浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学… 浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学者、実業家。高知県出身。 株式会社Pale Blue 共同創業者 兼 代表取締役。専門は航空宇宙工学。
高知県:64人
浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学… 浅川 純(あさかわ じゅん、1991年 - )は、日本の工学者、実業家。高知県出身。 株式会社Pale Blue 共同創業者 兼 代表取締役。専門は航空宇宙工学。
Template:利益相反 山本 清龍(やまもと きよたつ、… Template:利益相反 山本 清龍(やまもと きよたつ、1973年(昭和48年)2月10日 - )は、日本の造園学者、観光学者、林学者。東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室 准教授。専門は、公園計画、保護地域管理、地域振興。博士(農学)(東京大学)。高知県生まれ。
井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森… 井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森林学者。近畿大学教授。博士(農学)(九州大学・2001年)。
森岡 周(もりおか しゅう、1971年3月20日 - )は、… 森岡 周(もりおか しゅう、1971年3月20日 - )は、日本の医学者。畿央大学教授。博士(医学)。資格は理学療法士。専門は理学療法学、リハビリテーション、神経科学、ニューロリハビリテーション。一般社団法人日本神経理学療法学会副理事長。一般社団法人日本ペインリハビリテーション学会監事。
木村 哲也(きむら てつや、1971年〈昭和46年〉 - )… 木村 哲也(きむら てつや、1971年〈昭和46年〉 - )は、日本の歴史・民俗学者。高知県宿毛市出身。旧・東京都立大学文学部卒業。 中学3年のとき、東京都近郊在住の高知県宿毛市出身者の集まりである「東京宿毛会」席上で、ハンセン病患者と交流の深かった詩人・大江満雄と出逢ったことをきっかけに、『大江満雄集』編集に参加。全国のハンセン病療養所を訪ね、大江満雄とハンセン病について取材した。 また、高校卒業時に民俗学者の宮本常一の著書に衝撃を受け、都立大在学中に旅の見聞を伝える新聞『みる・きく・あるく』を発行。後に周防大島文化交流センター(宮本常一記念展示室)学芸員も務めている。一方では、祖母が高知県駐在保健婦を経験していたことから、都立大在学中より高知県、青森県、沖縄県などの駐在保健婦の調査研究を進めている。
田村哲樹(たむら てつき、1970年-)は、日本の政治学者。… 田村哲樹(たむら てつき、1970年-)は、日本の政治学者。名古屋大学大学院法学研究科教授。政治理論、民主主義理論専攻。
公文 孝佳(くもん たかよし、1969年1月19日 - )は… 公文 孝佳(くもん たかよし、1969年1月19日 - )は、日本の法学者(刑事法)。神奈川大学法学部法律学科教授。 1969年1月19日、高知県生まれ。高知学芸高校卒業・金沢大学法学部法学科卒業・金沢大学大学院法学研究科修士課程修了。北海道大学大学院博士(法学)、同大大学院法学研究科博士後期課程。 2003年〜2005年神奈川大学法学部専任講師、2005年〜2007年神奈川大学法学部助教授、2010年神奈川大学大学院法務研究科准教授、2013年〜2014年中央学院大学法学部非常勤講師兼任(非常勤)講師、神奈川大学法学部法律学科/自治行政学科教授。
森岡 正博(もりおか まさひろ、1958年9月25日 - )… 森岡 正博(もりおか まさひろ、1958年9月25日 - )は、日本の哲学者。早稲田大学人間科学部教授。2015年に「脳死概念における人格性と尊厳の哲学的研究」で大阪府立大学より博士(人間科学)。 生と死を総合的に探求する生命学を提唱。2006年より「生命の哲学」という新しい哲学ジャンルを提唱している。代表的な著作は『無痛文明論』『感じない男』など。 1958年高知県高知市に生まれる。1977年に東京大学入学。当初は物理学と数学を学んだが、後に哲学・倫理学に転じた。大学院ではヴィトゲンシュタイン後期哲学とともに、当時登場してきた生命倫理学と環境倫理学を専攻した。生命倫理学に関する二つの書籍『生命学への招待』『脳死の人』を出版後、1988年に京都の国際日本文化研究センターに移った。
野中 尚人(のなか なおと、1958年5月4日 - )は、日… 野中 尚人(のなか なおと、1958年5月4日 - )は、日本の政治学者。専門は比較政治学、日本政治。 高知県出身。1984年東京大学文学部西洋史学科卒業、1993年東京大学大学院総合文化研究科国際関係論専攻博士課程修了、博士(学術)の学位を取得。財団法人アジア太平洋研究会研究員、同主任研究員、静岡県立大学国際関係学部助手などを経て、現在は学習院大学法学部教授。
川村 静児(かわむら せいじ、1958年 - )は、日本の物… 川村 静児(かわむら せいじ、1958年 - )は、日本の物理学者。名古屋大学大学院理学研究科教授。専門は、重力波物理学。理学博士(東京大学、1989年)。
須藤 靖 (すとう やすし、1958年 - )は、日本の物理… 須藤 靖 (すとう やすし、1958年 - )は、日本の物理学者。専門は理論宇宙物理学。高知工科大学総合研究所特任教授。理学博士。 高知県安芸市出身。清水ヶ丘中学校、土佐高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。1986年に東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。東大では佐藤勝彦に師事した。その後、カリフォルニア大学バークレー校、ミラー基礎科学研究所、茨城大学理学部、広島大学理論物理学研究所、京都大学基礎物理学研究所、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻助教授を経て、2006年より 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。そして定年により東京大学を退職した後、2024年より高知工科大学総合研究所特任教授として現任。
岸上 伸啓(きしがみ のぶひろ、1958年 - )は、日本の… 岸上 伸啓(きしがみ のぶひろ、1958年 - )は、日本の文化人類学者。神戸女学院大学国際学部グローバルスタディーズ学科・ 客員教授、国立民族学博物館・特定教授、国立民族学博物館・名誉教授、総合研究大学院大学・名誉教授。人間文化研究機構・元理事。 文化人類学者。高知県高知市出身。土佐中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部社会学専攻を経て、早稲田大学大学院文学研究科社会学専修博士前期(修士)課程修了。カナダマギル大学(英語版)人類学科博士課程中退。総合研究大学院大学博士(文学)。 1989年4月早稲田大学文学部・助手、1990年10月北海道教育大学教育学部函館校・専任講師、1992年4月同・助教授、1996年1月国立民族学博物館第1研究部・助教授、1998年先端民族学研究部・助教授、2004年先端人類科学研究部・助教授、2005年10月より2018年3月まで同・教授、総合研究大学院大学・教授(併任)。
西森 秀稔(にしもり ひでとし、1954年 - )は、日本の… 西森 秀稔(にしもり ひでとし、1954年 - )は、日本の物理学者。東京工業大学特任教授。専門は理論物理学、数理物理学、統計物理学。量子アニーリングの提唱者。高知県高知市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
森 裕司(もり ゆうじ、1953年(昭和28年)11月21日… 森 裕司(もり ゆうじ、1953年(昭和28年)11月21日 - 2014年(平成26年)9月17日)は、日本の動物行動学者。高知県出身。東京大学大学院農学生命科学研究科教授。 高知県高知市生まれ。 東京大学農学部を卒業後、同大大学院博士課程、東京農工大学助教授などを経て、東京大学大学院農学生命科学研究科教授となった。 2014年9月17日午後3時24分、閉塞性細気管支炎のため東京都文京区の病院で死去。60歳没。
浜窪 隆雄(はまくぼ たかお、1952年(昭和27年)12月… 浜窪 隆雄(はまくぼ たかお、1952年(昭和27年)12月14日 - )は、日本の医学者、生化学者。東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は、生化学、抗体医薬。
南 哲行 (みなみ のりゆき、1951年または1952年 -… 南 哲行 (みなみ のりゆき、1951年または1952年 - )は、日本の建設・国土交通技官。国交省砂防部長、北海道大学大学院特任教授、全国治水砂防協会常務理事等を歴任。 高知県高知市出身。1977年 (昭和52年) 京都大学農学部卒。同年建設省入省、北海道庁土木部、九州地方建設局大隅工事事務所長、建設省土木研究所砂防研究室長、奈良県土木部長、国交省東北地方整備局道路部長、同河川部長、水管理・国土保全局砂防計画課長、2011年7月、砂防部長。2013年1月 大野宏之を後任に砂防部長退任、退官。同年 北海道大学大学院農学研究院国土保全学研究室特任教授 。2015年 全国治水砂防協会常務理事。一般財団法人砂防・地すべり技術センター理事長。
秦泉寺 尚(じんぜんじ ひさし、1951年-)は日本の男子ス… 秦泉寺 尚(じんぜんじ ひさし、1951年-)は日本の男子スポーツ科学者。高知県高知市出身。 高知大学卒業で筑波大学大学院修士課程コーチ学専攻修了。学生時代から陸上競技選手として短距離走を専門にしており、今でもマスターズ陸上に選手や役員として参加している。 現在は宮崎大学教育文化学部の助教授を務めている。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
右城 猛(うしろ たけし、1950年〈昭和25年〉5月22日… 右城 猛(うしろ たけし、1950年〈昭和25年〉5月22日 - )は日本の工学博士。高知県長岡郡本山町古田出身。第一コンサルタンツの代表取締役社長を務める。 高知県立高知工業高等学校土木科、徳島大学工業短期大学部土木工学科卒業。右城の最終学歴は短期大学卒業であるが、その研究が認められ1997年(平成9年)10月31日に愛媛大学より工学博士の学位を受けた。 擁壁の土圧計算法には様々なものがあるが、複雑な形状の背面土圧は試行くさび法で求めるのが一般的である。しかしその試行くさび法を逆T型擁壁やL型擁壁に当てはめると矛盾が生じるとして、右城は1991年(平成3年)に自らが改良した試行くさび法に「改良試行くさび法」と名付けて発表した。
和田 健夫(わだ たてお、1950年1月 - )は、日本の法… 和田 健夫(わだ たてお、1950年1月 - )は、日本の法学者。勲等は瑞宝中綬章。 専門は、経済法・日本の競争政策。第10代小樽商科大学学長。日本経済法学会理事。高知県出身。 1968年 土佐高等学校卒業。1975年 金沢大学法文学部卒業。1977年 金沢大学大学院法学研究科修士課程修了。 1980年 北海道大学大学院法学研究科博士後期課程退学、小樽商科大学商学部講師。1981年 小樽商科大学商学部助教授。1991年 小樽商科大学商学部教授。2001年 小樽商科大学副学長。2004年 小樽商科大学理事・教育担当副学長。2008年 小樽商科大学理事・総務・財務担当副学長、附属図書館長。2014年 第10代小樽商科大学学長。
田中 則夫(たなか のりお、1949年9月13日 - 201… 田中 則夫(たなか のりお、1949年9月13日 - 2014年11月12日)は、日本の法学者。国際法が専門。 高知市生まれ。1974年龍谷大学法学部卒、1981年同大学院博士課程満期退学、同大学法学部助教授、1990年教授・2011年副学長。
馬場 章夫(ばば あきお、1949年 - )は、日本の化学工… 馬場 章夫(ばば あきお、1949年 - )は、日本の化学工学者。大阪大学名誉教授。元大阪大学理事・副学長。産学官連携功労者表彰文部科学大臣賞受賞。 高知県生まれ。土佐高等学校を経て、1971年大阪大学工学部応用化学科卒業。1976年大阪大学大学院工学研究科石油化学専攻博士課程修了、工学博士。同年三菱化成工業(現在の三菱ケミカル)入社、総合研究所配属。1981年大阪大学工学部助手。1995年大阪大学大学院工学研究科教授。2007年大阪大学先端科学イノベーションセンター長。2008年大阪大学大学院工学研究科長・工学部長兼総長補佐(産学連携担当)。2011年から大阪大学理事・副学長(産学連携担当)を務め、第12回産学官連携功労者表彰(平成26年度)文部科学大臣賞を受賞した。
岡崎 郁子(おかざき いくこ、1949年 - )は、日本の中… 岡崎 郁子(おかざき いくこ、1949年 - )は、日本の中国文学者、元吉備国際大学教授。 高知市生まれ。1973年大東文化大学文学部日本文学科卒、1979年国立台湾大学大学院修士課程修了。2002年岡山大学大学院文化科学研究科人間社会文化学博士課程修了、「戦後台湾の日本語文芸研究 黄霊芝を中心として」で岡山大学文学博士。1990年より吉備国際大学社会学部教授、2020年退職。
谷岡 健吉(たにおか けんきち、1948年2月 - ) は、… 谷岡 健吉(たにおか けんきち、1948年2月 - ) は、日本の工学者。NHK放送技術研究所長、海洋研究開発機構招聘上席技術研究員、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校医学部客員教授、映像情報メディア学会副会長などを歴任した。恩賜発明賞、産学官連携功労者表彰等受賞。 高知県高知市の開業医の家に生まれる。高知市立潮江中学校を経て、1966年高知工業高等学校電気科卒業、日本放送協会入局。1989年NHK放送技術研究所映像デバイス研究部主任研究員。1994年博士(工学)(東北大学)。1995年NHK放送技術研究所イメージデバイス研究副部長。1997年NHK放送技術研究所撮像デバイス主任研究員。2000年NHK放送技術研究所撮像デバイス部長。
川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日… 川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。名古屋大学名誉教授、前日本福祉大学教授。専攻は、政治外交史・政治思想史。 近代日本の政治外交史、政治思想史を専門とし、原敬・濱口雄幸・山縣有朋など主に大正期の政治家・政党政治家や永田鉄山をはじめとする昭和陸軍を中心に研究を行っている。また、民俗学者として知られる柳田國男を政治思想史的観点から研究している。2012年、『昭和陸軍の軌跡』で第21回山本七平賞受賞。 高知県生まれ。1971年岡山大学法文学部卒業、1978年名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学、1987年法学博士(名古屋大学)(学位論文「柳田国男の思想史的研究」)。
大久保 茂男(おおくぼ しげお、1946年10月27日 - … 大久保 茂男(おおくぼ しげお、1946年10月27日 - )は、日本の理論物理学者。高知県立大学名誉教授。専門は原子核理論。原子核のクラスター構造(分子的構造)、原子核虹の研究などを行う。 京都大学理学博士。現在大阪大学核物理研究センター研究員、高知県立大学名誉教授。 高知県高知市出身。京都大学理学部に入学。物理学科でノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士および中間子論建設の協力者、小林稔博士の教えを受ける。京都大学大学院理学研究科物理学第2専攻原子核理論研究室(小林稔 研究室)で原子核理論研究を行う。 理論物理学、ハドロン多体系、核理論、原子核のクラスター構造、原子核の虹散乱、虹理論、超変形とクラスター構造、αクラスター構造のボーズ・アインシュタイン凝縮、原子核の虹、核反応、場の理論的超流動クラスター模型 京都大学在学中に湯川秀樹の講義をうけ,また1967年訪日したハイゼンベルグ (W. Heisenberg) の講義を聞く.物理学研究において根底思想としての哲学思想があることを知り影響を受ける.京都大学で研究中に日本で初めて開かれた1975年の原子核の国際会議で来日した英国のブリンク(David Brink),ベルギーのライデマイスター (G. Reidemeister),ドイツのフォン エーレツエン(W. Von Oertzen)と会い,後に共同研究することになる. 1969年ドイツ・ハイデルブルグにあるマックス・プランク・原子核物理学研究所のガウル(G. Gaul)らはα粒子を40Ca原子核に入射散乱させると180度近くの後方角度に異常に大きく散乱されることを発見した.それまで用いられ有効と考えられてきた標準的な光学ポテンシャル模型では全く理解できない現象であり,ラザフォード (E. Rutherford)がα粒子を金に散乱させて後方角に異常に多くα粒子が散乱されることから,原子の中心に固い芯があると考え,原子核の発見にいたったのと似たα粒子散乱の後方角異常散乱を彷彿させるこの未知の現象の背後に未知の原子核の秘密・謎があるのではないかと興味を持つ.当時日本を中心に勃興しつつあったアルファ・クラスター模型の視点から関心を寄せ研究に取り組む.アルファ・クラスター模型は歴史的には古く1937年に提唱された核模型であるが,殻模型,集団運動模型の登場により1950年代にいったんは否定された原子核模型である.1975年には日本で初めて東京大学原子核研究所と理化学研究所によって原子核のクラスター構造と反応に関する国際会議が開かれた.その国際会議ではのちに博士論文となるα粒子散乱の後方角異常とクラスター構造について講演発表した.この国際会議に出席したα粒子の後方散乱異常について研究していたオックスフォード大学のブリンクが会議後京都を訪問し,京都大学の原子核理論研究室でα粒子散乱の後方角異常現象について討論する.1985年にはブリンクのいるオックスフォード大学・理論物理学研究所に滞在し軽い重イオン核融合反応断面積の励起関数にあらわれる未知の振動模様の発現機構について共同研究する.振動模様が内部波と外部波の干渉で生じることを発見する.1985年秋,α粒子の後方角異常現象に興味を持って研究していたベルギー・モンス大学のミシェル(F. Michel)を訪問し,ブリュッセル大学のライデマイスター(G. Reidemeister)も加わりα粒子と40Caの核融合反応機構について共同研究を始める.α+40Ca 核融合反応断面積の励起関数に見られる振動模様が複合系44Ti核のアルファ・クラスター構造によって引き起こされることを発見する.1980年代前半までに日本を中心に進展した原子核のクラスター構造の理論的研究で,軽い原子核ではクラスター模型が殻模型や集団模型では説明できない現象をも含めて核構造を包括的に説明でき非常に有効な模型であることが確立しつつあった.しかし,質量数40以上の重い原子核領域では殻模型構造の根拠となっているスピン・軌道力が非常に重要になるが,その力は他方でα粒子を壊す働きをするので,44Tiのような重い原子核ではアルファ・クラスター構造模型は成立せず殻模型構造的になると考えられていた.α粒子散乱後方角異常と核構造の統一的理解の視点から,α+40Ca系の核融合反応研究を発展させ,典型核である44Ti原子核においてアルファ・クラスター構造が存在しその証拠となる負パリティ回転アルファ・クラスターバンドの存在することを1986年に理論的に予言.その回転アルファ・クラスターバンドの状態は1990年大阪大学核物理研究センターのAVF加速器と精密測定器「雷電」を用いて東北大学の山屋 堯らの実験チームによる探索実験で理論の予言通り発見される.理論家として最初から山屋らの実験チームによる実験に加わり実験中に助言を行う.1993年にはベルリンのハーン・マイトナー研究所(現在のヘルムホルツ研究所)のサイクロトロンを用いた実験でグアゾ-ニ(P.Guazzoni)のチームによっても予言された44Tiのアルファ・クラスター回転バンドの状態が確認された.1988年に『Progress Theoretical Physics』誌にて40Ca原子核にもアルファ・クラスター構造をもつ負パリティ回転バンドの存在を予言.予言されたアルファ・クラスター状態は1993年阪大学核物理研究センターのAVF加速器と精密測定器「雷電」を用いて東北大学の山屋らの実験チームにより発見された.質量数40以上のfp殻領域の原子核においてアルファ・クラスター構造が存在しアルファ・クラスター模型が成立することが理論的・実験的に確立され,重い原子核の領域へアルファ・クラスター研究が大きく切り開かれることとなった.アルファ・クラスターが質量数40付近の他の核でも存在することやアルファ・クラスターの負パリティ回転バンド状態がいくつかに分岐することも微視的理論研究で明らかになった.α粒子散乱の後方角異常とアルファ・クラスター構造の存在が同じ相互作用ポテンシャルでもって統一的に理解できること示された.ブリンクらは後方角異常現象が標的原子核の内部領域まで侵入した波である内部波によると半古典的手法で証明したが,その内部波が44Tiにおけるアルファ・クラスター構造の存在と関係していることが明らかになった.1995年には質量数90付近の94Moと212Poの原子核においてもアルファ・クラスター構造が存在するとの論文を発表.さらに重い核の領域でのアルファ・クラスター構造研究のさきがけとなった.
髙橋 昌明(たかはし まさあき、1945年1月27日 - )… 髙橋 昌明(たかはし まさあき、1945年1月27日 - )は、日本の歴史学者、神戸大学名誉教授。日本中世史専攻。 高知県高知市生まれ。1969年同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。同志社高等学校教諭、滋賀大学教育学部教授、神戸大学大学院人文学研究科教授を歴任する。2002年「武士の成立 武士像の創出」で大阪大学より博士(文学)の学位を受ける。2008年定年退職、神戸大学名誉教授となる。 2007年、平氏政権を最初の武家政権とする論を発表し、「六波羅幕府」と呼び、上横手雅敬と論争になった。2011年8月5日、日本史研究会代表委員としての立場で、大阪府議会における「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議する声明を連名で出した。
佐竹 研一(さたけ けんいち、1945年 - 2016年12… 佐竹 研一(さたけ けんいち、1945年 - 2016年12月18日)は、日本の環境学者。初代生物地球化学研究会会長。 高知県生まれ。土佐高等学校卒業。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。環境庁国立環境研究所酸性雨研究チーム総合研究官を経て、立正大学地球環境科学部環境システム学科教授、中国廈門大学客員教授。 その他 中国廈門大学客員教授、東京大学非常勤講師
高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 … 高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 - 2024年1月3日)は、日本の臨床心理学者。立命館大学名誉教授。 高知県高知市生まれ。1968年京都大学教育学部卒。1973年同大学院博士課程満期退学。1973年京都大学教育学部助手。河合隼雄助教授(当時)の下で勤務。1974年ひかり協会(森永ヒ素ミルク事件被害者のため設立)の救済対策委員。1976年大阪電気通信大学助教授、1985年教授。1995年立命館大学産業社会学部教授。2001年同応用人間科学科教授。2009年定年退職、特任教授。2014年退職、名誉教授。 2024年1月3日午前7時、病気のため京都府田辺市の自宅で死去。79歳没。
瀧田 佳子(たきた よしこ、1943年6月12日 - )は、… 瀧田 佳子(たきた よしこ、1943年6月12日 - )は、アメリカ文学・比較文学の研究者、東京大学・大学評価・学位授与機構名誉教授。 広島県生まれ。旧姓・中山。
立仙 順朗(りっせん じゅんろう、1940年(昭和15年)5… 立仙 順朗(りっせん じゅんろう、1940年(昭和15年)5月29日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻は近代フランス文学。サルトル、ブランショの研究を経て、マラルメにおけるポエジーを研究。千葉県船橋市在住。
岡村 甫(おかむら はじめ、1938年9月18日 - )は、… 岡村 甫(おかむら はじめ、1938年9月18日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門はコンクリート工学。高知工科大学理事長。東京大学名誉教授。 高知県出身。東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了。東京大学工学部学部長、高知工科大学第2代学長を経て高知工科大学理事長。 学生時代は東京大学運動会硬式野球部の投手として、東京六大学リーグ通算71試合登板、17勝35敗、防御率2.82、120奪三振。アンダースローから17勝を挙げるが、東京大学の投手として通算最多勝利記録となっている。のちに同大で野球部監督・部長も務めた。 東京六大学野球連盟元理事長。土木学会名誉会員、ACI名誉会員。土木学会論文賞、コンクリート工学協会論文賞、日系BP技術賞、紫綬褒章、土木学会功績賞など。
河内 十郎(かわち じゅうろう、1938年4月7日 - )は… 河内 十郎(かわち じゅうろう、1938年4月7日 - )は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。 高知県生まれ。栄光学園高等学校から、1961年東大文学部心理学科卒、1967年同大学院博士課程中退、1975年東大教養学部助教授(心理学)、1981年「左半側空間無視患者の認知空間の構造に関する心理学的研究」で文学博士、1988年教授、1999年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授。2009年退職。 脳の損傷を研究する。神経心理学が専門。
目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学… 目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学者。専門は家族社会学、ジェンダーの社会学、開発とジェンダー。上智大学名誉教授、ケース・ウェスタン・リザーブ大学博士。元日本家族社会学会会長。 高知県高知市出身。高知県立高知小津高等学校、ブライアクリフ・カレッジ、ウェスタン女子大学を経て、1967年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了、1974年ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院社会学専攻博士課程修了、Ph.D.。 1971年4月上智大学文学部社会学科専任講師、同助教授、同教授、上智大学総合人間学部社会学科教授。2009年4月上智大学名誉教授。男女共同参画推進連携会議議員委員、原子力委員会国際関係部会委員、国連婦人の地位委員会日本代表、一般財団法人外務精励会理事なども務める。
公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )… 公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )は、日本の社会学者。東京大学教授、多摩大学情報社会学研究所所長、多摩大学教授、立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部客員教員、情報社会学会会長などを歴任。専門は、社会システム論、国際関係論。 高知県出身。土佐中学校・高等学校を経て、1957年に東京大学経済学部卒業。1959年に同大学院社会科学研究科理論経済学専門課程修士課程修了。1967年に東京大学教養学部助教授、カールトン大学客員助教授・客員準教授。1968年にインディアナ大学経済学大学院でPh.D.取得。1971年に経済企画庁客員研究官。1978年、東京大学教養学部教授。1988年にワシントン大学客員研究教授。
小松俊雄(こまつ としお、1932年- )は、日本の法学者。… 小松俊雄(こまつ としお、1932年- )は、日本の法学者。専門は商法。弁護士。明治大学名誉教授。高知県安芸市出身。 1956年司法試験合格。1957年明治大学法学部卒業。司法修習生。1959年明治大学法学部助手。1962年明治大学法学部専任講師。1965年明治大学法学部助教授。1970年明治大学法学部教授。1974年イギリス・ロンドン大学に留学。1990年明治大学法学部長。1996年明治大学評議員。2000年明治大学法制研究所所長。2003年明治大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録。 この他、明治大学法学部法律学科長(1978年-1979年、1982年-1984年)も務めた。 著書に伊藤進, 木元錦哉と共著『消費者の権利 : 賢い消費者のすすめ(有斐閣選書)』(有斐閣、1976年)がある。
永野 耐造(ながの たいぞう、1931年(昭和6年)2月11… 永野 耐造(ながの たいぞう、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)8月25日)は日本の法医学者で、金沢大学名誉教授。
松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 202… 松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 2020年1月23日)は、英文学者、成城大学名誉教授。英国ロマン派詩、特にジョン・キーツを研究し、薄田泣菫との比較研究も行った。 高知市出身。神戸大学文学部英文科卒。同大学院博士課程中退、名古屋商科大学助教授、1965年成城大学助教授、教授、1977-1978年オックスフォード大学客員研究員、同大学院特別研究生。1985年「キーツ-その夢と現実」で神戸大学学術博士。2002年定年、名誉教授。2010年秋、瑞宝中綬章受章。 2020年1月23日3時50分、心不全のため、広島県東広島市の病院で死去。88歳没。死没日をもって、従五位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
倉松 功(くらまつ いさお、1928年(昭和3年)9月16日… 倉松 功(くらまつ いさお、1928年(昭和3年)9月16日 - 2020年(令和2年)7月17日)は、日本の神学者・キリスト教学者。東北学院大学名誉教授。高知県土佐清水市出身。 日本キリスト教団東京信濃町教会伝道師、日本ルター学会理事長、日本基督教学会理事長を務めた。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 201… 深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 2015年10月5日)は、日本の法学者。専門は憲法。北海道大学名誉教授。法学博士(北海道大学・論文博士・1962年)(学位論文「衆議院の解散 : 比較憲法史的考察」)。高知県出身。宮澤俊義門下。 東京大学法学部在学中に戦後憲法学の始祖・宮沢俊義教授に師事する。宮沢の晩年の弟子。 内村鑑三らが設立した札幌独立キリスト教会の会員であった。自らのクリスチャンとしての生き方と日本国憲法の精神を重ねあわせ、やや思想が先行した典型的な護憲派学者として知られる。恵庭事件、長沼ナイキ事件などの訴訟でも出廷し、鑑定人として証言した。 恵庭事件発生当時、まだ学部生だった笹川紀勝から、「このような事件がある。
小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日… 小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日 - 2005年12月28日)は、日本の魚類細胞遺伝学者。 高知市出身。1942年北海道帝国大学理学部動物学科卒。45年同副手。1955年北海道大学理学博士。1948年関西学院大学講師、51年助教授、57年教授。61年理学部教授(理学部新設)、69年理学部長、88年定年退職、名誉教授。日本魚類生物科学研究所長。1988年財団法人染色体学会理事長。1980年兵庫県科学賞、1993年勲三等瑞宝章。 金魚の祖先が中国の鮒の一種「鯽」であることをつきとめた。
乾 常美(いぬい つねみ、1914年(大正3年)9月21日 … 乾 常美(いぬい つねみ、1914年(大正3年)9月21日 - 2007年(平成19年)9月18日)は、高知県出身の郷土史家。随筆家。国府史蹟保存会会長、南国史談会会長、南国市文化財審議会委員。清和源氏土岐氏支流乾氏・乾和信の分家の子孫(和信の14世孫)にあたる。板垣退助の監修による『自由党史』を執筆した和田三郎は親戚。 高知県商工会議所業務部長を務めるかたわら、長年に渡って執筆投稿してきた随筆を『生涯雑筆』に収録して出版。さらに続編として『続・生涯雑筆』を上梓。国府史蹟保存会会長として紀貫之邸址の整備と石碑の建立。南国史談会の会長をつとめ、みずから南国市の史跡調査についての研究論文を執筆。また、「乾の大墓」の調査保存に努めた。
目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002… 目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002年2月9日)は、日本の経営者、工学博士。東洋ゴム工業社長、会長を務めた。高知県高知市出身。 1937年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、東洋紡での勤務を経て、1944年9月に東洋ゴム工業に入社。1959年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1965年5月に社長に就任。1977年5月に会長に就任し、1983年6月には相談役に就任。 1977年に紺綬褒章を受章し、1978年に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
桂井 和雄(かつらい かずお、1907年〈明治40年〉12月… 桂井 和雄(かつらい かずお、1907年〈明治40年〉12月10日 - 1989年〈平成元年〉8月9日)は、日本の民俗学者。 高知県高知市出身。早稲田第二高等学院中退。小学校教諭、校長、高知県福祉事業財団会長などを務めながら昔話を採集。1984年『土佐民俗選集』で柳田賞受賞。土佐民俗学会長。
有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治2… 有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治29年)2月16日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。位階は正三位。 法政大学元総長。東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。統計学が専門分野で、実証に徹した。 高知県出身。高知中学を経て、第二高等学校卒業。東京帝国大学では法学部から独立したばかりの経済学部の第一期生として統計学を糸井靖之の演習にて学ぶ。また河合栄治郎の講義を熱心に聴いた。大内兵衛に師事し、マルクス経済学を学ぶ。1922年(大正11年)に同大学を卒業後、助手を経て1924年(大正13年)に同大経済学部統計学講座の助教授となる。同年、同大講師の猪間驥一を大学から追放した。
伊藤 正一(いとう しょういち、1895年5月15日 - 1… 伊藤 正一(いとう しょういち、1895年5月15日 - 1969年9月15日)は、日本の会計学者。ドイツ会計学専攻。成城大学学長代行等を務めた。 高知県高知市生まれ。1913年高知商業学校(現高知市立高知商業高等学校)卒業。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1920年同専攻部卒業。三菱合資会社入社後、三井物産入社。オランダ領東インドやハワイでの勤務や、青山学院教諭を経て、1926年高岡高等商業学校(現富山大学経済学部)教授に就任。1927年から2年間文部省在外研究員としてドイツ、フランスに留学し会計学を修めた。 1931年横浜専門学校(現神奈川大学)教授。1938年日本通運に入社し、同社の会計組織の確立に尽力した。
尾崎 卓爾(おざき たくじ、1893年(明治26年)11月2… 尾崎 卓爾(おざき たくじ、1893年(明治26年)11月20日 – 1958年(昭和33年)10月13日)は、高知県出身の歴史家・記者。号は吸江(ぎゅうこう)。中岡慎太郎の伝記を日本で初めて著した人物。陽明社の創始者・尾崎旦は兄。 1893年(明治26年)11月20日、尾崎旦爾(手島熊吉)の四男として高知県安芸郡北川村野川番地に生まれる。母は尾崎旦信(折蔵)の長女・亀。 旧制高知商業学校を経て明治大学へ進む。卒業後、土陽新聞の速記部長、のち徳島日日新聞の東京支局長などを務める。 文壇「博浪沙」に参加、大町桂月、田中貢太郎らと交わる。土佐人の典型のような、豪放磊落で気骨のある性格で、あるとき貢太郎を伴って北川村の実家に帰ったが、議論伯仲し、両人とも酒豪であったため、二人で一斗樽を飲み空かしたと言われる。
岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 … 岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 - 1982年8月6日)は、日本の国文学者・文芸学者。文学博士。日本学士院会員。 高知市生まれ。東京帝国大学卒、1923年東北帝国大学助教授、のち東北大学教授、1955年共立女子大学教授。1965年日本学士院会員。 美学に基づく日本文芸学を唱えた。1937年谷崎潤一郎が『源氏物語』の現代語訳を出した際、光源氏と藤壺の密通の場面が削除されたことを批判した。『岡崎義恵著作集』全10巻がある。 墓所はさいたま市西区三橋の青葉園。
田所 芳秋(たどころ よしあき、 1889年(明治22年)8… 田所 芳秋(たどころ よしあき、 1889年(明治22年)8月 - 1977年(昭和52年)6月29日) は、日本の鉱物学者。元日本製鐵八幡製鐵所研究所長。帝国学士院賞受賞。 高知県出身。旧制高知県立中学海南学校(現高知県立高知小津高等学校)を経て、1911年旧制大阪高等工業学校卒業。1916年東北帝国大学理科大学物理学科卒業、理学士。同年官営八幡製鐵所(研究課)入所。1920年東北帝国大学理学博士。官営八幡製鐵所研究所で研究し、日本製鐵八幡製鉄所技師、研究所監事、研究所長、日本製鐵理事などを経て、高知県工業試験場長に就任。1923年正七位勲六等瑞宝章。1934年帝国学士院賞受賞、従四位。1938年日本鉄鋼協会香村賞受賞。
小島 祐馬(おじま すけま、1881年〈明治14年〉12月3… 小島 祐馬(おじま すけま、1881年〈明治14年〉12月3日 - 1966年〈昭和41年〉11月18日)は、東洋史学者・東洋思想史研究者(中国社会思想史)。京都帝国大学名誉教授。号は「抱甕」(ほうおう)。財団法人板垣会顧問。 1881年、高知県吾川郡弘岡上ノ村(現・高知市)で生まれた。弘岡上ノ村の小学校を卒業して高知県立第一中学校に進学し、漢文の授業では『日本外史』『十八史略』『孟子』などを学び、荻生徂徠の立場から孟子を非難する教師に反論して孟子を弁護したりしたという。また、後年の小島は、これまで読んできたなかで最も有益で興味深い中国の書物として、中学時代から読んできた『孟子』『荘子』『史記』を挙げると述べている。
山本 忠興(やまもと ただおき、1881年(明治14年)6月… 山本 忠興(やまもと ただおき、1881年(明治14年)6月25日 - 1951年(昭和26年)4月21日)は、日本の電気工学者、発明家、教育者。 高知県香美郡岩村(現南国市金地)出身。政治家山本忠秀の長男として生まれるが、母親の山本さがは入籍前に死去したため、忠秀の養子として育てられる。 1893年(明治26年)高知県尋常中学校進学、野球やボートなどスポーツに取り組み、英語や体操は得意だったが、数学や図画は不得意だった。1898年(明治31年)同校を首席で卒業し上京、1899年(明治32年)9月第一高等学校入学、剣道や野球、ボートの選手として活躍する。1902年(明治35年)9月東京帝国大学工科大学電気工学科入学、在学中に植村正久の指導でキリスト教に入信。1905年(明治38年)同大学を卒業、芝浦製作所(現東芝)に入所。