中園 武雄(なかぞの たけお 1947年6月5日 - )は、… 中園 武雄(なかぞの たけお 1947年6月5日 - )は、日本の実業家。 1971年に西南学院大学経済学部を卒業。 その後日興証券に入社する。中国、九州本部長を経て1997年には西日本総合法人担当となる。 2001年には日興コーディアル証券に専務取締役東京法人部門統括として迎えられる。 2005年の6月には大和生命保険の代表取締役社長に就任した。 2008年10月10日、大和生命保険(株)は、東京地裁に対して更生手続開始の申立てを行い、同日、会社更生法及び更生特例法に基づく更生手続の開始される。
大城 勇夫(おおしろ いさお、1947年2月4日 - )は、… 大城 勇夫(おおしろ いさお、1947年2月4日 - )は、琉球銀行元頭取。 1969年、西南学院大学経済学部卒業。趣味は読書・水泳・将棋。1969年琉球銀行に入行。1999年取締役人事部長、2000年常務を経て、2001年頭取に就任した。2012年4月1日、代表取締役頭取を退任し、相談役となった。2017年旭日小綬章受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
井上 信之(いのうえ のぶゆき、1947年(昭和22年) -… 井上 信之(いのうえ のぶゆき、1947年(昭和22年) - )は、日本の実業家。元正興電機製作所代表取締役。西部電機取締役。 福岡県出身。1970年、西南学院大学を卒業し、正興電機製作所に入社。
野藤 忠(のふじ ただし、1946年3月2日 - )は、日本… 野藤 忠(のふじ ただし、1946年3月2日 - )は、日本の経営学者。前西南学院大学教授。博士(経営学)(神戸大学、2000年)。福岡県生まれ。
末吉 紀雄(すえよし のりお、1945年2月18日 - 20… 末吉 紀雄(すえよし のりお、1945年2月18日 - 2016年3月5日)は、日本の実業家。コカ・コーラウエスト元会長。福岡商工会議所元会頭。 福岡県中間市出身。福岡県立東筑高等学校を経て[要出典]、1967年3月に西南学院大学商学部[要出典]を卒業し、日米コカ・コーラボトリングに入社する。 1991年3月、北九州コカ・コーラボトリング(のちコカ・コーラウエストジャパン、コカ・コーラウエストホールディングスを経てコカ・コーラウエスト)取締役に就任する。以後、常務取締役(1995年3月)、専務取締役(1997年8月)、取締役副社長(1999年3月)を経て[要出典]、2002年3月に代表取締役社長兼CEOとなる。
梅本 龍平(うめもと りゅうへい、1945年 - 1998年… 梅本 龍平(うめもと りゅうへい、1945年 - 1998年1月2日)は、元西日本新聞論説委員。 中国・大連に生まれる。福岡市に育ち、福岡県立福岡高等学校を経て西南学院大学を卒業後、1970年(昭和45年)西日本新聞社に入社。社会部、スポーツ部、東京支社報道部などを経て、1994年(平成6年)論説委員。1998年(平成10年)1月2日没、享年52。
内藤 秀雄(ないとう ひでお、1943年(昭和18年)6月1… 内藤 秀雄(ないとう ひでお、1943年(昭和18年)6月1日 - )は、日本の実業家。シンメンテホールディングス代表取締役社長。 福岡県出身。1966年西南学院大学経済学部を卒業。
高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャ… 高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャーナリスト。T & CT Office代表、前琉球新報社社長。沖縄県那覇市出身。 1943年那覇市に生まれる。西南学院大学文学部英文科、同文学専攻科を卒業後、1970年に琉球新報社に入社する。編集局長や論説委員長などを経て2008年に琉球新報社社長に就任。琉球新報社の100%子会社である週刊レキオ社の代表取締役会長(非常勤)も兼職。2010年6月に退任し、T & CT Office設立。軍事研究家でもあり琉球文化圏や沖縄の基地問題、戦争とメディア等に関して講演や著書などがある。 編集局長時代の2000年には沖縄サミットが開催された。沖縄県サミット推進県民会議主催のサミットフォーラムでは基地の整理縮小に関して「強者の安全保障政策という理屈は考えず、ストレートに米軍基地はノーということを外側に発信する必要がある」と意見を述べている。
チャンス 青木(チャンス あおき、本名:青木 博志、1943… チャンス 青木(チャンス あおき、本名:青木 博志、1943年もしくは1944年 - 2016年11月29日)は、漫才協会所属のお笑い芸人。熊本県熊本市出身。漫才協会理事。既婚。熊本県立済々黌高等学校、西南学院大学経済学部卒業。2008年1月に青木チャンスから「チャンス青木」に改名。 大学在学中は演劇部部長として活動、卒業後はパルプ会社に勤務。 退職後の1972年に元Wけんじの宮城けんじに弟子入りし、1977年に斎藤チャンスと「Wチャンス」を結成。主に浅草松竹演芸場、浅草木馬館に出演。1983年のコンビ解消後は、浅草松竹演芸場、浅草ゴロゴロ会館等で漫談、司会を行っている。 Wチャンス解散後は「鋭才・鈍才」(青木は鋭才)、「チャンス・コダマ」(コダマはケーシー高峰門下)のコンビで活動したが、長続きはしなかった。
樋口 冨雄(ひぐち とみお、1942年10月22日 - )は… 樋口 冨雄(ひぐち とみお、1942年10月22日 - )は、日本の実業家。 福岡県出身。西南学院大学卒業後、1965年日動火災海上保険に入社。1993年に取締役に就任したその8年後の2001年社長に就任した。2002年には東京海上火災保険と日動火災海上保険が経営統合することになる。持株会社のミレアホールディングスが設立され、会長に就任した。 2005年3月31日に同職を退いたのち、ミレアホールディングスから商号変更した東京海上ホールディングス相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山下 洋(やました ひろし、1942年5月31日 - )は、… 山下 洋(やました ひろし、1942年5月31日 - )は、日本の銀行家。筑邦銀行元頭取。 西南学院大学商学部を卒業後、1965年4月筑邦銀行に入行した。 1994年6月に取締役融資部長となる。以後、常務取締役(1996年6月)、代表取締役専務(1999年6月)を経て、2006年4月に代表取締役頭取に就任した。2009年4月に退任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
原田 種眞(はらだ たねまさ、1942年 - )は日本の歴史… 原田 種眞(はらだ たねまさ、1942年 - )は日本の歴史小説作家。福岡県福岡市生まれ。西南学院大学経営学部卒業。 会社勤務の傍ら執筆活動を行う。1989年(平成1年)、九州の戦国武将・立花宗茂の波乱の生涯を描いた『火の槍 立花宗茂』にてデビュー。主に史実に沿った歴史小説を手掛ける。 ※ 単行本の刊行順に記す。
中島 孝之(なかしま たかゆき、1942年 - )は、元福岡… 中島 孝之(なかしま たかゆき、1942年 - )は、元福岡県副知事。 1964年に西南学院大学商学部商学科を卒業した後、福岡県庁に入庁。地方課(現・市町村支援課)課長、商工部長、企画振興部長などを歴任した。1999年、後に全国知事会長となった麻生渡県知事の指名と議会の承認により福岡県副知事に就任。 2009年12月16日、福岡県町村会汚職事件にからみ詐欺容疑で逮捕されていた福岡県町村会の業務課参事らが、裏金を使って中島を複数回接待したと供述していることが報道され、19日に辞任を表明。21日に辞表を提出し受理された。接待疑惑については沈黙を守っているが、高級クラブやマージャン店などでの飲食代、ゴルフの接待、プロ野球観戦のチケット代の支払いを肩代わりしてもらったなどと報道されている。
中村 基樹(なかむら もとき、1941年7月10日 - )は… 中村 基樹(なかむら もとき、1941年7月10日 - )は福岡県を拠点に活躍するフリーアナウンサー。RKB毎日放送・元アナウンサー・写真家。 西南学院大学商学部卒業後の1964年にRKB毎日放送に入社した。大学時代は、グリークラブに所属していた。NHKアナウンサーだった志村正順を憧れの存在として、アナウンサーを志望したという。 RKBアナウンサー時代には、1967年にスタートした、九州初の深夜ワイドラジオ番組『You&Me』のパーソナリティを担当。1975年には、アナウンサーでありながら、地元プロ野球チーム太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の球団歌『惚れたぜライオンズ』を歌いレコードを販売している。
永野 紀吉(ながの きよし、1940年11月29日 - )は… 永野 紀吉(ながの きよし、1940年11月29日 - )は日本の実業家。元ジャスダックの最高顧問。福岡県出身。 西南学院大学を卒業後、日興証券に入社しその後取締役となる。1997年に山加証券取締役社長、1998年に日本グローバル証券副社長となり、1999年6月にジャスダック・サービス(現・ジャスダック証券取引所)の社長に就任。「当時、米国のニューヨーク証券取引所とナスダックの力関係と、東京証券取引所と当時のジャスダック証券取引所の力関係とは大きな差があった。その差を詰めるために投資家や市場参加者がいる現場に足を向けた」ジャスダックの存在感を強めるための苦心を語る。2007年信越化学工業監査役。
井上 悟(いのうえ さとる、1939年〈昭和14年〉12月2… 井上 悟(いのうえ さとる、1939年〈昭和14年〉12月24日 - )は、元RKB毎日放送のアナウンサー・ラジオプロデューサー。 福岡県甘木市(現・朝倉市)生まれ。西南学院大学文学部卒業後、1963年にRKBに入社。1978年からはマイクネームを友人の勧めで井上里瑠に改名、プロデューサーや作家のときは井上サトルとして活動。現在はRKBの系列会社であるRKB興発株式会社の代表取締役社長を務めている。 「スマッシュ!!11」時代は鼻の下にヒゲを生やしていたことから、当時はライオンパパの愛称が付いていた。また、同番組から全国に進出していったミュージシャンたちから慕われるような存在であり、中でも井上陽水からは“おやじさん”と言われていたほどだった。
寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は… 寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は、日本の神学者、九州大学名誉教授、日本バプテスト福岡城西キリスト教会協力牧師。 鹿児島県鹿児島市生まれ。ラ・サール高等学校在学中に受洗。西南学院大学神学部卒、九州大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程満期退学。ボン大学大学院博士課程修了。1972年九州大学助手、75年教養部助教授、85年教授、94年大学院比較社会文化研究科教授、98年定年退官、名誉教授、西南学院大学神学部教授。西南学院院長、2010年退職。2012年西南学院理事長を退職。
有吉 威(ありよし たけし、1937年(昭和12年)3月3日… 有吉 威(ありよし たけし、1937年(昭和12年)3月3日 - 2018年(平成30年)4月19日)は、日本の実業家、政治家、福岡県直方市長(2期)。 福岡県立鞍手高等学校から西南学院大学に進学。大学在学中から有吉鉱業社長、九州酸素社長を務める。1965年(昭和40年)直方ガス社長に就任。 1995年(平成7年)より直方市長に2選。市長在職中、成人式での若者の道徳性の無さに「やかましい!」と一喝し、「これで祝辞といたします」との一言だけで退席した[要出典]。 2003年(平成15年)2月、公共工事に関する贈賄容疑で福岡県警に逮捕され、市長を辞職した。 2018年(平成30年)4月19日、81歳で死去。
岸川 均(きしかわ ひとし、1937年 - 2006年11月… 岸川 均(きしかわ ひとし、1937年 - 2006年11月17日)は、日本のラジオ番組制作ディレクター。KBCメディア顧問。 西南学院大学卒業後、1962年九州朝日放送(KBC)入社。1969年から約10年間、アマチュア歌手が出演する深夜のラジオ番組『歌え若者』の制作を担当。チューリップ、海援隊、甲斐バンド、石橋凌、CHAGE and ASKA、長渕剛らを見出した。1998年に定年退職。退職時、それを惜しんだ山下達郎、浜田省吾、南こうせつ、さだまさし、イルカら18組のミュージシャンが福岡サンパレスで4日連続のライブを開いた。 大学時代にはグリークラブに所属し、サークル活動としてカルテットを組み、地元放送局に出演していた。
伊藤 通明(いとう みちあき、1935年11月16日 - 2… 伊藤 通明(いとう みちあき、1935年11月16日 - 2015年9月26日)は、福岡県出身の俳人。宗像郡福間町生まれ。西南学院大学文学部英文学科卒。大学時代、安住敦の句文に接したことから俳句をはじめる。1962年、同人誌「裸足」創刊編集。1967年、「春燈」入会、安住敦に師事。1986年、「裸足」を「白桃」に改称し主宰。代表句に「夕月や脈うつ桃をてのひらに」などがあり、みずみずしい叙情句が特色。句集に『白桃』『西国』『蓬莱』『荒神』、編著に『久保田万太郎』などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 20… 木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 2011年3月22日)は、日本のテレビ番組ディレクター、プロデューサー。愛称はエイブンさん。
榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真… 榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真家。福岡県福岡市出身。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
岡本 四郎(おかもと しろう、1934年5月20日 - )は… 岡本 四郎(おかもと しろう、1934年5月20日 - )は、日本の俳優・声優。福岡県出身。西南学院大学卒。 1959年に東映と契約し}、『おれたちの真昼』でデビュー。 1964年に東映との契約が終了し劇団民藝に入団。1969年10月に六芸社所属となる。 特技は博多弁。三枚目や朴訥な人物などに扮し、脇役として活動した。
山形 和美(やまがた かずみ、男性、1934年3月19日 -… 山形 和美(やまがた かずみ、男性、1934年3月19日 - 2019年5月21日)は、日本の文学研究者、翻訳家。筑波大学名誉教授。専門は、近代イギリス文学、日本・欧米比較文学及び文学理論、日本近代キリスト教文学。 1934年、山口県で生まれた。1957年、西南学院大学文学部を卒業。東京教育大学大学院文学研究科(英文学専攻)に進学し、1959年に修士課程を修了。博士課程に進学したが、中途退学。 1959年、母校の西南学院大学短期大学部助手に採用された。1960年より同大学文学部専任講師。1963年に専修大学法学部専任講師となり、1967年に助教授、後に教授昇格。1973年、フェリス女学院大学文学部助教授に転じ、後に教授昇格。
松永 俊文(まつなが としふみ、1933年 - )は、日本の… 松永 俊文(まつなが としふみ、1933年 - )は、日本の社会福祉学者。 長崎県に生まれる。西南学院大学を卒業後、1956年(昭和31年)福岡女学院高校・中学校教諭、1960年(昭和35年)福岡県社会福祉協議会、福岡県共同募金会勤務。1984年(昭和59年)両会事務局長を経て、1993年(平成5年)福岡県立大学助教授、のち教授。2000年(平成12年)福岡女学院大学教授。 共著に「福岡県社会福祉事業史」「地域福祉論」、分担執筆に「社会福祉―その理論と実際」など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤吉 敏生(ふじよし としお、1932年4月11日 - )は… 藤吉 敏生(ふじよし としお、1932年4月11日 - )は、日本の実業家。日刊工業新聞社会長・社長。
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 200… 川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 2004年10月21日)は、日本の詩人、放送作家。東京都出身。 茨木のり子と「櫂」を創刊。明るい存在感溢れる詩風で、戦後詩に新鮮な叙情詩の世界を開いた。作品に詩集『はくちょう』(1955年)、『食物小屋』(1980年)、放送詩劇『魚と走る時』(1956年)など。 名前の洋は、『詩経』の「河川洋々」から取って、母方の祖父が名付けた。1944年福岡県八女郡に疎開。福岡県立八女中学校(現:福岡県立八女高等学校)卒業、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。上京後は横須賀の米軍キャンプなどに勤務した。 1948年頃より詩作を始め、1953年5月茨木のり子と詩誌「櫂」を創刊。
高田 駒次郎(たかだ こまじろう、1930年1月3日 -19… 高田 駒次郎(たかだ こまじろう、1930年1月3日 -1992年9月18日)は、日本の会計学者、西南学院大学教授。福岡県太宰府市に生まれる。 その他、九州六大学野球連盟理事・理事長を歴任。全日本大学野球連盟評議員。
織坂 幸治(おざか こうじ、1930年1月1日 - )は、日… 織坂 幸治(おざか こうじ、1930年1月1日 - )は、日本の詩人。本名・中村靖 福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)に入学後、最後の海軍予科練生として15歳で終戦を迎える。福岡中学4年生に復学し卒業。西南学院大学中退後、映画会社、電通を経て、1974年(昭和49年)コピーライターを辞め喫茶店主に。会社員の時から詩集の発行を手掛け、詩人としても活動。1987年(昭和62年)文芸同人誌「海」の編集責任者となる。1991年(平成3年)から同誌に評論「言語風景論」を執筆。2003年(平成15年)一行詩一行句集「詩句発句」を刊行。1995年(平成7年)に福岡市文学賞受賞。
岩井 護(いわい まもる、1929年11月7日 - 2013… 岩井 護(いわい まもる、1929年11月7日 - 2013年1月30日)は、日本の小説家。 福岡県生まれ。西南学院大学経済学部卒業。1968年、「雪の日のおりん」で第10回小説現代新人賞受賞。 小説「花隠密」(講談社刊)が松平健の主演で舞台作品となり、大阪の新歌舞伎座などで上演された。花を愛した徳川家斉にハナショウブを献上する肥後と宇和島の「花戦争」を背景とし、勝負に負けた宇和島から花作りの秘密をさぐりに肥後に潜入する「花隠密」の悲恋を描いた作品。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
古澤 嘉生(ふるさわ かせい、1929年10月9日 - 20… 古澤 嘉生(ふるさわ かせい、1929年10月9日 - 2018年5月17日)は、日本の音楽学者。専門は教会音楽。キリスト教礼拝音楽学会初代会長。 福岡県に生まれる。1947年3月福岡県中学修猷館を卒業後、同校が新制となった福岡県立高等学校修猷館に3年編入学し、1949年3月卒業。1953年3月西南学院大学学芸学部英文学科を卒業後、西南学院大学文学部神学科に3年次学士入学し、1955年3月卒業。1955年7月フルブライト大学院留学生として米国に留学し、1958年5月サザン・バプテスト神学大学院教会音楽研究科修士課程を卒業。 1958年10月西南学院大学文学部神学科助手、1960年4月同講師、1963年10月同助教授となり、1965年9月ブリティッシュ・カウンシル給費留学生として英国に留学し、英国王立教会音楽学校、ロンドン大学キングス・カレッジ音楽学部、ケンブリッジ大学音楽学部において、教会音楽および音楽学を研究し、1966年8月修了。
沖田 正人(おきた まさと、1929年2月15日 - 200… 沖田 正人(おきた まさと、1929年2月15日 - 2001年6月15日)は、日本の政治家。位階は正五位。元衆議院議員(日本社会党)。 山口県生まれ。西南学院専卒業後、東京土建産業労組副委員長を務めた後、1955年以降渋谷区議2期、東京都議を5期務め、社会党都議団政調会長、東京建設業国保組合理事長、社会党都議団幹事長、社会党渋谷総支部委員長を経て、1990年旧東京4区から衆院議員に当選、1期務めた。1990年代初頭はイラクに医薬品を運ぶなどの活動をした。党内派閥は左派の「社会主義研究会」(社研、旧佐々木更三派)に所属していた。1993年に落選。1984年藍綬褒章、1999年勲四等旭日小綬章受章。
森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3… 森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3月28日)は小説家・劇作家。芥川賞作家。 クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。 1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。
近藤 裕(こんどう ひろし、1928年 - 2010年9月8… 近藤 裕(こんどう ひろし、1928年 - 2010年9月8日)は、日本のサイコセラピスト。 西南学院大学文学部卒業。西南学院大学講師などを経て、アメリカ合衆国ニューオリンズ・バプテスト神学院留学。1971年(昭和46年)から1983年(昭和58年)カリフォルニア州バークレー市のヘリック・メモリアル病院心理相談室長を経て、1985年(昭和60年)より東京女子大学講師、昭和大学藤ケ丘病院講師、コンサルティング・アソシエイツ顧問コンサルタントなどを務めた後、ライフマネジメント研究所所長、帯津三敬病院サイコセラピストとなる。 2010年(平成22年)に満82歳で死去。2011年(平成23年)9月17日に聖路加国際病院内の聖ルカ礼拝堂にて「故・近藤裕氏を偲んで」の会が執り行われた。
日置 孝次郎(ひおき こうじろう、1927年 - 2016年… 日置 孝次郎(ひおき こうじろう、1927年 - 2016年7月8日)は、日本の民俗学者。専門は比較民俗学や言語学。 鹿児島県大島郡名瀬町(現・奄美市)に生まれる。 1962年に西南学院大学英文学部を卒業した。1972年にケルン大学大学院博士課程(言語学)を修了し、1974年1月にケルン大学助手となる。1977年3月には同言語研究所学術員となった。 1977年10月に、同年6月に開設されたばかりの岩手大学人文社会科学部で助教授に就任する。1981年4月に教授に昇格した。1992年3月に岩手大学を退職して、天理大学国際文化学部に移る。1995年6月、同国際文化学部長に就任した(1996年退任)。 1996年4月、八戸大学学長(4代)に就任し、6年間務めた。
内田 茂雄(うちだ しげお、1926年5月2日 - 2006… 内田 茂雄(うちだ しげお、1926年5月2日 - 2006年2月25日)は、日本の弁護士。 現在の福岡県北九州市出身。西南学院大学英文科を卒業後、弁護士を目指して早稲田大学に入学。1953年、早大大学院を出て、1958年、地元で弁護士開業。 1968年、西日本一帯で日本最大の食品公害事件といわれるカネミ油症事件が発生すると、1970年より全国統一原告弁護団の団長を務め、1987年、最高裁判所でカネミ倉庫側との和解を成立させた。 2006年、胃癌のため死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林 力(はやし ちから、1924年8月29日 - 2025年… 林 力(はやし ちから、1924年8月29日 - 2025年11月8日)は、日本の学者、同和問題研究者。 長崎県の現・大村市生まれ。1956年西南学院大学卒業。高校教師時代に被差別部落とかかわる。1961年(昭和36年)仲間と福岡県同和教育研究協議会を発足、26年間会長を務め、1987年(昭和62年)顧問に。この間全国同和教育研究協議会副委員長、福岡部落史研究会副会長、福岡県社会教育委員などを務めた。県立教育センター研究員、九州造形短期大学教授を経て、九州産業大学教授。九州大学教育学部他、九州各地の大学で部落問題、同和教育の講座も持つ。このほか、あらゆる差別をなくす福岡県民会議事務局長、「部落解放基本法」制定要求国民運動県実行委員会副会長、ヒューマンライツ福岡市民会議議長などを兼務。
末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )… 末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )は、日本の音楽評論家・会社経営者。駅弁業者である博多鉄道構内営業有限会社(屋号:寿軒)社長。
北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 199… 北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 1994年2月27日)は、日本の編集者、ジャーナリスト、小説家。フクニチ新聞社社長。 福岡県添田町出身。 1938年福岡県中学修猷館を経て、1943年西南学院高等部英文科を卒業。 北京日本大使館調査課報道班に勤務。応召によって北支派遣軍第63師団から久留米師団に転属、同地で終戦を迎えた。 復員後、福岡市の図書出版惇信堂に入社し、南風書房を設立。1946年6月、真鍋呉夫らと文芸誌「午前」を創刊。創刊号に掲載された小説「逃亡」が火野葦平に賞賛され、第1回九州小説賞を受賞。編集者として檀一雄、三島由紀夫らの寄稿を得るなど手腕を発揮する一方、新鋭作家として注目され東京の文芸誌「群像」などに作品を発表した。
船越 栄一(ふなこし えいいち、1914年 - 1982年7… 船越 栄一(ふなこし えいいち、1914年 - 1982年7月19日)は、西南学院大学学長。
森 俊雄(もり としお、1902年10月28日 - 1973… 森 俊雄(もり としお、1902年10月28日 - 1973年7月11日)は、日本の経営者、銀行家。西日本相互銀行(現在の西日本シティ銀行)社長を務めた。 福岡県出身。1927年に西南学院高等学部商科を卒業し、1934年4月に福岡高等商業学校で講師を務め、同年に博多無尽(のちの西日本相互銀行)に入社。1948年2月に取締役に就任し、1950年5月に常務、1956年9月に専務、1962年2月に副社長を経て、同年10月には社長に就任した。 1966年11月に紺綬褒章を受章し、1969年6月に藍綬褒章を受章。 1973年7月11日、胃がんのために在任中に死去。70歳没。
東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳… 東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名中島 勇(なかじま いさむ)、芸名を東 勇治、東 勇二とクレジットされた時期もあった。小笠原明峰率いる小笠原プロダクション創立時のスター俳優であり、日活に移籍後は、現代劇のバイプレイヤーとして知られた。 1902年(明治35年)3月15日、福岡県八女郡北山村(現在の同県八女市立花町北山)に生まれる。 旧制・福岡県立八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)を卒業し、旧制・西南学院高等学部(現在の西南学院大学)に進学するが、中途退学し、1923年(大正12年)の小笠原プロダクションの設立に参加した。学歴については、『世界のキネマスター』(報知新聞社)には、明治大学を卒業した旨の記述がみられる。
井上 精三(いのうえ せいぞう、1901年 - 1988年5… 井上 精三(いのうえ せいぞう、1901年 - 1988年5月18日)は、郷土史家。 福岡県博多下西町(現福岡市博多区)生まれ。西南学院高等学部(現西南学院大学)卒業。NHKに入り、各地の放送局で勤務。1951-1955年弘前放送局長、1956年退職。郷土史研究者として活動した。
江口 文雄(えぐち ふみお、1900年〈明治33年〉2月22… 江口 文雄(えぐち ふみお、1900年〈明治33年〉2月22日 - 1970年〈昭和45年〉1月26日)は、昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。勲等は勲四等。位階は従五位。 佐賀県出身。1925年(大正14年)に西南学院高等学部(現・西南学院大学)商科を卒業し、商業を営む。1944年(昭和19年)、武雄町会議員に当選した。 1946年(昭和21年)佐賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月28日から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。当選直後は無所属だったが、7月1日に研究会に所属し、貴族院廃止まで在籍した。その後、同年4月から1950年(昭和25年)8月まで公選初の武雄町長を務めたが、病気のため任期途中で辞職した。
杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1… 杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日)は日本の政治家。衆議院議員、福岡県知事などを務めた。 福岡県福岡市出身。1914年、中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1921年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 九州帝国大学、福岡高校、福岡女子専門学校の各講師、西南学院専門学校(現・西南学院大学)校長を経て、1946年4月、戦後初の衆議院議員総選挙に福岡1区から社会党所属で出馬し当選、1期務める。1947年4月から2期、福岡県知事を務めて石炭政策を推進した。福岡県知事の任期満了後に両派社会党の推薦で福岡市長選に出馬するが保守系現職の小西春雄に敗れて落選、翌1956年3月から久留米市長となる。
玉谷 愛(たまたに あい、11月2日 - )は、南日本放送の… 玉谷 愛(たまたに あい、11月2日 - )は、南日本放送のアナウンサー。 福岡県出身。福岡県立修猷館高等学校、西南学院大学国際文化学部国際文化学科卒業。 2019年4月に南日本放送に入社し、同期の上塘百合恵とともに同局のアナウンサーになる。 Category:南日本放送のアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
末広 矩行(すえひろ のりゆき、3月5日 - )は、日本の男… 末広 矩行(すえひろ のりゆき、3月5日 - )は、日本の男性ナレーター、声優。福岡県出身。シグマ・セブン所属。 西南学院大学文学部外国語学科卒業。 主に情報番組を中心としたナレーションに携わっている。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
北﨑 千香子(きたざき ちかこ )は、鹿児島放送のアナウンサ… 北﨑 千香子(きたざき ちかこ )は、鹿児島放送のアナウンサー。