岩崎 昭弥(いわさき しょうや、1927年4月26日 - 1… 岩崎 昭弥(いわさき しょうや、1927年4月26日 - 1996年11月13日)は、日本の政治家、詩人。日本社会党参議院議員(1期)。一級建築士。 滋賀県出身。1948年彦根工専卒。1951年岐阜市役所に入り、岐阜市労組委員長を経て、岐阜市議会議員を2期務めた後、1966年から岐阜県議会議員を9期務める。この間1974年の第10回参議院議員通常選挙で岐阜県選挙区から日本社会党公認で立候補して落選。 その後、1993年に藤井孝男および高井和伸が第40回衆議院議員総選挙に立候補したために欠員が2名生じた参議院議員補欠選挙で、第2位で当選した(このため、1989年の第15回参議院議員通常選挙で当選した高井の残り任期を務めることとなる)。
長谷川 孝之(はせがわ たかゆき、1926年(大正15年)1… 長谷川 孝之(はせがわ たかゆき、1926年(大正15年)1月27日 - 2010年(平成22年)10月18日)は、日本の政治家。静岡県焼津市長(3期)。 静岡県志太郡焼津町出身。1945年、彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)卒。焼津市議会議員を3期務め、1971年、静岡県議会議員に当選。5期務め、副議長と議長も務めた。1991年、焼津市長に初当選。3期務める。3期目途中の2000年に公職選挙法違反(特定寄付の禁止)の容疑で逮捕され、市長を辞職した。2010年に死去した。
荒島 保(あらしま たもつ、1925年11月6日 - 201… 荒島 保(あらしま たもつ、1925年11月6日 - 2014年3月23日 )は、日本の実業家。豊田工機会長(現 ジェイテクト)を務めた。トヨタ自動車の役員(取締役・常務取締役・専務取締役など)を歴任した。 三重県出身。1945年に彦根経済専門学校(現 滋賀大学経済学部)を卒業し、1947年8月にトヨタ自動車工業に入社し、長年にわたり同社で経営に携わった。1978年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年9月に常務監査役に就任し、1992年9月には顧問に就任した。 1993年4月に豊田工機顧問に就任し、同年6月には会長に就任し、1997年6月から相談役を務めた。 2014年3月23日死去。
若松 信重(わかまつ のぶしげ、1925年1月1日 - 20… 若松 信重(わかまつ のぶしげ、1925年1月1日 - 2005年7月27日)は、日本の実業家。東海テレビ放送社長を務めた。 愛知県海部郡佐屋町出身。1944年に彦根経済専門学校を卒業し、翌年に中部日本新聞社に入社した。名古屋本社編集局長、取締役、常務、専務を歴任した。、 1977年に東海テレビ放送監査役を兼任し、取締役、副社長を経て、1987年に社長に就任した。1997年6月から会長を務めた。東海ラジオ放送取締役、フジテレビジョン取締役、日本民間放送連盟副会長などを歴任した。 1993年に藍綬褒章を受章し、1998年に勲二等瑞宝章を受章した。 2005年7月27日肺炎のために死去。80歳没。
岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011… 岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011年12月4日)は、日本の地球物理学者。陸水学・湖沼学が専門で、長年琵琶湖を調査研究し、琵琶湖の環境保全のための住民運動を行ったことで知られている。滋賀大学名誉教授。 鹿児島県谷山村(現:鹿児島市の一部)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1945年に第七高等学校造士館 (旧制)を卒業。進学した京都大学理学部(旧制)では海洋物理学を学び、1948年に卒業。卒業後、別府市にある京都大学地球物理学研究所に勤務したがあまり気乗りがしていなかったため、人に勧められて滋賀大学学芸学部(後に教育学部に改称)に移り、以来琵琶湖の調査研究に取り組む。
山本 亨介(やまもと きょうすけ、1923年4月29日 - … 山本 亨介(やまもと きょうすけ、1923年4月29日 - 1995年11月10日)は、日本の将棋観戦記者、将棋史研究者、小説家。ペンネームは天狗太郎。日本文芸家協会会員。 和歌山県東牟妻郡古座町出身。1943年、彦根高等商業学校卒業。 1946年に大阪日日新聞に入社し、吉井栄治の後をうけて将棋を担当。1951年に上京してサンケイ新聞記者となり、将棋・囲碁を担当、天狗太郎のペンネームで観戦記を執筆。1960年朝日新聞東京本社に移り、観戦記に健筆をふるう。1963年に退社してフリーの文筆活動に。 かたわら1953年頃から将棋史の研究に着手し、「将棋文化史」「将棋庶民史」「名棋士名勝負」「勝負師の門」「学徒出陣ふたたび」などを発表。
宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27… 宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27日 - 1998年〈平成10年〉5月19日)は、日本の政治家。第75代内閣総理大臣。位階は従二位。勲等は勲一等。俳号は犂子(れいし)。 滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長官(第31代)、行政管理庁長官(第44代)、通商産業大臣(第42代)、外務大臣(第110代)、内閣総理大臣(第75代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁(第13代)などを歴任。 1922年(大正11年)8月27日、滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)に父・宇野長司と母・民子の間に長男として生まれる。
坂 松蔵(ばん まつぞう、1922年3月17日 - 2004… 坂 松蔵(ばん まつぞう、1922年3月17日 - 2004年2月12日)は、日本の実業家。大成建設の副社長、海外法人の社長などを務めた。 滋賀県長浜市出身。1939年に県立長浜商業学校を卒業し、1941年12月に彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部)を卒業した。1942年、大成建設に入社した。 入社後は主に経理・財務部門を歩み、同社の経理部経理課長、財務部資金課長などを務めた。大成海外建設の取締役・事務本部長も務めており、大成建設の海外事業に関わる管理部門も担当していた。 1979年に大成建設の取締役に就任した。その後、同社取締役・人事部長を務めた。1983年時点では常務・管理本部長となり、管理部門全般を管掌した。
山桝 忠恕(やまます ただひろ、1922年 - 1984年1… 山桝 忠恕(やまます ただひろ、1922年 - 1984年11月13日)は、日本の会計学者。学位は、経済学博士(慶應義塾大学・1960年)(学位論文「監査制度の展開」)。慶應義塾大学教授を歴任。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、1942年に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)卒業。1945年神戸経済大学(現神戸大学)卒業。平井泰太郎門下。神戸大学講師、松山商科大学助教授、神戸商科大学助教授等を経て、1960年に慶應義塾大学教授。同年「監査制度の展開」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。三邊金蔵、小高泰雄を財務会計論において後継した研究者の一人とされる。
青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 200… 青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 2006年9月6日 )は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元経済地理学会会長。 孫はメモリーアスリートの青木健。 滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)生まれ。旧制・滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を経て、1941年に旧制・彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。同年、旧制・東京商科大学(現・一橋大学)に進学するも、1943年12月、学徒出陣により歩兵第一五一連隊に応召。1944年に半年繰上げで卒業となる。1945年9月に歩兵第四四三連隊より復員し、1949年東京商科大学研究科に特別研究生として入学。1954年に同研究科(5年課程)を修了後、一橋大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年に教授昇任。
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 200… 塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人・詩人・評論家・小説家。 朝日歌壇の選者の前川佐美雄に師事。第一歌集『水葬物語』(1951年)は、斬新なあまり歌壇から黙殺されたが、三島由紀夫に注目された。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日本現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行本や文庫では、これらの著者名で出版されたものはない。
木村 實(きむら みのる、1919年10月31日 - 200… 木村 實(きむら みのる、1919年10月31日 - 2001年6月20日)は、日本の実業家。総合商社の住友商事の元常務取締役。 1919年10月31日生まれ。彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を1940年に卒業し、同年に住友化学工業(現:住友化学)へ入社した。 その後、1958年に住友商事へ移り、化学品・化成品分野で昇進した。1959年に化成品部樹脂課長、1965年に大阪合成樹脂部次長、1967年にソウル事務所長、1969年に大阪化成品部長を歴任した。1973年には香港事務所長を務めた。 1976年6月に取締役に就任。その後、事務管理室長、開発本部副本部長、総務本部長、化学品本部長を歴任した。
谷端 長(たにはた ひさし、1919年8月31日 - 200… 谷端 長(たにはた ひさし、1919年8月31日 - 2001年1月21日 )は、日本の会計学者。神戸大学名誉教授。経営学博士。 和歌山県古座町(現串本町)出身。1941年彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)卒業。彦根高商時代は文芸部に所属し、経済哲学に関心を持つ。1943年東京商科大学(現一橋大学)卒業。松下電器産業、徴兵、古座造船所等を経て、1951年に神戸大学経営学部助手となる。1959年、著書『動的会計論の構造』(森山書店)にて日本会計研究学会賞・太田賞を受賞。1964年神戸大学経営学部教授。翌1965年、『動的会計論』(森山書店)を出版。この年より甲南大学や香川大学でも教鞭を執る。1984年に神戸大学停年退職、同大学名誉教授、大阪商業大学教授に着任。
山口 良定(やまぐち よしさだ、1917年5月10日 - )… 山口 良定(やまぐち よしさだ、1917年5月10日 - )は、日本の実業家。ラサ工業の元社長。 東京都に生まれる。1939年に彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部)を卒業し、同年ラサ工業に入社した。入社後は営業部門で勤務した。 1944年に応召して中国へ渡り、満州で終戦を迎えた。その後、ソ連に抑留され、シベリアで生活を送った。1949年に復員後はラサ工業に復職し、再び営業畑を歩んだのち、財務部次長、経理部長を歴任した。 1966年に取締役、1969年に常務に就任し、1971年に社長へ昇格した。 社長在任中は、不採算であった鉱山部門の整理を進め、肥料・製錬・薬品・機械の4部門を中心とする事業体制の整備に取り組んだ。
夏川 鉄之助(なつかわ てつのすけ、1917年(大正6年)3… 夏川 鉄之助(なつかわ てつのすけ、1917年(大正6年)3月29日 - 2014年(平成26年)3月7日)は、日本の実業家、
河本 嘉久蔵(河本 嘉久藏、かわもと かくぞう、1917年(… 河本 嘉久蔵(河本 嘉久藏、かわもと かくぞう、1917年(大正6年)3月27日 - 1990年(平成2年)3月24日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(3期、自由民主党)、国土庁長官(第13代)、北海道開発庁長官(第47代)。アヤハグループ創業者。 1917年(大正6年)、滋賀県高島郡本庄村北船木(現在の高島市安曇川町北船木)に生まれる。1937年(昭和12年)に彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。 同年丸紅に入社したが、まもなく従軍、支那事変と太平洋戦争に参戦する。 終戦後に丸紅を退社し、1946年(昭和21年)、山城織物株式会社(現綾羽)を設立。1958年(昭和33年)4月滋賀大学体育館建設費として10万円寄付により同年10月11日紺綬褒章受章。
川瀬 源太郎(かわせ げんたろう、1916年(大正5年)5月… 川瀬 源太郎(かわせ げんたろう、1916年(大正5年)5月3日 - 2003年(平成15年)1月24日)は、日本の実業家。日本生命名誉会長。 滋賀県出身。滋賀県立八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)を経て、1937年(昭和12年)に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)を卒業。同年日本生命保険に入社し、取締役関連部長・財務部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長等を経て、1982年(昭和57年)に弘世現の後任として代表取締役社長に就任。初代の有価証券部長のとき証券不況に遭遇、徹底した防戦買いで注目された。社長在任中に「ザ・セイホ」の筆頭格に育て上げ、保有契約高などで世界一を達成する。
池田 松次郎(いけだ まつじろう、1915年10月28日 -… 池田 松次郎(いけだ まつじろう、1915年10月28日 - 1983年7月8日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の第7代社長。京都府出身。 彦根高等商業学校(現 滋賀大学経済学部)卒業後、大同貿易に入社。若年期から海外拠点に赴任し、戦時統合による大建産業期を経て丸紅へ転籍した。戦後は北米での勤務・経営経験を積み、米国丸紅会社の副社長を務めたのち帰国。帰国後は海外営業の統括や本部長職を歴任し、丸紅の代表取締役社長に就任した。 戦前から海外赴任が多く、商社生活45年のうち17年を海外で過ごし、戦後も北米での経営経験を持ち、現場実務と海外ビジネス双方に通じた経営者と評価されている。 社内では、穏やか、筋を通す、正直、プロフェッショナルといった評価が語られ、無理を避けつつも、商社としての拡大路線を堅持する現実的な経営姿勢を持っていた。
大西 三良(おおにし さぶろう、1915年 <大正4年> 6… 大西 三良(おおにし さぶろう、1915年 <大正4年> 6月25日 - 1996年 <平成8年> 9月16日)は、日本の経営者。日本ゼオン社長、会長を務めた。位階は従四位。 滋賀県出身。1936年に彦根高等商業学校を卒業し、1942年10月に横浜護謨製造に入社。 1951年3月に日本ゼオンに転じ、1966年11月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1973年5月に専務を経て、1974年5月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。1987年6月に会長に就任。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1986年11月に勲三等旭日中綬章を受章。。 1996年9月16日胃癌のために死去。81歳没。
宮本 順三(みやもと じゅんぞう、1915年4月1日 - 2… 宮本 順三(みやもと じゅんぞう、1915年4月1日 - 2004年1月13日)は玩具デザイナー。 1915年大阪府に生まれる。生まれた時の名前は村田順三だった。父の村田兼吉は呉服屋の経営者であるとともに羽織裏の友禅デザイナーでもあった。母が病弱だったことから生まれてすぐに親戚の宮本甲造の養子になった。幼少時から玩具と絵に興味を示していた。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)に進学し美術部を創部して自身の名前をもじったZUNZOの号を使用した。部活動の他に中之島洋画研究所で学んだ。昭和東北大凶作を憂いて募金集めに絵画即売会を彦根土橋町(現・彦根市銀座町)のマルビシ百貨店で開催したこともある。
北村 茂男(きたむら しげお、1915年2月11日 - 20… 北村 茂男(きたむら しげお、1915年2月11日 - 2002年3月11日)は、日本の経営者。滋賀県出身。 1935年に彦根高等商業学校を卒業し、同年に第一銀行に入行。1951年9月にオリンパス光学工業に転じ、1964年12月に取締役に就任し、1969年12月に常務、1971年12月に専務を経て、1973年12月に社長に就任。1984年1月に会長に就任。 1979年4月に藍綬褒章を受章。 2002年3月11日肺炎のために死去。87歳没。
川瀬 二郎(かわせ じろう、1914年6月5日 - 1981… 川瀬 二郎(かわせ じろう、1914年6月5日 - 1981年12月15日)は、日本の経営者。日本板硝子元社長。福岡県出身。 1935年に彦根高等商業学校を卒業し、同年4月に日本板硝子に入社。1962年5月に取締役に就任し、1966年5月に常務を経て、1971年5月には社長に就任。1976年5月に取締役相談役を経て、1978年6月には相談役に退いた。 1981年12月15日、肝硬変のために死去。67歳没
目加田 栄蔵(めかた えいぞう、1913年11月17日 - … 目加田 栄蔵(めかた えいぞう、1913年11月17日 - 1997年9月25日)は、日本の実業家。総合商社の三井物産の代表取締役常務取締役・顧問、豪州三井物産の社長、大洋州監督などを務めた。 1934年、彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年三井物産に入社した。 入社後は海外勤務を多く経験し、1939年から1941年までニューヨーク支店に勤務した。日米開戦直前のニューヨークでは、鉄鋼、銅、鉛、ニッケル、亜鉛、アルミニウム、マンガン鉱などの対日輸出制限が強まる状況を経験した。1941年9月にアルゼンチンへ転勤し、1942年から1946年までブエノスアイレスに在勤した。1947年に帰国し、1953年から1954年には新三井物産ニューヨーク駐在を務めた。
伊藤 暹(いとう すすむ 、1913年7月16日 - 没年不… 伊藤 暹(いとう すすむ 、1913年7月16日 - 没年不明)は、日本の実業家。大丸(現:大丸松坂屋百貨店)の副社長、博多大丸社長を歴任した。 滋賀県出身。1934年に彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年4月に大丸(現:大丸松坂屋百貨店)へ入社した。 入社後は天津支店貿易部や京都店で勤務し、戦後には京都店副支配人を務めた。その後、京都店次長兼総務部長、宣伝部長などを歴任し、1961年には香港大丸百貨有限公司総経理に就任するなど、国内外で経営実務に携わった。 1965年4月、大丸取締役に就任した。 1967年3月まで香港大丸の店長を務め、現地市場に根ざした「現地主義」の経営を徹した。
村岸 博三(むらぎし ひろぞう、1912年10月3日 - 1… 村岸 博三(むらぎし ひろぞう、1912年10月3日 - 1971年4月10日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅(丸紅飯田)常務取締役、日本ゴム輸入協会会長、日本ゴム輸入組合理事長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1934年、彦根高等商業学校本科(滋賀大学経済学部)を卒業し、同年に大同貿易(現 丸紅)へ入社した。また、彦根高等商業学校の同級生の川村喜太郎も、のちに丸紅で常務取締役を務めている。 大同貿易本社輸出織物部に入社後、フィリピンのセブ支店やマニラ支店で勤務し、輸出麻部・輸入雑貨部などで実務経験を積んだ。その後は神戸本店で繊維製品課長を務めた。 戦時中には南方軍司令部報道班員を務めたほか、朝鮮釜山支店長に就任。
森本 一正(もりもと かつまさ、1912年2月18日 - 1… 森本 一正(もりもと かつまさ、1912年2月18日 - 1986年8月28日)は、日本の実業家。三菱倉庫の会長、米国三菱倉庫の社長などを歴任した。 東京都出身。1934年に彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年4月に共同運輸(現:日本郵船)へ入社した。1941年12月、三菱倉庫に転じた。 三菱倉庫では本店を中心に営業・業務部門を歩み、1955年11月に本店業務課長、1961年11月に業務部長となった。1965年5月に取締役、1968年5月に常務取締役に選任された。 常務在任中には、三菱倉庫の国際物流事業にも関与した。1970年には、米国西海岸のロサンゼルスを拠点とする International Warehouse Corporation(インターナショナル・ウエアハウス) の社長に就任・兼任した。
高島 三次(たかしま さんじ、1912年2月7日 - )は、… 高島 三次(たかしま さんじ、1912年2月7日 - )は、日本の実業家。ワーナー・ブラザース映画会社大阪支社長、極東支配人などを務めた。戦前から戦後にかけて、日本における映画文化・外国映画配給の発展に大きく貢献した。位階は従七位、勲六等授与。 大阪市東淀川区出身。1932年、彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部)を卒業した。 1933年、メトロ・ゴールドウイン・メーヤー(現:Amazon MGMスタジオ)の大阪支社に入社し、映画業界での経歴を開始した。その後、1941年に東宝映画(現:東宝)関西支社へ転じた。1943年には映画配給社に勤務し、関西支社および南方支社で活動した。戦時中はシンガポールを中心とする南方地域で、現地向け映画配給に関わったとされる。
水越 貫一(みずこし かんいち、1911年11月9日 - 1… 水越 貫一(みずこし かんいち、1911年11月9日 - 1985年7月26日)は、日本の実業家。中部電力副社長を経て、東海電気工事(現:トーエネック)の社長・会長を務めた。藍綬褒章受章。 愛知県碧海郡(現在の安城市)出身。 1932年、彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業。卒業後は1年間家業を手伝い、1933年4月、岡崎の旧中部電力に入社した。 その後、1937年9月に東邦電力、1942年に中部配電、1951年5月に戦後の中部電力へと移り、電力会社再編の中で一貫して電気事業に従事した。 1954年7月に中部電力秘書課長となり、1956年6月に経理部財務課長、1959年6月に経理部次長、1960年6月に支配人経理部長、1963年4月に支配人財務部長を歴任した。
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1… 西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年(明治41年)8月1日 - 1981年(昭和56年)4月25日)は、日本の政治家・実業家。大津市長(2期)、滋賀県議会議員、大津市議会議員などを歴任。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。位階は従五位。 1908年8月1日に、大津市下堅田町(現・島の関)で、油屋「西利商店」の子に生まれる。旧制膳所中学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1929年3月に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)を卒業。学生時代は、「名ピッチャー」でならしたといい、当時バッテリーを組んでいたのは後に近江八幡市長となる井狩貞之だった。
長谷川 正彦(はせがわ まさひこ、1906年(明治39年)8… 長谷川 正彦(はせがわ まさひこ、1906年(明治39年)8月29日 - 没年不詳)は、日本の政治家。大阪府松原市長(2期)。 彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)卒業。柏原製油に入り、常務となったが退社。その後、河内信用組合設立委員会委員長を経て、専務理事となり、大伸金属顧問、同会長となった。このほか松原市公安委員長、大阪府公安委員会連合協議会会長、松原市教育委員長などを歴任した。 1967年(昭和42年)松原市長に当選。市長就任後は急増する市の人口に対応するため、道路や教育施設の整備、生活環境の改善、社会教育と福利厚生の充実など次々と施策を遂行した。在任中に清掃工場や老人福祉センター、青少年会館の開設、ゴミの定時収集の開始などがあり、市勢発展に力を尽くした。
馬場 克三(ばば かつぞう、1905年 <明治38年> 3月… 馬場 克三(ばば かつぞう、1905年 <明治38年> 3月14日 - 1991年 <平成3年> 10月29日)は、日本の経営学者、会計学者。九州大学名誉教授。位階は従三位。 滋賀県彦根市出身。1926年彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)卒業。1931年九州帝国大学(現九州大学)法文学部経済科卒業。卒業後も同大学に残り、副手、講師、助教授を経て、1945年教授昇任。1968年に退官後は西南学院大学(1968年~1977年3月)、広島修道大学(1977年~1981年3月)等でも教鞭を執った。1966年藍綬褒章受章、1976年勲二等瑞宝章受章。1991年没。死没日付をもって従五位から従三位に進階した。
嶽山 貞治郎(たけやま ていじろう、1905年 <明治38年… 嶽山 貞治郎(たけやま ていじろう、1905年 <明治38年> 3月9日 - 1989年 <平成元年> 11月4日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は従五位。 滋賀県出身。1927年に彦根高等商業学校を卒業し、1928年に八幡銀行(のちの滋賀銀行)に入行。1951年に取締役に就任し、1957年10月に常務を経て、1963年10月には頭取に就任。1971年11月に会長を経て、1973年11月には相談役に就任。 1971年10月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1989年11月4日、急性肺炎のために死去。84歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
保母 道雄(ほぼ みちお、1903年12月1日 - 1981… 保母 道雄(ほぼ みちお、1903年12月1日 - 1981年4月12日)は、日本の銀行家、実業家。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)専務取締役、東洋電機製造副社長、パレスサイドビルディング社長を務めた。 1903年12月1日、岐阜県恵那郡阿木村(現在の中津川市)に生まれる。 1927年、彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部)を卒業し、鴻池銀行に入行した。1933年、鴻池銀行が三十四銀行・山口銀行と合併して三和銀行(現:三菱UFJ銀行)が発足すると、同銀行に転じた。 三和銀行では、戦時期に鴻池支店長代理、東京支店長代理、丸の内支店次長などを務めた。戦後、同行が北海道方面への支店網拡大を進めるなか、1946年11月に小樽支店開設準備委員となり、1947年3月に開設された小樽支店の初代支店長に就任した。
深水 惣吉(ふかみ そうきち、1902年7月5日 - 198… 深水 惣吉(ふかみ そうきち、1902年7月5日 - 1982年5月24日)は、日本の実業家。山陽電気鉄道社長・会長、山陽百貨店代表取締役・会長などを務め、山陽グループの発展に大きく関与した。経理・会計部門出身の実務家として知られ、鉄道、百貨店、交通、観光、メディアなど幅広い関連事業の経営に携わった。 山口県大津郡仙崎通村(現在の長門市)出身。 彦根高等商業学校(現 滋賀大学経済学部)を1927年3月に卒業し、同年4月に宇治川電気(のちの関西電力、山陽電気鉄道)へ入社した。のちに会計畑を歩み、1942年4月に山陽電気鉄道の会計課長、1946年3月に会計部長となる。その後は山陽電気鉄道の経営陣に加わり、1947年10月に取締役、1952年2月に常務取締役、1954年11月に専務取締役へ昇進した。
秋山 範二 (あきやま はんじ、1893年9月 - 1980… 秋山 範二 (あきやま はんじ、1893年9月 - 1980年6月7日)は、日本の哲学者。専門は道元の禅の研究。元滋賀大学学長事務取扱。滋賀大学名誉教授。 1893年(明治26年)香川県豊田郡柞田村(現 観音寺市柞田町)に秋山清七(柞田村第6代村長・1906-1918年在任)の長男として生まれる。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学哲学科卒業。1920年(大正9年)旧制滋賀県立八幡商業学校教諭。1923年(大正12年)彦根高等商業学校開校に合わせ着任、1924年(大正13年)教授就任。1928年(昭和3年)から1930年(昭和5年)までドイツに留学する。
五坪 茂雄(ごつぼ しげお、1889年5月17日 - 196… 五坪 茂雄(ごつぼ しげお、1889年5月17日 - 1961年9月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 滋賀県東浅井郡朝日村(のち湖北町、現・長浜市)出身。1912年滋賀県師範学校(現・滋賀大学教育学部)卒。石川県立羽咋中学校(現・石川県立羽咋高等学校)、同松任農学校(のち石川県立松任農業高等学校、現・石川県立翠星高等学校)、同津幡農学校(現・石川県立津幡高等学校)、石川県立青年師範学校(現・金沢大学教育学部、1944年4月 - 1946年)各校長、松任実業補習学校教員養成所長などを歴任する。ほか芦田内閣逓信政務次官、西武鉄道(株)常任監査役、近江鉄道(株)取締役となる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
橋本 忠太郎(はしもと ちゅうたろう、明治19年(1886年… 橋本 忠太郎(はしもと ちゅうたろう、明治19年(1886年)7月3日 - 昭和35年(1960年)2月5日)は、明治から昭和にかけての植物学者、教師。滋賀県女子師範学校等で教鞭をとりつつ滋賀県下の植物調査を行った。 明治19年(1886年)7月3日に滋賀県蒲生郡北比都佐村大字十禅師(現滋賀県蒲生郡日野町十禅師)にて誕生。 明治39年(1906年)滋賀県立彦根中学(現滋賀県立彦根東高等学校)、明治44年(1910年)滋賀県師範学校(現滋賀大学教育学部)二部を卒業した。その後、郷里の北比都佐小学校(現日野町立必佐小学校)の教員となり、大正10年(1921年)中学校教員試験検定に合格し翌11年(1922年)より滋賀県女子師範学校、県立大津高等女学校の教諭となった。
杉野 文彌(すぎの ぶんや、慶應元年10月10日〈1865年… 杉野 文彌(すぎの ぶんや、慶應元年10月10日〈1865年11月27日〉-1932年〈昭和7年〉6月24日)は、日本の弁護士。江北図書館創設者。 慶應元年10月10日(1865年11月27日)、滋賀県伊香郡に中山新右衛門の二男として生まれた。1884年(明治17年)に滋賀師範学校(現・滋賀大学教育学部)を卒業し、大阪府で教員となったものの、法律家を志して上京し、東京法学院(現・中央大学)に学んだ。 1891年(明治24年)に代言人試験に合格して代言人となり、1893年(明治26年)の東京弁護士会の創立時に会員となった。居住していた東京市下谷区では、1913年(大正2年)から1917年(大正6年)まで区議会議員を務めた。
広岡 貞雄 は、日本の実業家。総合商社の伊藤忠商事の理事・取… 広岡 貞雄 は、日本の実業家。総合商社の伊藤忠商事の理事・取締役、伊藤忠運輸倉庫社長、ニュー・ジャパン・エア・サービス社長を務めた。
細川 慎一 は、日本の実業家。GMOリサーチ&AI(現・GM… 細川 慎一 は、日本の実業家。GMOリサーチ&AI(現・GMOプロダクトプラットフォーム)創業者・社長であり、GMO-Z.com ResearchのGlobal CEOを務める。
荒木 俊雄 は、日本の実業家。総合商社の豊田通商の常務執行役… 荒木 俊雄 は、日本の実業家。総合商社の豊田通商の常務執行役員、豊田スチールセンター代表取締役社長、豊田ケミカルエンジニアリング社長などを歴任した。
内田 あや(うちだ あや)は日本の歌手。パートーナーズ・プロ… 内田 あや(うちだ あや)は日本の歌手。パートーナーズ・プロ所属。 京都生まれ京都育ち。 アメリカのカンザスジャパンフェスティバル出演をきっかけに2010年デビューした。 デビュー当初は名古屋を中心に活動していたが2015年頃から出身地の京都に戻り活動している。 カントリーミュージックと日本的メロディーが融合した新ジャンルJ-Countryを生み出す。 現在も京都に住みながらアメリカ各地のジャパンフェスティバルや大地震が発生したハイチ共和国で国際救援活動を行っていた自衛隊への慰問ライブ、現地の孤児院でのライブなど海外でも精力的に活動。 また、全国各地の自衛隊への慰問ライブを行い自衛隊から表彰されたこともある。
岡田 光代(おかだ みつよ)は、日本の経済学者。大阪府立大学… 岡田 光代(おかだ みつよ)は、日本の経済学者。大阪府立大学経済学部准教授。専門は日本経済史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
竹生 沙由里(ちくぶ さゆり、2月12日 - )とは元宝塚歌… 竹生 沙由里(ちくぶ さゆり、2月12日 - )とは元宝塚歌劇団花組主演娘役の人物である。滋賀県大津市出身。滋賀大学附属中学校出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は160cm。宝塚歌劇団時代の愛称はこのみちゃん。 1962年、宝塚音楽学校に入学。 1964年、50期生として宝塚歌劇団に入団。雪組公演『花のふるさと物語』で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は58人中3位。同期には、女優の鳳蘭(元星組主演男役)、同じく女優の汀夏子(元雪組主演男役)、朝みち子(1986年 - 1990年に月組組長)、元政治家でタレントの但馬久美(1983年 - 1986年に花組組長)、タレントの大原ますみ(元雪組・星組主演娘役)らがいる。
加藤 義治(かとう よしはる)は、日本の外交官。外務省アジア… 加藤 義治(かとう よしはる)は、日本の外交官。外務省アジア大洋州局地域調整官、スラバヤ総領事等を経て、2017年から駐モーリシャス特命全権大使。 福井県出身。1980年滋賀大学経済学部卒業、外務省入省。外務省アジア大洋州局南東アジア第二課地域調整官等を経て、2015年スラバヤ総領事。2017年に在モーリシャス日本国大使館が設立されると、常駐では初代となる駐モーリシャス特命全権大使を務め、経済連携を進めるなどした。2021年仁愛大学客員教授。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
川村 喜太郎(かわむら きたろう)は、日本の実業家。総合商社… 川村 喜太郎(かわむら きたろう)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の取締役、常務取締役、専務取締役を歴任した。丸紅不動産、紅栄の社長も務めた。 1914年1月3日に滋賀県で生まれる。1931年4月に官立彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)へ入学し、1934年に卒業した。また、彦根高等商業学校の同級生の村岸博三も、のちに丸紅で常務取締役を務めている。 卒業後は丸紅商店本店に勤務。戦後は丸紅の前身である大建産業の従業員組合で大阪地区組合長を務めたのち、大建産業が1949年に伊藤忠商事、丸紅、呉羽紡績、尼崎製釘所の4社に分割に伴い、丸紅へ。 丸紅では、社長室長、関連事業部長、事務管理部長、社史編纂室長、総務本部長、開発建設本部長を経て、1961年から1964年に取締役・執行役員、1964年から常務取締役、1972年から1975年に専務取締役を歴任した。
三村 祥章(みむら よしあき)は、日本の実業家。豊田通商及び… 三村 祥章(みむら よしあき)は、日本の実業家。豊田通商及びグループの金属・鉄鋼分野に携わり、豊通鉄鋼販売の代表取締役社長などを務めた。 1987年、滋賀大学経済学部を卒業後、豊田通商に入社。豊田通商及びグループで金属・鉄鋼分野に携わり、鉄鋼部長を務めた。 2021年6月、豊通鉄鋼販売の代表取締役社長に就任した。豊田通商グループにおける国内鋼材販売・加工事業を担いながら、豊田通商の鉄鋼部長、プロスチール取締役を兼務していた。2022年4月、プロスチール取締役を退任。 2026年4月、豊通鉄鋼販売の代表取締役社長を退任した。その後、豊通鋼管の監査役に就任した。
吉岡 孝昭(よしおか たかあき)は、日本の政策学者、経済学者… 吉岡 孝昭(よしおか たかあき)は、日本の政策学者、経済学者。世界平和研究所主任研究員(日本銀行より出向)。大阪大学博士(国際公共政策)、四川大学経済学博士、熊本大学博士(法学)、早稲田大学博士(政治学)。 1982年、滋賀大学経済学部を卒業し、日本銀行入行(総合職)。外国局、業務管理局、経営管理局、発券局調査役、検査室企画役等を経て、2009年より世界平和研究所主任研究員に出向。この間、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程を修了し、早稲田大学アジア研究機構の客員研究員等を務める。また、四川大学経済学院や千葉商科大学大学院政策情報学研究科等で教鞭を執る。専攻(専門分野)は政治学、法学、経済学、金融、地域政策学、国際公共政策、公衆衛生学、国際協力。