高橋 良麿(たかはし よしまろ、1907年(明治40年)11… 高橋 良麿(たかはし よしまろ、1907年(明治40年)11月3日 - 1991年(平成3年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。最後の官選和歌山県知事。 大分県出身。高橋兼太郎の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、熊本県属となる。 1941年、岩手県書記官・経済部長に就任。1942年3月から1943年12月まで南西方面海軍民政府セレベス民政部経済部長を務めた。以後、岡山県部長・警察部長、東京都経済局食糧課長、警視庁刑事部長、京都府警察部長を歴任。 1947年2月、和歌山県知事に就任。
愛知 揆一(あいち きいち、1907年〈明治40年〉10月1… 愛知 揆一(あいち きいち、1907年〈明治40年〉10月10日 - 1973年〈昭和48年〉11月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員から衆議院議員に転じ、内閣官房長官(第18・29代)や外務大臣(第92-93代)、大蔵大臣(第77代)などを歴任した。 東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に、愛知敬一・祥夫妻の長男として生まれた。父・敬一は物理学者で、1911年に東北帝国大学理科大学物理学科の教授に就任したため、一家は仙台市へ移った。母・祥の実家も代々漢学者の系統という家柄で、一家を挙げての学者家庭だったという。 愛知は旧制宮城県第二中学校(現在の仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学、1931年に卒業した。
寺本 広作(てらもと こうさく、1907年〈明治40年〉8月… 寺本 広作(てらもと こうさく、1907年〈明治40年〉8月29日 - 1992年〈平成4年〉4月7日)は日本の政治家、官僚。熊本県知事(公選第4-6代)、参議院議員(2期)、労働事務次官。 熊本県宇土郡不知火町(現宇城市)出身。旧制熊本県立宇土中学校(現熊本県立宇土中学校・高等学校)、旧制第五高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。高知県属。内務大臣(兼任)東條英機の秘書官や、情報局の新聞課長などを務め、終戦後は1950年8月1日に労働事務次官に就任した。次官時代の1952年2月、女子及び年少者の人身売買に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。情報局時代に上司だった緒方竹虎との交流もあり、1953年に官僚を辞して改進党より参議院議員選挙に出馬、熊本県地方区で初当選。
福島 要一(ふくしま よういち、1907年8月5日 - 19… 福島 要一(ふくしま よういち、1907年8月5日 - 1989年9月1日)は、日本の農学者・評論家、農林官僚。元日本学術会議会員。
河野 一之(こうの かずゆき、1907年〈明治40年〉8月2… 河野 一之(こうの かずゆき、1907年〈明治40年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉6月20日)は、日本の大蔵官僚、実業家。元大蔵事務次官。元太陽銀行頭取、太陽神戸銀行会長、三井住友銀行名誉顧問。 広島県豊田郡忠海町(現・竹原市)生まれ。陸軍軍人だった父親が退官し東京で事業を始めたため、9歳から東京で育つ。東京府立四中を卒業。当時入試科目に英語のあった東高師附属には落ちてしまった。その後、第一高等学校を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。1929年、高等文官試験行政科・司法科合格。1930年、大蔵省入省(大臣官房文書課)。1940年、主計局法規課長、1941年、決算課長、1943年、山住克己陸軍司政長官の下、陸軍司政官・南方軍軍政総監部付けとなり昭南(シンガポール)に1年余勤務。
川合 寿人(かわい ひさと、別表記 : 川合 壽人、1907… 川合 寿人(かわい ひさと、別表記 : 川合 壽人、1907年 <明治40年> 7月26日 - 2002年 <平成14年> 7月9日)は、日本の内務・警察官僚。警視総監。位階は正四位。 現在の佐賀県鳥栖市で生まれる。福岡高等学校を経て、1931年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1930年10月、高等試験行政科試験に合格し、翌年には高等試験司法科試験に合格。1932年、内務省に入り広島県属となる。以後、警視庁交通課長・警衛課長、群馬県警察部長などを務め、1945年に退官。 戦後、警察庁に復帰し、仙台警察管区本部長、警察大学校長、皇宮警察本部長、近畿管区警察局長などを歴任。1957年1月、警視総監に就任し、1958年9月まで在任し退官。
谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日… 谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日 - 1994年〈平成6年〉10月3日)は、日本の内務・警察官僚。内閣官房副長官、最後の官選奈良県知事。 三重県津市出身。谷口周三郎の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、京都府属となる。 以後、富山県の課長、静岡県警察部警務課長、神奈川県商工課長、内務事務官、警保局勤務、岐阜県経済部長、厚生省軍事保護院職業課長、内閣参事官などを歴任。 1947年3月、前任の野村万作が知事選に出馬のため辞任したことに伴い奈良県知事に発令された。知事選挙を執行して同年4月に退任。
任 文桓(イム・ムンファン、イム・ムナン、朝鮮語: 임문환、… 任 文桓(イム・ムンファン、イム・ムナン、朝鮮語: 임문환、日本名豊川文夫、1907年6月11日 - 1993年6月19日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家、実業家。本貫は豊川任氏。 東京帝国大学を卒業した後、高等試験に合格して、朝鮮総督府のキャリア官僚として勤務した。独立後の韓国でも次官や閣僚など要職を歴任し、後に企業経営者に転じて全経連副会長を務めた。 2008年に発表された民族問題研究所の親日人名辞典収録予定者名簿の中の官僚部門に選ばれた。 回顧録である「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」(朝鮮語版1974年、日本語版2011年)を残した。 1960年代初めに生地の錦山の困窮学生のために奨学金を創設した。
柏村 信雄(かしわむら のぶお、1907年〈明治40年〉6月… 柏村 信雄(かしわむら のぶお、1907年〈明治40年〉6月5日 - 1989年〈平成元年〉1月16日)は、日本の内務・警察官僚。第三代警察庁長官として60年安保時代の治安対策責任者であった。 福島県会津若松市出身で、1925年(大正14年)会津中学を卒業した。中学時代の同級生には星冬四郎東大教授、星光一北大教授、終戦時の第11方面軍参謀などがいた。柏村は静岡県での代用教員を経て、1928年(昭和3年)旧制静岡高校に進む。1934年(昭和9年)東京帝大を卒業。在学中に高等文官試験に合格しており、内務省に入省した。 官歴は京都府属に始まる。戦前の警察関係の履歴としては、警保局に2度配属されたほか岩手県特高課長職があるが、同職からは短日間で地方局へ転任し、警察経験は少なかった。
佐藤 朝生(さとう ともお、1907年〈明治40年〉5月14… 佐藤 朝生(さとう ともお、1907年〈明治40年〉5月14日 - 1999年〈平成11年〉 12月4日)は、日本の内務官僚。人事院事務総長(初代)、総理府総務副長官。位階は正三位。 大正13年(1924年)旧制府立一中4年修了、昭和2年(1927年)旧制第一高等学校、昭和5年(1930年)東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省へ入省。昭和11年(1936年)内閣書記官、昭和13年(1938年)内閣官房会計課長、昭和20年(1945年)内閣官房総務課長に就任する。 鈴木貫太郎内閣では迫水久常内閣書記官長の下で終戦事務に関わる。ポツダム宣言後の8月1日に、内閣情報局総裁の下村宏が、久富達夫次長から「終戦するには、陛下に自らマイクの前に立って放送していただく。
始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991… 始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚・政治家・弁護士。建設大臣などを歴任した。
木村 三郎(きむら さぶろう、1907年(明治40年)3月2… 木村 三郎(きむら さぶろう、1907年(明治40年)3月27日 - 1996年(平成8年)6月21日)は、日本の内務官僚、造園家。 官庁技師として造園と都市計画行政の実務に携わる一方で東京大学農学部旧農学科のほか、千葉大学園芸学部、東京農業大学旧農学部造園学科で講師を務めている。国土開発調査会常任幹事、財団法人国土計画協会理事長を歴任。晩年は日本庭園研究に関する著述を多く残す。
玉置 敬三(たまき けいぞう、1907年3月2日 - 199… 玉置 敬三(たまき けいぞう、1907年3月2日 - 1996年7月8日)は、日本の官僚。通産事務次官を最後に退官後、東京芝浦電気社長・会長。 和歌山県出身。旧制姫路高等学校を経て、1930年、東京帝国大学法学部卒業。同年、商工省入省。 1941年4月、総力戦研究所出向経験を経て、戦後、通商機械局長(のちの機械情報産業局長)、1952年から1953年にかけて通産事務次官を務める。岸信介らの「統制派」の流れを汲み、その他に山本高行、平井富三郎、徳永久次らがいた。朝鮮特需によりジョゼフ・ドッジらによる自由経済から方向転換、統制派が復権、通商産業省による戦後政策のはじまりだった。 事務次官就任までの経緯は、白洲次郎らの「白洲派」・「外交派」または「通商派」に属すると目された入省同期の始関伊平(旧資源庁長官)との争いであった。
山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 19… 山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 1961年5月17日)は、日本の官僚。
石井 栄三(いしい えいぞう、1907年〈明治40年〉2月1… 石井 栄三(いしい えいぞう、1907年〈明治40年〉2月14日 - 1994年〈平成6年〉1月27日)は、日本の警察官僚。岡山市今村出身。従三位勲二等旭日重光章。旧姓・高原。 高原光五郎の三男として生まれ、石井琢郎の養子となる。岡山一中、一高を経て、1932年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1931年10月、高等試験行政科試験に合格。1932年、内務省に採用される。神奈川県属を振出しに、神奈川県警部、内務属・警保局配属、地方警視・高知県警務課長、福井県特高課長、福岡県特高課長、神奈川県警務課長を歴任。1941年5月、内務事務官・警保局配属。1943年11月福井県経済部長。1944年8月富山県警察部長。
脇阪 実(わきさか みのる、1907年1月30日 - 没年不… 脇阪 実(わきさか みのる、1907年1月30日 - 没年不明)は、日本の大蔵官僚。主税局国税査察部長、関東信越国税局長、東京国税局長、造幣局長などを歴任。 滋賀県出身。1932年10月 高等試験行政科を合格。同年11月 高等試験司法科を合格。東京帝国大学法学部法律学科卒業。1933年 大蔵省入省。主税局兼東京税務監督局属。1935年6月 金沢税務署長。1936年7月 神田橋税務署長。1946年5月1日 主税局国税第二課長。1947年7月2日 主税局国税第一課長。1948年7月5日 主税局国税査察部長兼主税局国税第一課長。同年12月9日 主税局国税査察部長。1949年6月1日 関東信越国税局長。
吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1… 吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1988年4月17日)は、日本の検察官、司法・法務官僚。 東京府生まれ。京華中学、第一高等学校 (旧制)(一高)を経て、東京帝国大学法学部に入学。在学中は新人会に属し田中清玄らと並び称され、日本共産党にも入党した。1930年(昭和5年)大学卒業、直後に離党。 1932年司法官試補となり、各地の裁判所で検事を務める。東京地方裁判所時代には主任検事(思想検事)として1941年のゾルゲ事件の捜査に参加、リヒャルト・ゾルゲを取り調べた。 戦後は公職追放を免れ、法務庁事務官を経て1948年(昭和23年)に設置された法務庁特別審査局(後の公安調査庁)の初代局長、翌1949年に改称された法務府でも局長などを務めた。
林 敬三(はやし けいぞう、1907年(明治40年)1月8日… 林 敬三(はやし けいぞう、1907年(明治40年)1月8日 - 1991年(平成3年)11月12日)は、日本の内務官僚、陸上自衛官。東京帝国大学卒業(法学部卒)。初代統合幕僚会議議長。第11代日本赤十字社社長。陸軍中将林弥三吉の息子である。正三位勲一等旭日大綬章。
天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月… 天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月7日 - 1984年(昭和59年)8月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。日本国有鉄道副総裁、参議院議員(2期)。 京都府で天坊幸彦の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年4月、鉄道省に入省して鉄道属に任官し大臣官房に配属された。 以後、松阪駅長、大阪鉄道局庶務課文書掛長、鉄道省事務官、中支那派遣軍特務部附、興亜院事務官、鉄道局参事、鉄道調査部書記官・鉄道調査部第一課長、業務局事業課長、運輸通信省自動車局業務部監理第三課長、華中鉄道参事、運輸省鉄道総局勤務、北海海運局長、運輸省大臣官房長、大阪鉄道局長などを歴任。
佐治 誠吉(さじ せいきち、1907年(明治40年)1月2日… 佐治 誠吉(さじ せいきち、1907年(明治40年)1月2日 - 1995年(平成7年)9月17日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員、滋賀県大津市長。 滋賀県甲賀郡、のちの甲南町(現甲賀市甲南町)で生まれた。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大同元年(1932年)10月、満州国の大同学院を卒業した。 以後、満州国総務庁属官、同人事処弁事、泰康県参事官、北満特別区公署事務官、三江省事務官・警務庁司法科長、同国境警察科長、黒山県副県長兼地籍整理局事務官、三江省理事官、錦州省長官房地方科長、興安東省長官房総務科長兼人事科長、大同学院教官・第一錬成部長、綏化県副県長などを歴任した。
平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 … 平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 - 2003年5月20日)は、日本の商工官僚。経済審議庁次長や通商産業事務次官を経て、退官後新日本製鐵(現日本製鉄)社長。東京府(現東京都)出身。1973年に藍綬褒章、1979年に勲一等瑞宝章を受章。2003年、脳梗塞のため死亡。 旧制東京高校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、1931年に商工省(現 経済産業省)へ入省。製鉄所書記。同期には、長村貞一(ジェトロ副理事長、経済審議庁次長、特許庁長官)、山地八郎など。 第二次世界大戦後の1949年、石炭庁管理局長から商工省化学局長(1949年2月12日 - 同年5月24日)に。
長沼 弘毅(ながぬま こうき、1906年11月21日 - 1… 長沼 弘毅(ながぬま こうき、1906年11月21日 - 1977年4月27日)は、日本の大蔵官僚、実業家、文芸評論家である。東京出身。経済学博士であり、柔道家(講道館七段)であった。孫に俳優の平沼成基など。
徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年 <明治39年> … 徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年 <明治39年> 11月7日 - 1996年 <平成8年> 2月2日)は、日本の官僚。宮内官僚として52年にわたり天皇家を支え、昭和天皇の側近、侍従長の役割も果たした。位階は従二位。勲一等端宝章。 尾張(名古屋)藩主徳川慶勝の孫で、実弟津軽義孝は常陸宮正仁親王妃華子の父であり、妹祥子は北白川宮永久王の妃で皇籍離脱後は香淳皇后付の女官長、皇太后宮女官長を務めた。 1906年(明治39年)、尾張徳川家分家、徳川義恕の長男として東京府に生まれる。1927年(昭和2年)、学習院高等科を卒業し、1930年(昭和5年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。ベルリン大学留学後、帝室博物館(現東京国立博物館)研究員。
石渡 達夫(いしわた たつお、1906年〈明治39年〉9月2… 石渡 達夫(いしわた たつお、1906年〈明治39年〉9月29日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。財務官僚。 神奈川県三浦郡浦賀町大津(現横須賀市大津)に生まれる。台北第一中学校、水戸高等学校文科甲類を経て、1931年(昭和6年)3月、東京帝国大学法学部英法科を卒業し、同年10月、高等試験行政科に合格した。1932年(昭和7年)7月、警務局警務課に奉職し、府巡査懲戒予備委員に任じ、1936年(昭和11年)9月、府地方警視として基隆水上署長となり、3か月後に新竹警察署長に転じた。ついで1938年(昭和13年)1月、台中州豊原郡守となり、1939年(昭和14年)4月、花蓮港庁勧業課長に転じた。
奥貫 賢一(おくぬき けんいち、1906年9月20日 - 2… 奥貫 賢一(おくぬき けんいち、1906年9月20日 - 2002年2月22日)は、日本の官僚、行田市長。旧姓・清水。 埼玉県出身。1924年、埼玉県立熊谷中学校卒業。1927年、第三高等学校卒業。1930年、東京帝国大学法学部仏法科卒業。朝鮮総督府に入り、平安南道学務、地方各課長、拓務事務官、拓務書記官、殖産局商工課長、興亜院調査官、大東亜省調査会在ハノイ総領事を歴任。 戦後の1946年埼玉県地方労働委員に就任。翌1947年には忍町町長に就任した。1949年に忍町が市制施行により行田市になり、同市の市長に就任した。在職中は市消防本部の設置、下水道工事に着手、中央公民館の開館が挙げられる。 1951年に一度市長を退任するが、1955年に再び行田市長に就任した。
土屋 香鹿(つちや こうろく / かろく、1906年〈明治3… 土屋 香鹿(つちや こうろく / かろく、1906年〈明治39年〉8月28日 - 2006年〈平成18年〉11月26日)は、日本の内務官僚、弁護士。福岡県知事。静岡県浜松市出身。 浜名郡白脇村出身の海軍大佐土屋芳樹の四男として生まれる。1926年(大正15年)3月、静岡高等学校文科乙類を卒業。1928年(昭和3年)高等試験行政科に合格。1929年(昭和4年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年内務省に入省し新潟県属となる。1930年(昭和5年)高等試験司法科に合格。新潟県知事官房文書課長、愛媛県地方課長、同農商課長、徳島県警察部特高課長、山形県警察部特高課長、埼玉県警察部特高課長、京都府商工課長、同庶務兼人事課長、岐阜県官房長、同経済部第二部長、山口県経済部第一部長、福岡県警察部長、同県内部部長などを歴任。
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 … 松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月… 橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月2日 - 1962年(昭和37年)11月21日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は法学士。 大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の五男で、第82代・第83代内閣総理大臣の橋本龍太郎および高知県知事を務めた橋本大二郎の父、衆議院議員橋本岳の祖父である。 少年の頃に結核性の腰椎カリエスに罹って11年に及ぶ闘病生活を送り、生涯杖を離せない身体となった。苦学して第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業、大蔵官僚や内閣官房次長を経て吉田学校の一員として文部大臣、厚生大臣等を歴任した。 1906年6月2日、東京府荏原郡目黒村に大日本麦酒(現・サッポロビール)社員の橋本卯太郎・マツの五男として生まれた。
村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月… 村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月25日 - 1987年(昭和62年)2月13日)は、日本の裁判官、検察官、司法・法務官僚。第6代最高裁判所長官。 東京帝国大学法科(現・東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)卒業。大阪地裁、京都地裁、東京地裁などで裁判官生活を送り、1938年に司法省民事局に勤務。戦時中に陸軍司政官になりジャカルタに派遣されたが、敗戦のため抑留生活をした。復員後に再び司法省民事局に勤務し、民法の改正作業に携わった。その後、1948年から法務庁民事局長(後に法務省民事局長)を10年務めた。1952年4月19日に法務府民事局長として「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」と題する通達を出した(これによりサンフランシスコ平和条約が発効した同年4月28日に在日朝鮮人と在日台湾人は平和条約国籍離脱者として外国人となった)。
西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 200… 西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 2003年11月22日)は、日本の官僚、政治家。陸軍司政官。 茨城県水戸市出身。東京帝国大学法学部卒。内務省、戦後に自治省係長、岩手県出納長、宮城県副知事、日本社会党所属の衆議院議員。 岩手県出納長を経て、1956年10月に新たに宮城県知事に就任した大沼康の副知事に任命される。1959年3月、大沼の急逝を受けて知事選に立候補したが、落選。翌1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で宮城1区から出馬し初当選。1963年に再度、宮城県知事選に立候補するが落選。同年の第30回衆議院議員総選挙に再出馬し当選した。 全金本山労働組合争議では、支援共闘会議議長を担う。
門叶 宗雄(とが むねお、1906年5月8日 - 1969年… 門叶 宗雄(とが むねお、1906年5月8日 - 1969年12月4日)は、日本の内務・防衛官僚。官選最後の島根県知事、警視総監、防衛事務次官。旧姓・川村。位階は従三位。 秋田市出身。秋田藩士の川村宗治の二男として生まれ、母方の門叶家を継承した。奉天中学校、弘前高等学校 (旧制)を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年5月、内務省に入り京都府警部補として警察部警務課に配属された。 1932年1月、京都府警察部特別高等警察課に勤務。以後、京都府属・内務部地方課勤務、佐賀県警察部特別高等警察課長、静岡県警察部刑事課長、内務事務官・警保局勤務、内閣情報部情報官、情報局第四部第一課勤務、内務大臣秘書官兼内務事務官、警保局警務官、山梨県書記官・警察部長、茨城県部長・経済部長、同県部長・警察部長、内務省警保局警務課長、同経済保安課長などを歴任し、終戦を迎えた。
井手 成三(いで なるみ、1906年4月6日 - 1978年… 井手 成三(いで なるみ、1906年4月6日 - 1978年7月28日)は、日本の官僚。法制局当時には、現憲法の作成にも参画した数少ない人物として知られる。 先祖は、椙本正俊といわれ、祖母は梅田雲浜の従姉にあたる。父が京都へ移住したため、井手は京都で生まれたが、先祖代々の墓は小浜にあり、毎年墓参に訪れていた。第三高等学校を経て、東京大学入学と同時に郷土出身者の会である雲城会に入り、若狭人の自覚を持ち、若狭出身であることを生涯誇りとしていた。東大卒業後は内務省の官吏となり、兵庫県庁を振り出しに官界に身を置いたが、最高の事務次官にまで昇進したのは、若狭では井手一人である。官界を退いた後、政治家を志し、1952年(昭和27年)、1963年(昭和38年)の2回にわたって福井県から衆議院総選挙に立候補したが当選を果たせず、政治家として郷土のために活躍したいという夢を実現できなかった。
唐澤 鹿男(からさわ しかお、1906年〈明治39年〉3月2… 唐澤 鹿男(からさわ しかお、1906年〈明治39年〉3月20日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。公吏。 長野県上伊那郡に生まれる。松本高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝国大学経済学部を卒業する。 卒業後、直ちに台湾総督府に出仕し金融課勤務を発令され、官房審議室勤務を経て、1942年(昭和17年)8月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任した。 戦後、長野県出納長を務めた。
吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月… 吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月13日 - 1993年(平成5年)10月22日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。最後の官選鳥取県知事。 兵庫県明石市出身。大阪高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県属となる。 以後、労働局事務官、島根県書記官・警察部長、厚生省会計課長、同勤労局長などを歴任。 1947年2月、鳥取県知事に就任。昭和22年度当初予算を編成し、知事選挙を執行して、同年4月に退任。その後、埼玉県副知事に就任した。 1950年、警察予備隊に参加し第1管区総監となるが、部下の不祥事の責任を取り辞職。
金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月… 金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月18日 - 1981年(昭和56年)4月14日)は、日本の内務・警察官僚、陸上自衛官、弁護士。最後の官選佐賀県知事、陸将。 島根県出身。第一高等学校を卒業。1930年10月、高等試験行政科試験に合格。1931年に同司法科試験にも合格し、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年、内務省に入省し、地方局属となる。 以後、鹿児島県学務部学務課長、同総務部議事課長、内務省衛生局事務官、警視庁経済警察第一課長、岩手県書記官・警察部長、岩手県部長・警察部長、厚生省衛生局医務課長、群馬県部長・警察部長、防空総本部救護課長、新潟県部長・警察部長、福岡県経済部長、栃木県内務部長などを歴任。
渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年2月15日 … 渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年2月15日 - 2010年8月23日)は、日本の官僚。大蔵省財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラスト運営委員会代表。
渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年(明治39年… 渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年(明治39年)2月15日 - 2010年(平成22年)8月23日)は、日本の官僚。初代財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラスト運営委員会代表。渡辺千秋の孫、渡辺千冬の子。 東京府(現・東京都)生まれ。学習院初等科、府立第一中学校4年修了、第一高等学校を経て、1930年(昭和5年)東京帝国大学法学部政治学科卒。 同年 大蔵省入省後、対満事務局に出向し、革新官僚の一人として統制経済の策定にも関わった。同局では殖産課に属し、岩畔豪雄と机を並べて仕事をした。1937年(昭和12年)、大蔵省主計局事務官となり文部省・南洋庁・関東局を担当、隣には陸軍担当の福田赳夫がいた。
吉川 覚(よしかわ さとる、1906年2月7日 - 1978… 吉川 覚(よしかわ さとる、1906年2月7日 - 1978年1月26日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。福井県最後(第36代)の官選知事だが、現地には赴任しなかった。 1906年(明治39年)、徳島県海部郡の海産物商の家に生まれる。熊本時習中学、第七高等学校造士館を卒業。1929年(昭和3年)10月、文官高等試験行政科試験に合格。1930年(昭和5年)3月、東京帝国大学法学部英法科を卒業、内務省に入省し宮崎県内務部土木課兼地方課に勤務。12月、宮崎県知事官房文書課長。以後、島根県警察部警務課長、同特別高等警察課長、熊本県警察部特別高等警察課長、内務省警保局保安課勤務、北海道庁拓殖部長、愛媛県経済部長、軍事保護院援護局指導課長、防空総本部総務局疎開課長、同施設局人員疎開課長、島根県内政部長、兵庫県経済部長などを歴任する。
安中 忠雄(あんなか ただお、1905年 <明治38年> 1… 安中 忠雄(あんなか ただお、1905年 <明治38年> 12月27日 - 1999年 <平成11年> 8月17日)は、日本の内務・厚生官僚、政治家。宮崎県知事。位階は従四位。 新潟県出身、東京帝国大学卒。1928年内務省に入省。厚生省大臣官房会計課長を経て1945年宮崎県知事(官選)に就任。 1947年に知事が公選となったのに伴い、初の知事選挙に出馬。一位の二見甚郷が法定得票数に届かず、二見との決選投票となったが、二見の公職追放により無投票当選した。知事を1期務めた後1951年に郷里・新潟県の知事選に鞍替え出馬するが落選。翌1952年の総選挙において新潟2区から自由党公認で立候補したが落選。1959年に返り咲きを目指して再度宮崎県知事選に出馬するも黒木博に敗れた。
内藤 亮一(ないとう りょういち、1905年12月18日 -… 内藤 亮一(ないとう りょういち、1905年12月18日 - 1983年3月28日)は、日本の建設官僚、建築学者。 東京帝国大学工学部建築学科卒業後、地方で住宅行政に携わった後、建設省住宅局の指導課長として建築士法制定のために活動した。晩年は横浜国立大学で教鞭をとった。
前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 … 前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 - 1981年7月23日)は、日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。
山崎 小五郎(やまざき こごろう、1905年〈明治38年〉1… 山崎 小五郎(やまざき こごろう、1905年〈明治38年〉11月10日 - 1976年〈昭和51年〉8月2日)は、日本の海上自衛官、逓信・運輸通信・運輸官僚。第24代運輸事務次官、海上保安庁次長、初代海上幕僚長。最終階級は海将。 Y委員会の一員として海上自衛隊の創設に尽力し、MSA協定に基づく日米艦船貸与協定を締結、護衛艦の国産を開始。コーストガードからネイビーへの橋渡しを終えて運輸省へ戻り事務方の頂点に就任する。 福岡県出身。山崎迂太郎の五男として生まれる。東筑中学、第七高等学校造士館を経て、1931年(昭和6年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年(昭和4年)12月に高等試験司法科試験、1930年(昭和5年)10月、高等試験行政科試験にそれぞれ合格。
小野田 快雄(おのだ よしお、1905年〈明治38年〉10月… 小野田 快雄(おのだ よしお、1905年〈明治38年〉10月23日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、陸軍司政官。 岡山県御津郡今村中仙道(現・岡山市北区中仙道)に生まれる。第六高等学校を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科に合格し、1930年(昭和5年)3月に東京帝国大学法学部を卒業する。 同年5月、台湾総督府内務局地方課勤務を発令され、翌月渡台する。1934年(昭和9年)9月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任し、1936年(昭和11年)10月、高雄州警務部警務課長に転じた。ついで同州内務部勧業課長、府事務官官房外務部課長、台南州産業部長、同州警察部長を経て、1942年(昭和17年)10月、軍政部附として南方に転出。
帆足 計(ほあし けい、1905年9月27日 - 1989年… 帆足 計(ほあし けい、1905年9月27日 - 1989年2月3日)は、日本の商工官僚、政治家。衆議院議員(7期)。参議院議員(1期)。 大分県日田市で生まれる。旧制第六高等学校、二度落第。1931年東京帝国大学経済学部卒。在学中は新人会で学生運動に身を投じた。 朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実、風見章、勝間田清一、穂積七郎らと共に近衛文麿の最高政治幕僚組織「昭和研究会」に所属した。商工省の革新官僚であり、第二次世界大戦中に重要産業統制協議会事務局長就任、統制経済を推進し、大日本帝国の国民経済を自由主義的市場経済から全体主義的計画経済へ移行させる経済新体制の確立を画策した。 昭和研究会には帆足ら革新官僚と尾崎ら転向左翼ら所謂「国体の衣を着けたる共産主義者」(近衛上奏文)が結集しており、彼らはマルクス主義に依拠して戦争を利用する上からの国内革新政策の理論的裏付けを行い、国家総動員法の発動を推進し、近衛新体制生みの親として大政翼賛会創設の推進力となった。
足羽 則之(あしば のりゆき、1905年〈明治38年〉9月2… 足羽 則之(あしば のりゆき、1905年〈明治38年〉9月22日 - 1966年〈昭和41年〉2月2日)は、日本の鉄道官僚、運輸官僚、実業家。小田急百貨店副社長。 鳥取県鳥取市西町の鳥取士族で、衆議院議員(鳥取市選出)、鳥取市会議長、鳥取県会議員などをつとめた木下義之の三男。足羽家に入る。1926年に第三高等学校文科乙類卒業。1928年に高等試験行政科合格。1929年に東京帝国大学法学部法律学科卒業。 鉄道省に入り鉄道事務官兼企画院・外務省各書記官、運輸大臣官房人事課長を経て1946年に新潟鉄道局長となり1949年に運輸省鉄道監督局長に転じ、1952年4月に退官、私鉄経営者協会専務理事事務局長に就任、関東鉄道協会常任理事事務局長の後1956年5月に小田急取締役に挙げられ、1959年2月に常務に推される。
島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 -… 島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 - 1997年10月4日)は、日本の逓信官僚。海上保安官、海上保安庁長官。広島県尾道市出身。 広島県立福山中学校(現福山誠之館高等学校)、第一高等学校を経て1930年、東京大学法学部卒業。1930年、逓信省入省。1938年12月8日、ダグラス14人乗りの航空機DC-2(台北福岡ルート、フライトは台北のフィールド(この台北松山空港)から早朝6時30分、離陸、福岡、九州で飛ぶ)、"富士"がクラッシュを生き延びた。北海道海運局、近畿海運局長などを経て1953年海上保安庁次長。1955年5月から1958年12月まで海上保安庁長官を務めた。退官後は特定船舶整備公団理事長、日本原子力船開発事業団理事長などを務めた。
井上 清一(いのうえ せいいち、1905年〈明治38年〉7月… 井上 清一(いのうえ せいいち、1905年〈明治38年〉7月31日 - 1967年〈昭和42年〉1月8日)は、日本の内務官僚、政治家。参議院議員(2期)、京都市長。 1905年に富山県婦負郡速星村の多額納税者井上清孝の長男として生まれる。第四高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に進学し、在学中の1929年(昭和4年)10月に高等試験行政科試験合格。翌1930年帝大卒業とともに内務省へ入省し、四国地方行政事務局次長、同物価事務局長、京都府警察部長を歴任。 京都府知事木村惇の下で副知事を務めるが、1950年(昭和25年)4月に木村が公職選挙法違反で辞任したことで保守系の推薦で京都府知事選挙に立候補するも蜷川虎三に敗れる。
入江 相政(いりえ すけまさ、1905年〈明治38年〉6月2… 入江 相政(いりえ すけまさ、1905年〈明治38年〉6月29日 - 1985年〈昭和60年〉9月29日)は、日本の官僚、歌人であり随筆家である。 昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 堂上華族の入江家出身。歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟にあたる。柳原前光の孫である。 1905年(明治38年)6月29日、東京府東京市麻布区笄町(現・東京都港区西麻布)で、入江為守子爵・貴族院議員の三男として生まれる。兄に入江為常。生家は歌道冷泉派の宗家・冷泉家の流れを汲む「歌の家」。 冷泉家・入江家の通字は家祖・冷泉為相の名から取った「為」だが、入江家では「相」の字も通字として用いられたため、相政と名付けられた。
福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月2… 福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月26日 – 1983年(昭和58年)7月15日)は、昭和期の官僚、弁護士、政治家。衆議院議員。 母の生家の大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)で生まれる。第三高等学校を卒業。1927年(昭和2年)12月高等試験行政科試験に合格し、司法科試験にも合格した。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年、内務省に入省し千葉県属に任官した。 以後、社会局属、国際労働機関在勤(ジュネーヴ)、社会局事務官、企画院調査官、東亜研究所参与、企画院書記官、商工省事務官兼書記官・振興部金融課長兼施設課長、総務課長兼工務課長、企業局工政課長、絹毛課長、商工組合中央金庫監理官、熊本営林局総務部長、千葉県教育民生部長、神奈川県労働部長、神奈川労働基準局(現神奈川労働局)長などを歴任し、1948年(昭和23年)に退官した。
椙杜 正太郎(すぎのもり しょうたろう、1905年(明治38… 椙杜 正太郎(すぎのもり しょうたろう、1905年(明治38年)4月 - 1977年(昭和52年)4月20日)は、商工省ないし通商産業省の官僚。東京帝国大学卒。72歳で没した。元アラビア石油常務。元石油鉱業連盟顧問。