牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - … 牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - 2009年2月16日)は、日本の造園学者。長岡造形大学名誉教授。専門は日本庭園史。農学博士。 香川県高松市出身。1959年、京都大学農学部林学科を卒業し、引き続き大学院に進み、1961年に京都大学大学院農学研究科林学専攻修士課程を修了した。文化庁で主任文化財調査官を務め、奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長となる。1993年より長岡造形大学造形学部環境デザイン学科教授に就任した。 1998年 - 1999年に日本庭園学会会長、2003年に日本遺跡学会会長をそれぞれ務め、京都橘大学文学部文化財学科教授でもあった。平成18年度日本造園学会賞上原敬二賞を受賞した。
岸田 秀(きしだ しゅう、1933年12月25日 - )は、… 岸田 秀(きしだ しゅう、1933年12月25日 - )は、日本の心理学者・精神分析学者・エッセイスト・翻訳家。和光大学名誉教授。 1977年の『ものぐさ精神分析』が話題になり、思想界を担う存在となった。翻訳書も多数著している。『ものぐさ精神分析』では「人間は本能の壊れた動物である」とし、独自の唯幻論を提言する。妻は文化人類学者の船曳建夫の実姉。 1933年に香川県仲多度郡善通寺町(現:善通寺市)に生まれた。父親は1921年に善通寺町に開館した映画館「世界館」の経営者であり、岸田家は東京・浅草六区にあった「世界館」の経営者でもあった。戦前において、善通寺町の世界館は仲多度郡で最も大きな映画館だった。
手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日… 手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日本の法学者・法学博士、九州大学・熊本県立大学名誉教授。専門は憲法・行政法・行政学。 香川県高松市生まれ。1953年九州大学法学部卒業、同助手、56年助教授、64年「アメリカ行政学史論」で法学博士。66年九大法学部教授、94年退官、名誉教授、熊本県立大学学長、教授、名誉教授。2001年退任。専門は憲法・行政法・行政学。妻のるりは江崎悌三の次女。長谷部銀次は孫。 2004年3月23日、弁護士登録(福岡弁護士会)。2010年12月28日、著述に専念のため、弁護士会を退会。
三原 憲三(みはら けんぞう、1932年11月24日 - 2… 三原 憲三(みはら けんぞう、1932年11月24日 - 2014年6月15日)は、日本の法学者。刑法学者。弁護士。朝日大学名誉教授。朝日大学大学院法学研究科客員教授。博士(法学)(明治大学、1992年)。 香川県生まれ。1951年香川県立丸亀高等学校卒業。1956年明治大学法学部卒業。1958年明治大学大学院法学研究科修士課程修了。明治大学法学部助手などを経て、1971年創価大学法学部専任講師に就任。1973年創価大学法学部助教授。1980年創価大学法学部教授。1981年創価大学大学院法学研究科教授。1984年創価大学通信教育部副部長(〜1987年)。1987年朝日大学法学部教授。1991年朝日大学法学部長(〜1997年)。
金丸 文一(かなまる ふみかず、1932年8月31日 - 2… 金丸 文一(かなまる ふみかず、1932年8月31日 - 2009年7月13日 )は、日本の化学者。専門は、無機材料化学。博士(理学)。大阪大学名誉教授。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校、大阪大学理学部化学科卒業。同大学大学院理学研究科無機及び物理化学専攻修士課程修了。 1963年(昭和38年)「アルカリ土フェライトの結晶化学的研究」で、大阪大学より理学博士の学位を修得。 大阪大学産業科学研究所では、当時超高圧力(~5GPa)技術の材料科学への応用が始まった時期で、超高圧発生装置を利用して、2GPa、1000℃までの高酸素圧下での物質合成(高原子価化合物など)にも新しい遷移金属酸化物の合成、物性評価を行うことに成功する。
森 實(森 実、もり みのる、1932年1月1日 - )は、… 森 實(森 実、もり みのる、1932年1月1日 - )は、日本の会計学者、香川大学・神戸大学名誉教授。 香川県高松市生まれ。高松第一高等学校を経て1955年に香川大学経済学部を卒業。1957年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程を満期退学する。同年、香川大学経済学部助手に就任。講師(1958年)、助教授(1960年)を経て、1967年に教授に昇進した。 1971年、「近代監査思考の展開に関する研究」で経営学博士の学位を取得。 1985年に香川大学名誉教授となり、同年神戸大学経営学部教授に転任。1995年に定年退官し、神戸大学名誉教授となる。同年より大阪学院大学教授。
椿 寿夫(つばき としお、1928年8月14日 - 2023… 椿 寿夫(つばき としお、1928年8月14日 - 2023年8月9日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1977年)。大阪府立大学・関西学院大学・大阪市立大学教授・筑波大学教授・明治大学教授を経て、大宮法科大学院大学教授。香川県丸亀市出身。正字で椿 壽夫と表記されることもある。 1952年京都大学法学部卒業。1972年から1979年まで法制審議会民法部会委員。1977年法学博士(京都大学、学位論文「代物弁済予約の研究」)。大阪府立大学・関西学院大学・大阪市立大学教授・筑波大学教授・明治大学教授を経て、大宮法科大学院大学教授。妻は同じく民法学者の椿久美子。 日本民法の研究の他にドイツ法に関する研究も行い、学界や実務に大きな影響を与えている。
大西 武士(おおにし たけし、1928年7月11日 - )は… 大西 武士(おおにし たけし、1928年7月11日 - )は、日本の銀行員、法学者。 香川県仲多度郡琴平町出身。1953年東京大学法学部政治学科を卒業し、東京都民銀行に入る。審査部長、取締役営業部長、取締役業務推進部長をへて、とみんリース専務取締役。 富山大学教授に転じ、東海大学教授。1998年定年退職し、東亜大学教授を務めた。銀行の実務・法務に関する著書がある。
眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月… 眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月19日)は、日本の医学者・眼科医。専門は、角膜移植を中心に視覚生理学分野。大阪大学名誉教授。 香川県三豊郡下高瀬村(現 三豊市三野町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、大阪大学医学部卒業。 1954年(昭和29年)大阪大学医学部卒業。同大大学院修了後、同大眼科学教室 に入局。1963年(昭和38年)ミュンヘン大学留学、1969年(昭和44年)ボストンの眼研究所留学を経て、1974年(昭和49年)大阪大学医学部脳神経感覚器外科学(眼科学)講座教授に就任。 初期の研究分野は電気生理であったが、留学したボストンで初めて角膜の研究に従事し、角膜に含まれる「水」の問題、コラゲナーゼ、フィブロネクチン、ヘルペス感染症などに関する多くの業績をおさめて現在の日本角膜学会の基礎を作った。
塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は… 塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は、日本の歯学者。専門は、歯学、口腔外科学、顎顔面外科学、中医学。 博士(医学)。東京医科歯科大学名誉教授。
三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 198… 三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 1987年8月13日)は、香川県丸亀市出身の解剖学者、発生学者である。 丸亀中学から六高を経て、九州帝国大学工学部航空工学科が廃科となり、東京大学医学部と進み、東大助手を経て、東京医科歯科大学助教授、東京芸術大学教授。また、弟子の河野邦雄筑波大学教授の招きで、筑波大学開学以来非常勤講師も務めた。 1963年「オオサンショウウオに於ける脾臓と胃の血管とくに二次静脈との発生学的関係について」で東大医学博士。 1987年、脳出血のため死去。享年63(61歳没)。 生前に出版された本は二冊(『胎児の世界』中公新書、『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館)にすぎないが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家・自然哲学者として注目されている。
横井 芳弘(よこい よしひろ、1924年11月18日 - 2… 横井 芳弘(よこい よしひろ、1924年11月18日 - 2007年7月12日)は、日本の法学者。労働法学者。学位は、法学博士。中央大学名誉教授。元日本労働法学会代表理事。香川県高松市出身、京城で育つ。 この他に、日本労働法学会代表理事(1982年~1984年)、早稲田大学法学部・神奈川大学法学部・一橋大学法学部・法政大学法学部の非常勤講師も務めた。 労働法全般を研究領域としていたが、特に労働協約、団結権論、争議行為を研究。 当時、中央大学には労働法の研究者がいなかった為、学外指導教授として吾妻光俊(一橋大学名誉教授)の薫陶を受けた。 『法学新報』101巻9号、1995年 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
蓮井 良憲(はすい よしのり、1923年(大正12年)2月5… 蓮井 良憲(はすい よしのり、1923年(大正12年)2月5日 - 2019年(令和元年)9月26日[要出典])は、日本の法学者。専門は商法。九州大学教授、福岡大学教授を歴任。香川県出身。 九州地方鉱業協議会委員、福岡県水洗炭業審議会委員、福岡県消費生活審議会会長等を歴任。
稲田 陽一(いなだ よういち、1921年5月21日 - 20… 稲田 陽一(いなだ よういち、1921年5月21日 - 2006年5月20日)は、日本の法学者(憲法)・弁護士。岡山大学名誉教授。 香川県高松市出身。第六高等学校卒、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒、香川大学経済学部助教授、岡山大学法学部助教授、教授を務め、1987年定年退官、名誉教授となり、高岡法科大学法学部教授を務めた。弁護士。
福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3… 福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3日 - 1994年〈平成6年〉11月27日)は、日本の物理学者。理学博士 東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。世界平和教授アカデミー元会員、日韓トンネル研究会元顧問。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。高松中学校(現・香川県立高松高等学校)、第一高等学校(現・東京大学)、北海道帝国大学理学部を卒業後、理化学研究所に入所。仁科芳雄博士のもとでニ号研究 (原子爆弾開発研究) に携わった。この研究で福田は六フッ化ウランの熱拡散分離の理論を担当した。 世界的水準の「筑波研究学園都市」を建設し、そこに東京教育大学を移転させて核になる総合大学にしようという計画があった。
内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003… 内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003年3月15日)は、日本の化学者。理学博士。専門は分析化学。特に微量陰イオンの定量法の研究で知られる。元東京工業大学理工学部分析化学教室教授。日本大学名誉教授。 香川県出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京文理科大学(現在の筑波大学)卒業。1992年、勲四等旭日小綬章を受章。2003年3月15日、急性心筋梗塞のため83歳で死去。
佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年… 佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年7月5日)は、日本の東洋史学者。専門は、宋代より清代に至る中国近世史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。 1910年、香川県三豊郡萩原村(現:観音寺市大野原町)で生まれた。旧制香川県立三豊中学校を経て、旧制第六高等学校に入学。第六高等学校で、生涯にわたって薫陶を受ける宮崎市定と出会った。1931年、京都帝国大学文学部に入学、東洋史を専攻する。六高から転任していた宮崎の指導を再び受けることになった。1935年、京都帝国大学文学部史学科を卒業し、同大学大学院に進学。同時に、東方文化学院京都研究所研究嘱託となった。 1940年、京都帝国大学人文科学研究所助手に採用。
三木 忠直(みき ただなお、1909年〈明治42年〉12月1… 三木 忠直(みき ただなお、1909年〈明治42年〉12月15日 - 2005年〈平成17年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、工学者。最終階級は海軍技術少佐。爆撃機「銀河」、特攻機「桜花」特攻機、新幹線の開発者。 1909年12月15日、香川県高松市生まれ。香川県立高松中学校、第六高等学校を経て、1938年、東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。海軍造船官となって海軍造船中尉に任官し、海軍航空技術廠に配属された。 アジア・太平洋戦争中に陸上爆撃機「銀河」、特攻兵器「桜花」などの機体設計を担当した。 1944年(昭和19年)6月前後、大田正一少尉が航空技術廠長和田操中将に特攻兵器桜花を提案した。三木によれば、和田はもう決めた様子で、大田は「自分が乗っていく」と言うため、研究に協力したという。
高木 孝詮(たかぎ たかのり、1905年9月19日 - 19… 高木 孝詮(たかぎ たかのり、1905年9月19日 - 1981年9月22日)は、日本の法学者。専門は、刑法・法学概論。八幡大学学長。香川県出身。 讃岐の塩・砂糖・綿・糀を生産する豪農家の長男として生まれる。幼少の頃は糀屋の坊ちゃんと呼ばれていた。13才で香川県立丸亀中学校に入学しその後香川師範学校に入学、一旦琴平の小学校に勤務した。大正14年に岡山第六高等学校に進学し昭和3年に九州帝国大学法文学部に入学した。帝大では法制史の金田平一郎教授に師事した。その後大学院で研究生となるが、昭和13年に九大法文学部国文科に再入学し江戸時代の町人文学の研究に没頭した。卒論は「西鶴における町人の経済的側面からの研究」であった。
岡田 實(おかだ みのる、1904年3月7日 - 1997年… 岡田 實(おかだ みのる、1904年3月7日 - 1997年6月15日)は、日本の冶金学者。位階は正三位。 プラズマ研究や超高電圧電子顕微鏡の開発で大きな業績を残した。また、大阪大学総長を務めている。 香川県仲多度郡多度津町出身。1930年に東北帝国大学(現・東北大学)金属工学科を卒業後、大阪帝国大学(現・大阪大学)工学部に赴任した。同学部で助教授、教授などを務め、1966年には総長に就任した。この間、溶接工学研究所の設立などに貢献し、1945年から1949年並びに1954年から1955年まで溶接学会会長、研究面では1963年に島津製作所との共同研究で500kVの高電圧電子顕微鏡を開発した。さらに日立製作所と共同で3000kVの電子顕微鏡を作製し、1971年に大阪大学超高電圧電顕センターに設置された。
石川 与吉(いしかわ よきち、1902年2月25日 - 19… 石川 与吉(いしかわ よきち、1902年2月25日 - 1984年6月4日)は、日本の地理学者。旧姓では三野 与吉(みの よきち)。東京教育大学名誉教授。日本地理学会会長(1964年 - 1965年)。理学博士(東京大学)。 地形学・水文学などを研究しつつ、地理学・地理教育のあり方を論じた指導的自然地理学者である。地形学など自然地理学の分野に多くの研究者を輩出し、東京教育大学では地形営力論を中心とした学風が作られ、「三野スクール」と呼ばれていた。 香川県三豊郡桑山村(現・三豊市)の三野家に農家として生まれる。3歳のとき、同郡常磐村(現・観音寺市)に一家転住した後、常磐村尋常小学校(現・観音寺市立常磐小学校)と、辻村高等小学校(現・三豊市立辻小学校)を卒業する。
前川 孫二郎(まえかわ まごじろう、1902年2月6日 - … 前川 孫二郎(まえかわ まごじろう、1902年2月6日 - 1971年2月2日 )は、日本の医学者。博士(医学)。京都大学名誉教授。 香川県三豊郡比地二村(現:三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、京都帝国大学医学部卒業。 専門は、理論心電図学、循環器学、免疫およびアレルギー学、神経病学。 1926年(大正15年)京都帝国大学医学部卒業後、1931年(昭和6年)学位修得(医学博士)。 1932年(昭和7年)同大学医学部講師、1936年(昭和11年)同大学医学部助教授を経て、1946年(昭和21年)京都大学医学部第三内科学講座教授に就任。 日本独特の神経疾患「スモン病」について最初に問題提起をした先駆者である。
十河 佑貞(そごう すけさだ、1899年(明治32年) 1月… 十河 佑貞(そごう すけさだ、1899年(明治32年) 1月4日 - 1989年(昭和64年) 1月7日 )は、日本の西洋史学者。専門は、ドイツ近世史。 香川県高松市出身。生家は旧高松藩の御用商人を務めた旧家の次男として生まれる。雅号は悠亭。父の忠貞(襲名権三郎)は、中川愛山に学んだ画人でもあり自由民権運動団体「博文社」の会頭の一人でもあった。 郷里の高松中学時代は、1歳で父親を癌で亡くしたこともあり、身体を鍛えるために海水浴、武徳会での柔道、ボートなど勉強そっちのけで遊んだという。不勉強がたたり浪人を強いられたが、方丈記、徒然草、夏目漱石を耽読し勉強に気が入らなかったという。 2年間の浪人の末、早稲田大学高等予科の文学科に入学した。
磯崎 辰五郎(いそざき たつごろう、1898年4月12日 -… 磯崎 辰五郎(いそざき たつごろう、1898年4月12日 - 1990年8月10日 )は、日本の法学者。専門は、憲法・行政法。法学博士。[要出典]大阪大学名誉教授。 香川県三野郡下高瀬村(現:三豊市三野町)出身。香川県立三豊中学校、第六高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 京都帝国大学では、佐々木惣一に憲法学および行政法学の指導を受ける。以後、佐々木惣一と研究を共にする。佐々木惣一の著書『日本国憲法論 改訂版』(有斐閣、1952年)および『日本國行政一般法論』(有斐閣、1952年)のはしがきでは、佐々木は磯崎に対して執筆の支援および長年の貢献について感謝を記している。 また、1945年(昭和20年)11月に佐々木惣一が内大臣府御用掛として憲法改正調査に当たり、箱根の奈良屋旅館で大石義雄と共に憲法改正草案「佐々木憲法草案」の作成を行っている。
久保 岩太郎(くぼ いわたろう、1897年3月13日 - 1… 久保 岩太郎(くぼ いわたろう、1897年3月13日 - 1980年4月29日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1953年)。一橋大学名誉教授。山口弘一の弟子。 香川県木田郡十河村(現高松市)生まれ。1916年旧制香川県立高松中学校(現香川県立高松高等学校)卒業、1919年旧制山口高等商業学校(現山口大学経済学部)卒業。1923年東京商科大学(現一橋大学)卒業。論争を機に交流のあった江川英文との縁で、1953年東京大学より法学博士の学位を取得。 大学院の指導学生に秌場準一(一橋大学名誉教授)、海老澤美廣(元名古屋高等裁判所判事、元青山学院大学教授)。 1923年4月関西学院大学高等商業学部教授、1938年東京商科大学附属商学専門部教授兼東京商科大学講師、1940年東京商科大学教授兼任、1949年東京商科大学教授、1951年一橋大学法学部教授、1955年から1957年まで一橋大学法学部長及び評議員。
田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1… 田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1985年7月21日)は、日本の弁護士・法学者。専門は私法学。大阪経済大学元理事長、同名誉教授。 1894年(明治27年)香川県三野郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)に生まれる。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、1915年(大正4年)京都帝国大学法律科入学、1918年(大正7年)に卒業し司法官試補となる。1920年(大正9年)大阪地方裁判所判事に任官。1922年(大正11年)学界に転じ大分高等商業学校教授に就任、法律学を担当。翌1923年(大正12年)よりイギリス・ドイツに留学する。1929年(昭和4年)彦根高等商業学校に転任し民法、商法などを講じた。
秋山 範二 (あきやま はんじ、1893年9月 - 1980… 秋山 範二 (あきやま はんじ、1893年9月 - 1980年6月7日)は、日本の哲学者。専門は道元の禅の研究。元滋賀大学学長事務取扱。滋賀大学名誉教授。 1893年(明治26年)香川県豊田郡柞田村(現 観音寺市柞田町)に秋山清七(柞田村第6代村長・1906-1918年在任)の長男として生まれる。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学哲学科卒業。1920年(大正9年)旧制滋賀県立八幡商業学校教諭。1923年(大正12年)彦根高等商業学校開校に合わせ着任、1924年(大正13年)教授就任。1928年(昭和3年)から1930年(昭和5年)までドイツに留学する。
南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日… 南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。位階は従二位。 無教会主義の立場から国家主義とマルクス主義を批判。サンフランシスコ講和条約をめぐっては全面講和を主張して内閣総理大臣吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた。
鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6… 鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6日- 1957年(昭和32年)2月11日)は、日本の実業家、商学博士。東京海上火災保険社長を務めた。 香川県出身。1903年(明治36年)香川県立商業学校(現香川県立高松商業高等学校)卒業。1907年(明治40年)神戸高等商業学校(現神戸大学)を第一期生として卒業。1907年(明治40年)、東京海上保険(1918年に東京海上火災保険に改称)に入社。ロンドン駐在時、鈴木商店ロンドン支店長高畑誠一、台湾銀行ロンドン支配人佐々木義彦などと親交を結ぶ。鈴木商店破綻後、日本商業(日商、現在の双日の前身企業の一つ)の創立に当たり高畑に大きな援助を与えた。
長尾 優(ながお まさる、1887年(明治20年)5月22日… 長尾 優(ながお まさる、1887年(明治20年)5月22日 - 1975年(昭和50年)10月21日)は、日本の大正・昭和期における歯科医大学教授・医学博士。位階は正三位。東京医科歯科大学初代学長。香川県出身。 1887年(明治20年)5月22日、長尾優は現在の香川県丸亀市に生まれる。丸亀中学校(現・香川県立丸亀高等学校)、第一高等学校を経て1913年(大正2年)12月東京帝国大学医科大学を卒業し、病理学教室を経験した後石原久が教授を務める東京帝国大学医科大学歯科学教室に入局した。1916年(大正5年)9月にはペンシルベニア大学歯学部へ自費留学し、歯科医療技術を学び、また歯科器材の重要性に注目し機材製造会社を積極的に見学し、1918年(大正7年)5月に帰国した。
真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1… 真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1974年4月28日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。元東京理科大学学長。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。元応用物理学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。 香川県大川郡神前村(現さぬき市)生まれ。日本における応用物理学分野の権威であり、金属、木材、摩擦、衝撃、燃焼等、多方面に亘って物理現象を研究する。1965年文化功労者。主著に『応用物理学実験法』、『圧力測定法』等。
鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3… 鈴木 清太郎(すずき せいたろう、1886年(明治19年)3月10日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の物理学者。農業気象の研究者。 1886年(明治19年)3月10日、香川県生まれ。東京帝国大学を卒業し、欧米に留学。1925年(大正14年)に九州帝国大学の教授となる。1942年(昭和17年)から1957年(昭和32年)まで日本農業気象学会会長を務めた。 1961年(昭和36年)、日本気象学会岡田賞を受賞。 1962年(昭和37年)、日本農業気象学会 永年功労会員(フェロー)。 1977年(昭和52年)3月3日、死去。90歳没。
山川 章太郎(やまかわ しょうたろう、1884年(明治17年… 山川 章太郎(やまかわ しょうたろう、1884年(明治17年)2月25日 - 1941年(昭和16年)2月4日)は、内科学者。位階および勲等は正三位・勲二等瑞宝章。専門は糖質代謝、消化器。ぶどう糖、脂肪の非経口的栄養(静脈内投与)の創始者、特に脂肪乳剤ヤノールの臨床応用が重要。 長男は山川邦夫(順天堂大学医学部教授)。次男は山川民夫(東京大学名誉教授)。孫は大熊由紀子(科学ジャーナリスト)。 香川県高松市に、山川慎蔵(儒者、和算家)の長男として生まれる。祖父の山川孫水も大坂出身の儒者および和算家で、私塾を開いたのち高松藩の郷校の校長を務めている。 米国留学中、野口英世の協力を得て、血清プロテアーゼの研究を行った(追悼録)。
保井 コノ(やすい コノ、1880年2月16日 - 1971… 保井 コノ(やすい コノ、1880年2月16日 - 1971年3月24日)は、日本の植物学者・細胞学者。理学博士(東京帝国大学・論文博士・1927年)。日本初の女性博士号取得者。東京女子高等師範学校教授(39歳)、お茶の水女子大学教授などを経て、お茶の水女子大学名誉教授(72歳)。男女差別の著しい時代に、女性科学者として多くのことに、日本初のという形容詞が付く先駆者の道を歩み、女性科学者の道を拓いた。保井の学位取得をきっかけに、他の分野でも女性博士が出るようになる。 1880年香川県生まれ。香川県師範学校を経て女子高等師範学校を卒業、教師となる。34歳で渡米し、シカゴ大学で細胞学、ハーバード大学で石炭学を研究。
伊藤 一郎(いとう いちろう、嘉永3年4月(1850年) -… 伊藤 一郎(いとう いちろう、嘉永3年4月(1850年) - 大正4年(1915年)4月24日)は、日本の政治家、教育者、哲学者である。讃岐国三豊郡財田村(現・香川県三豊市)出身。衆議院議員。 多度津藩の藩校・日新書院助教、同自明館支配などを務める。その後、大区会議員、同議長、愛媛県会議員、四国新道開鑿県相談役などを歴任。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に香川県第5区から立候補し当選し、衆議院議員を1期務めた。哲学に精通し、著書も多い。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(… 久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(安永9年) - 1841年6月25日(天保12年5月7日))は、江戸時代の日本の発明家、暦学者、測量家、洋学者などである。通称は栄左衛門。 伊能忠敬よりも早く、日本初の実測地図を作った人物である。地元香川県では偉人として顕彰されており、「讃岐のエジソン」「塩田の父」などと称される。 1780年(安永9年)、讃岐国大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)の農家に生まれる。幼少のころから利発で学問好きな子だったため、引田港から大坂に向かう船の舵取りも務めていた父の嘉兵衛は、大坂に行くたび通賢のために書物を買ってきていた。また、手先が器用で熊や獅子を粘土で作るのが得意だったため「獅子熊」と呼ばれていた。
岡田 尊司 は、日本の医学者(精神科医)、作家。博士(医学)… 岡田 尊司 は、日本の医学者(精神科医)、作家。博士(医学)。岡田クリニック院長。
宮内 靖昌(みやうち やすよし)は、日本の建築材料・建築構造… 宮内 靖昌(みやうち やすよし)は、日本の建築材料・建築構造/建築工学者。一級建築士。大阪工業大学工学部建築学科元教授、建築会元会長・第6代八幡工学実験場長。工学博士(東北大学)。日本建築学会近畿支部第71期常議員。日本建築総合試験所耐震判定委員会委員。大阪府建築士審査会会長。 専門は、建築工学・建築構造、建築材料、耐震工学。 香川県高松市出身。1982年大阪工業大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。のちに、東北大学にて(工学博士)(東北大学)。竹中工務店技術研究所主任研究員を経て、2013年大阪工業大学工学部建築学科教授、2016年大阪工業大学建築会会長。2024年大阪工業大学退官。 大阪工業大学建築学科にて、10年以上教鞭を執り、同大学建築会元会長・第6代八幡工学実験場長なども務め、特に耐震工学における産学共同研究の推進・育成に貢献した。