スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大浜 啓吉(おおはま けいきち、1946年 - )は、日本の… 大浜 啓吉(おおはま けいきち、1946年 - )は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(学位論文「アメリカにおけるルールメイキングの研究」)。早稲田大学政治経済学術院教授を経て、早稲田大学名誉教授。高柳信一門下。 熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、早稲田大学第一法学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程修了(政治学修士)。その後、高柳信一東京大学名誉教授の知己を得て専修大学大学院に学び、「アメリカにおけるルールメイキングの研究」で法学博士の学位を取得。主査:高柳信一(東京大学名誉教授)、副査:小林直樹(東京大学名誉教授)、副査:石村善助(東京都立大学名誉教授)。 法学博士号取得後、専修大学専任講師、助教授を歴任し、1992年に早稲田大学政治経済学術院教授に就任。
上野 健爾(うえの けんじ、1945年12月11日 - )は… 上野 健爾(うえの けんじ、1945年12月11日 - )は、日本の数学者。専門は複素多様体論。京都大学名誉教授。四日市大学関孝和数学研究所長、法政大学大学院工学研究科教授。日本数学協会会長。学力低下問題を中心に数学教育の問題にも言及している。[要出典] 1945年熊本県生まれ。1964年熊本県立熊本高等学校、1968年東京大学理学部数学科卒業。[要出典] 1978年にヘルシンキで開催された国際数学者会議で招待講演を行った。 現在は洛北高等学校附属中学校などで講義を行なっている。
沖津武晴(おきつ たけはる、1945年8月5日 - )は日本… 沖津武晴(おきつ たけはる、1945年8月5日 - )は日本の大蔵官僚。 熊本県熊本市出身(父母も熊本県)。熊本県立熊本高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。1968年 大蔵省入省(国際金融局国際機構課)。入省同期に林正和(日本取引所グループ取締役取締役会議長、日本取引所自主規制法人理事長、財務事務次官、主計局長、大臣官房長、経済企画庁長官官房長)、溝口善兵衛(島根県知事、財務官、国際局長、大臣官房長、大臣官房総務審議官、主計局次長(次席))、尾原栄夫(国税庁長官、主税局長)、田谷廣明(東京税関長)、堀田隆夫(JT副社長、造幣局長、証券取引等監視委員会事務局長、国税庁次長)、村田吉隆(衆議院議員、国家公安委員長兼防災担当大臣、大蔵総括政務次官)らがいる。
岡本 武(おかもと たけし、1945年7月17日 - 198… 岡本 武(おかもと たけし、1945年7月17日 - 1988年?)は、よど号グループのメンバー。北朝鮮発表によると、1988年に死亡したとされている。テルアビブ空港乱射事件を起こした岡本公三は弟。 熊本県出身。父親は小学校校長。熊本県立熊本高等学校卒業。京都大学農学部中退。1968年に東大安田講堂事件に参加。1970年に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。平壌郊外の日本人村で他のよど号犯とともに暮らす。 1976年に結婚。当初、結婚相手は現地の朝鮮人女性と発表されていたが、後に高知県出身の福留貴美子であることが確認された。よど号メンバーの妻のほとんどが北朝鮮の思想に共感を持っていたことが考えられる中、福留のみ親北朝鮮思想が確認されておらず、一部には北朝鮮に拉致されたとする見方もある。
細谷 英二(ほそや えいじ、1945年〈昭和20年〉2月24… 細谷 英二(ほそや えいじ、1945年〈昭和20年〉2月24日 - 2012年〈平成24年〉11月4日)は日本の実業家。りそなホールディングス会長、りそな銀行会長。東日本旅客鉄道(JR東日本)副社長、総合研究開発機構理事、経済同友会幹事などを歴任した。熊本県熊本市出身。正四位旭日重光章。 1945年(昭和20年)2月、熊本市で生まれる。東京大学法学部を卒業後、1968年、日本国有鉄道に入社する。経理局に勤務していたとき大蔵省への予算説明などを担当したことがあり自ら予算を作ったこともあった。そして井手正敬・松田昌士・葛西敬之ら国鉄改革三人組をサポートし、国鉄分割民営化という結論に達した。1985年3月に天王寺鉄道管理局への左遷も経験する が、同年7月に経営計画室計画主幹、1987年1月にJR東日本設立準備室次長を経て、1987年4月のJR東日本発足時には総合企画本部投資計画部長となる。
太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年… 太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の宗教家、政治活動家、日韓古代史研究家。全国大学連合原理研究会(J-CARP)の初代会長を務めた。国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界日報社取締役などを歴任。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「777双」の一人。 東京都に生まれる。直後に熊本県に疎開。熊本県立熊本高等学校卒業。1963年、京都大学工学部原子核工学科に入学。在学中は片山泰久教授に師事した。当初は日本共産党系の日本民主青年同盟(民青)で活動し、のちに反共主義に転向した。 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教理「統一原理」を研究する団体である全国大学連合原理研究会(J-CARP)が発足。
田村 浩章(たむら ひろあき、1943年〈昭和18年〉8月2… 田村 浩章(たむら ひろあき、1943年〈昭和18年〉8月24日 - )は、日本の経営者。やまぐち産業振興財団理事長、元宇部興産(現・UBE)取締役会長。 1943年(昭和18年)8月24日、東京都の目黒海軍病院で軍医の息子として産まれる。1歳より母方の故郷である熊本県八代市で育つ。熊本県立熊本高等学校、京都大学工学部機械工学科を経て、1966年(昭和41年)に宇部興産(現・UBE)へ入社。なお、同期の入社には、辻卓史(鴻池運輸会長)、前田高行(中東経済研究者)などがいる。1997年(平成9年)に同社取締役建設資材事業本部セメント生産統括部長に就任し、以降、同社常務取締役、同社専務執行役員建設資材カンパニープレジデント、同社取締役(専務待遇)、専務執行役員社長補佐を歴任する。
松嶋 英機(まつしま ひでき、1943年4月19日 - 20… 松嶋 英機(まつしま ひでき、1943年4月19日 - 2021年10月5日)は、日本の弁護士。西村あさひ法律事務所代表パートナーを務めた。合併前のときわ総合法律事務所の開設者である。事業再生実務家協会代表理事。熊本県出身。 民事再生、会社更生その他の倒産・事業再生を専門とし、山一證券、住宅金融専門会社、そごう、ハウステンボス、国民銀行などの事案を担当した。 不動産投資会社レーサムの創業者で、1992年から2021年まで取締役を勤めた男が、ホテルで覚醒剤やコカインを所持したとして覚醒剤取締法違反などの罪で逮捕・起訴され、2025年8月14日までに懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた 。 この男は、1992年の同社の創業時から、2021年に取締役会長を辞任するまで同社に勤務していたが、松嶋は2012年より、死去する2021年まで同社の社外監査役を勤めていた。
門垣 逸夫(かどがき いつお、1943年3月27日 - )は… 門垣 逸夫(かどがき いつお、1943年3月27日 - )は、熊本朝日放送株式会社(KAB)特別顧問。元社長、元取締役会長、元新聞記者。熊本県出身。熊本高校、九州大学法学部出身。 熊本市中央区坪井町生まれ、1967年朝日新聞社入社(同期は元鎌倉市市長の竹内謙)。新聞記者として秋田、佐賀、久留米、小倉、福岡支局を転々とした後、東京本社政治部、編集局次長、文化企画局、経営戦略室、役員を経て2004年6月熊本朝日放送代表取締役社長に就任。2009年より取締役会長に就任。
渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月… 渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月2日 - 2001年(平成13年)8月18日)は、日本の観光計画、リゾート計画、都市計画、地域計画、国土計画の専門家で、都市計画家、観光学者。東京工業大学大学院情報理工学研究科教授。工学博士。 熊本市の出身。熊本県立熊本高等学校から東京大学工学部都市工学科に進み、学科の第一期卒業生となる。その後同大大学院修士課程修了後、1971年に博士課程を満期退学(1976年、工学博士の学位を東京大学より取得)。1971年4月より東京工業大学工学部助手。1973年4月から1976年10月までラック計画研究所に所属した後、1976年11月に東京大学講師となり大学に復帰。
佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、… 佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本高校では、1960年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、熊本商に敗退。高校時代はオーバースローだったが、慶應義塾大学への進学と同時にサイドスローに転向。しかし入学当時の慶大は、最上級生に早慶六連戦で名を馳せた角谷隆、清沢忠彦ら、3年生に1962年秋季リーグベストナインの藤悟郎がいる投手王国であった。同期でも渡辺泰輔が台頭し、佐藤にはなかなか東京六大学野球リーグでの登板機会がなかった。しかし大学最後のシーズンである1964年秋季リーグでは、渡辺の調子が上がらない中で、慶大を3季ぶりの優勝に導く活躍を見せる。
松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 … 松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 - )は日本の彫刻家、基礎造形研究家、中国中央美術学院教授、中国清華大学美術学院彫塑学科客座教授。熊本県出身。東京藝術大学美術学部卒。 柳宗理に師事。東京南画廊にて楕円形をモチーフとした作品で第一回個展を開催、作品が文化庁買上げ(東京国立近代美術館収蔵)となる。文化庁芸術家在外研修員、ハーバード大学視覚芸術センター客員芸術家。 日中両国で、造形教育及び医療福祉に活用可能な『情報造形(INFORMART)』の特許を取得し、 普及事業の実施を開始 中国清華大学芸術博物館前庭に『歴史の輪』を設置 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 中国深圳第二回琵鷺杯公共芸術精鋭展にて『里・外 夜間』を発表 日本基礎造形学会名誉会員に任命される 中国河南省鄭州国際彫塑公園に『繁衍』を設置 『繁衍』鄭州国際彫塑公園(河南省) 福井・滋賀・三重市民活動フォーラムʻ98(三重県)実行委員長 ヘルスケアアートフォーラム東海イン四日市実行委員長横浜市磯子区公会堂緞帳を障害を持つ画家の原画で構成監修国際バリアフリーアート2000カレンダー発行(2009年迄10回発行) 国際バリアフリーアートサミット展(福岡・宮崎・沖縄) 主宰 バリアフリーアート中国交流展(ウェファン市図書館)主宰みえ健康福祉フェスタ企画プロデュース 水俣国際エコ・バリアフリーカイトフェスタ企画プロデュース 中国美術系教育機関での基礎造形及び抽象造形についての指導、教諭を本格的に実施 造形言語と基礎造形への応用》を発表 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 日本基礎造形学会名誉会員に任命される
青山 武憲(あおやま たけのり、1942年11月13日 - … 青山 武憲(あおやま たけのり、1942年11月13日 - )は、日本の法学者。元日本大学法学部教授。専門は憲法。
信原 啓也(のぶはら ひろや、1941年11月30日 - )… 信原 啓也(のぶはら ひろや、1941年11月30日 - )は、熊本県熊本市出身の財界人。元日本クレジットカード協会会長、元ジェーシービー(JCB)社長。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。
浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、… 浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、太平書屋社長、編集者。斎田作楽の筆名でも、解題翻刻を手がける。 福岡県生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1963年明治大学商学部卒業。在学中より有光書房のアルバイトをしていた縁から同書房の社員として残り、高橋鉄・林美一らの知遇を得る。1977年、有光書房社主坂本篤の死去をきっかけに太平書屋を創立した。 近世江戸の軟派文学・狂歌狂詩・川柳などの稀書に光を当て、正確に解題・翻刻・校註した出版刊行の成果は高く評価されている。第1回岩瀬弥助記念書物文化賞を受賞。
魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月… 魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月11日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、防衛政務次官、熊本県議会議員(3期)、菊池市議会議員(4期)を歴任。父は元熊本県議会議員の魚住一海。 熊本県立熊本高等学校・成城大学経済学部・東京農業大学(通信)畜産学科卒業。菊池市議会議員、熊本県議会議員を経て1986年の第38回衆議院議員総選挙にて初当選。自由民主党所属。 1993年の第40回衆議院議員総選挙において自民党を離党した新生党議員で唯一の前職落選者。 2007年の、第21回参議院議員通常選挙に、郵政民営化法案に反対したことを理由に公認が得られず、無所属で熊本県選挙区から立候補することを模索も断念し、引退。
篠崎 鉄男(しのざき てつお、1939年 - )は、日本の政… 篠崎 鉄男(しのざき てつお、1939年 - )は、日本の政治家。前熊本県宇城市長(1期)。元熊本県議会議員。元三角町議。成城大学卒業。
松尾 新吾(まつお しんご、1938年5月19日 - )は、… 松尾 新吾(まつお しんご、1938年5月19日 - )は、日本の実業家。2007年6月から九州電力会長を務めた。九州経済連合会第7代会長、東京大学赤門学友会副会長、日本相撲連盟会長などを歴任し、現在は日本会議福岡会長を務める。 玄海原発、川内原発の再稼働については強硬に進めていて、やらせメール事件が発覚した当時の九電会長である。やらせメール事件の翌年になって九電会長を辞任し、相談役となったが、その際、原子力大国であるフランスからレジオン・ドヌール勲章が授与された。 長崎県 佐世保市の出身。熊本県立熊本高等学校を卒業。1963年に東京大学法学部を卒業。若い頃は、人付き合いが苦手だったそうで、新入社員時代は同僚たちに溶け込めるかすら不安に感じていた[信頼性要検証]。
上田 豊三(うえだ とよぞう、1937年5月23日 - )は… 上田 豊三(うえだ とよぞう、1937年5月23日 - )は日本の元裁判官。元最高裁判所判事。熊本県出身。 横尾和子と共に、選挙権の制限は国会の裁量の範囲内として、在外日本人選挙権訴訟の違憲判決に反対した一人。 弟の上田豊甫は明星大学化学科の教授である。 全員一致ないし多数意見が比較的多い。
添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本… 添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本県玉名郡長洲町-2010年10月2日)は日本の歯科医師、歯学者、開業医。元東京歯科大学臨床教授、元日本口腔インプラント学会副会長・九州支部会長・第37回大会長、元日本審美歯科協会会長(初代)、元九州インプラント研究会会長。 熊本県立熊本高等学校、東京歯科大学卒業後、九州大学医学部歯科口腔外科、熊本大学医学部第一解剖学教室を経て開業。1974年、熊本大学にて医学博士を取得した。 歯科インプラント学の分野で知られる。松元教貢は、日本における即時過重インプラントのパイオニアは、1990年頃より即時加重治療を行っていた添島をおいて他にはいないとしている。
浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、… 浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。憲法学舎主宰。熊本県葦北郡佐敷町(現在の芦北町)出身。
岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法… 岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法学者・仲裁人。専門は国際私法。名古屋大学名誉教授。立命館大学教授、名古屋大学教授、ニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員、モナシュ大学客員教授等を歴任。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業、三井金属鉱業株式会社入社。 京セラ株式会社、ネッスル日本株式会社を経て、1979年愛媛大学法文学部助教授。1981年から1982年までニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員。1985年から1986年までモナシュ大学法科大学院客員教授。1985年愛媛大学法文学部教授。1988年立命館大学国際関係学部教授。
霍見 芳浩(つるみ よしひろ、1935年 - )は日本の経済… 霍見 芳浩(つるみ よしひろ、1935年 - )は日本の経済学者。ニューヨーク市立大学大学院センタービジネス学部名誉教授。 熊本県出身。熊本県立熊本高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、ハーバード大学で経営博士号を取得。その後、慶應義塾大学、ハーバード大学経営大学院、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)経営大学院、コロンビア大学経営大学院で教鞭を取り、ニューヨーク市立大学大学院センターのビジネス学部教授を務めた。
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023… 木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。 消防庁長官(第17代)、自治大学校長、参議院議員(2期)、防災情報機構顧問などを歴任。 熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業。 1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。地方自治庁入省。大阪府総務部地方課。 1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務。 1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
鬼木 甫(おにき はじめ、1933年 - )は、日本の経済学… 鬼木 甫(おにき はじめ、1933年 - )は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授・大阪学院大学名誉教授。専攻は経済学、理論経済学。 東京都生まれ。1952年に熊本県立熊本高等学校を卒業後、東京大学経済学部に進学、同大学院社会科学研究科、スタンフォード大学大学院で学ぶ。 スタンフォード大学大学院研究助手、東北大学経済学部助教授、ハーバード大学経済学部助教授、クイーンズ大学経済学部助教授、大阪大学社会経済研究所教授などを経て、現職。この間関西大学客員教授、国際大学GLOCOM上席客員研究員も務める。
木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 198… 木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 1987年11月13日)は、日本の科学ジャーナリスト。 熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校卒。1955年東京大学教養学部科学史及び科学哲学科卒、朝日新聞社入社。水戸支局員、朝日新聞社科学部員、1970年科学部長、81年米国ウィルソン・センター客員研究員、朝日新聞社調査研究室主任研究員、衛星チャンネル常務取締役。
名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 … 名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。 熊本県熊本市出身(出生地は広島県)。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー。能楽は破門となる。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。
江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3… 江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3日 - )は、日本の映画監督。熊本県熊本市出身。
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 20… 渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。 日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。 1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023… 蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023年3月17日)は、日本の医学者。天然痘の撲滅に尽力した。 熊本県熊本市生まれ。旧制熊本中学、熊本医科大学(現・熊本大学医学部)卒業。 臨床医を経て、1950年に厚生省(現・厚生労働省)に医系技官として入省した。 1962年からWHOアフリカ事務局員としてリベリアに赴任し、天然痘の対策に尽力した。 1977年にはWHOの世界天然痘根絶対策本部長に就任。最後の流行地ソマリアでは紛争の中ワクチン接種を続け、1980年の天然痘根絶宣言につなげた。 1985年に帰国後、国立熊本病院(現・国立病院機構熊本医療センター)院長に就いた。 1988年に日本国際賞を受賞している。
谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 20… 谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 2013年6月7日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。民俗学者谷川健一、詩人谷川雁は兄。弟に日本エディタースクール創設者の吉田公彦。 熊本県水俣市生まれ。水俣小学校、熊本県立熊本中学校(現:熊本県立熊本高等学校)、大阪府立浪速高等学校を経て、1945年、京都帝国大学文学部史学科に進学。兵役を挟んで、1948年9月卒業。同年京都大学大学院に入学し、その旁ら京都府立亀岡高等学校、京都府立洛北高等学校で教鞭も執る。 1952年11月に名古屋大学文学部助手(主任:宇都宮清吉)。1954年6月、京都大学大学院を退学する。名古屋大学文学部助教授を経て、1972年、名古屋大学文学部教授。
長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3… 長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3日 - 2016年(平成28年)8月31日)は、日本の銀行家。肥後銀行頭取、熊本経済同友会代表幹事、九州山口経済連合会副会長等を歴任した。1988年藍綬褒章。 熊本県玉名郡弥富村(現:玉名市)生、熊本市出身。 九州大学経済学部卒業後、肥後銀行入行。各部長等を歴任後、1984年には同行初のプロパーとして、頭取に就任した。 9年間の頭取在任時は、1985年9月には東証、大証1部への上場。新事務センターを建設し第三次オンラインシステム稼動を実現させた。また、業容の拡大に取り組み、1990年には預金残高2兆円、融資残高1兆5000億円の達成も成し遂げた。
守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1… 守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1999年11月14日)は、日本の政治家。参議院議員。熊本県熊本市出身。
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6… 沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6日 - 2016年3月4日)は、日本の政治家。熊本県知事(公選第7 - 9代)、参議院議員(4期)。 熊本県下益城郡小川町(後の宇城市)出身。熊本中学校(後の熊本県立熊本高等学校)、旧制第七高校を経て京都大学を卒業し、経済企画庁に入庁。熊本県の総務部長や副知事を務めた後、松野鶴平の死去を受けた1962年の第6回参議院議員通常選挙に熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。再選後の1968年には大蔵政務次官に就任した。 その後、前任の寺本広作に代わり自民党の公認を得て1971年から熊本県知事に転身し、水俣病の患者認定問題などに取り組んだほか、熊本県民テレビの開局にも尽力した。
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2… 谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日)は、日本の民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。2007年文化功労者選出。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげた。 1921年、熊本県水俣で六人兄弟の長男として生まれた。熊本中学、浪速高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部に進学。しかし東京大学入学後、結核を患い、各地の療養所を転々とした。大学ではフランス文学専攻で学び、卒業。 30歳を過ぎた頃より編集者として平凡社に勤務、『風土記日本』(1957-60年)、『日本残酷物語』(1959-61年)などを企画・編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務めた。
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30… 三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 201… 鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 2010年10月29日)は、熊本県の歴史研究家。地名研究家としても知られる。 鈴木喬は、父・鈴木登(1888年 - 1954年、京都帝国大学文学部史学科出身)が京都市視学であったので、京都大学医学部附属病院で生まれた。満2歳で父が第五高等学校教授に招請されて、熊本で育つ。碩台幼稚園、白川小学校時代を通じて本を読むのが好きであった。熊本中学校(現県立熊本高等学校)時代は3年にわたって結核を患う。日本大学文学部史学科卒業。1945年の東京大空襲は辛うじて逃れたが、熊本大空襲で自宅が被爆、父親の多くの史料が焼失した。 戦後は新制中学で教職につき、熊本市立白川中学校、熊本市立出水中学校などに勤務する。
平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月2… 平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月29日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学、1962年〈昭和37年〉、学位論文は「刑事訴訟法」)。東京大学名誉教授。元東京大学総長。日本学士院会員。勲一等瑞宝章受章。文化功労者。熊本県熊本市出身。 父は鹿本選出の県会議員、のち熊本市長の平野龍起。同郷(熊本県鹿本町来民)の内閣総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。その後、アメリカ合衆国に留学。 かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して、日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。
有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年… 有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年6月30日)は、俳人。
玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年 <大正4年> … 玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年 <大正4年> 7月29日 - 1999年 <平成11年> 1月14日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。世界各地の宗教を研究した。位階は従四位。 熊本県熊本市の浄土真宗の門徒の家に生まれ、熊本中学校卒。高校時代から禅、真宗の師につく。1936年第五高等学校(現・熊本大学)卒、1940年東京帝国大学文学部印度哲学科卒業、大学院に進む。1942年10月召集を受け、敗戦を迎えて熊本の専門学校で教えたあと、1951年再上京し大学院に復帰。 1954年東洋大学文学部勤務。1959年「天台実相観における心の捉え方の問題」で東京大学より文学博士の学位を取得。同年東京大学文学部印度哲学科助教授、1964年教授、1976年定年退官、名誉教授、東北大学教授。
佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年9月5日 - 200… 佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年9月5日 - 2008年9月24日)は、熊本県出身の郵政官僚。元富士重工業副社長。 熊本逓信局業務部長、郵務局服務課長、経理局主計課長、大臣官房文書課長兼大臣官房調査課長、名古屋郵政局長などを歴任。
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年〈大正3年〉8月2… 木下 順二(きのした じゅんじ、1914年〈大正3年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。母方の伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人(戦後民主主義者)であった。 東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。父は熊本県伊倉町長を務めた木下弥八郎、祖父は玉名郡長・衆議院議員を務めた木下助之。異母兄は天文学者の木下國助、異母姉・静は侍従次長の木下道雄に嫁いだ。第二女子師範附属小学校を経て郷里熊本市に戻る。実家は祖父の代まで惣庄屋を務めた熊本の名家だった。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校を経て1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学し、中野好夫の指導でシェイクスピアを専攻した。
岡嶋 清熊(おかじま きよくま 1913年(大正2年)12月… 岡嶋 清熊(おかじま きよくま 1913年(大正2年)12月6日 - 1995年(平成7年)2月24日)は日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校(第63期)卒。最終階級は、海軍で海軍少佐、海自で海将補。 1913年(大正2年)12月6日、熊本県に生まれる。熊本中学を経て1932年(昭和7年)4月、海軍兵学校に第63期生として入校。1936年(昭和11年)3月19日に卒業し海軍少尉候補生としてアメリカ・ニューヨークまでの遠洋航海に出る。終了後、重巡洋艦「足柄」乗組。1937年(昭和12年)4月、海軍少尉任官。同年9月、海軍練習航空隊飛行学生を拝命。同課程終了後、延長教育を受け、以後戦闘機搭乗員としての道を歩む。
北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - … 北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - 2004年7月17日)は日本のレフ・トルストイ専門の翻訳家・文学研究者、農場経営者、平和主義者。トルストイの平和思想に共鳴し、農業を営みながら彼の作品を翻訳した。良心的兵役拒否をしたことでも知られる。
矢嶋 三義(やじま みよし、1911年(明治44年)11月1… 矢嶋 三義(やじま みよし、1911年(明治44年)11月16日 - 1996年(平成8年)4月19日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は安部。 大分県直入郡、現在の竹田市で安部家に生まれる。1933年(昭和8年)九州帝国大学附設教員養成所数学科を卒業した。 下野中学校教諭、栃木県立宇都宮中学校教諭、福岡県立八女中学校教諭、長崎県立長崎中学校教諭、熊本県立熊本中学校教諭、熊本県立熊本高等学校教諭などを務めた。 労働運動に加わり、熊本県教職員組合委員長、日本教職員組合九州地協委員長、熊本県学生協同組合理事長、同県教育会長などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に無所属で出馬して当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙で全国区に日本社会党公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
野田 英夫(のだ ひでお、1908年7月15日 - 1939… 野田 英夫(のだ ひでお、1908年7月15日 - 1939年1月12日)は、洋画家。アメリカ合衆国生まれの日系人。 1908年(明治41年)、カリフォルニア州サンタクララ郡アグニュー村(Agnew, 現・サンタクララ市)で、熊本県出身の日本人移民・野田英太郎とセキの二男(第二子長男?)として生まれる。英語名はベンジャミン・ノダ。当時、アグニューや近隣のアルビソなどサンノゼ郊外は、ベリーなどの農産物耕作に携わる日本人移民の中心地だった。 3歳のときに父の郷里熊本の叔父・羽島徳次に預けられ、熊本師範付属小学校、旧制熊本県立熊本中学校卒業後に帰国し、1929年にアラメダ郡のビードモント高校を卒業、アメリカ人家庭のスクールボーイとして働きながら絵を学び、カリフォルニア・ファイン・アーツを中退、1931年にニューヨークに出てウッドストック芸術村で開かれていたアート・ステューデンツ・リーグの夏季講座に参加し、同校教授アーノルド・ブランチ(英語版)や国吉康雄の支援を受け、壁画・テンペラ画を研究した。
竹中英太郎(たけなか えいたろう 1906年(明治39年)1… 竹中英太郎(たけなか えいたろう 1906年(明治39年)12月18日 - 1988年4月8日)は、日本の挿絵画家、労働運動家、実業家。 長男は評論家の竹中労。『琉球共和国』、『仮面を剥ぐ』、『左右を斬る』、『浪人街 天明餓鬼草紙』などの労の著作や、労が制作したレコードのジャケットなどの装画を数多く手掛けた。次女の金子紫は「竹中英太郎記念館」館長。 福岡県福岡市上名島(現・福岡市中央区大名)の没落士族の家庭に生まれる。心臓逆位症で心臓が右、十二指腸が左にある珍しい体の持ち主であったと竹中労は伝えているが、金子紫はこの説を否定している。1歳で父を亡くし、極貧の中で育つ。11歳で熊本に移住。熊本中学夜間部に学びつつ警察で給仕として働いている時、押収された社会主義関係の文書を読んで社会主義者となる。
内藤 寿七郎(ないとう じゅしちろう、1906年10月23日… 内藤 寿七郎(ないとう じゅしちろう、1906年10月23日 - 2007年12月12日)は、日本の医学者、小児科医。元日本小児科医会名誉会長、日本小児科医会の初代会長。「育児の神様」と称された。 東京都生まれ。熊本県立熊本中学校(現 熊本県立熊本高等学校)、官立第五高等学校を経て、1931年に東京帝国大学(現 東京大学)医学部を卒業。同大学小児科教室勤務を経て、日本赤十字社中央病院小児科部長。1956年、愛育病院院長ならびに愛育研究所所長に就任。1968年、藍綬褒章。1984年、日本小児科医会初代会長、日本医師会最高優秀功労賞。1985年、毎日出版文化賞。1986年、国際小児科学会賞。1992年、日本人として初めてシュバイツァー博愛賞を受賞。