スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、… 末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、男性、1931年〈昭和6年〉 - 2002年〈平成14年〉)は、日本のアイヌの星の伝承の研究者、執筆者。アマチュア天文家。 著作に『アイヌの星』『人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』など。北海道旭川市生まれ。 北海道旭川市出身。アイヌの古老から伝承を採録し研究。野尻抱影に絶賛され、氏の改訂版『日本の星』に紹介されている。
七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - … 七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - 2022年3月25日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元市立名寄短期大学学長。七戸克彦九州大学教授の実父。 七戸は1930(昭和5)年9月25日に青森県上北郡三本木町(現十和田市)で生まれ、幼少期に父親が北海道庁勤務(獣医)となったため北海道訓子府町に移住した。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)卒業。北海道大学農学部農業経済学科卒。1958年(昭和33年)同大学院農学研究科博士課程修了。 1960年農林省北海道農業試験場技官。1962年農林省農業総合研究所研究員を経て、1965年北海道大学農学部専任講師。
八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2… 八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2001年9月9日)は、日本の実業家。 北海道枝幸郡中頓別村(現・中頓別町)出身。旧制旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)、日本大学法学部法律科卒業。卒業後は国民生活金融公庫に勤務する傍ら、スキー指導に携わり、母校日本大学スキー部監督や全日本スキー連盟専務理事、全国ビルメンテナンス協会会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。
西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 200… 西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 2004年3月24日 )は、日本の経営者。丸ヨ西尾社長を務め、セイコーマートの創立者でもある。 北海道札幌市出身。札幌北の誉酒造社長の西尾長平の長男として生まれる。ルーツは石川県金沢市。旧制中学校二年生まで札幌で過ごし、残りの二年は旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)に通った。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に丸ヨ西尾商店に入社、常務に就任。1954年に専務に就任し、1960年には北の誉酒造専務に就任し、1977年12月に副社長を経て、1978年に社長に就任。1985年11月に会長に就任。2001年から2004年まで、第15代札幌商工会議所会頭。
小島 衛(こじま まもる、1928年8月26日 - 2001… 小島 衛(こじま まもる、1928年8月26日 - 2001年3月13日)は、日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。北海道旭川市出身。 1952年に京都大学文学部卒業。1963~65年ミュンヘン大学に留学。北海道大学助教授などを経て、1969年京大教養学部助教授、1976年教授。1992年定年退官、名誉教授。リルケの研究で知られる。訳書に『リルケ名詩選』、ノサック『幻の勝利者に』など。
長谷川 晶(はせがわ あきら、1925年(大正14年)3月3… 長谷川 晶(はせがわ あきら、1925年(大正14年)3月3日 - 2005年(平成17年)6月11日)は、日本の洋画家・抽象画家である。 1925年3月3日北海道旭川にて、国鉄の車掌区に勤務していた父馨と母キヨとの次男として生まれる。稚内の小学校を卒業し、北海道庁立旭川中学校(5年制)を卒業後、北海道大学理学部臨教数学課へ進学。子供の頃から絵や漫画を描くのが得意であった。油絵を始めたのは大学に入ってからで、当時札幌在住の菊地精二に師事した。太平洋戦争末期、徴兵で旭川師団に入隊したが、まもなく終戦。卒業後、1946年21歳で函館高等女学校の数学教師として就職した。そこで田辺三重松と出会い師事した。
干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 201… 干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 2013年11月12日)は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旧制北海道庁立旭川中学校(現:北海道旭川東高等学校)、日本製鐵輪西、旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団。初年度である同年に10勝を挙げる活躍をする。オーソドックスなアンダースローの投手であった。1951年も先発陣の一角として期待されたが4勝に終わり、1952年に肩を故障して退団。わずか3年のプロ野球生活であった。 2013年11月12日、89歳で死去した。 予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。
川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 19… 川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 1986年12月30日)は日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日… 門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日 - 2018年〈平成30年〉10月1日)は、昭和後期から平成時代にかけて活躍した日本の社会活動家。北海道出身、アイヌ民族。 小冊子『アイヌの叫び』の著者貝澤藤蔵と川村コヨの長男。日高管内の沙流郡平取町生まれ。北海道旭川東高等学校(旧制旭川中学)卒業。 1939年(昭和14年)から朝鮮の炭鉱会社で働いた。戦後は旭川営林局にはいり、測量審査などにあたる一方、人権擁護委員も務めた。1972年(昭和47年)10月、旭川市で起こった「風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件」を機に旭川アイヌ協議会の創設に尽力し、その初代会長となった。1975年(昭和50年)、北海道アイヌ文化伝承保存会副会長となった。
藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) -… 藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) - 2012年(平成24年)9月10日)は、日本の歴史学者・教育者。北海学園大学名誉教授。 北海道深川市出身。庁立旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)を経て、1942年横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)卒業。庁立深川中学校(現・北海道深川西高等学校)教諭。1949年北海道札幌西高等学校教諭。1952年北海道大学文学部東洋史学科卒業。1954年同大学院文学研究科修了。同文学部助手。同非常勤講師を経て、1958年北海道札幌星園高等学校教諭。1972年北海学園大学法学部の専任講師として就任。1974年同法学部教授。1996年北海学園大学退職。
木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 -… 木野 工(きの たくみ、1920年(大正9年)6月15日 - 2008年(平成20年)8月3日)は、日本の小説家。 北海道旭川市生まれ。旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)、北海道帝国大学工学部卒業。1943年に海軍予備学生として横須賀海兵団に入団。占守島派遣や内地転属を経て終戦を迎える。北海日日新聞創刊に参加し、新聞合併を経て北海タイムスの記者として勤務。文化部長や論説委員を務めた。その傍ら1949年より旭川の文芸同人誌「冬濤」に参加。1952年より同誌編集責任者を務めた。旭川市の郷土史研究書である『旭川今昔ばなし』も著した。
斎藤 忍随(さいとう にんずい、1917年5月6日 - 19… 斎藤 忍随(さいとう にんずい、1917年5月6日 - 1986年1月21日)は、日本の哲学者、西洋古典学者(古代ギリシア哲学)。東京大学文学部名誉教授。 北海道宗谷支庁枝幸郡中頓別町に生まれる、生家は曹洞宗開禅寺。旧制旭川中学、旧制二高を経て、1944年、東京帝国大学文学部哲学科卒業。 1948年、新設の北海道大学法文学部に助教授で赴任(1950年、法学部と文学部に分離)、1952年、東京大学文学部助教授を併任、1954年、東大助教授に専任、1969年、教授。1972年から1974年まで文学部長。1978年、定年退官し名誉教授、成城大学教授。同年、紫綬褒章受章。1984年、成城大学退職。 ギリシア哲学研究の第一人者で、哲学会理事長、西洋古典学会常任委員、日本ギリシャ協会理事を務めた。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月3… 安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月30日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の政治家(日本社会党)。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院副議長(第57代)、衆議院議員(11期)を歴任。 1915年(大正4年)、北海道東神楽村(現東神楽町)にて生まれる。1940年(昭和15年)に東北帝国大学法学部を卒業し、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社、秋田県の尾去沢鉱業所に勤務した。1944年(昭和19年)に吉田貞次郎衆議院議員(元上富良野村長)の娘の弥生と結婚。1945年(昭和20年)、父で東神楽村長代理助役だった安井吉太郎の死去を受け、翌1946年(昭和21年)に家業の農業を継ぐため退社。
但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986… 但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986年9月6日)は、北海道旭川市出身のクロスカントリースキー、アルペンスキー選手。 旧制旭川中学校 → 日本国有鉄道札幌鉄道管理局 1935年の第13回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人耐久(56km)で3位となり、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。同オリンピックのクロスカントリースキー競技では、個人耐久(50km)で28位、個人長距離(18km)で59位、4x10kmリレーで12位の成績を残した。また、同オリンピックより採用されたアルペンスキー競技のアルペンスキー複合(滑降・回転)にも、同じ距離選手の関口勇・関戸力とともにエントリーしたが、後半の回転で全員失格した。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年… 加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年)7月7日 - 1997年(平成9年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。 北海道上川郡当麻町出身。屯田兵・農業、加登川春吉の長男として生まれる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)を経て、1930年(昭和5年)7月、陸軍士官学校(42期)218名中を皇王族(恒德王・李鍵公)を除いて9番の成績で卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第25連隊付となる。1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)卒業後、戦車学校教官に就任した。 その後、北支那方面軍参謀を務め、太平洋戦争時には陸軍省軍務局軍事課員(予算班)、第2方面軍、第35軍、第13軍参謀としてニューギニアの戦い、レイテ島、インドシナ、中国を転戦し中佐で敗戦をむかえる。
赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1… 赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、日本の歴史学者。北海道旭川市出身。 北海道鷹栖村(現旭川市)の真宗大谷派の寺院光岸寺に次男として生まれる。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部史学科に進み、三浦周行・西田直二郎・中村直勝らに学ぶ。同期に清水三男がいる。卒業論文として「室町幕府の統制意識に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部史学科卒。 京都府嘱託・主事として、府下の社寺宝物や史跡の調査に従事。1949年京都府教育委員会文化財保護課の初代課長。東寺百合文書のうち、東寺にて放置されたままであった文書群の存在を確認してその解読にあたり、その成果を「東寺百合文書」として発表する。
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月3… 前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 北海道旭川市出身。庁立旭川中学校を経て東京外語学校(現東京外国語大学)イタリア語科卒業後、ヨーロッパに留学、ローマ大学法科に学ぶ。 1936年朝日新聞ローマ支局に現地入社、記者としてイタリアのエチオピア侵入(第二次エチオピア戦争)などをスクープ。1947年大阪本社外報部長を最後に退社。 出版社経営を経て1950年、NHKに解説委員として入局。その後報道局長・編成局長・専務理事・副会長などを経て1964年、阿部眞之助会長が在職中に死去した事に伴い会長就任、1973年まで務めた。
小林 米作(こばやし よねさく、1905年7月15日 - 2… 小林 米作(こばやし よねさく、1905年7月15日 - 2005年11月6日)は、記録映画カメラマン、映画プロデューサー。 十字屋映画部から日本映画社、戦後は東京シネマで科学映画の撮影を担当。顕微鏡を使用した撮影を得意とし、自ら、プロダクションを立ち上げ、多くの科学映画を製作した。その間、国際賞・国内賞含め、数々の賞を受賞した。長男の小林武史と、次男の小林健次はヴァイオリニスト。
加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28… 加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦時、戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い、一式戦闘機「隼」をもって活躍した、帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエース・パイロットの一人。 1903年(明治36年)9月28日、北海道上川郡にて屯田兵として京都綴喜郡から北海道に入植した父・鉄蔵、母・キミとの間に加藤家の末子(兄・農夫也、姉・貞)として誕生する。
山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 19… 山口 正城(やまぐち まさき、1903年1月22日 - 1959年12月5日)とは、日本の画家、グラフィックデザイナー、デザイン・図案に関する教育者。 千葉大学工学部工業意匠学科教授を務めた。フォトグラムを含め、抽象的な作品が多い。
川崎 大治(かわさき だいじ(たいじ)、本名:池田 政一(い… 川崎 大治(かわさき だいじ(たいじ)、本名:池田 政一(いけだ まさかず)、1902年3月29日 - 1980年8月8日)は、日本の児童文学作家。プロレタリア児童文学の運動にも関わった。また、紙芝居の制作にも携わり、第二次世界大戦後の民主主義教育の普及にも貢献した。 北海道札幌市生まれ、旭川市出身。幼少期は巖谷小波に関心をもち、図書館に通って巌谷の本を二百冊以上読んでいた。1919年に北海道庁立旭川中学校を卒業後に上京、巌谷小波のもとを訪ねて師事。早稲田第二高等学院を経て早稲田大学文学部英文学科卒業。在学中に大杉栄の全集を読んで影響を受け、早大童話会にも所属していた。また巌谷の翻訳業の下請けをして学費や生活費を稼いでいた。
由利 健次(ゆり けんじ、1902年3月27日 - 没年不詳… 由利 健次(ゆり けんじ、1902年3月27日 - 没年不詳)は、日本の元俳優である。本名は中山 太吉(一説に中山 章、なかやま あきら)。旧芸名は中野 洋二(なかの ようじ)、中野 健治(なかの けんじ)、中野 健次、中野 健二。 1902年(明治35年)3月27日、三重県桑名郡城南村字小貝須(現在の同県桑名市小貝須)に農業を経営する父・弥太郎と母・すわの次男として生まれる。城南尋常小学校(現在の品川区立城南小学校)卒業後、北海道雨竜郡深川町(現在の同道深川市)にあった親戚邸に移り、北海道庁立旭川中学校(現在の北海道旭川東高等学校)に進学するも、1921年(大正10年)に中退する。ただし、1998年(平成10年)に発行された『芸能人物事典 明治大正昭和』では「旭川中学校卒業」としている。
東 隆(あずま たかし、1902年(明治35年)3月8日 -… 東 隆(あずま たかし、1902年(明治35年)3月8日 - 1964年(昭和39年)7月18日)は、日本の農協運動家、政治家。衆議院議員、参議院議員。 北海道上川郡東旭川村下兵村(現旭川市)で大分県から入植した屯田兵・東晋吾の三男として生まれる。旭川中学校を卒業し農業を継いだが、その後、勉学の道に進み北海道帝国大学予科に入学。1926年、同大学農学部農業経済学科を卒業。北海道庁技手に任官し、以後、農林主事、経済更生主任官、金融主任官、産業組合主任官、北海道農会幹事、同農業会専務理事、日本輸出農産物会社理事、同札幌支店長、肥料配給公団札幌支部長、北海道農業復興会議副議長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に北海道第一区から日本協同党所属で立候補して当選し衆議院議員を一期務め、国民協同党政策調査会副会長となった。
滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5… 滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5月10日 - 1973年(昭和48年)1月13日)は、日本の政治家・実業家。北海道旭川市出身。北海道北見市長(1963年 - 1967年、1期)。 北海道庁立上川中学校(現・北海道旭川東高等学校)卒業。1916年(大正5年)野付牛町(現・北見市)に移住、家業である菓子問屋を継いで1940年(昭和15年)北海道菓子卸売協同組合常務、1948年(昭和23年)同組合理事長。1950年(昭和25年)北宝食品代表取締役社長。1953年(昭和28年)北見信用金庫理事長。1955年(昭和30年)北見商工会議所会頭に就任。伊谷半次郎の後継候補として、1963年(昭和38年)北見市長選挙に出馬し対立候補の宇佐美福生を僅差で破って初当選するも1967年(昭和42年)に前回と同じ対立候補の宇佐美福生に敗れ落選した。
西 義章(にし よしあき、1898年(明治31年)12月11… 西 義章(にし よしあき、1898年(明治31年)12月11日 - 1943年(昭和18年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・数藤。 北海道出身。陸軍中尉・小学校教員、数藤熊七の二男として生まれ、西家の養子となる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)卒業を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第24連隊付となる。1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業し騎兵第24連隊中隊長に就任。 1932年(昭和7年)3月、陸士教官に就任し、1934年(昭和9年)8月、騎兵少佐に進級。1935年(昭和10年)2月、アメリカ駐在を命ぜられ、1936年(昭和11年)8月、アメリカ大使館付武官補佐官に就任。
有末 次(ありすえ やどる、1897年(明治30年)2月7日… 有末 次(ありすえ やどる、1897年(明治30年)2月7日 - 1943年(昭和18年)8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 北海道出身。有末孫太郎(村長・京極農場支配人・屯田工兵大尉)の息子として生まれる。上川中学を経て、陸軍士官学校(31期)、陸軍大学校(41期)を卒業。 参謀本部作戦班長・教育課長などを経て、1940年に関東軍作戦課長となり、ノモンハン事件後の関東軍の建て直しに当たった。日米開戦には反対の立場をとり、1941年、大本営陸軍参謀部第20班長として戦争回避を唱えたが阻止できなかった。 太平洋戦争開戦後は第17軍高級参謀などを経て、1942年、第8方面軍作戦課長としてラバウルに赴任し、翌1943年には陸軍少将・同方面軍参謀副長となり今村均大将を補佐する。
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月… 有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 北海道出身。有末孫太郎(村長・京極農場支配人・屯田工兵大尉)の長男として生まれる。 上川中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を優等(3番/536名)で卒業し、恩賜の銀時計を受けた。同期には、河村参郎、後藤光蔵、稲田正純、鎌田銓一、額田坦、小松光彦、佐藤賢了、寺田雅雄など昭和の陸軍を牽引した将軍を多く輩出している。旭川に衛戍する歩兵第25連隊附としてシベリアへ出征する。 1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)も優等で卒業し、恩賜の軍刀を受けた。
加藤 顕清(かとう けんせい、1894年〈明治27年〉12月… 加藤 顕清(かとう けんせい、1894年〈明治27年〉12月19日 - 1966年〈昭和41年〉11月11日)は、岐阜県出身の彫刻家、洋画家。本名、加藤 鬼頭太。 長年に亘り日展審査員を務めたほか、後進の指導育成に尽くした。 1894年(明治27年)12月19日、岐阜県に生まれる。生後まもなく北海道深川市に転居し、上川中学校(現・北海道旭川東高等学校)卒業後、旭川市で代用教員を務めた後に上京して上智大学哲学科に入学。中原悌二郎の彫刻に出会ったことをきっかけに、1915年(大正4年)東京美術学校彫刻科入学、在学中は高村光雲、白井雨山に師事。 1923年(大正12年)同校研究科を卒業し西洋画科本科に再入学、藤島武二、長原孝太郎に師事し油絵を学んだ。
小竹 無二雄(こたけ むにお、1894年11月30日 - 1… 小竹 無二雄(こたけ むにお、1894年11月30日 - 1976年9月18日)は、日本の化学者。大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。元日本化学会会長。元日本学士院会員。帝国学士院賞受賞。 富山県出身。旧制・北海道廳立上川中學校(現・北海道旭川東高等学校)、旧制・第七高等学校造士館を経て、1920年東北帝国大学理学部化学科卒業、理化学研究所助手。1928年東北帝国大学理学博士。1932年大阪帝国大学理学部教授。1944年帝国学士院賞受賞。1946年食品化学研究所(現サントリー生命科学財団)理事長。1949年大阪市立大学理工学部教授、初代大阪市立大学理工学部長。1955年大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。
中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 19… 中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 北海道旭川市出身。地主・中藤平の長男として生まれる。旭川中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第27連隊付となる。1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業し歩兵第27連隊中隊長となる。 1925年(大正14年)12月、陸士教官に就任し、参謀本部員に転じ、1929年(昭和4年)8月、歩兵少佐に昇進。1931年(昭和6年)8月、陸大教官となり、兼参謀本部員を経て、1933年(昭和8年)8月、歩兵中佐に進級し陸軍省人事局課員に就任。
前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31… 前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31日 - 1970年(昭和45年)6月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県名草郡安原村字吉原(現・和歌山市)で前田和一の長男として生まれ、1910年、前田勝之助の養子となる。北海道庁立上川中学校を経て、慶應義塾大学部理財科で学んだ。北海道に戻り農業を営む。 旭川信用組合監事、北日本無尽 (株) 監査役、下村育英財団理事、前田和一商店社長、旭川小型モータース社長、旭川信用金庫理事、旭川瓦斯 (株) 常任監査役、人事調停委員などを務めた。 政界では、旭川市会議員、同議長、北海道会議員、同参事会員を歴任。この間、旭川市長候補者に推薦されたが承諾しなかった。
野田 信夫(のだ のぶお、1893年4月24日 - 1993… 野田 信夫(のだ のぶお、1893年4月24日 - 1993年4月30日)は、日本の経営学者、元成蹊大学学長。 長野県飯田市生まれ、北海道旭川市育ち。旧制北海道立上川中学、旧制第一高等学校卒業。1918年(大正7年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業後、1921年に同経済学科を卒業した 同年三菱財閥合資会社に入社する。のち三菱経済研究所研究員となり、東京帝国大学工学部の講師も務めた。1946年(昭和21年)に三菱重工業企画室調査役となるが、翌1947年(昭和22年)に政府の経済安定本部に迎えられ生産局長となる。物価庁次長(1948年)を経て、1949年には経済安定本部副長官を務めた。 1949年に成蹊大学政治経済学部教授となり、1958年から1969年まで学長を務めた。
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年〈明治23年〉4月2… 尾崎 義春(おざき よしはる、1890年〈明治23年〉4月20日 - 1973年〈昭和48年〉9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 農家の尾崎次郎の二男として生まれる。北海道庁立旭川中学校を卒業したのち、日本軍に入隊。 陸軍士官学校23期・ 陸軍大学校31期。関東軍に出仕。1928年の張作霖爆殺事件の際には河本大作大佐の部下として実行部隊を指揮する。その後、日中戦争(支那事変)では独立混成第13旅団長として出動し、淮南で新四軍と激戦を繰り広げた。 日米開戦後は第19師団長に親補され、北朝鮮からフィリピンへと転戦。リンガエン湾・プロム山の戦闘では圧倒的兵力を誇る米軍相手に善戦敢闘した。
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8… 河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 - 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 北海道上川郡東旭川村(現旭川市東旭川町)出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。 1936年(昭和11年)5月、支那駐屯軍高級副官となり日中戦争に出征。1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し北支那方面軍高級副官に転じた。1938年(昭和13年)3月、歩兵第44連隊長に就任し満州に赴任。1940年(昭和15年)3月、陸軍少将に進級し独立混成第10旅団長となり、済南に駐屯し再び日中戦争に従軍した。
安藤 秋三郎(あんどう あきさぶろう、1876年(明治9年)… 安藤 秋三郎(あんどう あきさぶろう、1876年(明治9年)12月28日 - 1962年(昭和37年)3月11日)は日本の教育者。大正時代から昭和中期にかけて、尾張地方の人材教育に尽力した。 1876年(明治9年)12月28日、愛知県丹羽郡重吉村(現:愛知県一宮市丹陽町重吉)で出生。生家は農業を営んでいた。地元の高等小学校を卒業後、尋常小学校の代用教員となる。その後愛知県尋常師範学校、東京高等師範学校を卒業後、明治37年(1904年)に北海道庁立上川中学校(現:北海道旭川東高等学校)生物科教員。上川中学に在籍中の明治40年、小泉秀雄含め教諭ら5人と高校生らのグループで初めての大雪山の植物収集調査を行う。
北口 榛花 は、日本の女子陸上競技選手。専門種目はやり投。J… 北口 榛花 は、日本の女子陸上競技選手。専門種目はやり投。JAL所属。パリオリンピック金メダリスト。
北村 紗衣 は、日本のイギリス文学者、批評家。
道下 大樹 は、日本の政治家。
青野 武 は、日本の俳優、声優、ナレーター。旧芸名、青野 武… 青野 武 は、日本の俳優、声優、ナレーター。旧芸名、青野 武士。
折坂 章子 は、NHK初の女性気象キャスターを務めた気象予報… 折坂 章子 は、NHK初の女性気象キャスターを務めた気象予報士である。
霜山 龍志(しもやま りゅうし)は、日本の医師、医学者、文筆… 霜山 龍志(しもやま りゅうし)は、日本の医師、医学者、文筆家。北海道旭川市出身(札幌市生まれ)。 1971年に旭川東高等学校を卒業後、1977年に北海道大学医学部を卒業。同年4月、北海道大学医学部研究生(第二内科)となり、10月より国家公務員共済斗南病院の内科医員となる。 1982年10月にアメリカ合衆国テンプル大学病院の客員研究員となる。1983年8月、Sol Shelly 賞を受賞。 1984年11月に札幌南一条病院の消化器科医長となる。1988年9月に北海道赤十字血液センターキャリアクリニック医師となる。 1997年4月から札幌医科大学にて非常勤講師 (第一内科) を務める。同年12月、日本赤十字社金色有功章、北海道公衆衛生協会賞を受賞。
西川 将人 は、日本の政治家。
西本 夏生(にしもと なつき)は、北海道富良野市出身、東京在… 西本 夏生(にしもと なつき)は、北海道富良野市出身、東京在住のピアニスト。特にスペイン・ラテンアメリカ作品の演奏を得意としている。また、佐久間あすかとともにデュオユニット「piaNA」として活動している。ロシアの作曲家カプースチンの楽曲演奏にも取り組み、作曲家から2作品の献呈を受けた。 北海道旭川東高等学校を卒業後、早稲田大学で心理学、東京芸術大学の大学院で音楽教育とピアノを学ぶ。早稲田大学人間科学部卒業、東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。スペイン・バルセロナに渡西。以降、スペインの数々のミュージシャンとの幅広い交流の中で研鑽を積み、カタルーニャ高等音楽院(ESMUC)修士課程、カステジョン高等音楽院修士課程、両課程を優秀な成績にて修了した。
古屋 浩明(ふるや ひろあき)は、日本の人事院官僚。人事院事… 古屋 浩明(ふるや ひろあき)は、日本の人事院官僚。人事院事務総長を経て、人事官。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1980年東北大学法学部卒業、人事院入庁。給与局給与第一課長、人事課長を経て、2009年職員福祉局次長。2012年から給与局長を務め、国家公務員の給与引き下げ関連法案の整備などにあたった。2017年事務総長。2020年吉田耕三の後任の人事官に就任。2024年人事官を退任。