氏家 幹人(うじいえ みきと、1954年(昭和29年) - … 氏家 幹人(うじいえ みきと、1954年(昭和29年) - )は、日本の歴史研究者、著述家。 福島県生まれ。東京教育大学文学部(現・筑波大学)卒業。歴史学者(日本近世史)として、江戸時代の大名、旗本・御家人暮らし、性、老い、家族を中心に、独自の切り口で研究を続け、平成期に多くの著書を刊行した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
武井 和人(たけい かずと、1954年 - )は、日本の日本… 武井 和人(たけい かずと、1954年 - )は、日本の日本文学研究者。埼玉大学名誉教授。 1954年に東京都で生まれる。1977年に東京教育大学文学部国文科を卒業。1982年に東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。 1982年に埼玉大学教養部講師、1984年に同助教授。1995年に埼玉大学教養学部助教授、1997年に同教授。2020年に同大学名誉教授。 2001年に「中世古典学の書誌学的研究」で、國學院大学より博士(文学)の学位を取得。 専攻は古典籍学。1979年4月より投稿誌『研究と資料』を編集・刊行している。
佐野光一(さの こういち、1950年 - 2017年)は、書… 佐野光一(さの こういち、1950年 - 2017年)は、書道研究者。 山梨県身延山生まれ。東京教育大学大学院修士課程美術学書専攻修了。書学を伏見冲敬、書法を今井凌雪に学ぶ。國學院大學教授。67歳で在任中に死去。
栗原 敦(くりはら あつし、1946年10月9日 - )は、… 栗原 敦(くりはら あつし、1946年10月9日 - )は、日本近代文学研究者。実践女子大学名誉教授。英文学者の栗原裕は兄。 群馬県渋川市生まれ。1965年群馬県立前橋高等学校を経て、1970年東京教育大学文学部国文科を卒業後、1972年同大学院修士課程を修了し、立正女子大学(現・文教大学)専任講師となる。1977年金沢大学法文学部専任講師、1980年助教授。1982年実践女子大学文学部助教授を経て、教授となる。 金沢大学在勤当時に、同大学図書館所蔵の暁烏敏文庫に、宮沢賢治の父である宮沢政次郎から暁烏に送られた書簡が残っていることを発見して、1981年に『宮沢賢治周辺資料 : 金沢大学暁烏文庫蔵 暁烏敏宛 宮沢政次郎書簡集』として刊行した。
魚住 和晃(うおずみ かずあき、1946年 - )は、日本の… 魚住 和晃(うおずみ かずあき、1946年 - )は、日本の書研究者。専門は書論、書跡学。神戸大学名誉教授。日中の書道史を研究した。筆跡鑑定学の第一人者であり、神戸連続児童殺傷事件の犯行声明文や一澤帆布工業の遺言書などの鑑定を手がけた。 三重県生まれ。東京教育大学芸術学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。1997年、大英博物館に10作品が収蔵された。2000年「張裕釗書法における理念形成と形象の研究」で神戸大学文学博士。神戸大学教育学部助教授、国際文化学研究科教授。2010年定年退任、名誉教授、天津大学客員教授。
金井 淑子(かない よしこ、1944年 - )は、日本の女性… 金井 淑子(かない よしこ、1944年 - )は、日本の女性学研究者。専門は、倫理学とフェミニズム・ジェンダー研究。立正大学文学部哲学科教授を歴任。 東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。横浜国立大学教育人間科学部教授、同大学院環境情報学府教授、2010年定年退任、立正大学教授。2015年定年退任。
阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 -… 阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 - 2021年〈令和3年〉11月16日)は、日本近世史の研究者。 1943年、栃木県足利市に生まれる。1966年に東京教育大学文学部史学科日本史学専攻を卒業後、黒磯高等学校や宇都宮女子高等学校で県立高等学校教諭を務める。栃木県立文書館(wikidata)の1986年設立に際しては、指導主事として尽力し、1987年4月に国士舘大学文学部国史学専攻助教授に就任した。 1992年4月に同学の教授に就任し、学部長(2000年4月 - 2004年4月)、2004年からは法人常任理事を歴任したが、2013年3月をもって法人理事および教授職から退いた。
小泉 浩一郎(こいずみ こういちろう、1940年(昭和15年… 小泉 浩一郎(こいずみ こういちろう、1940年(昭和15年)11月6日 - 2023年(令和5年)10月30日[要出典])は、日本近代文学研究者、東海大学名誉教授。 長野県更埴市(現、千曲市)生まれ。1963年東京教育大学文学部国語学国文学科卒、68年同大学院文学研究科博士課程満期退学、1973年大東文化大学専任講師、1979年東海大学文学部専任講師、助教授、教授、2011年退任、名誉教授。
谷本 誠剛(たにもと せいごう、1939年2月15日 - 2… 谷本 誠剛(たにもと せいごう、1939年2月15日 - 2005年1月22日)は、日本の児童文学研究者、翻訳家。関東学院大学名誉教授。博士(文学)(筑波大学・論文博士・2004年)(学位論文「昔話と児童文学の文体と表現 昔話から創作昔話へ」)。1998年より2004年まで日本イギリス児童文学会会長などを務めた。息子に生理学研究者の谷本道哉がいる。 兵庫県神崎郡福崎町西谷生まれ。兵庫県立福崎高等学校を卒業後、1964年に東京教育大学大学院英米文学科修士課程を修了し、静岡大学教養部で講師、助教授、教授、筑波大学で教授をそれぞれ務める。1992年に関東学院大学文学部で教授に就き、在職中の2005年に死去。
飯塚勝久(いいづか かつひさ、1939年- )は、日本の西洋… 飯塚勝久(いいづか かつひさ、1939年- )は、日本の西洋哲学研究者、日本大学名誉教授。 東京生まれ。1962年東京教育大学文学部哲学科卒業。67年同大学院博士課程哲学専攻満期退学。1973-74年、1978-79年フランスに留学。愛知県立大学講師、立教大学助教授、筑波大学助教授、日本大学法学部教授、2010年定年退任、名誉教授。1982年「フランス・ジャンセニスムの精神史的研究」で筑波大学文学博士。
福部 信敏(ふくべ のぶとし、1938年7月26日 - 20… 福部 信敏(ふくべ のぶとし、1938年7月26日 - 2006年11月1日)は、日本のギリシア美術史研究者。 横浜生まれ。1963年東京教育大学卒業、同大専攻科入学、1965年早稲田大学大学院入学、72年博士課程満期退学、跡見学園女子大学講師、助教授をへて、80年教授、1990―92年副学長を務める。2000年東京芸術大学教授、2006年退職。
池内 輝雄(いけうち てるお、1938年(昭和13年)5月1… 池内 輝雄(いけうち てるお、1938年(昭和13年)5月14日 - 2025年(令和7年)6月24日)は、日本の近代文学研究者。 長野県軽井沢町生まれ。1962年東京教育大学国文科卒、1969年同大学院博士課程満期退学、東京教育大学文学部助手。1971年大妻女子大学文学部助教授、教授、1993年筑波大学文芸・言語学系教授、2001年帝京大学文学部教授、2005年國學院大學文学部教授、2008年國學院大學・國学院大學大学院客員教授。 2006-07年日本近代文学会常務理事。2015₋2023年日本近代文学館副理事長。軽井沢高原文庫初代館長。
飛高隆夫(ひだか たかお、1936年12月22日-2020年… 飛高隆夫(ひだか たかお、1936年12月22日-2020年10月16日)は、日本近代文学研究者。大妻女子大学名誉教授。 埼玉県生まれ。1959年東京教育大学文学部国文科卒、1965年同大学院文学研究科博士課程満期退学、1967年大妻女子大学文学部専任講師、1970年助教授、1982年教授。1997年退職、名誉教授、皇學館大學教授、2005年退職。
泉谷 周三郎(いずみや しゅうざぶろう、1936年 - )は… 泉谷 周三郎(いずみや しゅうざぶろう、1936年 - )は、日本の哲学研究者。横浜国立大学名誉教授。 東京生まれ。1955年秋田県立横手高等学校卒、東京教育大学卒、1966年同大学院博士課程中退、福島工業高等専門学校講師、横浜国立大学教育人間科学部助教授、教授、附属横浜中学校校長、2000年定年、中部大学教授、聖学院大学客員教授。
鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - 2018年)は、日本… 鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - 2018年)は、日本近代文学の研究者、都留文科大学名誉教授。文学博士。 福島県いわき市生まれ。東京教育大学文学部国文科卒業。都留文科大学教授を務め、2002年定年退官。中島敦、芥川龍之介、壺井栄を研究。腎不全で闘病し、姉から腎臓移植を受けた経験を描いた『姉から贈られたいのち』がある。2012年日本児童文学学会特別賞受賞。2013年『評伝壺井栄』でやまなし文学賞受賞。2018年9月20日、82歳で逝去。[要出典]
柚木 馥(ゆのき ふく、1935年11月22日 - 2007… 柚木 馥(ゆのき ふく、1935年11月22日 - 2007年1月30日)は、日本の障害児教育研究者。岐阜大学名誉教授。 群馬県出身。1958年東京教育大学教育学部特殊教育専攻卒、1965年北海道大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、岐阜大学教育学部講師、助教授、教授、1999年定年退官、名誉教授、桜花学園大学教授。1999年「知的障害者の法外小規模施設における教育実践」で北海道大学より博士(教育学)の学位を取得。
三浦 仁(みうら ひとし、1935年1月21日 - )は、日… 三浦 仁(みうら ひとし、1935年1月21日 - )は、日本近代文学研究者。山梨県立女子短期大学教授を歴任。 茨城県生まれ。東京教育大学国文科卒、1966年同大学院博士課程単位修得。山梨県立女子短期大学国文科教授を務めた。
角田 敏郎(かくた としろう、1933年9月22日 - 20… 角田 敏郎(かくた としろう、1933年9月22日 - 2013年1月30日)は、日本近代文学研究者。大阪教育大学名誉教授。 兵庫県出身。1959年東京教育大学文学部国文科卒、61年同大学院修士課程修了、北海道学芸大学(のち北海道教育大学)講師、大阪教育大学助教授、教授、97年定年退官、名誉教授、皇學館大學教授、2005年退職。長男は心理学者・京都産業大学教授の角田豊。
山科 三郎(やましな さぶろう、1933年 - )は、日本の… 山科 三郎(やましな さぶろう、1933年 - )は、日本の哲学研究者。 樺太生まれ。東京教育大学大学院修士課程修了。労働者教育協会常任理事。日本共産党[要追加記述]。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安藤 靖彦(あんどう やすひこ、1932年1月5日 - )は… 安藤 靖彦(あんどう やすひこ、1932年1月5日 - )は、日本近代文学研究者。愛知県立大学名誉教授。 愛知県一宮生まれ。東京教育大学国文科卒、1964年同大学院博士課程単位取得。愛知県立大学文学部助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、金城学院大学教授、特任教授。
伊牟田 經久(伊牟田 経久、いむた つねひさ、1931年1月… 伊牟田 經久(伊牟田 経久、いむた つねひさ、1931年1月14日 - 2025年8月11日)は、日本の日本語学者、日本古典文学研究者。鹿児島大学名誉教授、志學館大学名誉教授。『蜻蛉日記』など平安期の国語国文学研究や、『大石兵六夢物語』など江戸時代の鹿児島文学の研究で知られ、鹿児島大学教育学部長、志學館大学文学部長、志學館大学学長を歴任した。 鹿児島県揖宿郡喜入村(後に揖宿郡喜入町、2004年鹿児島市へ編入)生まれ。1952年東京高等師範学校文科第二部(国語専攻)卒業。高等師範卒業後、鹿児島県指宿高等学校教諭を3年間務め、在職中に校歌を作詞。高校教諭を退職して東京教育大学(現筑波大学)文学部文学科国語国文学専攻3年次に編入学し、1957年3月に卒業。
渋谷達明(澁谷達明、しぶや たつあき、1931年- )は、日… 渋谷達明(澁谷達明、しぶや たつあき、1931年- )は、日本の化学者、香りの研究者、筑波大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程中退、1961年「シャコ心臓のペースメーカーの機構」で理学博士。1967年東京教育大学理学部助教授、1974年筑波大学生物化学系助教授、教授。94年定年退官、名誉教授。嗅覚味覚研究所所長。2005年フレグランスジャーナル社とともに千代田区飯田橋に「香りの図書館」を開設した(2018年閉館)。
菊川忠夫(きくかわ ただお、1930年2月7日- )は、日本… 菊川忠夫(きくかわ ただお、1930年2月7日- )は、日本の哲学研究者、神奈川工科大学名誉教授。 東京府(現杉並区)生まれ。1952年東京文理科大学卒、55年同大学院修士課程修了。米国オハイオ大学留学。1960年「現代功利主義論」で論争新人賞受賞。1965年東京都立九段高等学校教諭、幾徳工業高等専門学校助教授、78年教授、神奈川工科大学教授、2001年定年、名誉教授。
佐藤 三夫(さとう みつお、1929年11月2日 - )は、… 佐藤 三夫(さとう みつお、1929年11月2日 - )は、ルネッサンスの研究者、詩人、千葉大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1954年東京教育大学哲学科卒、61年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1973-74年ローマ大学文学哲学部に学び、1984-85年パドヴァ大学文学哲学部に学ぶ。1977年「ユマニストとデカルトの時代における世界観形成の基本問題」で東京教育大学文学博士。1966年流通経済大学講師、67年助教授、72年教授、1983年千葉大学教育学部教授。95年定年退官、名誉教授。 『世界史』の受験参考書を書いている佐藤三夫は、ほぼ同年だが小石川高校の教諭を長く務めた別人である。
宮脇 理(みやわき おさむ、1929年 - )は、日本の美術… 宮脇 理(みやわき おさむ、1929年 - )は、日本の美術教育研究者。文部科学省教科調査官、岡山大学教授、横浜国立大学教授、筑波大学芸術学系教授、佐賀大学教授、美術科教育学会代表理事、上海・華東師範大学顧問教授などを務めた。東京教育大学卒業。学位論文に基づく博士(芸術学)。東京生まれ。 美術科教育学会、大学美術教育学会、日本美術教育連合など美術教育の学術団体の発展に尽力。また、横浜国立大学教育学部(学部名はその後、人間教育科学部に改称)の大学院修士課程の設置時に、美術教育研究にかかわる研究コースの開設に尽力した。さらに、筑波大学人間総合科学研究科(博士課程)芸術専攻芸術学領域における芸術教育学研究の研究指導体制の充実に努めた。
下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994… 下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994年3月7日)は、日本の数学史研究者、和算史研究者。 1957年、東京教育大学理学部数学科卒業。1967年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了、前橋市立工業短期大学助教授、のち教授。1978年、「初期円理の発達 関孝和の業績の根源」で日本大学より学術博士の学位を取得。1983年、国士舘大学教授。在職中に死去。
表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年… 表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年9月7日)は、日本の能楽研究者。法政大学名誉教授。能楽史、世阿弥伝書などの研究で知られる。長男の表きよし(1958年 - 、国士舘大学教授)も、能楽研究者である。 石川県金沢市に生まれる。1951年、東京文理科大学卒業。同年、法政大学能楽研究所助手。1956年、法政大学文学部専任講師、1962年、教授。1991年、財団法人観世文庫常務理事。1998年、法政大学を定年退職、名誉教授。 1995年『喜多流の成立と展開』で、法政大学より博士(文学)の学位を取得、同年12月角川源義賞受賞。2005年、瑞宝中綬章受章。2010年、第31回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞、同年6月、能楽史研究で恩賜賞・日本学士院賞を受賞したが、9月7日に自宅で亡くなった。
古田 光(ふるた ひかる、1925年2月8日 - 2007年… 古田 光(ふるた ひかる、1925年2月8日 - 2007年3月17日)は、日本の哲学研究者。横浜国立大学名誉教授。 中国・撫順市生まれ。1944年第三高等学校卒業。1947年東京文理科大学卒業。1954年横浜国立大学講師、1969年助教授、1970年教授。1990年定年退官、名誉教授、唯物論研究協会委員長、富山国際大学教授。 2004年4月瑞宝中綬章受章。2007年3月17日、胃癌のため死去。
分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - … 分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - 2009年1月29日)は、日本の近代日本文学研究者。東京教育大学教授・実践女子大学教授を経て、同大学長・名誉教授。1999年勲三等瑞宝章受章。 秋田県南秋田郡五城目町出身。旧制秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)等を経て東京文理科大学卒業。 その後、高校教諭、東京教育大学教授、実践女子大学教授、同大学長(1993年)。のち名誉教授。1999年秋、勲三等瑞宝章受勲。
郡司 利男(ぐんし としお、1923年 <大正12年> 3月… 郡司 利男(ぐんし としお、1923年 <大正12年> 3月10日 - 1999年 <平成11年> 10月4日)は、日本の英語学者、言語学者、言語文化研究者、翻訳家。明治学院大学教授、同・言語文化研究所所長、筑波大学教授、同・附属図書館長、獨協大学教授、鹿児島女子大学(現・志學館大学)教授、同・学長等を歴任した。筑波大学および獨協大学の名誉教授。位階は正五位。 本名の利男のほか、筆名として郡司 外史(ぐんし がいし)、俳号として酔眼(すいがん)を用いた。 1923年3月10日、鹿児島県囎唹郡志布志町(現・志布志市)に生まれる。 郵便局通信事務員を経て、1943年、中央大学第二予科(英法)に入学するが翌1944年除籍。
田能村祐麒(たのむら ゆうき、1923年 ‐ )は、性教育研… 田能村祐麒(たのむら ゆうき、1923年 ‐ )は、性教育研究者。大分県生まれ。官立東京体育専門学校(後の東京教育大学体育学部)卒。高校、中学教師、新宿区教育委員会指導室長。新宿区立西戸山中学校校長。文部省生徒指導資料「生徒指導における性に関する指導」を執筆した。全国性教育研究団体連絡協議会、田能村教育問題研究所所長。
山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982… 山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982年4月17日)は、日本の哲学研究者。 長野県下高井郡穂高村(現木島平村)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て東京文理科大学倫理学科卒。1967年「プラグマティズムにおける倫理探求の理論」で東京教育大学文学博士。秋田師範学校教授、新潟高等学校教諭、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年筑波大学教授。セイロン大学に留学。デューイ、ベンサムなどを研究した。
市川 正巳(いちかわ まさみ、1917年4月7日 - 199… 市川 正巳(いちかわ まさみ、1917年4月7日 - 1999年2月1日)は、日本の地理学者、水文学研究者、筑波大学名誉教授、兵庫教育大学名誉教授。位階は従四位。 秋田県に生まれ、秋田県師範学校から東京高等師範学校文科第4部に進み、1941年に卒業して滋賀県師範学校教諭となった。 1942年に二等兵として陸軍に召集され、終戦時には陸軍中尉となっていた。 戦後ただちに東京文理科大学理学部地学科地理学専攻に進んで、石川与吉に師事して自然地理学を学び、1949年に卒業し、大学院特別研究生として4年間在籍した後、1953年に東京教育大学理学部助手となった。 1961年5月には、「山地斜面の形態とその発達に関する地形学的研究」により、東京教育大学から理学博士を取得した。
萩原 竜夫(はぎわら たつお、1916年7月18日 - 19… 萩原 竜夫(はぎわら たつお、1916年7月18日 - 1985年6月19日)は、日本の民俗学者、日本史研究者。 東京市深川区門前仲町生まれ。幼時受洗。1941年、東京文理科大学文学部国史学科卒業。1942年、国民精神文化研究所嘱託。1949年、東京学芸大学助教授を経て、1967年、明治大学文学部教授。1962年、博士論文「中世祭祀組織の研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。
浅野 建二(あさの けんじ、1915年8月24日 - 199… 浅野 建二(あさの けんじ、1915年8月24日 - 1990年7月17日)は、日本の音楽学者、民謡・歌謡研究者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1962年)(学位論文(「日本歌謡の研究」)。山形大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1941年東京文理科大学国文科卒、群馬県師範学校教諭、1943年群馬師範学校助教授、1947年教授、宮城県第二高等女学校教諭、1950年山形大学山形師範学校教授、山形大学教育学部助教授、1962年「日本歌謡の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1963年山形大学教授、1977年附属図書館長・評議員、1981年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
杉本 尚雄(すぎもと ひさお 1914年4月16日 – 1… 杉本 尚雄(すぎもと ひさお 1914年4月16日 – 1970年8月10日 )は、日本の歴史研究者。 熊本県鹿本郡出身。1934年熊本師範学校を卒業し、1935年東京高等師範学校文科に入学。1938年に同校を卒業し、東京文理科大学国史学専攻に入学。1941年に同学を卒業。東京高等師範学校助教授などを経て、1944年東京第二師範学校教授。その後、熊本師範学校教授となり、1949年に熊本大学助教授、1960年に同教授。 専門は日本中世史で、武士団の祭祀組織や九州地方の宮座組織、肥後菊地氏の研究を進め、1961年「中世の神社と社領」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
石塚 経雄(いしづか つねお、1913年1月12日 - 19… 石塚 経雄(いしづか つねお、1913年1月12日 - 1992年11月25日)は、日本の哲学研究者。 徳島県生まれ。1938年東京文理科大学哲学科卒。1975年「実存的人格主義と弁証法的自己否定の倫理 N・ベルジャーエフを巡って」で東京教育大学文学博士。静岡大学教養部助教授、65年教授。71年同附属図書館長、76年定年退官、名誉教授、浜松短期大学教授、学長。
大場 俊助(おおば しゅんすけ、1906年5月13日 - 1… 大場 俊助(おおば しゅんすけ、1906年5月13日 - 1970年11月30日)は、日本の日本文学研究者。 静岡県出身。東京文理科大学国文科卒。1936年中央大学予科教授、1939年中央大学文学部教授。国語教育が専門だが、近世文学などに業績があり、小林一茶のセックスについて研究したことで知られる。
斎藤 武雄(さいとう たけお、1904年1月25日 - 19… 斎藤 武雄(さいとう たけお、1904年1月25日 - 1995年1月28日)は、日本の哲学研究者。弘前大学名誉教授。 秋田県生まれ。1933年東京文理科大学哲学科卒。1949年弘前大学文理学部教授、人文学部長。1960年「ヤスパースにおける絶対的意識の構造と展開」で東京教育大学文学博士。1962年文部省在外研究員として西独、スイス、米国に滞在。1968年定年退官、名誉教授、弘前学院大学学長。
国元 東九郎(くにもと とうくろう、1894年 - 1985… 国元 東九郎(くにもと とうくろう、1894年 - 1985年)は、日本の数学教育研究者、数学教師。 1894年、新潟に生まれる。新潟県高田師範学校を経て、1920年3月に東京高等師範学校理科第一部(数学)を卒業。その後、新潟師範学校の教諭、女子学習院教授、日本大学付属櫻丘高等学校の教頭を務めた。