高旗 正人(たかはた まさと、1937年8月14日 - )は… 高旗 正人(たかはた まさと、1937年8月14日 - )は、日本の教育社会学者、岡山大学名誉教授。専攻は教育社会学・教育方法学。 岡山県倉敷市生まれ。1960年岡山大学教育学部卒業。1966年広島大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、広島大学助手、1969年滋賀大学教育学部講師、1970年助教授、1977年教授、1985年岡山大学教育学部教授。1994年「T・パーソンズ規範論の教育社会学的研究 学級秩序の理論的考察」で教育学博士の学位を取得。2004年岡山大を定年退官、名誉教授、中国学園大学教授。2008年退職。2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡… 森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡山県出身の陶芸家。本名は才蔵。両親は、岡山県備前市伊部の備前焼窯元の森秀次とけい。備前焼窯元六姓の流れをくむ。岡山県指定重要無形文化財保持者。 岡山大学教育学部特設美術科卒後、中学の美術教師を3年で退職して陶芸の道に入る。 各種の窯を築いて焼成を重ねた末、小さな窯では「古備前の魅力」の謎解きは出来ないとして、古備前が焼成された中世の大窯焼成計画を立てた。兵庫県相生市内の山中に半地下直炎式登り窯(全長46メートル)を築き、1980年1月8日から53日間窯を焚いて、ひもづくりの大甕(おおがめ)など備前陶器多数を焼成。その直後に岡山県邑久郡牛窓町寒風(現・瀬戸内市牛窓町寒風)に移り、ここに全長53メートルの「寒風大窯」(さぶかぜおおがま)を築き、1986、1990、1994、1999、2005、2011年の計6回、作品を焼いた。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
伊勢﨑 淳(いせざき じゅん、1936年<昭和11年>2月2… 伊勢﨑 淳(いせざき じゅん、1936年<昭和11年>2月20日 - )は、日本の陶芸家。備前焼の人間国宝。 1936年、伊勢崎陽山の次男として、岡山県備前市伊部に生まれる。同じく陶芸家の伊勢﨑満は兄。1959年、岡山大学教育学部特設美術科卒業。 1960年、伊勢﨑満とともに、姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元。1966年、日本工芸会正会員。1978年、岡山大学特設美術科講師に就任。1998年、岡山県重要無形文化財保持者に認定。社団法人日本工芸会理事および日本工芸会中国支部幹事長に就任。2004年9月2日、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。
太田 健一(おおた けんいち、1936年2月15日 - 20… 太田 健一(おおた けんいち、1936年2月15日 - 2016年1月23日)は、日本の歴史学者、山陽学園大学名誉教授。 岡山県邑久郡邑久町(現・瀬戸内市)生まれ。1954年に私立関西高等学校卒業、1958年に岡山大学教育学部卒業。大学時代は谷口澄夫に師事する。関西高等学校教諭、児島第一高等学校教諭、岡山市立工業高等学校教諭、岡山県立岡山東商業高等学校教諭を経て、1989年広島県立広島女子大学助教授、1994年山陽学園大学教授、2006年山陽学園大学特任教授を経て2009年退職。山陽学園大学名誉教授。 公益財団法人竜王会館理事、学校法人山陽学園監事、日本塩業研究会代表・会長、閑谷学校研究委員会委員長、方谷研究会代表などを務めた。
明石 謙(あかし けん、1934年12月21日 - 2005… 明石 謙(あかし けん、1934年12月21日 - 2005年11月5日)は、日本のリハビリテーション科医。運動学および義肢装具学の第一人者。岡山県備前市吉永町生まれ。川崎医科大学リハビリテーション医学教室の初代教授、川崎リハビリテーション学院の学院長、日本リハビリテーション医学会常任理事を歴任した。日本のリハビリテーション医学の創成期を築き上げた医師のひとり。 岡山県立和気閑谷高等学校の学生時代に医師になりたいと希望するようになったが、成績は最上位ではなく、1953年の卒業と同時に岡山大学理学部物理学科へ入学した。英語と物理学、数学の成績が向上したため、1955年4月に同大学医学部医学科に入学することとなった。
武田 弘(たけだ ひろし、1934年(昭和9年)9月12日 … 武田 弘(たけだ ひろし、1934年(昭和9年)9月12日 - 2023年(令和5年)9月11日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学や結晶学を基礎とした、固体地球惑星物質科学。東京大学名誉教授。 太陽系の始原的物質が部分溶融と分化を繰り返し,分化した小惑星や月のような小天体を経て地球に至る「固体惑星物質進化」という新概念を提唱し,それを発展させてきた。なお,鉱物学への寄与により,岡山県高梁市の布賀鉱山から発見された新鉱物が,武田石(Takedaite, Ca3B2O6)と命名されている。また2001年には、小惑星(4965)Takedaにも名前が付けられている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
神立 春樹(かんだつはるき、1934年4月12日 -2025… 神立 春樹(かんだつはるき、1934年4月12日 -2025年2月9日 )は日本の歴史学者。専門は近代日本経済史、近世農村・農書研究。農学博士、博士(学術)、博士(文学)。岡山大学名誉教授。二松学舎名誉舍友。瑞宝中綬章受章。 東京都生れ。父親の仕事により、南洋群島パラオ・アンガウル、朝鮮咸興などの海外を含め一家各地を転々、長野県小諸高等学校入学・二松学舎大学附属高等学校卒、東京教育大学農学部卒業・農学士、東京大学大学院社会科学研究科農業経済学専攻修士課程修了・農学修士、同農学系研究科農業経済学専攻博士課程修了・農学博士。博士学位論文「近代農村工業史の基礎過程」、指導教授東京大学古島敏雄。 大学院在学中1966年白梅学園短期大学講師、助教授の後、1970年岡山大学法文学部助教授、1977年教授、1992年経済学部長・大学院経済学研究科長、1995年大学院博士課程文化科学研究科長、1998年附属図書館長歴任。
赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年)1月… 赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年)1月3日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の洋画家。 岡山県岡山市に生まれる。第2次大戦後、家が戦災で焼け出されたため各地移転。 岡山大学理学部物理学科を卒業後フランスに渡り、長らくパリに在住していた。油彩、水彩、リトグラフによるパリ、フランスの風景を描き続ける。ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。その他フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞受賞等。 また、岡山県の山陽放送に月に1回「パリ通信」、山陽新聞に「フランス日本・遠眼鏡」を寄稿している。 (以来フランスの各種具象美術団体展に出品)
井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2… 井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日)は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 岡山県津山市出身。岡山大学文学部卒。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)、清水一行『小説 兜町』(1966年)、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)などを担当。 1972年に退社し、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)などを担当。
伊勢﨑 満(いせさき みつる、1934年 - 2011年8月… 伊勢﨑 満(いせさき みつる、1934年 - 2011年8月28日)は、日本の陶芸家。日本伝統工芸会正会員。 代表作に、松岡氏立像(6尺)その10数氏の陶像製作など。 岡山県和気郡伊部(現:備前市伊部)で出生する。1934年(昭和9年)、備前焼無形文化財作家・伊勢崎陽山の長男として生まれ、父・陽山にその陶技を習得。1959年(昭和34年)3月 岡山大学特設美術科彫塑専攻。1959年(昭和34年)9月以降 日本伝統工芸展連続入選。1962年(昭和37年)4月 現代日本陶芸展入選。1968年(昭和43年)2月 現代陶芸の新世代展出品。その他、1962年(昭和37年)5月備前焼平安時代の古窯を復元、その焼成に成功。
小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年… 小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士。
伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 20… 伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 2024年5月7日)は、日本の政治家。元沖縄県平良市長(3期)、元宮古島市長(1期)。 1933年、当時、父が教員として赴任していた沖縄県宮古郡多良間村(多良間島)で生まれる。多良間島で4歳まで過ごした後、父の転勤により伊良部町字佐和田(現宮古島市伊良部佐和田)、次いで小学1年生時に平良町(現宮古島市平良)に移り、1941年には台湾に移り住んだ。 岡山大学医学部卒。琉球政府立宮古南静園園長、沖縄県宮古保健所所長、沖縄県立宮古病院院長などを経て、1964年に伊志嶺医院を開業。 1994年に平良市長に初当選。以後、3期にわたって平良市長を務める。
朝森 要(あさもり かなめ、1933年 (昭和8年)- )は… 朝森 要(あさもり かなめ、1933年 (昭和8年)- )は、岡山県の郷土史家。 1933年(昭和8年)岡山県岡山市に生まれる。1957年岡山大学教育学部卒業を経て、1959年関西大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了した。1960年滋賀大学経済短期大学部聴講生となり、滋賀県、岡山県(岡山県立岡山大安寺高等学校・玉野高等学校)の高等学校教諭をつとめる。 その後、関西大学、就実女子大学、吉備国際大学非常勤講師、岡山県史編纂委員会専門委員・高梁市史執筆主幹などを経て、現在は、方谷研究会会長である。主に、備中松山藩や山田方谷の研究で知られる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
富田 富貴雄(とみた ふきお、1933年〈昭和8年〉 - 2… 富田 富貴雄(とみた ふきお、1933年〈昭和8年〉 - 2022年〈令和4年〉6月26日)は、日本の書家、書写・書道教育学者。岡山大学名誉教授、四国大学名誉教授。専門は書写・書道教育、書学書道史。位階勲等は従四位瑞宝小綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
金丸 文一(かなまる ふみかず、1932年8月31日 - 2… 金丸 文一(かなまる ふみかず、1932年8月31日 - 2009年7月13日 )は、日本の化学者。専門は、無機材料化学。博士(理学)。大阪大学名誉教授。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校、大阪大学理学部化学科卒業。同大学大学院理学研究科無機及び物理化学専攻修士課程修了。 1963年(昭和38年)「アルカリ土フェライトの結晶化学的研究」で、大阪大学より理学博士の学位を修得。 大阪大学産業科学研究所では、当時超高圧力(~5GPa)技術の材料科学への応用が始まった時期で、超高圧発生装置を利用して、2GPa、1000℃までの高酸素圧下での物質合成(高原子価化合物など)にも新しい遷移金属酸化物の合成、物性評価を行うことに成功する。
松永 昌三(まつなが しょうぞう、1932年8月29日- )… 松永 昌三(まつなが しょうぞう、1932年8月29日- )は、日本の歴史学者。専門は日本近代思想史。茨城大学名誉教授・岡山大学名誉教授。 1932年、三重県津市に大吞稔一・大呑イネ子の三男として生まれる。1951年3月、山口県立山口高等学校を卒業。同年4月に山口大学文理学部文学科に入学するも、9月に中退し、翌1952年4月に東京教育大学文学部史学科日本史専攻に入学する。1956年3月、同大学を卒業。 卒業後は、1956年より山口市立鴻南中学校教諭、宮野中学校教諭、宇部市立神原中学校教諭として勤務。1960年3月に神原中学校教諭を退職し、4月より母校の東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程に入学し、和歌森太郎、桜井徳太郎、家永三郎らに師事した。
森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本… 森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(1期)。 岡山県岡山市出身。1961年岡山大学教育学部卒。中学教諭を務め、その後、岡山県教職員組合副委員長や日本社会党岡山県副委員長などを歴任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙で岡山選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。1998年の第18回参議院議員通常選挙では比例区に社会民主党から立候補したが落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大山 武俊(おおやま たけとし、1932年4月8日 - 20… 大山 武俊(おおやま たけとし、1932年4月8日 - 2018年2月13日)は、カベナント教会系の日本の牧師。 岡山県倉敷市に生まれる。カベナント教会系の瑞典聖約基督教会でキリスト教に入信する。1955年(昭和30年)に岡山大学法文学部法学科を卒業。大学卒業後渡米して、米国シカゴのノースパーク神学校(North Park Theological Seminary)で学び1959年(昭和34年)に卒業。 帰国後、瑞典聖約基督教会の倉敷呼松聖約教会牧師、岡山聖約教会牧師の牧師を務め、1964年(昭和39年)日本聖約キリスト教団が創立されると、代表役員に就任した。 1966年(昭和41年)より日本聖契キリスト教団に移り、藤沢湘南台聖契教会協力牧師をしながら、聖契神学校でヘブル語の教授に就任する。
藤井 学(藤井 學、ふじい まなぶ、1932年3月11日 -… 藤井 学(藤井 學、ふじい まなぶ、1932年3月11日 - 2003年12月5日)は、日本史学者。 岡山県出身。岡山大学教授だった藤井駿の長男。岡山大学法文学部史学科卒、京都大学大学院博士課程満期退学。京都府立大学助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月1… 吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、日本の検察官(第18代検事総長)。弁護士。岡山市生まれ。位階は正三位。 日通事件、ロッキード事件など数多くの事件を東京地検特捜部で手がけ、俗にいう“現場派”として検事総長を歴任。2004年(平成16年)4月29日、瑞宝大綬章受章。 ロッキード事件の際、吉永副部長は新聞記者に対して「黙れ」「とにかく今後P3Cと書くことはならん」と言い、違反したら地検の会見には出させないと脅した。翌日からP3Cが紙面からきれいさっぱり消えたという。また、実質的な司法取引による刑事免責を与えられたロッキード社幹部のアーチボルド・コーチャンの証言について、吉永副部長は「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と新聞記者に言ったという。
稲田 和子(いなだ かずこ、1932年- )は、民話研究者、… 稲田 和子(いなだ かずこ、1932年- )は、民話研究者、山陽学園短期大学名誉教授。岡山県生まれ。岡山大学法文学部卒業。山陽学園短期大学助教授、教授、2003年定年退任、名誉教授。1955年ころより昔話の採集・研究を始める。夫は稲田浩二、娘は絵本作家の稲田奈穂。
江口 三角(えぐち さんかく、1932年 - )は、日本の法… 江口 三角(えぐち さんかく、1932年 - )は、日本の法学者。専門は刑事法。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日… 天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日本の小説家、文芸・SF評論家。日本の著名な同人作家。 本名、渡辺晋(わたなべ すすむ)。 広島県呉市に生まれる。旧制呉一中(現広島県立呉三津田高等学校)2年生のとき、学徒動員先の呉海軍工廠から自宅に戻って就寝中に被爆。 1961年3月、岡山大学大学院医学研究科内科学課程修了。医師。医学博士。本名でのSFファン活動も行い、SF同人誌「宇宙塵」では初期からの同人。また自身でも同人誌「イマジニア」を主宰していた。「SFマガジン」にコラムを連載したこともある。1969年8月には「日本SFファンダム賞」受賞。 2004年5月、広島ペンクラブ副会長。
榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 202… 榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 2025年3月25日)は、日本の外科医。順天堂大学名誉教授。専攻は消化器外科学。 岡山県岡山市生まれ。父は榊原亨、榊原仟は叔父。1956年岡山大学医学部卒、1961年同大学院博士課程修了、医学博士。岡山大学附属病院医師、1966年東京女子医科大学助教授、1974年教授、同第二病院長、1987年順天堂大学教授(外科学第一)、岡山市病院事業管理者を経て、順天堂大学名誉教授、社会医療法人社団十全会名誉理事長。 2002年日本医師会最高優功賞、2008年山陽新聞賞受賞、2011年春、瑞宝小綬章受勲。 2025年3月25日、老衰のため死去した。93歳没。
奥山 雄材(おくやま ゆうさい、1931年8月31日 - 2… 奥山 雄材(おくやま ゆうさい、1931年8月31日 - 2026年1月11日[要出典])は日本の郵政官僚。郵政事務次官を経て、稲盛和夫とともにKDDIの設立に尽力し、同社初代代表取締役社長、電気通信事業者協会会長、簡易保険福祉事業団理事長等を歴任した。 岡山県出身。岡山県立西大寺高等学校を経て、1954年、岡山大学法文学部法学科を2期生として卒業。小長啓一元通商産業事務次官は大学時代の友人。旧郵政省(現:総務省)でNTT民営化にあたるなどし、郵政省通信政策局長などを経て、1988年、郵政事務次官。1993年、第二電電(現:KDDI)社長に就任。NTTドコモやNTTコミュニケーションズに対抗するため、稲盛和夫会長とともに、国際電信電話、日本移動通信の親会社であるトヨタ自動車の奥田碩会長などと面談をし、第二電電を存続会社にした合併によりKDDIの設立を行い、同社初代社長に就任した。
定金恒次(さだかね つねじ、1931年1月29日- 2018… 定金恒次(さだかね つねじ、1931年1月29日- 2018年11月19日)は、国語教育者・日本近代文学研究者。 岡山県浅口郡鴨方町(現・浅口市)生まれ。1953年岡山大学教育学部卒業。小・中・高校教諭、中国・黒竜江省ハルビン市の黒龍江大学講師などをへて、倉敷市立短期大学教授。96年退職。その後岡山大学教育学部、くらしき作陽大学、倉敷看護専門学校等を兼務したのち、就実大学、倉敷芸術科学大学、福島リハビリテーション学院、岡山県立鴨方高等学校非常勤講師を務めた。 1967年実践国語賞、1968年山陽放送教育文化賞、1970年学校図書館功労賞、72年学校図書館賞、77年日本職業指導協会会長賞、2001年聖良寛文学賞受賞。
武智 秀夫(たけち ひでお、1930年12月24日 - 20… 武智 秀夫(たけち ひでお、1930年12月24日 - 2017年4月23日)は、日本の整形外科医・医学史家。愛媛県生まれ。1954年岡山医科大学医学部卒。1959年岡山大学大学院医学研究科博士課程修了、「腱の電子顕微鏡的研究」で医学博士。岡山大学医学部講師、助教授、1987年吉備高原医療リハビリテーションセンター院長。
小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )… 小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )は、日本の官僚、弁護士。 元通商産業事務次官。AOCホールディングス会長、同台経済懇話会代表幹事、経済産業調査会会長、東急元取締役。 岡山県備前市生まれ。陸軍幼年学校を経て、旧制岡山県西大寺中学校(現・岡山県立西大寺高等学校)、旧制第六高等学校から新制岡山大学法文学部に進み、1953年に卒業。同期には吉永祐介(検事総長)、1年後輩に奥山雄材(郵政事務次官)がいた。 猛勉強の末に在学中に国家公務員上級職(法律職)試験と旧司法試験に合格していたが、「先の戦争は、日本が石油を押さえられて軍部が突っ走ったために起きた。今後、資源のない日本が世界で生き残っていくためには貿易立国しかない」という思いから、1953年通商産業省に入省した。
室井力(むろい つとむ、1930年11月1日 - 2006年… 室井力(むろい つとむ、1930年11月1日 - 2006年6月8日)は、日本の法学者。名古屋大学名誉教授。専攻は行政法。住民のための地方行政改革を唱え、情報公開条例のモデルを提示した。 岡山県出身。岡山大学法文学部卒業。1962年京都大学大学院法学研究科博士課程修了。同年、法学博士(論文博士・京都大学)取得。68年名古屋大学法学部教授。93年定年退官、名誉教授、名古屋経済大学教授。2001年退職。
柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017… 柴田 一(しばた はじめ、1930年7月11日 - 2017年9月18日)は、日本地方史学者、就実大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。岡山大学教育学部社会科卒業。その後岡山県職員の教員となり岡山県立林野高等学校、岡山県立倉敷天城高等学校、岡山県立倉敷青陵高等学校、岡山市立商業高等学校教員、岡山県教育庁文化課主幹、岡山県立博物館主任学芸員を経て退職後、兵庫教育大学教授、1996年定年退任、就実大学教授、就実大学・就実短期大学学長、名誉教授。1993年「近世大名領国経営の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。宇喜多史談会会長、岡山歴史研究会顧問を務める。 2017年9月18日、肺炎のため死去、87歳。
奥村 宏(おくむら ひろし、1930年5月19日 - 201… 奥村 宏(おくむら ひろし、1930年5月19日 - 2017年8月11日)は、日本の経済学者。 「会社学」を提唱し、企業の株式持ち合いを批判した。 岡山県出身。旧制第六高等学校入学、在学中学制改革により1953年岡山大学法文学部卒(同級生に元検事総長吉永祐介、元通産事務次官小長啓一がいる)。 産経新聞記者、日本証券経済研究所主任研究員勤務を経て、1980年「法人資本主義の構造 日本の株式所有」で大阪市立大学商学博士。 1984年龍谷大学教授、1994年中央大学商学部金融学科教授、2001年定年退任。 日本の産業構造・財閥・企業グループ研究において、大企業の株式所有構造に焦点をあて、企業系列化の形成に伴う、企業間における株式の相互持合を分析し、法人による株式所有に日本型株式会社の特色を、法人資本主義と名づけた。
粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日… 粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の内科医師、開業医。 岡山県津山市田町72番地に出生した[要出典]。粟井家は、美作菅氏の一つであった。 旧制岡山津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)、旧制成城高等学校を経て、旧制岡山医科大学を1954年(昭和29年)に卒業した。卒業後、内科医を志して、岡山大学第二内科に入局し、血液学の研究に従事した。[要出典]学位論文は、特発性栓球減少性紫斑病(現在は特発性血小板減少性紫斑病,指定難病63)の研究で、その過程で、巨核球から血小板が分離して生成されることを発見した。[要出典]1999年刊行の内科学の教科書には、血小板の生成メカニズムとして記載されている。
佐藤 巌(さとう いわお、1930年(昭和5年)2月9日 -… 佐藤 巌(さとう いわお、1930年(昭和5年)2月9日 - 2014年(平成26年)1月25日 )は、日本のフランス文学者であり教育者である。岡山大学名誉教授。岡山県高梁市出身。 1930年(昭和5年)岡山県高梁市に生まれる。1947年(昭和22年)に地元の旧制高梁中学校(現在の岡山県立高梁高校)を4年で卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に第六高等学校文科へ進学した。卒業を経て、1950年(昭和25年)東京大学へ入学した。東大では文学部フランス文学科に進学し、研究テーマは、ポール・エリュアール であった。1953年(昭和28年)同大学を卒業(旧制大学3年制最後の卒業者)した。
毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 20… 毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 2017年10月26日)は、日本の小児科医。子供・障害児に関する著書を多数刊行している。 千葉県生まれ。父は内科医。名前の由来は詩経の中の「霊台」の箇所に出てくる成語である。帝が民の楽しみのために霊台の建設を企てて呼びかけたところ、女子どもまでもがやってきたというくだりから取られたもので、「子どももやって来る」の意。大抵、「子来」を「たねき」と読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称していた。父親は第二次世界大戦の終了3日前に戦場で拳銃自決した。戦時中、岡山県の母方の祖父母に預けられるが、祖父は病死し、祖母も重症の火傷を負っていた。苦学して、岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業。
石井 稔(いしい みのる、1929年6月21日 - 2021… 石井 稔(いしい みのる、1929年6月21日 - 2021年7月23日)は、日本の経営者。山陽放送社長を務めた。 岡山県出身。1953年に岡山大学教育学部を卒業し、同年4月に山陽放送に入社した。1975年5月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1990年6月にを経て、1996年1月に社長に就任。2002年6月に相談役に就任。 2003年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2021年7月23日、死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 20… 好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 2010年9月23日 )は日本の歴史学者、社会運動家。専門は中国古代史。 京都府京都市生まれ。高校時代、平和運動に目覚める。1947年、岡山大学法文学部文学科1期生入学。1948年日本共産党入党。開学期の岡山大学学生運動を指導する。 岡山大学卒業後は広島大学大学院文化研究科を経て岡山大学文学部教官となる。 1961年、春日庄次郎らとともに日本共産党を批判、除名される。社会主義革新運動創設に参加し、その後共産主義労働者党に参加。 1969年、岡山大学闘争に際しては入試拒否27教官に名前を連ねる。 1973年、岡山大学教養部教官坂本守信の解雇処分に反対する教養部バリケード封鎖では学生らとともに教養部構内に立てこもる。
テツマロ・ハヤシ(Tetsumaro Hayashi, 19… テツマロ・ハヤシ(Tetsumaro Hayashi, 1929年3月22日 - )は、日本出身で米国に帰化したアメリカ文学研究者。 香川県坂出出身。出生名は林徹麿(はやし てつまろ)。1953年岡山大学文学部英文科卒業。1953年から1954年岡山にあるミシガン大学日本研究所助手、1954年渡米、ウィルミントン大学英文科に学ぶ。1957年フロリダ大学大学院英文科修士課程修了、1959年ケント州立大学大学院図書館学科修士課程修了、1959年ミズーリ州カルバー・ストックトン大学講師・図書館副館長。ケント州立大学で文学博士号を取得。1969年米国帰化。ボール州立大学英文科教授を務め、退任後同名誉教授。
吉井 直昭(よしい なおあき、1928年9月28日 - )は… 吉井 直昭(よしい なおあき、1928年9月28日 - )は、日本の裁判官、公証人、弁護士。最高裁判所上席調査官や、東京高等裁判所部総括判事を経て、退官後、日本公証人連合会会長などを務めた。 福岡県立高等学校修猷館を経て、岡山大学法文学部在学中の1952年に旧司法試験合格。1953年に大学卒業後、司法修習を経て、1955年裁判官任官。京都地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局総務局付、旭川地方裁判所判事、最高裁判所調査官、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官等を経て、1986年宇都宮家庭裁判所所長。1987年神戸家庭裁判所所長。1989年東京高等裁判所部総括判事。1990年日本橋公証役場公証人。
伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – … 伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – 1998年11月22日)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。 兵庫県神崎郡香寺町(現姫路市)出身。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。 もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学者伊谷純一郎に『高崎山のサル』を書かせてヒットを飛ばす。 1959年、カッパ・ノベルス創刊編集長に昇進。以後、カッパ・ブックスの編集長を兼任。ノベルスからは松本清張の社会派推理小説を続けて刊行(なお、この「社会派推理小説」という言葉を考えたのも伊賀だという説もある)。
大桐 國光(おおぎり くにみつ、1927年(昭和2年)11月… 大桐 國光(おおぎり くにみつ、1927年(昭和2年)11月25日- 2008年(平成20年)4月28日)は、日本の芸術家である。代表彫刻「夏」が参議院議長公舎へ飾られている。兵庫県姫路市出身。 1927年(昭和2年)兵庫県姫路市に生れる。幼い頃、一家で岡山県新見市へ移住する。その後、第二次世界大戦中に徴兵され従軍する。終戦後、岡山県立高梁高等学校へ編入する。ここで高校の美術教師の影響から芸術に目覚める。1951年(昭和26年)高梁高校を卒業後、約2年間働きながら進級するための学費を貯めた。 そして1953年(昭和28年)大桐に転機が訪れる。この年新たに岡山大学教育学部特設美術科が創設され、地元の大学である岡山大学特設美術科1期生として入学する。
藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8… 藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8日 - 2019年(令和元年)10月17日)は、日本の教育者。 岡山県川上郡川上町(現在の高梁市)生まれ。岡山師範学校(現岡山大学教育学部)卒業後、公立学校教職(小学校教諭、中学校教諭)に就く。その後、岡山県教育委員会教育次長として、長年にわたり、県の教育行政に携わる。社会福祉法人旭川荘江草安彦理事長を補佐し、旭川荘の理事、顧問として、医療福祉事業に携わる。旭川荘関連施設「老人保健施設ひだまり苑」役員等。 趣味は、散歩、読書、囲碁(関西棋院3段)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月1… 江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月10日 - 2015年(平成27年)3月13日)は日本の医師、社会福祉事業者、教育者。学位は医学博士。岡山県名誉県民。 岡山県笠岡市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校卒業後、岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)に進学し、勤務医を経て総合医療福祉施設・社会福祉法人旭川荘の創設に参加、旭川荘の第2代理事長(後に名誉理事長)となった。また日本で最初の医療福祉と健康科学を統合した大学である川崎医療福祉大学の初代学長を務めた他、国の福祉審議会委員も歴任した。2015年3月13日、心不全のため死去。88歳没。叙従四位。 岡山大学病院スペシャルニーズ歯科センター教授の江草正彦は次男。
石田 善人(いしだ よしひと、1926年5月25日 - 19… 石田 善人(いしだ よしひと、1926年5月25日 - 1996年12月4日)は、日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は日本中世史。 神戸市生まれ。県立明石中学校(現:兵庫県立明石高等学校)、東京高等師範学校、1952年京都大学文学部卒業。卒業論文は、「畿内の一向一揆に関する一考察」。 1961年神戸大学教育学部講師、1962年同助教授を経て、1970年に岡山大学教養部教授。1992年に定年退官し、神戸女子大学教授。1992年、岡山大学名誉教授。1993年、文化庁地域文化功労者表彰。1996年、兵庫県文化賞受賞。逝去にあたり、正四位・勲三等旭日中綬章を贈られた。 日本中世における惣村の研究を大きく進めた。
三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 198… 三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 1987年8月13日)は、香川県丸亀市出身の解剖学者、発生学者である。 丸亀中学から六高を経て、九州帝国大学工学部航空工学科が廃科となり、東京大学医学部と進み、東大助手を経て、東京医科歯科大学助教授、東京芸術大学教授。また、弟子の河野邦雄筑波大学教授の招きで、筑波大学開学以来非常勤講師も務めた。 1963年「オオサンショウウオに於ける脾臓と胃の血管とくに二次静脈との発生学的関係について」で東大医学博士。 1987年、脳出血のため死去。享年63(61歳没)。 生前に出版された本は二冊(『胎児の世界』中公新書、『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館)にすぎないが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家・自然哲学者として注目されている。
竹田 喜之助(たけだ きのすけ、大正12年(1923年)6月… 竹田 喜之助(たけだ きのすけ、大正12年(1923年)6月27日 - 昭和54年(1979年)9月5日)は、日本の人形師。本名は岡本 隆郎(おかもと たかお)。 1923年(大正12年)、岡山県邑久郡邑久町豊安(現・瀬戸内市邑久町)に生まれる。岡本家は呉服商の大店であり、隆郎は長男だった。邑久村尋常小学校(現・瀬戸内市立邑久小学校)、岡山第一中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)を卒業後、旧制第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1943年(昭和18年)に東京帝国大学工学部航空工学科に入学。1950年(昭和25年)に東京大学第二工学部航空工学科を卒業。卒業と同時に人形芝居の結城孫太郎一座に弟子入りし、隆郎は結城糸城三(しきぞう)を名乗った。
山内 逸郎(やまのうち いつろう、1923年5月6日 - 1… 山内 逸郎(やまのうち いつろう、1923年5月6日 - 1993年6月8日)は、日本の医師。 岡山県岡山市出身。1947年岡山医科大学卒、1955年医学博士(岡山大学)。1952年国立岡山病院小児科医長。1955-1957年米国ニューヨーク州立大学生理学教室に学ぶ。1975年全国に先駆けて小児医療センターを設立、新生児の救急医療体制を整備。小児医療センター長、副院長を経て、1982年院長となる。1979年未熟児網膜症の診療を容易にした「経皮黄疸計」を開発。また母乳運動をすすめ、1986年には全国初の乳房センターを開設した。1976年の鹿児島の5つ子誕生の際には現地で医師団を指導した。1989年退官。
津下 健哉(つげ けんや、1921年11月25日 - 201… 津下 健哉(つげ けんや、1921年11月25日 - 2016年5月1日)は、日本の医学者(整形外科)。学位は医学博士。広島大学医学部名誉教授。 岡山大学医学部助教授、広島大学医学部教授、広島手の外科・微小外科研究所所長などを歴任した。 岡山県出身。岡山県にて多くの医師を輩出した津下一族の生まれである。 津下も医学の道を志し、岡山医科大学を卒業した。その後、岡山医科大学が岡山大学医学部に改組されると、同学部にて助教授に就任し、整形外科を専門に担当する。のちに広島大学に転じ、医学部の教授を務めた。 退官後は、あかね会が設立した広島手の外科・微小外科研究所にて所長に就任した。 1949年、岡山大学医学博士。
槙枝 元文(まきえだ もとふみ、1921年3月4日 - 20… 槙枝 元文(まきえだ もとふみ、1921年3月4日 - 2010年12月4日)は、日本の教育者、労働運動家。日本教職員組合委員長、日本労働組合総評議会(総評)議長を務めた。計30年に渡って日教組の中央役員を務めて大きな影響力を持ったことからミスター日教組とも呼ばれた。子息の槙枝一臣は弁護士。 岡山県生まれ。1940年に岡山県立青年学校教員養成所(現・岡山大学教育学部)卒業し、都窪郡の早島青年学校に教師として赴任。1942年から終戦まで召集され、最終経歴は陸軍憲兵中尉。終戦後1946年同校に帰任し、翌年の新学制に伴い中学校の教師に。計5年、教壇に立った。地元の組合づくりに携わり、都窪郡教組の青年部長に就任や岡山県教組の役員を務める。
逸見 吉之助(へんみ きちのすけ、1919年6月28日 - … 逸見 吉之助(へんみ きちのすけ、1919年6月28日 - 1997年11月11日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学。岡山大学名誉教授。理学博士。 岡山市生まれ。岡山一中、第六高等学校を経て、1941年東京大学理学部地質学科を卒業。満州国大陸科学院高等官試補、岡山県立岡山操山高等学校教諭を経て、1951年、岡山大学理学部講師に着任。1952年助教授。教授、理学部長を経て1984年に退官し以後、名誉教授。 戦後、岡山県倉敷市の三吉鉱山の金属鉱床から日本で初めて砒銅ウラン石を発見した。さらに、広島県庄原市東城町久代および岡山県高梁市備中町布賀の高温型スカルンを発見し、高温型スカルンの成因の解明のみならず、多数の世界新鉱物の発見した。