宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、… 宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、日本の教育学者、佛教大学名誉教授。 広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学、1968年「フランス大学入学資格試験制度史研究」で広大教育学博士。皇學館女子短期大学講師、美作女子大学助教授、佛教大学文学部助教授、教授、1995-97年教育学部長を兼任。
広島大学:231人
宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、… 宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、日本の教育学者、佛教大学名誉教授。 広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学、1968年「フランス大学入学資格試験制度史研究」で広大教育学博士。皇學館女子短期大学講師、美作女子大学助教授、佛教大学文学部助教授、教授、1995-97年教育学部長を兼任。
秋山 和夫(あきやま かずお、1929年〈昭和4年〉8月26… 秋山 和夫(あきやま かずお、1929年〈昭和4年〉8月26日 - 2000年〈平成12年〉9月14日)は、日本の教育学者。岡山大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1952年広島文理科大学教育学科卒、岡山大学教育学部助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、山陽学園大学学長。 2000年9月14日、胃癌のため死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2… 高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2003年5月18日)は、日本の教育学者(教育心理学)・歌人。静岡県立大学名誉教授。 池田市教育研究所所員、兵庫県立湊川高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、水甕選者、水甕運営委員長などを歴任した。 1929年4月14日、兵庫県神戸市にて生まれた。その後、広島文理科大学に進学し、教育学科にて学んだ。なお、広島文理科大学は、国立学校設置法により広島大学に包括されることが決まったことから、大学名を広島大学広島文理科大学と改称したうえで、在学生の卒業後に廃止されることになった。1953年、広島文理科大学を卒業した。1953年をもって広島文理科大学としての学生は全員卒業したため、広島大学広島文理科大学は研究科などの残務整理のうえ1962年に廃止された。
大野 平吉(おおの へいきち、1929年3月1日- )は、日… 大野 平吉(おおの へいきち、1929年3月1日- )は、日本の法学者、広島大学・専修大学名誉教授。
山根巴(やまね ともえ、1928年10月7日- )は、日本… 山根巴(やまね ともえ、1928年10月7日- )は、日本の日本近代文学研究者、相模女子大学名誉教授。 広島県比婆郡西条町(現東広島市)出身。1954年広島大学文学部国文科卒、1959年同大学院博士課程満期退学。相模女子大学助教授、教授。99年定年、名誉教授。長塚節、中村憲吉など近代の歌人について研究した。
河合 伊六(かわい いろく、1928年3月13日 - 200… 河合 伊六(かわい いろく、1928年3月13日 - 2007年10月4日)は日本の臨床心理学者。学校心理士。学位は、文学博士(広島大学・1976年)(学位論文「知覚・運動学習過程における個人差の類別 」)。広島大学名誉教授。専門は教育臨床心理学。大分県生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史… 吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史学者、広島大学名誉教授、福山大学名誉学長。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校、広島高等師範学校を経て、 広島文理科大学(現・広島大学)史学科を卒業した。 文部省資料館勤務、開成高等学校教諭を経て、東京女子体育大学で助教授となる。その後相模女子大学助教授に移り、愛知教育大学助教授、教授を経て、広島大学教授に就任した。 この間、1971年に「近世専売制度の研究」で広島大学より文学博士号を取得した。 1991年に定年退官して、広島大学名誉教授となる。退官後は福山大学学長を務め、退任後に名誉学長となる。
村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年… 村田 昇(むらた のぼる、1926年5月5日 - 2017年3月28日)は、日本の教育学者、滋賀大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1951年広島文理科大学教育学科卒。「シュプランガー政治教育思想の研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。滋賀大学学芸学部講師、助教授、教育学部教授。1990年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授。滋賀オペラ協会会長、大津管弦楽団指揮者。
茶園 義男(ちゃえん よしお、1925年7月28日 - 20… 茶園 義男(ちゃえん よしお、1925年7月28日 - 2010年代)は、日本の歴史家、昭和史研究家。 徳島県美馬郡(のち三好郡を経て三好市)西祖谷山村出身。広島文理科大学哲学科卒。同大学院倫理学研究科四修。阿南工業高等専門学校教授。パシフィック・ウエスタン大学名誉教授、文学博士(未確認)。平成昭和研究所を主宰、戦争犯罪を研究。1994年、TBSテレビ「わたしは貝になりたい」の考証主幹。 没年は不詳だが、阿南市の広報誌で2010年3月にインタビューを受けた時点では84歳で存命だった。その後、徳島新聞の2015年10月25日付記事では「戦犯問題の著名な研究者だった故茶園義男さん」と記述されており、この間に死去したことが知られる。
稲田 浩二(いなだ こうじ、1925年6月7日 - 2008… 稲田 浩二(いなだ こうじ、1925年6月7日 - 2008年4月3日)は、日本の国文学・民俗学者、京都女子大学名誉教授。 岡山県出身。広島文理科大学文学部卒業。親和女子大学助教授、京都女子大学助教授、教授、1991年定年、名誉教授、梅花女子大学教授。昔話の調査、採集に携わり40数年、6万話にのぼる話を収集、『日本昔話通観』全31巻としてまとめられた。妻は絵本作家の稲田和子。 2008年4月3日、肺炎のため死去。
河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011… 河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011年6月5日)は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 鳥取県八頭郡智頭町出身。1951年広島文理科大学哲学科卒業、同助手。1962年「シェリングにおける現実的世界の実践的構造」で広島大学文学博士。1965年広島大助教授、1974年教授、文学部長、1988年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授、1989年副学長、1990年学長。2004年退任。同年秋、瑞宝中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
兼頭 吉市(かねとう よしいち、1925年(大正14年) -… 兼頭 吉市(かねとう よしいち、1925年(大正14年) - )は、日本の裁判所調査官、青森大学名誉教授。愛媛県生まれ。広島文理科大学卒業。東京家庭裁判所主任調査官(科学調査室長)、山形家庭裁判所・横浜家庭裁判所次席調査官、富山家庭裁判所首席調査官、青森大学社会学部教授。1996年定年、名誉教授。交通事故、少年非行などについて著述がある。
沖原 豊(おきはら ゆたか、1924年9月1日 - 2004… 沖原 豊(おきはら ゆたか、1924年9月1日 - 2004年8月16日)は、日本の教育学者。 ハワイ生まれ、山口県出身。1939年山口師範学校入学、1944年熊本陸軍予備士官学校に入学。天草で敗戦を迎え、1951年広島文理科大学教育学科卒。1968年「日本国憲法の教育規定に関する研究」で広島大学より教育学博士の学位を取得。1953年広島大学教育学部助手、講師、1961年助教授、1972年教授、1984年教育学部長、85年学長。名誉教授。1972年総理府青年の船団長を務めた。1981年日本ユネスコ国内委員。広島文理大での学生時代に長田新による『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』の編集に協力した。
添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日… 添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日 - )は日本の工学者。徳島大学名誉教授。広島文理科大学数学学科数学専攻卒業。 1949年に広島文理科大学数学学科数学専攻を卒業。1962年に京都大学で工学博士を授与。1978年に徳島大学工学部長に就任。1982年から1988年まで徳島大学学長・徳島大学工業短期大学部学長を務めた。 1986年から1990年まで日本学術会議会員、1988年から2000年まで徳島文理大学学長を歴任。2002年から徳島工業短期大学学監に就任、2006年から2011年まで倉敷芸術科学大学学長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 199… 吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 1996年3月29日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。教育学博士。 広島県比婆郡東城町(現・庄原市)生まれ。1952年(旧制)広島文理科大学教育学科(現・広島大学)を卒業。1956年広島大学教育学部に着任。そのころ、ペスタロッチ研究者長田新のもとでペスタロッチ全集の編集翻訳作業に携わる。日本における教育方法学の確立に貢献したといわれる。1987年に広島大学を退官。その後は、神戸女子大学教授となった。 1996年3月29日、脳梗塞のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横山 英(よこやま すぐる、1924年(大正13年) - 2… 横山 英(よこやま すぐる、1924年(大正13年) - 2006年(平成18年)1月6日)は、中国史学者。兵庫県生まれ。広島文理科大学卒業、1957 - 58年ハーヴァード大学東洋研究所外来研究員。1975年「中国初期立憲思想の研究」で名古屋大学法学博士、広島大学文学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。
本郷 次雄(ほんごう つぐお、1923年11月1日 - 20… 本郷 次雄(ほんごう つぐお、1923年11月1日 - 2007年4月2日)は、日本の菌類学者。滋賀大学名誉教授。理学博士(京都大学)。専門は菌類分類学。 滋賀県出身。1946年、広島文理科大学生物学科卒業。大学では、堀川芳雄の指導を受ける。 1951年、滋賀大学学芸学部助手。講師、助教授を経て、1968年、滋賀大学教育学部教授。1989年、名誉教授。この間、滋賀大学教育学部附属小学校長や同附属幼稚園長事務取扱併任。元日本菌学会会長(1987年~1989年)。アメリカ菌学会名誉会員。 ハラタケ目を中心に、日本の多くのキノコを分類し学名をつけた。その功績により、2003年に第13回南方熊楠賞(自然科学の部)を受賞した。
長井 和雄(ながい かずお、1923年 - 2008年)は、… 長井 和雄(ながい かずお、1923年 - 2008年)は、日本の教育学者、東京学芸大学名誉教授。 奉天生まれ。第六高等学校、1947年広島文理科大学卒業。高校はドイツ語科であったため、英語よりもドイツ語に堪能だった。したがって、ドイツの思想家・教育学者を研究対象にしていた。1964年「エドゥアルト・シュプランガーの教育思想体系」で広島大学教育学博士。神奈川大学助教授、教授、1970年東京学芸大学教授、1987年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授。1992年退職。1992年~94年帝京大学文学部教育学科教授。
岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 201… 岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 2014年12月26日)は、古典中国文学者、九州大学名誉教授。 滋賀県甲賀郡甲賀町生まれ。1947年広島文理科大学文学科卒、同副手、助手、広島大学文学部助手、兵庫県立星陵高等学校教諭、1959年名古屋大学文学部助手、1962年「後漢三国の評論に関する研究 とくに人物評論を中心として」で名大文学博士。 1964年東北大学教養部助教授、1966年九州大学文学部助教授、1968年教授、1972-1974年文学部長、1977-1980年附属図書館長、1986年定年退官、名誉教授、久留米大学文学部教授、1992年文学部長。1997年、勲二等瑞宝章受章。
上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 -… 上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 - 2011年5月21日)は、日本の農芸化学者。九州大学名誉教授。専門は発酵工学、醸造工学。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、広島高等工業学校を経て、1945年九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する。 1945年九州帝国大学副手、1947年九州大学助手、1959年助教授を経て、1967年教授に就任する。1958年農学博士の学位を得る。 1985年九州大学を退官し名誉教授となり、同年熊本工業大学教授に就任する。 1986年紫綬褒章、1992年勲三等旭日中綬章を受章。
永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 20… 永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 2012年10月26日)は、日本の比較教育学者、社会科教員。 大阪市生まれ。広島高等師範学校、学徒動員をへて1945年広島文理科大学卒、広島大学附属中学校・高等学校教諭、広島大学教育学部助教授、84年「国際理解教育に関する研究 国際的協同研究をとおして」で広島大学より教育学博士の学位を取得。定年退官、名誉教授、鳴門教育大学教授。
新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 20… 新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 2014年3月24日)は、日本の教育学者・社会学者。学位は、文学博士(広島大学・1961年)。広島大学名誉教授、武庫川女子大学名誉教授。 神戸市出身。第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)・広島高等師範学校を経て、1942年10月広島文理科大学に入学。卒業直前の1945年8月6日に広島市への原子爆弾投下により被爆。同年9月広島文理科大学教育学科を卒業。稲富栄次郎に師事。卒業の翌日、広島女子高等師範学校教諭に就任、翌年広島高師助教授に転任。1951年、広島大学教育学部助教授に配置換えとなり、1971年同教授。1968年からは広島大学助教授併任のまま文部省社会教育官として3年間つとめ、広島大学では教育学部長・大学教育研究センター長などの役職を歴任。
上寺 久雄(かみでら ひさお、1920年11月21日 - 2… 上寺 久雄(かみでら ひさお、1920年11月21日 - 2018年5月19日)は、日本の教育学者。兵庫教育大学名誉教授。本籍は広島市。 広島大学大学院博士課程。1964年「デューイ教育哲学の根本問題 質的経験の形成理論」で広島大教育学博士。小学校、中学校、高等学校教諭ののち、大阪市教育研究所所長、大阪教育大学教授、1984年定年、兵庫教育大学学長、1992年退任。文部省「高等学校教育の改革の推進に関する会議」座長。聖徳学園岐阜教育大学学長。1999年、岐阜県公文書公開審査会長として、いじめに関する公文書非公開を妥当と判断した。1997年、勲二等瑞宝章受章。没後従七位から従四位に進階。
野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 201… 野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 2016年5月15日)は、日本の国語教育学者、広島大学名誉教授。愛媛県大洲市出身。
越智 春美(おち はるみ、1920年4月11日 - 2001… 越智 春美(おち はるみ、1920年4月11日 - 2001年5月2日)は、日本の蘚苔類学者。ハリガネゴケ科の分類学的研究を行った。 北海道枝幸郡頓別村(現、浜頓別町)に生まれた。北海道旭川師範学校で学んだ。北海道時代に植物採集を行い、1100枚の標本を作った。1939年に広島高等師範学校に進み、1943年に広島文理科大学(広島大学の前身)生物学科に入学した。卒業研究では、戦時下の研究で、ヌルデに、ヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)がに寄生してできる、虫こぶ(虫癭)をタンニンの増産のために増やす研究を行い、この研究でアブラムシの生態とコケの関係からコケの研究に入ることになった。
頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月2… 頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月21日 - 2024年4月7日)は、日本の化学工学者である。広島大学名誉教授。 広島大学学長、広島県立大学学長、比治山大学学長、日本伝熱学会副会長などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 広島県生まれ。1937年広島県立広島第一中学校(のちの広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1941年広島高等工業学校(のちの広島大学工学部)機械工学科卒業。 1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学工学科卒業。東京工業大学の研究助手などを経て、1951年文部教官任官、広島大学講師。1955年広島大学助教授。 1961年には東京工業大学から工学博士の学位を取得。
細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 199… 細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 1996年1月1日)は、日本の化学者、仏教学研究者。 福岡市生まれ。1944年広島文理科大学化学科卒業、広島師範学校助教授、47年教授。1949年福岡学芸大学久留米分校助教授。東京大学へ内地留学し、1955年「浅海底土の化学的研究」で東京大学理学博士。58年福岡学芸大学教授、1968年東京水産大学教授併任。75年福岡教育大学を退職、名誉教授。 「ひかり幼育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行い、特に浄土真宗系の仏教研究を進めた。92年勲三等瑞宝章受勲。
石田 寛(いしだ ひろし、1919年3月1日 - 2019年… 石田 寛(いしだ ひろし、1919年3月1日 - 2019年1月22日)は、日本の地理学者、広島大学名誉教授。岡山県出身。 岡山県熊山村(後の熊山町→赤磐市)に生まれ、岡山県第二岡山中学校(後の岡山県立岡山操山中学校・高等学校の前身)から広島高等師範学校地歴科に進み、1940年3月に文科第三部乙を卒業、さらに京都帝国大学文学部で地理学を学んだ。1942年9月、文学部史学科地理学専攻を繰り上げ卒業後、大学院に進んだが、召集を受け10月に中部第48部隊(歩兵第10連隊留守隊)に入隊した。1944年8月兵科見習士官として陸軍中央通信調査部に配属され、アメリカ軍の暗号解読に従事した。1945年1月陸軍少尉に昇進したが、敗戦を受け、9月に召集解除となった。
松岡 久人(まつおか ひさと、1918年8月5日 - 200… 松岡 久人(まつおか ひさと、1918年8月5日 - 2009年2月12日)は日本の歴史家。広島大学名誉教授。専攻は日本中世史。 大分県出身。広島高等師範学校を経て1942年10月に廣島文理科大学史学科国史学専攻を卒業。1949年の広島大学発足時から国史学教室助手となり、1954年に講師、1958年に助教授、1972年に教授となった。広島史学研究会理事長、日本学術会議会員も歴任した。 中世史研究者として厳島神社や大内氏の研究をすすめ、史料編集を行った。1972年に「大内氏領国制の展開」により広島大学から文学博士の学位を授与される[要出典]。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 20… 村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 2002年2月9日)は、日本の教育学者、郷土史家。元広島大学附属福山中学校・高等学校教諭。勲四等旭日小綬章受章。後に従四位に叙せられた。 「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。 また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。
今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月… 今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月20日 - 2001年(平成13年)2月20日)は、日本の生物学者。大阪府大阪市出身。広島文理科大学卒業。父は教育者・心理学者の今堀友市、兄は東洋史学者・今堀誠二、弟は生化学者・今堀和友。
宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 20… 宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 2003年12月31日)は、日本の歴史学者・家政学者・家庭科教育学者。 滋賀県出身。1941年、広島文理科大学史学科国史学専攻に入学し、1944年に卒業。兵役ののち、1947年から京都大学大学院在籍。1950年滋賀県立短期大学助教授、1953年大阪学芸大学助教授、大阪教育大学(校名変更)教授、1983年定年退官、名誉教授。1961年「太閤検地論」により広島大学から文学博士の学位を授与される。1984年羽衣学園理事長、羽衣学園短期大学学長。
吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月1… 吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月10日 - 2014年5月)は、日本のアメリカ文学者、広島大学名誉教授。広島県佐伯郡生まれ。広島文理科大学卒、1967年「シンクレア・ルイスの言語の構造と組織」で広島大学文学博士。広島大学文学部助教授、教授、1980年定年退官、名誉教授、広島修道大学教授、ノートルダム清心女子短期大学教授。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
中村 末男(なかむら すえお、1915年11月18日 - 1… 中村 末男(なかむら すえお、1915年11月18日 - 1996年3月9日)は、日本の物理学者、物性学者。鹿児島大学第4代学長・名誉教授、大分大学(旧)第5代学長、鹿児島女子大学(志學館大学)第3代学長。理学博士。専門は固体物性学。 長崎県出身。広島文理科大学(広島大学の前身)理学部物理学科へ1939年春に入学し、1941年12月に卒業。勝山小学校訓導兼旧制長崎県立長崎中学校物理学非常勤講師を経て、1944年、旧制第七高等学校造士館教授に就任。勤労動員で長崎の三菱工場へ行って、原子爆弾に被爆し、偶然トンネルに入っていたため自身は一命をとりとめる。 学制改革により、1950年3月31日、新制鹿児島大学文理学部助教授に就任。
西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988… 西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988年8月1日)は、統計学者、数学者、商学博士。関西学院大学名誉教授、第九代関西学院大学学長、元関西学院大学商学部長。 数理統計学、オペレーションズ・リサーチを経済、経営の数量化の研究において数多くの研究、業績を残した。兵庫県生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日 - 1… 今堀 誠二(いまほり せいじ、1914年10月27日 - 1992年10月9日)は、中国史学者、原水爆禁止運動家。父は教育者・心理学者の今堀友市、弟は生物学者・今堀宏三、生化学者・今堀和友。
河合 正治(かわい まさはる、1914年5月10日 - 19… 河合 正治(かわい まさはる、1914年5月10日 - 1990年3月7日)は、日本の日本史学者。学位は文学博士。広島大学の名誉教授。専門分野は日本の中世史。 三重県鳥羽町に生まれる。1939年に広島文理科大学の史学科を卒業し、佐賀県女子師範学校の教員となり、愛知第二高等師範学校助教授・教授を経て、1946年9月に広島高等師範学校に赴任。同校の教授、広島大学文学部の助教授、教授。その後、1979年4月から1988年3月まで福山大学一般教育部教授を務めた。 中世武家社会の研究が専門であり、1965年1月25日付けで、博士論文「中世武家社会とその精神構造」で広島大学から文学博士の学位を授与される。その一方、廣島高等師範学校に赴任したことで、1947年以来数年間、魚澄惣五郎の指導を受け、共に瀬戸内海各地の実地調査を行い、毛利氏をはじめとする地域史研究にも取り組んだ。
松岡利夫(まつおか としお、1914年1月18日ー1994年… 松岡利夫(まつおか としお、1914年1月18日ー1994年2月6日)は、日本の民俗学者。 奈良県出身。1947年広島文理科大学史学科卒、九州大学大学院修了(旧制)。公立学校教諭をへて、1951年山口大学人文学部助教授、教授、77年定年退官、名誉教授、山口女子大学教授、1979-89年岩国短期大学学長。89年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)8月11… 岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)8月11日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の心理学者・俳人。専門は教育心理学。元・北海道教育大学学長。 滋賀県出身。1946年広島文理科大学 (旧制)心理学科卒。その後、1947年北海道大学法文学部助教授、1950年同法経学部助教授を経て、1952年(昭和27年)北海道学芸大学助教授に就任。1959年(昭和34年)同教授。1975年(昭和50年)北海道教育大学7代学長。1983年(昭和58年)北海道教育大学退官。同名誉教授。北星学園大学文学部教授。1988年(昭和63年)北星学園大学定年退職。駒澤大学保育専門学校招聘講師(1992年まで))。
森田 武(もりた たけし、1913年 - 1994年9月28… 森田 武(もりた たけし、1913年 - 1994年9月28日)は、日本の国語学者、広島大学名誉教授。 1934年、広島高等師範学校卒業。1936年、広島文理科大学文学科卒業。朝鮮総督府大邱師範学校、広島高等師範学校教諭を経て、広島大学皆実分校教授に就任。広島大学教養部、広島大学総合科学部の教授を歴任した。1961年「長崎版日葡辞書の研究」で広島大文学博士。1976年、定年退職、名誉教授、安田女子大学教授。
紀藤 信義(きとう のぶよし、1912年〈大正元年〉10月3… 紀藤 信義(きとう のぶよし、1912年〈大正元年〉10月31日 - 没年不明)は、日本の政治家、文学博士。広島大学名誉教授。広島修道大学法学部教授。 山口県厚狭郡船木町(現・宇部市)出身。紀藤常助の二男。1937年、広島文理科大学文学部史学科を卒業。同年4月、北海道旭川師範学校教授。1943年6月、海軍教授となり海兵教官にて終戦。 1947年4月、山口県厚狭郡船木町町長に当選する。1948年7月、広島高等師範学校教授。1957年、琉球大学臨時講師。1964年、学位を受く。1976年、広島大学文学部教授の職を停年退任する。 著書は『近代化概念の展開と民主主義思想の発展』、『イギリス初期独占の研究』などがある。
吉倉 真(よしくら まこと、1911年10月7日 - 200… 吉倉 真(よしくら まこと、1911年10月7日 - 2003年3月27日)は、日本のクモ学者。正字では眞。福井県出身。 1911年、福井県生まれ。1943年広島文理科大学卒業。阿部余四男教授の下、「ジグモの糸腺の組織学的研究」という卒業論文を作成。熊本大学名誉教授、九州クモの会会長。1984年、勲三等旭日中綬章を受章。2003年3月27日午後1時10分、老衰のため岐阜市の病院で死去(自宅は岐阜県各務原市)。91歳没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
杉谷 雅文(すぎたに まさふみ、1910年9月25日 - 1… 杉谷 雅文(すぎたに まさふみ、1910年9月25日 - 1991年5月7日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。 兵庫県美方郡浜坂町(現・新温泉町)出身。姫路師範学校卒、広島高等師範学校卒、1937年広島文理科大学教育学科卒、福井師範学校教授、鹿児島師範学校教授、鳥取師範学校教授、1947年広島文理科大学講師、1949年助教授、1952年「生命哲学と教育学」で広島文理科大学文学博士。1953年教授、広島大学教育学部教授、1961-1964年広島大学教育学部附属小学校校長、1974年広島大を定年退官、名誉教授、親和女子大学教授。1983年勲三等旭日中綬章を受章。
池田 末利(いけだ すえとし、1910年 <明治42年> 3… 池田 末利(いけだ すえとし、1910年 <明治42年> 3月19日 - 2000年 <平成12年> 11月9日)は、日本の中国哲学者。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 福岡県生まれ。大東文化学院卒、1936年広島文理科大学卒。1938-1941年北京大学に学ぶ。1955年「中国ニ於ケル祖先崇拝ノ溯源的研究、並ニソノ天・地神崇拝トノ関係」で東京大学より文学博士の学位を取得。広島大学文学部助教授、教授、1973年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授、学長。1979-1981年日本中国学会理事長。1984年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
柴谷 久雄(しばたに ひさお、1910年2月11日 - 19… 柴谷 久雄(しばたに ひさお、1910年2月11日 - 1996年7月29日)は、日本の教育学者。 和歌山県出身。1936年広島文理科大学教育学科卒、福島県師範学校教員、浜松師範学校教員、1943年応召し、敗戦でシベリアに抑留され、48年復員。和歌山県教育委員会指導主事、大阪市教育委員研究所長、1962年「バートランド・ラッセルの教育思想研究」で広島大学教育学博士。1966年広島大学教育学部教授、同附属幼年教育研究施設長、附属幼稚園長。73年定年退官、四天王寺女子大学(四天王寺国際仏教大学)教授。
砂沢 喜代次(すなざわ きよじ、1910年 - 1984年)… 砂沢 喜代次(すなざわ きよじ、1910年 - 1984年)は、日本の教育学者、北海道大学名誉教授。
荘司 雅子(しょうじ まさこ、1909年10月6日 - 19… 荘司 雅子(しょうじ まさこ、1909年10月6日 - 1998年2月22日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。フレーベル研究の第一人者。日本では女性で最初の文学博士取得者。 日本統治下の台湾、現在の嘉義県朴子市の生まれで、旧名は荘嫌(そう けん)、のちに荘無嫌(そう ぶけん)に改名。奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)を卒業後、広島文理科大学(現広島大学)教育学科に進学。そこで、ペスタロッチ研究者として知られる長田新に師事。フリードリヒ・フレーベルと幼稚園教育学を研究テーマに選ぶ。 卒業後、広島大学で助手、講師、助教授を経て、教授となる。1953年「フレーベル研究」で日本では女性で最初の文学博士の学位を取得。
末吉 悌次(すえよし ていじ、1909年1月28日 - 20… 末吉 悌次(すえよし ていじ、1909年1月28日 - 2003年1月)は、日本の教育学者。長崎県生まれ。広島文理科大学教育学科卒。文学博士(広島文理科大学・1953年)(学位論文「社会的教育学の性格」)。広島大学教育学部教授、74年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 200… 藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 2007年10月23日)は、日本の言語学者・方言学者。広島大学名誉教授。愛媛県大三島(現・今治市)出身。 愛媛県越智郡大三島町肥海に生まれる。15歳で松山の愛媛県師範学校に入学、広島高等師範学校(広島文理科大学)に進学し、2年時に赴任してきた方言研究者の東条操に師事して方言学に進む。そのころより全国の方言調査を行った。東条を通して柳田国男とも交流を持った。在学中の1933年に、生家の隣にある金剛寺の梵鐘についての著作「梵鐘を鋳る」を発表、井伏鱒二はこれをなぞって連作エッセイ『釣鐘の音に関する研究』を執筆。 広島大学教授定年退官後は広島方言研究所を設立し、多数の著書を出版した。
清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976… 清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人。旧姓根岸。 広島県広島市大手町(現在の同市中区)出身。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高校)から第一高等学校をへて東京帝国大学電気工学科卒(1932年)。逓信省電気試験所第4部に入り、光通信、電子管(マグネトロン、速度変調管)などの研究を担当。1936年、関杜夫とともにグラスファイバーを光通信に使うアイデアを発明した。 終戦後の1947年12月23日、アメリカベル電話研究所でトランジスタが発明され、翌1948年6月30日公表された。