高島 宏子(たかしま ひろこ、1942年(昭和17年)5月 … 高島 宏子(たかしま ひろこ、1942年(昭和17年)5月 - )は、日本の音楽学者。音楽療法士。メゾソプラノ歌手。 元四国大学生活科学部教授。元四国大学短期大学部教授。放送大学非常勤講師。武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業。徳島県出身。 徳島県出身。1965年(昭和40年)、武蔵野大学音楽学部声楽科を卒業。また徳島大学医学部医学科専攻生を修了。 2000年(平成12年)より四国大学生活科学部児童学科助教授となり、2003年(平成15年)に同学部と四国大学短期大学部の教授に就任。2006年(平成18年)、放送大学非常勤講師に就任。 2002年(平成14年)に日本音楽教育振興協会理事、2007年(平成19年)に四国ミュージックセラピー研究会講師にそれぞれ就任。
安孫子 誠也(あびこ せいや、1942年 - )は、日本の物… 安孫子 誠也(あびこ せいや、1942年 - )は、日本の物理学者。聖隷クリストファー大学名誉教授。専門は非平衡熱力学、物理学史。 東京生まれ。父は日本画家の安孫子荻聲。1960年東京都立日比谷高等学校卒業。1964年東京大学理学部物理学科卒業。1975年同大学大学院理学系研究科博士課程単位取得。1981年「共鳴ラマン散乱における磁気励起子と仮想励起子の果す役割」で理学博士(東京大学)。1982年東京大学教養学部非常勤講師(1982-1984年、1992年、1996-1997年)、東京女子大学文理学部非常勤講師 (1992年まで)、日本大学文理学部非常勤講師(1994年まで)。1988年聖隷学園浜松衛生短期大学教授。
新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は… 新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は、日本のトロンボーン奏者。スタジオ・ミュージシャン。広島県広島市出身。 武蔵野音楽大学在学中にプロとしてデビューする。 東京ユニオン、ニューブリード等のバンド活動を経て、1969年からフリーの音楽家としてコンサートや公演等への参加を開始する。主に1970年代から80年代にかけては、スタジオ・ミュージシャンとして膨大な数のレコーディングに参加するようになる。また、トロンボーン音楽教室やビッグバンドのコーチなども積極的に行っている。ほか、東京ディズニーランドの音楽監督や「夜のヒットスタジオ」の音楽監督および指揮、アレンジ等も担当している。 演奏家のあいだでは″チャンピオン″の愛称で知られる。
松本 美和子(まつもと みわこ、1941年11月25日 - … 松本 美和子(まつもと みわこ、1941年11月25日 - )は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。 奈良県奈良市出身。武蔵野音楽大学卒業。同専攻科修了。1966年ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院に留学し、首席名誉賞受賞で卒業。1972年ローマ・アカデミア・サンタ・チェチーリア修了。シエーナのキジアーナ音楽院でも学ぶ。松本寛子、松内和子、松山善憲、ルドルフォ・リッチ、畑中良輔、ジョルジョ・ファヴァレットに師事。 1972年ローマ歌劇場においてビゼー『カルメン』ミカエラでデビュー。以後、ローマ国立歌劇場を本拠に、サン・カルロ劇場(ナポリ)、フェニーチェ歌劇場(ヴェネツィア)、トリノ王立歌劇場等、イタリアの著名な歌劇場はもとより、ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ライン・ドイツ・オペラ、フランクフルト歌劇場、バイエルン国立歌劇場、リセウ大劇場(バルセロナ)、ウィーン国立歌劇場、ロイヤル・オペラ・ハウス(ロンドン)、シカゴ・リリック・オペラなど、世界各国の主要オペラ劇場に出演。
小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 202… 小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 2022年5月13日)は、日本のヴァイオリニスト、指揮者。広島県広島市出身。元広島交響楽団首席コンサートマスター。 広島市東雲に生まれ、3歳の頃に広島市への原爆投下で被曝する。流しのギターに憧れを抱いて楽器をせがんでいたところ、学校の先生の勧めで8歳の頃よりヴァイオリンを始める。中学時代はスポーツに夢中になり、一時期楽器から離れるが、高校は広島音楽高等学校に進学。 高等卒業後、武蔵野音楽大学で福元裕、ヴォルフガング・シュタフォンハーゲンに師事。大学卒業後、1964年にNHK交響楽団に入団。ベルリン国立音楽大学室内楽科へ入学し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター、レオン・シュピーラー(フィンランド語版)に師事。
片野坂 栄子(かたのさか えいこ、1941年1月17日 - … 片野坂 栄子(かたのさか えいこ、1941年1月17日 - )は、日本のソプラノ歌手、オペラ歌手。鹿児島県出身。 武蔵野音楽大学を経てウィーン国立アカデミーを首席で卒業。1964年ウィーン国際オペラ・コンクール入賞、1965年バルセロナ「フランシスコ・ヴィーナス」国際音楽コンクール第1位優勝。以来、バーンスタイン、マタチッチ、ミュンヒンガーなどの著名な指揮者のもとでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、北ドイツ放送交響楽団などと、コンサート歌手として共演する。1974年より第1ソプラノ歌手として、ドイツ・パッサウ市立歌劇場、ヒルデスハイム歌劇場、デュッセルドルフ歌劇場、ミュンヘン歌劇場などと専属客演契約で活躍する。
川田 絢音(かわた あやね、女性、1940年9月22日 - … 川田 絢音(かわた あやね、女性、1940年9月22日 - )は、日本の詩人。 満洲・斉斉哈爾生まれ。イタリア在住。武蔵野音楽大学中退。2015年、『雁の世』で萩原朔太郎賞を74歳の最高齢で受賞。
小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月… 小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月1日 - )は、日本のフラメンコダンサー。日本フラメンコ協会理事長。徳島県海部郡牟岐町出身。武蔵野音楽大学声楽学科卒業。 1966年 スペインに渡り、マドリードの稽古場「アモール・デ・ディオス」で修業。1976年 十年に及ぶ修業を終えて帰国。2009年 6月14日、高野山真言宗総本山金剛峯寺壇上伽藍金堂にてフラメンコ奉納公演『聖なるいのち ~空海に捧ぐ~』を行う。2011年 2月27日、第15回フェスティバル・デ・ヘレスにて『ラ・セレスティーナ』招聘公演を行う。(会場:ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ市ビジャマルタ劇場/演出・振付:ハビエル・ラトーレ/音楽監督:チクエロ) 1986年 『瞋恚の炎』で第18回舞踊批評家協会賞、芸術祭賞を受賞。
田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 200… 田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団首席奏者、武蔵野音楽大学教授を務めた。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。 福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学校の数学教師であった田中親(ちかし)と妻ハルキの次男として生まれる。嘉穂高校の吹奏楽部でトランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音楽大学にホルンで入学した。なお、嘉穂高校逍遥歌を作曲している。 武蔵野音大在学中、1960年秋に近衛秀麿率いるABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加した。
平田 隆夫(ひらた たかお、1939年? - 2011年6月… 平田 隆夫(ひらた たかお、1939年? - 2011年6月12日)は、日本のソングライター、ジャズピアニスト。 京都府出身。武蔵野音楽大学卒業。 1965年、ダン池田が率いたアフロ・キューバン・ジャズのバンド「ダン池田とアフロキューバン」に加入。ジャズ・ピアニストとして活動。1968年に「平田隆夫とセルスターズ」を結成、『マシュ・ケ・ナダ』の世界的ヒットを放ったセルジオ・メンデスを目指した。1969年には、グループ・サウンズ「ザ・ルビーズ」のギタリスト菊谷英二を同バンドに迎え、東京・新宿の小田急百貨店のレストラン「バルーン」でレギュラー演奏をしていた。 1971年、「平田隆夫とセルスターズ」はミノルフォン・レコード(現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)と契約。
内藤 忠勝(ないとう ただかつ、1938年(昭和13年)11… 内藤 忠勝(ないとう ただかつ、1938年(昭和13年)11月18日 - )は、山梨県出身のピアニスト。武蔵野音楽大学を卒業し、松山淳子やアネッテ・デュドンヌ (Annette Dieudonné)などの元で師事した。武蔵野音楽大学や東京芸術大学の講師を務めたのち、武蔵野音楽大学の器楽学科の助教授に就任、現在は教授となり、ソルフェージュを教えている。 門下生に大塚英一郎がいる。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日… 田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日本の作曲家、教育者、文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長。 現在の北朝鮮沙里院市生まれ。終戦後の1945年、福岡県久留米市に引き揚げる。1962年、武蔵野音楽大学作曲科卒業。渡辺浦人、安部幸明、クラウス・プリングスハイムに師事した。 1963年、管弦楽曲「筑後地方の俗楽によるコンポジッション」が第4回TBS賞特賞受賞。1965年、「フルート、クラリネット、ファゴットのための三重奏」が日本音楽コンクール作曲部門室内楽曲第3位入賞。文教大学、武蔵野音楽大学等で作曲を教授し、文教大学学生部長、文教大学学園理事長を歴任。九州・沖縄作曲家協会元会長、名誉会員、東アジア作曲家協会理事、日本現代音楽協会会員。
蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao T… 蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao Tyzen, 1938年1月1日 - 2015年2月24日)は、台湾の作曲家。 高雄県鳳山市出身。祖父は長老派教会の宣教師で、父は日本で学んだ歯科医師で長老。母は日本でピアノを学んだ経験があったので、彼は幼いころから西洋音楽に親しんだ。父は歯科医師の道を進むことを望んだが、彼の才能を惜しんだ中学校長の説得で音楽の道を進むことになった。 1959年、台湾省立師範大学(現在の国立台湾師範大学)に入学し、ピアノを専攻するとともに、許常恵から作曲を学んだ。1963年に卒業後、高雄中学の音楽教師となった。 1965年、武蔵野音楽大学に留学し、中根伸也にピアノを学ぶとともに、藤本秀夫から個人的に作曲を学んだ。
吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2… 吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2019年4月10日)は、日本のマリンバ奏者。愛知県名古屋市生まれ。20代に東京に活動拠点を変更して以来、東京を活動の中心地とした。2019年4月10日 急性心筋梗塞のため死去。 音楽家であった父から木琴の指導を5歳から受け、父のアコーディオン伴奏で日本各地で演奏をする。天才木琴少年としてラジオやテレビ放送にも出演していた。 高校生の時に平岡養一の演奏を聴き、プロになることを決意。武蔵野音楽大学ピアノ科に入学。在学中よりスタジオ・ミュージシャンとして活動。スタジオ・ミュージシャン歴60年間で録音総数は3万曲に上る。 見砂直照(東京キューバン・ボーイズ)のマリンバ奏者、越路吹雪の日生劇場でのロングリサイタルの専属バンドメンバーを務めた。
桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934… 桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934年8月19日 - 2007年6月1日)は日本の作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学卒業。 下総皖一、クラウス・プリングスハイムに師事。宝塚歌劇団出身の俳優・華村りこ(RICO)は実子。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
川田 正子(かわだ まさこ、1934年7月12日 - 200… 川田 正子(かわだ まさこ、1934年7月12日 - 2006年1月22日)は、日本の童謡歌手。幼少期より児童合唱団音羽ゆりかご会に所属し、童謡作曲家の海沼實(のちに継父となる)に師事して才能を開花させた。童謡や唱歌を数多く歌唱し、戦中から戦後にかけて日本の童謡界の代表的歌手として一世を風靡した。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
辻 正行(つじ まさゆき、1932年8月5日 - 2003年… 辻 正行(つじ まさゆき、1932年8月5日 - 2003年11月1日)は、日本の合唱指揮者である。石川県江沼郡山中町出身。 石川県立大聖寺高等学校を経て武蔵野音楽大学声楽科卒業。同大学専攻科修了。NHK東京放送合唱団に所属したが65年にフリーの合唱指揮者として独立する。作曲家高田三郎との親交が深く、高田の代表作である「水のいのち」「心の四季」等のステージ初演を務めた。ほかにも多くの邦人作曲家の初演や紹介にも精力的に取り組んだ。 指揮・指導を務める傘下の合唱団をTCF(ツジ・コーラス・ファミリー)として組織化する。各合唱団を率いて全日本合唱コンクール全国大会で度々金賞に導いた。84年には合唱団の最優秀指揮者に送られる「コーラス・オブ・ザ・ワールド賞」を受賞する。
市田 儀一郎(いちだ ぎいちろう、1932年1月28日 - … 市田 儀一郎(いちだ ぎいちろう、1932年1月28日 - 2014年11月28日)は日本のピアニスト、音楽教育者、音楽学者。日本ピアノ教育連盟副会長。平成音楽大学名誉教授。 大阪府出身。武蔵野音楽大学卒業。同専攻科修了後、ミュンヘン音楽・演劇大学に留学。F.ヴューラー教授に師事。帰国後母校の教授、信州大学教授などを歴任。 2011年瑞宝中綬章受章。 J.S.バッハの平均律、シューベルトのピアノソナタ全集など古典的作品の校訂で知られる。特にハワード・ファーガソンの日本への紹介に力を入れている。 演奏技法に関しては、『バッハ平均律クラヴィーア : 解釈と演奏法. 1・2』(音楽之友社、1968年、1983年)、『バッハ・インヴェンションとシンフォニーア : 解釈と演奏法』(音楽之友社、1971年)、『ピアノ伴奏の基本と奏法』(明治図書出版、1976年)の著書がある。
岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日… 岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月22日)は、日本のオーボエ奏者。京都市立芸術大学名誉教授。徳島文理大学客員教授。 武蔵野音楽大学音楽学部卒業。デトモルト音楽大学卒業。熊本県熊本市出身。 熊本県熊本市出身。1958年(昭和33年)に武蔵野音楽大学音楽学部を卒業し、1965年(昭和40年)にドイツのデトモルト音楽大学を卒業した。 武蔵野音楽大学を卒業後は京都市交響楽団に入団し、1969年(昭和44年)まで在籍した。その後は京都市立芸術大学音楽学部で講師・助教授・教授を経て、1997年(平成9年)に同大学を退任し、同大学の名誉教授に就任する。
井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日… 井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日 - )は、日本のヴァイオリニスト。徳島文理大学名誉教授。武蔵野音楽大学音楽学部卒業。徳島県徳島市出身。 1956年(昭和31年)、武蔵野音楽大学音楽学部卒業。大学卒業後、同年に徳島大学学芸学部講師に就任。 1966年(昭和41年)、徳島女子短期大学(現在の徳島文理大学短期大学部)助教授に就任。1972年(昭和47年)、徳島文理大学音楽学部学部長に就任。 また、これまでに徳島県文化協会理事・日本弦楽指導者協会徳島支部長などを歴任。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 20… 秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 2025年12月9日)は、日本の指揮者、吹奏楽指導者、吹奏楽史研究家。 1956年、戦後初の第4回全日本吹奏楽コンクール全国大会に埼玉県立大宮工業高等学校の指揮者として出場する。その後、大宮市立桜木中学校とソニー吹奏楽団の指揮者としても全日本吹奏楽コンクール全国大会に出場する。1963年に教員を1年間休職し渡米する。アメリカ各地の吹奏楽を視察し、イーストマン音楽学校へ留学したり、ミッドウェスト・クリニック(英語版)に日本人として初めて参加する。その後、ヨーロッパ各地の吹奏楽を視察する。帰国後、教職を務めながら海外で見聞した吹奏楽指導法を書籍や教則本にまとめたり、アメリカの吹奏楽専門書の翻訳をする。
久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日… 久邇 邦昭(くに くにあき、1929年〈昭和4年〉3月25日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮第4代当主。元実業家(川崎汽船役員)、元神職(伊勢神宮大宮司)。皇籍離脱前の名と身位は邦昭王(くにあきおう)。香淳皇后 (昭和天皇后) の甥であり、第125代天皇・明仁(上皇)の従兄にあたる。日本国憲法・現行皇室典範施行後も皇族であったが、GHQの指令により昭和22年 (1947年) 10月14日皇籍離脱した。北朝3代崇光天皇男系19世孫(伏見宮邦家親王男系4世孫)。 1929年(昭和4年)3月25日午後3時35分、東京帝国大学医学部付属病院にて、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王子として誕生。御七夜の3月31日に「邦昭」と命名された。
安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2… 安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2日 - )は、日本の歌手。所属事務所はミュージックオフィス合田。 北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。 卒業と同時に日本コロムビアの専属となり、1949年(昭和24年)に藤山一郎と一緒に吹き込んだデビュー曲『花の素顔』(同名松竹映画の主題歌)がヒット。 1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットするも、歌手の若山彰と結婚(のち離婚、後年再婚)のため、引退。 その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子・並木路子・池真理子・胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。
高萩 保治(たかはぎ やすはる、1928年9月1日 - 20… 高萩 保治(たかはぎ やすはる、1928年9月1日 - 2016年10月2日)は、日本の音楽教育学者。 東京生まれ。1950年武蔵野音楽学校卒。小・中・高校での音楽教育に従事。1965年米国コロンビア大学ティーチャースカレッジ大学院修士課程修了。1969年武蔵野音楽大学助教授、1973年東京学芸大学助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、国立音楽大学客員教授、日本大学芸術学部教授。日本音楽教育学会、国際音楽教育協会(ISME)の会長を務めた。高萩宏は甥である。
疋田 生次郎(ひきた せいじろう、1928年〈昭和3年〉4月… 疋田 生次郎(ひきた せいじろう、1928年〈昭和3年〉4月7日 - 2001年〈平成13年〉2月17日)は、日本の声楽家(バリトン)・音楽教育者。元・武蔵野音楽大学教授。 北海道出身。1957年(昭和32年)武蔵野音楽大学専攻科修了。 1969年(昭和44年) - 1972年(昭和47年)イタリアのローマ、ミラノに留学し、マリオ・サンマリーニ、デ・スカルツィ、レオニーダ・ベッロンらに師事。 音楽教育者として優れ、優秀な声楽家を数多く育てた。著名な門下生は、伊原直子、山路芳久、牧野正人、青山智英子、星洋二、高橋啓三、村田健司、笠井幹夫、田口興輔、塩田美奈子、丹藤亜希子、三縄みどり、大澤一彰、小貫岩夫、新垣勉、富浦元公など、錚々たる顔ぶれである。
若山 彰(わかやま あきら、1927年7月4日 - 1998… 若山 彰(わかやま あきら、1927年7月4日 - 1998年12月9日)は、日本の歌手。広島県三原市出身。武蔵野音楽大学卒業。元妻は「花の素顔」「マリモの唄」などで知られる歌手の安藤まり子。墓所は広島県三原市の香積寺にある。 広島県で繊維問屋を営む家に生まれ、不自由なく育つ。幼少の頃より歌好きであったが、旧・広島文理科大学在学中に出場した音楽コンクールで3位入賞を果たしたことで、本格的に歌の道を志し、武蔵野音楽学校へ入学し直す。 当初はオペラ歌手を目指していたが、在学中に伊藤久男の「イヨマンテの夜」のバックコーラスのアルバイトをしたことで流行歌の魅力にとりこになり、作曲家の米山正夫に師事。大学卒業後の1951年、24歳で日本コロムビアから「星空」でデビュー。
江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 201… 江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 2010年1月23日)は、日本の作曲家。 海軍軍楽隊出身で流行歌の作曲家として成功していた江口夜詩の長男として、東京府東京市神田区鍛冶町に生まれた。 1944年に海軍兵学校へ76期生として入校するも、在校中に終戦を迎えた。その後は父と同じ作曲家を志し、1947年に武蔵野音楽大学作曲科へ進み、服部正にも師事する。 1955年、作詞・作曲した「さよならのビギン」が松島詩子歌唱で発売され、流行歌の作曲家としてデビュー。 1959年から1984年にフリーになるまで、キングレコードの専属作曲家として「忘れな草をあなたに」、「下町の太陽」などを作曲した。
川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月… 川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月11日 - 没年不明)は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。 武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業。兵庫県西宮市出身。 兵庫県西宮市出身。1948年(昭和23年)に武蔵野音楽大学音楽学部声楽科を卒業し、声楽をリア・フォン・ヘッサートに師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で教鞭を執り、1972年(昭和47年)に同大学が改称し徳島文理大学音楽学部の教授となる。また全四国大学音楽学会などに所属した。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
川原 恵輔(かわはら けいすけ 1926年 - )は、日本の… 川原 恵輔(かわはら けいすけ 1926年 - )は、日本の元アナウンサー。 東京都出身の武蔵野音楽大学声楽科卒業後、1946年に日本放送協会(NHK)に入局。野球(プロ・アマを問わず)、柔道など各種スポーツ放送に従事。1964年の東京オリンピック男子柔道の実況を担当。無差別級決勝の神永昭夫 - アントン・ヘーシンク戦のテレビ中継の実況を行ったのは川原である。 1982年ごろ定年退職後はフリーアナウンサーとして、テレビ埼玉、千葉テレビ放送、サンテレビジョンを中心に、プロ野球中継の実況を担当した。少なくとも2000年代前半以後はアナウンサーとしての活動は確認されていない。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月… 河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月27日 - 2007年(平成19年)1月20日)は、日本の童謡歌手。父は童謡作曲家の河村光陽。妹もそれぞれ童謡歌手の陽子(1927年11月18日 - 2021年2月7日)、博子(1929年8月9日 - )。 東京都小石川区久堅町(現在の東京都文京区)出身。1932年(昭和7年)、「かごめかごめ」「お薬とり」でポリドール・レコードからデビュー。1935年(昭和10年)1月、ポリドール専属となる。1936年(昭和11年)、キングレコードに移籍し、同年2月、父河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」が大ヒット。以降父の作曲した「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」、「赤い帽子白い帽子」などがヒットした。
岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年〈大正13年〉12月… 岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年〈大正13年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉12月28日)は、日本の歌手、音楽教師。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)声楽科卒業。日本コロムビア所属。 1924年12月25日、北海道小樽市に生まれる。学校の教員を務める父親がクラシック好きで、幼少期から音楽に親しむ環境で育つ。 父親の転勤で神奈川県に転居し、旧制川崎中学校(現・神奈川県立川崎高等学校)に進学する。 川崎中学校在学中の1940年、映画「熱砂の誓い」を鑑賞し、アトラクションで伊藤久男の歌う「建設の歌」に感銘を受け、歌手を志す。 1943年、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)へ進学。
浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月1… 浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月19日 - 2025年〈令和7年〉)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。元武蔵野音楽大学教授。 長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。長野県須坂高等女学校(現: 長野県須坂東高等学校)卒業。しばらく音楽講師として教壇に立ったが、27歳の時、恩師の勧めで東京藝術大学声楽科に入学した。1956年(昭和31年)卒業。岡部多喜子に師事。平井康三郎、信時潔、松本民之助にも指導を受けた。1961年(昭和36年) - 1965年(昭和40年)ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院に留学。ジョルジョ・ファヴァレット、イルデブランド・ピツェッティ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、ダンジェロ、A・レオーネ、V・マリーニに師事。
宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、192… 宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、1921年〈大正10年〉7月26日 - 2009年〈平成21年〉9月1日)は、日本の元作曲家、シャンソン歌手。武蔵野音楽学校声楽科卒業。 1955年にシャンソン歌手としてデビュー。『ひるのいこい』(NHKラジオ第一放送)にレギュラー出演するなどの活動をした後に作曲家へ転身し、シャンソンを中心に歌謡曲やテレビドラマの主題歌、或いは東京都内の小学校校歌に至るまで幅広いジャンルの作品を手掛けた。特に菅原洋一が1970年にヒットさせた『今日でお別れ』は其の年の日本レコード大賞を受賞するなどして宇井あきらの代表作となった。 また、宇野ゆう子を始め、後進のシャンソン歌手育成にも熱意を傾けたことでも知られる。
石井 歓(いしい かん、1921年〈大正10年〉3月30日 … 石井 歓(いしい かん、1921年〈大正10年〉3月30日 - 2009年〈平成21年〉11月24日)は、日本の作曲家。東京市下谷区(現:東京都台東区)出身。 同じく作曲家である石井眞木は弟、石井五郎は叔父に当たる。父は舞踊家の石井漠。 成城学園小学部から旧制の成城高等学校尋常科に進むが、成城事件で父の友人の小原國芳が排斥されたため、玉川学園中等部に転じる。作曲を呉泰次郎について約3年間学んだ。武蔵野音楽大学本科ピアノ科を卒業後、池内友次郎に師事。太平洋戦争中は海軍予備学生として海軍入隊後、約2年間勤務。1947年(昭和22年)から尾高尚忠に指揮法を師事。1952年(昭和27年)、西ドイツに留学し、ミュンヘン国立音楽大学作曲科・指揮科を修了。
入江 薫(いりえ かおる、1920年1月1日 - 2015年… 入江 薫(いりえ かおる、1920年1月1日 - 2015年11月15日)は、日本の作曲家である。宝塚歌劇団の座付き作曲家として多くの作品を手掛ける。 1950年(昭和25年)宝塚歌劇団に入社する。2014年に『宝塚歌劇の殿堂』の100人に選ばれた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 201… 大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 2012年5月8日)は、昭和期の声楽家(ソプラノ)、歌手。出生年を1921年とする文献もある。 広島県広島市国泰寺町(現・中区国泰寺町)出身。両親はいずれも広島一中(現・広島国泰寺高校)の教師だった。1940年武蔵野音楽学校卒業。同期生に高英男、木下忠司がいる。原信子に師事。 同年、ビクターレコードから歌手デビュー。1941年に、柴田睦陸と「出せ一億の底力」を吹き込む。 1942年には、灰田勝彦と、「ジャワのマンゴ売り」や「空の神兵」を吹き込みヒットさせている。 前年、第10回毎日音楽コンクール声楽部門入賞をきっかけに藤原歌劇団歌舞伎座公演『ファウスト』の主役・マルガレーテ役に抜擢されオペラ界にデビュー、新人でマルガレーテを演じた冽子は「オペラ界のシンデレラ」ともてはやされた。
高 英男(こう ひでお、本名:吉田 英男、1918年10月9… 高 英男(こう ひでお、本名:吉田 英男、1918年10月9日 - 2009年5月4日)は、樺太(現・サハリン)出身の日本の歌手、俳優。日本人のシャンソン歌手の先駆けであり、シャンソン音楽普及の第一人者である。フランスでも活躍。独自のムードを醸し出す歌手・俳優として知られた。 大正7年(1918年)10月9日、樺太泊居町で8人兄弟の末っ子として生まれた。生後すぐ、母方の伯母の嫁ぎ先へ戸籍上の養子になっている。芸名である高英男の姓である「高」は旧姓(実家の姓)であり、自身は日本人である。デビュー以来「日本人ではないのでは」という問い合わせが少なからずあった。「高」という姓は大陸名のように思われがちであるが、日本に存在しない苗字ではなく、韓国には同姓同名の映画監督がかつていた。
近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 199… 近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 1992年7月5日)は、東京都出身の歌手、作曲家、映画監督である。本名大蔵 敏彦(おおくら としひこ)。兄は新東宝、大蔵映画社長を務めた大蔵貢、姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。孫にアイドルグループ「エレクトリックリボン」の元メンバー、ericaがいる。 正則中学校卒業。武蔵野音楽学校在学中に教授と進級試験の方法を巡って対立し、1936年(昭和11年)に退学した。タイヘイレコードから鮫島敏弘の芸名で「辷(すべ)ろよスキー」でレコードデビュー。ポリドール・レコード専属になるまで、マイナーレコードを転々とし、その間に大友博(リーガル)、大久良俊(アサヒ)など改名を重ねるが、ヒットに結びつく作品はなかった。
平井 英子(ひらい ひでこ、1918年1月13日 - 202… 平井 英子(ひらい ひでこ、1918年1月13日 - 2021年2月21日)は、大正末期から昭和初期にかけて童謡のジャンルで活躍した日本の歌手である。出生名は林 秀(はやし ひで)、結婚後の姓名は鈴木 英子(すずき ひでこ)あるいは鈴木 英(すずき ひで)、旧姓は平井。 東京府東京市四谷区(現:東京都新宿区)塩町出身。7歳で幸田露伴の妹幸田延子に師事しピアノを学ぶ。その頃、作曲家の中山晋平の門下生となり、1928年(昭和3年)、ニッポノホン(日本コロムビアの前身)から童謡歌手としてデビューする。日本ビクター(現在のJVCケンウッド)の創立と同時に専属の童謡歌手となる。 野口雨情・中山晋平のコンビによって作曲・作詞された童謡を主に歌っていたが、佐々紅華が作詞・作曲した楽曲も歌い、本人談によると、一番「かわいがって頂いた」のは紅華だという。
木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 20… 木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 2018年4月30日)は、日本の作曲家。兄は映画監督の木下恵介。兄が監督した映画の音楽を数多く手掛けた。 妻は元音楽プロデューサーでiLabシリーズを販売するパントロン・ワンの創業者である木下美智子(関根光致子)。 静岡県浜松市生まれ。映画監督として有名な木下恵介の弟で、妹に脚本家の楠田芳子がいた。 静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高等学校)を卒業後、1934年に上京し諸井三郎に音楽理論を学び、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)で声楽を学ぶ。1940年卒業、新交響楽団(現NHK交響楽団)の機関誌『フィルハーモニー』の編集に携わるが、応召して敗戦まで内地および支那で軍隊勤務する。
髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年〈大正2年〉12月1… 髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年〈大正2年〉12月18日 - 2000年〈平成12年〉10月22日)は、日本の作曲家、指揮者。合唱曲を中心に作曲を行ったほか、自作を中心に指揮者としても活躍した。日本のカトリック教会で歌われる典礼聖歌を作曲したことでも知られる。 名字は「高田」ではなく「髙田」(いわゆるはしご髙)が正式な表記である。 愛知県名古屋市に生まれる。愛知県第一中学校(現:愛知県立旭丘高等学校)を経て、武蔵野音楽学校(現:武蔵野音楽大学)師範科で呉泰次郎に和声法を師事する。次いで東京音楽学校(現:東京藝術大学)の本科作曲部を1939年に卒業し、さらに同校研究科作曲部、同校聴講科指揮部で学んだ。
髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年12月18日 - 2… 髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年12月18日 - 2000年10月22日)は、日本の作曲家。自作を中心に指揮者としても活躍した。
名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 … 名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日、94歳没)は、日本の時代考証家、武術家(正木流万力鎖術第10代宗家、江戸町方十手捕縄扱様宗家)、舞踊家。 福岡県北九州市生まれ。武蔵野音楽大学卒。先祖は美濃大垣藩の与力を務めたという。時代劇の時代考証、武術指導を行った。捕り物道具を収集し、その捕り物道具コレクションは現在、明治大学博物館に収蔵されている。 杉良太郎など、史実に近い小道具を好む時代劇俳優に信頼されており、新五捕物帳、同心暁蘭之介などの時代考証では、従来の時代劇に使われていた小道具とは違う史実に基づいた小道具を提供した。そのため、従来の時代劇視聴者から、御用提灯のデザインがおかしいと苦情を受けたが、名和はその苦情に対し、史実を交えてきちんと説明し、視聴者を納得させた。
渡邊 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10… 渡邊 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)は戦前から戦後の日本の歌謡界で活躍した女性流行歌手。神奈川県横浜市平沼出身。本名 加藤 濱子。生涯横浜で過ごした。愛称は「おはまさん」。 横浜生まれで、文字通りハマっ子の渡邊は、美貌で知られた歌手であった。女子師範学校の英語教師、渡辺近蔵(?- 1941年9月19日)と鞠(?- 1955年5月15日)の次女として生まれた。兄と姉がいた。マリの祖父が日系アメリカ人だった。1929年(昭和4)捜真女学校普通科卒業。後に川崎市に転居し、御幸尋常小学校(現在の川崎市立御幸小学校)に入学したが、3年生のときに父の勤務する横浜の女子師範学校の付属小学校に転校する。
中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 19… 中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 1970年2月19日) は、愛媛県大洲市出身の歌手・作曲家。服部良一、ディック・ミネとともに、アメリカのポピュラーソングを戦前期の日本に広め和製ポップスの基礎を築く。
田村 しげる(たむら しげる、本名:田村 茂、1908年(明… 田村 しげる(たむら しげる、本名:田村 茂、1908年(明治41年)12月20日 - 1980年(昭和55年)10月14日)は、昭和期の作曲家。妻は作詞家の寺尾智沙、娘は女優の田村奈巳。 京都府中郡峰山町(現京丹後市)出身。家は、現在の田村写真館(京丹後市峰山町白銀)1925年(大正14年)地元の宮津中学校を卒業し上京。武蔵野音楽学校に入学。1927年(昭和2年)3月7日に発生した北丹後地震で故郷の家が被災し、財産を喪失。苦学する。 1931年(昭和6年)武蔵野音楽大学を卒業。ビクターレコードから「酔って笑って」を作曲し作曲家デビュー。翌年キングレコードの専属となって松島詩子らの曲を作曲し、さらにポリドールレコードの東海林太郎などにも曲を提供した。
新城 正一(あらしろ せいいち、1908年(明治41年)5月… 新城 正一(あらしろ せいいち、1908年(明治41年)5月 - 1943年(昭和18年)8月)は、日本の作曲家、教師。 1908年(明治41年)、沖縄県恩納村名嘉真にて、瀬喜田、喜如嘉、宜野座、恩納の各小学校長を歴任した正成の長男として生まれる。沖縄県師範学校在学中に、恩師宮良長包と出会う。東京武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)卒業。 1938年(昭和13年)から、福岡県旧制小倉中学校・八幡中学校・門司中学校の教員となる。同年、陸軍省の愛馬進軍歌の作曲募集に応募、約5万件の応募作品の中から、一等に当選。 1943年(昭和18年)、喉頭結核にて35歳没。
万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - … 万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - 1968年4月25日)は、日本の作曲家。本名は萬城目 侃(読みは同じ)。 北海道十勝支庁中川郡幕別村(現在の幕別町)出身。 旧制中学校を卒業後に上京し、武蔵野音楽学校で学ぶ。その後一時帰道するが再び上京して松竹楽団に入社し、多くの劇伴を作曲・指揮を担当。1938年の映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」など多くの映画音楽を手がけ、そのほとんどの作品はコロムビアレコードからレコードとして発売され、専属作曲家として長年に渡り活動した。 戦後は映画『そよかぜ』の音楽を担当し、主題歌の「リンゴの唄」は並木路子が歌い大ヒットした。 また歌謡曲では高峰三枝子、美空ひばり、島倉千代子の歌を多く作曲し、戦前から多くの歌手や俳優の歌唱指導を担当した経験を活かして1957年には松竹大船撮影所の近くに「万城目正歌謡音楽院」を開校した。
洪 吉善(ホン・ギルソン、朝鮮語: 홍길선、1904年5月1… 洪 吉善(ホン・ギルソン、朝鮮語: 홍길선、1904年5月10日または7月1日 - 1980年8月8日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の実業家、政治家、ジャーナリスト。制憲・第2・4・5代韓国国会議員。本貫は南陽洪氏。 京畿道水原郡(現・水原市)出身。水原三一学校、培材中学校を経て、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒。1929年より水原醸造株式会社社長、水原新豊公立国民学校・水原梅香女子中学校・水原公立女子中学校後援会長、水原金融組合長、水原酒造組合理事長、マンジョンウォン専務理事、東亜日報社水原支局長、水原商工株式会社専務理事、朝鮮少年団水原郡連合会委員長、水原消防署長、水原商工会議所副会頭を歴任し、1939年に水原邑会議員に当選した。