清王洋 好造(せいおうなだ こうぞう、1960年10月20日… 清王洋 好造(せいおうなだ こうぞう、1960年10月20日 - 2003年10月8日)は、伊勢ヶ濱部屋に所属していた元大相撲力士。本名は畠野 好造(はたの こうぞう)。身長178cm、体重192kg。鹿児島県枕崎市出身、兵庫県神戸市垂水区育ち。得意手は突き、押し。最高位は西十両9枚目(1987年11月場所)。 1960年10月20日、神戸市にて生まれる。兵庫県神戸市垂水区で育つ。父は自動車教習所指導員。出身地は新十両時は兵庫県、再十両時は鹿児島県としていた。1979年3月に天理高等学校卒業。新弟子検査に合格。高校で柔道を習っており、大学でも柔道を続けようと考え、天理大学体育学部を受験し合格したが、自分の身体能力を生かすには相撲しかないと考え、進学せずに伊勢ヶ濱部屋に入門。
上間 政彦(うえま まさひこ、1960年1月17日-)は、日… 上間 政彦(うえま まさひこ、1960年1月17日-)は、日本のサッカー指導者。天理大学卒業。2001年にS級ライセンスを取得。 1983年に教師として奈良育英高等学校に赴任。同時にサッカー部監督に就任した。これまでサッカー日本代表となる楢﨑正剛、柳本啓成をはじめとし、多数のJリーガーを送り出した。楢﨑が3年、中谷勇介、矢部次郎、東幸一が1年次に在籍していた1994年の第73回全国高校サッカー選手権大会では3位という成績を残している。 また、奈良県トレーニングセンターの設立や、プリンスリーグの前身である「U-18関西リーグ」設立の際には中心的役割を果たす等、関西地区のユース年代育成にも貢献した。
細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、… 細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、兵庫県一宮町(現・宍粟市)出身の柔道家。1984年ロサンゼルスオリンピック柔道男子60kg級金メダリストで1980年代の日本の軽量級を代表する選手。得意技は背負い投げ、巴投げ、内股すかし。身長157cm。
太田 直子(おおた なおこ、1959年10月12日 - 20… 太田 直子(おおた なおこ、1959年10月12日 - 2016年1月10日)は、日本の映画字幕翻訳者である。 広島県福山市生まれ。天理大学外国語学部ロシア学科卒業後、早稲田大学大学院で学ぶ。大学院在学中から字幕翻訳に携わる。字幕翻訳の指導も行っており、弟子には小説家の星野智幸がいる。 2016年1月10日、多臓器不全のため死去。56歳没。 太田は保命酒の酒処で知られる鞆の浦出身で、「三度の飯より酒が好き」な人物であったという。
高祖 和弘(こうそ かずひろ、1959年(昭和34年)3月6… 高祖 和弘(こうそ かずひろ、1959年(昭和34年)3月6日 - )は、佐賀県佐賀郡川副町(現在は佐賀市川副町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 小学6年生のときにサッカーを始め、ポジションは当時からゴールキーパーだった。佐賀東高校、天理大学を経て、1981年より松下電器産業サッカー部に在籍。1988年からはコーチを兼任し、1991年に現役を引退。 1992年から1997年まで松下電器の後身となるガンバ大阪でGKコーチを務める。1999年、妻の出身地であるブラジルで1年間を過ごす。2000年にサガン鳥栖の監督に就任。この年はなかなかの健闘を見せ6位でシーズンを終える。しかし、2001年は戦力低下に伴い苦戦を続ける。
今村 克彦(いまむら かつひこ、1957年 - )は、日本の… 今村 克彦(いまむら かつひこ、1957年 - )は、日本の元教師。作家。ミュージシャン。株式会社Office REYの取締役会長。京都府相楽郡和束町出身。息子は小説家の今村翔吾。 ダンスチーム「関西京都今村組」の創始者でありグループ代表と最高顧問を務める。 24年間の小学校教師生活で得た経験を基にした講演などでも活動している。 京都府木津川市にある株式会社Office REYが運営しているダンスチーム。 ダンスの授業やライブなどの興行業を主な事業内容としている。
寺澤 元一(てらさわ げんいち、1956年9月6日 - )は… 寺澤 元一(てらさわ げんいち、1956年9月6日 - )は、日本の外交官。内閣府大臣官房参事官や、済州総領事を経て、駐サモア独立国特命全権大使。 1979年天理大学外国語学部朝鮮学科卒業、外務省入省。在大韓民国日本国大使館、在シカゴ日本国総領事館、外務省国際情報局等で勤務し、外務省北米局日米安保条約課地位協定室長補佐、外務省アジア大洋州局北東アジア課地域調査官等を経て、2009年在ミクロネシア連邦日本国大使館参事官。2012年から羽田恵子の後任として、外務省アジア大洋州局大洋州課地域調整官。 外務省北米局北米第一課企画官を経て、2015年から済州総領事。内閣府大臣官房参事官兼大臣官房企画調整課野口英世アフリカ賞担当室長、外務省大臣官房付を経て、2019年から駐サモア独立国特命全権大使を務め、サモアでの福島県の認知度向上などのため尽力した。
榎木 幸二郎(えのき こうじろう、1955年2月15日 - … 榎木 幸二郎(えのき こうじろう、1955年2月15日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 1977年に日本サッカーリーグ2部の本田技研工業フットボールクラブに入部。178cmで65kgと極端に細身の体型だが、スピードあふれるサイド突破とヘディングでチームに貢献した。MF伊藤直司との連携は要所で機能し、チームが1981年から1部リーグに定着する礎を築いた。
青木 まゆみ(あおき まゆみ、本名・西口まゆみ、1953年5… 青木 まゆみ(あおき まゆみ、本名・西口まゆみ、1953年5月1日 - )は、日本の競泳選手。オリンピック金メダリスト。現在は教師。熊本県山鹿市(旧菊鹿町)出身。
澤井 義次(さわい よしつぐ、1951年7月15日 - )は… 澤井 義次(さわい よしつぐ、1951年7月15日 - )は、日本の宗教学者、ヒンドゥー教研究者、天理教教義学者。天理大学名誉教授。 1951年、奈良県生まれ。天理高等学校から、天理大学文学部宗教学科へ進み、宗教心理学者の松本滋らに学ぶ。天理大学卒業後、東北大学大学院(宗教学)へ進学し、楠正弘らに学ぶ。 同大学博士課程へ進学後、アメリカのハーバード大学大学院へ留学。宗教学者ウィルフレッド・キャントウェル・スミス(Wilfred Cantwell Smith)、ジョン・カーマン(John B. Carman)、インド学のダニエル・インゴールス(Daniel H.H. Ingalls) らに学ぶ。Ph. D論文はインドのヴェーダーンタ哲学者シャンカラを開祖とするシャンカラ派の宗教思想について。
土生田 純之(はぶた よしゆき、1951年5月17日 - 2… 土生田 純之(はぶた よしゆき、1951年5月17日 - 2023年7月5日)は、日本の考古学者。専修大学名誉教授。博士(文学)(関西大学)。 大阪府生まれ。天理大学文学部卒業後、関西大学大学院博士前期課程を修了。宮内庁書陵部陵墓調査室員、同主任研究官、専修大学文学部助教授を経て同学部教授。専門は日本考古学。特に古墳時代・飛鳥時代を主な研究領域としていた。 2023年7月10日、『文化遺産と現代』を出版した同成社がTwitterで訃報を発表した。
岩田 勝彦(いわた かつひこ、1951年または1952年 -… 岩田 勝彦(いわた かつひこ、1951年または1952年 - 2015年9月17日)は、宮崎県出身の日本の柔道家。軽重量級及び95kg級の選手。 天理大学4年の時に優勝大会でチームの優勝に貢献する活躍を果たして優秀選手にも選ばれた。1974年に宮崎県警察の所属となると、選抜体重別の軽重量級決勝で水戸南高校教員の白瀬英春を破って優勝した。続いてソウルで開催されたアジア選手権でも優勝し、今大会において全階級制覇を果たした日本選手団の一員として名を連ねることにもなった。1976年には全国警察柔道選手権大会の無差別で優勝した。1979年には講道館杯の95kg級決勝で九州産業大学職員の安河内春彦に敗れて2位だった。
井村 雅代(いむら(旧姓:福井、ふくい) まさよ、1950年… 井村 雅代(いむら(旧姓:福井、ふくい) まさよ、1950年8月16日 - )は、日本、中国、イギリスのアーティスティックスイミングの指導者、元選手。一般社団法人井村アーティスティックスイミング 代表理事。大阪府出身。 小学校の頃から大阪府堺市の浜寺水練学校で水泳を習い、中学生になってシンクロを始めた。大阪府立生野高等学校、天理大学を卒業。選手としては日本選手権で二度優勝し、公開競技として行われた1972年ミュンヘンオリンピックに出場した。 教員免許を取り、地方公務員として大阪市内の中学校(大阪市立喜連中学校、大阪市立住吉中学校)などで1974年(昭和49年)より保健体育科の教諭を務める傍ら、1975年(昭和50年)より古巣の浜寺水練学校に請われる形でシンクロ指導者としての活動を開始(教職は1981年に退職している。
藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )… 藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )は、日本の柔道家。旧姓名:藤猪省三(読み同じ) 現役時代は対外国人選手で生涯無敗を誇り世界選手権大会4連覇を果たすなど、1970年代から1980年にかけて一世を風靡した名選手であったが、一方で3回チャンスがあったオリンピックを怪我やボイコットでことごとく棒に振った悲運の名選手でもあった。現役を引退後は京都産業大学や天理大学で後進の指導に当たり、多くの五輪王者・世界王者を育て上げた名伯楽として知られる。 香川県大川郡大内町(後の東かがわ市)出身。町立大川中学校1年生の時に柔道を始める。藤猪は当時身長150cm・体重50kg前後と平均的な体躯ながら大相撲の力士に憧れており、角界へ行くために「体を大きくするにはどんなスポーツをやれば良いか」を考え、「柔道だったら背が高くて大きくなるだろう」と思って入部する事にしたという。
松尾 勇(まつお いさむ、1950年 - )は、日本の朝鮮語… 松尾 勇(まつお いさむ、1950年 - )は、日本の朝鮮語学者、天理大学国際学部教授。 1950年、大阪市生まれ。1973年天理大学外国語学部朝鮮学科卒業。1977年2月、延世大学校大学院国語国文学科修士課程修了。現在、天理大学国際学部外国語学科韓国・朝鮮語専攻教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野村 豊和(のむら とよかず、男性、1949年7月14日 -… 野村 豊和(のむら とよかず、男性、1949年7月14日 - )は、日本の柔道家。奈良県広陵町生まれ。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子軽中量級金メダリスト。天理高校 - 天理大学 - 博報堂 - 和歌山県高校職員。得意技は背負投、一本背負投、巴投。身長163cm。
長屋 恭一(ながや きょういち、1948年11月17日 - … 長屋 恭一(ながや きょういち、1948年11月17日 - )は、岐阜県出身の元フィールドホッケー選手。岐阜県立岐阜総合学園高等学校体育教諭・男子ホッケー部総監督を歴任。現在は朝日大学経営学部ビジネス教授として、朝日大学体育会ホッケー部の指導にあたる。指導力と魅力的な人柄に、全国の強豪校から多くの高校生が朝日大学ホッケー部の門を叩く。また教え子の多くが全日本代表チームで活躍している。元ホッケー男子日本代表監督。 岐阜西工業高でホッケーを始め、天理大学進学後、在学中に1968年メキシコシティーオリンピックに出場。アジア競技大会では銀メダルを獲得した。 卒業後は、教員として可児工業高に赴任し、ホッケー部を8年間指導。
橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福… 橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福岡県北九州市出身の、日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。
太田 登(おおた のぼる、1947年(昭和22年)4月19日… 太田 登(おおた のぼる、1947年(昭和22年)4月19日 - )は、日本近代文学研究者。専門は『明星』を中心とした明治・大正期の短歌。天理大学名誉教授。 奈良県奈良市生まれ。1971年天理大学文学部国文学国語学科卒業。1977年立教大学大学院博士課程修了。1978年天理大学文学部専任講師、1983年助教授、1993年教授。2002年から1年間、中国文化大学(台湾)に交換教授として赴任。2005年「近代短歌史の研究」で立命館大学より文学博士の学位を取得。2008年停年退職、名誉教授。2009年国立台湾大学教授。
坂本 信幸(さかもと のぶゆき、1947年3月26日 - )… 坂本 信幸(さかもと のぶゆき、1947年3月26日 - )は、日本の国文学者・歌人。専門は上代文学、特に万葉集の研究。奈良女子大学名誉教授。高岡市万葉歴史館名誉館長。 1947年3月26日に高知県高岡郡窪川町(現・四万十町)に生まれる。1969年に天理大学文学部国文学国語学科卒業。1972年に同志社大学大学院文学研究科修士課程国文学専攻修了。1980年4月に大谷女子大学専任講師となり、同助教授を経て、1990年4月に奈良女子大学助教授に転任、1995年4月に奈良女子大学教授に昇任、2006年4月に奈良女子大学大学院教授となり、2006年から奈良女子大学附属図書館長を併任。 2010年3月に定年退職(奈良女子大学国語国文学会刊『叙説』「坂本教授退休記念」第37号参照)。
河村 一夫(かわむら かずお、1947年(昭和22年)1月1… 河村 一夫(かわむら かずお、1947年(昭和22年)1月19日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 福井県生まれ。天理大学出身。1968年メキシコシティーオリンピックで男子トーナメントに出場した。のち、審判員となった。 井出信夫 | 大塚智万 | 恩田昌史 | 加奥成雄 | 上村幸夫 | 河村一夫 | 工藤明朗 | 高島昭男 | 田中博司 | 長屋恭一 | 松本紀彦 | 安田善治郎 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 西村省三 | 吉村実 | 和田明仁 | 監督: 市川日出男 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
二宮 和弘(にのみや かずひろ、1946年11月28日 - … 二宮 和弘(にのみや かずひろ、1946年11月28日 - )は、日本の柔道家。1976年モントリオールオリンピック柔道男子93kg級金メダリスト。福岡県福岡市出身。柔道九段。 博多高校卒業後、天理大学を経て、正気塾にて岡野功に師事する。その後、当時の福岡県警柔道師範の誘いで、1972年4月より県警に入る。同年全日本選手権で3位入賞。 1973年のスイス・ローザンヌの世界選手権での無差別級で優勝、翌1974年の全日本選手権でも準優勝。永くライバル関係の上口孝文(同じく全日本柔道選手権準優勝経験者)を下して出場した1976年モントリオールオリンピックでは、当時の日本人選手が苦手にしていたクラスで金メダルを獲得。
呉勝立(オ・スンニプ、朝: 오승립、英: Oh Seung-… 呉勝立(オ・スンニプ、朝: 오승립、英: Oh Seung-Lip、1946年10月6日-)は韓国の柔道選手。兵庫県神戸市長田区出身。階級は中量級。身長175cm。高校までは「呉原」姓を名乗っていた。
河村 民部(かわむら みんぶ、1945年 - )は、英文学、… 河村 民部(かわむら みんぶ、1945年 - )は、英文学、比較文学者、近畿大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1967年天理大学外国語学部英米学科卒業。1969年広島大学大学院文学研究科英語学英文学満期退学。天理大学助教授、近畿大学文芸学部教授。2008年「詩から小説へ ワーズワスとロマン派の末裔」で甲南大学文学博士。2012年近畿大学を定年退任、名誉教授。
湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 20… 湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 2016年6月15日)は、日本の柔道家(講道館9段)。富山県出身。 1967年と1969年に開催された世界選手権大会の軽中量級覇者である。 富山県福野町(現・南砺市)で接骨院を営む家に、7人兄妹の末っ子として生まれる。父が道場を経営していた関係で5歳頃から柔道を始め、当時は幼心にもインターハイか国体への出場を目標に稽古に励んだ。なお、兄妹はいずれもスポーツマン・スポーツウーマンで、後に卓球のダブルスで日本一になった者もいる。 中学校を卒業すると、進学校であり柔道でも県立小杉高校らと共に当時富山県内の4強に数えられた県立福野高校(現・県立南砺福野高校)へ進学。
山中 圏一(やまなか けんいち、1943年 - 2025年1… 山中 圏一(やまなか けんいち、1943年 - 2025年10月26日[要出典])は長崎県佐世保市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。 佐世保に生まれるが、その後豊後高田市に移った。1956年に高田中学に入学すると、当初はテニス部に所属していたが、柔道部の稽古風景を見て「これだ!」と思い柔道部に転部した。その後、高田高校から天理大学に進学すると、1963年の全日本学生柔道優勝大会で2位、1964年の全日本学生柔道選手権大会中量級では中央大学の関根忍に体落で敗れるが2位となった。1965年の世界選手権中量級では準決勝でアメリカのジェームズ・ブレグマンを体落で破るものの、決勝では中央大学の岡野功に背負投で立て続けに技あり2つを取られて敗れた。
金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-T… 金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-Tae、1941年6月2日-)は韓国の柔道選手。日本名は山本 義泰(やまもと よしやす)。兵庫県神戸市長田区出身。階級は中量級。身長174cm。 在日韓国人として生まれて、神港学園高校から天理大学に進み、主将を務めるなどして活躍した、1961年の世界選手権(無差別)では韓国代表で出場して、準決勝で曽根康治に判定、3位決定戦で古賀武に払腰で敗れたが4位となった。また、1963年のプレオリンピック大会の中量級では決勝で中央大学の岡野功に敗れた。 その後、1964年には東京オリンピックの中量級代表に選ばれて韓国で練習していたが、コーチがいなかったので何もかも自分でこなさなければならなかった。
奥田 義郎(おくだ よしろう、1941年生)は、日本の柔道家… 奥田 義郎(おくだ よしろう、1941年生)は、日本の柔道家。京都府出身。修猷館高校教師らを歴任。2000年現在、九州大学柔道部師範。 平安高校、天理大学卒。 1963年、福岡の修猷館高校に赴任。1964年には全日本選手権で同年の東京オリンピック中量級の金メダリストの岡野功を寝技で破りベスト8に進出するなど、絞めの奥田として勇名を馳せた。 「どんな大男でも寝かせてしまえば条件は一緒」と公言し、身長170 cm・体重70 kgと小柄ながら、強化合宿では重量級の代表選手でも、寝技では相手にならなかった。 例えば、世界柔道選手権で2度の優勝、全日本選手権も制した、これまた寝技の名手と呼ばれ名声を馳せた佐藤宣践を試合で絞め落としたネズミ捕りという技は、相手を抑え込みに誘い込み、自分が下になりながら絞める技で、抑えていた佐藤が痙攣して落ちてしまい、目撃していた岡野功はまるで魔術のようだったと語っている。
恩田 昌史(おんだ まさし、1939年6月27日 - )は、… 恩田 昌史(おんだ まさし、1939年6月27日 - )は、大阪府南河内郡喜志村(現・富田林市)出身のフィールドホッケー選手・指導者である。現役時代のポジションはセンターフォワード。日本ホッケー界の重鎮である。 ホッケーの名門天理大学で活躍。1958年のアジア大会銅メダルに貢献。「天才プレーヤー」と謳われた。卒業後の1963年、天理大に入職。1968年にはメキシコ五輪に選手として出場。大学内では書記、助手、講師、助教授を経て、1983年に教授となる。 1965年、男子ホッケー部監督に就任し、1977年には女子チームも結成した。男女合わせて監督として「全国大会通算102度」の優勝を記録し、1988年には史上初の「アベック3冠」を達成した。
和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日… 和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日本の元競泳選手。愛媛県出身。1956年メルボルンオリンピック・1960年ローマオリンピック日本代表。自由形の元日本記録保持者。 南宇和郡御荘中学校、奈良県立五條高等学校、天理大学卒。 1956年のオリンピック選考会で100m自由形で4位に入り、400mフリーリレー要員としてメルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400m自由形で3位に入った。 1960年ローマオリンピック日本代表にも2大会連続で選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。
高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は… 高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県出身。ローマオリンピック日本代表。100m平泳ぎ・200m平泳ぎ元日本記録保持者。 伊都高校時代の高校総体で100m平泳ぎで3連覇を達成した。高1・高3では200m平泳ぎで優勝。個人種目で高校総体3連覇したのは女子史上初。 日本選手権では1955年から1960年にかけて100m平泳ぎ・200m平泳ぎで2冠かつ6連覇を達成した。100m平泳ぎでの6連覇は7連覇の長崎宏子に次ぐ歴代2位、6回の優勝は8回の田中雅美・7回の長崎宏子の次ぐ歴代3位の記録。200m平泳ぎでの6連覇は8連覇の長崎宏子・7連覇の前畑秀子に次ぐ歴代3位、6度の優勝は8度の長崎宏子・田中雅美、7度の前畑秀子に次ぐ歴代4位の記録。
佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき… 佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき よしこ)、1938年3月30日 - )は、日本の元競泳選手(種目は自由形)。アジア競技大会では1958年と1962年に合計7つの金メダルを獲得した。1956年メルボルンオリンピックおよび1960年ローマオリンピックでは短距離で合計5種目に出場し、最上位の成績は4×100mメドレーリレーの第7位であった。 奈良県五條市出身。中学校では当初陸上競技部に所属していたが、3年生の時に県大会にリレー選手として出場し、以後競泳選手となる。 奈良県立五條高等学校から天理大学に進む。 国内では日本選手権水泳競技大会の100mで1958年から1961年まで4年連続、200mで1955年から1961年まで7年連続で優勝した。
宮部 シズエ(宮部 シズヱとも、みやべ しずえ、1937年8… 宮部 シズエ(宮部 シズヱとも、みやべ しずえ、1937年8月3日 - )は、日本の元競泳選手。奈良県出身。ヘルシンキオリンピック・ローマオリンピック日本代表。50m自由形・100mバタフライ・200mバタフライ元日本記録保持者。現姓は辻内。 奈良県宇智郡野原町(現五條市)出身。 野原町立野原中学校在籍時の1952年6月に行われた日本選手権兼ヘルシンキオリンピック最終選考会において50m自由形2位・100m自由形4位に入り、ヘルシンキオリンピック日本代表に選出された。7月から8月にかけてヘルシンキオリンピックが開催されたが、100m自由形予選落ちに終わった。 高校は五條高等学校に進学。1953年、日本選手権の50m自由形で初の日本一になる。
神野 眸(じんの ひとみ、1937年3月8日 - )は、日本… 神野 眸(じんの ひとみ、1937年3月8日 - )は、日本の女子競泳選手。現姓:岩井。 愛知県名古屋市出身。少女時代は病弱だった為に医師から水泳を勧められて小学校時代から始める。名古屋市立桜山中学校から愛知淑徳高校に進学する。高校時代に自由形の選手としてインターハイ優勝、日本選手権などを経験し、当時競泳の名門であった奈良県の天理大学へと入学した。入学初年度に1956年メルボルンオリンピックに出場している。 その後大学は中退し、愛知淑徳高校の体育科講師に赴任して1958年の東京アジア競技大会に出場、女子100m自由形で3位となり銅メダルを獲得。また1960年ローマオリンピックに出場した。 ローマオリンピックを最後に現役を引退、引退後暫くは愛知淑徳高校の教員をしていたが、結婚を機に退職。
多菊 善和(たぎく よしかず、1935年12月8日 - 20… 多菊 善和(たぎく よしかず、1935年12月8日 - 2018年10月7日)は、日本の経営者。ヤクルト専務、ヤクルトスワローズ球団社長を務めた。 群馬県前橋市出身。1958年に天理大学外国語学部を卒業し、同年にヤクルト本社に入社した。営業部長、直販事業部長、常務を経て、1990年6月に専務に就任した。 2001年3月から2007年3月までにヤクルトスワローズ球団社長を務めた。 1998年11月に藍綬褒章を受章した。 2018年10月7日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
町田 貢(まちだ みつぐ、1935年 - )は、日本の外交官… 町田 貢(まちだ みつぐ、1935年 - )は、日本の外交官。元駐韓日本大使館公使、韓国・成均館大学教授、現会社役員。 新潟県刈羽郡小国村(現・長岡市)出身。大阪商業大学附属高等学校卒業。1958年、天理大学外国語学部朝鮮学科卒業。同年、外務省に入省。1年間研修後、米国テキサス州のヒューストン総領事館勤務。 1964年、ソウル(半島ホテル)駐在。1965年、在釜山日本国総領事館副領事に就任。 1973年、在ソウル大使館政治部に異動。同年11月、金大中と初めて会う。1997年12月の大統領当選直後まで24年にわたって直接付き合い、泣き笑いを共にした。外交官人生の大半の期間をこの事件と向き合って過ごすことになった。
久保田 正躬(くぼた まさみ、1931年12月6日 - )は… 久保田 正躬(くぼた まさみ、1931年12月6日 - )は、日本の体操選手。元天理大学教授。大阪府出身。大阪府立八尾高等学校、東京教育大学体育学部(現在の筑波大学体育学群)卒業。 1954年、ローマ世界選手権に出場、団体総合で銀メダルを獲得。 1956年、メルボルンオリンピックで団体総合銀メダル、平行棒銀メダル、吊り輪銅メダルを獲得。 妻は体操選手でメルボルンオリンピック代表の沢村恭子。メルボルンオリンピックでは日本人としてはじめて夫婦そろってのオリンピック出場を果たした。 引退後は天理大学教授として指導にあたり、1956年に天理大学体操部監督に就任。1968年、天理大学体操部部長に就任した。
杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月2… 杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日本の歌人。塚本邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸本光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。
須賀 龍郎(すが たつろう、1924年9月29日 - 201… 須賀 龍郎(すが たつろう、1924年9月29日 - 2015年1月16日)は、日本の政治家。鹿児島県知事を2期8年務めた。 鹿児島県指宿市出身。中国の旧関東州大連生まれで青年期のほとんどを中国で過ごす。大連商業学校を経て、1944年に天理語学専門学校(現・天理大学)を卒業。戦後一時期、シベリアに抑留された。1948年、鹿児島県庁に入職する。鹿児島県職員時代のうち、21年間も東京事務所に勤務するという特異なキャリアで、中央との強いパイプを築く。東京事務所の次長、所長を歴任して、1975年に企画部長として県本庁に戻る。1980年から総務部長を務め、1983年に退職。鹿児島県開発公社(現 公益財団法人鹿児島県地域振興公社)副理事長を経て、翌1984年4月に鎌田要人知事のもと県出納長に就任し、2期務める。
松本 忠繁(まつもと ただしげ、1924年5月3日 - 没年… 松本 忠繁(まつもと ただしげ、1924年5月3日 - 没年不明)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
森川 保治(もりかわ やすはる、1924年〈大正13年〉3月… 森川 保治(もりかわ やすはる、1924年〈大正13年〉3月29日 - 2013年〈平成25年〉2月1日)は、日本の政治家。奈良県大和高田市長(3期)。位階は従五位。 奈良県出身。天理外国語専門学校(現天理大学)卒。森川商会を経営し、会長となる。ほか旭光コンクリート工業社長、大和高田商工会議所顧問、奈良新聞政経懇話会会員、社会福祉法人理事長、大和高田市教育委員長、奈良地裁調停委員などを務めた。 1979年大和高田市長選挙に立候補し、当選する。市長を3期務め、1991年に退任する。 1993年大和高田商工会議所会頭に就任。1997年勲三等瑞宝章を受章。2013年死去。死没日付をもって正八位から従五位に進階した。
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じ… 今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じゅんいち)、1922年〈大正11年〉12月19日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の書家。筑波大学名誉教授。書法研究雪心会会長。「読売書法会」常任総務。社団法人「日展」参事。社団法人「日本書芸院」名誉顧問。「國際書道連盟」顧問。 奈良県奈良市生まれ。郡山中学(現奈良県立郡山高等学校)、天理語学専門学校(現天理大学外国語学部)卒業後、駸々堂入社。1949年立命館大学法文学部経済学科卒業。中谷釜雙、辻本史邑に師事。 東京教育大学、筑波大学、大東文化大学で教授、大東文化大学書道文化センター所長を歴任、1988年、大東文化大学書道研究所初代所長(1991年まで)に就任した。
松前 健(まつまえ たけし、1922年(大正11年)9月5日… 松前 健(まつまえ たけし、1922年(大正11年)9月5日 - 2002年(平成14年)3月24日)は、日本の宗教学者、神話学者。天理大学教授、立命館大学教授、大阪成蹊女子短期大学教授、奈良大学教授。 都立高教諭・大学非常勤講師だった1960年に『日本神話の新研究』を刊行し、翌年日本宗教学会の姉崎正治記念賞を受賞。こうした初期の成果が三品彰英らに高く評価され、のち関西に拠点を移した。『日本神話の形成』(1970年)で文学博士号を取得して以降、天理大学をはじめ関西の各大学でそれぞれ教授をつとめた。 1922年、日本統治時代の朝鮮全羅南道木浦の栄町(日本人街)で貿易を営んでいた商家に生まれた。原籍は山口県熊毛郡室津村。
松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月2… 松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月25日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、日本の柔道家。段位は講道館8段。 昭和天覧試合(1940年)準優勝者、第1回全日本選手権大会(1948年)優勝者であり、後に天理大学等で柔道師範や1964年東京オリンピック日本代表の監督を務めた。 福岡県久留米市で洋品雑貨の卸売業を営む家の長男として生まれる。福岡県中学明善校入学後は授業で柔道を経験したが、クラブ活動ではバレーボール部に所属。中学3年の始めに上級生の強引な勧誘を受け、嫌々ながら柔道を始めたというのが柔道人生への第一歩となった。 1937年4月に武道専門学校に入学するも、親元を離れた解放感から酒色に溺れ、不摂生が祟って2年生の9月には体調を崩して結核を患い、故郷・福岡での安静生活を余儀なくされる。
家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - … 家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - 2005年)は、朝鮮京南生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手。 小学3年生の時に野球を始め、川越中学校では2年次に一塁手、3年次にはエースピッチャーとなり北関東大会決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。 1936年に東京セネタースへ入団。 1940年に退団し、翌年から社会人野球の全京城でプレーする。 1946年にセネタースへ復帰し、同年引退した。 引退後は天理高校、母校の川越高校、天理大学で野球部コーチと監督、習志野高校でコーチを務めた。
中山 正善(なかやま しょうぜん、1905年(明治38年)4… 中山 正善(なかやま しょうぜん、1905年(明治38年)4月23日 - 1967年(昭和42年)11月14日)は、日本の宗教家。天理教の2代真柱。管長。 天理教の教祖・中山みきの孫で初代真柱である中山眞之亮とその妻の中山たまへの長男として生まれた。三島尋常小学校在学中の1914年(大正3年)12月31日に眞之亮が亡くなり、翌1915年1月21日に10歳9ヶ月で管長に就任した。しかしながら幼少であったため、山澤為造が管長職務摂行者として教務に当たった。 14歳で旧制天理中学校に入学、19歳のときに旧制大阪高等学校に入学、1925年(大正14年)4月、学生の身分ながら正式に天理教管長に就任、この年に後の天理大学となる天理外国語学校を設立し、自ら校長となっている。
久松 真一(ひさまつ しんいち、1889年6月5日 - 19… 久松 真一(ひさまつ しんいち、1889年6月5日 - 1980年2月27日)は、日本の哲学者、仏教学者。旧姓は大野。号は抱石庵。
森田 まりこ は、日本のお笑いタレント、女優。兵庫県丹波篠山… 森田 まりこ は、日本のお笑いタレント、女優。兵庫県丹波篠山市(旧・多紀郡西紀町)出身。吉本新喜劇の座員。夫は同じく吉本新喜劇劇団員の清水啓之。爆乳三姉妹のメンバー。
北森 郁子(きたもり いくこ)は、日本の陸上競技選手。専門は… 北森 郁子(きたもり いくこ)は、日本の陸上競技選手。専門は円盤投。円盤投の元日本記録保持者・元日本学生記録保持者。奈良県出身。奈良県立橿原高等学校、天理大学卒業。