金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30… 金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30日 - 2020年(令和2年)12月26日)は、日本の大蔵官僚。環境庁(当時)事務次官、丸三証券社長、会長、エコノミスト、株式投資のプロ。フィランソロピストとして、財団の理事を務めた。 中国山東省青島で生まれ。父(金子慶治)は新潟県刈羽郡南鯖石村(現柏崎市)出身で、当時日本最大の鈴木商店を経て独立ビジネスや不動産投資で成功し、戦後、東京・田園調布の邸宅を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に一時没収されていた。母(旧姓城野民子)は博多の商家の出身。賢母の母に連れられ終戦より前に帰国後、八幡小学校、旧制横浜第一中学校、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部に入り、1949年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。
濃野滋(こいの しげる、1925年1月26日 - 没年不明)… 濃野滋(こいの しげる、1925年1月26日 - 没年不明)は、日本の通産官僚。通産事務次官、川崎製鉄副社長、同社副会長などを務めた。 東京府出身。旧制東京高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1947年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京帝大時代の仲間に大蔵省に入省する渥美謙二がいた。同年11月 商工省に入省。振り出しは総務局総務課(現在の大臣官房総務課)。 通商局輸出振興部輸出保険課長、通商局経済協力部資本協力課長、企業局産業立地部工業用水課長、在中国日本大使館一等書記官などを務める。
山野 正登(やまの まさと、1925年(大正14年)1月1日… 山野 正登(やまの まさと、1925年(大正14年)1月1日 - 2012年(平成24年)8月15日)は、日本の元官僚。科学技術事務次官。宇宙開発事業団理事長。通商産業省にて日本初の民間輸送機YS-11の開発事業等、航空機の開発行政に従事、科学技術庁にて宇宙開発委員会の発足・宇宙開発事業団の創設等、主に宇宙開発事業草創期の礎を築くとともに、宇宙開発事業団では自主技術である純国産大型ロケットH-IIの打ち上げ成功・国際宇宙ステーション計画の推進等、日本の宇宙開発を欧米先発国と肩を並べるまで導いた功労者のひとり。 広島県江田島市出身。呉第一中学校、旧制第六高等学校を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学第二工学部航空機体学科に入学、終戦により航空機体学科が解体されたため、1947年(昭和22年)物理工学科を卒業した。
増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月1… 増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月18日 - 1996年〈平成8年〉12月2日)は、日本の内務及び建設官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 広島県広島市出身。旧制広島一中、旧制広島高校を経て1946年東京帝国大学工学部土木工学科卒。同年内務省に入る。1948年、建設省発足に伴い同省に移る。1972年北陸地方建設局長、1974年河川局長に就任する。1976年に退官。翌年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補して当選した。1981年鈴木善幸改造内閣で大蔵政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1991年に首都圏建設資源高度センター社長に就任した。
吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5… 吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5日 - 平成2年(1990年)7月28日)は、山梨県出身の大蔵官僚、サントリー株式会社副社長。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)で、父吉田健(つよし)、母欣子の長男として生まれる。父親の転勤により小学校5年までを新潟県師範学校附属小学校、小学校6年まで鳥取県師範学校附属小学校、旧制中学校2年まで鳥取二中(現在の鳥取県立鳥取東高等学校)に通学。その後、甲府の父親の生家に帰り甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て、昭和18年(1943年)9月に第一高等学校文科丙類を卒業。東京帝国大学法学部に入学。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。
吉野 實(よしの みのる、1924年3月5日 - 2016年… 吉野 實(よしの みのる、1924年3月5日 - 2016年1月9日)は、日本の大蔵官僚。内閣官房公共企業体等関係閣僚協議会事務局次長、関東財務局長、造幣局長、防衛庁経理局長、防衛施設庁長官、防衛事務次官、航空貨物通関情報センター理事長、国際メディア研究財団理事長などを歴任。東京都新宿区市谷砂土原町在住。長男は吉野維一郎。 神奈川県藤沢市出身。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校から東京帝国大学に入学。陸軍伍長、陸軍少尉を務め、1945年9月に退役。1949年2月 国家公務員六級職試験を合格。1950年1月 国家公務員一般職・専門職試験を合格。東京大学法学部政治学科卒業。1950年 大蔵省入省。
柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月2… 柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月21日 - 2014年(平成26年)9月28日)は、日本の官僚。日本国有鉄道常務理事や運輸審議委員を務めた。 外交官・弁護士の柳井恒夫の長男としてリオデジャネイロに生まれる。弟は外交官で駐米大使を務めた柳井俊二。暁星小学校、武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、東京帝国大学法学部に進学する。東大在学中の1943年に学徒出陣で徴兵され、フィリピンのレイテ島に出征する。終戦を知らずにフィリピンのポロ島山中で二ヶ月の逃亡生活を送った後に投降した。その模様は後年、自著『山の兵隊』『万死に一生 第一期学徒出陣兵の手記』に記述している。 1945年12月に復員後、1947年に運輸省に入省。
嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 199… 嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 1997年5月11日)は、日本の官僚、政治家。法務大臣(第43代)、参議院議員(5期)を務めた。 現在の石川県小松市出身。旧制小松中学校時代には体格のよさから相撲部に所属、角界から入門の話があったような強さだった。旧制第四高等学校を経て、1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部卒業後、大蔵省入省。主税局配属。1948年8月 横浜税関監視部。1950年5月 津税務署長。1951年8月 大阪国税局総務部総務課長。1955年6月 東京国税局調査査察部次長。1960年7月 東京国税局間税部長。1961年7月 経済企画庁調整局政策課長。
海江田 鶴造(かいえだ つるぞう、1923年〈大正12年〉3… 海江田 鶴造(かいえだ つるぞう、1923年〈大正12年〉3月27日 - 2013年〈平成25年〉11月27日)は、日本の内務・警察官僚。参議院議員(1期、自由民主党)。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。旧制福山中学校(現 鹿児島県立福山高等学校)を経て、1941年(昭和16年)旧制第七高等学校造士館文科卒業。1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年(昭和19年)3月、経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第三一海軍航空隊に配属されマニラに赴任。1945年(昭和20年)3月に主計大尉に進みジョグジャカルタで終戦を迎えた。
松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月1… 松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。位階は正三位。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約交渉の際には条約課長として交渉の実担当となり、論点の一つだった韓国の対日請求権について「日韓請求権並びに経済協力協定によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題に対する外交的保護権は放棄されている」とした内容で締結に導いた。
奥田 真丈(おくだ しんじょう、1922年(大正11年)9月… 奥田 真丈(おくだ しんじょう、1922年(大正11年)9月15日 - 2010年(平成22年)3月2日)は、日本の元文部官僚、教育行政学者。
吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003… 吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003年12月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 神奈川県横浜市生まれ。横浜第一中学校時代、「開校以来の秀才」と言われていた。第一高等学校を経て、1944年、東京帝国大学法学部を卒業。武山海兵団に入団後、短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、第31海軍航空廠付となる。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年4月、東京監督官事務所横浜支部に転じ、造船関係を担当。同年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1946年に大蔵省へ入省し大臣官房文書課に配属。
大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26… 大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26日 - 1994年(平成6年)2月3日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長の大島靖。 和歌山県、現在の田辺市出身。第三高等学校を経て、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学。1943年(昭和18年)12月、現役入営。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集。同年12月、召集解除となる。1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格。 卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された。
坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日… 坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日 - 1984年5月18日)は、日本の官僚、厚生事務次官。厚生省年金課長時代に国民年金制度を作り、児童家庭局長時代には1971年の予算編成で児童手当制度創設に尽力。正四位勲二等旭日重光章。 鹿児島県阿久根村生まれで、阿久根小学校卒業後に鹿児島市の伯母に引き取られ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業し1938年4月第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類入学、1941年3月に同校を卒業。1943年9月に東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業前の文官高等試験行政科に合格しており、9月27日に厚生省へ入省し大臣官房総務課勤務。翌年兵役に従事し、敗戦とともに復員復職。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 20… 近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベストロ騎士勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入省して理財局に配置される。高等試験は100番前後で入省成績も相澤英之が最下位で近藤がブービーだといわれていた。入省直後に海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官(短期現役組(短現組)9期)となる。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
安達 健二(あだち けんじ、1918年12月22日 - 19… 安達 健二(あだち けんじ、1918年12月22日 - 1988年3月12日)は、日本の文部官僚。愛知県春日井市生まれ。 愛知一中、第八高校、東京帝国大学法学部卒業。1945年、文部省に入省。配属先は専門教育局。無形文化課長、教科書課長、中等教育課長、人事課長、1967年文化局長を経て、1968年 文化庁発足に伴い次長、1972年から1975年まで長官、1976年から東京国立近代美術館館長。86年5月退任。1976年大英勲章、1977年フランス芸術文化勲章受勲。
村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)1… 村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)11月27日 - 1972年(昭和47年)8月26日)は、日本の政治家、内務・通産官僚。衆議院議員(2期)を務めた。従四位勲三等。 1918年(大正7年)、広島県に生まれる。広島県立広島第一中学校を経て東京府立第四中学校へ転校し、その後、第一高等学校を卒業。卒業後は短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学。1945年に卒業した。同年6月、海軍主計少尉に任官。舞鶴施設本部付兼第101部隊長を務めて終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学法学部を卒業。
大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 20… 大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 2008年9月29日)は、日本の大蔵官僚。 広島県福山市三之丸町生まれ。広島県立福山誠之館中学校から第六高等学校(文科乙類)に入学。六高時代は柔道部に入部。官僚の道を選ぶべく東京帝国大学法学部を目指し、1938年に入学。東京帝大法学部法律学科3年次の1940年10月に高等試験行政科及び司法科を合格。東京帝大法学部法律学科を卒業し、1941年 大蔵省に入省し、国民貯蓄奨励局に配属された。8か月の勤務の後、広島の部隊に陸軍二等兵として入隊。1944年3月 パラオ諸島の中心コロール島に着任した。米軍の攻略目標から外れた大村らの基幹部隊は、パラオ本島のジャングルの中で持久作戦に入る。
柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995… 柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995年10月13日)は日本の内務・自治官僚。香川県出身。 京都一中、第三高等学校を経て、1941年3月に東京帝国大学法学部卒業。高等試験行政科に合格し、同年4月に内務省入省(地方局配属)。1942年1月に茨城県経済統制課長に就任。1946年7月に内務省官房調査部、1948年1月に内事局官房自治課、同年4月に地方財政委員会企画課で勤務。1949年に地方自治庁総務課長、1950年5月に地方自治庁府県税課長、1953年10月に自治庁財政課長、1958年6月に北海道総務部長、1960年1月に自治庁官房長(同年7月から自治省官房長)、1962年5月に自治省税務局長、1963年10月に自治省財務局長を歴任。
長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 200… 長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省選挙局長(1963年〜1966年)、行政局長(1966年〜1969年)、財政局長(1969年〜1971年)、自治事務次官(1971年~1972年)、公選8-13代岡山県知事(6期)、全国知事会会長(1995年~1996年)を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 1917年、岡山県吉備郡服部村(現・岡山県総社市南溝手)に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1941年、高等文官試験行政科に合格する。
金堀 一男(かなほり かずお、1917年6月10日 - 没年… 金堀 一男(かなほり かずお、1917年6月10日 - 没年不詳)は、日本の警察官僚。 金堀卯太郎の三男として福岡市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1937年3月旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1941年3月東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 東大在学中の1940年に高等試験行政科に合格し、卒業後、内務省に入省したが、2週間足らずで海軍に入隊し、海軍経理学校を出て、重巡洋艦妙高に乗り込み戦地へ赴き、その後海軍陸戦隊庶務主任、病院船主計長から、山本五十六元帥の麾下に入り、トラック島、ラバウル、ウェーク島、サイパン島と転戦、終戦時は少佐まで累進している。 戦後、内務省に復職し、栃木県岩手県の各県本省調査局、総理庁官房勤務の後、1948年3月国家地方警察福岡県本部警備部長兼警備課長となり、佐賀県警察隊長、九州管区警察局公安部長、福島県警本部長、1960年7月鹿児島県警本部長、1963年2月警察庁警備局参事官、1965年3月静岡県警本部長を経て、1966年2月兵庫県警本部長に就任。
槇野 勇(まきの いさむ、1917年(大正6年)4月18日 … 槇野 勇(まきの いさむ、1917年(大正6年)4月18日 - 1994年(平成6年)11月2日)は、日本の警察官僚。警視総監。位階は正四位。 奈良県、現在の五條市出身。1935年奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)を経て、[要出典]第一高等学校を卒業。1941年10月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる。 短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年に復員。 内務省に復帰し内務省調査局調査課に配属。1953年、国家地方警察滋賀県本部警察隊長に就任。
山本 重信(やまもと しげのぶ、1916年3月28日 - 2… 山本 重信(やまもと しげのぶ、1916年3月28日 - 2008年7月3日)は、日本の商工・通産官僚、実業家。階級は海軍主計大尉。位階は正四位。勲等は勲二等。 通商産業省通商局局長、中小企業庁長官、通商産業事務次官、トヨタ自動車工業副社長、トヨタ自動車副会長、日野自動車工業会長などを歴任した。 長野県須坂市に生まれる。長野県旧制須坂中学、旧制松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、1939年4月、商工省入省。短期現役海軍主計科士官(2期)に志願して、同年5月5日、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月5日に卒業。霧島に配属。第三遣支艦隊・磐手乗組、佐世保鎮守府経理部付、呉建築部員を歴任。
谷村 裕(たにむら ひろし、1916年(大正5年)3月26日… 谷村 裕(たにむら ひろし、1916年(大正5年)3月26日 - 1996年(平成8年)10月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、東京証券取引所理事長等を歴任。 東京に生まれる。旧制暁星中学4年生修了、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。採用試験20科目全てで優を取り、トップで大蔵省に入る。大臣官房文書課属。 1938年(昭和13年)短期現役海軍主計科士官(1期)を志願。同年7月、海軍経理学校に入学し、同年12月に卒業。海軍主計中尉に任官。名取に配属。第五艦隊司令部付妙高乗艦、呉海軍工廠会計部購買課勤務を歴任。1940年(昭和15年)11月、主計大尉に昇進。
景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13… 景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13日 - 1999年〈平成11年〉6月26日)は、日本の警察官僚、剣道家。位階は正四位。景山民夫の父。 広島県三次市で生まれ、小学生の時に祖母の実家である広島市内の景山家の養子となる。旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省する。 1942年に警部補を拝命し、原爆投下時には徳島県で警察官をしていた。特高に席を置いていたため、敗戦後公職追放となる。 警視庁神田警察署長、刑事部鑑識課長、総務課長、第五方面部長、第一方面部長を務め、山梨県警察、秋田県警察、熊本県警察、埼玉県警察、神奈川県警察の各本部長を歴任。関東管区警察局長を最後に退官した。
川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991… 川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991年1月15日)は日本の内務・自治官僚・政治家。元衆議院議員(1期)。 神奈川県出身。横浜一中、水戸高卒業。1940年、東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省、長野県特高課長などを務めた。総理秘書官、自治省官房調査官を経て消防庁次長を務める。その後、日本消防協会常任顧問。1952年第25回衆議院議員総選挙(日本自由党公認)、1953年第26回衆議院議員総選挙(無所属)、1958年第28回衆議院議員総選挙(無所属)で神奈川県第1区(中選挙区。横浜市全域が選挙区)から立候補するも落選し、1971年横浜市長選挙に自民党推薦で立候補し現職の飛鳥田一雄に敗れたが、1976年、第33回衆議院議員総選挙で神奈川県第4区から新自由クラブから立候補し、初当選。
尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6… 尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6月11日)は、日本の官僚。元日本住宅公団副総裁。 琉球王国最後の国王・尚泰王の六男・尚光の息子として東京都に生まれる。1933年旧制武蔵高等学校卒業後、1938年に東京帝国大学を卒業し、大蔵省営繕管財局へ入省。1964年、建設省住宅局長を経て、1966年には日本住宅公団理事となり、1971年には日本住宅公団の副総裁に就任。その後も日本住宅リフォームセンター(現在の住宅リフォーム・紛争処理支援センター)初代理事長をはじめ住宅産業情報サービス、性能保証住宅登録機構などの理事長を務めた。 また、日本におけるダイニングキッチンの発明者としても知られている。
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1… 中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(4期)。総理府総務長官、沖縄開発庁長官、危機管理担当大臣などを務めてきた。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業。陸奥に配属。1942年10月、特設巡洋艦りおん丸主計長となりラボールに赴任し、航空用ガソリン輸送に従事。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年1月、ラボールで戦傷を受け、同年5月、海軍病院を退院し、海軍省兵備局第3課兼運輸総局船員局に転じて終戦を迎えた。
大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日… 大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。 1915年1月30日、和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業、1939年に内務省へ入省。 1949年から大阪府労働部長を務め、1954年に在ジュネーヴ領事へ転じた。1959年に労働省審議官に就任し、1960年には労働省労働基準局長に着任。1963年5月31日から中馬馨大阪市長のもとで大阪市助役となった。
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 197… 高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、日本の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。 1914年(大正3年)熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1936年(昭和11年)、東京帝国大学卒業後、内務省に入省する。1937年(昭和12年)に香川県警警務課長。 1941年(昭和16年)に厚生省に配転され、1945年(昭和20年)より同省庶務課長、1955年(昭和30年)より医務局次長、1956年(昭和31年)より児童局長、1960年(昭和35年) より官房長、1962年(昭和37年)4月より保険局長を経て、同年7月社会保険庁長官に就任。
川瀨 健治(かわせ けんじ、1914年 - 1974年2月6… 川瀨 健治(かわせ けんじ、1914年 - 1974年2月6日)は、日本の商工、通産官僚。 旧制静岡中学、旧制静岡高校を経て、1937年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。商工省入省。終戦直後、1945年8月27日、日本政府の対GHQ渉外機関として外務省に終戦連絡事務局が設立され、商工事務官を務めていた川瀬が出向。通商産業省に変わってからも様々な役職を経て、福岡通産局長に就任。1956年、熊本県で水俣病が発生し深刻となり、1959年11月、不知火海漁業紛争調停委員会が発足、寺本広作熊本県知事は通産省の意向を取り入れるために川瀬をオブザーバーに加えている。その後、東京通産局長に就任した。正四位。墓所は多磨霊園。
木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日… 木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日)は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。 岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身。東京帝国大学法学部卒業。 田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した。 自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 198… 岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 1988年11月12日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)。 広島市南区松原町出身。旧制広島一中、旧制広島高等学校卒業。1937年(昭和12年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年、鉄道省入省。大阪鉄道局書記。運輸省観光局長、大臣官房長、鉄道監督局長を務める。 1963年(昭和38年)4月19日-運輸事務次官就任。1964年(昭和39年)、運輸事務次官退任。 1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙全国区当選。1971年(昭和46年)、第9回参議院議員通常選挙再選。1972年(昭和47年)、七日会(田中派)理事。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 20… 河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 2003年7月17日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長。 社会教育家・貴族院議員の田澤義鋪とヨウ(洋子)の次男として、父の任地である静岡県安倍郡安東村(現・静岡市)で生まれた。 旧姓は田澤。1934年、21歳のときに会計検査院長・河野秀男の養子となった。田澤家と河野家とは、父親同士がかねてから親交があってそれが縁となった。 成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科甲類)卒業。 1937年、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒業。在学中、高等文官試験行政科に合格している。 大学卒業後、内務省に採用となり4月に岐阜県属として赴任した。
立川 宗保(たちかわ むねやす、1913年6月15日 - ?… 立川 宗保(たちかわ むねやす、1913年6月15日 - ?)は、日本の農林官僚。農林省蚕糸局長等を務め、退官後は農業機械化研究所理事長、日本蚕糸事業団理事長、日本食糧倉庫株式会社社長、大日本蚕糸会会頭等を歴任。 鹿児島県生まれ。串木野市(いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1932年第七高等学校造士館文科卒業。1937年東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年農林省に入省し、馬政局、食糧管理局、企画院、興亜院、大東亜省等に勤務。1945年食糧管理局外地課長となり、以降農林省総務局経済課長、群馬県経済部長兼農地部長、農林省農地局経済課長、食糧庁総務部企画課長、大臣官房文書課長、水産庁漁政部長、水産庁生産部長、農地局管理部長、農林大臣官房参事官を経て、1958年8月農林経済局統計調査部長就任(同年9月農林水産技術会議事務局研究調整官併任)。
大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985… 大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985年5月12日)は、日本の商工官僚。電源開発総裁、共同石油社長。大堀孝の長男。 和歌山市出身。高輪尋常小学校、旧制武蔵高校を経て、1936年に東京帝国大学法学部卒業、同年、商工省入省。貿易局属。同期に小室恒夫(通商局長、新日鉄化学社長)、村田恒、皆川良三(札幌通産局長)、永野量、佐藤清一(共に東京通産局長)など。 戦後の1948年兵器処理委員会に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。のち商工省から新制通産省と改称の後もしばらくは、吉田茂や白洲次郎、初代通産省官房長の永山時雄らの「外交派」・「通商派」らが実権を握っていたが、その後の朝鮮特需によりジョゼフ・ドッジらの自由経済から方向転換、主流の「産業派」もしくは「統制派」の復権後は、永山が東京通産局に、大堀も中小企業庁長官ののち経済企画庁に出された。
淵ノ上 忠義(ふちのかみ ただよし、1913年(大正2年)1… 淵ノ上 忠義(ふちのかみ ただよし、1913年(大正2年)1月5日 - 2001年(平成13年)7月29日)は、日本の台湾総督府官僚、陸軍司政官、陸上自衛官、弁護士。最終階級は陸将。 鹿児島県鹿児島市草牟田町に生まれる。鹿児島県立第二中学校、第八高等学校文科を経て、1935年(昭和10年)3月、東京帝国大学法学部を卒業する。同年10月高等試験行政科合格後、1936年(昭和11年)4月、台湾総督府財務局に奉職する。 ついで1938年(昭和13年)2月、地方理事官に進み、台中州大屯郡守に就任。のち高雄州警務課長、財務局事務官、台北州高等警察課長、台中州教育課長を経て、1942年(昭和17年)11月、陸軍司政官に選任され、第25軍軍政監部附となった。
秋本 正(あきもと ただし、1912年(大正元年)8月21日… 秋本 正(あきもと ただし、1912年(大正元年)8月21日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 兵庫県揖保郡に生まれる。明石中学校、第三高等学校を経て、1933年(昭和8年)4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1935年(昭和10年)10月、高等試験行政科に合格。1936年(昭和11年)3月、同大を卒業し、台湾総督府警務局保安課に奉職する。1939年(昭和14年)7月、台南州新営郡守となり、府事務官警務局保安課勤務を経て、陸軍司政官に転出した。
永山 時雄(ながやま ときお、1912年〈明治45年〉2月1… 永山 時雄(ながやま ときお、1912年〈明治45年〉2月11日 - 1999年〈平成11年〉7月11日)は、神奈川県出身の官僚。旧通商産業省初代大臣官房長。位階は従三位。 神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、第一高等学校 (旧制) を経て、1935年に東京帝国大学法学部卒業。同年、商工省入省。入省同期に、斎藤正年(特許庁長官)、小出栄一(共石社長、経済企画事務次官)、鹿子木昇(アジア経済研究所所長、大阪通産局長)、小山雄二(中小企業庁長官)、油谷精夫(東京通産局長)など。 戦後、商工省外局の貿易庁に、時の貿易庁長官に就任した白洲次郎が貿易庁と共に商工省も解体し新制・通商産業省へと改組する構想を松田太郎商工次官が掴み、当初その動向を監視するため、当時商工省物資調整課長であった永山が筆頭課長である貿易課長として送り込まれた。
森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年… 森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年1月23日)は、日本の官僚、実業家。元通商産業省軽工業局長。元石油資源開発社長。 香川県三豊郡常磐村(現 観音寺市流岡町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。 1934年(昭和9年)商工省入省。特許、貿易、工務、機械、電力の各局を担当、電業課長、機械課長を務める。1939年(昭和14年)三豊中学の同級生であった蒙疆の張家口に勤務する大平正芳(大蔵省派遣の興亜院事務官)を訪問。 1943年(昭和18年)フィリピン島戦線に応召。三豊中学の頃から親しんで来た短歌に於いては、社会人になって間もなく斉藤茂吉が育てた結社「アララギ」に所属。
下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月2… 下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本の経済学者、大蔵官僚。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナーを務めた。 1910年(明治43年)に佐賀県佐賀郡北川副村(現・佐賀市)に生まれる。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1930年に東京帝国大学経済学部へ進学。 1933年、高等試験行政科試験に合格、1934年、東大経済学部を卒業し大蔵省に入省。配属先は専売局。理財局金融課を経て1936年ニューヨーク駐在。1959年退官までの間に経済安定本部物価政策課長、日本銀行政策委員などを歴任したが、病気がちなこともあり大蔵省内ではいわゆる“傍流”にあった。
黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月… 黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月25日 - 1986年〈昭和61年〉10月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、内閣官房長官。1981年勲一等瑞宝章受章。父親は戦前の立憲民政党代議士の黒金泰義。 山形県米沢市出身(北海道生まれ)。旧制武蔵高校を経て、東京帝国大学法学部に入学。肺結核に罹患し4年間、病床で過ごしたため、ひとの倍をかけ大学を卒業する。 高等文官試験に一番で合格し、1935年に大蔵省に入省。理財局属。戦後、津島寿一、池田勇人両蔵相の秘書官を務める。父の死後は、米沢に近い赤湯町(現・南陽市)出身の結城豊太郎が後見役を担ったほか、郷里の偉材である池田成彬とも接する機会が多かった。
小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月… 小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月2日 - 2002年〈平成14年〉2月14日)は、日本の農林官僚、経済学者。 農林事務次官、政府税制調査会会長などを歴任した。特に、政府税制調査会会長は16年間を務め,「ミスター税調」と呼ばれた。旧姓は大井。著作に『土地立法の史的考察』など。 長男は元国際交流基金理事長で外交官の小倉和夫。三男は社会学者で津田塾大学名誉教授の小倉充夫。
伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日… 伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日 - 1974年(昭和49年)9月26日)は、日本の政治家、内務官僚。1947年4月6日から1971年4月30日まで、24年の長きに渡って一宮市長を務めた(第5代-第10代)。一宮市名誉市民。 愛知県愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区)に生まれた。愛知県立一宮中学校(現・愛知県立一宮高等学校)卒業。1930年(昭和15年)3月、旧制第八高等学校卒業。1932年(昭和7年)10月、高等試験行政科試験に合格。1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業すると同時に内務省に入省し、地方事務官・厚生事務官・内務事務官を経験。陸軍司政官としてスマトラ島に渡り、ランボン州やパレンバンで産業部長を務め、現地で太平洋戦争終戦を迎えた。
木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月… 木村 武千代(きむら たけちよ、1910年〈明治43年〉4月5日 - 2000年〈平成12年〉11月28日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階は正四位。 香川県大川郡津田町(現さぬき市)で生まれた。1937年(昭和12年)東京帝国大学法学部を卒業。高等試験行政科試験に合格し拓務省に入省。外務省に移り外務書記生となりメキシコ公使館などで勤務。その後、陸軍中野学校を卒業し、陸軍大尉に進み除隊した。 三土忠造代議士の秘書を経て、大映に入社。永田雅一の社長秘書、外国部長などを務めた。東瀝青建設取締役も務めた。 1963年(昭和38年)、第30回衆議院議員総選挙に旧香川1区から自由民主党公認で出馬し初当選。
北原 三男(きたはら かずお、1910年〈明治43年〉3月2… 北原 三男(きたはら かずお、1910年〈明治43年〉3月28日 - 1993年〈平成5年〉)は、台湾総督府官僚、鹿児島県職員、また夏目 漠(なつめ ばく)の筆名で日本の詩人、文筆家。鹿児島県職員としては、人事分野や社会福祉行政に携わった他、文化振興にも尽力し、鹿児島県文化センター初代館長を務めた。 鹿児島県鹿児島市に生まれる。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1930年(昭和5年)第七高等学校造士館文科(甲類)を卒業。1933年(昭和8年)10月高等試験行政科に合格し、翌年3月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業する。1936年(昭和11年)台湾拓殖に入社し、1939年(昭和14年)に台湾総督府属となる。