古川 靖志(ふるかわ やすし、1961年5月28日 - )は… 古川 靖志(ふるかわ やすし、1961年5月28日 - )は、元バレーボール選手、現指導者。 東京都新宿区出身。川崎市立生田中学校でバレーボールを始める。 1979年、藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)2年のとき、春の高校バレーで優勝。1980年、順天堂大学に進学し、3年のときに全日本入り。 1982年に世界選手権代表。翌1983年のアジア選手権ではベスト6に選ばれ、セッター賞も獲得した。 1984年、大学卒業後、日本鋼管に入社。同年のロサンゼルスオリンピックに出場した。 2008年より尚絅学院大学女子バレーボール部コーチを務め、2011年に仙台ベルフィーユのコーチを兼任。 2012年4月に仙台を退部。
戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日… 戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日 - )は、日本の女優、歌手、作詞家。東京都新宿区出身。戸川京子は妹。 ゲルニカ、ヤプーズでの音楽活動の他、ソロヴォーカリストとしても活動している。当時、ポップスで取り上げられていなかった「タブー視」された事柄を歌詞に盛り込み、女性像の表現に禁忌がないことを世の中に提示した。 東京都西大久保(当時の名称)出身。台湾バナナなどの果物を扱う貿易会社を経営する父と専業主婦の母と、3歳年下の妹・戸川京子の4人家族。1967年に新宿区立戸山小学校に入学し、小学3年生の頃に『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』を観て芸能界を志望。同時期に京子が「児童劇団に入りたい」と言い出したことから、姉妹で劇団ひまわりに入団した。
鮎川 麻弥(あゆかわ まみ、1961年〈昭和36年〉3月29… 鮎川 麻弥(あゆかわ まみ、1961年〈昭和36年〉3月29日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名、加藤 雅弥(かとう まさみ)。 東京都新宿区出身。取得ライセンスは国際自動車連盟四輪国内A級、スクーバダイビング、華道草月流師範。 東京都立広尾高等学校 を経て、武蔵野女子大学短期大学部英文科卒業。 3歳より音楽の英才教育を受け、母の薦めで声楽を学んでいた が、高校時代にロックやポップスに触れて転向。ガールズロックバンド「ジェミニー」を結成してボーカルを担当。演奏していた音楽は、ザ・ランナウェイズに憧れてハードロックであった。17歳の時、文化放送主催のアイドル発掘番組『君こそスターだ!』[要出典]のオーディションで決勝大会に出場するも、シンガーソングライターを目指す為に辞退。
沼澤 尚(ぬまざわ たかし、1960年<昭和35年>4月19… 沼澤 尚(ぬまざわ たかし、1960年<昭和35年>4月19日 - )は、日本のドラマー。東京都新宿区出身。父は元プロ野球選手の沼澤康一郎。 ※オフィシャルサイトを参照。
齋藤 健(さいとう けん、1959年6月14日 - )は、日… 齋藤 健(さいとう けん、1959年6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、農林水産副大臣。
タツ 青木(本名:青木 達幸(あおき たつゆき)、1958年… タツ 青木(本名:青木 達幸(あおき たつゆき)、1958年9月19日 - )は、シカゴ在住の日本人ベーシスト、マルチ・インストゥルメンタリスト(三味線、太鼓)、教育者、実験映画作家。シカゴにおけるアジア音楽の開拓者&伝統芸能継承者、シカゴ美術館附属美術大学准教授(映画製作、美術史)。 1990年代後半から2012年までシカゴ前衛ジャズの巨匠・サックス奏者、故フレッド・アンダーソン(Fred Anderson)のベーシストを務め、約20年間で8枚のアルバムをレコーディング。シカゴのジャズ界におけるクリエイティブ即興奏者としての地位を築く。またジョージ・フリーマン(George Freeman)、ヴォン・フリーマン(Von Freeman)、マラチ・フェイバース(Malachi_Favors)、ロスコー・ミッチェル(Roscoe Mitchell)などとも共演。
江崎 洋一郎(えさき よういちろう、1958年4月20日 -… 江崎 洋一郎(えさき よういちろう、1958年4月20日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(3期)。
尾沢 とし和(おざわ としかず、1958年 - )は、日本の… 尾沢 とし和(おざわ としかず、1958年 - )は、日本のイラストレーター、絵本作家、アートディレクター。本名は尾澤 敏和(おざわ としかず)。 東京都出身のイラストレーターである。『月刊漫画ガロ』での入選をきっかけに、イラストレーターとして独立を果たす。広告などの商業デザインをはじめ、書籍や雑誌のイラストなど、多数の作品を手掛けた。また、アートディレクターとしても活動した。 1958年(昭和33年)、東京都新宿区にて生まれた。桑沢学園が運営する桑沢デザイン研究所にて学び、1979年(昭和54年)に卒業した。 1982年(昭和57年)、「ライター」にて『月刊漫画ガロ』で入選を果たした。これをきっかけに、フリーのイラストレーターとして独立を果たす。
大須賀 ひでき(おおすが ひでき、1956年11月30日 -… 大須賀 ひでき(おおすが ひでき、1956年11月30日 - )は東京都新宿区出身のシンガーソングライター・ミュージカル俳優、コーラスグループ・デューク・エイセスの解散時メンバー。 高校時代からライブ活動を開始し、下北沢「バケツハウス」を拠点に活動。 作詞家・門谷憲二と出会ったことからメジャーデビューの道が開け、1977年、キング・ベルウッドレコードから「ひとり琴坂」(宇治市観光協会のバックアップ 作詞:門谷憲二、作曲:大須賀ひでき)を発売。1979年に日本コロムビアレコードより「かたぐるま」(作詞:むろふしチコ、作曲:大須賀ひでき)で本格的にデビューし、以後シンガーソングライターとして、プロへの道を歩み始める。
井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は… 井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は、日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。白百合女子大学文学部児童文化学科教授。 東京大学理学部生物学科卒・同大学院人文系研究科比較文学比較文化専攻修了。 J・R・R・トールキンなどの正当ファンタジーの愛好家として出発し、英米のファンタジー小説を多く翻訳する。また自身も、ロード・ダンセイニなどの英米ファンタジーの世界観の影響を受けたファンタジー小説を多数著している。作風は軽やかで明るいものが多い。ファンタジー評論家の石堂藍は、言葉への深いこだわりを持ち、徹底して空想的な世界を描く作家と評し、山尾悠子と好一対のファンタジストと述べている。
池田 繁美(いけだ しげみ、1954年11月5日 - 202… 池田 繁美(いけだ しげみ、1954年11月5日 - 2024年10月13日)は、日本のアニメーション美術監督。東京都新宿区出身。 アド・コスモの美術部門出身で、退社後グループ・タックとスタジオ・ユニを経て、アトリエ・ムサを設立した。東京デザイナー学院アニメ科(現、東京ネットウエイブ)卒業。 美術監督を務めた作品は、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』『∀ガンダム』『機動戦士ガンダムSEED』などのガンダムシリーズや『エルドランシリーズ』『OVERMANキングゲイナー』『犬夜叉』『無限のリヴァイアス』『プラネテス』等、多数。 2009年には美術監督を務めた『アフロサムライ:レザレクション』(海外名称:「Afro Samurai: Resurrection」)において、日本アニメーション史上初となるプライムタイム・エミー賞アニメーション個人部門審査員賞(Juried award for Outstanding Individual Achievement in Animation)を受賞。
石川 嘉枝(いしかわ よしえ、1954年4月2日 - )は、… 石川 嘉枝(いしかわ よしえ、1954年4月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 東京都新宿区出身。名古屋市立桜台高等学校を経て、1973年に日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入団。 ブロックの名手として知られ、1977年の日本リーグ準優勝に貢献しブロック賞を獲得、翌年にもブロック賞獲得。1979-80シーズンではコーチ役に退いたがリーグ戦第2戦目から一線に復帰し、同期の横山樹理とともにユニチカ優勝の原動力となり、自らも3年連続となるブロック賞およびベスト6賞に輝いた。日本リーグ歴代通算ブロック本数でもベスト10入りをマークしている。 1978年に全日本入りを果たし、1978年の世界選手権では銀メダルを獲得した。
上原 美佐(うえはら みさ、1954年1月18日 - )は、… 上原 美佐(うえはら みさ、1954年1月18日 - )は、日本の女優。旧芸名:大原美佐。東京都新宿区出身。身長166cm。B86cm、W60cm、H88cm(1975年1月時点)。当時(1976年)所属していた事務所は「スリーエスプロ」。 宝仙学園高等学校卒業後、新宿の紀伊国屋ビルやアドホックビルで受付をしていたところ、東映プロデューサーの高村賢治にスカウトされ、『怪猫トルコ風呂』主演に抜擢された。二本の映画に出演した後、一時映画界を去った。その後復帰した際に、かつて東宝に所属していた女優の再来という意味を込めて(二代目)上原美佐に改名。『破れ傘刀舟悪人狩り』(三船プロ製作)などに出演した。 1975年当時に公表していたプロフィールでは、趣味はカーレース観戦。
ルー 大柴(、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、… ルー 大柴(、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、声優、茶人。本名:大柴 亨(おおしば とおる)。茶人名としては大柴 宗徹。山野美容芸術短期大学客員教授。遠州流茶道師範。浅井企画(2008年1月末まで)→株式会社Carino所属。 東京都新宿区市谷冨久町(現・富久町)出身。立教高等学校卒業。現在は神奈川県川崎市宮前区在住。 第二次世界大戦後にシベリア抑留から引き揚げてきた父と日本で知り合った母との間に、東京で生まれた。父親は旧満州のハルビンで生まれ育ち、ロシア語・中国語・英語に堪能で、幼少の大柴にハグやキスをするような国際的な人物だった。また、大柴の父方の祖父はロシアのウラジオストクで宝石商を営み、ロシア革命後に満州に移り、日本軍に飛行機を一機寄付してしまうほど富裕だった。
大澤 健一 (おおさわ けんいち、1954年1月1日 - )… 大澤 健一 (おおさわ けんいち、1954年1月1日 - )は、日本の指揮者・テューバ奏者・編曲家。吹奏楽分野で活動。 東京都新宿区出身。玉川学園を経て国立音楽大学卒業。 国立音楽大学でテューバ・編曲・器楽指導法を学ぶ。国立音楽大学3年生より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団テューバ奏者となり武岡賞受賞して卒業。各プロオーケストラで演奏活動、東京佼成ウインドオーケストラにて、桂冠指揮者、フレデリック・フェネルと共演した事が機になり、指揮者として活動。 指揮法を高階正光、クルト・レーデル、フレデリック・フェネル、湯浅雄二に師事。 2005年より国立音楽大学のウインドアンサンブル研究会の常任指揮者として、定期演奏会を指揮。
笹沼 泰助(ささぬま たいすけ、1953年11月23日 - … 笹沼 泰助(ささぬま たいすけ、1953年11月23日 - )は、日本の実業家。アドバンテッジ パートナーズ共同代表パートナー。 1953年生まれ。1972年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。 慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、慶應ビジネススクール、ハーバード大学ジョン・F・ケネディ政治行政大学院修了 。 積水化学工業、ベイン・アンド・カンパニー、モニターカンパニーを経て、1992年アドバンテッジパートナーズを設立、現職。共同代表パートナーに就任。 研究論文、寄稿記事に「ベンチャー企業に見られる新しい競争原理」、「日本のベンチャー企業の競争戦略」、「日本企業の買収後の統合戦略」、「中堅企業の長期計画」、「ベンチャー企業の競争戦略」などがある。
荻島 正己(おぎしま まさみ、1952年5月26日 - 20… 荻島 正己(おぎしま まさみ、1952年5月26日 - 2014年6月21日)は、東京都新宿区出身のフリーアナウンサー。本名は、荻嶋正己。血液型はA型。俳優の荻島眞一は従兄にあたる。 東京都立広尾高等学校、上智大学経済学部卒業後の1975年、静岡放送に入社した。静岡放送の社員有志バンド「ケッタウェイズ」にも所属し、ボーカル・ギターを担当した(過去の出演番組「ひとこと言わせて」で流れる歌は高校時代に作り、ケッタウェイズの頃に発表したという)。 朝の情報番組「おはよう700」のコーナーであった「キャラバンII」でのリポートぶりが好評で、それを受けて1982年に「朝のホットライン」司会者に抜擢され、静岡放送在籍のままTBSに嘱託というかたちで出向した。
夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - … 夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - )は、日本の漫画批評家、漫画家、エッセイストである。本人の自称は「漫画コラムニスト」。有限会社夏目房之介事務所代表取締役。
野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち … 野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち よういち)、1950年3月7日 - )は、日本のお笑い芸人。東京都新宿区生まれ。 NTTの関連会社勤務の傍ら、「5時から芸人」、「サラリーマン芸人」と称してものまね漫談を披露していた。現在は寅さんのものまねを中心に活動をしている。ボーイズバラエティ協会所属。元東京都ヘブンアーティスト。東京善意銀行会員(東京都社会福祉協議会)。血液型はAB型。別名義に「野口よういち」がある。 埼玉県立与野高等学校を卒業し、大学に入るために浪人するも2浪して諦め、フリーターを経てNTTグループ関連会社に就職する。芸人を目指した理由は、1979年4月に声帯模写の桜井長一郎が主催者であり、上野本牧亭で行われた第1回おおむの会のものまねコンテストでグランプリを獲得したことに始まる。
市川 ジュン(いちかわ じゅん、1949年5月31日 - )… 市川 ジュン(いちかわ じゅん、1949年5月31日 - )は日本の漫画家。東京都新宿区出身。夫は漫画家の柴田昌弘。 公務員を経て、1972年『別冊マーガレット』掲載の「白い花の涙」でデビュー。少女漫画を経て、1980年代半ば頃から活躍の場を集英社『office YOU』に移し、〈女性の側から見た歴史〉にスポットを当て、平安から近代までと幅広い年代の歴史物を手がけている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
嘉手納 清美(かてな きよみ、本名 前田 清美、(旧姓名 嘉… 嘉手納 清美(かてな きよみ、本名 前田 清美、(旧姓名 嘉手納 清美)、1946年9月11日 - )は、日本の元女優、歌手、経営者。特技は沖縄舞踊。元夫は俳優の工藤堅太郎。 『ウルトラセブン』のサロメ星人(女)役、『バンパイヤ』の岩根山ルリ子役、『おひかえあそばせ』の池西すみれ役で知られる。 東京都新宿区出身だが、家族は沖縄出身。戦後、両親は東京の沖縄料理店で草分け的存在の新宿歌舞伎町の「南風(なんぷう)」を創業、嘉手納は店舗2階で家族と生活した。 目白学園高等学校を卒業後、1963年にNHKドラマ『金の砂』でデビュー。 その後、『バンパイヤ』、『おひかえあそばせ』などのテレビドラマに出演する傍ら、大映と契約して数々の大映映画に出演し、1960年代後半から1970年代にかけて映画やドラマなどで活躍していた。
大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - 202… 大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - 2025年7月18日)は、東京都新宿区出身(富山県氷見市生まれ)のプロ野球選手(遊撃手)・コーチ・監督。 愛称は「ペロ」(現役時代、打つ時、捕球の時、舌を出す癖があることから)。台湾における表記は大橋 穰(正体字)。 パ・リーグ初の遊撃手部門のダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞している。 中学時代に野球を始めると同時に遊撃手となり、以後ずっと遊撃でプレーする。日大三高では、1年次の1962年に控え内野手として夏の甲子園に出場するが、準々決勝で村上公康のいた西条高に敗れる。2年次の1963年には同期のエース若宮秀雄を擁し秋季東京大会に優勝し、3年次の1964年に行われる春の選抜出場を決める。
青柳美枝子(あおやぎみえこ、1946年〈昭和21年〉1月30… 青柳美枝子(あおやぎみえこ、1946年〈昭和21年〉1月30日 - 1991年〈平成3年〉8月26日)は、日本の俳優。本名は渡邉美枝子(旧姓:青柳)。東京都新宿区新宿1丁目出身。 1960年代から1970年代にかけて、映画・テレビドラマで活動した。子役としてNHKや民放各局の作品に出演したのち、青春・文芸・時代劇など幅広いジャンルでレギュラー・準レギュラー級の出演を重ねた。芸名のほか、青柳三枝子、青柳実枝子の名義が知られる。 1946年1月30日、東京都新宿区新宿1丁目に生まれる。1960年、14歳で俳優として活動を開始する。1961年、NHK『ふしぎな少年』(手塚治虫原作)に出演。同年から翌年にかけては、NET(現・テレビ朝日)の『風雲黒潮丸』(全52回)でレギュラーを務めた。
井手 峻(いで たかし、1944年2月13日 - )は、東京… 井手 峻(いで たかし、1944年2月13日 - )は、東京都新宿区出身(佐賀県東松浦郡北波多村 (現:唐津市北波多)生まれ)の元プロ野球選手(投手, 外野手)・コーチ・監督、解説者、元中日球団代表兼連盟担当(会社役員)。 新治伸治(1965年大洋入団)に次ぐ史上2人目の東大野球部出身プロ野球選手で、ドラフト制度発足後としては東大初の指名選手となった。公式戦出場試合数は、過去の東大出身プロ野球選手の中では最も多かった。 父は脚本家の井手俊郎。 父・俊郎の実家は質屋を営んでいた。その家は「明治時代以降に炭鉱町として発展した北波多村の繁栄を伝える重要な町家建築」として国の登録有形文化財に登録され、現在もギャラリーとして残っている。
石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941… 石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。一般社団法人真世界宗教連合会元相談役。 東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。 19歳の秋、自死を考えるが、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聴き、発奮され作詞家を志すようになる。
篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・みちのぶ、1940… 篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・みちのぶ、1940年12月3日 - )は、東京市淀橋区柏木(現在の東京都新宿区北新宿)出身の写真家。
大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )… 大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )は、おもに関西地方を中心に活動する競馬評論家。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)生まれ。 遠戚にホースニュース・馬のオーナーがいた縁で1958年に同社へ入社。1958年9月、同社の関西進出に伴い異動。1964年に東京へ戻ってから本紙予想を任される。その後競馬ブックに移籍し同社のトラックマンを経て、2011年現在はフリー。ただし新聞関係は引き続き競馬ブックと専属契約を結ぶ。 長らくラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)毎週土曜日午後の『中央競馬実況中継・第2放送(現在は同題名第2部)』と、関西テレビ『DREAM競馬』(旧題・ドリーム競馬)のメイン解説を務め、JRAが大レース前に場内放送する調教ビデオ(関西開催のものに限る)の解説も担当。
東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2… 東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2日 - 1994年11月9日)は、東京都新宿区西新宿出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は星野 栄三郎(ほしの えいざぶろう)。現役時代の体格は173cm、132kg。最高位は東前頭15枚目(1962年9月場所)。得意手は左四つ、吊り、寄り。 実家は豚カツ屋で、兄2人は共に明治大学付属中野高校から明治大学に進学し、野球で活躍。三男の栄三郎も、中学校卒業後は兄達と同じ高校に進学するつもりであった。だが、栄三郎の体躯の良さに目を付けた高砂部屋の幕内力士・藤田山が同部屋の横綱・東富士(後、年寄・錦戸)に彼の事を伝え、東富士の再三に亘る勧誘もあって高校進学を諦める事になった。
森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年〈昭和14年〉9月… 森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年〈昭和14年〉9月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者。元NHKアナウンサー、ニュースキャスター。番組制作会社株式会社ラダック(LADAK)の設立者。TBSラジオで30年以上続く長寿番組であり「首都圏で一番聴かれている朝の情報番組」ともなった『森本毅郎・スタンバイ!』のパーソナリティ。また、やはり30年以上の長寿番組となったTBS→BS-TBS『噂の!東京マガジン』の総合司会を務め、テレビドラマや映画などへも出演している。 東京府東京市中野区(現在の東京都中野区)で3男4女の7人きょうだいの三男として誕生。兄は評論家の森本哲郎。1944年12月、東京に戦火が落とされるのを恐れ、長野県長野市横沢町へ一家揃って疎開した。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は… 矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は、日本の作曲家。 東京都新宿区内藤町で育ち、小学校2年時に神奈川県逗子市新宿へ疎開する。 学習院初等科、逗子市立逗子小学校、逗子中学、県立横須賀高校、東京芸術大学ピアノ科(中退)で学び、弘田龍太郎、川島英子、五十嵐光子、加藤秋子、松浦豊明、田村宏からピアノを、團伊玖磨から作曲を学ぶ。 1974年、團伊玖磨指揮で東京交響楽団と共に、中国の「黄河協奏曲」を日本初演する。山崎陽子脚本の朗読ミュージカル「とぎれた子守歌」「幻の肖像画」で作曲を担当し、「とぎれた子守歌」を含む「山崎陽子の世界IV」で、平成13年度文化庁芸術祭大賞を受賞する。 自作品のピアノリサイタルや地域コンサートの他に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、神奈川交響楽団、鎌倉交響楽団、横須賀交響楽団と協奏曲を共演する。
飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月2… 飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月26日 - 2023年〈令和5年〉3月24日)は、日本映画の光学合成技師、デン・フィルム・エフェクト代表取締役社長。 東京都新宿出身。愛称は「デンさん」。妻は東宝で光学作画を務めた飯塚江津子(旧姓・茂田)。 1954年に高校に通いながら二科会の美術研究所で東郷青児に絵画を学び、19歳の時にアルバイトとして東宝撮影所に入所。当初は美術助手として、ミニチュアの建物に「汚し」を付ける仕事などを担当していた。 1957年より円谷英二の奨めで室内合成の光学作画を担当。『地球防衛軍』以降、東宝特撮独自の光線表現を確立。『ウルトラマン』のスペシウム光線、怪獣が吐く破壊光線や火炎、ロケットの噴射などの合成を多く手掛けた。
金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月1… 金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月15日)は、画家、イラストレーターである。
奥田 陸子(おくだ りくこ、むつこ、1934年〈昭和9年〉3… 奥田 陸子(おくだ りくこ、むつこ、1934年〈昭和9年〉3月10日 - )は、日本の研究者。 東京府東京市淀橋区(東京都新宿区)百人町生まれ。富山大学薬学部専攻科修了。大学卒業後は研究員となる。 1960年(昭和35年)、結婚に伴い名古屋市に移住。翌年の1961年(昭和36年)から1963年(昭和38年)にはフランスに生物化学研究のために留学。帰国後すぐ双子を出産。子供をもうけたことにより、研究者としてのキャリアは断念するも、翻訳を生業とすることで薬学や生物化学との関係を継続することを選択する。また、子供の生育環境、また、それに関わるまちづくりの分野に興味をもつようになる。 奥田が居住したのは、名古屋市内とはいえ未だ人間の手が入っていない自然が残る地域であり、また公共図書館も近くにないような場所であり、「天白ミニ文庫」と称して自宅を開放する活動をはじめた。
渥美 国泰(あつみ くにやす、1933年1月1日 - 200… 渥美 国泰(あつみ くにやす、1933年1月1日 - 2009年2月5日)は、日本の俳優。本名は渥美 國泰。 東京府東京市四谷区三光町(現・東京都新宿区)出身。東京都立九段高等学校卒業。劇団新人会、劇団雲を経て、演劇集団 円、小橋事務所に所属していた。 1951年に高校を卒業後、劇団俳優座附属養成所に第3期生として入学、同期には愛川欽也、塚本信夫、穂積隆信、江幡高志、楠侑子らがいる。卒業後、劇団新人会の創立に参加。その後いくつかの劇団を転々とし、1965年に劇団雲に入団する。1975年、雲を脱退して演劇集団 円の創立に参加。 1979年に円を退団し、アクト青山ドラマティック・スクールを主宰して後進の育成に励む。
井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013… 井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013年11月21日)は、日本の人形劇俳優、演出家である。東京都新宿区出身。血液型はO型。 『できるかな』(NHK教育、1970年 - 1990年)にて、操演するキャラクター「ゴン太くん」を務め上げた。
蛭川 久康(ひるかわ ひさやす、1931年9月30日 - )… 蛭川 久康(ひるかわ ひさやす、1931年9月30日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。武蔵大学名誉教授。 東京府豊多摩郡戸塚町(現・東京都新宿区高田馬場)生まれ。1954年東京大学教養学部イギリス分科卒業。中学、高校教諭をへて、1965年玉川大学教養部専任講師、1966年助教授、1969年武蔵大学助教授、1973年教授、1997年定年となり特任教授。 現代英国小説、特にアイリス・マードックの研究で知られる。ほかに英国文化史が専門。
黒柳 明(くろやなぎ あきら、1931年〈昭和6年〉6月19… 黒柳 明(くろやなぎ あきら、1931年〈昭和6年〉6月19日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、公明党参議院議員団長、公明党副委員長、新進党参議院議員代表、公明党常任顧問などを歴任した。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て、早稲田大学英文科卒業。聖教新聞編集局長や潮出版社の編集主幹を歴任する。 1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で立候補し、初当選(連続5期当選)。 1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙からは東京地方区で立候補し、当選を重ねる。 1992年(平成4年)、公明党副委員長に就任。1994年(平成6年)12月10日、新進党の結成に参加し、新進党参議院議員代表に就任。
平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1… 色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士。筆名として色川 武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。
沖 竜太(おき りゅうた、1928年7月12日 - )は、日… 沖 竜太(おき りゅうた、1928年7月12日 - )は、日本の俳優。東京府東京市淀橋区西大久保で生まれる。旧漢字表記は沖 龍太。 鎌倉アカデミア演劇科卒業。東京俳優学校ラジオ科卒業。1949年、ムーランルージュ新宿座にて初舞台。1954年に浅草ロック座に移り、ストリップ劇のオカマ役や三枚目役を主に演じていた。1955年にラジオ東京放送劇団の4期生となり、テレビ劇団員となる。1960年にフリーランスとなり、全音プロに所属していた。 三枚目的な役柄から子供のファンが多かったとされる。特徴的な声をしていたことから、声優としても活動していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
伊藤 慶子(いとう けいこ、1928年4月30日 - )は、… 伊藤 慶子(いとう けいこ、1928年4月30日 - )は、日本の女優。東京市牛込区(現東京都新宿区神楽坂)出身。東京女子専門学校卒業。 雑誌『ラッキー』のミス・ラッキー賞受賞。 舞台芸術学院本科の第2期生として卒業。東映の女優として1952年に同社の映画『ギラム』に出演しデビュー。 東映の特撮作品などで母親役を演じることが多い。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日… 菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日 - 2018年〈平成30年〉8月10日)は、日本の女優。血液型はB型。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。生前は仕事に所属していた。本名は佐藤 キミ子。旧芸名及び旧姓名は須斎 キミ子。 東京府東京市牛込区早稲田町出身。 本村小学校、頌栄高等女学校卒業。 1943年から第二次世界大戦終戦直後までに、男性職員出征のため、文部省総務課調査課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた。1946年3月、有楽座で東京芸術劇場の第1回公演『人形の家』を鑑賞したことがきっかけで同劇団の研究生に応募し、補欠合格となる。両親はともに芝居好きであったが、劇団研究生に応募することを相談した際、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対されたが、義理の兄が理解者となり両親も渋々ながら認めたとされる。
丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 20… 丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 2006年9月24日)は、日本の俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)出身。身長175cm。血液型はO型。
犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
糸井 貫二(いとい かんじ、1920年〈大正9年〉12月2日… 糸井 貫二(いとい かんじ、1920年〈大正9年〉12月2日 - 2021年〈令和3年〉12月19日)は、日本の前衛芸術家、ハプニング・アーティスト、ダダイスト。日本のハプニング・アートの元祖。1964年東京オリンピックや1970年大阪万博といった高度経済成長の最中に、路上で裸体を用いたハプニングをゲリラ的に行った。長年美術界から黙殺され、記録資料が乏しいこともあり、しばしば「伝説」と称される。通称、ダダカン。映画監督の小田基義は従兄。元東北放送アナウンサーの天野清子は妹。 1920年、東京府豊多摩郡淀橋町(現在の西新宿)に生まれる。1923年の関東大震災で被災。少年期は祖母や叔母の影響で宗教に親しみ、小学校時代にキリスト教の洗礼を受けた。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
音羽 久米子(おとわ くめこ、1915年7月8日 - 没年不… 音羽 久米子(おとわ くめこ、1915年7月8日 - 没年不詳)は、日本の女優。本名は滝沢 ヤス(旧姓:森)。 1915年(大正4年)7月8日、東京府東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に、父・芳五郎と母・寿美の8人兄姉の末子として生まれる。父は政治好きで、定職を持たなかった。 高等小学校を卒業後、師範学校入学を希望するが、芸事好きの末兄に勧められ、六代目尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に2期生として入る。1936年(昭和11年)3月に卒業、その後は関西新派で舞台に立つが、数か月で帰京。久米正雄の紹介で9月に日活多摩川撮影所へ入社。六代目菊五郎の屋号である音羽屋と久米正雄の姓をもらって、芸名とする。
有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 195… 有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 1959年7月20日)は、東京府東京市(現在の東京都新宿区)出身で錦嶌部屋に所属した大相撲力士。本名は金子 元五郎(かねこ もとごろう)。身長171cm、体重111kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭11枚目(1944年5月場所)。有明吾郎とは別人物。 1929年5月場所、錦島部屋から初土俵を踏む。最初の四股名は錦谷であった。四つに組むと力を出す相撲であったが、体も硬く勝ち身が遅く、あまり稽古熱心な方ではなかった。新十両は1936年1月場所、しかしその後も幕下と十両の間を往復し、新入幕は1941年1月場所、入門から12年も経過していた。