武田 菜々子(たけだ ななこ、2000年2月17日 - )は… 武田 菜々子(たけだ ななこ、2000年2月17日 - )は、秋田県能代市出身の元女子サッカー選手。現役時のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 小学1年生の時に兄の影響でサッカーを始める。秋田LFCを経て宮城県仙台市の明成高校に進学。同県内の強豪である常盤木学園高校・聖和学園高校を倒すことを目指し得点感覚に磨きをかける。 2017年、地元宮城開催の全国高校総体に初出場すると1回戦の四国学院大香川西高校戦で2得点を挙げ大会初勝利に貢献、ベスト8まで進出した。また、同大会では優秀選手の一人に選出された。同年10月には宮城県選抜として第72回国民体育大会に出場し、1回戦の愛媛県戦では1得点を挙げた。
鍋谷 暁(なべや あかつき、1994年(平成6年)9月5日 … 鍋谷 暁(なべや あかつき、1994年(平成6年)9月5日 - )は、日本の政治家。秋田県能代市長(1期)。元能代市議会議員(1期)。 秋田県能代市出身。能代市立向能代小学校、能代市立東雲中学校、秋田県立能代高等学校を経て、国際教養大学国際教養学部を卒業。 DOWAホールディングス株式会社を経て、参議院議員であった中泉松司の秘書に就任したが、父親の死去に伴い、2019年になべや製麺株式会社の代表取締役社長に就任。 2022年4月17日投開票の能代市議会議員選挙に立候補し、当選(1期、市長選挙への立候補に伴い2026年4月12日付けで失職)。1期目の在任中に、任期満了に伴う能代市長選挙に立候補。元県議会議員との一騎打ちの結果、初当選を果たした。
幸坂 理加(こうさか りか、1988年5月13日 - )は、… 幸坂 理加(こうさか りか、1988年5月13日 - )は、FIRST AGENTに所属するフリーアナウンサー、元秋田放送(ABS)アナウンサー。 秋田県能代市出身。血液型はO型、身長は160cm。秋田県立能代高等学校、法政大学経済学部国際経済学科卒業後、2011年ABSにアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーに八重樫葵がいる。ABSは2011年度のアナウンサー採用は1名を予定していたが追加で採用された、と本人が後述している。入社後は、記者とテレビやラジオ番組のディレクターを兼務し、パーソナリティを務めるラジオの収録番組で、収録後の音源を放送用に自らも編集した。『ABS news every.』(テレビ)で放送された「ヤン坊マー坊天気予報」の気象キャスターを2012年4月2日から2016年11月4日まで務め、2016年10月31日から2018年12月28日までメインキャスターを務めた。
斎藤 裕(さいとう ゆたか、1987年10月8日 - )は、… 斎藤 裕(さいとう ゆたか、1987年10月8日 - )は、日本の男性総合格闘家、YouTuber。 秋田県能代市出身。パラエストラ小岩所属。初代RIZINフェザー級王者。第10代修斗世界フェザー級王者。 2025年からは自身の経営するラーメン屋「麺ZINさいとう」の店長としての活動も格闘技と並行して行っている。 小学校、中学校時は野球をしていたが、15歳の頃、テレビで偶然、K-1のボブ・サップ対アーネスト・ホーストを見たりボブ・サップがバラエティ番組に出ていたのを見た事がきっかけで格闘技に興味を持ち、レンタルビデオ店に通い棚の端から端まで格闘技の商品を借りるほど格闘技に憧れを持つ。能代工業高校に進学した当初はレスリングをやりたかったが、学校に部活が無く伝統派空手部に入部した。
安井 勇誠(やすい ゆうせい、1987年5月7日 - )は、… 安井 勇誠(やすい ゆうせい、1987年5月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 秋田県能代市出身。3歳上の兄の影響で二ツ井町立二ツ井中学校(現能代市立)入学後からバレーを始める。この時代からアタッカーであった。中学2年で秋田県選抜に選ばれ、2002年中学3年時にJOCジュニアオリンピックカップに出場している。 2003年、強豪・秋田県立雄物川高等学校へ進学する。この頃から名を挙げユース代表候補にも選出、2005年春高バレーでは注目選手の一人としてメディアに扱われている。 2006年、筑波大学へ進学する。3年先輩が丸山祥二・三上圭治郎、2年先輩が永野健・菅直哉、1年先輩が鈴木悠二。同年大学1年時に、全日本インカレ準優勝に貢献している。
石井 秀生(いしい しゅうせい、1986年5月25日 - )… 石井 秀生(いしい しゅうせい、1986年5月25日 - )は、日本のプロバスケットボール選手である。秋田県能代市出身。能代市出身の人物としては初めてのプロバスケットボール選手である。2010年にbjリーグの浜松・東三河フェニックスと契約し、その後秋田ノーザンハピネッツを経て埼玉ブロンコスに所属している。ポジションはポイントガード。
らきるち(1985年7月9日 - )は、日本のライトノベル作… らきるち(1985年7月9日 - )は、日本のライトノベル作家である。 秋田県能代市出身。男性。2014年3月に発売された『絶深海のソラリス』はダイオウイカや深海魚などをもとにしたクリーチャーが登場するパニックアクション・ノベルで、2014年の「ライトノベルツイッター杯2014上半期」では新作部門の第2位に、「このライトノベルがすごい!2015」では作品部門の6位にランクインしている。
藤田 ゆうみん(ふじた ゆうみん、1984年10月22日 -… 藤田 ゆうみん(ふじた ゆうみん、1984年10月22日 - )は、日本のラジオパーソナリティ。秋田県能代市出身。 日本女子大学文学部英文学科卒業。大学卒業後、転職コンサルタントを経て、サンディ所属のラジオパーソナリティ・イベントMCとなる。歌手としても活動しており、兄と共にユニットを組んでライブ活動したこともある。 なお、本名の『友明』(ゆうみん)という名前は、父親が松任谷由実のファンであったことから名付けられたものである。 2012年6月1日、レギュラー番組『OH! HAPPY MORNING』及び自身のブログで3歳下の男性と入籍したことを明かした。 結婚後は地元・秋田で活動。
織田 亜紀子(おだ あきこ、1980年9月20日 - )は、… 織田 亜紀子(おだ あきこ、1980年9月20日 - )は、元エフエム群馬のアナウンサー、元エフエム香川のラジオパーソナリティ。 秋田県能代市出身。東京アナウンスセミナーの4期生。 エフエム群馬でアナウンサーを務めた後、結婚を機に2009年8月いっぱいで同局を退社。香川県へ転居し、2009年10月から2010年9月までエフエム香川『Delicious!』のパーソナリティを務めていた。同番組の終了時には、これからは出産と子育てに力を注ぐとのコメントを番組公式ブログに残している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
大村 小町(おおむら こまち、1978年10月18日 - )… 大村 小町(おおむら こまち、1978年10月18日 - )は、日本のお笑い芸人。女性のピン芸人。 秋田県能代市出身。株式会社ミューズ所属。 1978年、秋田県能代市富町に生まれる。 秋田県立能代高等学校卒業、福島大学進学。最初は教員を目指していた。しかし教員としての自分の姿をイメージできなくなり、大学は2年の秋で中退、友人を頼って上京。神奈川県内のホテルに就職して配膳の仕事に就いていた。 テレビでたまたま見たテツandトモに感動して尊敬し、「一目会いたい」との思いで芸人養成所に入り、芸能活動をスタート。 かつてはニチエンプロダクションに所属、この当時は本名で活動していた。その後芸名を「小町」としてフリーでの活動を経て、2008年5月よりアミー・パークに所属。
CANDY(キャンディ、1976年10月1日 - )は日本の… CANDY(キャンディ、1976年10月1日 - )は日本のボーカリスト。旧芸名は及崎森平(のざき しんぺい)。叔父は歌手の友川カズキ。 flow-warとしての作品はflow-war#ディスコグラフィ、CANDYMANとしての作品はCANDYMAN (バンド)#作品を参照。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
小沼 ようすけ(おぬま ようすけ、1974年11月24日 -… 小沼 ようすけ(おぬま ようすけ、1974年11月24日 - )は、日本のジャズギタリスト。秋田県能代市出身。ピックを使わないフィンガーピッカーである。ギブソン・ES-275を愛用。 小中高を秋田市で過ごす。趣味でギターを弾いていた父親とエレクトーン講師の母親がセッションを行うような家庭環境で育った。 14歳で父の影響によりギターをはじめ、ロックバンドを組み活動開始。BOØWY、BUCK-TICKのコピーなどをしていた。当時はハードロックが流行っており、LOUDNESS、ジミ・ヘンドリックス、ヴァン・ヘイレン、イングヴェイ・マルムスティーンなども好きだったと述べている。 17歳の頃、バイクを運転中に交通事故に遭い、左腕を骨折し、高校の退学を余儀なくされた。
保坂 俊彦(ほさか としひこ、1974年4月20日 - )は… 保坂 俊彦(ほさか としひこ、1974年4月20日 - )は日本の彫刻家。秋田県能代市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。妻は乙幡啓子。 日本に数少ないプロ砂像彫刻家のひとり。大学在学中より各種イベントにおいて砂像の制作を始める。卒業後 様々な素材による店舗や撮影用の美術品、ディスプレイ用オブジェなどの立体造形物、商業玩具原型等の制作を手がける。砂では難しい人体や動物等の表現力に優れ、日本代表としてアメリカやヨーロッパで開催される砂像イベントに招待作家として参加し、制作・指導している。現在は国内、国外の各種イベントにおいて砂像の制作、指導のほか、CM・PR用砂像の制作、イベントの総合演出、また砂の定着剤や玩具の共同開発、砂像を通し海外との交流事業への協力などを行っている。
松野 ちか(まつの ちか、本名:林 智加、旧姓:松野、197… 松野 ちか(まつの ちか、本名:林 智加、旧姓:松野、1971年〈昭和46年〉1月6日 - )は、日本の体操インストラクター。秋田県能代市出身。血液型はB型。夫は林光樹。X JAPANのYOSHIKIは義理の兄である(林光樹の兄)。2児の母。 能代市立第一中学校時代から体操部に所属した。2年生の時に秋田市立御野場中学校に転校し、新体操部に所属した。秋田県立秋田北高等学校に進学後も引き続き新体操部に所属し、3年生の時にインターハイにて団体準優勝を果たす。その後、東京女子体育大学体育学部に進学し、卒業した。学生時代に新体操の選手として活動し、全日本新体操選手権大会、東日本学生新体操選手権大会などを団体で優勝した経験を持つ。
赤塚 佳仁(あかつか よしひと, 1963年- )は、日本の… 赤塚 佳仁(あかつか よしひと, 1963年- )は、日本の映画美術監督、プロダクション・デザイナー、セットデコレーター、美術プロデューサー。 株式会社 京映アーツの副社長取締役、兼同社Suns Décor代表。 台湾台北市に妙圓國際映像有限公司(Muse Taipei Pictures Co., Ltd)を設立、代表取締役社長。 1983年株式会社フジテレビジョンの装飾小道具会社「テレフィット」のアルバイトとしてキャリアをスタート。その後フリーに。 1988年リドリー・スコット監督日米合作作品、ブラック・レインにセットドレッサーとして参加、 それがきっかけに、佐々木京二、鈴村高正、大光寺靖とともに株式会社京映アーツを設立。
北林 テイ(きたばやし てい、1954年12月12日 - )… 北林 テイ(きたばやし てい、1954年12月12日 - )は、日本の俳優。秋田県能代市出身。サイアン・インターナショナル所属。旧芸名は北林 悌(きたばやし てい)。 『オイディプス王』(1974年)、『三文オペラ』(1978年)、『人類館』(1980年再演)などの舞台で活躍し、また映画『十九歳の地図』(1979年)、『キリン POINT OF NO-RETURN!』(2012年)に出演した。また多くのテレビドラマ等にも出演している。フランス語講師の資格を取得している。 身長167cm。特技はフランス語、秋田弁、ゴルフ、スキー、器械体操、水泳。
加藤 正人(かとう まさと、1954年1月14日 - )は、… 加藤 正人(かとう まさと、1954年1月14日 - )は、日本の脚本家。秋田県出身。 囲碁ファンであり、映画「碁盤斬り」では対局シーンをふんだんに盛り込んだ。囲碁殿堂表彰委員会委員。
小川 孔輔(おがわ こうすけ、1951年10月23日 - )… 小川 孔輔(おがわ こうすけ、1951年10月23日 - )は、日本の経営学者。法政大学経営学部名誉教授、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授(元スクール長)。元法政大学経営学部長。元京都女子大学現代社会学部非常勤講師。日本マーケティング学会元代表理事。オフィスわん有限会社代表取締役社長。マーケティングが専門で、特にサービス業、食品業界、飲食業界、農業、広告業に関する知見が深い。趣味はマラソン、読書、執筆活動。愛称は『小川先生』、『おがわんこ先生』、『わんこ先生』、『わんこ』。 秋田県能代市生まれ。1974年東京大学経済学部卒業。78年同大学院博士課程中退。1982年~1984年米国カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。
西方 里見(にしかた さとみ、1951年 - )は、日本の建… 西方 里見(にしかた さとみ、1951年 - )は、日本の建築家(一級建築士)。西方設計代表。 秋田県生まれ。日本における高断熱・高気密住宅の先駆け、第一人者として有名で「断熱の神様」と呼ばれる。
浅野 秀剛(あさの しゅうごう、1950年12月28日 - … 浅野 秀剛(あさの しゅうごう、1950年12月28日 - )は、日本の美術史研究家。特に浮世絵を独学で学び、浮世絵考証研究の第一人者とうたわれる。 秋田県能代市生まれ。秋田県立能代高等学校、立命館大学理工学部数学物理学科卒業。在学中は古美術研究会の会長を務めた。上京して築地市場でアルバイトをしながら日本浮世絵協会(現・国際浮世絵学会)で活動。通信教育で学芸員の資格をとり、34歳で千葉市教育委員会の学芸員となる。2007年、「初期浮世絵」で博士(哲学)(学習院大学)。千葉市美術館学芸課長を経て、財団法人大和文華館館長、2013年6月からはあべのハルカス美術館館長も兼任。 2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、浮世絵考証を担当した。
山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29… 山田 久志(やまだ ひさし、1948年〈昭和23年〉7月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ、野球解説者。秋田県能代市出身、兵庫県西宮市在住。 現役時代はNPBの阪急ブレーブス(パシフィック・リーグ)で1969年から1988年までプレーし、12年連続開幕投手を務めるなどエースとして活躍した。通算654試合登板、3865投球回、284勝166敗、防御率3.18、2058奪三振を記録、チームの8回のリーグ優勝に貢献、特に1975年・1976年・1977年には3年連続の日本シリーズ優勝を経験している。通算284勝はNPBのアンダースロー投手としては最多で、球界関係者からは史上最高のサブマリン投手と称されることもある。
大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 202… 大沢 勉(おおさわ つとむ、1948年5月23日 - 2024年7月12日)は、秋田県能代市出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田県立能代高等学校で野球部に入り、厳しい練習を耐え抜いて2年生から試合に出るようになった当初は一塁手を務めていた。2年生夏の全国高等学校野球選手権西奥羽大会3回戦(対秋田県立金足農業高等学校)では、同点の9回裏2死満塁の場面で、三塁手の山田久志が自分の前に来たゴロを大沢のいる一塁に悪送球してサヨナラ負けを喫する。大会後に大沢は捕手への転向を指示され、同じく投手への転向を指示された山田とバッテリーを組んだ。新チームに捕手が不在だったことから、肩の強い部員が本塁からの二塁送球を試された結果指名されたという。
平川 英二(ひらかわ えいじ、1947年 - )は、日本のド… 平川 英二(ひらかわ えいじ、1947年 - )は、日本のドキュメンタリージャーナリスト。
簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は… 簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人のいた岡山東商業高に敗退した。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。 1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。
小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 -… 小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 -)は、日本の小説家、歌人。 本名、工藤永人。 秋田県能代市出身。神奈川県立川崎高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中から新左翼運動に身を投じ、社青同解放派で活動し、通算5年の服役経験を持つ。歌人としての筆名は米山信介だったが、現在は小嵐九八郎に統一。「未来」短歌会にて岡井隆に師事。秋田方言を大胆に取り入れた軽快な作風を、小説においても短歌においても統一している。日本ペンクラブ会員。
佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 20… 佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 2011年11月19日)は、秋田県出身の作家、編集者。筆名に里井鵠治(サトイ コウジ)がある。 秋田県山本郡二ツ井町(現在の能代市二ツ井町)に生まれる(なお、日外アソシエーツ現代人物情報は「秋田県山本郡響村に出生」としている)。秋田県立秋田高等学校を経て、浪人時代に山下力と知り合う。 1966年に慶應義塾大学文学部国文科を中退して東京新宿の小出版社である大光社に入社。最初に企画した丸山明宏(後の美輪明宏)著『紫の履歴書』がベストセラーになったため、1969年、入社3年目で編集長に昇進。金子光晴の『人非人伝』、吉行淳之介『生と性』『なんのせいか』、大岡昇平の『戦争』、泉靖一や西江雅之などの共著『構造主義の世界』、大島渚の『青春』や、中原弓彦の『笑殺の美学』などを刊行。
宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)… 宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)は、秋田県能代市出身の漫画家。別名義:宮越義勝、塚本光治。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
大下 八郎(おおした はちろう、1942年7月1日 - )は… 大下 八郎(おおした はちろう、1942年7月1日 - )は、日本の演歌歌手。秋田県能代市出身。 中学卒業と同時に上京後、幼少時から得意としていた民謡を武器にのど自慢あらしをしていた。その後マイナー・レーベルから歌手活動をしていた所を日本コロムビアの関係者に認められ、作曲家・船村徹のレッスンを受ける。 1963年、船村が作曲を手掛けた『朝焼け太平洋』でデビュー。芸名の由来は、レッスン中の叱責にも動じることなく受け流す事から船村があきれて評した「たいした野郎だ」から大下八郎と命名された。 1964年、コロムビアでの初吹込み曲『おんなの宿』を6作目のシングルとして発売しヒット。自身の代表曲となった。
菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日 - … 菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日 - )は、日本の元バレーボール選手、元全日本選手、指導者。 全日本ジュニア男子監督、ケニア女子代表監督、日立佐和リヴァーレ監督、シニアアドバイザーなど国内外で監督を歴任。 秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校を経て、1957年、東洋レーヨンに入社。東レ九鱗会の選手として活躍した。 1960年に全日本に初選出され、1964年東京五輪に出場し銅メダルを獲得した。 1968年に東レ九鱗会の監督に就任。1978年に全日本ジュニア男子監督に就任し、中垣内祐一、大竹秀之ら1990年代の全日本を牽引してきたバレーボール選手を育てた。 1995年10月にケニア女子代表監督に就任、同年ワールドカップ(11月開幕)ではケニアチームの指揮を執った。
安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 202… 安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 2022年1月14日)は、俳人。秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校、日本歯科大学卒業。 1954年上京、1969年より4年間飛騨高山に住んだのち秋田に帰郷。10代のとき寺山修司編集の「牧羊神」に参加。1958年ころから永田耕衣の「琴座」に投句、のち同人。また1964年より高柳重信の「俳句評論」同人。1968年に加藤郁乎、大岡頌司らと「ユニコーン」を創刊するが、4号で廃刊。1984年「騎」創刊に参加。歯科医師のかたわら句作を行った。しばしばエロティックなイメージを伴う土俗的・秘教的な句風で、俳壇からも距離を置いて句作を続けた。代表句に「ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき」など。
小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 -… 小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 - )は、体操競技の元オリンピック選手、元鹿屋体育大学教授。秋田県能代市出身。旧制秋田県立能代中学校(現在の秋田県立能代高等学校)、東京教育大学体育学部、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。現役時代は「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれたことで知られる。全日本体操競技選手権の個人総合で7回の優勝を誇り、オリンピックでも4大会連続で出場し、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した。 東京教育大学では久保田正躬と学生寮で相部屋だった。同大学1年の時に高校教師だった父親を亡くす。同大学3年の時に1952年ヘルシンキオリンピックに出場し跳馬で体操競技では日本初となる銅メダルを獲得。
鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 … 鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 - 2010年(平成22年)4月4日)は、元体操選手。 秋田県能代市出身。能代市立渟城第二小学校、秋田県立能代中学校(後に秋田県立能代南高等学校、秋田県立能代高等学校と改称)、東京教育大学(後に筑波大学と改称)を経て、慶應義塾大学法学部政治学科に入学する。能代中学校時代、第1回国民体育大会において、中等学校男子個人総合優勝(2位は同中学後輩の小野喬)。東京教育大学在学中、第3回及び第4回全日本学生体操競技選手権大会の個人総合選手権において優勝。第5回国民体育大会、第8回国民体育大会において一般男子団体優勝。慶應義塾大学在学中、日本が戦後初めて参加した1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、団体総合で5位入賞を果たした。
野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月… 野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2019年〈令和元年〉5月23日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 農林水産大臣(第22代)、防衛庁長官(第61代)、衆議院予算委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)を歴任。 秋田県能代市出身。中央大学法学部卒業。国家公務員上級試験に合格し、1953年4月、中大卒業後に建設省に入省。山形県や茨城県への出向を経験。建設大臣官房文書課長を最後に1977年に建設省を退官した。 建設省退官後、同年の第11回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選した。
大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 … 大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 - 1987年3月26日)は、秋田県能代市出身で花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。1950年代から1960年代にかけ、十両・幕内力士として活躍した。本名は水木 一廣(みずき かずひろ)。現役時代の体格は171cm、99kg。最高位は西前頭16枚目(1957年9月場所)。得意手は左四つ、投げ、二枚蹴り、足癖など。 若い頃から地元の素人相撲で活躍していたが、1947年秋に上京し、二所ノ関部屋へ入門。同年11月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外で全勝し、途中からは新序に昇格して相撲を取った。そこでも勝ち越したので、翌年5月場所の番付では序ノ口を飛び越して、序二段の地位に四股名が載った。
成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5… 成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5月6日 - 2001年(平成13年)4月15日)は秋田県能代市出身の木工家、著述家、教育者。 秋田県立能代工業学校木材工芸科を卒業後、海軍省艦政本部に就職。その後東京高等工芸学校卒業ののち、日本楽器に就職。大日本帝国陸軍航空技術予備役少尉。 軍隊からの復員を果たした後、故郷へ戻り1953年(昭和28年)3月まで秋田県立能代工業高等学校木材工芸科教師を努める。1958年(昭和33年)4月より千葉大学工業短期大学部木材工芸科講師に就任した。その後1978年(昭和53年)に千葉大学建築工学科講師を経て、1985年(昭和60年)2月14日工学博士を取得し、教授に昇格。
大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 19… 大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 1989年3月3日)は、日本の俳優である。 秋田県能代市に生まれる。父の大坂連治郎は萬町で貸金業、米問屋を営んでいた。母の志保は沢口村小森(現在の北秋田市)の味噌醤油醸造工場を営む名望家の神成千代治の娘。妹に人形作家・陶芸家の神成澪がいる。1927年、夫の浮気性に嫌気がさした母は、志郎と澪を連れて上京し、新宿で郷土居酒屋の「秋田」を営んだ。店には太宰治や井上靖、木下恵介、川島雄三、河西克巳などの文壇映画人が集い、志郎の映画デビューも彼らの影響であった。新聞配達で家計を支え、旧制・日本大学第二中学校を中退し、「新築地劇団」研究生になる。その後、早稲田高等工学校機械科を卒業、満州国鞍山市の昭和製鋼の社員を経て、1942年、松竹俳優研究所に入所し、1943年の吉村公三郎監督の『開戦の前夜』でデビューする。
八木 隆一郎(やぎ りゅういちろう、1906年4月17日 -… 八木 隆一郎(やぎ りゅういちろう、1906年4月17日 - 1965年5月12日)は、日本の劇作家・脚本家である。新派、新国劇、芸術座、前進座、井上正夫一座、移動演劇隊などあらゆる分野で上演され、映画化も多数なされた。 1906年(明治39年)4月17日、秋田県能代市の向能代の八木財吉・ふみの長男として生まれる。本名:八木財一郎。 3歳の時、両親の離婚で母ふみに連れられて函館に転居、7歳で函館幸尋常高等小学校に入学。13歳で庁立函館商業学校に入学、その翌年から文学活動を始める。仲間と同人誌を発行するとともに、1922年(大正11年)12月15日に創刊された「校友会雑誌」には、"八木小夜二"、"八木青萍子"のペンネームで詩や俳句を投稿する。
山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 19… 山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 1977年8月5日)は、日本の生物学者。名古屋大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1936年)(学位論文「目高早期胚の律動性運動に関する研究」)。秋田県出身。祖父は秋田における自由民権運動の中心人物であった山本庄司、叔父(父時宜の弟)は砂防・植林技師の山本徳三郎。 メダカを主要な研究材料として選び、受精生理学、発生学を中心に多くの業績をあげ、受精波説を提唱した。1945年5月14日、第二次世界大戦の名古屋大空襲によって教室は全焼し、ほとんどすべての研究資料を失った。しかし、敗戦後、屈することなくメダカを用いて性分化の研究に新たに取り組んだ。
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965… 里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。
草皆 五沼(くさかい ごしょう、1891年6月2日 - 1… 草皆 五沼(くさかい ごしょう、1891年6月2日 - 1964年11月11日)は、日本の俳人、医師である。俳句結社「黛吟社」を興した。 秋田県山本郡浅内村(後の能代市浅内)の小川末蔵の四男として生まれる。本名は■太(ちょうた ■はウ冠に甾丁)。後、「茂作」に改名している。 旧制・秋田県立大館中学校1年生のときに地元の俳人・山崎五風から俳句の手ほどきを受け、すぐに才能を現す。のちに秋田を代表する俳誌となる『俳星』に参加し、生涯『俳星』に所属した。 中学校4年のときに脚気を患い自宅療養し、家の近くの沼の周りを散策しながら句作を続けた。沼の数が五つあったことから、このころから号を五沼と名乗り、のちに秋田県南秋田郡馬場目村(現在の五城目町馬場目)の草皆家に養子に入ったことから、後半生は草皆五沼と名乗った。
大蛇潟 粂藏(おろちがた くめぞう、1891年4月15日 -… 大蛇潟 粂藏(おろちがた くめぞう、1891年4月15日 - 1933年5月15日)は、秋田県能代市出身で錦島部屋に所属した大相撲力士。本名は宮腰 粂藏(のちに錦島姓)。最高位は西関脇。現役時代の体格は175cm、113kg。得意手は左四つ、寄り。 明治時代に幕内力士だった7代錦島に入門し、1905年(明治38年)1月場所に序ノ口から初土俵を踏む。実力は高く18歳2か月で迎えた1909年(明治42年)6月場所に「能代潟」の四股名で十両昇進、翌1910年(明治43年)6月場所、19歳2か月で入幕、師匠の現役時代の四股名だった「大蛇潟」に改めた。当時は年2場所時代で、彼に近いスピードでの若年昇進といえばのちの第33代横綱武藏山が挙がるが、大蛇潟の入幕は武藏山よりも3か月早いものだった。
山本 徳三郎(やまもと とくさぶろう、1886年 - 194… 山本 徳三郎(やまもと とくさぶろう、1886年 - 1945年)は砂防・植林技師。父は山本庄司。メダカの研究で知られ、名古屋大学教授も務めた山本時男は甥(兄時宜の子)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田所 哲太郎(たどころ てつたろう、1885年9月27日 -… 田所 哲太郎(たどころ てつたろう、1885年9月27日 - 1980年3月20日)は、日本の農学者・化学者。学位は、農学博士・理学博士(東北帝国大学)。 北海道学芸大学・帯広畜産大学・北海道女子短期大学の学長を歴任。 秋田県能代市生まれ。1910年、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)卒業、同大学助手。1911年、同助教授。1919年農学博士の学位を取得。1921年、北海道帝国大学教授。1928年、東北帝国大学より理学博士の学位を取得、学位論文の題は「Sex differences, from the stand-point of biochemistry(生物化學上に於ける性的差異)」。
島田 五空(しまだ ごくう、1875年(明治8年)4月1日 … 島田 五空(しまだ ごくう、1875年(明治8年)4月1日 - 1928年(昭和3年)12月26日)は秋田県山本郡(現・能代市)出身の俳人にして実業家、政治家。本名・島田豊三郎。別号に香車、悟空、五工、山頭火など。 1875年(明治8年)4月1日に父豊三郎、母キヱの次男として現在の能代市畠町に生まれる。幼名は島田長冶郎といい、この島田家は名士の家系であったが父と兄の死により幼くして島田豊三郎の名を継ぐ。小学校卒業の頃にはすでに日本外史、十八史略、三国志、水滸伝などを次々読破するなど大変読書熱心な子供であり、才気煥発、敏捷にとびまわる利巧者ぶりが孫悟空のようだと称されたことが後の雅号の由来となる。
山本 庄司(やまもと しょうじ、1857年6月7日〈安政4年… 山本 庄司(やまもと しょうじ、1857年6月7日〈安政4年5月16日〉 - 1924年〈大正13年〉5月7日)は、日本の政治家。 山本郡富根村(後に二ツ井町となり現在は能代市の一部)出身。1873年(明治6年)に秋田市の白土塾で学んだ。家督を受け継いでおり、妻や子もいたが、妻や妻の兄(瀬谷長治)の理解を得て、1879年(明治12年)3月16日に上京した。東京では二松学舎に入学し秋田県出身の狩野良知の元に1週間に1度「不可解のカ処質問」をしに赴く勉学に励み、自由民権思想を吸収した。およそ4か月半東京に滞在した後、暑気に当たったことと流行のコレラの心配から帰郷した。1880年(明治13年)に遐迩新聞に「国会開設建議有志団結案」を発表。
渡辺 兵四郎(渡邉、わたなべ ひょうしろう、1846年4月1… 渡辺 兵四郎(渡邉、わたなべ ひょうしろう、1846年4月16日(弘化3年3月21日) - 1932年(昭和7年)5月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員、小樽区長。初名・佐助。 出羽国能代港(現秋田県能代市)で渡辺甚四郎の二男として生まれる。12歳まで能代の商家で奉公し、万延元年(1860年)家出して小樽に渡り、山田兵蔵家の店員として勤め、主人からの信頼を得てその一字をもらい受けて兵四郎と改名。1877年に独立し荒物商を営む。 また漁業経営にも乗り出し、ニシン漁網の改良を行い、漁業組合、水産組合を創設して、小樽郡漁業組合頭取、小樽外六郡漁業組合連合会長、小樽水産組合長など務め、北海道水産界の振興に貢献した。
にしむら ゆうじは、日本のイラストレーター、漫画家、アニメー… にしむら ゆうじは、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーター。男性。studio UG株式会社に所属し、代表取締役も務める。自らを「なんらかのクリエイター」と称して活動している。 主に「ごきげんぱんだ」や「こねずみ」、「ラブラビット」などの「スタジオUG」のキャラクターを中心に、イラスト作品、漫画作品、アニメーション作品を数多く発表している。 SNS上での作品発表にとどまらず、書籍出版、グッズ展開、LINEスタンプ、企業とのコラボレーションなど幅広く活動している。また、YouTube上では自らが監督・アニメーション作画を手掛けるアニメ作品を定期的に公開しており、多様な表現技法を持つクリエイターとして老若男女問わず幅広い世代から支持を得ている。