中嶋 長文(なかじま おさふみ、1938年12月15日 - … 中嶋 長文(なかじま おさふみ、1938年12月15日 - )は、日本の中国文学者、魯迅研究者。元神戸市外国語大学教授。 通称山太郎。室号は木旗騒堂で、後に木旗闃堂と改める。 奈良県高市郡真菅村(現・橿原市)に生まれる。 1967年に京都大学文学部を卒業した。卒業後は大学教員となり、初め京都産業大学を経て滋賀大学に、1985年に神戸市外国語大学に転任、2004年3月退職するまで18年間勤務した。退任時には神戸市外国語大学の名誉教授号授与を固辞した。 2017年、京都大学教授の平田昌司によって、「一般財団法人橋本循記念会 平成二八年度 中国伝統文化に関する調査・研究助成」を得て、「『古小説鈎沈』校本」が「中島長文 校、伊藤令子 補正」として再発行された。
広原 盛明(ひろはら もりあき、1938年8月26日 - )… 広原 盛明(ひろはら もりあき、1938年8月26日 - )は、日本の都市研究者。専攻は都市政策、住宅・都市計画学。 満州国ハルビン市生まれ。1961年京都大学工学部建築学科卒業、同大学院工学研究科建築学専攻博士課程退学ののち、同大学助手・講師を務めた。京都府立大学に赴任、1971年助教授、1985年教授、1992年-1998年学長を歴任した。この間、1971年に結成された京都市電の存続を目指す市民団体「京都の市電をまもる会」の事務局長を務めている。 工学博士、京都府立大学名誉教授。 2000年より龍谷大学法学部教授。2004年2月8日執行の京都市長選挙に日本共産党推薦で立候補、17万票余を得たが落選した。
木曾 好能(きそ よしのぶ、1937年1月10日 - 199… 木曾 好能(きそ よしのぶ、1937年1月10日 - 1994年10月3日)は、日本の哲学研究者、元京都大学文学部教授。 専門はイギリス哲学。京都大学文学部卒業。1973年京都大学文学部哲学科助教授、1988年教授となり、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』第1巻(法政大学出版局、1995年)を訳したところで胃がんのため死去。
十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2… 十川 信介(とがわ しんすけ、1936年12月21日 - 2018年11月18日)は、日本文学研究者。専門は日本近代文学。学習院大学名誉教授。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て、1960年京都大学文学部国文学科卒、1966年、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1967年京都府立大学講師、1968年同助教授を経て、1978年学習院大学教授。2007年、定年退職、学習院大学名教授。2008年日本近代文学館副理事長。2010年より花園大学客員教授。 京大で中村光夫の教えを受け、二葉亭四迷研究を始める。1981年、『島崎藤村』で亀井勝一郎賞受賞。 2018年11月18日、虚血性心疾患のため、死去。
本城 靖久(ほんじょう のぶひさ、1936年10月19日- … 本城 靖久(ほんじょう のぶひさ、1936年10月19日- )は、日本の旅行学研究者。大学教員も務めた。 母・本城はつは、人見絹枝らと第3回国際女子競技大会に出場した陸上選手だった。甥は写真家の本城直季。 京都市生まれ。京都大学法学部卒業。自治省に入省。1967年から1971年まで、フランスに留学、パリ国際行政学院アジア部卒。国連職員としてセネガル、ケニアで勤務。 1983年に『グランド・ツアー』でサントリー学芸賞受賞。同作は漫画化(石ノ森章太郎作画・仲倉重郎脚本『グランド・ツアー 英国式大修学旅行』中央公論社〈中公コミック〉、1997年)もされた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木曽 明子(木曾 明子、きそ あきこ、1936年 - 202… 木曽 明子(木曾 明子、きそ あきこ、1936年 - 2024年)は、日本の古代ギリシア文学研究者。学位は、文学博士。大阪大学名誉教授。 満州生まれ。京都大学大学院文学部博士課程満期退学、1987年文学博士。松平千秋門下生。大阪大学教養部教授、1994年同文学部教授、1997年退官、名誉教授、北見工業大学教授を経て2002年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
増田 繁夫(ますだ しげお、1935年10月26日 - )は… 増田 繁夫(ますだ しげお、1935年10月26日 - )は、日本の日本文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 兵庫県小野市生まれ。京都大学文学部卒業。甲南大学助教授、梅花女子大学助教授、大阪市立大学教授、1998年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。
岡崎 正孝(おかざき しょうこう、1935年3月8日 - 2… 岡崎 正孝(おかざき しょうこう、1935年3月8日 - 2022年)は、ペルシア文学者、イラン研究者、大阪外国語大学名誉教授。 福井県出身。1957年京都大学文学部(東洋史学専攻)卒業、1960年同大学大学院東洋史学科修士課程修了。アジア経済研究所、大阪外国語大学助教授、教授、2000年定年退官、名誉教授。
加藤 邦男(かとう くにお、1935年 - 2019年3月3… 加藤 邦男(かとう くにお、1935年 - 2019年3月31日)は建築史家、建築論研究者。京都大学名誉教授。専門は建築史、建築論、建築設計。森田慶一、増田友也の流れを受ける建築論研究の第一人者である。工学博士。大阪府生まれ。 ポール・ヴァレリー『エウパリノス または建築家』、『列柱のうた』に長い間魅惑された著者が、ヴァレリーに関する徹底的な建築論的研究を行う。 1958年京都大学工学部建築学科卒業。京都大学大学院工学研究科を経て、1959‐62年フランス国立美術学校建築学科エルベ‐アルベール教室に留学。 1962‐64年、ミッシェル・エコシャール都市建築設計事務所都市計画部門主任。 1964年以降、京都大学工学部助手、講師、助教授を経て、1990年同教授、1999年同停年退官。
山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Y… 山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Yamazaki、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2020年〈令和2年〉8月19日)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。文化功労者、文化勲章受章者。 関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、東亜大学学長、文部科学省中央教育審議会会長(第4期)、LCA大学院大学学長、サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与、日本芸術院会員などを歴任した。 『世阿弥』(1963年)、『後白河法皇』(1966年)、『冬の花火』(1968年)など多数の話題作を発表し、劇作家としての地位を築く。一方、評論の分野でも活動。『劇的なる日本人』(1971年)では、従来劇的でないとされてきた日本人の生活の中に、西洋とは異質の劇的精神があることを指摘した。
橋本 直樹(はしもと なおき、1934年 - )は、日本の農… 橋本 直樹(はしもと なおき、1934年 - )は、日本の農学博士、ビール醸造研究者、食に関する著述家・講師。 キリンビールの研究所長やビール工場長・常務、京都大学講師、帝京平成大学教授などを務め、2010年現在は食に関する講演などを行う。 京都市生まれ、1956年、京都大学農学部農芸化学科卒業。1971年農学博士号を取得し、入社したキリンビールでは醸造について研究し、研究所長・工場長を経て常務を務める。 キリンビール在職中1987年「ライトビールの創成~香味品質の設計技法の開発と応用」で日本農芸学会・農芸化学技術賞を受賞する。 2006年から2010年まで帝京平成大学教授を務める。2011年、日本醸造学会:功績賞受賞。
訓覇 曄雄(くるべ てるお、1934年 - 2020年7月4… 訓覇 曄雄(くるべ てるお、1934年 - 2020年7月4日)は、哲学研究者。大谷大学名誉教授。 三重県三重郡菰野町の浄土真宗寺院に生まれる。父は僧侶の訓覇信雄。1957年京都大学文学部哲学科卒、1963年同大学院博士課程満期退学。1965年大谷大学専任講師(ドイツ語)、1971年助教授、1978年教授。2000年定年退職、名誉教授。 息子の訓覇圭はNHKプロデューサー、その妻は石田ひかり。
梅谷 陽二(うめたに ようじ、1932年(昭和7年)12月1… 梅谷 陽二(うめたに ようじ、1932年(昭和7年)12月12日 - 2024年4月)は、制御工学・バイオメカニクス・ロボット工学を専門とする日本の研究者。東京工業大学名誉教授、工学博士(東京工業大学、論文博士)。プラントの制御やバイオメカニクスとそのロボット応用、宇宙ロボットなどの研究に従事。1991年 エンゲルバーガー賞 受賞、2015年、瑞宝中綬章受章。 東京大学生産技術研究所講師、東京工業大学助教授、教授、豊田工業大学教授、日本ロボット学会会長、バイオメカニズム学会会長を歴任。大学を退職後も、有限会社知能システム研究所を設立し、代表としてコンサルティングや文筆業に従事していた。この間、ロボットによる「からくり能」を提唱し、創作台本『友月』を著している。
津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年… 津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年11月8日 - 2022年2月19日)は、日本の社会学者、メディア研究者、関西学院大学名誉教授。学位は、博士(社会学)(関西学院大学・2000年)。 群馬県生まれ。1957年京都大学教育学部卒業、1959年同大学院教育学研究科修士課程中退。関西学院大学教授を務め、2000年「現代日本メディア史の研究」で関西学院大学より博士(社会学)の学位を取得。定年後名誉教授、桃山学院大学特任教授、2008年退任。 戦中期から戦後に至るメディア史、宝塚歌劇の宣伝戦略などを研究、『村嶋歸之著作選集』も編纂した。 1976年には、桑原武夫、鶴見俊輔、多田道太郎、井上俊らと現代風俗研究会を創設(桑原が初代会長)。
畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )… 畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )は、日本の児童文学研究者。 北海道岩見沢市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。高校教師をしながら童謡の創作と研究に携わり、大阪府で社会教育行政に従事、1984年大阪国際児童文学館総括専門員、名古屋明徳短期大学教授。1981年詩集『大阪弁のうた二人集ほんまにほんま』(島田陽子と共著)で第11回日本童謡賞を受賞。1991年『童謡論の系譜』で日本児童文学学会奨励賞受賞。2007年『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』で日本児童文学学会賞受賞。
大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年… 大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年12月)は、日本の在野研究者(言語学、マルクス主義)。英米SF翻訳家。 別名義に、小堀 靖生、おおくぼそりやがある。徳島市生まれ、1955年に京都大学文学部言語学科卒業。 大学卒業後も『早稲田大学新聞』(早稲田大学新聞会)、『情況』第1期(情況出版)等の左派系媒体にソシュール言語学や現代思想に関する論考を数多く発表していた。大学在学時からカール・マルクスや梯明秀の影響を受け、疎外論を重視する立場であった大久保は、やがてその立場から人間存在と言語との関係性を考究するようになり、「言語共産学」と称する独自の言語思想を提起するに至っていく。 また戦後日本SFの論者としても、1962年『悪魔運動』誌に小堀名義で発表した「SF論序」において、SFを「サイエンス・フィクション」ではなく「スペキュレイティヴ・フィクション」として位置付けていた。
須田 稔(すだ みのる、1931年11月5日 - )は、日本… 須田 稔(すだ みのる、1931年11月5日 - )は、日本文学研究者、アメリカ文学者。立命館大学名誉教授。専門はアフリカン・アメリカン・スタディーズ研究者。憲法9条メッセージプロジェクト共同代表。非核の政府を求める京都の会常任世話人。京都府生まれ。
片桐 洋一(かたぎり よういち、1931年9月5日 - )は… 片桐 洋一(かたぎり よういち、1931年9月5日 - )は、日本の日本文学研究者。大阪女子大学名誉教授。大阪女子大学学長、関西大学文学部教授などを歴任。瑞宝中綬章受章者。文化功労者。 博士(文学)(関西大学・1992年)(学位論文「古今和歌集の研究」)。 大阪市生まれ。1954年京都大学文学部国文科卒。1959年同大学院博士課程退学。 大阪女子大学助教授、1974年教授。1987-1991年学長。1992年「古今和歌集の研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。同年定年退官、名誉教授、関西大学教授、2002年退職。2008年春、瑞宝中綬章受勲。2011年文化功労者。
田中 礼(たなか ひろし、1931年6月2日 - 2019年… 田中 礼(たなか ひろし、1931年6月2日 - 2019年9月13日)は、英文学者、日本近代文学研究者、京都大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1960年京都大学文学部英文科卒業。神戸大学助教授、京都大学教養部助教授、教授、1995年定年退官、名誉教授、英知大学教授。日本ホイットマン協会会長、新日本歌人協会全国幹事。1978年『論攷 石川啄木』で新日本歌人協会賞、2011年の『啄木とその系譜』で岩手日報社啄木賞、渡辺順三賞受賞 。 2019年9月13日、肺癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2… 石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2012年9月18日)は、日本の科学者、歴史情報研究者。専門は理論生物学など。統計遺伝学においての数少ない理論家。理系文系にまたがる幅広い研究領域を持つ研究者。理学博士・農学博士・工学博士。東京生まれ。1984年6月19日より母方の石原姓を名乗る。出生名は志方 守一(しかた もりかず)。 母方の祖父:石原正治(1873 - 1945)は、工科大学(現東京大学工学部)機械科卒。新橋起点の蒸気機関鉄道山陽鉄道等の発展に寄与し、鉄道高速化により日露戦争勝利にも貢献した。旅順工科学堂(旅順工科大学の前身)創設機械科科長教授。偉大な実践的学究といわれ、南満州鉄道超特急アジア号開発に注力し、世界初の冷房設備搭載客車を創設した。
伊藤 正義(いとう まさよし、1930年4月4日 - 200… 伊藤 正義(いとう まさよし、1930年4月4日 - 2009年12月2日)は、日本の国文学者、能楽研究者、神戸女子大学名誉教授。 関西大学文学部教授・大阪市立大学文学部教授などを歴任。
宗政 五十緒(むねまさ いそお、1929年2月26日 - 2… 宗政 五十緒(むねまさ いそお、1929年2月26日 - 2003年1月27日)は、日本の日本近世文学研究者、書誌研究者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1980年)(学位論文「日本近世文苑の研究」)。龍谷大学名誉教授。 岡山市生まれ。1958年京都大学大学院文学研究科国文学博士課程満期退学。1980年「日本近世文苑の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。ハーバード大学研究員、龍谷大学教授、1997年定年、名誉教授。短歌あけぼの社主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
近藤 公夫(こんどう きみお、1929年2月5日 - 201… 近藤 公夫(こんどう きみお、1929年2月5日 - 2016年9月25日)は、日本の造園家・造園研究者・環境デザイナー。奈良女子大学名誉教授。農学博士。 特別史跡五稜郭跡保存整備委員会委員長、神奈備の郷・川づくり整備検討委員会委員、奈良県古都風致審議会会長、神戸市公園緑地審議会会長を務める。 「都市公園緑地の徒歩誘致圏に関する研究」で、昭和47年度日本造園学会賞論文調査部門受賞。1990年第12回日本公園緑地協会北村賞受賞。2001年、日本造園学会上原敬二賞受賞。 代表作品に、須磨離宮公園整形式庭園部分基本計画(1957年)、白川公園 (名古屋市)計画懸賞公募一等当選案(1958年)、香里団地計画における緑地の計画など。
向坂 寛(さきさか ゆたか、1928年11月17日 - 19… 向坂 寛(さきさか ゆたか、1928年11月17日 - 1985年2月19日)は、日本の哲学研究者。 神奈川県出身。東京教育大学哲学科卒、京都大学大学院博士課程満期退学。日本大学文理学部助教授、教授。『対話のレトリック』を脱稿したあと56歳で急逝した。古代ギリシア哲学が専門。
三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 201… 三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 2016年1月5日)は、日本近代文学研究者・作家。四天王寺大学名誉教授。 大阪船場道修町生まれ。大阪大学付属薬学専門部、京都大学文学部国文科卒。四天王寺国際仏教大学教授をへて、名誉教授。はじめ友川泰彦の筆名を用い、その後も小説を書く一方、堀辰雄、谷崎潤一郎などを論じた。船場大阪を語る会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2… 山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2013年12月31日)は、社会学者、広告研究者。 京都市出身。京都大学卒。立教大学大学院社会学修了、成城大学文芸学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016… 松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016年11月3日 )は西洋古典学者、古代ギリシア文学研究者、大阪大学名誉教授。大阪市生まれ。1951年京都大学文学部卒業。同志社大学教授、大阪大学教授、大阪学院大学教授を経て2002年に退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
野村 博(のむら ひろし、1926年9月22日 - )は、日… 野村 博(のむら ひろし、1926年9月22日 - )は、日本の哲学研究者、佛教大学名誉教授。 京都府生まれ。京都大学文学部哲学科卒、同大学院博士課程満期退学。佛教大学助教授、社会学部教授。97年定年退任、名誉教授。バートランド・ラッセルなど英米哲学を研究した。
土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年… 土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年5月4日)は、日本の演劇研究者。専門は近世期の演劇。大阪女子大学名誉教授。河竹賞受賞。 大阪市生まれ。1948年京都帝国大学文学部国文科卒業、大阪府立池田高等学校教諭。1961年京都大学文学部大学院退学、愛媛大学文理学部助教授。1971年同教授。1975年大阪女子大学学芸学部教授、1989年退職、名誉教授、佛教大学教授。 1989年『歌舞伎絵尽し年表』(須山章信共編)で河竹賞受賞。2004年4月、瑞宝中綬章受章。
尾崎 雄二郎(おざき ゆうじろう、1926年 - 2006年… 尾崎 雄二郎(おざき ゆうじろう、1926年 - 2006年12月8日)は、日本の中国研究者。専門は中国語音韻学。京都大学名誉教授。 1926年、東京生まれ。旧姓は清水。1943年4月、上海の東亜同文書院大学予科入学(第44期生)。1945年、日本の敗戦によって東亜同文書院大学が廃校となり京都大学に改めて入学し吉川幸次郎等に師事。1951年京都大学文学部文学科卒業。1956年京都大学大学院修了。立命館大学講師を経て、1959年京都大学教養部講師、1970年に助教授、1971年教授。1975年、京都大学人文科学研究所教授、1987年同・所長。1986年、『中国語音韻史の研究』で京都大学より文学博士の学位を取得。
伊藤 道治(いとう みちはる、1925年6月7日 - 201… 伊藤 道治(いとう みちはる、1925年6月7日 - 2016年4月3日 )は、日本の中国古代史研究者。関西外国語大学名誉教授。 1925年、愛知県で生まれた。京都大学文学部史学科で学び、1949年に卒業。 卒業後は神戸大学文学部教授に就いた。1973年、学位論文『出土資料を中心とする殷周史の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。関西外国語大学教授・同国際文化研究所所長を務めた。定年退職後に同大学名誉教授。2016年4月3日に死去。
木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
戸塚 七郎(とつか しちろう、1925年3月11日 - )は… 戸塚 七郎(とつか しちろう、1925年3月11日 - )は、日本の哲学研究者、旧・東京都立大学名誉教授。西洋古典哲学専攻。 北海道小樽市生まれ。1950年京都大学文学部哲学科卒。東京都立大学助教授、教授、1987年定年退官、愛知大学教授。
永井 三明(ながい みつあき、1924年〈大正13年〉10月… 永井 三明(ながい みつあき、1924年〈大正13年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉7月21日)は、日本の西洋史研究者。同志社大学名誉教授。永井岩之丞の孫。永井繁の子。平岡梓の従弟。 京都大学文学部史学科卒業。同志社大学助教授、教授を経て、名誉教授。2003年、勲三等瑞宝章を受章。 2022年7月21日午前8時53分、老衰のため死去。97歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は… 服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は、日本の仏教学者、古代インド哲学研究者。 1924年、東京で生まれた。父は洋画家で漫画家の服部亮英。京都帝国大学文学部哲学科に入学し、長尾雅人に師事し、卒業。 1961年、京都大学文学部助教授に就いた。1973年に教授昇格。同僚には、梶山雄一、柳田聖山、大地原豊がいた。1988年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。学界では、1997年から2003年まで、東方学会の理事長を務めた(第26~28期)。 専門はインド哲学史。論文の多くは外国語で出されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005… 森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005年10月11日)は、日本の古代ギリシア哲学研究者、小説家、関西医科大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都帝国大学文学部で古代ギリシア哲学を専攻し、田中美知太郎の指導を受け、京大大学院古代哲学専攻博士課程中退。京都大学非常勤講師を経て、64年関西医科大学教養部助教授、65年教授、91年定年、名誉教授。 また森泰三の名で文学作品も発表、1963年「砧」で芥川賞候補、1972年「冬へ」、1976年「結婚」で3度候補にあがった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年… 原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年8月21日)は、日本の哲学研究者。 宮城県亘理郡生まれ。第二高等学校卒、1941年京都帝国大学経済学部卒、大阪商船入社。1942年応召、1944年召集解除、大阪商船退社、宮城県築館中学校嘱託、1949年東北大学法文学部哲学科卒、同大学院中退、東北大学教養部講師、1961年助教授、1965年教授。1982年定年退官、名誉教授となる。没する直前に、師の河野与一の新訂再刊も行った。
鈴木 照雄(すずき てるお、1919年 - 2008年5月9… 鈴木 照雄(すずき てるお、1919年 - 2008年5月9日)は、日本の哲学研究者、大阪市立大学名誉教授。ギリシア哲学専攻。プラトン「饗宴」の訳者である。 静岡県生まれ。1942年、京都帝国大学卒業、大学院修了。関西大学教授。大阪市立大学教授。1981年、定年退官、名誉教授、神戸学院大学教授。1988年、『ギリシア思想論攷』で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。1991年、神戸学院大特任教授。
福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 20… 福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 2001年12月20日)は、日本の中国学者・中国思想史研究者。京都大学名誉教授。老荘思想・道教研究の第一人者として知られる。 1918年、大分県下毛郡鶴居村大字高瀬(現:中津市)の農家に生まれた。大分県立中津中学校(現:大分県立中津南高等学校)を卒業し、広島高等師範学校(現:広島大学)文科第一部で学んだ。1940年、京都帝国大学文学部哲学科に入学し、支那哲学史を専攻した。1942年9月に卒業し、同大学大学院に入学。しかし、同年10月には大学院を休学し、現役兵として野砲兵第6連隊補充隊(熊本)に入隊。1944年に陸軍砲兵少尉、1945年に陸軍砲兵中尉。
森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世… 森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1941年京都帝国大学国文科卒。大阪市立大学助教授、教授。1981年定年退官、光華女子大学教授。近松門左衛門を専門とした。
木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 20… 木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 2008年4月)は、日本の近世文学研究者。大阪樟蔭女子大学名誉教授。「餘二稿」「餘二庵」「佐保之不貞祢」と号した。 兵庫県姫路市生まれ。1933年、姫路高等学校入学。1939年、京都帝国大学国文科卒業、同大学院に進学。1945年、天理図書館司書研究員。天理図書館の名物司書として名声が高かった。1976年、天理図書館を停年退職し、同年大阪樟蔭女子大学教授に就任。同大学図書館長を勤め、1986年定年退職、同大学名誉教授。 若い頃は俳諧関係の研究を中心に行い、晩年は曲亭馬琴を中心に研究した。『木村三四吾著作集』全4巻がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年… 三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年4月7日)は教師、研究者。小学校、中学校の教員をしながら、1948年から始まった京都大学の宮崎県串間市幸島(発音は本により、コウシマと、コージマがある)のサルの研究に加勢した。三戸はサル全数の個体識別を行い、戸籍を作り、サルがイモを洗って食べる習慣の発生と伝達など発見し、サル学の発展に貢献した。1970年から1984年にかけて、京都大学霊長類研究所研究員になった。著書の名義では三戸サツエの表記も使われる。
牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年(明治45年) -… 牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年(明治45年) - 2011年(平成23年))は、日本の僧侶、中国仏教史研究者。 1912年、滋賀県岩根村(現・湖南市)で生まれた。生家は野洲市の浄土宗念仏寺。小学1年の時、京都の寺町乗願寺・岩井真亮の弟子となった。 佛教専門学校(現佛教大学)を卒業後、大谷大学文学部東洋史学科に進学し、1936年に卒業。京都帝国大学文学部東洋史選科に進み、1939年に修了した。 1942年、中国に渡り、上海東亜同文書院大学助手に就いた。戦後の1946年、東方文化学院京都研究所助手に採用された。同研究所が1949年に改組された後は後継の京都大学人文科学研究所教授となった。
大谷長(おおたに まさる、1911年 <明治44年> 10月… 大谷長(おおたに まさる、1911年 <明治44年> 10月19日-1999年 <平成11年> 12月1日)は、日本のキェルケゴール研究者。位階は正四位。 京都市出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒、1940年京都帝国大学大学院修了。1962年「キエルケゴールに於ける授受の弁証法」で京都大学文学博士。大阪外国語大学助教授、61年教授(デンマーク語)。77年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。1964年第一回田辺賞受賞。デンマーク・ダンネプロ・ナイト勲爵士。初期には西辺利仙の名で小説も書いた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1… 中村 幸彦(なかむら ゆきひこ、1911年7月15日 - 1998年5月7日)は、日本の近世文学研究者。博士(京都大学・1962年)(学位論文『戯作論』)。 兵庫県津名郡由良町(現:洲本市由良3丁目)に父・中村安郎、母・しげの次男として生まれる。旧制洲本中学校、1935年、京都帝国大学文学部国文科卒業。1940年、天理図書館司書となり、京都帝国大学大学院を退学。1949年、天理大学教授、1958年、九州大学文学部教授となる。1962年『戯作論』で京都大学の博士号を取得。1971年、九州大学を退職、関西大学教授に就任。 1981年、『此ほとり一夜四歌仙評釈』で第32回読売文学賞受賞。1982年から『中村幸彦著述集』の刊行開始(1989年7月まで)。
堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5… 堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5日 - 2006年〈平成18年〉1月12日)は、日本のマスコミ研究者、成城大学名誉教授。 京都府出身。弟は映画監督の堀川弘通。成城高等学校卒、京都帝国大学文学部哲学科心理学専攻卒、朝日新聞社入社、調査部に勤務しジャーナリズム研究を行い、1961年「新聞における取材と表言に関する科学的研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。のち成城大学教授、文芸学部長、1982年定年退任、名誉教授。1977年日本新聞学会会長。インタビューを「面接」と訳し、「面接博士」と呼ばれた。
小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年〈明治43年〉 -… 小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年〈明治43年〉 - 1986年〈昭和61年〉)は、日本近代文学研究者。太宰治研究家の小野正文の兄。 青森県下北半島生まれ。旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)、旧制弘前高等学校を経て、1932年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。 1953年、労働者農民党より第26回衆議院議員総選挙に岩手1区から出馬するが、候補者中最下位得票で落選。その後修紅短期大学教授を務めた。
原 光雄(はら みつお、1909年8月5日 - 1996年1… 原 光雄(はら みつお、1909年8月5日 - 1996年10月20日)は、日本の科学論・科学史研究者。 山梨県出身。京都帝国大学理学部卒。1938年川崎重工業に入社。1956年大阪市立大学教授。1972年定年退官、名誉教授、阪南大学教授、1981年退職。 1937年寺田寅彦の物理学研究に対する態度を批判。近代化学史研究を通じて科学の方法論を「自然弁証法の研究」としてまとめた。田辺振太郎とも論争を行った。
安田 二郎(やすだ じろう、1908年(明治41年) - 1… 安田 二郎(やすだ じろう、1908年(明治41年) - 1945年(昭和20年)2月27日)は、日本の中国哲学研究者。宋明理学や戴震『孟子字義疏証(中国語版)』の研究で業績を残した。吉川幸次郎らに将来を嘱望されたが、37歳の若さで病没した。 岐阜県養老郡笠郷村船附出身。名古屋の八高に入学後左翼とみなされ中退するが、京都帝国大学文学部長の濱田耕作の許可により進学。1935年(昭和10年)同哲学科(通称「純哲」)卒業。純哲では田辺元に武内義範らと師事する。卒業論文は『中庸について』。 純哲の大学院に進学し朱子学を専攻。吉川幸次郎の講読に出席した際、中国哲学科の学生よりも優秀だったため吉川に注目される。
山本 清(やまもと きよし、1907年11月23日 - 20… 山本 清(やまもと きよし、1907年11月23日 - 2001年12月29日)は、日本の考古学研究者、島根大学名誉教授。 島根県八束郡生馬村(現・松江市西生馬町)に生まれる。旧制松江高等学校(8期文甲)を経て、1934年、京都帝国大学文学部史学科(国史学専攻)卒業。島根県八束郡本庄村尋常高等小学校代用教員、島根県立松江中学校講師、同教諭、島根師範学校教授を経て、1950年、島根大学教育学部助教授、1951年、島根大学文理学部助教授。1965年、島根大学文理学部教授。1971年退官。1972年島根大学名誉教授。 1947年、梅原末治博士と金崎1号墳(島根県松江市)の発掘調査を行い、本格的に山陰の考古学研究に取り組む。