安芸 哲郎(安藝、あき てつろう、1932年 <昭和7年> … 安芸 哲郎(安藝、あき てつろう、1932年 <昭和7年> 1月4日 - 2007年 <平成19年> 1月17日)は、日本の経営者。東急不動産社長、東急リバブル会長を務めた。位階は従四位。 徳島県出身。1954年に中央大学法学部を卒業し、同年に東急電鉄に入社。1955年に東急不動産に転じ、1975年5月に取締役に就任し、1977年12月に常務、1982年12月に専務を経て、1984年12月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。2000年6月に会長に就任し、2004年4月に取締役相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2005年11月に旭日重光章を受章。 2007年1月17日に敗血症のために死去。
真鍋 正(まなべ ただし、1931年9月14日 - 1994… 真鍋 正(まなべ ただし、1931年9月14日 - 1994年4月30日)は、日本の経営者。ナムコ社長を務めた。愛媛県出身。 1957年に中央大学第二経済学部経済学科を卒業し、1964年に中村製作所(のちのナムコ)に入社。1972年に取締役に就任し、1981年に常務、1986年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1992年4月には副会長に就任。 1994年4月30日大腸がんのために死去。62歳没。
田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日… 田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日 - 2021年〈令和3年〉10月11日)は、日本の実業家。日本土建名誉会長。ZTV代表取締役社長。津商工会議所会頭、三重県商工会議所連合会会長。三重県建設業協会顧問。TBSテレビアナウンサーの田村真子は孫。 三重県出身。弁護士で衆議院議員田村秢の二男。旧制津中学校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。中外炉工業に入社。父親の勧めで日本土建に入社。 1960年、日本土建専務取締役。1966年、代表取締役社長。2007年、代表取締役会長。2016年、取締役名誉会長。 1990年、ZTV代表取締役社長。1991年、社団法人三重県建設業協会長として、三重建設図書館の設置を提案、実現する(2006年に休館。
渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - … 渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - 2024年10月14日)は、日本の実業家。元宮交シティ社長。元宮崎産業経営大学教授。 朝鮮半島に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、中央大学法学部卒業。1953年、宮崎交通に入社。企画宣伝課長・観光副部長・総合センター部長・常務取締役などを歴任。1987年、株式会社宮交シティ社長に就任。 2024年10月14日、老衰のため宮崎市内の病院で死去。93歳没。
本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2… 本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2010年10月26日)は、日本の男性実業家、アニメーションプロデューサー。北海道室蘭市生まれ、小樽市育ち。日本アニメーション株式会社代表取締役社長。 1952年、中央大学法学部卒業。 1953年、学陽書房編集部。同年本橋電機社長。 1960年、聯合広告社代表。 1967年、小谷正一の紹介で日本万国博覧会電力館担当プロデューサー。 1972年、やはり小谷の奨めでズイヨー映像社長。 1975年、日本アニメーションを設立して代表取締役社長。 『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』などの作品で知られる〈世界名作劇場〉や、『未来少年コナン』『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『HUNTER×HUNTER』などのテレビアニメ製作を手がけた。
上瀧 博正(こうたき ひろただ、1929年12月12日 - … 上瀧 博正(こうたき ひろただ、1929年12月12日 - 2026年1月6日)は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。 福岡県出身。1953年に中央大学法学部を卒業し、同年に東京出版販売(現在のトーハン)に入社した。1978年に取締役に就任し、1985年に常務、1988年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1999年6月から2010年6月までに会長を務めた。 2012年5月に旭日小綬章を受章。 2026年1月6日死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宇田川 信一(うだがわ しんいち、1929年(昭和4年)5月… 宇田川 信一(うだがわ しんいち、1929年(昭和4年)5月1日 - )は、日本の警察官、実業家。中央大学第一法学部卒。 新潟県出身。昭和20年に警視庁少年警察官となり、昭和24年に警視庁巡査を拝命。公安部と警務部が長かったが、佐々淳行にスカウトされ、警備部警備第1課課長代理となる。警備実施を統括し「コンバットチーム」と呼ばれる現場情報班を率いて、東大安田講堂事件・あさま山荘事件をはじめ幾多の警備事案を担当した。佐々の一連の著作にも頻繁に名前が登場する。 最終的には巡査から警視監に登りつめた。昭和62年に退官した後は警備業界に勤務し、84歳を迎えた平成25年に独立して現在に至る。 2002年5月11日に公開された『突入せよ! あさま山荘事件』では宇崎竜童が宇田川信一警視(警視庁警備部警備第一課首席課長代理・警備実施及び現場情報担当)を演じている。
松本 誠也(まつもと せいや、1929年(昭和4年)2月27… 松本 誠也(まつもと せいや、1929年(昭和4年)2月27日 - 1999年(平成11年)5月1日)は、日本の実業家。パイオニア社長を務めた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 松本望の長男として大阪に生まれる。中央大学在学中は競技ダンス部に所属し、大会で優勝した経験を持った。同大学卒業後、経理の勉強を目的として、会計事務所に勤務するが一年で退社した。1947年(昭和22年)に父が社長を務める福音電気に入社し、工場の資材担当を皮切りに営業部門を主に担当し1960年(昭和35年)に常務、1968年(昭和43年)に専務、レーザーディスクの開発や販売促進に携わった。 その後は父の後継者として、代表取締役や、1971年に副社長を歴任した。
石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 -… 石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 - 2014年6月15日)は、日本の政治家、実業家。広島県沖美町議会副議長、広島県沖美町商工会長、広島県沖美町長を務めた。 広島県沖美町(現・江田島市)に生まれる。広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)を卒業後、外務省・文部省共同所管の南洋協会が運営する南洋学院に入学する。南洋学院在学中に終戦となり、その後内地の新制大学への転校を認められ、中央大学法学部に在籍する。 1977年から広島県沖美町議会議員選挙に5回連続当選を果たす。在任中に町議会の副議長を2度(1985年・1993年)務めた。1991年5月に広島県沖美町商工会長に就任し1998年11月の広島県沖美町長選挙で現職を破り第5代広島県沖美町長となる。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
吉岡 利固(よしおか としかた、1928年3月20日 - 2… 吉岡 利固(よしおか としかた、1928年3月20日 - 2022年7月16日)は、日本の実業家。新日本海新聞社代表取締役社主、グッドヒル代表取締役社主。徳島県美馬市出身。 中央大学法学部を卒業後、大阪国税局調査官、紳士服メーカー・エフワンの鳥取県での製造・販売代理店として1961年に設立された鳥取エフワン(現・グッドヒル)の経理部長を経て、同社社長に就任。不動産事業(ハウス日本海)にも進出した。 1976年、会社更生法の適用を申請して休刊中だった日本海新聞の経営を引き受け、鳥取県を代表する地方新聞として再建を果たした。さらに2000年には大阪日日新聞を傘下に収め、2002年にはエフワン本社(大阪市)を親会社の三井物産から買収し、全国進出への足がかりとした。
髙木 丈太郎(たかぎ じょうたろう、1927年〈昭和2年〉4… 髙木 丈太郎(たかぎ じょうたろう、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 2016年〈平成28年〉3月5日)は、日本の実業家。三菱地所取締役社長・取締役会長、日本空手道松濤會理事長などを歴任した。 東京生まれ。1950年中央大学経済学部卒業後、三菱地所入社。三菱重工本社ビル爆破事件では管理部長として、事態収拾の指揮を執った。1987年取締役社長、1994年取締役会長、1997年相談役、2015年名誉顧問。 1993年に藍綬褒章を受章、2003年に旭日重光章を受章。 この間、1994年から2014年まで日本ビルヂング協会連合会会長(のち名誉会長)、1994年から2015年まで東京ビルヂング協会会長(のち名誉会長)を歴任した。
浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月2… 浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。 岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。
田川 融(たがわ とおる、1926年(大正15年)9月18日… 田川 融(たがわ とおる、1926年(大正15年)9月18日 - )は、日本の実業家。 熊本県民テレビ元社長。日本テレビ放送網元常務取締役。甥は第36代長崎市長の鈴木史朗。 長崎市長を務めた田川務の長男として生まれる。1951年(昭和26年)中央大学法学部法学科を卒業。1970年(昭和45年)12月日本テレビ放送網人事局長、1973年(昭和48年)5月同社取締役、1981年(昭和56年)6月同社常務取締役に就任。1982年(昭和57年)6月日本テレビ放送網を退職。のち熊本県民テレビ社長を務める。 妻のおじに小説家で天台宗僧侶の今東光や、作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)がいる。
古瀬 卓男(ふるせ たくお、1926年(大正15年)9月5日… 古瀬 卓男(ふるせ たくお、1926年(大正15年)9月5日 - 2007年(平成19年)11月10日)は、日本の教育者・教育学者・教育法学者・元学校経営者。北海道女子短期大学元学長。北海道女子短期大学の草創期を教職員として支えた一人。 北海道生まれ。旧制中学校卒業後、戦時中は赤紙によって徴兵。復員後、旧制中学校の事務職員。中央大学校外生制度を経て、1948年中央大学法学部通信教育課程に入学。1948年札幌市立商業高等学校常勤講師(非常勤教員)。1952年(昭和27年)中央大学法学部卒業。1956年(昭和31年)北海道大学教育学部卒業。1956年札幌創成商業高等学校教諭。1960年北海道札幌旭丘高等学校社会科教諭。
野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 201… 野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 2018年3月9日)は日本の実業家。フジテレビ勤務を経て、産経新聞社取締役、日本工業新聞社副社長、第二電電常任顧問、ツーカーセルラー東海社長などを歴任。同台経済懇話会常任幹事。 福島県二本松町生まれ。仙台陸軍幼年学校および陸軍士官学校(59期)を卒業。戦後、中央大学を卒業。日本の復興推進のための陸士・陸幼出身の経営者団体の必要性を感じ、同台経済懇話会を創立し、常任幹事に就任する。 2018年3月9日、末期腎不全のため死去。92歳没。
工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 -… 工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 - 1996年8月27日)は、日本の実業家。政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。北海道議会議員(通算4期)。 北海道歌志内市出身。1943年早稲田実業学校卒。翌年陸軍に召集される。中央大学法学部に入るも中退。戦後、空知建設工業株式会社を創立し、代表取締役となる。ほか空知物産(株)、丸美大道通商(株)の各代表取締役に就任し、歌志内商工会議所会頭を務めた。1971年から北海道議を3期務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から自民党公認で立候補し当選。1986年の第3次中曽根内閣で法務政務次官、1988年の竹下改造内閣で北海道開発政務次官に就任。
秋山 恒雄(あきやま つねお、1924年11月1日 - 19… 秋山 恒雄(あきやま つねお、1924年11月1日 - 1996年4月24日)は、日本の経営者。東急百貨店社長を務めた。福島県出身。 1948年に中央大学経済学部を中退し、同年に東横百貨店(現在の東急百貨店)に入社。 1981年4月に取締役に就任し、1986年2月に常務、1987年4月に専務、1990年5月に副社長を経て、1992年4月には社長に就任。1995年4月には取締役相談役に退いた。 1996年4月24日心不全のために死去。71歳没。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
相浦 紀一郎(あいうら きいちろう、1924年2月11日 -… 相浦 紀一郎(あいうら きいちろう、1924年2月11日 - 2012年12月26日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶代表取締役社長や、日本船主協会会長等を歴任した。 長崎県佐世保市生まれ。1942年陸軍士官学校卒業。大日本帝国陸軍大尉で日本の降伏を迎え、第一皇宮衛士隊左近隊第四寮第一班長衛士監任官。1949年中央大学経済学部卒業。1984年から大阪商船三井船舶取締役社長を務め、海運不況下の経営にあたった。 1987年日本船主協会会長。2012年胆管閉塞のため死去。
竹内 三賀男(たけうち みかお、1923年(大正12年)9月… 竹内 三賀男(たけうち みかお、1923年(大正12年)9月15日 - 2014年(平成26年)6月5日)は日本の実業家、元旭食品社長。高知県高知市出身。旭食品元社長の竹内成雄は長男。
大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年… 大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年)10月9日 - 2019年(令和元年)9月7日)は、日本の実業家。大塚商会創業者。後を継いだ大塚裕司は長男。 大塚裕司大塚商会代表取締役社長は長男。 母校である栃木県立真岡高等学校に対し、下記のような寄付を行ったほか、同窓会副会長を務める等、熱心な支援を行っていた。
小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年… 小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年> 8月30日 - 2009年 <平成21年> 4月8日)は、日本の経営者。長崎新聞社社長を務めた。位階は正五位。 長崎県出身。1945年に中央大学法学部を中退し、1947年に長崎新聞社に監査役として入社。1990年に取締役を経て、1991年12月から2000年12月までに社長を務めた。 2006年4月に旭日重光章を受章。 2009年4月8日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって従七位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8月6日 - 2013年〈平成25年〉5月24日)は、日本の実業家。長女は東京都知事の小池百合子。 兵庫県神戸市生まれ。宮城県・小池喜兵衛、兵庫県・かつの二男。1944年(昭和19年)、中央大学専門部商学科卒業。1947年(昭和22年)、立川医薬品工業営業部長。第二次世界大戦中は海軍中尉となり満洲国有鉄道経理部に所属した。(詐称疑惑あり) 終戦後はペニシリンなどを扱う闇市で財を成し、石油を扱う貿易会社を複数経営したほか、関西経済同友会の幹事を歴任した。その際にエジプト、サウジアラビア、クウェートなどのアラブ諸国の指導者層との人脈を形成する。
白石 道義(しろいし みちよし、1922年6月1日 - 20… 白石 道義(しろいし みちよし、1922年6月1日 - 2013年10月5日)は、日本の経営者。東京都出身。 1944年に中央大学法学部を卒業し、1946年に日産火災海上保険に入社。1972年6月に取締役に就任し、1976年7月に常務、1978年7月に専務を経て、同年11月には社長に就任。1981年7月に会長を経て、1984年7月に相談役に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 2013年10月5日心不全のために死去。91歳没。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
松田 瑞穂(まつだ みずほ、男性、1921年7月2日 - 1… 松田 瑞穂(まつだ みずほ、男性、1921年7月2日 - 1998年8月13日)は、日本の実業家。株式会社吉野家初代社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
李 鍾寿(イ・ジョンス、朝鮮語: 이종수/李鍾壽、1921年… 李 鍾寿(イ・ジョンス、朝鮮語: 이종수/李鍾壽、1921年3月7日 - 2015年5月24日)は、大韓民国の実業家、政治家。第2・3・4代韓国国会議員。 本貫は慶州李氏、号は芝圃。キリスト教徒。 日本統治時代の慶尚南道金海郡(現・金海市)出身。ソウル培材高等学校を経て、1943年中央大学法科卒。韓青団長、朝鮮農具製作所経営者、釜山明仁学院理事長、東亜学塾監事、三豊産業株式会社社長、金海乙選挙区選出の自由党所属の国会議員3期、国会財政経済委員会幹事・交通逓信分科委員会委員長、慶州李氏中央花樹会副会長・諮問委員、大韓民国憲政会元老諮問委員・副会長・理事・元老会議副議長、ノジャン育成中央連合会諮問委員、第3代国会議員親睦会会長などを務めた。
渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1… 渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1993年6月19日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 東京都出身。1946年に中央大学法学部を中退し、同年に北海道新聞社に入社。1970年12月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1977年1月に専務を経て、1979年1月に社長に就任。1989年1月に会長に就任。 1993年6月19日慢性うっ血性心不全のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 20… 桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 2011年4月22日)は、日本の経営者。時事通信社代表取締役を務めた。 広島県福山市出身。1944年に中央大学を卒業し、同盟通信社での勤務を経て、1945年に時事通信社に入社。1974年に取締役に就任し、1978年から1980年までに代表取締役を務めた。 2011年4月22日肺炎のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月… 遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月28日 - 1999年〈平成11年〉7月13日)は、日本の実業家。アール・エフ・ラジオ日本(以下「RF」)の社長、会長を務めた。妻は遠山佐和子で、一時期は遠山夫妻でRFの半分以上の株式を持っていた。佐和子との間には子供がいるが、詳細は明らかにされていない。 東京府東京市神田区神田(現:東京都千代田区神田)出身。「遠山の金さん」こと江戸化政の町奉行・遠山景元の末裔にあたる。 幼少の頃、「京浜実業新聞」を運営し借財を抱えていた父と死別し、日本統治時代の台湾で判事を務めていた長兄・遠山景一の下で台北で育つ。一家の帰国で、台北一中から府立四中に転校。
別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月2… 別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月25日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 石川県石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石)で生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1942年(昭和17年)中央大学経済学部を卒業した。全国農業会産業組合中央会職員となり太平洋戦争に出征した。 1946年(昭和21年)石川県農業会に入り、以後、石川県農業協同組合中央会参事、同常務理事、同県信用農業協同組合連合会理事、同経済農業協同組合連合会理事、同共済農業協同組合連合会理事などを務めた。 1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で石川県第1区から自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
西野 一夫(にしの かずお、1918年6月10日 - 200… 西野 一夫(にしの かずお、1918年6月10日 - 2005年2月24日)は、元・東宝代表取締役副社長、芸苑社、東宝映像美術初代代表取締役社長。岡山県生まれの熊本県熊本市育ち。東京都港区南青山在住。 1936年4月から東京芦田工業所勤務。1938年に中央大学専門部経済学科中退と同時に東宝に入社。1948年11月、撮影所製作会計課長、1955年9月20日、撮影所製作部長、1960年7月、東京映画出向、撮影所支配人。 1969年3月25日に東宝撮影所支配人・東宝取締役に昇進し、1970年3月31日には馬渕威雄副社長の命で東宝美術代表取締役社長となる。その後、1974年8月22日に東宝常務取締役、1977年5月25日に東宝専務取締役を経て、1987年10月に亡くなった佐藤一郎に代わって芸苑社代表取締役社長となり、1988年には東宝映像、東宝美術が合併し東宝映像美術初代代表取締役社長となる。
文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12… 文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12月25日 - 1987年8月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 本貫は南平文氏(朝鮮語版)。号は悟耕。 日本統治時代の慶尚北道漆谷郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校(朝鮮語版))、中央大学法科卒。大邱市学務課長署理、慶尚北道知事官房、人事審査院慶尚北道高試課長、金泉中学期成会会長、慶尚北道理事官・教育委員、金泉時報社長、金泉商工会議所会長、金泉新聞記者団団長、民主共和党慶尚北道金泉地区党委員長・中央常任委員を務めた。 晩年は尹奉吉義士義挙55周年記念事業推進会副会長を務めた。
金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月2… 金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月25日 - 2001年3月25日)は、大韓民国の政治家、実業家。第6・7・9・10韓国国会議員。第7・8代大韓民国憲政会会長。 慶尚南道巨済島の巨済面明珍里またはソウル生まれ。中央大学法学部卒業。朝鮮金融組合連合会理事、韓国輸出産業公団社長、農業銀行常任取締役、韓国経済人協会常勤副委員長、事務局長などを務めた。時期は不明だが民主共和党に入党し、同党慶南第4地区党委員長・政策委副議長・政策研究室長・慶南道党党務協議会委員長などを務めた。1963年の第6代総選挙に同党の公認で立候補して初当選し、国会では農林委員長、予決委員長、維新政友会副議長、韓日協力委員会事務総長などを務めた。
鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、… 鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、1915年9月23日 - 1999年5月21日)は、大韓民国の実業家、教育者、政治家。交通部長官、国務院事務処長、第2・4・5・8・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。金大中夫人李姫鎬の甥の1人は娘婿である。 慶尚南道固城郡出身。1935年徽文高等普通学校(現・徽文高等学校(朝鮮語版))卒、1941年中央大学法学部卒。中央大学同窓会委員長に選ばれたことがきっかけに独立運動を展開したが、検挙され投獄された。出獄後は朝鮮陶器社長、大韓独立促成国民会副支部長、釜山韓洋貿易株式会社社長、三千浦中学校(朝鮮語版)・三千浦女子中学校校長(1948年〜1950年)、南陽学園理事長(1951年)、第2代国会憲法起草委員会委員・法制司法委員会常任委員・国防委員会常任委員、第4代国会内閣責任制改憲案起草特別委員会委員長、第二共和国憲法起草委員長、民主党慶尚南道党副委員長・泗川郡党委員長・中央常務委員・政策委員、民主党張勉内閣の交通部(現・国土交通部)長官(通算第10代、1960年8月~9月)、第10代国務院事務処長(1960年9月12日~1961年5月18日)、新民党慶尚南道党委員長、民主党政策審議会議長、新民党政務委員・政策審議委員会議長・選挙対策本部次長兼企画室長・党務委員、第28回UN総会韓国代表、第61回IPU韓国代表理事、新民党全党大会議長(1976年)、民主化推進協議会指導委員(1985年〜1988年1月)を務めた。
具 喆会(ク・チョルェ、朝鮮語: 구철회/具喆會、1915年… 具 喆会(ク・チョルェ、朝鮮語: 구철회/具喆會、1915年7月26日または1918年 - 1965年1月27日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第4代韓国国会議員。本貫は綾城具氏。 日本統治時代の京畿道水原出身。本籍地はソウル。中央大学予科、立教大学文学部卒。日本統治時代には抗日闘争により3年間投獄された。解放後は漢城日報政治経済部長、民衆日報幹部、水原新聞社社長、政界春秋社社長、国際ニュース社社長、自由新聞社常務取締役を務めた。政界入りした後は民主党中央委員・宣伝部次長・龍仁郡党委員長・京畿道党副委員長を歴任し、1958年の第4代総選挙で民主党の候補として龍仁郡選挙区から当選したが、後は民主党を離党し自由党に移籍した。
角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 200… 角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 2008年4月29日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長を務めた。新潟県出身。 1932年に東京堂に入社し、1934年に中央大学経済学部経済学科を卒業。1946年に日本出版配給を経て、1949年に東京出版販売に転職。 1961年5月に取締役に就任し、1967年に常務、1975年に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1987年6月には会長に就任。 2008年4月29日老衰のために死去。93歳没。
陶山 繫弘(すやま しげひろ、1914年3月23日 - 19… 陶山 繫弘(すやま しげひろ、1914年3月23日 - 1991年7月29日)は、日本の経営者。東京都民銀行頭取を務めた。鳥取県出身。 1939年に中央大学商学部を卒業。内国貯金銀行、復興金融公庫での勤務を経て、1952年に東京都民銀行に入社。 1961年に取締役に就任し、1968年5月に常務、1972年2月に専務を経て、1976年8月に副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1982年6月に会長、1987年6月に取締役相談役を経て、1989年6月から相談役を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1989年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1991年7月29日肺炎のために死去。77歳没。
李 永浩(イ・ヨンホ、朝鮮語: 이영호、1913年 - 19… 李 永浩(イ・ヨンホ、朝鮮語: 이영호、1913年 - 1988年6月15日)は、大韓民国の実業家、政治家。第7代韓国国会議員。 黄海道出身。中央大学法学部卒。株式会社黄海社社長、海州市民会会長、東洋塗料株式会社取締役社長、農林(豊林)建設株式会社取締役会長、全国シルム協会会長、黄海道道民会長、民主共和党京畿道支部事務局長・中央党紀委員、第7代国会全国区国会議員を務めた。 1988年6月15日、ソウル大病院で老衰により死去。享年75。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 20… 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、京都府舞鶴市出身の実業家、民法学者。日本興業銀行勤務を経て、そごうの会長、社長を務めた。東洋大学名誉教授、法学博士。担保法の権威としても知られた。
山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1… 山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1日 - 1992年(平成4年)4月16日)は、日本の実業家。滋賀県出身。1935年(昭和10年)に日本銀行入行。東亜研究所主任研究員(交通)を経て、1945年(昭和20年)に国土計画へ入社。近江鉄道代表、西武鉄道取締役、西武バス社長などを歴任、同時に(社)東京バス協会会長、(社)日本バス協会副会長他、運輸省関連要職を務める。社主堤康次郎の衆議院議長時代は堤清二と共に議長秘書官として政治活動を支えた。 1986年(昭和59年)、勲三等旭日中綬章を受章。
新谷 要二(しんたに ようじ、1911年(明治44年)2月2… 新谷 要二(しんたに ようじ、1911年(明治44年)2月26日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。山口県議会副議長。千鳥水産代表取締役。旭洋造船取締役。山口県輸出スダレ協同組合理事長。山口県漁業生産組合長。下関漁港管理委員。下関水産振興協会・山口県遠洋底曳網漁業協会下関支部各理事。 山口県萩市出身。中央大学中退。1951年、山口県議会議員に当選。住所は山口県萩市唐樋町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
丁 明燮(チョン・ミョンソプ、朝鮮語: 정명섭、1910年2… 丁 明燮(チョン・ミョンソプ、朝鮮語: 정명섭、1910年2月12日または12月3日 - 1997年2月25日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の実業家、政治家。海南郡守、長興郡守、霊光郡守、和順郡守、第3・4・6代韓国国会議員などを歴任した。 本貫は羅州丁氏(朝鮮語版)。号は不輝(プルィ、불휘)。 中農の息子として全羅南道羅州郡出身。1929年、光州高等普通学校4年在学中に光州学生運動に参加し、1931年に卒業した。1938年中央大学法学部卒、1944年同大学院修了。しばらく同大学院で勤めた後、光復後に帰郷し、郷里で朝鮮建国準備委員会羅州郡委員長を務めたなど、各種社会団体で活動した。
山中 要作(やまなか ようさく、1909年 <明治42年> … 山中 要作(やまなか ようさく、1909年 <明治42年> 12月6日 - 2003年 <平成15年> 12月13日)は、日本の地方公務員、経営者。埼玉県副知事、テレビ埼玉初代社長を歴任。埼玉県出身。 1943年に中央大学法学部を卒業。 山形県地方課長を経て、埼玉県庁で商工部長、企業部長、総務部長を歴任し、1969年には副知事に就任。1973年に埼玉県住宅供給公社理事長を経て、1978年から1983年までにテレビ埼玉初代社長を務めた。 1980年に勲三等旭日中綬章を受章。 2003年12月13日老衰のために死去。94歳没。
田嶋 好文(たしま こうぶん、1909年〈明治42年〉11月… 田嶋 好文(たしま こうぶん、1909年〈明治42年〉11月28日 - 1963年〈昭和38年〉3月5日)は、昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 高知県出身。1933年(昭和8年)中央大学法学部を卒業した。 弁護士として働く。神戸製鋼所名古屋工場法律顧問、林金属工業代表取締役、大同衛生材料常任監査役などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で愛知県第1区から諸派で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で旧愛知1区に国民協同党公認で出馬したが落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して初当選し、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
谷口 武雄(やぐち たけお、1907年(明治40年)8月25… 谷口 武雄(やぐち たけお、1907年(明治40年)8月25日 - 1988年(昭和63年)10月24日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 茨城県真壁郡河間村(下館市を経て現筑西市)で、谷口健吉の三男として生まれた。1934年(昭和9年)中央大学法学部を卒業した。 1938年(昭和13年)8月、昭和機械工業社長に就任。その他、帝都高速度交通営団参与、昭和鉄工顧問、谷口ビルヂィング社長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で茨城県全県区に日本協同党公認で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で茨城県第3区に国民協同党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
権 泰郁(クォン・テウク、朝鮮語: 권태욱/權泰郁、1907… 権 泰郁(クォン・テウク、朝鮮語: 권태욱/權泰郁、1907年4月17日または1910年10月15日 - 1981年6月11日または6月12日)は、日本統治時代の朝鮮の実業家、大韓民国の政治家。制憲・第2代韓国国会議員。 本貫は安東権氏(朝鮮語版)。 慶尚北道安東郡出身。東京麻布中学校、中央大学予科・法学部卒。中央大学在学中に反日運動により収監されたことがある。卒業後は東京で歯科材料商を営んだほか、貧民救済事業を従事した。光復後は馬山工科学館長、馬山帰還同胞会長を務めた。1948年の初代総選挙で国会議員に初当選し、国会で米国へ渡航しようとした徐載弼を慰留した。第2代国会議員在任中に舌禍事件により30日間の出席停止処分を受けた。
李 錫基(イ・ソッキ、朝鮮語: 이석기、1907年または19… 李 錫基(イ・ソッキ、朝鮮語: 이석기、1907年または1908年1月2日 - 1974年6月25日または1975年6月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の公務員、政治家、実業家。牙山郡守、公州郡守、第4・5代大田府尹、ソウル特別市副市長、第2・3・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は洪川李氏。仏教徒。元国会議員の方一弘は娘婿。 忠清南道扶余郡出身。1931年京城法学専門学校卒、1939年中央大学法学部卒。弁護士試験、高等文官試験行政科合格。京畿道内務部を経て、1941年に牙山郡守、1945年に公州郡守、忠清南道地方課長、1946年に第4・5代大田府尹、1948年にソウル特別市副市長、1950年に文教部秘書室長、国会議員、1953年に国会内務委員長、以後弾劾裁判所審判官、民主党院内副総務・総務、1967年に新韓党常務委員を歴任した。