚。 岡山県美作市生まれ。岡山県立津山高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1969年自治省入省。静岡県総務部長、大阪府総務部長、総務省自治財政局長、消防庁長官等を経て、総務事務次官を務めた。
西村 正紀(にしむら まさき、1946年〈昭和21年〉2月1… 西村 正紀(にしむら まさき、1946年〈昭和21年〉2月17日 - )は、日本の総務官僚である。行政管理庁に入庁後、総務事務次官となり、会計検査院長となった。岡山県新見市出身。 1946年(昭和21年)岡山県新見市で出生する。地元の岡山県立新見高等学校へ進学し、1964年(昭和39年)同校を卒業する。同年、京都大学法学部へ進学し、1968年(昭和43年)同大学を卒業する。 京大卒業後、行政管理庁(現:総務省)へ入庁する。その後、1984年(昭和59年)に行政管理庁が総務庁となり、1987年(昭和62年)同庁の行政監察局監察官となる。1989年(平成元年)には、行政管理局管理官となり、政情報システム企画課長、企画調整課長、会計課長、中部管区行政監察局長を経て、1996年(平成8年)7月、50歳のときに、総務庁官房審議官となる。
石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )… 石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )は、日本の政治家、建設官僚。 参議院議員(2期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣、参議院内閣委員長、参議院決算委員長、自由民主党政務調査会副会長、公選14・15・16・17代岡山県知事(4期)、文部科学省中央教育審議会委員(第3・4期)、自然エネルギー協議会初代会長(2011年 - 2012年)を歴任。 1945年、岡山県上道郡光政村(現・岡山市東区)に生まれる。岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部を卒業。1969年に建設省に入省し、岐阜県民生部児童家庭課長、建設大臣秘書官、民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長、建設省大臣官房審議官などを歴任。
那須 清重(なす きよしげ、1945年 <昭和20年> 8月… 那須 清重(なす きよしげ、1945年 <昭和20年> 8月14日 - )は、日本の公安官僚である。チェコスロバキアへの駐在を経て、国際情報官、公安調査局長となり、国際情報統括トップである公安調査庁幹部・調査第二部長となる。KFE JAPANの顧問も務めた。岡山県高梁市出身。 1945年(昭和20年)第二次世界大戦が終戦する前日に、岡山県高梁市で生まれる。1964年(昭和39年)地元の岡山県立高梁高等学校を卒業する。その後、明治大学法学部を経て、明治大学大学院法学研究科へ進学する。卒業論文は、「ケルゼンの「根本規範」とフラーの「法と道徳」との関係」であった。1971年(昭和46年)3月卒業し、博士課程に進学する。
久山 慎一(くやま しんいち、1944年 ー )は、日本の総… 久山 慎一(くやま しんいち、1944年 ー )は、日本の総務官僚、外交官。 総務省総務審議官、駐ウルグアイ特命全権大使を歴任した。 趣味はインラインスケート、スキューバーダイビング、小型船舶の操縦、アマチュア無線、そば打ちなど多彩。おかやま財界(2004年3月5日号)の『ふるさとメール』の中で、「趣味に打ち込んでいる最中、ふと仕事上の問題解決につながるヒントがひらめく。うまくいかない時の気分転換にもなる。自分の世界を持つことは大切。……子どものころの魚捕りや父と歩いた操山などの原体験が今につながっている」と語っている。
片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉… 片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 2025年〈令和7年〉12月18日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 総務大臣(初代・第2代)、郵政大臣(第68代)、自治大臣(第57代)、総務庁長官(第26代)、参議院議員(5期)、参議院予算委員長、自由民主党参議院幹事長・参議院国会対策委員長、たちあがれ日本参議院幹事長、旧日本維新の会国会議員団政策調査会長兼参議院議員団会長、維新の党総務会長兼参議院会長、日本維新の会共同代表兼国会議員団代表兼参議院会長、日本消防協会会長、日本防火協会会長等を歴任。 日本維新の会所属の参議院議員の片山大介は次男。
服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2… 服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2004年1月3日)は運輸官僚。岡山県新見市出身。 国鉄職員の父親の家庭で育つ。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。 1976年に運輸省を舞台としたロッキード事件が発覚し、運輸省でマスコミ対策のために1977年に大臣官房広報室長に抜擢され、渉外力で頭角をあらわす。1981年から1982年にかけて航空局参事官や官房審議官として成田空港問題を担当。 その後、航空局参事官、地域交通局長、官房長を経て1987年6月から運輸事務次官に就任。次官時代に10年以上も棚上げになっていた整備新幹線を軌道に乗せた。1989年6月に運輸事務次官を退官。
植木 邦之(うえき くにゆき、1933年(昭和8年)7月16… 植木 邦之(うえき くにゆき、1933年(昭和8年)7月16日 - )は、日本の官僚。元公正取引委員会事務局長(現・事務総長)を務めた後、日本鉄道建設公団理事となった。その後、公正取引委員会の生え抜き出身として5人目の公正取引委員となった。岡山県出身。 岡山県生まれ。1949年(昭和24年)に岡山県立高梁高等学校へ入学する。同期には、後に大学教授となる安本美典、1個下には、同じく高梁高校から東大へ進学し、その後、富士銀行(現:みずほ銀行)の頭取となる橋本徹もいた。その後1952年(昭和27年)3月に高梁高校を卒業し、同年4月に東京大学文科一類へ入学。1956年(昭和31年)に東京大学法学部を卒業した。
奥山 雄材(おくやま ゆうさい、1931年8月31日 - 2… 奥山 雄材(おくやま ゆうさい、1931年8月31日 - 2026年1月11日[要出典])は日本の郵政官僚。郵政事務次官を経て、稲盛和夫とともにKDDIの設立に尽力し、同社初代代表取締役社長、電気通信事業者協会会長、簡易保険福祉事業団理事長等を歴任した。 岡山県出身。岡山県立西大寺高等学校を経て、1954年、岡山大学法文学部法学科を2期生として卒業。小長啓一元通商産業事務次官は大学時代の友人。旧郵政省(現:総務省)でNTT民営化にあたるなどし、郵政省通信政策局長などを経て、1988年、郵政事務次官。1993年、第二電電(現:KDDI)社長に就任。NTTドコモやNTTコミュニケーションズに対抗するため、稲盛和夫会長とともに、国際電信電話、日本移動通信の親会社であるトヨタ自動車の奥田碩会長などと面談をし、第二電電を存続会社にした合併によりKDDIの設立を行い、同社初代社長に就任した。
小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )… 小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )は、日本の官僚、弁護士。 元通商産業事務次官。AOCホールディングス会長、同台経済懇話会代表幹事、経済産業調査会会長、東急元取締役。 岡山県備前市生まれ。陸軍幼年学校を経て、旧制岡山県西大寺中学校(現・岡山県立西大寺高等学校)、旧制第六高等学校から新制岡山大学法文学部に進み、1953年に卒業。同期には吉永祐介(検事総長)、1年後輩に奥山雄材(郵政事務次官)がいた。 猛勉強の末に在学中に国家公務員上級職(法律職)試験と旧司法試験に合格していたが、「先の戦争は、日本が石油を押さえられて軍部が突っ走ったために起きた。今後、資源のない日本が世界で生き残っていくためには貿易立国しかない」という思いから、1953年通商産業省に入省した。
藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月… 藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月13日 - 2000年(平成12年)7月18日)は、昭和から平成時代の通産官僚。実業家。通産事務次官。電源開発社長、同顧問。 岡山県岡山市出身。藤原末作・貞子の長男として生まれる。旧制一高を経て1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業し、翌1949年商工省総務局に入る。同期に牧野隆守、村上信二郎、平松守彦、大永勇作(元中小企業信用保険公庫総裁)、大薗英夫(元日本自転車振興会理事長)らがいる。大臣秘書官事務取扱、貿易振興局輸出保険課長、大臣官房審議官、化学工業局化学第一課長、企業局外資課長、貿易振興局貿易振興課長、産業政策局総務課長、中小企業庁小規模企業部長、通産省大臣官房審議官、生活産業局長、官房長、通商政策局長を経て、1981年(昭和56年)6月、通産事務次官に就任した。
長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 200… 長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省選挙局長(1963年〜1966年)、行政局長(1966年〜1969年)、財政局長(1969年〜1971年)、自治事務次官(1971年~1972年)、公選8-13代岡山県知事(6期)、全国知事会会長(1995年~1996年)を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 1917年、岡山県吉備郡服部村(現・岡山県総社市南溝手)に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1941年、高等文官試験行政科に合格する。
木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日… 木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日)は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。 岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身。東京帝国大学法学部卒業。 田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した。 自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった。
蓬郷 巌(ほうごう いわお、1913年 - 1998年)は、… 蓬郷 巌(ほうごう いわお、1913年 - 1998年)は、岡山県津山市河辺出身の官吏、郷土史家。 1913年岡山県で生まれる。本籍地は、津山市河辺である。1930年、金川中学校(現・金川高校)卒業後、岡山県職員となる。 以後、警察官、兵隊、県広報主幹、県民課長などを歴任し、1969年、退職。 1969年から、県政史、県議会史の編纂を嘱託され、その後、岡山県郷土史に関する数多くの著書を出版する。 また、岡山市半田町に在住し、半田町元町町内会の初代会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
塩田 卓爾(しおた たくじ、旧字体: 鹽田 卓爾、1912年… 塩田 卓爾(しおた たくじ、旧字体: 鹽田 卓爾、1912年(明治45年)5月26日 - 1996年(平成8年)4月17日 )は、日本の大蔵官僚でもあり、実業家である。国内セラミックス大手3社の一角であった九州耐火煉瓦(現:黒崎播磨)の代表取締役社長を務めた。その後、同社の会長、相談役となる。岡山県高梁市出身。 1912年(明治45年)現在の岡山県高梁市にて出生。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、陸上選手で研究者の柳井深造がいる。1930年(昭和5年)同校を卒業し、第六高等学校理科甲類へ進学するが、その後、途中で大病を患って退学。 3年後の1933年、塩田は理系から文転し、第六高等学校文科甲類へ再入学する。
秋山 龍(あきやま とおる、1905年2月28日 - 200… 秋山 龍(あきやま とおる、1905年2月28日 - 2000年1月3日)は、日本の運輸官僚。海運総局長官・運輸事務次官を務めたのち、日本空港ビルデング初代社長や東京モノレール社長を歴任した。通産官僚の秋山收は子。 岡山県岡山市出身。1924年第六高等学校 (旧制)文科甲類卒業。1928年京都帝国大学法学部卒業。逓信省に入省(淀橋郵便局)。海運局次長、運輸省参事官、海運局長などを経て、1948年海運総局長官。1949年6月運輸事務次官。1952年1月退官。日本空港ビルデングの設立に参加、民間資本を集めて1953年に初代社長に就任した。のち相談役。このほか、東京モノレール社長(1965年)、東京シティ・エアターミナル会長、ロイヤルパークホテル社長、国際港湾協会初代事務総長、日本航空協会会長(1991年)も務めた。
片山 直憲(かたやま なおのり、1903年7月25日 - 1… 片山 直憲(かたやま なおのり、1903年7月25日 - 1982年1月2日)は、岡山県出身の通商産業省(現・経済産業省)キャリア官僚。弁理士、行政書士、および中央大学評議員としての貢献により、1979年春の叙勲で勲五等双光旭日章を受章した。 岡山県和気郡和気町(旧・岡山県赤磐郡石生村)出身。江戸時代には岡山藩(池田藩)で代々蘭学者や藩医を務めた岡山県上級士族の家系に生まれる。(族籍は、岡山県士族)。 1916年石生尋常小学校を卒業後、旧制岡山県岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校(現・岡山大学教養部)を経て、1928年3月、旧制中央大学法学部英法科を卒業した。 高等試験行政科に合格し、1928年、当時の商工省(現・経済産業省)に入省。
北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19… 北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、日本の内務・防衛官僚。岡山県和気郡三石村字三石(現:備前市)に、父北村貫皐、母古美津の長男として誕生。本籍地は岡山県邑久郡太伯村乙子(現:瀬戸内市)。 戦前は内務省警保局の官僚として特高警察や、警保局経済保安課課長、兵庫県警察部長を務めた。戦後はいわゆる「逆コース」に乗って復帰し、保安庁保安研修所、内閣国防会議事務局長などを歴任、叙勲された。
物部 薫郎(もののべ / ものべ くんろう、1901年(明治… 物部 薫郎(もののべ / ものべ くんろう、1901年(明治34年)2月1日 - 1977年(昭和52年)2月3日)は、日本の内務・厚生官僚。長野県知事。旧姓は平松。 岡山県川上郡湯野村(現在の高梁市備中町東油野)出身。平松瀧之助の三男として生まれ、同郡平川村、物部真一の養子となる。岡山県第一岡山中学校、第六高等学校を卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる。 以後、石川県学務課長、長野県学務部長、厚生書記官・失業対策部事業課長、同衛生局保健課長、内務省監査官、内務書記官・防空局企画課長兼整備課長、愛知県部長・経済部長などを経て、同県内務部長となる。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。
岡田 包義(おかだ かねよし、1900年 <明治33年> 4… 岡田 包義(おかだ かねよし、1900年 <明治33年> 4月19日 - 2000年 <平成12年> 7月6日)は、日本の内務官僚。徳島県知事、北海道庁長官。位階は正四位。 岡山県岡山市出身。岡田吟平の五男として生まれる。第六高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、内務省に入り東京府属となる。以後、社会局勤務、茨城県事務官、静岡県経済部長、和歌山県総務部長、長崎県総務部長、福岡県書記官・総務部長、同内政部長などを歴任。 1945年6月、徳島県知事に就任。1947年2月、官選最後の北海道庁長官に就任し、同年4月に退任。1950年6月、北海道開発庁が発足すると、初代次長(事務次官)に就任し、1953年1月に退官した。
篠山 千之(ささやま せんし / しのやま かずゆき、190… 篠山 千之(ささやま せんし / しのやま かずゆき、1900年〈明治33年〉2月28日 - 1976年〈昭和51年〉7月18日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 岡山県出身。篠山常太郎の六男として生まれる。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、内務省に入省し警視庁警部となる。 以後、内務属・地方局勤務、地方警視・新潟県警察部勤務、同県建築監督官、鳥取県書記官・経済部長、福岡県書記官・学務部長、新潟県書記官・警察部長、兵庫県書記官・警察部長、東京府内務部長などを歴任。
久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月… 久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月25日 - 1981年〈昭和56年〉9月4日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選秋田県知事。岡山県岡山市出身。 岡山県吉備郡大井村(現:岡山市)出身。久安平治郎の二男として生まれる。その後、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、地方警視として島根県警察部・神奈川県警察部・長崎県警察部・兵庫県警察部各勤務、警視庁警視として総監官房・特別高等部各勤務、宮城県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、宮城県内政部長などを歴任。
赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年〈明治32年〉9月14… 赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年〈明治32年〉9月14日 - 没年不明)は、昭和時代前期の逓信官僚。陸軍司政長官。 伊勢次郎の三男として岡山県に生まれる。旧制岡山中学、旧制六高を経て、1924年(大正13年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業する。逓信省に奉職し、同省経理局主計課勤務、釧路郵便局長、中央電話局府加入課長、札幌逓信局規画課長、広島逓信局監督課長、地方海員審判所審判官、東京地方逓信局海事部長、東京都市逓信局監督課長、中央航空研究所総務部長、貯金局総務課長、逓信書記官・逓信官吏練習所長を経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政長官に就任した。1944年(昭和19年)8月、名古屋逓信局長に就任した。
松田 享爾(まつだ きょうじ、1897年(明治30年)- 1… 松田 享爾(まつだ きょうじ、1897年(明治30年)- 1927年(昭和2年)3月)は日本の内務官僚でありキリスト教伝道者。内村鑑三に影響を受け、その配下である黒崎幸吉に師事した。岡山県真庭市出身。 1897年(明治30年)岡山県真庭郡美川村(現:真庭市)に生まれる。兄に松田壽比古がいる。地元に近い旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ入学する。同期に、明治大学学長を務めた小出廉二、東京帝国大学教授で経済学の宇野学派を率いた宇野弘蔵、第一次日本共産党の西雅雄、関西大学法学部教授になる高木益郎がいた。彼らはお互いに、影響を与えあった。特に、社会評論誌『第三帝国』を定期購読し、校内で宇野と熱心に政治論を戦わせた。
藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年(明治29年)11月… 藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年(明治29年)11月20日 - 1983年(昭和58年)5月8日)は、日本の内務官僚。官選山梨・千葉・神奈川県知事。 岡山県岡山市西古松に藤原祐三郎の長男として生まれる。岡山中学、第六高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入り山口県属となり内務部農務課に配属。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、1922年(大正11年)6月富山県理事官・内務部学務課長、同県視学官、1925年(大正14年)5月京都府内務部地方課長、岐阜県学務部長などを歴任し、1931年12月、復興事務局書記官・経理課長に就任した。1932年4月、内務事務官・大臣官房都市計画課勤務となり、さらに、衛生局保健課長、大臣官房会計課長を務めた。
福本 柳一(ふくもと りゅういち、1896年(明治29年)8… 福本 柳一(ふくもと りゅういち、1896年(明治29年)8月10日 - 1991年(平成3年)2月1日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、全日本空輸副社長。位階は正四位。 農業・福本万右衛門の二男として岡山県上房郡川面村(現:高梁市)で生まれる。高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校を経て、1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1922年5月、司法官試補となり横浜地方裁判所に配属され、さらに東京地方裁判所で勤務する。 1923年11月、帝都復興院属に転じ、以後、神奈川県橘樹郡長、同県社会課・社会教育課・工場課・水産課・庶務課の各課長を経験し、福井県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、内務省社会局軍事扶助課長、厚生省書記官、内務省土木局道路課長、同警保局図書課長、情報局第四部長などを歴任した。
留岡 幸男(とめおか ゆきお、1894年4月16日 - 19… 留岡 幸男(とめおか ゆきお、1894年4月16日 - 1981年5月3日)は、日本の内務官僚、実業家。官選秋田県知事、警視総監、北海道庁長官。 岡山県高梁市出身。社会事業家・牧師、留岡幸助の三男として生まれる。早稲田中学、第二高等学校を経て、1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、兵庫県属となり内務部地方課に配属。以後、兵庫県加東郡長、石川県理事官兼警察部工場課長、同県視学官、京都府内務部庶務課長、栃木県書記官・学務部長、香川県書記官・警察部長、千葉県書記官・学務部長、新潟県書記官・警察部長、神奈川書記官・警察部長、警視庁警務部長、北海道庁部長・総務部長などを歴任。
土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月… 土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月6日 - 1978年(昭和53年)11月9日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。旧姓・八木。 岡山県西西条郡西苫田村上河原(現津山市上河原)出身。八木喜次郎の五男として生まれ、津山市一宮、叔父・土居弥之助の養子となる。津山中学校 、第六高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山口県属となる。 以後、山口県警視、1923年(大正12年)4月奈良県理事官、愛知県理事官、1927年(昭和2年)2月に欧米出張を命ぜられ1929年(昭和4年)1月に帰朝し、山口県学務部長、内務省社会局事務官、同書記官、岐阜県書記官・警察部長、青森県書記官・警察部長、宮崎県書記官・内務部長、福岡県書記官・経済部長、大阪府経済部長兼大阪府工業奨励館長などを歴任。
大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892… 大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892年(明治25年)5月4日 - 1968年(昭和43年)5月24日)は、日本の内務官僚、弁護士、政治家。衆議院議員(6期、自由民主党)。貴族院議員(勅選)、防衛庁長官(第2代)、内務大臣(第65代)。日本林業協会長、相模女子大学長。 防衛庁長官を務めた大村襄治は子。岳父は東大名誉教授本多静六。 岡山県津山市に生まれる。大村吉五郎の長男。 鹿児島高等農林学校卒業の後、1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学独法科卒業。同大学院修了。内務省に入省。土木局属。鹿児島県揖宿郡長、東京市主事、地方、復興局、内務、鉄道各事務官、内務書記官、長野、神奈川県知事となり、長野県知事を2度務め話題になった。
伊賀 良一(いが りょういち、1891年(明治24年)6月9… 伊賀 良一(いが りょういち、1891年(明治24年)6月9日 - 1967年(昭和42年)7月16日)は、日本の内務官僚。 岡山県西北条郡西苫田村大字総社(苫田郡西苫田村を経て現津山市総社)出身。1913年(大正2年)、日本大学法科を卒業し、さらに東京外国語学校英語科に学んだ。同年、高等文官試験に合格。鉄道院書記を経て、茨城県警察部長、宮城県警察部長、秋田県内務部長、埼玉県内務部長を歴任した。 退官後、1932年(昭和7年)から1934年(昭和10年)まで京都市助役を務めた。 1949年(昭和24年)歌舞伎座の建物としては、第4期(1950年12月竣工、1951年1月開場)、株式会社歌舞伎座設立時、事務長に就任。
山下 若松(やました わかまつ、1891年(明治24年)2月… 山下 若松(やました わかまつ、1891年(明治24年)2月6日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。屏東市長、台中市長。旧姓は川上。 川上勝右衛門の三男として岡山県岡山市に生まれ、のち山下全増の養子となる。岡山県商業学校、岡山県立高等簿記学校を経て、1912年に関西大学商業学科第2学年を修了する。この間、神戸税務監督局に勤めた。 台北庁税務吏を皮切りに、専売局書記、府秘書課統計主務を経て、1934年(昭和9年)5月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任。ついで1937年(昭和12年)11月、台北州文山郡守に転じ、1939年(昭和14年)4月、新竹州苗栗郡守、1940年(昭和15年)6月、台南州新豊郡守を歴任したのち、1941年(昭和16年)6月、屏東市長に就任し、さらに1943年(昭和18年)1月には台中市長となった。
半井 清(なからい きよし、1888年(明治21年)3月31… 半井 清(なからい きよし、1888年(明治21年)3月31日 - 1982年(昭和57年)9月3日)は、日本の内務官僚、政治家。官選府県知事、北海道庁長官、横浜市長。岡山県真庭市出身。位階は従三位。 岡山県真庭郡落合町(現:真庭市)出身。1888年(明治21年)衆議院議員・福井三郎の長男として生まれるが半井家を継いだ。第一高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、大阪府属となり内務部地方課に配属。その後、大阪府理事官、大阪府視学官、石川県理事官などを歴任。 1919年10月、朝鮮総督府に転じ学務局宗教課長に就任。
松本 学(まつもと がく / まなぶ、1886年(明治19年… 松本 学(まつもと がく / まなぶ、1886年(明治19年)11月20日(ただし、戸籍上は同年12月28日) - 1974年(昭和49年)3月27日)は、日本の内務官僚、政治家。旧姓は片岡(断絶した外祖父の松本家を再興した際に改姓した)。 岡山県出身。片岡房太の長男として生まれる。1910年、祖父松本礼造の跡を承け家督を相続した。 関西中学校、第六高等学校、東京帝国大学法科大学を経て、1911年に文官高等試験に合格して同年の大学卒業とともに内務省に入省する。愛媛県属。神社局長を経て1926年に静岡県知事に任ぜられる。1927年、立憲民政党系とみなされて、立憲政友会政権が行った地方官人事で鹿児島県知事に転任。
堀越 清六(ほりこし せいろく、旧姓:高田、1885年(明治… 堀越 清六(ほりこし せいろく、旧姓:高田、1885年(明治18年)11月6日 - 1975年(昭和50年)12月20日)は、日本の鉄道官僚であり、実業家でもある。鉄道省建設局長を務めた後、建設会社である間組(現:安藤・間)の社長代行となる。岡山県高梁市出身。 1885年(明治18年)、岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)の高田浦吉の四男として出生する。その後、地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1904年(明治37年)、旧制第六高等学校理科甲類へ進学する。1908年(明治41年)6月、同校を卒業し、同年、東京帝国大学工科大学へ進学する。1911年(明治44年)同大学土木工学科を卒業する。