中西 智海(なかにし ちかい、1934年1月27日 – 20… 中西 智海(なかにし ちかい、1934年1月27日 – 2012年4月20日)は、日本の仏教学者・真宗学者。相愛大学名誉教授,学長。浄土真宗本願寺派 勧学。浄土真宗本願寺派西光寺前住職。富山県生まれ。 上記 中西智海著書の略歴等紹介文より。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡 亮二(おか りょうじ、1933年4月16日 - 2007… 岡 亮二(おか りょうじ、1933年4月16日 - 2007年2月16日)は、日本の仏教学者。浄土真宗の僧。 和歌山県生まれ。別名・亮爾。1958年龍谷大学文学部真宗学専攻卒。63年同大学院博士課程満期退学。1967年龍谷大学文学部助手、講師、助教授、77年教授。2000年「『教行信証』「行巻」の研究 第十七願の行の解明」で文学博士。2002年定年、名誉教授。念誓寺住職。
野本 一平(のもと いっぺい、1932年7月7日 - 202… 野本 一平(のもと いっぺい、1932年7月7日 - 2021年2月27日)は、日本出身の著述家で、浄土真宗の僧侶、新聞社元社長。本名は乘元恵三。 岩手県前沢(現・奥州市前沢)の寺院に生まれる。 1955年龍谷大学文学部仏教史学科を卒業。武蔵野女子学院中学校・高等学校で社会科教諭を務める。1962年10月に米国仏教70周年記念の訪米僧侶団に加わり、初めて訪米する。翌年5月、リトル・トーキョーの西本願寺別院開教使として渡米し、以後65歳の時に米国仏教団を退職するまで、ロサンゼルスやフレズノの寺院で活動した。 1997年、サンフランシスコの北米毎日新聞社代表取締役社長に就任する(2003年に辞任し、同社顧問となる)。
霊山 勝海(よしやま しょうかい/かつみ、1932年2月20… 霊山 勝海(よしやま しょうかい/かつみ、1932年2月20日 - 2020年6月21日)は、浄土真宗の仏教学者・僧侶。 広島県生まれ。1954年龍谷大学文学部真宗学科卒業、56年同大学院修士課程修了。京都女子大学文学部助教授、教授、同宗教研究所長、本願寺派司教、勧学。広島県安芸高田市法圓寺元住職。
宮城 泰年(みやぎ たいねん、1931年12月28日 - )… 宮城 泰年(みやぎ たいねん、1931年12月28日 - )は、日本の修験道(本山修験宗)の僧侶。大僧正、聖護院門主、龍谷大学客員教授。 1931年、京都府京都市左京区聖護院内の積善院に生まれる。1954年、龍谷大学文学部文学科卒業。新聞社に勤務。その後、聖護院に勤務。庶務部長、宗務総長、聖護院執事長などを歴任し、2007年、第52代門主に就任。その間、北爆下の北ベトナムや、ポル・ポト政権崩壊直後のカンボジアなどを取材し、仏教者と親交を深める。 京都仏教会常務理事、京都府京都市仏教会事務局長、日本宗教者平和協議会代表委員、宗教者九条の和代表世話人、平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人などを歴任。
杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 20… 杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 2019年3月13日)は、日本の福祉学者。弘前学院大学名誉教授。 福岡県豊前市生まれ。1958年龍谷大学英文科卒、龍谷大学短期大学部助教授、教授。広島女子大学教授、立正大学社会福祉学部教授、第一福祉大学(現・福岡医療福祉大学)教授、同人間社会福祉学部長。弘前学院大学大学院教授、名誉教授、皇學館大学教授。広島都市学園大学学術顧問、社会福祉法人宇治福祉園理事長、日本カウンセリング学会名誉会員、京都いのちの電話理事。
豊原 大成(とよはら だいじょう、とよはら ひろしげ 193… 豊原 大成(とよはら だいじょう、とよはら ひろしげ 1930年9月26日-2022年1月23日)は、日本の仏教学者。浄土真宗を中心に研究する。浄土真宗本願寺派宗会議員、全日本仏教会元理事長。 また、浄土真宗本願寺派総長、学校法人龍谷大学理事長、総務、同派西福寺住職、築地別院輪番、津村別院・堺別院輪番、四天王寺国際仏教大学教授を務めた。
村越 末男(むらこし すえお、1930年7月2日 - 200… 村越 末男(むらこし すえお、1930年7月2日 - 2008年4月11日)は、日本の部落問題研究家。大阪市立大学名誉教授。高知県出身。 高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)の被差別部落に生まれ育つ。1953年、龍谷大学文学部哲学科社会学専攻卒業。高知県立中村高校教諭、高知大学教育学部非常勤講師などを勤めながら、解放団体高知県連合会の創立に参加した。1968年4月、大阪府同和教育指導員となり、同年8月大阪部落解放研究所の設立に参加し、事務局長と理事を兼任する。1970年9月、大阪市立大学助教授、1980年4月、同教授。1983年、全国大学同和教育研究協議会事務局長(1992年、同副会長)。1984年、部落解放研究所第2代理事長に就任、大阪市立大学同和問題研究室室長。
河原 枇杷男(かわはら びわお、1930年4月28日 - )… 河原 枇杷男(かわはら びわお、1930年4月28日 - )は、俳人。本名は田中 良人(たなか よしひと)。兵庫県宝塚市に生まれる。龍谷大学文学部卒。 1954年より永田耕衣に師事し「琴座」同人、1958年に高柳重信の「俳句評論」創刊に参加。1984年「序曲」を創刊・主宰(1989年まで)。第3回俳句評論賞、第2回鬣TATEGAMI俳句賞、第4回正岡子規国際俳句賞を受賞。また西宮市大谷記念美術館事務局長などを歴任。代表句に「野菊まで行くに四五人斃れけり」「身のなかのまつ暗がりの螢狩り」「或る闇は蟲の形をして哭けり」など。存在論的な深みを持つ幻想的な句風。句集に『烏宙論』『流灌頂』『蝶座』などがある。
大洲 斉(おおず ひとし、1928年5月15日 - 1991… 大洲 斉(おおず ひとし、1928年5月15日 - 1991年4月11日)は山口県大島郡久賀町出身の映像監督である。大洲齊名義の作品も多数ある。 龍谷大学文学部卒業後、大映京都撮影所で助監督として働き始める。1971年の大映倒産後、映像京都に属してテレビ時代劇を主に監督した。監督した初監督作品にして唯一の映画作品、松田優作主演の『ひとごろし』で京都映画祭新人監督賞を受賞した。 主なテレビ時代劇監督作品は『木枯し紋次郎』シリーズ、『江戸の旋風 』シリーズ、また『破れ傘刀舟悪人狩り』以降、『長崎犯科帳』、『子連れ狼』、『赤穂浪士』などの萬屋錦之介主演時代劇を多く監督した。
日野 昭(ひの あきら、1928年4月11日 - 2011年… 日野 昭(ひの あきら、1928年4月11日 - 2011年7月19日)は、日本の日本古代史学者。龍谷大学名誉教授。 岐阜県生まれ。龍谷大学卒、同大学院文学研究科修了、1980年「日本古代氏族伝承の研究」で龍谷大学文学博士。龍谷大学助教授、教授を務めた。1997年定年、名誉教授となる。門下に松倉文比古、水谷千秋がいる。
八田 憲英(はった けんえい、 1928年〈昭和3年〉 - … 八田 憲英(はった けんえい、 1928年〈昭和3年〉 - 1992年〈平成4年〉)は、浄土真宗本願寺派の僧侶、本派本願寺ハワイ別院の元開教使である。元フォーダム大学講師。元セント・ジョンズ大学講師。真宗大谷派東京教区千葉組萬燈山恵光寺の開基。浄土真宗本願寺派岐阜教区揖斐組光蓮寺の元衆徒。
北畠 典生(きたばたけ てんせい、1928年 - 2024年… 北畠 典生(きたばたけ てんせい、1928年 - 2024年12月25日)は、日本の仏教学者。龍谷大学名誉教授、元学長。岐阜聖徳学園大学名誉教授、元学長。文学博士。浄土真宗本願寺派勧学・善行寺住職(天童市)。北海道留萌市生まれ。 東京仏教学院・中央仏教学院・天理大学・京都女子大学・大谷大学大学院の非常勤講師。バァークレーIBS(米国仏教大学院)・韓国東国大学校仏教大学院の客員教授を歴任。 山内慶華財団理事長、仏教学術振興会理事、真宗保育学会理事長、仏教教育学会理事を歴任。
網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
大庭 脩(おおば おさむ、昭和2年(1927年)1月20日 … 大庭 脩(おおば おさむ、昭和2年(1927年)1月20日 - 平成14年(2002年)11月27日)は、日本の歴史学者。 専門は東洋史、特に中国簡牘学・日本木簡学・中国法制史・日中関係史。皇學館大学元学長、関西大学名誉教授、大阪府立近つ飛鳥博物館元館長。正五位。勲三等旭日中綬章。文学博士(関西大学)。 京都府京都市に生まれる。3ヶ月後、大阪府豊能郡池田町(現・池田市)に移る。 1932年に池田町立幼稚園に入園、1933年に大阪府立池田師範学校附属小学校に入学、1939年に大阪府立北野中学校に入学、1944年に浪速高等学校文科に入学。1947年に龍谷大学文学部東洋史学科に入学、1950年に同大学卒業。
新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう … 新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう あきひこ)、1927年 - 2001年3月17日)は華厳宗の僧侶。 第216世東大寺別当(住職)、華厳宗管長。大仏開眼千二百五十年慶讃大法要、奈良国立博物館特別展「東大寺のすべて」などに道筋をつけた。 叔父は第206世東大寺別当の上司海雲。子供がいなかった上司の勧めで東大寺に入寺、東大寺塔頭観音院を継承する。 1945年旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)卒。龍谷大学文学部仏教学科卒。 新制金鐘高等学校(現:東大寺学園高等学校)の教師、主事(事務局長)、学校法人東大寺学園常任理事を経て、1984年同理事長(~1987年)。1986年東大寺学園中高等学校の校長兼任(~1987年)。
信楽 峻麿(しがらき たかまろ、1926年9月15日 - 2… 信楽 峻麿(しがらき たかまろ、1926年9月15日 - 2014年9月26日)は、日本の真宗学者。文学博士、仏教伝道協会理事長、元龍谷大学長、浄土真宗本願寺派教円寺住職。広島県賀茂郡豊栄町(現:東広島市)生まれ。 親鸞自身の仏教領解と本願寺教団の伝統的親鸞理解を峻別した。そのため浄土真宗の正統教義である「信心正因・称名報恩」を否定しており、問題視されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
増井 悟朗(ますい ごろう、1925年6月7日 - 2015… 増井 悟朗(ますい ごろう、1925年6月7日 - 2015年8月7日)は、大阪市浪速区生まれの宗教家。浄土真宗華光会前代表、浄土真宗本願寺派布教使。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 20… 西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 2013年6月11日)は、医事評論家、浄土真宗の僧、仏教系の電話カウンセラー。新字体で西来 武治とも表記される。 北海道生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。中学、高校教師をへて医事雑誌の編集に携わり、健康雑誌『ホームドクター』編集長、1982年退任。『ぴいぷる』編集長。朝日ホームドクター社取締役。1971年より海老名市の自宅で夫人のみわと「ダイヤルフレンド」を始め電話相談にのる。ヘルスプランニング西来代表取締役。1998-2002年千代田女学園中学校・高等学校長。真宗高田派住職。彰見寺衆徒。2012年仏教伝道文化賞受賞。 2013年6月11日、肺癌のため死去。
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月3… 高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。 大阪市出身。俗名は高田好一。裕福な家庭に生まれたが、11歳のとき証券会社勤務の父を肺結核で失い困窮した。母方の実家は東大寺龍蔵院で、知人だった薬師寺の管主橋本凝胤が弟子として好胤を引き取った。凝胤の教育は厳しかった。幼少期、友人宅に呼ばれて遊びに行ったとき、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 199… 石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の俳優、僧。本名は石田 千尋。長男は俳優・声優の石田太郎。 石川県金沢市出身。龍谷大学文学部真宗学科卒業。 大阪市立枚方中学校(現:枚方市立枚方中学校)の教諭を経て、毛利菊枝が主宰する劇団くるみ座や、森繁久彌の森繁劇団などを経て、東宝の専属俳優となる。 東宝の映画では、ほとんどが端役での出演であるが、特撮映画やクレージー映画などに常連出演して活躍した。1960年代以降はテレビドラマにも出演している。 俳優引退後は、地元の金沢市にある浄土真宗本願寺派乗敬寺の住職を務めていた。 1997年、死去。乗敬寺の住職は長男の太郎が俳優業の傍ら引き継いだ。
佐伯 恵達(さえき えたつ、1924年 - 2007年)は、… 佐伯 恵達(さえき えたつ、1924年 - 2007年)は、日本の僧侶、浄土真宗本願寺派長昌寺住職、高校教諭。 宮崎県宮崎市の寺の家に生まれる。9歳で得度し仏門に入る。龍谷大学に入学するが、在学中に学徒出陣。陸軍少尉で終戦を迎える。終戦後龍谷大へ復学。1951年同大学大学院修了。 宮崎県立宮崎大宮高等学校・宮崎県立宮崎南高等学校・宮崎県立宮崎東高等学校などで教鞭をとる。定年後は宮崎女子短期大学講師を務める。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤澤量正(藤沢量正、ふじさわ りょうしょう、1923年-20… 藤澤量正(藤沢量正、ふじさわ りょうしょう、1923年-2012年7月3日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。 滋賀県生まれ。龍谷大学文学部卒業。鉄道道友会講師、伝道院研修部長、中央仏教学院講師、滋賀県浄光寺住職。本願寺派布教使。
越中 哲也(えっちゅう てつや、1921年12月13日 - … 越中 哲也(えっちゅう てつや、1921年12月13日 - 2021年9月25日)は、長崎市出身の郷土史家。長崎歴史文化協会では理事長を務めていた。長崎純心大学名誉教授。 長崎の民話「飴屋の幽霊」(毎年8月16日が御開帳日となる「産女の幽霊像」も光源寺で保管)の話の舞台になった光源寺の息子として生まれる。長崎県立長崎中学校、龍谷大学文学部仏教学科卒業後、徴兵され戦地へ。復員直後、焼け残った県立図書館に通っていたところ古賀十二郎、渡辺庫輔、片岡弥吉、林源吉、永島正一などの郷土史家に出会ったことが契機となり、自身も郷土史研究の道を歩むことになる。1955年(昭和30年)に長崎市職員となり、長崎市立博物館に学芸員として勤務、1974年(昭和49年)館長に就任。
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 20… 千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 2008年4月12日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者・歴史学者。学位は、文学博士(論文博士・1977年)。龍谷大学名誉教授・元学長、元相愛学園長・理事長。 真宗史、真宗教団史他の研究において数多くの研究、業績を残した。浄土真宗本願寺派安楽寺第26世住職。徳島県生まれ。
中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2… 中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2011年10月13日)は、日本の児童文学作家、児童文化研究者。財団法人大阪国際児童文学館特別顧問、京都女子大学名誉教授、大阪府立国際児童文学館名誉館長。 京都女子大学教授、日本児童文学学会会長、日本保育学会理事、大阪府立国際児童文学館館長、財団法人大阪国際児童文学館理事長などを歴任した。 奈良県出身。生家は寺院であり、その長男として誕生した。早熟であり、中学生にして習作を手がけるなど、幼いころから創作活動に取り組んでいた。その結果、18歳にして自らの作品で原稿料を得ていた。1949年、龍谷大学文学部国文学科を卒業した。 1949年より京都女子大学に勤務し、同教授を経て、大阪府立国際児童文学館の館長を務めた。
渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日 - 1… 渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日 - 1989年7月1日)は、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表、球団社長。 大阪市の天満にある万福寺の住職の次男として生まれる。 龍谷大学文学部に進学し、映画監督の松林宗恵とは同期であった。1944年に大学卒業した後に、海軍航空隊に志願し、海軍士官となる。 復員後は、京阪神急行電鉄に入社。 1968年10月にパ・リーグ会長に就任した岡野祐の後任として、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表に就任した。1976年から1978年までは球団社長を務めた。 1989年7月1日に心不全のために死去。68歳没。
松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年(大正9年)7月… 松林 宗惠(まつばやし しゅうえ、1920年(大正9年)7月7日 - 2009年(平成21年)8月15日)は、日本の映画監督。元海軍士官で、僧侶でもある。法名、釈 宗惠(しゃく しゅうえ)。 島根県江津市桜江町(元邑智郡桜江町)の浄土真宗の寺の五男に生まれる。小学校から井原村満行寺(現・邑智郡邑南町)に移り、中学は広島新庄中学に入学して2年生から広陵中学(現・広陵高校)に転校し、広島市へ出た。1938年(昭和13年)に卒業した後には京都へ進み、1941年(昭和16年)に龍谷大学専門部を卒業。日本大学芸術学部に移り、在学中の1942年(昭和17年)には映画に仏心を注入したいと考え、東宝演出助監部に入る。
村上 速水(むらかみ としみ/そくすい、1919年1月20日… 村上 速水(むらかみ としみ/そくすい、1919年1月20日 - 2000年3月14日)は、日本の仏教学者。浄土真宗の僧。 岡山県出身。龍谷大学真宗学科卒。1947年永照寺に入寺、住職。1952年龍谷大学助手、助教授、65年教授。87年定年、名誉教授。
帆足 正音(ほあし まさと、1919年(大正8年)1月8日 … 帆足 正音(ほあし まさと、1919年(大正8年)1月8日 - 1942年(昭和17年)3月15日)は、日本の海軍軍人。 最終階級は海軍予備中尉。マレー沖海戦においてイギリス艦隊を発見した偵察機の機長である。 大分県玖珠郡森町(現・大分県玖珠郡玖珠町)出身。父は浄土真宗本願寺派・鷹巣山光林寺の住職である。龍谷大学専門部に入学し、1938年(昭和13年)1月から、1940年(昭和15年)3月まで海軍予備航空団で飛行訓練を受ける。大学を卒業し僧侶の資格を得た後、海軍航空予備学生となり霞ヶ浦海軍航空隊へ入隊。1941年(昭和16年)4月、訓練終了と共に予備少尉に任官した。同日充員召集を受け、木更津海軍航空隊附となる。
原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日… 原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日本の詩人、歌人、中国文学者。弟は歌人の原田禹雄。 京都市の日蓮宗・妙徳寺の生まれ。1941年龍谷大学文学部卒、尾上柴舟門下の歌人となる。1953年雑誌『方向』を発刊。漢詩を軸に古典中国文学を多く翻訳。 唐代詩人の『李賀研究』を、個人雑誌で拠点に発刊、長年かけその作品を全訳注解した『李賀歌詩編』で、日本翻訳文化賞を1999年に受賞した。
齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月… 齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月5日 - 2019年〈令和元年〉11月19日)は、日本の僧、洋画家、元・真正極楽寺(真如堂)第53世貫主、元・京都教育大学教授、元・成安女子短期大学講師、愛知県名古屋市出身。
海邉 忠治(かいべ ちゅうじ、1917年〈大正6年〉2月19… 海邉 忠治(かいべ ちゅうじ、1917年〈大正6年〉2月19日 - 2010年)は、日本の教育者、哲学者、宗教学者。甲子園短期大学元学長。相愛大学名誉教授。兵庫県出身。大阪府池田市に在住していた。 海邉藤八・てい夫妻の長男に生まれる。1941年(昭和16年)龍谷大学文学部を卒業。1947年(昭和22年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、龍谷大学講師を務める。 1948年(昭和23年)相愛女子専門学校教授となり、1950年(昭和25年)相愛女子短期大学助教授(哲学担当)・同教務部長に就任。1958年(昭和33年)相愛女子大学教授(哲学担当)・同教務部長に就任。1984年(昭和59年)同大学人文学部長に就任。
二葉 憲香(ふたば けんこう、1916年3月8日 - 199… 二葉 憲香(ふたば けんこう、1916年3月8日 - 1995年11月15日)は、日本の仏教学者。京都女子学園長。龍谷大学名誉教授・元学長。 1916年、広島県高田郡八千代町(現・安芸高田市)土師で生まれた。 生家は浄土真宗明願寺。龍谷大学ならびに同大学研究科で学び、1943年に卒業。 1946年、満洲から引揚げ、その後は龍谷大学教員となった。1974年、学位論文『古代仏教思想史研究』を龍谷大学に提出して文学博士号を取得。その後、龍谷大学教授に昇格。1969年、学長代行を務め、学園紛争を切り抜けた。1976年、龍谷大学第11代学長となった。1983年に学長を退任し、退職後は名誉教授となった。 その後は京都女子学園学園長となった。
森 龍吉(森 竜吉、もり りゅうきち、1916年2月3日-1… 森 龍吉(森 竜吉、もり りゅうきち、1916年2月3日-1980年3月22日)は、仏教史学者。 三重県出身。龍谷大学文学部社会学科卒。夕刊京都新聞の記者をしていてレッドパージにあう。平安女学院大学助教授、龍谷大学経済学部教授。浄土真宗の歴史を研究した。
飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 201… 飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 2016年9月30日)は、浄土真宗の僧、仏教音楽研究家、元飛鳥山善興寺住職。近代日本の仏教音楽を体系化した人物である。 浄土真宗本願寺派善興寺(富山県高岡市)に生まれる。父は、同寺第17代住職で、浄土真宗本願寺派の監正局長をつとめた飛鳥寛徹。1939年龍谷大学文学部仏教学科卒業。学校法人清光学園清光女子高等学校(現高岡龍谷高校)初代常務理事、浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター顧問をはじめ、財団法人国際仏教文化協会顧問や社会福祉法人中田保育園理事長などを歴任。仏教音楽コレクション・A主宰(現在は相愛大学の図書館に寄贈)。東洋音楽学会会員。善興寺第18代住職。
武邑 尚邦(たけむら しょうほう、1914年11月20日 -… 武邑 尚邦(たけむら しょうほう、1914年11月20日 - 2004年8月19日)は、日本の仏教学者・僧侶。東京大学仏教文化研究所で高楠順次郎に師事、龍谷大学に奉職、因明学と真宗学を中心に研究、龍谷大学学長・浄土真宗本願寺派勧学寮頭を務めた。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
坪井 俊映(つぼい しゅんえい、1914年(大正3年)10月… 坪井 俊映(つぼい しゅんえい、1914年(大正3年)10月2日 - 2010年(平成22年)9月6日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主、大僧正)。浄土三部経に関する著書多数。 1914年、京都府に生まれた。1935年、京都市の長徳寺住職に就任。龍谷大学仏教学科で学び、1941年に修了した。 戦後の1956年、佛教大学教授に就いた。1979年、佛教大学佛教文化研究所長に就任。1980年、学位論文『法然浄土教の研究:伝統と自証について』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。1988年、浄土宗勧学。1992年に佛教大学を退職し、名誉教授となった。 2010年(平成22年)9月6日、心不全のために遷化。
石田 充之(いしだ みつゆき、1911年10月8日 - 19… 石田 充之(いしだ みつゆき、1911年10月8日 - 1991年8月2日)は、浄土宗・浄土真宗の仏教学者。 山口県出身。旧姓は杉。龍谷大学卒、龍谷大学助教授、1957年教授、1972年退任、名誉教授。1973年浄土真宗本願寺派勧学となる。1962年「法然門流初期教学の基礎研究」で東洋大学文学博士。真宗教理史の研究で知られた。
清水 公照(しみず こうしょう、本名:東道 睦治(とうどう … 清水 公照(しみず こうしょう、本名:東道 睦治(とうどう むつじ)、1911年1月3日 - 1999年5月6日)は、華厳宗の僧侶。兵庫県飾磨郡曽左村(現・姫路市)出身。 第207世、第208世東大寺別当、華厳宗管長となり、大仏殿昭和大修理を行った。独特の味わいのある書画、陶芸で知られる。1963年頃から「泥仏(どろぼとけ)」と称するユニークな小さな仏像を制作した。泥仏庵と号す。また、「今良寛」の異名がある。
高見 寛恭(たかみ かんきょう、1910年(明治43年)6月… 高見 寛恭(たかみ かんきょう、1910年(明治43年)6月8日 - 1996年(平成8年))は、日本の真言宗の僧侶・高野山大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
福原 亮厳(ふくはら りょうごん、1909年〈明治42年〉8… 福原 亮厳(ふくはら りょうごん、1909年〈明治42年〉8月15日 - 2000年〈平成12年〉3月31日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。龍谷大学名誉教授。 広島県生まれ。龍谷大学仏教学科卒。1961年「阿毘達磨佛教教理研究」で龍谷大学文学博士。龍谷大学助教授、教授、1977年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派勧学。2000年3月31日、敗血症のため死去する。享年90歳。
花岡 大学(はなおか だいがく、1909年2月6日 - 19… 花岡 大学(はなおか だいがく、1909年2月6日 - 1988年1月29日)は、日本の童話作家・小説家・児童文学作家、仏教の僧侶である。本名如是(ゆきよし)、僧名大岳。浄迎寺の住職を務めた。京都女子大学名誉教授。
星野 元豊(ほしの げんぽう、1909年1月22日-2001… 星野 元豊(ほしの げんぽう、1909年1月22日-2001年5月24日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者。 鹿児島県生まれ。同県大口市(現・伊佐市)出身。1933年、龍谷大学宗教学科卒業。龍谷大学講師、助教授を経て、1949年文学部教授。1961年「宗教本質論」で龍谷大学より文学博士の学位を取得。1964年学長。1969年定年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派大嵓寺住職。 1981年、勲三等瑞宝章受勲。 昭和30年代、家永三郎らと念仏呪術論争に関わる。
遊亀 教授(ゆうき さずく、1908年4月 - 1997年1… 遊亀 教授(ゆうき さずく、1908年4月 - 1997年1月27日)は、日本の倫理学者、浄土真宗の僧侶。 福井県武生出身。1932年龍谷大学文学部倫理学科卒、1936年同研究科修了。京都女子大学講師、1960年「鎌倉仏教の倫理学的研究」で龍谷大学文学博士、龍谷大学文学部助教授、教授、1971年学長代行。1979年名誉教授。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)伝道院萇。教善寺住職。
土井 忠雄(どい ただお、1908年 - 1994年)は、日… 土井 忠雄(どい ただお、1908年 - 1994年)は、日本の仏教学者、真宗学者。京都女子大学名誉教授。浄土真宗本願寺派勧学。広島県生まれ。 長年の蔵書を中央仏教学院に寄贈し、土井文庫となる。現在入手不可能な本も多数あり。
国分 敬治 (こくぶ けいじ、1907年8月4日 - 199… 国分 敬治 (こくぶ けいじ、1907年8月4日 - 1997年10月26日)は、日本の古代ギリシャ思想研究者・哲学者、南山大学名誉教授。ギリシャ哲学とヨーロッパ中世哲学を専門とし、仏教にも造詣が深い。 大阪市出身。龍谷大学に学び、京都大学で山内得立に師事。旧制大学の制度のもと立命館大学予科教授等を経て、南山大学でその黎明期から教授として哲学・思想教育、大学運営に大きな功績を残す。1978年4月、名誉教授となる。「1981年には、日本人として初のオリンピア名誉市民の称号を受けた」。 2002年、ギリシャ・オリンピア市に「フィロソファー・コクブ」("The Philosopher Kokubu")としてその功績をたたえる大理石胸像が建立された(後出)。
宮崎円遵(みやざき えんじゅん、1906年10月10日 - … 宮崎円遵(みやざき えんじゅん、1906年10月10日 - 1983年2月14日)は、日本の仏教史学者。浄土真宗本願寺派の僧。学位は、文学博士(龍谷大学・1952年)(学位論文「初期真宗の歴史的研究」)。 和歌山県有田郡箕島町(現・有田市)出身。1929年龍谷大学文学部史学科卒業。1930年真宗本願寺派本願寺で得度。1935年本願寺派宗学院卒業。1945年箕島町の光源寺住職。1944年龍谷大学文学部助教授、47年教授。1952年「初期真宗の歴史的研究」で龍谷大学から文学博士の学位を授与される。1972年龍谷大学退任、名誉教授。同年から1981年まで神戸女子大学教授。龍谷大学では、図書館長、文学部長・短期大学部長も務める。
上司 海雲(かみつかさ かいうん、1906年(明治39年)2… 上司 海雲(かみつかさ かいうん、1906年(明治39年)2月15日 - 1975年(昭和50年)1月25日)は昭和の華厳宗の僧侶。第206世東大寺別当(住職)。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。 奈良市、東大寺塔頭持宝院に生まれる。1930年、龍谷大学英文科卒。一年志願兵で野砲22連隊に入隊。また太平洋戦争末期に召集され朝鮮に派遣される。1939年、東大寺塔頭観音院住職となる。東大寺学園中学校・高等学校校長、東大寺執事長、華厳宗宗務長等を歴任。1972年華厳宗管長・東大寺206世別当となり、開祖良弁上人の1200年忌を営む。東大寺大仏殿の昭和の大修理のために尽力したが、1975年、任期途中で癌で死去。
橋本 聖準(はしもと しょうじゅん、1905年(明治38年)… 橋本 聖準(はしもと しょうじゅん、1905年(明治38年)8月30日 - 1994年6月24日)は華厳宗の僧侶。203世華厳宗管長、東大寺別当。 奈良市出身。写真家の入江泰吉とは幼なじみ。龍谷大学卒。龍藏院住職、執事長、大仏殿主任などを経て管長となる。修二会の声明の名手として知られた。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。