山村 聡(やまむら そう、1986年4月3日 - )は、日本… 山村 聡(やまむら そう、1986年4月3日 - )は、日本の内科医、YouTuber、ヘルスケアアドバイザー。やさしい内科クリニック院長、ドクターメイト株式会社メディカルアドバイザー。「やさしい内科医」として多数のメディア、記事監修を担当。専門は、糖尿病、内分泌疾患、AGA治療(男性型脱毛症)。九州大学医学部卒業。 公務員の父と専業主婦の母のあいだに熊本県で生まれる。幼少期を鹿児島県の山間部、霧島市の温泉地帯で過ごす。妹の出生時には熊本県の祖母宅に預けられ、3つ下の妹が誕生。父の転勤で大分県の田舎町へ引越す。小学6年の担任のすすめで中学受験、鹿児島大学の附属中学に入学。その後ラ・サール高校に入学した。
もっと読む
菊池 良和(きくち よしかず、1978年6月18日 - )は… 菊池 良和(きくち よしかず、1978年6月18日 - )は、日本の医師(専門は耳鼻咽喉科学)。 九州大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科学教室 助教(2023年現在)。 数少ない吃音症の専門医であり、かつ自らが吃音当事者である。九州大学病院で吃音外来を担当して吃音症の治療と研究にあたり、さらに吃音症についての一般社会に向けた啓発活動に尽力している。 山口県生まれ。3歳の頃に吃音症が顕在化し、周囲の無理解などの様々な困難に遭遇し続けた。公立中学校1年生の時に「吃音当事者である自分自身が医師になって、吃音症に立ち向かうしかない」と決意し、全国有数の難関校であるラ・サール高等学校に進み、1999年に九州大学医学部に入学した。
もっと読む
築山 鉄平(つきやま てっぺい、1976年6月1日 - )は… 築山 鉄平(つきやま てっぺい、1976年6月1日 - )は、日本の歯科医師。歯周病治療、インプラント治療、歯周外科、審美補綴、歯周組織再生療法を専門分野とする。医療法人雄之会 つきやま歯科医院(総院長)、つきやま歯科医院 専門医療クリニック天神(院長)に関わり、アバンダンスデンタル名古屋のスタッフ紹介では「インプラント・歯周外科治療 担当」として掲載されている。また、アメリカ合衆国タフツ大学で専門研修を受け、American Board of Periodontology(Diplomate)およびヨーロッパインプラント学会(EAO)認定医の資格を取得している。 歯周病、インプラント治療、歯周外科、審美補綴、歯周組織再生療法。
もっと読む
川原 尚行(かわはら なおゆき、1965年9月23日 - )… 川原 尚行(かわはら なおゆき、1965年9月23日 - )は、日本の医師。NPO法人ロシナンテスの理事長。 福岡県北九州市八幡東区生まれ。1981年福岡県北九州市立高槻小学校・槻田中学校卒業。 1984年3月福岡県立小倉高等学校卒。1992年九州大学医学部を卒業。九州大学第二外科(現在の消化器・総合外科)へ入局し臨床医として経験を積んだ。九州大学臨床大学院(生化学)を修了し博士号を取得した。外務省、在タンザニア日本大使館に医務官兼二等書記官として勤務、その後ロンドン大学にて熱帯医学を学び、在スーダン日本大使館に医務官兼一等書記官として勤務、2005年1月に辞職後、同年4月よりスーダンで活動を開始、翌2006年5月にスーダンにおいて医療を中心に活動を行っているNPO法人「ロシナンテス」を設立。
もっと読む
黒木 俊秀(くろき としひで、1958年 - )は、日本の医… 黒木 俊秀(くろき としひで、1958年 - )は、日本の医学者、精神科医。九州大学教授。宮崎県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
もっと読む
山﨑 要一(やまさき よういち、1957年5月11日 - )… 山﨑 要一(やまさき よういち、1957年5月11日 - )は、日本の歯科医師・歯学者。鹿児島大学大学院医歯学総合研究科健康科学専攻発生発達成育学講座小児歯科学分野教授。日本小児歯科学会前理事長。 1983年九州大学卒業、1987年九州大学大学院単位取得満期退学後、同大学にて助手、講師を務め、2003年より現職 1989年 九州大学 歯学博士 博士論文は「セルスポットを応用した下顎多点運動解析システムの開発と乳歯列期小児の側方滑走運動に関する研究 」。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
もっと読む
森 正樹(もり まさき、1956年3月20日 - )は、日本… 森 正樹(もり まさき、1956年3月20日 - )は、日本の消化器外科医、がん研究者。鹿児島県奄美大島出身。東海大学医学部特任教授・学長補佐(副学長・医学部長を歴任)。九州大学・大阪大学名誉教授。日本外科学会第4代理事長(2017年-2022年)、日本消化器外科学会第3代理事長(2011年-2015年)などを歴任。リンパ節・末梢血中のがん微小転移のRT-PCR検出法、がん幹細胞、リキッドバイオプシー、遠隔手術プロジェクトなどの研究で知られる。紫綬褒章を2020年に受章。 1990年代より、リンパ節および末梢血中のがん微小転移をRT-PCRで検出する手法を報告し、CEA・MAGE遺伝子などを標的とした分子診断技術を開発した。
もっと読む
山本 智矢(Tomoya Yamamoto、1956年1月1… 山本 智矢(Tomoya Yamamoto、1956年1月19日 - )は、日本の外科医、神経生理学研究者。専門は頭頸部外科学、神経生理学、メカトロニクス。国立病院機構九州医療センターの科長を務めていた。平成29年より九州厚生局指導監査課指導医療官を務める。 1981年に九州大学医学部医学科を卒業、1986年に九州大学大学院博士課程を卒業。1986年11月からニューヨーク大学医学センター生理物理学科客員教授、Rodolfo Llinásらと小脳皮質プルキンエ細胞活動の96チャンネル同時記録や脳磁図の機器開発や記録解析を行った。1999年4月に九州大学医学部助教授、2004年3月からは国立病院機構に勤務している。
もっと読む
古谷野 潔(こやの きよし、1955年6月 - )は、日本の… 古谷野 潔(こやの きよし、1955年6月 - )は、日本の歯学者・歯科医師。九州大学大学院歯学研究院口腔機能修復学講座教授。 日本補綴歯科学会理事長 1983年 九州大学歯学部卒業、1987年九州大学大学院歯学研究科単位取得満期退学後、同大学にて助手、講師を経て1997年より教授。 1987年 九州大学より歯学博士の学位を取得。論文の題は「後方運動時の下顎の三次元動態」。
もっと読む
永田 俊彦(ながた としひこ、1952年 - )は、日本の歯… 永田 俊彦(ながた としひこ、1952年 - )は、日本の歯科医師、歯学者(歯周治療学・歯内治療学)。歯学博士(九州大学・1986年)。徳島大学学長補佐・同大学教授・同病院歯科(歯周病科)長。 徳島大学大学院ヘルスバイオサイエンス研究部教授、同大学評議員、日本歯周病学会理事長、アジア太平洋歯周病学会(Asian Pacific Society of Periodontology)会長(2013年10月選出)、Journal of Periodontal Research 編集委員などを歴任した。 1952年生まれ。九州大学歯学部歯学科で学び、1978年3月に卒業した。のちに1986年7月に九州大学より歯学博士の学位を取得した。
もっと読む
矢山 利彦(ややま としひこ、1952年 - )は日本の医師… 矢山 利彦(ややま としひこ、1952年 - )は日本の医師。Y.H.C.矢山クリニック院長。福岡県出身。空手道五段。
もっと読む
角 秀秋(かど ひであき、1951年 - )は、日本の心臓血… 角 秀秋(かど ひであき、1951年 - )は、日本の心臓血管外科医。福岡市立こども病院副院長、九州大学医学部心臓血管外科臨床教授などを歴任。2022年より令和健康科学大学特任教授。 鹿児島県川辺郡川辺町(現:南九州市)生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校、九州大学医学部卒業。 福岡市立こども病において1980年創立当初から同院の心臓血管外科診療に従し、1985年同院部長、2011年から同院副院、2022年同院定年退職。福岡市立こども病院在任中、6000件件以上の小児心臓手術執刀する。日本小児循環器学会副理事長、第47回日本小児循環器学会会長(2011年、福岡市)、日本小児心臓外科医会(CHSS Japan)代表世話人、小児心臓手術手技研究会代表世話人などを歴任。
もっと読む
小林 隆児(こばやし りゅうじ、1949年〈昭和24年〉- … 小林 隆児(こばやし りゅうじ、1949年〈昭和24年〉- )は、日本の発達心理学者、児童精神科医。 鳥取県米子市生まれ。鳥取県立米子東高等学校を経て、1975年に九州大学医学部を卒業。福岡大学医学部精神医学教室に入局、力動精神医学および児童精神医学を研修。助手、講師を経て、1985年に「自閉症児の精神発達と経過に関する臨床的研究」で福岡大学医学博士。1988年、大分大学教育学部助教授(養護学校教員養成課程)。1994年、東海大学健康科学部社会福祉学科教授となり、1999年に健康科学研究科教授。2002年、松前重義賞受賞。2008年、大正大学教授、2012年より西南学院大学教授。70歳で定年退職後は、感性教育臨床研究所代表として、定期的にオンライン形式での講座を開催。
もっと読む
佐々木 富男(ささき とみお、1948年7月2日 - )は、… 佐々木 富男(ささき とみお、1948年7月2日 - )は、日本の医師・医学者。専門は脳神経外科。九州大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1967年に岡山県立倉敷天城高等学校を卒業。1973年に東京大学医学部を卒業。 脳神経外科医として米国バージニア大学メディカルセンター助教授、東京大学助教授、群馬大学教授を経て、2002年に九州大学医学部脳外科の教授に就任。 2013年に九州大学を退官後、フリーランスの脳神経外科医として活動。その生き方が『情熱大陸』(2015年7月26日放送)で取り上げられた。 脳血管障害と脳腫瘍の手術で数多くの実績があり、医師が選ぶ医師「Best Doctors in Japan」を2002年から10年以上連続で受賞している。
もっと読む
久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は… 久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は、日本の内科医(心療内科学)、心身医学者。医学博士。第23代九州大学総長。日本心療内科学会理事長。 鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、1966年に九州大学医学部へ入学。中村哲とは大学で同級。中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた際には弔辞を読んだ。 鹿児島玉龍高等学校3年の時に慢性腎炎を患い、2ヶ月半の療養生活を送る。それがきっかけで腎臓病の解明と治療法の研究をするべく医師を志した。腎炎自体は大学入学後の食事療法と運動制限などの効果もあって、大学3年次には症状は好転したという。 大学5年次の臨床講義で池見酉次郎(九州大学精神身体医学研究施設教授)の心身医学講義を受講したことにより、心療内科医を志望することを決める。
もっと読む
柴田 洋三郎(しばた ようさぶろう、1946年4月4日 - … 柴田 洋三郎(しばた ようさぶろう、1946年4月4日 - ) は、日本の解剖学者、医師。九州大学理事・副学長や、大学入試センター副所長を経て、福岡県立大学理事長・学長。元日本解剖学会理事長。元公立大学協会副会長。 1971年九州大学医学部医学科卒業。1978年九州大学より医学博士の学位を取得。同年シカゴ大学留学。1988年九州大学医学部教授。1997年九州大学副学長。2004年国立大学法人九州大学理事・副学長。2007年日本解剖学会理事長。2010年九州大学名誉教授、独立行政法人大学入試センター副所長・研究統括官。2012年大学入試センター名誉教授、公立大学法人福岡県立大学理事長・学長。2017年公立大学協会副会長。
もっと読む
自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉… 自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉11月5日 ‐ )は、日本の政治家、医師。 ハーバード大学公衆衛生学部主任研究員、九州大学医学部講師、衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、郵政大臣(第63代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政改革担当大臣(菅直人内閣、野田内閣)、国民新党代表(第3代)、同幹事長(第2代)などを歴任した。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。1958年に小倉市立堺町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)、1961年に福岡学芸大学附属小倉中学校(現・福岡教育大学附属小倉中学校)、1964年に福岡県立小倉高等学校を卒業し、九州大学医学部へ入学。
もっと読む
松本 文六(まつもと ぶんろく、1942年11月5日 - )… 松本 文六(まつもと ぶんろく、1942年11月5日 - )は、日本の医師。社会医療法人財団天心堂会長。日本病院会理事。地域医療研究会代表世話人。大分県病院協会副会長。労働者住民医療機関連絡会議議長。 1942年、大分市中戸次の開業医の家に生まれる。九州大学医学部入学後、1968年6月2日のアメリカ軍ファントムジェット機が、九大工学部構内に墜落し(九州大学電算センターファントム墜落事故)、騒然とした中で、医学部学生自治会の委員長となり、8ヵ月に亘るストライキを敢行。 大学闘争の折、インターン制度反対、無給医制度反対の立場をとっていたので、卒業後の研修は大学に入局せず、1971年より小児科医として市中病院で研修・勤務。
もっと読む
永末 直文(ながすえ なおふみ 1942年11月1日 - 2… 永末 直文(ながすえ なおふみ 1942年11月1日 - 2024年2月11日)は、日本の医師、医学者、島根大学名誉教授。 1942(昭和17)年、福岡県生まれ。1967(昭和42)年、九州大学医学部卒業。同大学医学部附属病院にてインターン。翌1968(昭和43)年、同大学医学部附属病院第2外科副手になる。1969(昭和44)年、済生会八幡病院外科医員を経て、1972(昭和47)年、スウェーデン・ルンド大学に留学。1974(昭和49)年に帰国後、九州大学医学部附属病院、広島赤十字・原爆病院第2外科部長。1986(昭和61)年に島根医科大学助教授就任。以降、同教授、同病院長。2003年、島根大学医学部長に就任。
もっと読む
水田 祥代(すいた さちよ、1942年3月16日 - )は、… 水田 祥代(すいた さちよ、1942年3月16日 - )は、日本の医師、医学者。九州大学名誉教授、学校法人福岡学園理事長。専門は小児外科。旧帝国大学系の医学部で初の女性外科教授となった。 大分県出身。6歳のとき九州大学病院に入院したが、その際の医師らによる親切な対応に感銘を受け、九州大学への進学と医師になることを志すようになった。長崎県立長崎東高等学校を経て、九州大学医学部に進学。同在学中に米軍病院でのインターンを経験し、そこでの体験をもとに外科志望となった。大学院在学中の1968年にはイギリスへ留学し、リバプール大学病院付属アルダーヘイ小児病院で臨床に従事した。帰国後の1974年に医学博士号を取得。
もっと読む
新福 尚隆(しんふく なおたか、1942年1月13日 - )… 新福 尚隆(しんふく なおたか、1942年1月13日 - )は、日本の医学者、医学博士。神戸大学名誉教授。父は医学者で東京慈恵会医科大学名誉教授の新福尚武。 台湾・高雄市にて出生。専門は、社会精神医学、国際保健学、災害精神保健。世界保健機関(WHO)医官、神戸大学医学部・医学研究国際交流センタ-教授、西南学院大学社会福祉学科教授を歴任。世界精神医学会(WPA)・東アジア地区代表選出後、2005年にアジア太平洋の24か国が参加するアジア精神医学(AFPA)・初代会長に就任した。また、2000年より、精神医学分野におけるアジアで最長、最大の国際共同研究(REAP)を主宰している。
もっと読む
牛島 定信(うしじま さだのぶ、1939年2月1日 - )は… 牛島 定信(うしじま さだのぶ、1939年2月1日 - )は、日本の医学者・精神科医・精神分析家。学位は、医学博士(九州大学・課程博士・1970年)。福岡大学医学部教授・東京慈恵会医科大学教授・東京女子大学教授等を歴任。
もっと読む
三好 正堂(みよし せいどう、1938年(昭和13年) - … 三好 正堂(みよし せいどう、1938年(昭和13年) - )は、日本の医師。専門は神経内科、リハビリテーション科。 広島県生まれ。1964年、九州大学医学部卒。九州大学神経内科(黒岩義五郎教授)で5年間の研修、ニューヨーク大学リハビリテーション科(Howard A. Rusk)で3年間の留学。1974年九州労災病院、1975年九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)リハビリテーション科部長を経て、1981年開業。リハビリテーション専門医として34年間で1万人以上の患者を改善させた実績を持つ。早期回復のための運動として、椅子を利用して立ったり座ったりするシンプルな「起立-着席運動」を提唱し、脳卒中急性期の片麻痺、大腿骨頚部骨折、肺炎など、多くの疾患で効果を上げている。
もっと読む
山上 敏子(やまがみ としこ、1937年3月2日 - )は、… 山上 敏子(やまがみ としこ、1937年3月2日 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は行動療法。福岡県生まれ。
もっと読む
神田橋 條治(かんだばし じょうじ、1937年2月5日 - … 神田橋 條治(かんだばし じょうじ、1937年2月5日 - )は、日本の医学者・精神科医・精神分析家。学位は、医学博士。 九州大学精神神経科にて長年、精神分析療法を専攻。1971年から1年間、モーズレイ病院ならびにタビストック・クリニックに留学。専門は精神分析、精神療法。その力点は内省療法、さらに対話精神療法であったが、現在は雑談精神療法を目指していると言う。精神療法の達人として知られる。
もっと読む
石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2… 石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2008年9月23日)は、日本の細胞生物学者、医師。群馬大学名誉教授。日本電子顕微鏡学会会長や、日本細胞生物学会会長を務めた。 鹿児島県出水市出身。1960年九州大学医学部医学科卒業後、整形外科入局。1965年九州大学大学院医学研究科修了、医学博士。1966年ペンシルベニア大学医学研究員。1972年東京大学医学部助教授。1983年群馬大学医学部解剖学第二講座教授。1994年群馬大学医学部長、日本細胞生物学会会長。2000年日本電子顕微鏡学会会長。2001年群馬大学名誉教授。2008年没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
もっと読む
時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月… 時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月30日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本の政治家、内科医。医学博士、大分県宇佐市長(3期)。 大分県宇佐市出身。1959年、九州大学医学部卒業。1967年「飲泉の胆汁分泌におよぼす影響に関する研究」により九州大学から医学博士号を授与された。九州大学温泉治療学研究所講師を務めた。1970年、地元で内科医院を開業する。2000年宇佐市長選挙に立候補し、初当選する。2004年には無投票で再選。翌2005年宇佐市は宇佐郡院内町と安心院町と合併し、新たな宇佐市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。合併後の宇佐市長を2009年まで1期務めた。
もっと読む
融 道男(とおる みちお、1933年1月31日 - 2017… 融 道男(とおる みちお、1933年1月31日 - 2017年5月7日 は、日本の医学者・精神科医。専門は精神薬理学。東京医科歯科大学名誉教授。元東京医科歯科大学学生部長(副学長)。元日本精神神経学会会長。元信州大学医学部教授。学位は、医学博士(東京医科歯科大学・1969年)。
もっと読む
原 寛(はら ひろし、1932年 - 2025年10月16日… 原 寛(はら ひろし、1932年 - 2025年10月16日)は、日本の医師、医史学者である。病院と看護学校を経営しながら、高齢化社会のための「養生学」に取り組んでいる。 1932年福岡市に生まれる。福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。九大精神神経科入局、医学博士号修得(九州大学医学研究院生理学)。 1967年原土井病院を開設、同病院理事長。1976年原看護専門学校を設立。2013年、「博多養生処」を開設。日本慢性期医療協会、全国公私病院連盟などの理事。多々良福祉会、能古博物館の理事長を務める。
もっと読む
西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2… 西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2022年4月19日)は、日本の医学者・精神科医。福岡大学名誉教授。学位は、医学博士(論文博士・1959年)(学位論文「神経症に関する臨床的研究」)。 福岡県生まれ。1953年九州大学医学部卒業。1959年論文「神経症に関する臨床的研究」で医学博士の学位の取得。 1971年九州大学医学部助教授。1973年福岡大学医学部教授。医学部学部長。1993-2001年WHO協力センター(福岡大学)所長。1999年定年退任、名誉教授。 1999年、福岡市博多区に心理社会的精神医学研究所を開設して活動の拠点としたが、2019年に自ら閉鎖。 長いキャリアの間に、日本精神神経学会、日本精神分析学会、西太平洋地域医学教育連合、環太平洋精神科医会議、アジア児童思春期精神医学会、多文化間精神医学会、日本精神分析協会の会長などを歴任した。
もっと読む
中川 保孝(なかがわ やすたか、1928年 - 2000年7… 中川 保孝(なかがわ やすたか、1928年 - 2000年7月2日)は日本の精神科医。友朋会嬉野温泉病院元理事長。精神医学、老年内科学における芸術療法の第一人者であり、芸術療法のなかでもとりわけ絵画療法を専門とした。 1952年に九州大学医学部を卒業したのち、九州大学の精神神経科へと入局した。学生時代からの絵画制作の経験と、イギリスの画家であるエイドリアン・ヒル(英語版)の『絵画療法』に影響を受け、1953年から絵画療法の研究を開始した。1954年に東京慈恵会医科大学神経科へと医局を移動した。 その後、1965年に嬉野温泉病院を開設。絵画のほかに、陶芸や歌唱、料理などを取り入れて「芸術療法」を日本でいち早く導入した。
もっと読む
前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月1… 前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月14日 )は、日本の医学者・精神科医。九州大学名誉教授。専攻は精神分析学・カウンセリング。 長崎県長崎市生まれ。1952年九州大学医学部卒業。1958年「被暗示性に関する実験的研究」で医学博士の学位を取得。精神科、心療内科を経て、1972年九州大学教育学部教授。1991年定年退官、名誉教授。2007年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
もっと読む
中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 198… 中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 1984年7月23日)は、日本の医師・整形外科医。身体障害者のスポーツ振興をはかった。日本パラリンピックの父と呼ばれる。 大分県別府市出身。九州大学医学部卒業後、九州大学病院整形外科に医師として勤務。 1958年から大分県の国立別府病院整形外科医長。1966年、大分中村病院を設立。1979年-1983年国際パラプレジア医学会副会長、1979年-1980年日本パラプレジア医学会会長。 1965年に障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設。また、障害者スポーツ振興に情熱を傾け、1964年の東京パラリンピックで選手団長を務め、第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催に尽力。
もっと読む
東野 利夫(とうの としお、1926年 - 2021年4月1… 東野 利夫(とうの としお、1926年 - 2021年4月13日)は、日本の医師(産婦人科)、小説家、医学史研究家。 医学史の研究家として数々の作品を残す。日本ペンクラブに所属し、医学生時代に九州大学生体解剖事件(九大生体解剖事件)の目撃者として貴重な体験談を後身に示した。この事件が本人に医者への不信感となり、医師となることに迷った末に、命を助けられる産婦人科医を志す動機となったという。開業後7年経った頃に精神的に不調を来し、心療内科に2か月入院。同様に九州大学生体解剖事件に関わった恩師平光吾一は釈放後、業務に復帰していたが病床に着き、1965年、東野が訪ねると、平光は「九大」「B29」とうわごとの様に言葉の端々に述べたことを語っている。
もっと読む
平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年5月5日 - 201… 平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年5月5日 - 2014年2月15日)は日本の医師、医学博士、元日本糖尿病学会会長、初代東京女子医科大学病院糖尿病センター所長。 山口県小郡町(現山口市)出身。幼少期に開業医であった実父が急逝し、結核の母と自給自足で戦前戦中期を過ごした。同時期に多数の親類や知人を病で失い、「人命を救いたい」として自らも医者を目指し、九州大学医学部に進学した。 1948年9月に同学を卒業後に大学院に進み、助手、講師などを務めた。1960年から二年間の米国留学を経験し帰学。1970年に世界で初めてインスリン自己免疫症候群の症例を報告した。1953年7月、九州大学医学博士。1969年10月から鳥取大学第一内科教授。
もっと読む
加地 正郎(かじ まさろう、1924年9月11日 - 201… 加地 正郎(かじ まさろう、1924年9月11日 - 2017年12月10日)は、日本の医師、久留米大学医学部第一内科名誉教授。 熊本県熊本市出身。九州大学を卒業後、九州大学第一内科に入局。感染症を主として研究対象とした。1952年九州大学から学位を得る。題は「西日本各地区住民特に学児のインフルエンザビールス中和抗体保有量について」。特にインフルエンザの研究は知られており、「風邪の加地」(かぜのかじ)と異名をとった。門下生には九州大学総合診療部教授、国立病院九州医療センター院長をつとめた柏木征三郎がいる。その後久留米大学へ転出し、教授に就任した。教授退官後は呉共済病院院長に就任した。 2001年秋、勲三等瑞宝章叙勲。
もっと読む
西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日… 西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日 - 2006年6月7日) は、日本の精神科医。モンテッソーリ教育による幼児・障害者教育にも携わった。 広島県庄原市出身。1944年、台北帝国大学医学部を卒業する。台北帝国大学医学部精神科、九州大学医学部精神科に勤務した。1951年、国立久里浜病院医長となる。 1952年、九州大学にて医学博士号を取得し、慶応義塾大学医学部精神科に勤務した(他に群馬大学医学部および広島大学教育学部講師を務める)。 1957年、呉市に「安浦病院」を開設、同時に現在の広島市西区に「教育医学研究所」を設立した。「モンテッソーリ子どもの家」を中心に、精神科リハビリの生理学的治療を実施した。
もっと読む
田中 健藏(たなか けんぞう、1922年11月7日 - 20… 田中 健藏(たなか けんぞう、1922年11月7日 - 2015年2月11日)は、日本の病理学者、外科医。第17代九州大学総長。 東京市日本橋区生まれ。関東大震災後に移住し、長崎県佐世保市育ち。1940年旧制長崎県立佐世保中学校卒業。1942年旧制佐賀高等学校卒業。1946年九州大学医学部卒業、外科学教室第1講座入局。1948年九州大学大学院特別研究生前期修了。1949年九州大学医学部助手。1951年医学博士。1953年九州大学医学部講師。同年九州大学医学部助教授。 1960年フルブライト・プログラムでハーバード大学医学部に留学。1963年九州大学医学部教授。1975年九州大学医学部長を経て、1981年に九州大学総長、国立大学協会理事。
もっと読む
福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 20… 福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 2012年3月28日 )は、日本の医師、医学者。内科医。医学博士。心筋梗塞研究の権威だった。 鹿児島県の奄美大島名瀬の生まれで、大島郡龍郷町出身。1942年第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1945年九州帝国大学医学部を卒業して、操坦道教授の第一内科に副手として入局し、1951年九州大学第一医学部内科助手。1952年鹿児島市立病院内科医長に就く。1953年九州大学より医学博士授与。論文の題は「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。1955年1月鹿児島大学医学部第一内科助教授に就任。鹿児島大学助教授を長く務めた後、再び鹿児島市立病院に転じて循環器内科部長。
もっと読む
新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 20… 新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 2012年3月12日)は、日本の医学者・精神科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。長男は医学者で神戸大学名誉教授の新福尚隆。 鹿児島県鹿児島市生まれ。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1937年九州帝国大学医学部卒業、下田光造に師事。1947年「ショック療法の精神病理学的研究」で九州帝国大学より医学博士の学位を取得。 台北帝国大学医学部精神科助手、陸軍軍医(高雄)、鳥取大学医学部助教授などを経て、1952年同教授。1966年東京慈恵会医科大学教授、1979年定年退職、名誉教授。アルコール医学会長、交通科学会長、心身医学会長、国際老年精神医学会名誉会長など。
もっと読む
陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 … 陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 - 1987年8月30日)は、日本の外科医。大阪大学医学部名誉教授、近畿大学医学部名誉教授、近畿大学医学部附属病院初代院長。
もっと読む
許 世賢(シュー・シーシェン、きょ せけん、1908年4月1… 許 世賢(シュー・シーシェン、きょ せけん、1908年4月1日 – 1983年6月30日)は台湾の政治家・医師である。台湾で初めて博士号を取得した女性であり、台湾で最初の女性市長、女性市議会議員、女性高等学校長でもある。また、日本で3人目の女性医師である。 1908年4月1日に台南庁(現台南市)で生まれた。父親の許煥章は、清王朝の学者を務めた。日本統治時代の台湾に生まれた世賢は、幼い頃から植民地主義に反対した。 台南州立高等女学校(現国立台南女子高級中学)を経て、東京女子医科大学に入学した。学生時代は、天皇誕生日を認めることを拒否し、泉漳語を話す人を擁護した。卒業後、台湾に戻り、台南州立台南病院に就職した。
もっと読む
勝木 司馬之助(かつき しばのすけ、1907年6月30日 -… 勝木 司馬之助(かつき しばのすけ、1907年6月30日 - 1993年4月20日)は、日本の医師。熊本大学教授、九州大学教授、宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)初代学長を務めた。脳血管障害のコホート研究である久山町研究を始めた。長男は分子生物学者の勝木元也。 若い時は、脳橋と呼吸調節中枢や、熊本大学時代は、間脳の臨床を行ったが、九州大学の教授になってから、福岡県糟屋郡久山町における脳血管障害の疫学的研究を始めた。1961年春から全教室員協力のもとに40歳以上の男女全住民を対象として循環器検診から開始した。その際、死亡者の解剖を重視し、1963年以降は剖検率は90%以上を維持、対象者全員を全員追跡するという徹底した疫学的調査が行われた。
もっと読む
樋口 謙太郎(ひぐち けんたろう、1907年5月14日 - … 樋口 謙太郎(ひぐち けんたろう、1907年5月14日 - 1994年3月8日)は、日本の医学者、皮膚科医。久留米大学、九州大学、福岡大学で皮膚科の教授を務め、多くの弟子を育てた。 エッセイストとしても知られている。教科書を多数著した。専門は真菌学、梅毒などである。
もっと読む
天児 民和(あまこ たみかず、1905年8月31日 - 19… 天児 民和(あまこ たみかず、1905年8月31日 - 1995年4月6日)は、日本の整形外科医。九州大学名誉教授。 先祖は「滝根」と称していたが、明治三年の氏姓制度で「天児」姓を名乗る。「天児」は「あまがつ」と読み、『源氏物語』若菜にもみえる、災難を除くため祓に用いられた子供の人形のこと。しかし「あまがつ」と正確に読んでくれる人がいないため、呼びやすく「あまこ」にしたと伝え聞いている、という。 神戸市出身。1926年九州帝国大学医学部入学、1930年卒業、1931年同整形外科教室入局、神中正一教授に師事。1936年ドイツ留学(ライプッチヒ大学整形外科学教室)、同年開催のベルリンオリンピックの嘱託医師などを務め、1936年医学博士、九州大学助教授、軍医をへて、1945年新潟医科大学教授、1949年新潟大学医学部付属病院長。
もっと読む
三木 行治(みき ゆきはる、1903年 <明治36年> 5月… 三木 行治(みき ゆきはる、1903年 <明治36年> 5月1日 - 1964年 <昭和39年> 9月21日)は、日本の医師、政治家。岡山県知事。位階は正三位。勲二等瑞宝章。水島臨海工業地帯の誘致など岡山県の発展に貢献したことが認められ、日本人で初めてマグサイサイ賞を受賞した。 マグサイサイ賞の受賞金は郷土の発展に役立てたいとの考えから副賞1万米ドル全額が県に寄付され、この受賞金と県民からの寄附金を中心に岡山県三木記念事業基金が1965年に設置された。 また岡山県下にアイバンクを設置して自ら第1号の登録者となったことから、二人の女性に三木の角膜が移植された。 亡くなった時、私財は着ていた服と眼鏡だけだったといわれる。
もっと読む
野村 実(のむら みのる、1901年2月16日 - 1996… 野村 実(のむら みのる、1901年2月16日 - 1996年2月19日)は、日本の医師、シュヴァイツァー研究家。 東京生まれ。1925年九州帝国大学医学部卒。1934年東京で結核病院を開業。1951年白十字会村山サナトリウム院長。1954年アフリカにシュヴァイツァーを訪ね、翌年のノーベル賞受賞に随行した。1959年東京コロニー理事長。キリスト教海外医療協力会会長。1970年日本シュヴァイツァー友の会会長。1983年にキリスト教功労者を受賞。
もっと読む
太田 典礼(おおた てんれい(旧名:武夫)、1900年10月… 太田 典礼(おおた てんれい(旧名:武夫)、1900年10月7日 - 1985年12月5日)は、日本の産婦人科医、政治家。元衆議院議員(当選1回)。九州帝国大学医学部卒業。京都帝国大学大学院産婦人科専攻(大正15年)修了。産児制限と安楽死を説き、子宮内避妊器具の草分けのひとつである「太田リング」を考案した。優生保護法の制定に尽力。日本安楽死協会(のち日本尊厳死協会と改称)を設立。 京都府与謝郡生まれ。代々産科医で、典禮の名が受け継がれており、武夫は八代目典禮を1942年に襲名した。京都府立第四中学校(現京都府立宮津高等学校)を卒業した後に、第三高等学校を卒業する。九州帝国大学医学部を卒業後に医師になる。
もっと読む
三宅 徳三郎(みやけ とくさぶろう、1899年(明治32年)… 三宅 徳三郎(みやけ とくさぶろう、1899年(明治32年)12月3日 - 1982年(昭和57年)4月10日)は、日本の外科医、政治家。医学博士。 高松市長(在任1期)。 香川県三豊郡荘内村(現 三豊市詫間町)出身。地主の三男として生まれる。 旧制香川県立三豊中学校、旧制第四高等学校を経て、九州帝国大学医学部卒業。 三豊中学時代から第四高等学校、九州帝国大学と野球選手で通し、投手や一塁手で活躍、その間柔道、剣道、テニス、乗馬、弓術も行った。 1926年(大正15年)3月、九州帝国大学医学部卒業後、外科医局に4年間在局、三宅速教授、赤岩八郎教授の指導を受ける。1930年(昭和5年)5月、岩手医学専門学校教授ならびに青森県立病院外科部長に就任。
もっと読む
樋口 助弘(ひぐち すけひろ、1896年4月7日 - 195… 樋口 助弘(ひぐち すけひろ、1896年4月7日 - 1958年8月9日)は、放射線科医師。九州大学医学部講師。東京慈恵会医科大学教授。 日本で放射線が医療に利用されたはじめから、主としてエックス線の利用による診断、治療に関する研究に従事、その成果を数多くの論文に発表し、特に放射線障害の研究、放射線保護物質の研究を行い、1956年(昭和31年)文部省科学研究費による総合研究、特に「放射能の人体最大許容量の決定」については、研究班長としての取りまとめにあたるなど、多方面に大きな足跡を残した。 新潟県南魚沼郡湯沢町出身。新潟県立長岡中学校、第六高等学校卒業。1922年(大正11年)九州帝国大学医学部卒業。
もっと読む