西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
小瀬 格(おせ いたる、1931年〈昭和6年〉1月21日 -… 小瀬 格(おせ いたる、1931年〈昭和6年〉1月21日 - 1995年〈平成7年〉8月30日)は、日本の俳優。本名は佐藤 格。 東京都出身。東京都立新宿高等学校、早稲田大学文学部卒業。文学座に所属していた。 昭和30年に劇団・文学座に入団。 福田恆存の『キティ颱風』で初舞台。その後は『握手握手握手』『華岡青洲の妻』『好色一代女』などに出演。
滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2… 滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2015年5月3日)は、日本の俳優、声優。本名:滝田 進(たきた すすむ)。旧芸名・別名は滝田 祐介。東京府荏原郡世田ヶ谷町北沢(現・東京都世田谷区北沢)出身。以前は劇団俳優座に所属していた。 東京都立戸山高等学校卒業。早稲田大学の演劇科を中退後、1953年に劇団俳優座の養成所2期生となりデビュー。同期には小林昭二、佐竹明夫、武内亨、土屋嘉男、横森久などがいる。1956年から1964年にかけて出演したテレビドラマ『事件記者』で人気を博した。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などの時代劇では悪役を演じることが多かったが、のちに善人役を演じる機会が増えた。
杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日… 杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日本の元俳優、華道家。東京市小石川区春日町(現:東京都文京区)出身。本名は杉田 康恕(すぎた やすのり)。 旧制浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学卒業。 大学で演劇と出会い、卒業と同時に俳優として大映東京撮影所に入社し、15年間映画やテレビドラマで活躍した。1972年、華道家である父・先代六世香翠より七世を継承。俳優から華道家に転身、桂古流・桂流の家元となる。日本いけばな芸術協会参与、さいたま市いけばな芸術協会会長、埼玉県いけばな連合会理事長を務める。 ※『ブルークリスマス』、『THWAY 血の絆』以外大映作品。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 … 加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 - 2015年〈平成27年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。文学座前代表。東京市京橋区(現:東京都中央区)出身。早稲田大学英文科卒業。俳号は「阿吽」。 築地で仲卸業を営む家に生まれる。祖母は十五代目市村羽左衛門の贔屓、両親共に清元節を嗜み、姉は舞踊をやっていた。中央区立泰明小学校、麻布中学校、早稲田大学高等学院卒業。小沢昭一・フランキー堺・仲谷昇・大西信行・なだいなだ・内藤法美は麻布中学校の同級生だった。幼少期より歌舞伎を愛好し、学校を早退してまで歌舞伎座に通っており俳優に憧れていた。 早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで映画監督の今村昌平・俳優の北村和夫らと知り合う。
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)… 小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。
横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 198… 横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 1981年4月18日)は、日本の俳優、声優。妻は女優の川口敦子。 東京府豊多摩郡杉並町(現東京都杉並区)出身。劇団俳優座に所属していた。 早稲田大学第一文学部卒業後、劇団俳優座養成所に第2期生として入団。同期には小林昭二、滝田裕介などがいる。1953年の卒業と同時に正式に俳優座に入団。舞台の傍ら映画、テレビにも出演するようになり、インテリタイプの悪役として注目され、悪役を演じる機会が多くなっていった。また、アニメ、洋画吹き替えなど声優としても活動した。ジェームズ・メイソンの声を吹き替えることが多かった。 川口敦子とは1957年に結婚し、一女がいた。
北村 和夫(きたむら かずお、1927年〈昭和2年〉3月11… 北村 和夫(きたむら かずお、1927年〈昭和2年〉3月11日 - 2007年〈平成19年〉5月6日)は、日本の俳優、声優。東京府(現東京都)出身。早稲田大学第一文学部芸術科(現・演劇科)卒業。文学座に所属していた。 息子は俳優の北村有起哉、娘は女優の北村由里。紫綬褒章(1989年)、勲四等旭日小綬章(1997年)受章。 出生地は、東京市小石川区(現東京都文京区)竹早町、出身地は静岡県三島市[信頼性要検証]。父の肇は医師で、その二男として生まれた。祖父の北村利吉は富坂警察署で特高係をしていた。東京都立第十一中学(現在の東京都立江北高等学校)卒業。研数専門学校、東京工業専門学校に進み、終戦を迎える。
佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日… 佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日 - 1964年〈昭和39年〉8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。身長173.2cm(172cmとも)。本名は中井 寛一(なかい かんいち)。監督や共演者からは、本名から「寛ちゃん」と呼ばれた。 女優・エッセイストの中井貴惠と、俳優の中井貴一は実子である。 京都市下京区柳馬場仏光寺南の商家で父・敬蔵、母・イトコの二男として生まれ、両親と5歳上の兄と2歳上の姉のもとで育つ。聚楽小学校から京都市立第二商業学校(後の北野中学)を卒業し早稲田大学専門部政経科(のちの政治経済学部)に入学。中学3年生の頃に母、大学入学時に父を亡くすが、兄と姉が親代わりとなり佐田の生活を支えた。
桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月… 桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月20日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本のピアニスト、コメディアン、俳優。本名・桜井 千里。ワタナベエンターテインメント所属。 公式プロフィール上では1930年(昭和5年)3月20日生まれとなっているが、実際は1926年(大正15年)生まれ。これはハナ肇とクレージーキャッツの他のメンバーとのバランスを取るためだったとされている(最年少の安田伸は1932年(昭和7年)生まれ)。その結果、旧制中学の後輩である石橋エータロー、犬塚弘より年少ということになった。旧名・桜井 ヘンリーとして父志郎の赴任地のイギリス・ロンドンに生まれ、3歳までその地で育つ。
佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 200… 佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 2009年2月26日)は、日本の俳優。本名は、中山 賢雄(なかやま としお)。東京府豊多摩郡戸塚町(現在の東京都新宿区)出身。最終所属はエ・ネスト。娘は歌手の中山圭以子。 早稲田大学理工学部建築科卒業後、三菱電機大船工場に勤務していたが、バスの中で谷口千吉監督にスカウトされ、1951年東宝に入社し、映画『死の断崖』で俳優デビューを果たした。当時の芸名は片桐余四郎だった。その後、演技の勉強をし直すため劇団俳優座養成所に第2期生として入団した。同期には土屋嘉男、小林昭二、滝田裕介、横森久などがいる。 劇団俳優座、松竹を経てフリーになり、以後は時代劇などテレビドラマを中心に活動した。
根本 嘉也(ねもと よしや、1926年1月9日 - 2004… 根本 嘉也(ねもと よしや、1926年1月9日 - 2004年2月15日)は、日本の俳優、声優。劇団近代座設立者。 神奈川県出身。早稲田大学卒業。シェークスピア劇を専門に舞台活動を行っていた。劇団近代座の設立者でもあり、桐の会、土の会、ニューアーツ、馬場企画を経て、アーツビジョンから再び近代座に戻り、代表を務める。2004年2月15日逝去。 死後、近代座の代表は会田由来が受け継いだ。 声種はテノール。年配の太めの声を持つ。 張りのある老人役を演じていた。 特技は乗馬、日本舞踊(名取)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1… 中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1月4日 - 1980年〈昭和55年〉11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。 神奈川県横浜市生まれ。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。 1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、1945年に俳優座に入団。演出助手や舞台監督を経て、1949年に養成所講師となる。1953年、俳優座養成所の2期生とともに劇団仲間を結成、主宰者となる。
岡 豊(、1925年〈大正14年〉7月11日 - 2000年… 岡 豊(、1925年〈大正14年〉7月11日 - 2000年〈平成12年〉7月27日)は、日本の元俳優である。妻は女優の記平佳枝。 東京府東京市(現在の東京都)出身。早稲田大学卒業。 東宝ニューフェイス第1期として東宝に所属。クレジットされる作品は少ないが、ジャンルを問わず数多くの映画に出演。特に特撮映画では新聞記者を演じていることが多い。アナウンサー役もいくつか演じており、記平は特にアナウンスを学んだことはなく、東京出身で訛りがないため選ばれたのではないかと述べている。 俳優の中島春雄とは両夫婦で新婚旅行に行くほど仲が良かった。 1971年(昭和46年)、専属俳優一斉解雇の際に俳優を引退。記平によると、引退後はビル管理会社に勤務していたという。
江見 俊太郎(えみ しゅんたろう、1923年9月16日 - … 江見 俊太郎(えみ しゅんたろう、1923年9月16日 - 2003年11月17日)は、日本の俳優。本名は黒川 輝郎(くろかわ てるお)。旧芸名は江見 渉。 東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区中野)出身。早稲田大学専門部政治経済科卒業。妻は女優の松風はる美で、1976年から共同で「劇団ノア」を運営していた。 学徒出陣により海軍航空隊少尉で神風特攻隊出身。1945年復員後、東宝に入社し『民衆の敵』でデビュー。後に新東宝に移り、主に準主役で、色悪を主とした悪役としても活躍。また1947年に初舞台『出家とその弟子』で唯円役を演じるなど、早くから演劇活動を行い、多くの名作舞台に出演している。1964年に上演された『龍馬翔く』には後藤象二郎役で出演していたが、主演の南原宏治が公演中に負傷して降板を余儀なくされ、二幕目からは急遽、江見が南原の代役に立って務め上げた。
市川 喜一(いちかわ きいち、1923年〈大正12年〉6月2… 市川 喜一(いちかわ きいち、1923年〈大正12年〉6月26日 - 2006年〈平成18年〉3月31日)は、日本の映画プロデューサー・元俳優である。俳優としての芸名は黒田潤。群馬県高崎市出身。妻は市川千恵子(旧姓・関千恵子、元女優)。 海軍予備学生として魚雷艇部隊に在籍した。1946年に早稲田大学法学部を卒業するとともに、黒田潤名義で、新人スターとして大映入りして、いくつかの作品に出演。デビュー作『いつの日か花咲かん』で共演した関千恵子と交際、後に結婚。 1952年に大映を退社してフリーとなる。シナリオ作家志望だった市川は、故郷の群馬県高崎市の交響楽団をモデルにした作品を構想して、今井正監督に売り込んで採用される。
北見 治一(きたみ はるかず、1920年〈大正9年〉7月30… 北見 治一(きたみ はるかず、1920年〈大正9年〉7月30日 - 1995年〈平成7年〉10月23日)は、日本の俳優、演劇研究家。本名同じ。 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学国文科卒業。六月劇場に所属していた。 大学在学中に劇団「若い仲間」を結成して演劇活動を行う一方、同人誌「演技研究」を発刊する。 1943年より兵役のためフィリピン・レイテ沖海戦に加わる。 1949年、女優の杉村春子の紹介で文学座に参加し、1950年の舞台『わが心の高原』(ユージン・オニール)ので、杉村の相手役を演じる。 岩田豊雄を師と仰ぎ、中村伸郎らと親しかった。1963年、三島由紀夫の『喜びの琴』事件で脱退し、1964年の劇団NLT結成に参加する。
河井 坊茶(かわい ぼっちゃ、-ぼうちゃ、1920年7月24… 河井 坊茶(かわい ぼっちゃ、-ぼうちゃ、1920年7月24日 - 1971年12月1日)は、日本の俳優、歌手、放送タレントである。本名は秋元 喜雄(あきもと よしお)。 1920年(大正9年)7月24日、秋元喜雄として生まれる。早稲田大学理工学部を卒業後、母校の暁星中学校で数学教師をつとめていた。 1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲、同年8月15日、25歳のときに第二次世界大戦の終戦を迎え、同年11月、復員してきた三木鶏郎が東京大空襲で焼け跡となっていた三木の九段の自宅跡に掘立小屋「鶏小屋第1号」を建てたとき、河井は妻とともに居候する。 翌1946年(昭和21年)1月29日、三木がNHKラジオの番組『歌の新聞』第1回放送に出演するにあたり、繁田裕司(三木)、朝川賞郎、秋元喜雄(河井)3人の「コメディアン・ハーモニスト」名義でともに出演した。
浜田 寅彦(はまだ とらひこ、1919年9月18日 - 20… 浜田 寅彦(はまだ とらひこ、1919年9月18日 - 2009年10月15日)は、日本の俳優。本名は同じ。 高知県安芸郡奈半利町出身。早稲田大学文学部卒業。劇団俳優座に所属していた。 1937年、早稲田大学文学部国文学科に進み、在学中に演劇の道を志す。移動劇団・瑞穂劇団の研究生を経て、兵役後の1946年に劇団俳優座に入る。『桜の園』や『三人姉妹』などの舞台に立った。 1947年『女優須磨子の恋』で映画デビューして以降、映画で端役・助演問わず多くの作品に出演し、1956年公開の映画『壁あつき部屋』では主演を務めた。またテレビ放送が開始された1953年当時からテレビドラマに出演しており、特に刑事ドラマや時代劇における悪役として、悪徳商人やヤクザの親分、庄屋の役などを演じたが、1980年代以降は善人役・老人役を演じることが多くなった。
大内 弘(おおうち ひろし、1914年3月15日 - 没年不… 大内 弘(おおうち ひろし、1914年3月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名大内 一郎(おおうち いちろう)。 1914年(大正3年)3月15日、愛媛県松山市に生まれる。4歳下の妹に女優の大内照子(本名・大内幸香)がいる。 旧制・愛媛縣松山中學校(現在の愛媛県立松山東高等学校)を卒業、東京に移って、旧制・早稲田大学附属早稲田高等学院(大学予科、現在の早稲田大学高等学院)に進学するが、2年次で中途退学する。京都に移り、1933年(昭和8年)9月、満19歳のときに松竹下加茂撮影所に入社した。 記録に残る最初の出演作品は、同年2月22日に公開された二川文太郎監督の『仁義は耀く』である。同年5月9日に公開された笠井輝二監督の『やくざ無敵』、同年7月18日に公開された同じく『第二新選組』ではすでに主演している。
森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 200… 森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。
松下 達夫(まつした たつお、1912年3月13日 - 19… 松下 達夫(まつした たつお、1912年3月13日 - 1985年8月20日)は、日本の俳優。太陽プロモーション所属。奈良県出身。 大阪府大阪市福島区生まれ。早稲田大学文学部英文学科卒業。 北支那方面軍へ兵役後、1934年、中央演劇会を経て同年中に村山知義らの新協劇団に研究生として参加する。1935年に映画デビューする。その後スマトラ島からタイへの兵役を経て、1952年に滝沢修、宇野重吉らの劇団民藝に入団、『セールスマンの死』などの舞台に立った。1973年に民藝を退団し、フリーとなった。舞台のほか、映画、テレビドラマでも渋い脇役として活躍した。 趣味・特技は関西弁、剣道(2段)。
近衛 敏明(このえ としあき、1911年7月3日 - 没年不… 近衛 敏明(このえ としあき、1911年7月3日 - 没年不明)は、日本の俳優。北海道岩見沢市出身。本名は柿崎 敏一、旧芸名は近江敏明。趣味は音楽鑑賞。 早稲田大学経済学部卒業。 1934年、松竹蒲田撮影所に入り、同年の『会社員閣下』で主演する。誠実な青年役で注目を集めた。また、松竹の看板スターだったが、1935年に松竹を退社した藤井貢が主演していた『若旦那』シリーズに藤井の跡を継いで主演した。1930年代半ばから清水宏監督などのメロドラマで主役を演じたが、次第に脇役に回っていった。本人も「脇役のほうに持ち味があると自他ともに認めた」と語っている。1937年頃に上原謙、夏川大二郎、徳大寺伸と第八芸術(=映画)にちなんだ研究会「8クラブ」を結成し、毎月、演劇や音楽関係の有識者を呼んで、講演会を開いていた。
笈川 武夫(、1905年〈明治38年〉6月25日 - 196… 笈川 武夫(、1905年〈明治38年〉6月25日 - 1960年〈昭和35年〉4月4日)は、日本の俳優である。本名は春野 武雄(はるの たけお)。及川 武夫と表記に揺れがある。日本初のテレビ時代劇『半七捕物帳』の主役として知られる。妻は元松竹の舞台女優で、村田嘉久子、村田竹子と共に「帝劇三姉妹」といわれた村田みね子である。 1905年(明治38年)6月25日、東京府東京市芝区南佐久間町に生まれる。芝愛宕小学校を経て旧制芝中学校(現在の芝中学校・高等学校)に入学。卒業後、海軍兵学校の入学試験を受けるも不合格となり、早稲田大学に進学する。しかしそれでも諦められず、再び海軍兵学校を受験して合格したが、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で実家及び学校は全焼した。
北 竜二(きた りゅうじ、1905年1月1日 - 1972年… 北 竜二(きた りゅうじ、1905年1月1日 - 1972年4月16日)は、日本の俳優、脚本家。本名:山田 東吾 。東京府東京市京橋区出身。 東京市京橋区生まれ。三光尋常小學校卒業。1922年、早稲田大学文学部に入学するも2年で中退。日活封切館・新宿帝都座の次席弁士として無声映画末期の説明界で存在感を示した。弁士時代の名前は山田無声。その後、松竹大船撮影所脚本部に所属したのち、1937年に日活多摩川撮影所に俳優として入社。 1937年の映画『限りなき前進』でデビューするや、注目され始め、助演俳優として活躍 。1942年に統合で大映東京に移籍。1948年にフリーとなって、1950年に松竹大船に所属、重厚な雰囲気から、主に校長や重役、父親役で数多くの映画に出演。
千田 是也(せんだ これや、1904年7月15日 - 199… 千田 是也(せんだ これや、1904年7月15日 - 1994年12月21日)は、日本の演出家、俳優。東京市出身、建築家・伊藤為吉の五男。本名は伊藤 圀夫。
芝田 新(しばた あらた、1903年6月16日 - 没年不明… 芝田 新(しばた あらた、1903年6月16日 - 没年不明)は、日本の俳優である。本名川上 勇之進(かわかみ ゆうのしん)。 1903年(明治36年)6月16日、北海道函館市に生まれる。 上京して早稲田大学文科卒業後、大阪市に移る。大阪松竹劇団を経て新声劇の幹部俳優となり、大阪の角座、浪花座などに出演。1933年(昭和8年)には日活太秦撮影所に入社して映画俳優もこなした。映画界入りの最初の年には主演作『峠三里』と『月光人斬橋』を残しているが、以後は脇役に専念。1934年(昭和9年)に第一映画、1936年(昭和10年)には新興キネマへの移籍を経て、のちにフリーとなる。第二次世界大戦中から終戦後にかけてはフリーとして、東宝劇団、東宝撮影所、榎本健一一座、古川緑波一座などで活躍した。
浅岡 信夫(あさおか のぶお、明治32年(1899年)12月… 浅岡 信夫(あさおか のぶお、明治32年(1899年)12月15日 - (昭和43年)1968年11月12日)は、日本の俳優、政治家である。第二次世界大戦前、サイレント映画時代の日活スター俳優であり、映画監督、プロデュースも務めた。戦後、参議院議員も務めた。身長177.3cm、体重93Kg。身長180cm、体重90Kg。
友田 恭助(ともだ きょうすけ、1899年(明治32年)10… 友田 恭助(ともだ きょうすけ、1899年(明治32年)10月30日 - 1937年(昭和12年)10月6日)は、日本の新劇俳優。本名は伴田五郎。 1899年(明治32年)、東京市日本橋区(現 : 東京都中央区)に実業家の伴田六之助の子として生まれる。幼い頃から芝居を好んで過ごし、錦城中学校へと進んだ。中学生の頃に土方与志と知り合い、伯母の住む神奈川県茅ヶ崎の家に南湖座と名付けられた芝居小屋を作ってもらい、土方らと素人劇団を作りそこで演劇をしていた。1917年(大正6年)に早稲田大学独文科へと進み、在学中に新劇協会の畑中蓼坡の指導を受けて、1919年(大正8年)に『ワーニャ伯父さん』で本格的な舞台初出演を果たした。
根岸 東一郎(ねぎし とういちろう、1899年〈明治32年〉… 根岸 東一郎(ねぎし とういちろう、1899年〈明治32年〉10月 - 1970年〈昭和45年〉)は、日本の元俳優、元映画監督、元脚本家である。本名同じ。 1899年(明治35年)10月、群馬県前橋市紅雲町に生まれる。 1917年(大正6年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。明治学院から早稲田大学商学部へ進学して、卒業後は新劇団金星座に入り初舞台を踏む。1925年(大正14年)2月、日活京都撮影所に入社。同年、同撮影所第二部で製作された村田実・三枝源次郎共同監督による現代劇のサイレント映画『法を慕ふ女』に出演して映画デビューした。同社では現代劇俳優であった。 1928年(昭和3年)4月、マキノ・プロダクションに移籍。
渡辺 邦男(わたなべ くにお、1899年6月3日 - 198… 渡辺 邦男(わたなべ くにお、1899年6月3日 - 1981年11月5日)は、大正・昭和期の俳優、映画監督。 静岡県田方郡三島町(現:三島市)出身。 旧制静岡県立沼津中学(現:静岡県立沼津東高等学校)卒業後、早稲田大学商学部に入学し、浅沼稲次郎らと建設者同盟を結成し、左翼運動家として活躍。卒業後はコネで朝日新聞社の営業部に入るが、部長から「もぐり入社」と言われ憤然し退社。劇団に加わり地方巡業に出るが、解散の憂き目を見る。 仕事を求めて日活大将軍撮影所長・池永浩久に紹介される機会を持ち、面接で監督志望を伝えるが「3年間は俳優をしろ」と命じられ、初任給30円で雇われる。 1924年、『青春の歌』(村田実監督)で、運動会の応援団の旗手役で映画デビュー。
中村 紅果(なかむら こうか、1899年5月7日 - 196… 中村 紅果(なかむら こうか、1899年5月7日 - 1961年1月29日)は、日本の俳優である。本名中村 縣三(なかむら けんぞう)、別芸名中村 憲三(なかむら けんぞう)。 1899年(明治32年)5月7日、秋田県雄勝郡弁天村(現在の同県湯沢市弁天地区)に、旧家の主である父・中村一徳の三男として生まれる。 旧制・秋田縣立横手中學校(現在の秋田県立横手高等学校)を卒業し、1917年(大正6年)に東京に移り、出版社の雑誌記者や旧制小学校の教師などの職を経て、早稲田大学文科に入学、坪内逍遙の新文藝協会に入って新劇運動に参加する。1920年(大正9年)に明治座での『法難』で岡田嘉子、加藤精一らと共演、初舞台を踏んだ。
明石 潮 (あかし うしお、1898年9月11日 - 198… 明石 潮 (あかし うしお、1898年9月11日 - 1986年11月26日)は、日本の俳優。本名は明石 義仁。
荒尾 静一(あらお せいいち、1897年1月 - 没年不詳)… 荒尾 静一(あらお せいいち、1897年1月 - 没年不詳)は、日本の元俳優、舞踏家、振付師、元オペラ歌手である。荒尾 靜一と表記されることもある。本名及び旧芸名は吉冨 一郎(よしとみ いちろう)。マキノ・プロダクションの主要人物の一人であり、東京少女歌劇団の花形としても知られる。 1897年(明治30年)1月、鹿児島県に生まれる、とされている。『日本歌劇俳優写真名鑑』(歌舞雑誌社)には、生年は「明治三十年五月十三日」(1897年5月13日)である旨が記されている。また、2000年(平成12年)4月1日に発行された『日本映画興亡史 マキノ一家』(ワイズ出版)には、生年・出生地は不詳としている。 旧制・海城中学校(現在の海城高等学校)在学中から音楽研究所で声楽を学び、1912年(明治45年)、同中学校卒業後は早稲田大学に進学する傍ら高田舞踊団に入団、西本朝春らと同じ小学校出身の高田雅夫、石井漠らに師事して舞踊を学ぶ。
岩城 秀哉(いわき ひでや、1895年10月2日 - 没年不… 岩城 秀哉(いわき ひでや、1895年10月2日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は中家 秀一(なかや ひでかず)。旧芸名は岩城 秀雄(いわき ひでお)。 1895年(明治28年)10月2日、兵庫県神戸市山本通(現在の同県同市中央区山本通)に生まれる。関西学院中学部卒業後、早稲田大学英文科に進学する。 早稲田大学2年修了(中退)後、海運業輸出部主任を務めていたが、1917年(大正6年)、岩城秀雄という芸名で新国劇創立と共に同劇団に入団。以降、主に端役・脇役として出演するが、1922年(大正11年)頃からは岩城秀哉と改名して活動している。1924年(大正13年)1月、帝国キネマへ入社。同年2月7日に公開された佐藤紅緑原作の松本英一監督映画『大盗伝』や、同年4月2日に公開された若山治監督映画『肉弾』など、悪役俳優として活躍していたが、出演配役に岩城の名前は見当たらず、岩城自身も少々不平があったようである。
生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年〈明治28年〉4月1… 生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年〈明治28年〉4月1日 - 1964年〈昭和39年〉12月2日)は、活動弁士、俳優である。本名は生駒 悦(読み不明)。東京浅草を中心に高い人気を得た。 1895年(明治28年)4月1日、岡山県 真島郡落合村大字垂水(現在の同県真庭市落合垂水)で運送業を営む、若狭屋生駒宗平の長男・悦として生まれる。 1912年(明治45年)、旧制・岡山県立商業学校(現在の岡山県立岡山東商業高等学校)を卒業、役場につとめるが、退職して上京し、早稲田大学に入学した。やがて中退、伊井蓉峰門下から日活(1912年設立)の「活動写真弁士養成所」で弁士の技術を学んだ。 1916年(大正5年)、満21歳のころ、浅草の帝国館で公開されたユニバーサル映画の一連のブルーバード映画作品が大ヒットし、生駒の解説の功とされた。
武田 正憲(たけだ まさのり、1890年4月25日 - 19… 武田 正憲(たけだ まさのり、1890年4月25日 - 1962年3月3日)は、日本の俳優である。本名同じ。 1890年(明治23年)4月25日、東京府東京市芝区(現在の東京都港区芝)に、和歌山県出身の海軍中尉だった武田武守の息子として生まれる。 1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集 男優編』(キネマ旬報社)によれば、暁星中学校を経て早稲田大学専門部英文科に入学し、1909年(明治42年)5月、坪内逍遥らの文芸協会演劇研究所に1期生として入る。『讀賣新聞』によれば、1914年(大正3年)に早稲田大学英文科を卒業し、文芸協会演劇研究所に加入したという旨が記されている。
青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1… 青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1956年12月26日)は、日本の俳優、演出家、映画監督である。本名は青山 達美(あおやま たつみ)。 新潟県北蒲原郡紫雲寺村(紫雲寺町を経て、現在の新発田市米子)にある浄土真宗大谷派紫雲寺に、父・宣と母・綱の長男として生まれる。12歳下の弟に青山敏美 がいる。旧制新発田中学校(現在の新潟県立新発田高等学校)を卒業した。 1909年(明治42年)、旧制早稲田大学哲学科に入学した。在学中から演劇活動に参加し、同大学創立記念祭の野外公演で、青山杉作を名乗り初舞台を踏む。しかし、僧籍を拒み演劇活動に熱中しすぎたため、実家から送金を絶たれてしまい、英文科に転じた後大学を中退する。
加藤 精一(かとう せいいち、1889年4月11日 - 19… 加藤 精一(かとう せいいち、1889年4月11日 - 1963年8月28日)は、日本の俳優である。本名同じ。坪内逍遙の文芸協会に参加、新劇の初期から舞台俳優として活動した人物として知られる。 1889年(明治22年)4月11日、岡山県上房郡高梁町(現在の同県高梁市)に生まれる。父は熊本藩の漢学者出身の人物であったが、精一の出生後、まもなく死去したため、精一は、加藤家の養子となった。のちの俳優の成松和一(1905年 - 1944年)は義弟にあたる。地元の旧制高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)へ通い卒業する。 東京に移り、早稲田大学英文科に入学、小川未明、三木露風、北原白秋、西條八十らと詩作を通じて親交を結んだ。
山本 冬郷(やまもと とうごう、1886年11月4日 - 1… 山本 冬郷(やまもと とうごう、1886年11月4日 - 1952年3月24日)は、日本の元俳優である。本名:山本 鎌藏(やまもと けんぞう)。ハリウッド映画からスタートした日本人俳優で、帰国後は松竹蒲田撮影所、日活太秦撮影所、新興キネマ東京撮影所などで活躍した名脇役として知られる。 1886年(明治19年)11月4日、神奈川県横浜市根岸(現在の同県同市中区根岸町)に生まれる。旧制錦城中学校(現在の錦城学園高等学校)を卒業後、早稲田大学政治経済科に進学する。 1904年(明治37年)2月、早稲田大学を中退して渡米。種々の職業に従事していたが、日本から来た在留邦人相手の新派劇団に急遽加入し、各地を巡業する。
佐々木 積(ささき つもる、本名は同読で百千万億、1885年… 佐々木 積(ささき つもる、本名は同読で百千万億、1885年3月3日 - 1945年1月2日)は、日本の俳優である。坪内逍遥、島村抱月の「文芸協会」で「日本の女優第一号」こと松井須磨子の同期として新劇俳優を始め、「舞台協会」を設立、また日活や東亜キネマの無声映画にも出演した。のちのスター女優夏川静江、おなじくのちの俳優夏川大二郎は妻の連れ子である。 本名の「佐々木 百千万億」は珍名である。早稲田大学文学部露文科卒業。1909年(明治42年)4月、24歳のときに、坪内逍遥、島村抱月の「文芸協会」が設立した「文芸協会演劇研究所」に入学する。同期生は、武田正憲、林和、柳下富司、伊藤理基、掬月晴臣、日高清、久里四郎、志田徳三、松井須磨子、三田千栄子(のちの山川浦路、上山草人の妻)、五十嵐吉野の11名であった。
上山 草人(かみやま そうじん、1884年1月30日 - 1… 上山 草人(かみやま そうじん、1884年1月30日 - 1954年7月28日)は、日本の俳優。本名は三田 貞(みた ただし)。号は半月。 坪内逍遥の文芸協会を経て、妻の山川浦路らと近代劇協会を設立して新劇俳優として活動。1919年(大正8年)に渡米してからは映画界に転向し、ラオール・ウォルシュ監督、ダグラス・フェアバンクス主演の活劇映画『バグダッドの盗賊』に出演。ハリウッドで活躍した日本人俳優の一人となった。帰国後の出演作に『赤西蠣太』『七人の侍』などがある。 1884年(明治17年)1月30日、現在の宮城県遠田郡涌谷町に父・上山五郎の次男として、五郎の愛人である角川浦路との間に生まれる。父は産婦人科病院を経営していた医者で、宮城医学校教授を務めた。
土肥 春曙(どい しゅんしょ、1869年11月9日(明治2年… 土肥 春曙(どい しゅんしょ、1869年11月9日(明治2年10月6日)- 1915年(大正4年)3月2日)は、日本の新派俳優、劇作家である。春曙は芸名で、本名は庸元。 書家であった土肥直康(樵石) とその妻のカジュの長男として、肥後に生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)文科一期生として入学後、坪内逍遥に師事した。卒業後は読売新聞に勤務し、ジャーナリストとしての活動を経て、1901年(明治34年)には川上音二郎が座長を務める一座の座員となり、ヨーロッパ巡業に参加し、通訳等を務め俳優への道を志した。 帰国後は、大学時代の師匠である逍遥に再度師事し朗読会である「易風会」を創設に携わり、1906年(明治40年)には逍遥らが創設した文芸協会の設立時の俳優として、多くの作品に出演し主役を務め、端正な容貌や近代的な演技として名を馳せた。
曽世 海司(そぜ かいじ、10月18日 - )は、宮城県出身… 曽世 海司(そぜ かいじ、10月18日 - )は、宮城県出身の日本の俳優。所属は劇団 Studio Life。
YOSUKE (岸 洋佑)(きし ようすけ、7月2日 - )… YOSUKE (岸 洋佑)(きし ようすけ、7月2日 - )は、日本の歌手、俳優。神奈川県横浜市出身。身長182cm。血液型B型。早稲田大学人間科学部卒業。 2009年、友だちとカラオケに行き『歌スタ!!』のオーディションを受け、番組に出たことで芸能界を意識し始めた。 2010年、LDH主催のオーディション「VOCAL BATTLE AUDITION 2」に参加しファイナリストとなるも落選。しかし、これをきっかけにLDHに所属。 2012年、作曲家のマシコタツロウプロデュースのもと本格的に音楽活動を開始。 2014年、LDHを退所。就職しサラリーマンとなる。 2016年12月1日、要堂への所属およびケイダッシュとの業務提携を発表。
天野 陽一(あまの よういち)は、日本のミュージカル俳優であ… 天野 陽一(あまの よういち)は、日本のミュージカル俳優である。奈良県出身。劇団四季所属。 その他、出演ミュージカルは この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
池田 一臣 は、日本の俳優、演出家、脚本家、声優。東京都出身… 池田 一臣 は、日本の俳優、演出家、脚本家、声優。東京都出身。
石田 圭祐 は、日本の男性俳優、声優。文学座所属。神奈川県出… 石田 圭祐 は、日本の男性俳優、声優。文学座所属。神奈川県出身。妻は声優の山像かおり。
伊藤 和晃 は、日本の俳優、声優。東京都出身。劇団昴所属。本… 伊藤 和晃 は、日本の俳優、声優。東京都出身。劇団昴所属。本名・旧芸名は伊藤 博。妻は女優、声優の土井美加。