八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本… 八木 充(やぎ あつる、1931年9月11日 - )は、日本の歴史学者、山口大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・1967年)。 山口県防府市生まれ。1954年山口大学文理学部国史学専攻卒、1959年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1967年「律令国家成立過程の研究」で京大文学博士となる。1959年山口大学文理学部助手、1961年同大講師、1966年に同大助教授、1974年に同大教授、1978年に同大人文学部教授、1985年から1991年まで同大学部長。1993年同大を定年退官、名誉教授となる。その後、奈良産業大学教授、京都学園大学人間文化学部教授を務め、2003年に退職した。
西山 太吉(にしやま たきち、1931年〈昭和6年〉9月10… 西山 太吉(にしやま たきち、1931年〈昭和6年〉9月10日 - 2023年〈令和5年〉2月24日)は、日本のジャーナリスト、政治活動家。西山事件で知られる。 山口県下関市出身。生家の西山青果はバナナなどの輸入を手掛ける地元の有力企業であり、読売新聞政治部記者として接点のあった渡邉恒雄によれば「ちょっとした地方財閥」というほどの資産家の子息であった。山口県立下関西高等学校、慶應義塾大学法学部を経て、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程を修了後、毎日新聞社に入社。政治部記者に配属。 1971年、沖縄返還時の日米間の密約について、既婚者である外務省女性事務官と男女関係をもった上で情報を入手し、その情報を国会議員の横路孝弘と楢崎弥之助に提供。
椙本 勝(すぎもと まさる、1931年7月1日 - )は、山… 椙本 勝(すぎもと まさる、1931年7月1日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、外野手。 萩北高校では、速球とドロップを武器に、エースとして1950年春の選抜に出場。1回戦で八幡高のエース渡辺雅人(法大-三重交通)に抑えられ敗退。八幡高には松永怜一、森下正夫がいた。 1951年に松竹ロビンスへ入団。1952年には開幕から先発陣の一角として起用され、4勝を挙げる。しかし同年には6ボークを記録、これは2003年に広島東洋カープのクリス・ブロックが更新するまでセ・リーグのシーズン記録だった(2007年に阪神タイガースのエステバン・ジャンがブロックの記録を更新したので椙本の記録は現在リーグ3位)。
國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 200… 國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 2002年10月21日)は、日本の脚本家。中華民国吉林省長春県(現:中華人民共和国吉林省長春市)生れ。出版している本や、脚本家としての映画などでは「国弘」と表記されているが、本名は「國弘」の表記である。 中学途中まで満洲で育ち、戦後父の郷里の山口県に引き揚げる。少年時代から映画好きだったことから、脚本家を志すようになる。山口県立柳井高等学校中退後、公務員となるが後に上京、雑誌社・東芝労組書記局などに勤務しながら投稿を続ける。 1957年に日本シナリオ作家協会主催のコンクールで1位となり、同年同協会主宰のシナリオ研修所に入所。修了後橋本忍門下となり、1959年に橋本との共作『空港の魔女』(東映・佐伯清監督)でデビュー。
藤井 忠俊(ふじい ただとし、1931年4月25日 - 20… 藤井 忠俊(ふじい ただとし、1931年4月25日 - 2018年1月24日)は、日本近代史研究家。 山口県山口市生まれ。早稲田大学法学部卒。専攻は日本近現代史・民衆史。『季刊現代史』主宰、駿河台大学講師などを務めた。妻は松本清張記念館名誉館長の藤井康栄。 2018年1月24日午前10時35分、急性心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931… 広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931年(昭和6年)4月9日 - )は日本の数学者。ハーバード大学元教授。京都大学数理解析研究所元所長。日本人で2人目のフィールズ賞受賞者である。専門は代数幾何学で、フィールズ賞受賞対象の研究は「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」。日本学士院会員。
西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7… 西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7日 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、ニュースキャスター、大学教授。 山口県下関市出身。京都府立洛北高等学校→同志社大学文学部英文科卒業後、1953年に中日新聞社(当時は「中部日本新聞社」)に入社。当初は社会部記者として活動するが、後にカイロ、ワシントンD.C.特派員記者、東京本社(東京新聞)国会担当記者を歴任。1976年から名古屋本社文化部長を務めた。 1978年、東海テレビ放送が「イブニングニュース」シリーズ (630→600) をスタートさせると、中日新聞社が東海テレビのニュース制作に現在に至るまで協力している関係から初代メインキャスターに抜擢される。
吉井 光照(よしい みつてる、1931年1月4日 - 201… 吉井 光照(よしい みつてる、1931年1月4日 - 2017年1月18日)日本の政治家。山口県防府市出身。山口県立防府高等学校卒業。元衆議院議員(4期)。 党派を超えた人気があり、今も「山口県の公明党を築いた立役者」の評価を受ける[要出典]。
藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、… 藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の実業家、技術コンサルタントである。元宇部興産(現・UBE)専務取締役。 1931年(昭和6年)、山口県宇部市に生まれる。 終戦間近の1944年(昭和19年)、広島県広島市の広島陸軍幼年学校へ入校するが、翌1945年(昭和20年)6月に阿南惟幾陸軍大臣(当時)の命を受けて広島から疎開し、2ヶ月後の広島市への原子爆弾投下による被爆を免れた。藤野はこれを「お前たちは敗戦後の日本の復興に努力せよ」との遺言と受け止めている。 終戦後、九州大学工学部機械工学科へ進学し、1953年(昭和28年)に卒業。同年宇部興産に入社し、同社機械部門に配属される。
堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学… 堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部名誉教授。尚美学園大学元学長。政策研究フォーラム名誉顧問。専門は政治学。
引地 信之(ひきち のぶゆき、1930年11月3日 - 19… 引地 信之(ひきち のぶゆき、1930年11月3日 - 1999年6月23日)は、山口県出身のプロ野球選手。
津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 20… 津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 2013年7月24日 )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 山口県山口市出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三越に入社。1981年2月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年5月に専務を経て、1995年5月に社長に就任。1998年1月取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 20… 松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 2023年5月25日)は、日本の経営者である。日立金属元社長。 山口県防府市出身。旧制防府中学校(現・山口県立防府高等学校)を卒業。山口大学経済学部卒業(第一期生)後、日立金属に入社。その後、同社の2代目代表取締役社長に就任。 1990年に藍綬褒章、2001年に勲三等旭日中綬章を受章。 2023年5月25日、脳梗塞のため死去。92歳没。
村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は… 村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本文化史。国際日本文化研究センター・滋賀県立大学名誉教授、財団法人京都市芸術文化協会顧問、元京都市美術館館長。 1930年、山口県生まれ。1953年に京都大学文学部史学科を卒業。同大学院に学び、1958年博士課程を中退。 1958年に京都女子大学助教授となり、1966年に教授昇格。1964年、学位論文『律令国家解体過程の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1987年に設立された国際日本文化研究センター教授となり、1995年には定年退官し、名誉教授となった。その後も滋賀県立大学教授、京都市歴史資料館館長を兼ねた。
湯浅 赳男(ゆあさ たけお、1930年7月4日 - 2019… 湯浅 赳男(ゆあさ たけお、1930年7月4日 - 2019年8月4日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。比較文明史、環境経済学、経済人類学、コミュニティ論など。 山口県岩国市生まれ。1953年東京大学文学部仏文学科卒業、サラリーマンとなるが約9年後に大学院に入り、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。新潟大学人文学部助教授、経済学部教授。96年定年退官、名誉教授、常磐大学コミュニティ振興学部教授を経て客員教授。 2016年4月に瑞宝中綬章を受章した。 [増補新版]『世界史の想像力-文明の歴史人類学をめざして』/新評論1996
二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日… 二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年〈昭和5年〉7月1日 - 2019年〈令和元年〉7月27日)は、山口県宇部市出身の教育者・政治家。学校法人宇部学園学園長。元参議院議員、元科学技術政務次官、元山口県宇部市長。 1930年(昭和5年)7月1日、山口県宇部市で二木謙吾の次男として生まれる。山口県立宇部高等学校を経て山口大学工学部を卒業したのち、学校法人宇部学園で勤務。 1977年(昭和52年)、宇部曹達工業労働組合(現・セントラル硝子労働組合)等からなる「明日の宇部市をよくする会」や宇部市議会保守系議員団から宇部市長選挙への立候補要請を、また、当時の宇部市長である新田圭二からも後継指名を受け、二木は同年2月28日に同市長選挙への立候補を表明した。
井川 成正(いがわ しげまさ、1930年(昭和5年)3月21… 井川 成正(いがわ しげまさ、1930年(昭和5年)3月21日 - 2021年(令和3年)12月26日)は、日本の政治家。山口県下松市長を4期16年務めた。山口県下松市出身。 久保尋常高等小学校(現:下松市立久保小学校)卒業。 日立製作所笠戸工場に就職し、後に同社関連会社の清和工業株式会社を設立して代表取締役社長(市長当選後は取締役会長)に就任。 学校法人妹背学園理事長として市内の幼稚園3園を経営している。 退任時点で86歳であり、現役の市長としては全国で最高齢であった。山口県市長会会長を歴任した。 2016年11月、旭日中綬章を受章。 2021年12月26日9時22分、心不全のため、山口県周南市の病院で死去。
河村 五良(かわむら ごりょう、1930年1月17日 - 1… 河村 五良(かわむら ごりょう、1930年1月17日 - 1991年1月23日)は、日本の政治家。山口県議会議長。山口県柳井市出身。 柳井市から下松市に移住し、タクシー会社㈱メトロ交通を興す。その後、ゴルフ場経営の白須那高原開発㈱を設立した。 1967年、山口県議会議員(下松市区)当選(以後、1987年まで6期連続当選)。自民党山口県連幹事長、1985年5月9日から1989年5月13日まで山口県議会議長を務めた。 国政選挙では常に佐藤栄作、佐藤信二父子を二代にわたって支持し、選対本部長などの要職を務めた。地方政界のフィクサー的役割を果たす「県政の寝業師」として、地域のために政治力を発揮した。
西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8… 西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、評論家、大学教授。
国広 哲弥(くにひろ てつや、1929年7月23日 - 20… 国広 哲弥(くにひろ てつや、1929年7月23日 - 2022年2月6日)は、日本の言語学者、東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。 1929年、山口県宇部市生まれ。旧制宇部中学校を卒業し、1947年に旧制山口高校文科甲類に入学。1950年、東京大学文学部言語学科に進んで1954年に卒業。 卒業後は、山口県立萩高等学校の英語教員となった。1959年10月、島根大学文理学部英語英文学科の講師となり、英語学を講じた。1964年、助教授に昇進。1967年、茨城大学教育学部助教授に就任。さらに翌1968年、母校の東京大学文学部言語学科助教授となった。1974年から1975年まで、フルブライト上級研究員としてコーネル大学日本語学科に滞在。
濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26… 濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月18日)は、日本の音楽理論家、指揮者、音楽教育者、作曲家。姓は浜田と表記されることがある。 山口県山口市出身。1951年(昭和26年)文化学院卒業。 齋藤秀雄、諸井三郎らに幼時から音楽を学び、ピアノ・作曲・指揮法を個人教授で習得。1956年(昭和31年) - 1959年(昭和34年)成蹊グリークラブ指揮者。1958年(昭和33年)谷桃子バレエ団10周年記念公演で東京ジングアカデミーを指揮。1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年)広島大学音楽科交響楽団を指導。1961年(昭和36年)東北大学交響楽団を指揮。
村上 允俊(むらかみ まさとし、1929年 - )は、俳優、… 村上 允俊(むらかみ まさとし、1929年 - )は、俳優、レポーター。
井上 章(いのうえ あきら、1929年〈昭和4年〉 - 20… 井上 章(いのうえ あきら、1929年〈昭和4年〉 - 2017年9月30日)は、日本の映画美術監督、造形家。 東京都出身。子供の時に、米国RKOの特撮映画『キング・コング』を観て、夢に見るほど強烈な印象を受ける。しばらくして雑誌で『キング・コング』の紹介があり、スクリーン・プロセスの技法の特集を見て、映画の道を選ぶ。 1945年(昭和20年)、山口県萩中学校(現:山口県立萩高等学校)3年の折に日本の敗戦を経て、旧制山口高校で演劇の舞台装置を志す。1953年(昭和28年)、映画会社大映に入社。大映東京撮影所で、主に下河原友雄の美術助手を務める。1959年(昭和34年)、『氷壁』(増村保造監督)で美術助手。
北西 英子(きたにし ひでこ、1929年〈昭和4年〉 - 1… 北西 英子(きたにし ひでこ、1929年〈昭和4年〉 - 1999年〈平成11年〉7月17日)は、日本の歴史研究家。女性の地位向上をテーマとした広島県の女性団体「広島女性史研究会」の代表。夫は政治学者で広島大学名誉教授の北西允。 山口県須佐町(後の萩市)で誕生した。男女差別の厳しい土地に生まれ育ったことが、後の活動の原点となった。1955年(昭和30年)に結婚に伴い、夫の都合で広島県へ転居した。 1970年(昭和45年)、女性の地位向上をテーマとして、ボランティア活動などに携わる主婦たちを集めて広島女性史研究会を発足させ、代表を務めた。1981年(昭和56年)に、新聞から拾った女性の記事を年表にまとめ、『新聞集成広島女性史』を出版した。
濱村 秀雄(はまむら・ひでお、1928年7月20日 - 20… 濱村 秀雄(はまむら・ひでお、1928年7月20日 - 2000年5月7日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は長距離走。姓は常用漢字体で「浜村」とも表記される。 山口県吉敷郡秋穂町出身。兄2人がいたが、いずれも早逝したために三男であった秀雄が濱村家の家督を継承した。 1946年に地元秋穂町体育大会が開かれた際に、1,500m競走に参加して優勝したことをきっかけに山口県内の大会に出場するようになり、その後、山口県庁に公務員として奉職、山口県教育委員会所属の肩書で全国規模の大会に出場するようになる。 1952年1月、第1回別府マラソン(現在の別府大分毎日マラソン)に一般参加選手として出場、2時間1分50秒で優勝を飾ると、1952年ヘルシンキオリンピック代表選考会として施行された同年5月の毎日マラソン(後のびわ湖毎日マラソン)に出場、2時間30分17秒で3位となったものの、ヘルシンキオリンピックの代表には選出されなかった(優勝した内川義高、2位の西田勝雄のほか、山田敬蔵が代表)。
原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019… 原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019年11月9日)は、日本の実業家、時事通信社元社長、パシフィック・リーグ元会長。 山口県山口市出身。1950年に東京大学農学部を卒業し、時事通信社に入社。那覇特派員、海外部長、編集局長などを歴任し、1978年6月に取締役に就任し、1980年6月に代表取締役を経て、1984年6月から1990年6月まで社長を務めた。1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章した。 1991年1月にパシフィック・リーグ会長に就任。2000年12月に退任するまでの間、伊良部秀輝のメジャーリーグ挑戦やイチローのポスティングシステム採用(日本初)があり、1997年には観客動員1000万人突破を成し遂げた。
江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 … 江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 - 1987年〈昭和62年〉5月25日)は、日本の政治家。参議院議員(当選2回)。日本国有鉄道に入り、建設局計画課長、広島鉄道管理局長を経て、1980年以来参議院議員に2回当選する。 山口県下関市出身。江島鐡雄の長男。旧制山口県立豊浦中学校(同級生に林義郎)、海軍兵学校(76期)、山口高等学校を経て、1951年に東京大学第一工学部土木工学科を卒業した。 卒業後は日本国有鉄道に入り、東京鉄道管理局施設部工事第一課長、外務省サンフランシスコ総領事館領事、国鉄建設局計画課長、広島鉄道管理局長などを歴任。 1980年6月、第12回参議院議員通常選挙山口県選挙区に自由民主党公認で藤本万次郎を連合後援会会長に迎える万全の布陣で出馬、日本社会党新人浜西鉄雄、日本共産党新人伊藤潔を破って初当選。
竹元 勝雄(たけもと かつお、1927年7月25日 - 20… 竹元 勝雄(たけもと かつお、1927年7月25日 - 2006年5月8日)は、山口県徳山市(現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 山口県立徳山中学校在学時から投手としてプレー。戦後、社会人野球の藤山炭鉱に在籍。 1950年2月、大阪タイガースにテスト入団。1951年に一軍登録されたが、4月22日の大洋ホエールズ戦に敗戦処理として登板しただけでわずか1年で退団。 退団後は、社会人野球の篠崎倉庫に在籍していたが、1954年にセントラル・リーグが造った新日本リーグの審判となりこれを機に審判として再出発。1955年のシーズン途中に新日本リーグが解体され、関東の球団がセントラル・リーグが管理するイースタン・リーグに、愛知以西の球団がパシフィック・リーグが管理するウエスタン・リーグに転籍するとセントラル・リーグの関西審判部に入局(※ 入局は1956年)。
林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日… 林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は正三位。 大蔵大臣(第97代)、厚生大臣(第62代)、衆議院議員(11期)などを歴任した他、日中友好議員連盟や日中友好会館の会長も務めた。 山口県下関市貴船町出身。豊浦中学4年修了、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部を卒業する。同年、通商産業省に入省する。入省同期に栗原昭平、諸口昭一(札幌通産局長、東商大卒)などがいる。通産省では、通産大臣秘書官、通産省重工業局産業機械課長を歴任する。 1969年(昭和44年)に通産省を退官。同年末の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で周東英雄の後継者として旧山口1区から立候補し、初当選した(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
小林 兼年(こばやし かねとし、1927年〈昭和2年〉6月7… 小林 兼年(こばやし かねとし、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 1990年〈平成2年〉3月27日)は、日本の政治家。山口市長(1期)。 山口県山口市出身。旧制山口中(現山口県立山口高等学校)卒。1953年(昭和28年)、山口市役所に入る。市役所では納税、庶務の各課長、民生、総務の各部長などを経て、1981年(昭和56年)、山口市助役に就任する。 1987年(昭和62年)、山口市長選挙に無所属で立候補して、保守系無所属新人同士の一騎打ちを制して初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:78.3%(前回比:-pts) 同年4月27日に市長に就任した。 1990年3月27日、執務中に倒れ、急性心不全のため死去した。
瀧本 敦(滝本 敦、たきもと あつし、1927年4月9日 -… 瀧本 敦(滝本 敦、たきもと あつし、1927年4月9日 - )は、日本の植物学者、京都大学名誉教授。 山口県岩国市出身。1950年京都大学農学部農林生物学科卒、同大学院中退、1961年「短日植物の花芽形成を支配する光条件」で農学博士。京大農学部助手、講師、助教授を経て、1967年教授、1991年定年退官、名誉教授となる。日本植物学会・日本植物生理学会名誉会員。日本植物生理学会功績賞を受賞。花を咲かせる開化ホルモンを研究した。
安部 一成(あべ かずなり、1927年2月11日 - 201… 安部 一成(あべ かずなり、1927年2月11日 - 2011年10月25日)は、日本の経済学者。専門は地域経済論、地域産業論。山口大学名誉教授。 イタリアの経済学者パオロ・シロス=ラビーニ(it:Paolo Sylos Labini)を日本に紹介した初めての人物である[要出典]。 山口県下関市生まれ。1951年神戸経済大学卒業、山口大学経済学部助教授。1967年同教授。1967年、経済学博士「現代経済成長論」(神戸大学)。1974年 - 1980年山口大学経済学部長。1986年中国文化賞受賞。1990年山口大学を定年退官、同年5月名誉教授。 1990年〜1995年、西南学院大学経済学部教授。1995年〜2000年、東亜大学学長。
吹田 愰(ふきだ あきら、1927年〈昭和2年〉2月1日 -… 吹田 愰(ふきだ あきら、1927年〈昭和2年〉2月1日 - 2017年〈平成29年〉6月19日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、自治大臣(第41代)、国家公安委員会委員長(第51代)、山口県議会議員(4期)、山口県議会議長、山口県熊毛郡城南村長、田布施町長を歴任した。 衆議院議員の西村康稔は娘婿。 山口県熊毛郡城南村(現:田布施町)生まれ。旧制柳井商業学校中退後、甲種飛行予科練習生防府海軍通信学校に入隊した。終戦後は城南村の青年団長を勤め、1948年(昭和23年)ごろにA級戦犯として郷里に戻った岸信介に講演を依頼した。これをきっかけに岸との交流を深め、また、敗戦後の岸の政界復帰に尽力した。
土井 輝生(どい てるお、1926年9月2日 - 2018年… 土井 輝生(どい てるお、1926年9月2日 - 2018年9月8日)は、日本の法学者。専門は、著作権法・商標法・知的財産権法。早稲田大学名誉教授。弁護士。武具甲冑研究家。 1926年9月2日福岡県門司市にて出生。幼少期を山口県で過ごす。1943年、旧制山口県立防府中学校4年時に陸軍士官学校に合格し、陸士59期に飛び級入学。1944年より航空士官学校にて航空通信部隊に所属。1945年終戦により士官学校より復員。米軍基地で働きながら法政大学通信科に通う。米軍基地での勤務を通じて英語の重要性を痛感し、働きながら独学で英語を習得。 1952年早稲田大学大学院法学研究科に入学。1954年修士課程修了。同年フルブライト奨学生としてミシシッピ大学ロースクールに留学。
佐内 正治(さない まさじ、1926年(大正15年)6月9日… 佐内 正治(さない まさじ、1926年(大正15年)6月9日 - 2019年(平成31年)4月24日)は、日本の政治家。山口市長(3期)。 山口県山口市出身。海軍兵学校を経て、敗戦後は山口県庁に入り、企画部長を務める。その後山口市議会議員を務め、山口県産業技術開発機構副理事長に就任する。 1990年の山口市長選に立候補して初当選、3期12年務めた。2002年に引退した。2019年4月24日で死去。92歳没。
平井 龍(ひらい とほる、1926年(大正15年)1月3日 … 平井 龍(ひらい とほる、1926年(大正15年)1月3日 - 2008年(平成20年)2月17日)は、日本の政治家。山口県知事(第37-41代)。従三位勲一等。山口県柳井市出身。
星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎(ありちか て… 星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎(ありちか てつろう)、1925年9月30日 - 2010年11月15日)は、日本の作詞家であり、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人。各所で「星野哲朗」という表記がされることがあるが、「哲郎」が正しい表記。「有田めぐむ」「阿里あさみ」など、数多くのペンネームが存在する。また『銀河鉄道999』の主人公である星野鉄郎と同音異字の同姓同名であることがよく知られているが、この関係から『銀河鉄道999』ファンの中にも漢字表記を混同している者が多く、星野の名前である『哲郎』あるいは『哲朗』と誤認識・誤表記するファンが絶えない。 山口県大島郡森野村(後に東和町→現・周防大島町)出身で、東京都小金井市に在住していた。
田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1… 田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年(大正14年)6月19日 - 1991年(平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。萩焼の第一人者。 1925年6月19日、山口県長門市に生まれる。1944年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。1945年、シベリアに抑留され、1948年に復員。復員後は長兄の11代田原陶兵衛に師事。1956年、長兄の急逝により12代陶兵衛を襲名する。 1969年、第16回日本伝統工芸展に「萩茶碗」を初出品。翌年、日本工芸会正会員となり、1981年から1988年まで同会理事を務める。1981年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018… 古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。 復員し宇部市立高等学校(現:山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、1953年に山口大学教育学部を卒業。中学教師を経て山口新聞社に入り、記者や編集局長を務める。1970年に退社し作家専業となった。 郷土作家として、作品の大多数は、戦国期の毛利家、幕末期の長州藩、明治維新後の山口県(周防国・長門国)の関連人物を取り挙げた歴史小説・随筆であった。 古川は、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を2度聴いている。
山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 20… 山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 2024年6月17日)は、日本の評論家・哲学者。 1925年、山口県下関市生まれ。幼少期を下関、稚内、金沢、函館で過ごした。水戸高等学校で学び、1946年に京都帝国大学文学部哲学科に入学した。 卒業後は北海道第二師範学校助教授となった。東京大学出版会編集者などを務め、1959年より評論活動に入る。1962年「思想の科学」編集長。1965年には『危険な思想家』を出版。桃山学院大学教授を経て、1977年から1995年まで関東学院大学教授を務めた。1977年には作家の中山千夏らと革新自由連合を結成した。 1989年頃には神奈川県藤沢市辻堂に住んだ。
小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - … 小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - 2010年5月21日)は、古筆学者、美術史学者。 1925年、山口県岩国市で生まれた。1938年、広島の旧制崇徳中学校(現崇徳高等学校)に進学し、1942年、旧制山口県立柳井中学校(現山口県立柳井高等学校)を卒業。国鉄マンであった父に従い広島鉄道局に勤務。1945年8月6日、爆心地から1.7キロ、広島駅近くの庁舎内にて被爆。戦後も国鉄、次いで広島陸運局で働きながら、「平家納経」の美に魅せられ、その研究に邁進。26歳の時に、学術書としても優れた厳島観光案内書『いつくしま』を出版した。 1951年、運輸省自動車局への転勤にともない上京。私淑していた源氏学者池田亀鑑のもとで、学問への姿勢と研究方法を身に付けた。
御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 201… 御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 2015年1月18日)は、日本の詩人、医師。広島共立病院名誉院長。医師としては本名の丸屋博名義での著書もある。 山口県岩国市出身。岩国中学校から広島高等学校に学び、1945年、岡山医科大学に入学。帰省中のその年8月、近隣の住人の消息を探りに被爆直後の広島に入り入市被爆する。1949年、峠三吉と知りあい、峠たちの詩誌『われらの詩』に1950年から寄稿をはじめる。1951年、肺結核で入院中の岩国病院の患者自治会報に掲載した詩「失われた腕に」が、政令325号(占領目的阻害行為処罰令)違反にあたるとして逮捕される(不起訴となった)。 1952年、詩集『岩国組曲』を上梓、詩誌『列島』のグループに加わる。
吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993… 吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993年2月6日)は、日本の経営者。三菱油化(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。山口県下関市出身。 1947年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に商工省に入省した。1963年4月に三菱油化に移り、1973年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年3月に社長に就任した。 1984年11月に藍綬褒章を受章した。 1993年2月6日肝不全のため死亡。68歳没。
岡藤 五郎(おかふじ ごろう、1924年9月30日 - 19… 岡藤 五郎(おかふじ ごろう、1924年9月30日 - 1978年7月20日)は、日本の古生物学者。山口県美祢市伊佐町出身。 秋吉台の哺乳動物の化石研究、大嶺炭田の三畳紀の植物化石、秋吉台の洞穴動物の研究等を行う。ニホンオオツノシカなど哺乳類を中心に化石約20万点を採集し、その多くは美祢市歴史民俗資料館等に保存されている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2… 河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2010年1月12日)は、日本の実業家。住友銀行(現:三井住友銀行)常務取締役を経て、イトマン社長を務めた。 1924年、6人兄弟の末っ子として山口県に生まれる。山口商業学校(戦後の商業高等学校に相当する学校)を1942年に卒業して、住友銀行に「ノンキャリア」行員として入行した。 磯田一郎(後に住友銀行頭取)は、住友銀行専務取締役だった1972年に、ノンキャリア行員ながら既に頭角を現していた河村について、下記の趣旨を述べている。 住友銀行下関支店へ配属の後、召集され中国大陸での転戦を経て復員。大阪市内の営業店へ転勤となる傍ら、働きながら関西大学経営学部(夜間)に7年間通い、1953年に卒業した。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、… 塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、日本の作家・評論家である。
小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日… 小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日 - 2019年(平成31年)1月16日)は、山口県徳山市(現・周南市)市長、岡山県副知事。従四位。死の約3年前に第一生命多額詐取事件の主犯に成る、女性社員の勤続50年を祝う会に出席していた。
安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年〈大正13年〉4月… 安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年〈大正13年〉4月29日 - 1991年〈平成3年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議員(11期)、農林大臣、内閣官房長官、通産大臣、外務大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党政務調査会長、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長を歴任した。 衆議院議員の安倍寛の長男。岳父に元内閣総理大臣の岸信介、義理の叔父は元内閣総理大臣の佐藤栄作、次男は元内閣総理大臣の安倍晋三である。1986年に派閥の領袖となったが、1991年に病気のため死去した。 安倍寛、静子夫妻の長男として東京市四谷区に生まれる。ちなみに寛とは誕生日が同じである。
高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 20… 高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 2013年1月2日)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。1946年と1947年の登録名は諏訪 裕良。