弘中 正美(ひろなか まさよし、1948年 - )は、日本の… 弘中 正美(ひろなか まさよし、1948年 - )は、日本の臨床心理学者。山口県生まれ。弁護士の弘中惇一郎とは兄弟。
山口県:123人
弘中 正美(ひろなか まさよし、1948年 - )は、日本の… 弘中 正美(ひろなか まさよし、1948年 - )は、日本の臨床心理学者。山口県生まれ。弁護士の弘中惇一郎とは兄弟。
郡司 健(ぐんじ たけし、1947年3月10日 - )は、日… 郡司 健(ぐんじ たけし、1947年3月10日 - )は、日本の会計学者、大阪学院大学名誉教授。経営学博士。公認会計士試験委員を務めた(2006年12月–2010年2月)。日本会計研究学会。 山口県美祢市生まれ[要文献特定詳細情報]。1969年に北九州市立大学商学部経営学科を卒え、1971年神戸商科大学大学院経営学研究科会計学修士課程修了、金沢工業大学専任講師就任。1976年に近畿大学に転じ(専任講師)、1979年より大阪学院大学助教授就任、1985年同教授、企業情報学部長、経営学部長、商学研究科長を務めた。その後、同名誉教授。 1991年「企業情報会計の基礎とその展開」で神戸商科大学より経営学博士の学位を取得。
中野 新治(なかの しんじ、1947年(昭和22年)1月18… 中野 新治(なかの しんじ、1947年(昭和22年)1月18日 - )は、日本近代文学研究者、梅光学院大学特任教授。学校法人梅光学院第8代学院長(2010年(平成22年) - 2016年(平成28年))。山口県下関市生まれ。 関西学院大学文学部日本文学科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学(1978年(昭和53年))。文学修士(関西学院大学)。元・梅光学院大学学長、元・梅光学院中学校・高等学校学校長、前・梅光学院大学学院長。学校法人梅光学院学事顧問(2017年(平成29年)4月 - )。 主として宮沢賢治を研究。第5回宮沢賢治賞奨励賞を受賞(1995年(平成7年)) 日本キリスト教文学会役員、日本文藝學会理事、日本近代文学会会員、宮沢賢治学会会員、梅光学院大学日本文学会会員。
門屋 光昭(かどや みつあき、1946年5月13日 - 20… 門屋 光昭(かどや みつあき、1946年5月13日 - 2007年12月5日)は、日本の民俗学者。山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校、國學院大学文学研究科修士課程修了。宗教民俗学、民俗芸能史、東北文学専攻。岩手県立高校教諭(国語)、岩手県立博物館学芸員を経て、盛岡大学文学部助教授、教授、名誉教授。2001年から2005年まで文学部長。北上市鬼の館館長も務めた。2007年、膵臓癌のため死去。
三浦 典子(みうら のりこ、1946年 - )は、日本の社会… 三浦 典子(みうら のりこ、1946年 - )は、日本の社会学者。山口大学名誉教授。 専門は都市社会学、東アジア社会論。 山口県防府市生まれ。本姓・小谷。九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1992年「流動型社会の研究」で博士(文学)。山口大学助教授を経て、教授、2011年定年退任、名誉教授となる。
島 泰三(しま たいぞう、1946年 - )は、日本の動物学… 島 泰三(しま たいぞう、1946年 - )は、日本の動物学者、類人猿学者。 山口県下関市出身。自身の著書では生家は鮮魚商で、店は彦島にあったと記している。山口県立下関西高等学校を経て東京大学に進学。理学部人類学教室に在籍。学生運動に関わり、1968年の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争に参加している。1969年の東大安田講堂事件に際しては、学部生の「本郷学生隊長」として参加。逮捕されて懲役2年の判決を受ける。京都大学で理学博士号を取得。 霊長類の研究を専門とし、「房総自然博物館」(野生のニホンザル研究のために千葉県内に設けられた施設)2代目館長や雑誌『にほんざる』編集長などを歴任。2002年以来、NGO日本アイアイ・ファンド代表としてマダガスカル北西部の「アンジアマンギラーナ監視森林」を保護・観察している。
吉見 義明 (よしみ よしあき、1946年 - )は、日本の… 吉見 義明 (よしみ よしあき、1946年 - )は、日本の歴史学者、中央大学商学部名誉教授。専攻は日本近現代史。日本の戦争責任資料センター共同代表。所属学会は日本史研究会(1977-)、歴史学研究会(1976-)など。山口県出身。
桑原 誠(くわばら まこと、1945年10月12日 - 20… 桑原 誠(くわばら まこと、1945年10月12日 - 2020年9月11日)は、日本の化学者、工学者。専門は無機材料科学(電子セラミックス)。1973年3月 東京大学大学院工学系研究科工業化学専攻博士課程修了。工学博士(東京大学)。長男は社会学者の桑原司。1982年、市村賞貢献賞(学術の部)受賞。叙正四位、瑞宝中綬章受章。 『岩波講座 現代工学の基礎 14 人工物の構造と特性 《設計系I》・無機材料 《材料系V》』岩波書店(2002年)〔共著〕。ISBN 4-00-010994-4
清水 巖(しみず いわお、1945年8月30日 - )は、日… 清水 巖(しみず いわお、1945年8月30日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・消費者法。九州大学名誉教授。消費者問題研究者。社会活動家。 山口県山口市に生まれる。山口県立山口高等学校を経て、1968年に大阪大学法学部を卒業。引き続き同大学院法学研究科に進み、修士課程を修了後、博士課程在学中に文部教官に採用されて退学する。 滋賀大学経済学部助教授を経て、1983年に教授に昇進(学部および大学院経済学研究科で商法を担当)。 1993年に九州大学法学部教授(大学制度改革により九州大学大学院法学研究院教授)に転任。その後、法科大学院制度の発足により、同大学法科大学院教授を兼任した。九州大学では法学部および大学院法学府博士課程で商法及び消費者法を、大学院法務学府(法科大学院)で消費者法を担当した。
横山 宏章(よこやま ひろあき、1944年4月21日 - )… 横山 宏章(よこやま ひろあき、1944年4月21日 - )は、日本の政治学者、歴史学者、北九州市立大学名誉教授。専門は、中華民国政治史、近代長崎県史。 明治学院大学法学部長、南京大学客員教授、財団法人国際東アジア研究センター理事、北九州市立大学アジア文化社会研究センター長を歴任。 山口県下関市生まれ、1969年一橋大学法学部卒業、朝日新聞社記者を経て、1978年一橋大学大学院法学研究科博士課程退学。1982年「孫中山の革命と政治指導」で法学博士(一橋大学)。 1978年明治学院大学法学部専任講師、1981年同助教授、1988年同教授、法学部長、1999年県立長崎シーボルト大学国際情報学部教授、国際情報学部長、2005年北九州市立大学社会システム研究科教授。
陽 捷行(みなみ かつゆき、1943年〈昭和18年〉6月8日… 陽 捷行(みなみ かつゆき、1943年〈昭和18年〉6月8日 - )は、日本の農林水産技官、農学博士。農林水産省農業環境技術研究所所長、農業環境技術研究所理事長、北里大学副学長、アイオワ州立大学客員教授等を歴任した。公益財団法人 農業・環境・健康研究所副理事長。 山口県萩市生まれ。1966年静岡大学農学部(農芸化学)卒業。1971年東北大学大学院農学研究科博士課程修了、農林省入省、東海近畿農業試験場配属。1977年アイオワ州立大学客員教授。1987年農林水産省農業環境技術研究所影響調査研究室長。1990年(平成2年)農林水産省農業環境技術研究所資源生態管理科長。1994年国際農林水産業研究所環境資源部長。
浅野 茂隆(あさの しげたか、1943年2月7日 - 202… 浅野 茂隆(あさの しげたか、1943年2月7日 - 2020年8月12日)は、日本の医学者。東京大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。血液内科、遺伝子治療研究の第一人者。医学博士(東京大学、1978年)。 宇部興産(現:UBE)初代社長であった俵田明は母方の祖父。宇部興産専務取締役・富士車輌社長であった浅野正敏は父。宇部興産専務執行役員であった浅野正之は兄。山口県宇部市出身。叙従四位。
岩本 晋(いわもと すすむ、1943年1月14日 - )は、… 岩本 晋(いわもと すすむ、1943年1月14日 - )は、日本の医学博士、大学教授である。山口県岩国市周東町出身。山口県山口市在住。米国ミシガン州立大学大学院修了。(山口大学医学部公衆衛生学講座にて医学博士取得。)
作花 一志(さっか かずゆき、1943年 - )は、日本の計… 作花 一志(さっか かずゆき、1943年 - )は、日本の計算天文学者、京都情報大学院大学教授。 山口県立宇部高等学校卒業。京都大学理学部に進み、宇宙物理学を学ぶ。専攻を決めたのは2年のときであったが、もともと天文学への関心は、少年期に読んだ野尻抱影の本に遡るものであった。1967年、京都大学理学部卒業。1974年、京都大学大学院博士課程修了(宇宙物理学専攻),理学博士。京都コンピュータ学院鴨川校校長を経て、京都情報大学院大学教授。日本天文教育普及研究会編集委員長(2004年 - )。NPO花山星空ネットワーク理事として天文普及活動を行っている(2007年 - )
岩政 輝男(いわまさ てるお、1942年(昭和17年)2月2… 岩政 輝男(いわまさ てるお、1942年(昭和17年)2月25日 - 2019年(令和元年)6月8日)は、日本の医学者。琉球大学第15代学長。専門は病理学。 1942年(昭和17年)2月25日、山口県下関市出身。1966年(昭和41年)4月に熊本大学医学部を卒業。1972年(昭和47年)に医学博士号を取得し、1976年(昭和51年)11月に熊本大学医学部助教授となる。 1984年(昭和59年)4月に琉球大学医学部教授に着任。2000年(平成12年)4月から医学部長、2005年(平成17年6月)から副学長、財務・施設・医療担当理事を歴任した後、2007年(平成19年)6月から2013年(平成25年)まで琉球大学第15代学長を務めた。
本庶 佑(ほんじょ たすく、1942年〈昭和17年〉1月27… 本庶 佑(ほんじょ たすく、1942年〈昭和17年〉1月27日 - )は、日本の医師、医学者(医化学・分子免疫学)。学位は医学博士(京都大学・1975年)。学位論文は「アミノアシルトランスフェラーゼIIのADPリボシル化とジフテリア毒素による蛋白質合成の阻害―Adenosine diphosphate ribosylation of aminoacyl transferase 2 and inhibition of protein synthesis by diphtheria toxin」。京都大学名誉教授・高等研究院副研究院長・特別教授、京都大学がん免疫総合研究センター初代センター長、静岡県公立大学法人顧問、ふじのくに地域医療支援センター理事長、公益財団法人神戸医療産業都市推進機構理事長、お茶の水女子大学学長特別招聘教授。
田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本… 田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。同朋大学大学院人間福祉研究科客員教授。名古屋大学名誉教授。教育学博士(京都大学・1971年)。元名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校校長。専門は、心理臨床学・発達援助臨床学。山口県光市生まれ。
益田 隆司(ますだ たかし、1939年 - )は、日本のコン… 益田 隆司(ますだ たかし、1939年 - )は、日本のコンピュータ科学者。山口県萩市出身。 1963年東京大学工学部応用物理学科卒業、1965年同修士課程修了。1965年日立製作所中央研究所に勤務、オペレーティングシステム、計算機システムの性能評価などの研究に従事。 1973年日立製作所システム開発研究所。 1977年東京大学工学博士、論文の題は「仮想メモリ方式による計算機システムの解析と評価に関する研究」。 1977年筑波大学第3学群開設と同時に情報学類担当教官として筑波大学に勤務。電子・情報工学系に所属。1988年東京大学理学部情報科学科教授、1995年理学部長、理学系研究科長。2000年電気通信大学教授、2002年電気通信学部長、2004年電気通信大学長、2008年同大学退職。
茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は… 茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は陸上自衛官、拓殖大学名誉教授。専門は、中国の安全保障。山口県出身。
田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日… 田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日本の歴史学者、日本史研究者、静岡大学名誉教授。
木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、… 木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、日本の法学者(英米法)、弁護士(第一東京弁護士会)。法学博士(東京大学・課程博士・1971年)。 山口県下関市出身。伊藤正己に師事。 大木雅夫から盗作を指摘され、中央大学から調査を受けたが、著作権法違反とは断定できないが、引用先を明示していない個所が多数あり、学者として倫理上問題があったとして、2004年に職務停止3か月の懲戒処分を受けた。問題となった著書は『比較法文化論』と『アメリカ法入門・総論』の2冊。
豊田 博(とよだ ひろし、1933年10月14日 - )は日… 豊田 博(とよだ ひろし、1933年10月14日 - )は日本の体育学者。 山口県出身。山口県立光高等学校から1957年に日本体育大学を卒業。東京大学教養学部助手、講師を経て同学部助教授。のちに千葉大学教養学部に転じ同学部教授。退官後は名誉教授。 学生時代はバレーボール選手で、教員となったのちもバレーボール選手の体力面における科学的な研究や指導方法の研究を行い、1964年の東京オリンピックでは強化コーチを務めた。発表した書籍、論文多数。 バレーボール球界では、日本バレーボール協会常任理事、専務理事を歴任。国際バレーボール連盟の副会長、技術コーチ委員長、公認コーチ指導委員なども歴任した。その著書「ジュニアバレー・コーチングマニュアル」の推薦のことばとして、日本小学生バレーボール連盟会長は「日本の小学生・中学生バレーの育ての親」と最大級の賛辞を送っている。
伊藤敬一(いとう けいいち、1933年〈昭和8年〉 - )は… 伊藤敬一(いとう けいいち、1933年〈昭和8年〉 - )は、日本の薬学者。薬学博士(東京大学)。北海道薬科大学名誉教授、元北海道薬科大学学長。山口県出身
秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日… 秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の歴史家、元大蔵官僚。自身の専門は日本近現代史、軍事史とする。拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授を歴任。学位は、法学博士(東京大学・1974年)。 山口県防府市生まれ。父は広島県広島市の出身で、小学生までは郁彦の本籍地も広島の爆心地にあった。このため自身は広島出身でもあると述べている。父は鉄道省の技術官吏で、九州の宮崎県、出水(鹿児島県)、若松(福岡県北九州市)の順で機関区長をしたため、小学校を5回転校。太平洋戦争中に広島市に引っ越し、原爆投下の一年前に母の実家がある山口県防府市に移った。父は戦時中に陸軍司政官としてフィリピン北部のカガヤン州における鉄道建設に従事して終戦の1か月前に戦死した。
杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2… 杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2022年2月11日 )は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。 山口市出身。1961年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、79年「現代帝国主義の基本構造」で経済学博士。京都大学経済研究所助教授、教授、88-90年所長を務める。95年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。門下に有賀敏之がいる。
神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 199… 神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 1996年4月18日)は、日本の美術史家。上智大学名誉教授。専攻は16世紀のバロック期(スペイン黄金時代美術)からパブロ・ピカソに至るスペイン美術史。 山口県下関市長府町生まれ。浦和市(現さいたま市)に転居し、1948年(昭和23年)埼玉県立浦和高等学校を卒業、1956年上智大学経済学部を卒業。在学中に聖イグナチオ教会で受洗し、カトリック信者となる。同年から1959年までスペイン政府給費留学生としてマドリード・コンプルテンセ大学に留学、1965年に上智大学外国語学部助教授、1969年に教授。1970年にスペインの芸術文化勲章である「賢王アルフォンソ十世章」を受章。
八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本… 八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本の歴史学者、山口大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・1967年)。 山口県防府市生まれ。1954年山口大学文理学部国史学専攻卒、1959年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1967年「律令国家成立過程の研究」で京大文学博士となる。1959年山口大学文理学部助手、1961年同大講師、1966年に同大助教授、1974年に同大教授、1978年に同大人文学部教授、1985年から1991年まで同大学部長。1993年同大を定年退官、名誉教授となる。その後、奈良産業大学教授、京都学園大学人間文化学部教授を務め、2003年に退職した。
西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7… 西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7日 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、ニュースキャスター、大学教授。 山口県下関市出身。京都府立洛北高等学校→同志社大学文学部英文科卒業後、1953年に中日新聞社(当時は「中部日本新聞社」)に入社。当初は社会部記者として活動するが、後にカイロ、ワシントンD.C.特派員記者、東京本社(東京新聞)国会担当記者を歴任。1976年から名古屋本社文化部長を務めた。 1978年、東海テレビ放送が「イブニングニュース」シリーズ (630→600) をスタートさせると、中日新聞社が東海テレビのニュース制作に現在に至るまで協力している関係から初代メインキャスターに抜擢される。
堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学… 堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部名誉教授。尚美学園大学元学長。政策研究フォーラム名誉顧問。専門は政治学。
湯浅 赳男(ゆあさ たけお、1930年7月4日 - 2019… 湯浅 赳男(ゆあさ たけお、1930年7月4日 - 2019年8月4日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。比較文明史、環境経済学、経済人類学、コミュニティ論など。 山口県岩国市生まれ。1953年東京大学文学部仏文学科卒業、サラリーマンとなるが約9年後に大学院に入り、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。新潟大学人文学部助教授、経済学部教授。96年定年退官、名誉教授、常磐大学コミュニティ振興学部教授を経て客員教授。 2016年4月に瑞宝中綬章を受章した。 [増補新版]『世界史の想像力-文明の歴史人類学をめざして』/新評論1996
西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8… 西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、評論家、大学教授。
国広 哲弥(くにひろ てつや、1929年7月23日 - 20… 国広 哲弥(くにひろ てつや、1929年7月23日 - 2022年2月6日)は、日本の言語学者、東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。 1929年、山口県宇部市生まれ。旧制宇部中学校を卒業し、1947年に旧制山口高校文科甲類に入学。1950年、東京大学文学部言語学科に進んで1954年に卒業。 卒業後は、山口県立萩高等学校の英語教員となった。1959年10月、島根大学文理学部英語英文学科の講師となり、英語学を講じた。1964年、助教授に昇進。1967年、茨城大学教育学部助教授に就任。さらに翌1968年、母校の東京大学文学部言語学科助教授となった。1974年から1975年まで、フルブライト上級研究員としてコーネル大学日本語学科に滞在。
瀧本 敦(滝本 敦、たきもと あつし、1927年4月9日 -… 瀧本 敦(滝本 敦、たきもと あつし、1927年4月9日 - )は、日本の植物学者、京都大学名誉教授。 山口県岩国市出身。1950年京都大学農学部農林生物学科卒、同大学院中退、1961年「短日植物の花芽形成を支配する光条件」で農学博士。京大農学部助手、講師、助教授を経て、1967年教授、1991年定年退官、名誉教授となる。日本植物学会・日本植物生理学会名誉会員。日本植物生理学会功績賞を受賞。花を咲かせる開化ホルモンを研究した。
土井 輝生(どい てるお、1926年9月2日 - 2018年… 土井 輝生(どい てるお、1926年9月2日 - 2018年9月8日)は、日本の法学者。専門は、著作権法・商標法・知的財産権法。早稲田大学名誉教授。弁護士。武具甲冑研究家。 1926年9月2日福岡県門司市にて出生。幼少期を山口県で過ごす。1943年、旧制山口県立防府中学校4年時に陸軍士官学校に合格し、陸士59期に飛び級入学。1944年より航空士官学校にて航空通信部隊に所属。1945年終戦により士官学校より復員。米軍基地で働きながら法政大学通信科に通う。米軍基地での勤務を通じて英語の重要性を痛感し、働きながら独学で英語を習得。 1952年早稲田大学大学院法学研究科に入学。1954年修士課程修了。同年フルブライト奨学生としてミシシッピ大学ロースクールに留学。
山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 20… 山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 2024年6月17日)は、日本の評論家・哲学者。 1925年、山口県下関市生まれ。幼少期を下関、稚内、金沢、函館で過ごした。水戸高等学校で学び、1946年に京都帝国大学文学部哲学科に入学した。 卒業後は北海道第二師範学校助教授となった。東京大学出版会編集者などを務め、1959年より評論活動に入る。1962年「思想の科学」編集長。1965年には『危険な思想家』を出版。桃山学院大学教授を経て、1977年から1995年まで関東学院大学教授を務めた。1977年には作家の中山千夏らと革新自由連合を結成した。 1989年頃には神奈川県藤沢市辻堂に住んだ。
小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - … 小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - 2010年5月21日)は、古筆学者、美術史学者。 1925年、山口県岩国市で生まれた。1938年、広島の旧制崇徳中学校(現崇徳高等学校)に進学し、1942年、旧制山口県立柳井中学校(現山口県立柳井高等学校)を卒業。国鉄マンであった父に従い広島鉄道局に勤務。1945年8月6日、爆心地から1.7キロ、広島駅近くの庁舎内にて被爆。戦後も国鉄、次いで広島陸運局で働きながら、「平家納経」の美に魅せられ、その研究に邁進。26歳の時に、学術書としても優れた厳島観光案内書『いつくしま』を出版した。 1951年、運輸省自動車局への転勤にともない上京。私淑していた源氏学者池田亀鑑のもとで、学問への姿勢と研究方法を身に付けた。
岡藤 五郎(おかふじ ごろう、1924年9月30日 - 19… 岡藤 五郎(おかふじ ごろう、1924年9月30日 - 1978年7月20日)は、日本の古生物学者。山口県美祢市伊佐町出身。 秋吉台の哺乳動物の化石研究、大嶺炭田の三畳紀の植物化石、秋吉台の洞穴動物の研究等を行う。ニホンオオツノシカなど哺乳類を中心に化石約20万点を採集し、その多くは美祢市歴史民俗資料館等に保存されている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
藤田 富雄(ふじた とみお、1923年11月10日 - 20… 藤田 富雄(ふじた とみお、1923年11月10日 - 2010年2月2日)は、日本の宗教学者、宗教哲学者。立教大学名誉教授。 1923年、山口県光市生まれ。1949年に東京大学文学部宗教学科を卒業し、1954年に東京大学大学院を修了した。立教高校で教諭を務め、1957年に『現代の意識 ヘーゲルを超えるもの』を村山書店から出版した。翌1958年、この作品によって日本宗教学会の姉崎記念賞を受賞した。 1959年から立教大学講師、1961年から助教授、1968年から教授を務めた。1976年から1986年まで立教大学ラテン・アメリカ研究所長を務めた。その後、神奈川大学教授を務めた。日本宗教学会、日本ラテンアメリカ学会、比較思想学会に所属した。
水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 199… 水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 1996年4月8日)は、日本の地理学者。人文地理学を専攻。伝統的地理学と計量革命後の計量地理学の止揚を目指し、「位相地理学」を提唱した。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1971年)。京都大学名誉教授。奈良大学元学長。 1923年山口県山口市生まれ。山口県立山口中学校(山口県立山口高等学校の前身)、旧制山口高等学校(現・山口大学)文科甲類卒業、1942年10月に京都帝国大学文学部史学科に進学するも、学徒出陣により兵役に従う。後に復員、復学。1946年9月に同大学を卒業。その後は特別研究生として大学院に進学。 1952年大阪市立大学講師、同大学助教授を経て、1959年に京都大学文学部助教授に就任(1966年から1967年まで、在外研究でヨーロッパに赴き、ドイツ、スウェーデンに滞在)。
粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 19… 粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 1995年5月11日)は、日本の教育者、医学者。山口大学第7代目学長。医学博士(1956年、京都大学にて取得)。 山口県宇部市出身。1943年、九州帝国大学附属医学専門部卒業。1955年、山口県立医科大学(現:山口大学医学部)解剖学教室にて「核酸と形質細胞反應」(共著)を著す。1956年、京都大学にて「卵アルブミン刺戟に対するリンパ系の反応様式:特にリンパ球造血における二次小節の役割について」で医学博士となる。1965年より山口大学医学部教授、1977年から1981年まで医学部長。1984年同大学第7代目学長に就任(1990年まで)。1990年より宇部短期大学学長。
桜井 光堂(さくらい こうどう、1915年11月23日 - … 桜井 光堂(さくらい こうどう、1915年11月23日 - 没年不明)は、日本の国際法学者、駒澤大学名誉教授。 山口県宇部市生まれ。旧制松江高等学校を経て1941年東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院に進む。1942年同法学部政治学科に入学し1944年卒業、1946年東北大学法学博士。 1953年九州大学助手、1955年北九州大学商学部助教授、1958年麗澤短期大学助教授、1961年国士舘大学政経学部助教授、1964年教授、1966年駒澤大学法学部教授、1992年定年退職。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 20… 平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)は、日本の天然物化学者。名古屋大学名誉教授。 1915年、山口県山口市生まれ。山口高等学校理科甲類を卒業し、1938年に東京帝国大学理学部化学科に入学。1941年に卒業した。卒業研究および同大学大学院においては、有機化学の久保田勉之助教授(ポール・サバティエ門下)の下で黄変米の有毒成分を研究した。 1943年より、母校である東京帝国大学助手になる。1944年1月、名古屋帝国大学に理学部講師として着任し、6月には助教授に就任。太平洋戦争中の戦時下では、研究室疎開先の長野県上田市で江上不二夫の指導の下、乏しい物資の中で研究に当たった。
木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2… 木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2006年4月3日)は、日本の植物学者・科学史家。東京大学名誉教授。 1912年、山口県山口市生まれ。旧制長崎中学、旧制山口高校を経て、東京帝国大学理学部に進んだ。大学では中井猛之進に師事。卒業後の1938年、東京帝国大学副手に着任。1939年、同大学助手に昇進。1944年、学位論文『おとぎりそう科ノ研究』を提出して理学博士号を取得。 太平洋戦争後の1949年より、東京大学教養学部生物学科助教授。1960年に同教授に昇進。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中央大学教授として教鞭をとった。学界では、日本植物分類学会の創設に尽力し、1977年から1980年まで会長を務めた。
日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉1… 日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉10月4日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本の医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。 京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長、英知大学客員教授などを歴任した。 京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、ハーバード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任した。
松井 魁(まつい いさお、1910年12月30日 - 198… 松井 魁(まつい いさお、1910年12月30日 - 1987年8月19日)は、日本の魚類学者。 山口県新南陽市(現・周南市)生まれ。1934年水産講習所(現・東京海洋大学)増殖学科卒。水産講習所助教授、1946年第二水産講習所教授、1952年「日本産鰻の形態及び生態に関する研究」で京都大学理学博士、下関水産科学賞受賞、水産学会賞、1953年小野臨湖実験場長、1954年日本農学会賞受賞、1971年水産大学校長、1975年下関水族館顧問。1976年宇部短期大学学長。1983年勲三等旭日中綬章受勲、主として鰻を研究し、随筆も書いた。
国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2… 国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2002年以前)は、日本の経営学者。 山口県柳井市生まれ。1934年東京商科大学卒業。増地庸治郎の指導を受けた。1940年東京外国語学校教授、1952年旧・東京都立大学教授、1961年東北大学経済学部教授、1961年「収支分岐点」で東北大学経済学博士。1974年定年退官、名誉教授、専修大学教授。81年退職。
於保 不二雄(おほ ふじお、1908年(明治41年)1月22… 於保 不二雄(おほ ふじお、1908年(明治41年)1月22日 - 1996年(平成8年)1月14日)は、日本の法学者。専門は民法。京都大学名誉教授。学位は、法学博士(京都大学・1955年)。山口県下関市出身。弟子に奥田昌道など。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 19… 宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本の民俗学者・農村指導者・社会教育家。 山口県屋代島(周防大島)生まれ。大阪府立天王寺師範学校(現在は大阪教育大学)専攻科地理学専攻卒業 。 柳田國男を読み、民俗学徒として立つ決心をする。その後渋沢敬三に誘われてアチック・ミューゼアムに入り、本格的に民俗学の研究を行うようになった。 1930年代から病没する直前まで、生涯に渡り日本各地をフィールドワーク(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)を行い、膨大な記録を残した。宮本が残した調査記録の相当部分は別集も含め、長年にわたり刊行した『宮本常一著作集』(未來社)で把握できるが、未収録の記録も少なくない[要出典]。
中島 正信(なかしま しょうしん、1902年(明治35年)2… 中島 正信(なかしま しょうしん、1902年(明治35年)2月12日 - 1973年(昭和48年)7月25日)は、早稲田大学名誉教授、早稲田精神昻揚会会長、早稲田船上大学研究会会長、早稲田大学新聞会会長。専攻は商業英語、国際経済論、世界経済論。 1902年2月12日、山口県豊浦郡神玉村に生まれる。 山口県立豊浦中学校、早稲田大学第一高等学院文科を経て、1923年4月に早稲田大学商学部に入学する。1926年3月に卒業後、東京材木輸入協会に入り、貿易実務に従事する。 1930年4月から早稲田大学商学部助手となり、同年7月からアメリカ合衆国のコロンビア大学へ留学する。 1937年4月から早稲田大学専門部商科教授、1941年4月早稲田大学商学部教授となる。
町野 碩夫(まちの せきお、1899年10月15日 - 19… 町野 碩夫(まちの せきお、1899年10月15日 - 1971年2月6日)は、日本の産婦人科学者、鹿児島大学長。 山口県下関市豊田町大河内百合野出身。三豊小学校、旧制豊浦中学校、山口高等学校を経て九州帝国大学医学部卒業。1934年九州大学医学博士。論文の題は「子宮筋腫に対する硬レ線作用の臨床的並に組織化学的研究」 九州帝国大学助教授、鹿児島県立病院産婦人科部長を経て、1943年鹿児島医専教授。県立鹿児島医科大学創立と同大の国立移管につくした。1951年-55年県立鹿児島医科大学学長・医学部長。1968年-1969年鹿児島大学長。正心女子短期大学学長も務めた。