山下 壱平(やました いっぺい、1991年1月1日 - )は… 山下 壱平(やました いっぺい、1991年1月1日 - )は、日本の実業家、ドローン評論家。 福岡県太宰府市出身。民間資格無人航空従事者試験を実施するドローン検定協会株式会社代表取締役社長。また、無人航空機に関する講演活動を行っている。 官民で構成する「小型無人機に係る環境整備に向けた官民協議会」の「小型無人機の更なる安全確保のための制度設計に関する分科会」の構成員である一般財団法人JAREXの技術研究員として、同分科会に参加。 日本と米国における飛行機の操縦資格(パイロットライセンス)を持つ。米国での航空留学中にFAAのリモートパイロットライセンスも取得している。
柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、… 柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、野球解説者、野球評論家。九州共立大学特別客員講師。北九州市スポーツ大使。芸能事務所パインズと業務提携。 北九州高校時代は「4番・エース」として、3年春の九州大会でベスト8の成績を残した。その後、九州共立大学に進学と同時に野手転向。福岡六大学で首位打者を4回、本塁打王を3回、打点王を4回、MVPを2回、ベストナイン6回をそれぞれ獲得。リーグ戦通算成績は85試合出場、330打数137安打。打率.415、21本塁打、96打点。4年春の大学選手権では決勝で井口忠仁(ダイエー同期入団)が主将の青学大と対戦し、準優勝。
徳留 祐太(とくどめ ゆうた、1965年1月6日 - )は、… 徳留 祐太(とくどめ ゆうた、1965年1月6日 - )は、日本のマルチプロデューサー、教育研究・評論家。 福岡県立城南高等学校卒業後に上京。 自ら、アーティスト・俳優・タレント等としての経歴を持ち、その後プロデュース業に移行するとともに、新人開発やマネージメント、並びに各メディアにおける企画・制作・キャスティング等の業務を行う。 また、芸能以外の一般企業からもコンサルタントとして人材育成やマネージメント、及びプロモーションのノウハウに対するオファーを受け、マルチプロデューサーとして展開する。 その一環として、日本の少子化問題に伴う入学志願者減少に悩む全国の各大学の教育体系改組やブランド力の向上、並びに文部科学省が推進する大学改革支援事業への対応等、教育研究・評論家、及び学生たちのアドバイザーとしても活動している。
千野 帽子(ちの ぼうし、男性、1965年 - )は日本の文… 千野 帽子(ちの ぼうし、男性、1965年 - )は日本の文芸評論家、エッセイスト、俳人。本名・岩松 正洋、フランス文学者、関西学院大学商学部教授。探偵小説研究会会員。 福岡市生まれ。九州大学文学部文学科卒、同大学院修士課程修了(仏文学専攻)、パリ第4大学博士課程修了、博士号取得。関西学院大学商学部助教授、2007年准教授、2010年教授。2004年から「休日だけの趣味」として、『ユリイカ』『ミステリマガジン』などに、少女文学についての評論、文芸時評などを多く執筆している。 文筆業開始以前から句作を行なっており、「帽子」はもともと俳号として使っていたものであった。2011年に俳人の堀本裕樹とともに俳句ユニット「千堀」を結成し、『日経ビジネスアソシエ』『日経ビジネスオンライン』で投句コーナー「飛び込め! かわずくん」の連載を開始。
宮崎 哲弥(みやざき てつや、1962年10月10日 - )… 宮崎 哲弥(みやざき てつや、1962年10月10日 - )は、日本の政治哲学・宗教思想・時評ほか評論家およびコメンテーター。研究開発コンサルティング会社「アルターブレイン」副代表。 中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授を経て、2018年4月より相愛大学客員教授。コミュニタリアン、仏教徒。福岡県久留米市出身。結婚に際して妻の姓に変えたため本姓は宮崎ではない。 幼少期に両親が離婚し、母方の大家族(三世代同居)の中で育った。医者だった祖父が父親代わりをしていたという。小学5年生から不登校がはじまり、中学進学後も1年生の2学期からはほとんど授業に出なかった。中学卒業後、就職して一人暮らしも経験したが、働くことが学校に通う以上に大変であることを知り、わずか半年で辞職。
菅 聡子(かん さとこ、1962年8月29日 - 2011年… 菅 聡子(かん さとこ、1962年8月29日 - 2011年5月14日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。お茶の水女子大学教授。 福岡県福岡市生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、お茶の水女子大学文教育学部人文科学科を卒業し、同大学院博士課程人間文化研究科修了。 2000年、「尾崎紅葉・樋口一葉の文学」で人文科学博士号取得。 お茶の水女子大学助教授を経て、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授。専門は日本近現代文学。特に樋口一葉など女性文学研究を中心とする。 文芸評論家としても活動しており、あさのあつこ『新ほたる館物語』(ポプラ文庫ピュアフル)や阿川佐和子『屋上のあるアパート』(講談社文庫)、林真理子『白蓮れんれん』などの解説を担当している。
江崎 道朗(えざき みちお、1962年 - )は、日本の情報… 江崎 道朗(えざき みちお、1962年 - )は、日本の情報史学者、評論家。麗澤大学客員教授。 専門は安全保障・インテリジェンス・近現代史。 福岡県大川市生まれ。福岡県立伝習館高等学校を卒業。1984年、九州大学文学部哲学科を卒業。 「日本を守る国民会議」事務局、日本青年協議会月刊誌『祖国と青年』編集長を経て、1997年から日本会議事務総局に勤務、日本会議国会議員懇談会の政策研究を担当する専任研究員。 2020年3月には渡瀬裕哉、倉山満とともに「救国シンクタンク」を設立した。
武内 伸(たけうち しん、1960年4月30日 - 2008… 武内 伸(たけうち しん、1960年4月30日 - 2008年7月13日)は、日本のラーメン評論家。神奈川県横浜市のフードテーマパーク・新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博と略)の元広報担当、日本ラーメン協会の元副理事長。福岡県鞍手郡(現宮若市)出身。「ラーメン王」のニックネームを持ち、ラーメンの道を究めるために日本全国で6000食以上ものラーメンを食べ歩いたことで知られる。「ラーメンは鶏ガラ、豚ガラ、(店主の)人柄の3ガラ」の名言を残す[3]。
山崎 養世(やまざき やすよ、1958年10月20日 - )… 山崎 養世(やまざき やすよ、1958年10月20日 - )は、日本の実業家であり、経済評論家である。総務省顧問、成長戦略総合研究所理事長。
二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958… 二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958年8月9日 - )は、日本の女優、新劇女優、ストリッパー、コラムニスト、著作家、作家、脚本家、演出家、香港映画研究家、中国問題評論家。 1980年代初め頃から萩尾なおみ名義でピンク映画を中心に活躍。その後ストリッパーに転身して、その世界では伝説的な存在であった、一条さゆりの二代目を襲名した。本名は萩尾菜穂美。 ストリップとしての出し物は、ろうそくを片手に持ち、自らの体に蝋を振りかけるという初代から受け継いだろうそくショー、縄による縛りなどのSMパフォーマンスの他、水割りの入った巨大なワイングラスの中に入って、グラスをレンズ代わりにして下半身を客に大きく見せて、わかめ酒は観客にふるまうという芸があった。
浦辺 登(うらべ のぼる、1956年(昭和31年)12月12… 浦辺 登(うらべ のぼる、1956年(昭和31年)12月12日 - )は、日本の作家、文芸評論家、書評家。 福岡県筑紫野市生まれ。東福岡高等学校卒業。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌への投稿を行なうが、卒業後もサラリーマン生活の傍ら投稿を続ける。近年はインターネットサイトの書評投稿に注力しているが、オンライン書店ビーケーワンでは「書評の鉄人」の称号を得る。「九州ラーメン研究会」のメンバーとして首都圏のラーメン文化を研究中。地元福岡で学習会を主宰し、オンラインでも歴史講座を行い、要請があれば各地で講演を行っている。 2014年、神奈川県川崎市宮前区から福岡県へ転居。福岡市西区在住。 2017年6月から読売新聞福岡県版に「維新秘話福岡」を連載し、2018年12月に終了。
島 弘之(しま ひろゆき、1956年11月19日 - 201… 島 弘之(しま ひろゆき、1956年11月19日 - 2012年8月)は、日本の英文学者、文芸評論家。 東京都生まれ。1975年福岡県立戸畑高等学校卒業。1979年上智大学外国語学部英語学科卒業。1981年同大学院修士課程修了。1984年上智大学一般外国語嘱託講師(英語)、1985年日本英文学会新人賞受賞。1986年「小林秀雄への共感的反逆 後発者柄谷行人の"場所"」で群像新人文学賞評論部門優秀作。1987年東京工科大学専任講師。1988年法政大学第一教養部専任講師、1989年助教授、1992年教授、1994年『小林秀雄』で三島由紀夫賞候補。2004年法政大学文学部英文科教授。2012年死去。鈴木晶によればその数年前から病気を抱えており、夏休みが終わり9月になっても大学に出てこないので、大学の誰かがマンションを訪ねたら死亡していたという。
さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は… さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は、日本の漫画原作者、ギャンブル評論家。本名の竹内 一郎(たけうち いちろう)名義で劇作家・演出家・評論家としても活動しており、非言語コミュニケーションを扱った『人は見た目が9割』(2005年)がベストセラーになった。宝塚大学教授。 福岡県久留米市出身。浅野高校、横浜国立大学教育学部心理学科卒業。2005年、「ストーリーマンガの誕生 : 手塚治虫の表現技法に関する実証研究」で博士(比較社会文化)(九州大学)。 九州大谷短期大学助教授をへて宝塚造形芸術大学教授、校名変更で現職。 大学在学中の1977年に、劇団「早稲田小劇場」で鈴木忠志に師事。
杉山 満丸(すぎやま みつまる、1956年(昭和31年)2月… 杉山 満丸(すぎやま みつまる、1956年(昭和31年)2月3日 - )は、日本の作家、評論家。 戦国大名の龍造寺氏の子孫である。曾祖父は、玄洋社系政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸。祖父は作家の夢野久作。父はインド緑化の父と言われる杉山龍丸、詩人の杉山参緑は叔父にあたる。 現在は、九州産業大学付属九州産業高等学校で、教鞭を執りながら夢野久作と杉山三代の研究を行っている。 1974年 福岡大学附属大濠中学校・高等学校卒業。1980年 東京農工大学農学部蚕糸生物学科 卒業。 1980年~1983年 九州大学農学部農業工学科潅漑利水工学講座の研究生。 1990年 農業土木学会(現農業農村工学会)誌に『シートパイプクロス暗渠工法と施工後の状態を発表し、同技術は農林水産省から新技術の認定を受ける等、農業工学に詳しい。
小林 よしのり(こばやし よしのり、1953年〈昭和28年〉… 小林 よしのり(こばやし よしのり、1953年〈昭和28年〉8月31日 - )は、日本の漫画家、評論家、活動家。「よしりん企画」社長、「ゴー宣道場」主宰者。 福岡県筑紫郡大野町(現・大野城市)生まれ、福岡県福岡市育ち。福岡大学人文学部フランス語学科卒業。1976年に『ああ勉強一直線』を投稿しデビュー。『東大一直線』『おぼっちゃまくん』などのヒット作を持つ。令和初期に『おぼっちゃまくん』が人気アニメとしてテレビ放送されているインドでも知名度が高い。1992年の『ゴーマニズム宣言』以降、ギャグ路線だけでなく政治思想路線や時事ネタなどの社会評論的な活動も行うようになり、また2002年から季刊誌『わしズム』責任編集長なども務める。
山田 和子(やまだ かずこ、1951年〈昭和26年〉3月6日… 山田 和子(やまだ かずこ、1951年〈昭和26年〉3月6日 - )は、日本のSF編集者、翻訳家、評論家。 福岡県北九州市生まれ。慶應義塾大学文学部独文学専攻中退。 『季刊NW-SF』誌の編集長としてJ・G・バラード等の紹介に努める。また、SF翻訳者、SFにおけるフェミニズムの論客としても活躍。長く科学技術関係の編集に携わり、この分野でも訳書がある。 上記NW-SF時代に、創刊者の山野浩一から将棋を教わったところ、たちどころに上達。1977年に、女流アマ名人戦で優勝。70年代は、将棋の女性アマチュア強豪としても有名であった。山野浩一が主宰したNW-SFワークショップでは、「囲碁・将棋部」の活動が盛んであり、山田は当時、松岡正剛と囲碁を打ったこともあるという。
安部 司(あべ つかさ、1951年 - )は、日本の食品添加… 安部 司(あべ つかさ、1951年 - )は、日本の食品添加物評論家。 福岡県福岡市生まれ。特定非営利活動法人熊本県有機農業研究会メンバー(JAS判定員)。経済産業省国家資格水質第一種公害防止管理者。食品製造関係の特許4件取得。 山口大学文理学部化学科を卒業したのち総合商社の食品課に勤め、食品添加物の営業に従事していたが、ある日、自宅の食卓に自分が開発に関わったミートボールを発見し、自分の子供たちに食べさせたくないものを自分が作っていたということに初めて気がつき、愕然とした。ほどなく会社を退職。 2018年に一般社団法人加工食品診断士協会を設立した。 講演では、食品添加物やパウダー状の食品・香辛料を数十種類持ち込み、白い粉だけでできるインスタントラーメンのスープや、清涼飲料水の合成を実演して見せる。
船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月… 船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月27日 - )は、消費者問題や環境問題を専門とするジャーナリスト、評論家。 化粧品や酒類の品質を問うシリーズ書でミリオンセラーを記録するほか、60冊以上の著書を持つ一方で、政治や医学の分野においては疑似科学・陰謀論者との批判もある。 福岡県田川郡添田町出身。福岡県立田川高等学校卒業、九州大学理学部中退、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。大学在学中より生協活動に携わる。 日本消費者連盟の編集者を経て、1986年に独立。 週刊誌『週刊金曜日』で1996年に連載が始まった『買ってはいけない』シリーズの共著者として知られている。同連載をまとめた書籍はベストセラーとなり、多くの類似書を生むなど社会現象となり、消費者意識を高めたと評価される一方、船瀬がマクドナルドの肉に食用ミミズが使われていると主張するなど、科学的妥当性には批判も多い(買ってはいけない#批判を参照)。
近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は… 近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1973年中央大学商学部経営学科卒業。 大学在学中は中大ペンクラブに所属。卒業間際に檀一雄主宰の「ポリタイア」に参加し、林富士馬、真鍋呉夫、古木春哉、谷崎昭男ら「日本浪曼派」にゆかりのある人物たちの知遇を得る。1980年代には「SCOPE」などの同人雑誌に参加。現在、歴程、鷹同人。詩誌「スタンザ」発行。日本文芸家協会会員。2025年に評伝『草野心平』で第63回歴程賞を受賞。
永井 義男(ながい よしお、1949年4月20日 - )は、… 永井 義男(ながい よしお、1949年4月20日 - )は、日本の小説家、歴史評論家。
谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写… 谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写真評論家。2002年より2012年まで東京綜合写真専門学校校長。 1949年愛知県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、東京綜合写真専門学校卒業。 「写真批評」編集部に勤務。その後、東京綜合写真専門学校講師となる。 写真家による自主ギャラリー「プリズム」(東京・新宿)設立にかかわる(このギャラリーは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生が中心となって1976年3月に設立された。その後、このプリズムは閉廊している)。 1985年のつくば写真美術館'85の企画にも参加した。 個展、グループ展や展覧会の企画も行う。 なお、福岡在住で布を使った作品を制作する谷口雅()は別人。
板坂 剛(いたさか ごう、1948年6月 - )は、日本のフ… 板坂 剛(いたさか ごう、1948年6月 - )は、日本のフラメンコダンサー、作家、プロレス評論家。アルテフラメンコスクール主宰。美能憲二のペンネームを用いることもある。 国文学者の板坂元は叔父にあたる。 福岡県北九州市門司区出身。山口県下関市で幼少時代を過ごし、同地の文化に多大な影響を受ける。日本大学芸術学部映画学科に進学後、全共闘運動を経験。 1971年、シナリオ「黎明は炎のように輝く」を先行社より発表。1972年、日大芸闘委時代の同志との共著「日本映画解体考」を青林堂より発表。 1975年、小説「Rの誘惑」を青林堂より発売。映画芸術、新潮、現代詩手帖などに掲載した一連の過激な広告が一部好事家の話題を呼ぶ。
北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月… 北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月20日 - )は、文学・美術評論家、翻訳家、文筆家。 福岡県三潴郡大木町生まれ。1971年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。コピーライターをへて、文筆家。はじめ塚本邦雄論やフランス文学の翻訳をしていたが、のち雑学書などを多く執筆するようになる。
荒木 正見(あらき まさみ、1946年11月23日 - )は… 荒木 正見(あらき まさみ、1946年11月23日 - )は、日本の哲学者・歌人・評論家。哲学・論理学・倫理学を軸として、心理学・医学・文学・スポーツ科学等との学際的研究、講義と著述、評論、実践指導。短歌、エセー等創作。尾道学の提唱者である。 福岡県生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1971年名古屋大学文学部哲学科卒業。1977年九州大学大学院文学研究科哲学・哲学史専攻科博士課程単位取得退学。1978年梅光女学院大学専任講師、84年助教授、1990年福岡女学院大学助教授、94年教授、2001年日本赤十字九州国際看護大学教授、福岡歯科大学教授、文京学院大学教授。文学博士(ph.d.)。名誉博士(フィリピン国立サマール大学)
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 20… 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 2023年7月18日)は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。慶應義塾大学・特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1… 岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1994年6月13日)は、日本の美術評論家。 福岡県北九州市八幡西区香月生まれ。1963年学習院大学大学院美学美術史博士課程修了。1961年より東京国立近代美術館勤務、企画資料課長、次長。1994年6月13日、在職中に肺癌のため死去。
森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 20… 森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 2018年10月26日)は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1952年から1958年及び1986年の登録名は森下 正夫(もりした まさお)。本名は森下 正弘(もりした まさひろ)。 八幡高校時代は高校屈指の強打者として注目され、2年次の1950年に遊撃手として春の選抜へチーム初出場。1回戦で萩北高のエース椙本勝を打ち崩し初勝利を飾る。続く準々決勝では、この大会に優勝した韮山高の東泉東二投手から5点を奪うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。この試合では9回まで5-2と勝っていたが、遊撃を守っていた森下が9回裏満塁のピンチでバックホームを大悪投し、サヨナラ負けを喫した。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 … 永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の作家、文芸評論家。 福岡県福岡市生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学生時代に学習院大学の聴講生だった久邇通子と出会い恋仲になる。この事が表沙汰になるのを家族に嫌われたからか久邇通子は1年で大学に通うのを辞め、月に2、3回隠れるようにデートしていた。久邇通子の親族は、永岡義久と久邇通子の結婚を許さなかった。この2人が付き合い始めて5年が経った頃に、久邇通子の父親であった久邇宮朝融王は肝硬変で倒れる。それから近親者の取り計らいで2人の結婚が決まる。意識不明の父の枕元で婚姻届を書く。その時の永岡義久は既にサラリーマンで、飯田橋のアパートで夫婦で暮らしていたが、同居をすれば性格の不一致が広まり4年で離婚する。
松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 20… 松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 2008年3月3日)は、日本の詩人、文学・美術関係の評論家、作家。 福岡県大木町出身。福岡県立八女高等学校卒。詩人の丸山豊と出会い、詩誌「母音」に参加した。中学教師を経て、1957年に上京して文筆活動に入る。1955年に詩集を刊行し、農民や切支丹、落人などの敗者や弱者への共感を叙情的に歌い上げる作風で知られる。このほか、児童文学、美術関係の評論、いわさきちひろの画集編纂、五木寛之との対談、小説など多岐にわたる著述を残した。子守歌の研究でも知られた。1970年『日本農民詩史』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。 2008年3月3日午前0時7分、心不全のため東京都練馬区の病院で死去。
武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1… 武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1998年6月2日)は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 名前は、悉昌を音読みして「しっしょう」とも称した。 福岡県筑紫郡の農家の家系に生まれる。父が農業を継がせようとする両親(武末にとっては祖父母にあたる)に反発して家を出奔して銀行員となったため、1人残った武末は祖父母からの迫害を受けることになった。旧制筑紫中学(現:福岡県立筑紫丘高等学校)を卒業後、親類から逃れて野球を続けるために旧満州に渡り、大連高等商業学校を経て、満協中央銀行に入る。その後、1944年に召集令状を受け取り、関東軍に経理将校として召集される。
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 … 竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
武蔵野 次郎(むさしの じろう、1921年(大正10年)3月… 武蔵野 次郎(むさしの じろう、1921年(大正10年)3月14日 - 1997年(平成9年)7月9日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会会員、日本推理作家協会会員。 本名・富永真平。福岡県福岡市出身。早稲田大学法学部卒業。 主婦の友社の編集者を経て、1959年『大衆文学への招待』を南北社から刊行したことをきっかけに、大衆文学の評論家となる。1961年尾崎秀樹らと大衆文学研究会を発足。『代表作時代小説選集』の編纂を務め、江戸川乱歩賞の選考委員も担った。1976年、長谷川伸賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月2… 大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月20日 - 2014年(平成26年)3月12日)日本の小説家・評論家。本名は同じく「巨人」と書いて「のりと」。マルクス主義の立場を堅持し、唯物論的観点から個人の尊厳を創作で追究した。小説・批評のいずれにおいても、常に主体を明確にした、論理性を重んじる文体を用いた。 戦後、「近代文学」などに小説・評論を発表。戦後文学・思想の方向性を巡る論争で積極的に発言する。1955年から25年間書き継いだ『神聖喜劇』のほか、『五里霧』(1997年)、『迷宮』(2004年)など。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)、旧制福岡高等学校卒業、九州帝国大学法文学部中退。
河北 倫明(かわきた みちあき、1914年12月14日 - … 河北 倫明(かわきた みちあき、1914年12月14日 - 1995年10月30日)は、日本の美術評論家。京都国立近代美術館館長、京都造形芸術大学学長を歴任。佐藤達夫は従兄。 福岡県浮羽郡山春村(現:うきは市)生まれ。福岡県中学明善校、第五高等学校、1938年京都帝国大学文学部哲学科卒。1943年文部省美術研究所に勤務。自身と同じ明善校にも学んだこともある久留米出身の夭逝の洋画家青木繁を研究テーマとし、日本美術史上にその評価を定めた。その後も近代日本美術史の研究を精力的に進め、1952年国立近代美術館事業課長、1963年次長、1969年京都国立近代美術館館長となる。1986年退官、同年秋、勲二等旭日重光章受勲。
大井 廣介(おおい ひろすけ、1912年12月16日 - 1… 大井 廣介(おおい ひろすけ、1912年12月16日 - 1976年12月4日)は、日本の文芸評論家、野球評論家。本名、麻生賀一郎。麻生太郎の父親である麻生太賀吉は従兄にあたる。 福岡県出身。旧制嘉穂中学校卒業。早くに父を喪ったため、伯父から庇護を受ける。1930年に東京へ行く。1939年、文芸同人誌『槐』(えんじゅ)を創刊。1940年、同誌の誌名を『現代文学』と改め、平野謙や荒正人、佐々木基一、杉山英樹たちを迎えて文芸時評を執筆。同誌を昭和10年代の代表的な文芸同人誌に育て上げた。 同誌は戦後の『近代文学』の礎となったが、大井は『近代文学』から距離を置き、党派性を批判して自由人を標榜。イデオロギーを排し、ゴシップ的手法によって社会批判をおこなった。
野田 宇太郎(のだ うたろう、1909年(明治42年)10月… 野田 宇太郎(のだ うたろう、1909年(明治42年)10月28日 - 1984年(昭和59年)7月20日)は、日本の詩人、文芸評論家、文芸誌編集長。三島由紀夫や幸田文を世に送り出した人物である。 福岡県三井郡立石村(現小郡市)出身。朝倉中学卒業後、第一早稲田高等学院英文科に入学するが、病気により中退。1930年(昭和5年)、久留米市で同人誌『街路樹』に参加して詩作を開始する。1933年(昭和8年)、詩集『北の部屋』を出版。1936年(昭和11年)、安西均や丸山豊らと同人誌『糧』を創刊。1940年(昭和15年)に上京し、小山書店に入社。その後第一書房、河出書房を経て、1944年(昭和19年)文芸誌『文藝』の編集長を務めた後、東京出版に入社。
花田 清輝(はなだ きよてる、1909年〈明治42年〉3月2… 花田 清輝(はなだ きよてる、1909年〈明治42年〉3月29日 - 1974年〈昭和49年〉9月23日)は、作家・文芸評論家。巧みなレトリックを駆使した文体を特徴とし、映画や演劇の評論も多く手がけ、日本のアヴァンギャルド芸術論の先駆的存在であった。 1909年3月29日、福岡県福岡市東公園に生まれ、一人っ子として育つ。先祖は毛利輝元であり、清輝の曽祖父は黒田藩の右筆で、名前には代々「輝」の字を付ける習いだった。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)時代は柔道に熱中し、また父ともに短歌を新聞等に投稿していた。 1926年4月、鹿児島の第七高等学校甲類に入学、西田哲学に没入、また寮誌『白光』を創刊し長編詩「樹下石上」などを発表。
井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 194… 井上 良夫(いのうえ よしお、1908年9月3日 - 1945年4月25日)は、日本の探偵小説評論家、翻訳家。1930年代のいわゆる「本格ミステリの黄金時代」の海外作品を、日本に多数紹介した。戦前における最もすぐれた探偵小説評論家といわれる。 1908年(明治41年)9月3日、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。 1926年(大正15年)、愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)卒業。名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)に進学し、1930年(昭和5年)に卒業。バス会社に入社するが、名古屋市営バスと併合されて解散になったため、1937年(昭和12年)から名古屋市立白鳥尋常高等小学校(現・名古屋市立白鳥小学校)教員、1941年(昭和16年)から名古屋女子商業学校(現・名古屋経済大学市邨中学校・高等学校)教師(英語担当)。
渋川 驍(しぶかわ ぎょう、1905年3月1日 - 1993… 渋川 驍(しぶかわ ぎょう、1905年3月1日 - 1993年1月24日)は、日本の小説家、文芸評論家。福岡県福岡市生まれ。本名・山崎武雄。東京帝国大学倫理学科卒。同人誌『日暦』、『人民文庫』などに参加して小説家として立つ。1938年、『龍源寺』で第7回芥川龍之介賞候補。戦後は評論にも進出した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980… 泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980年11月10日)は、日本の歌人、美術評論家。本名は山田 邦祐。 福岡県福岡市田島に生まれる。1915年福岡県立中学修猷館を経て、1920年早稲田大学文学部英文科を卒業し、研究社に入社。在学中の1917年から北原白秋に師事している。 戦後、「婦人画報」編集局に移り、1935年白秋の歌誌「多磨」創刊に参加、のち編集に従事。1953年に同誌が終刊後、中村正爾の歌誌「中央線」創刊に参加。 本名名義で美術書も出版した。
小宮 豊隆(こみや とよたか、1884年〈明治17年〉3月7… 小宮 豊隆(こみや とよたか、1884年〈明治17年〉3月7日 - 1966年〈昭和41年〉5月3日)は、日本の独文学者・文芸評論家・演劇評論家。東北大学名誉教授。日本学士院会員。 福岡県仲津郡久富村(現・京都郡みやこ町)に生まれる。少年期に父を失うが、祖母と母のもと裕福な家庭で育つ。旧制の福岡県立豊津中学校(現・福岡県立育徳館高等学校)を経て第一高等学校 (旧制)(現・東京大学教養学部)に進む。同期に安倍能成、中勘助、藤村操、尾崎放哉、岩波茂雄がいた。 1905年(明治38年)東京帝国大学文科大学独文科に入学。大学時代に夏目漱石の門下(木曜会)となり、寺田寅彦、森田草平、芥川龍之介、内田百閒、鈴木三重吉、久米正雄、松岡譲、野上豊一郎、津田青楓たちと交際。
石橋 忍月(いしばし にんげつ、慶応元年9月1日(グレゴリオ… 石橋 忍月(いしばし にんげつ、慶応元年9月1日(グレゴリオ暦1865年10月20日) - 1926年(大正15年)2月1日)は日本の文芸評論家、小説家、弁護士、政治家。本名は友吉。号は萩の門、気取半之丞、福洲学人など。三男は文芸評論家の山本健吉(本名・石橋貞吉)。 明治23年(1890年)、森鷗外の「舞姫」、「うたかたの記」等をめぐり鴎外と論争し評論の地位を高めた。しかし、壮年以降は文学からはなれ、長崎県の県会議員、弁護士として活動した。 帝大在学中からレッシング、ゲーテ、シラーなどに親しみ、文学への目を開き坪内逍遥の『妹と背鏡』、二葉亭四迷の『浮雲』などを論じた清新な筆触で認められた。
永野 芳宣(ながの よしのぶ、1931年- ) は、日本の実… 永野 芳宣(ながの よしのぶ、1931年- ) は、日本の実業家、経営評論家。 福岡県久留米市出身、横浜市立大学商学部卒業、東京電力に勤務し、常任監査役、特別顧問、日本エネルギー経済研究所研究顧問、政策科学研究所長・副理事長、九州電力エグゼクティブアドバイザー、立山科学グループ特別顧問、福岡大学研究推進部客員教授などを経て、久留米大学特命教授。イワキ(株)特別顧問、(株)正興電機製作所顧問、ジット(株)顧問、TM研究会事務局長などを務める。