金本 孔俊(かねもと よしとし、1954年 - )は、日本の… 金本 孔俊(かねもと よしとし、1954年 - )は、日本の自然写真家。日本写真家協会会員。日本自然保護協会会員。 兵庫県明石市に生まれる。1976年に日本写真専門学校フォトデザイン科を卒業する。1987年より、写真家の三浦彗翔に師事した。[要出典] 1988年にフォトスタジオ「ゴールド」を設立する。「一度はオーロラをみたい」という理由で、1994年に初めてアラスカ州を訪問し、以後再訪を繰り返して自然風景の撮影を続ける。甲南女子大学の講師も務めている。 「ブロードバスに舞うオーロラ」が2014年2月20日発行の日本写真家協会会報155号の表紙に選ばれる。KDDI企業カレンダー 2026年6月に、「北極圏ブルックス山脈に架る虹」が採用される。
鬼闘 光(きとう ひかる、1953年11月17日 - )は兵… 鬼闘 光(きとう ひかる、1953年11月17日 - )は兵庫県出身のAV監督、プロデューサー。株式会社アテナ映像常務取締役。本名、高橋松廣。巨乳もののアダルトビデオの第一人者。 明石市にて、着物の染色工程の張り屋を営む貧困家庭の9人兄妹の第6子として生まれる。小学校3年の時、マスターベーションを覚えて夢中になる。高校3年の時、15歳の少女を相手に公園で童貞を捨てる。「こんないいものを何故、早くやらなかったのか、と悔いた」という。 高校卒業後、女性物を扱う洋裁店に入り、デザインを学ぶ。しかし幼馴染のピンク女優と出会ったことから、東京のピンク映画のプロダクションに入社。20歳の時、アテナ映像の前身のプリマ企画に入社し、にっかつロマンポルノの下請けの仕事で助監督を担当。
Mr.オクレ(ミスターオクレ、1953年〈昭和28年〉4月3… Mr.オクレ(ミスターオクレ、1953年〈昭和28年〉4月30日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。吉本新喜劇の座員。 本名は岡田 信行(おかだ のぶゆき)。吉本興業所属。かつてはベーシストとして活動していた。 兵庫県明石市出身。兵庫県立明石南高等学校卒業。 父親は明石市内で中学校の教師をしていた。メガネを外した顔が小野田寛郎に似ているため、明石家さんまに「おかえりなさい、小野田さん」とボケられることがあり、本人もまれにネタにしている。 ボーイズ(音楽ショウ)「クエッション・ボーイズ(ザ・クエッション)」のボーヤから芸能活動をスタートした。1972年に残党でザ・パンチャーズが結成され、1973年1月より「ナンバ 四郎」名義でベーシストとして正規メンバーとなった。
光田 昌弘(みつだ まさひろ、1953年 - )は、日本の元… 光田 昌弘(みつだ まさひろ、1953年 - )は、日本の元俳優。兵庫県明石市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
浅見 小四郎(あさみ こしろう、1952年2月2日 - )は… 浅見 小四郎(あさみ こしろう、1952年2月2日 - )は、日本の俳優、声優である。テアトル・ド・ポッシュ所属。兵庫県明石市出身。 兵庫県立明石南高等学校卒業後、上京。 1970年代にバンド『三浦友和と仲間たち』のドラムとMCを担当。 以後、三浦の助演として多くの作品に出演。 また、チュモンへの出演を皮切りに韓国ドラマの吹き替えを多く担当している。
濱田 純一(はまだ じゅんいち、1950年(昭和25年)3月… 濱田 純一(はまだ じゅんいち、1950年(昭和25年)3月14日 - )は、日本の法学者。前東京大学総長。現在は放送倫理・番組向上機構(BPO)理事長(2015年4月から)。専門はメディア法、情報法、情報政策。法学博士(東京大学、学位論文「基本権理論における制度の観念」1980年9月)。
石塚 博昭(いしづか ひろあき、1950年〈昭和25年〉2月… 石塚 博昭(いしづか ひろあき、1950年〈昭和25年〉2月23日 - )は、日本の実業家。 兵庫県明石市出身。1972年(昭和47年)3月、東京大学理学部化学科を卒業。同年4月、三菱化成工業に入社。 太洋尼龍股份有限公司取締役副社長、三菱化成東京支店樹脂部門主席、三菱エンジニアリングプラスチックス東京支店営業第一部長、同社取締役海外営業部長、同社常務取締役営業本部長、三菱化学執行役員化学品本部長、同社常務執行役員ポリマー本部長、同社石化企画管理部門長、同社代表取締役専務取締役員石化基盤本部長などを歴任。 1994年から2007年までの13年間、三菱エンジニアリングプラスチックスで海外営業を担当し、2007年4月に三菱化学執行役員ポリマー本部長に就任。
松井 隆司(まつい たかし、1949年11月29日 - )は… 松井 隆司(まつい たかし、1949年11月29日 - )は、兵庫県明石市出身の音楽教育者。神戸演奏家協会会員、神戸学院大学管弦楽団指揮者、神戸学院大学吹奏楽部音楽監督、明石フィルハーモニー管弦楽団演奏委員及び指揮者。元神戸学院大学法学部教授。 神戸大学附属明石中学校、兵庫県立明石高等学校、大阪教育大学特設音楽課程卒業。神戸大学大学院修士課程(指揮)修了。 関西歌劇団、神戸オペラ協会、神戸アーバンオペラハウス等でトーマス・ザンデルリング、ブルーノ・ダルボン、松尾葉子、ティツィアーノ・セヴェリーニ、飯森範親、阪哲朗らのアシスタントとして合唱指揮、副指揮を務め多くの公演を成功に導いた。 管弦楽では大阪シンフォニカー、兵庫交響楽団、神戸室内合奏団を指揮。
酒井 順吉(さかい じゅんきち、1949年6月18日 - )… 酒井 順吉(さかい じゅんきち、1949年6月18日 - )は、将棋棋士。2006年、引退。藤内金吾八段門下。棋士番号は125。兵庫県明石市出身。 小学校4年の頃から神戸市の藤内道場へ通い、中学2年のときにプロを志す。 奨励会への入会は1966年。旧制度の三段リーグ(奨励会A組)への参加は、1970年後期から同制度が終了する1973年度後期までであった。その間、1971年度後期には関西優勝をしてプロ入りのチャンスが巡ってきたが、東西決戦で田丸昇に敗れ、昇段を逃す。リーグ制度廃止後、1976年3月に12勝4敗を記録し、26歳でプロ入りを果たす。 プロ1年目の1976年度に、第18期(1977年度)王位戦のリーグ入りを決めるなどの活躍で、20勝超えの成績を収める。
橋本孝伸(はしもと たかのぶ、1948年7月29日 - )は… 橋本孝伸(はしもと たかのぶ、1948年7月29日 - )は日本の大蔵官僚。国税不服審判所次長。 兵庫県明石市出身。灘高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1971年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1972年5月 大臣官房秘書課調査係長心得。1973年8月 大臣官房調査企画課。1974年7月 主計局総務課調査主任。1975年 主計局総務課企画係長。1976年7月 帯広税務署長。1977年7月 国税庁調査査察部調査課長補佐。1978年7月 日本開発銀行人事部副調査役。1995年5月 金沢国税局長。1997年7月 理財局たばこ塩事業審議官。1998年7月 国税不服審判所次長。1999年7月 退官。
小谷 正勝(こたに ただかつ、1945年4月8日 - )は、… 小谷 正勝(こたに ただかつ、1945年4月8日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。関東地区を拠点とするセ・リーグ3チーム(大洋→横浜、ヤクルト、巨人)すべてでコーチを務めた人物である。
中村 ひとし(Hitoshi Nakamura、ヒトシ・ナカ… 中村 ひとし(Hitoshi Nakamura、ヒトシ・ナカムラ、ひとしの漢字表記は「矗」、1944年10月22日 - )は、日系ブラジル人一世の都市環境政策者・造園家・環境コンサルタント。環境教育者。 ブラジルのクリチバ市で都市開発にかかわっている。同国の環境政策の実行に貢献している。 これまでの環境政策への取り組みが評価され、クリチバ市をはじめ、ブラジル国内多数の市で名誉市民賞を受賞している。現在も日本とブラジルの文化・経済交流で活躍。パラナ日伯商工会議所 (CCIBJ do Parana) 環境事務部長。2009年からブラジリア首都開発公社総裁補佐。兵庫県明石市出身。 1944年10月22日、疎開先である母親の実家の千葉県木更津市で生まれる。
大羽 宏一(おおば ひろかず、1943年3月18日 -) は… 大羽 宏一(おおば ひろかず、1943年3月18日 -) は、日本の経済学者。大分大学名誉教授。元尚絅大学学長。PL研究学会会長。 兵庫県明石市出身。東京都立新宿高等学校を経て、一橋大学商学部卒業後、1966年日本火災海上保険入社。火災新種業務部長、総合企画部長を経て、1998年大分大学経済学部教授。2002年内閣府国民生活審議会消費者政策部会委員。2003年大分大学附属図書館長。2006年尚絅大学短期大学部総合生活学科教授、大分大学名誉教授、日本少額短期保険協会理事。2008年尚絅大学学長。2015年PL研究学会会長。
竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )… 竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )は、日本の技術者、実業家。ノーリツ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス石油機器工業会会長などを務めた。 兵庫県明石市出身。1965年大阪府立大学工学部金属工学科卒業。1967年能率風呂工業(現ノーリツ)入社。1985年取締役技術研究所副所長に昇格。1995年常務取締役。1997年専務取締役営業本部長。1999年から代表取締役社長を務め、「地球環境と人へ配慮する」を理念に、ゼロ・エミッション に向けた取り組みにあたった。2004年代表取締役会長。2007年日本ガス石油機器工業会会長。2009年ノーリツ取締役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
竹内 英昭(たけうち ひであき、1942年(昭和17年)10… 竹内 英昭(たけうち ひであき、1942年(昭和17年)10月6日 - )は、日本の政治家。元三田市長(2期)。旭日小綬章受章。 兵庫県明石市出身。1965年(昭和40年)3月、関西学院大学社会学部卒業。1968年(昭和43年)4月、三田市役所に入庁。三田市企画財政部長、総務部長、理事を経て、2000年(平成12年)12月22日、三田市助役(のち副市長)に就任。2007年(平成19年)5月15日、副市長を退任。 2007年(平成19年)7月29日に行われた三田市長選挙に、自由民主党・公明党の推薦を得て岡田義弘(三田市長2期8年)の事実上の後継候補として出馬。市議の中田初美、市議の野村弘子、市民団体幹部の髙木伸明ら3候補を破り初当選を果たした(竹内:18,045票、中田:16,956票、野村:9,544票、髙木:7,936票)。
梅田 修(うめだ おさむ、1941年10月24日 - )は、… 梅田 修(うめだ おさむ、1941年10月24日 - )は、日本の英語学者。流通科学大学名誉教授。 兵庫県明石市生まれ。京都学芸大学英文科卒業。モンタナ州立大学教育学部修士課程修了。武庫川女子大学助教授、流通科学大学教授、2012年定年、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
長谷川 俊英(はせがわ しゅんえい こと はせがわ としひで… 長谷川 俊英(はせがわ しゅんえい こと はせがわ としひで、1941年(昭和16年) - )は、京都府学連事件(京都地方裁判所昭和39年7月4日判決 昭和37年(わ)966号)・被告人(前科1犯)。堺市議会議員(8期)。「都市政治研究所」代表。 兵庫県明石市生まれ。大阪府立清水谷高等学校、立命館大学法学部卒業。前科1犯 被告人(当時)・長谷川俊英は、「立命館大学法学部の学生で、同大学1部学友会書記長であつたものであるが、昭和37年6月21日京都府学生自治会連合主催の大学管理制度改悪反対、憲法改悪反対を標榜する集団行進集団示威運動に参加し、同先頭集団である立命館大学学生集団先頭列外に位置し、京都市上京区所在立命館大学正門前から同市東山区円山公園に向う途中、同日午後5時26分頃、同市中京区木屋町通御池下る約30米の地点に差蒐つた際、折柄前記集団行進集団示威運動の過程における許可条件違反等の違法状況の視察採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務巡査Xが、京都府公安委員会が附した許可条件に違反するとして前記集団先頭の行進状況を写真撮影するや、「どこのカメラマンか」と難詰抗議し、同巡査が殊更にこれを無視する挙動に出たところから憤慨し、所携の旗竿を以て同巡査の下顎部を一突きし、よつて同人をして治療約1週間を要する下顎部挫創の傷害を蒙らしめ、以て同巡査の職務の執行を妨害したものである」(京都府学連事件第1審判決・「罪となるべき事実」)。
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2… 葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2022年5月25日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長・代表取締役会長・代表取締役名誉会長、取締役名誉会長を歴任した。他に、学校法人海陽学園理事長を務めた。 兵庫県明石市生まれ、東京都杉並区育ち。井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。 1940年10月20日に、父・葛西順夫(のぶお)と、母・益世(旧姓:本庄)の間に兵庫県明石市で生まれた。 父は旧制明石中学校に勤務していた国語科(漢文)の教員で、敬之が生まれてほどなくして一家で上京。父からは『論語』や日本の古典の講義を高校終わりまで受けた。
明石海 秀昭(あかしうみ ひであき、1940年2月6日 - … 明石海 秀昭(あかしうみ ひであき、1940年2月6日 - 没年不明)は、兵庫県明石市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤本 秀昭(ふじもと ひであき)。176cm、84kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1956年5月場所初土俵、1962年5月場所十両昇進。連続4場所務めたが、幕下に陥落したのち、1967年1月場所限りで廃業した。
馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャ… 馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャイアント馬場夫人で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。
松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6… 松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6日 - 2025年(令和7年)8月29日)は、日本の実業家、馬主。 兵庫県明石市に本社を置く船舶用部品メーカー・株式会社きしろの代表取締役会長を務めたほか、「メイショウ」の冠名を用いる馬主として多くの競走馬を所有したことでも知られていた。 1938年(昭和13年)1月6日、兵庫県明石市出身。きしろ発動機株式会社(当時)の社長であった松本金次の長男として生まれる。父の経営する工場に出入りするなどして理系を志し、千葉工業大学工業経営学科に進学。6年かけて同大学を卒業、卒業研究のテーマは「自動車部品プレス加工工程の短縮」であった。1962年(昭和37年)にきしろ発動機入社、その後取締役専務を経て、1972年(昭和47年)、父の急逝に伴い社長に就任した。
矢嶋 長次(やじま ちょうじ、昭和11年(1936年)6月9… 矢嶋 長次(やじま ちょうじ、昭和11年(1936年)6月9日 - 2019年(令和元年)10月20日没)は、日本のヤクザ。山口組直参。初代矢嶋組組長。二代目森川組組長。兵庫県明石市出身。 兵庫県明石市に博徒・矢嶋清の息子として生を享ける。博打打ちとして全国を放浪するも愛媛県今治市を本拠に森川組を構えていた森川鹿次の目に適い、昭和30年(1955年)に森川鹿次の娘(森川鹿次の妻・春子の連れ子だった)・栄子と結婚。森川邸の向かいに新居を構え、矢嶋組を結成した。 昭和35年(1960年)7月15日、三代目山口組・田岡一雄組長から盃を貰い、山口組直参となった。当時、24歳、山口組最年少直参昇格であった。
生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 20… 生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2015年〈平成27年〉10月27日)は、日本のイラストレーター。油絵風の画法が特徴。イラスト集や作品展のタイトルでは生賴範義の表記が見られる。「生瀬 範義」は誤表記。息子のオーライタローも画家。 兵庫県明石市生まれ。第二次世界大戦さなかの1945年に鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)に疎開。鹿児島県立川内高等学校卒業。高校卒業後、東京芸術大学美術学部に入学したが、後に中退した。1962年、イラストレーターとして活動を開始。1973年、東京から妻の郷里宮崎県宮崎市に転居。 1980年、SF雑誌に発表した「スターウォーズ」のイメージ画が、制作者のジョージ・ルーカスの目に留まり、その続編ポスター用イラストを正式に依頼される。
橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月… 橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月18日 - 2009年〈平成21年>12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。 日本棋院台湾支部長で、自宅に道場を開いていた国三郎を父に、台湾に生まれる。幼時から父に囲碁の手ほどきを受け、棋士を目指して厳しい指導を受けた。
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 20… 小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 2025年4月18日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。2001年に野球殿堂入り。 小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。
小桜 京子(こざくら きょうこ、1933年〈昭和8年〉5月2… 小桜 京子(こざくら きょうこ、1933年〈昭和8年〉5月27日 - 2023年〈令和5年〉6月15日)は、日本の女優、喜劇役者。 前夫は引田天功、娘は声優の引田有美、叔父は柳家金語楼。 兵庫県明石市出身。新宿区立牛込第一中学校卒業。 3歳の時に柳家金語楼にあずけられ金語楼劇団の子役として舞台デビュー。14歳で修業のため3年間付き人をつとめる。1953年、NHKテレビ開局と共にテレビ番組に出演し、1956年に『金語楼劇場・おトラさん』のお豆さん役がヒットする。 以後、快活な喜劇役者として、映画『おトラさんシリーズ』『駅前シリーズ』『恋人と呼んでみたい』などに出演する。舞台やドラマにも出演し、フジテレビのバラエティ番組『ライオンのいただきます』では準レギュラーを務めた。
北畑 利雄(きたはたとしお、1933年2月24日 - 201… 北畑 利雄(きたはたとしお、1933年2月24日 - 2016年11月12日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)。 明石南高校から1952年に国鉄スワローズへ入団。1953年から一軍で起用され、7月には初先発を果たす。1954年には先発陣の一角として6勝を記録。1956年も主に中継ぎとして6勝をあげた。1958年限りで引退。 その後は社会人野球の天王寺鉄道管理局に転じ、都市対抗野球大会等で活躍した。 低めにコントロールされたシュートと沈む球(ストライク・ゾーン)でグッと落ちる球が武器。
大津 淳(おおつ あつし、1932年1月2日 - )は、昭和… 大津 淳(おおつ あつし、1932年1月2日 - )は、昭和中期(1950年代後半~1960年代前半)に活躍した元プロ野球選手。
畑 博行(はた ひろゆき、1930年1月18日 - 2023… 畑 博行(はた ひろゆき、1930年1月18日 - 2023年9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。学位は、博士(法学)(京都大学・論文博士・1992年)(学位論文「アメリカの政治と連邦最高裁判所」)。広島大学名誉教授。近畿大学名誉学長。 兵庫県明石市生まれ。兵庫県立明石高等学校卒業。1950年、神戸市立外事専門学校卒業。1954年、京都大学法学部卒業。1954年、運輸省航空局入局。まもなく退官。1960年、京都大学大学院(旧制)修了。 1960年、広島大学政経学部助手。1961年、専任講師。1966年、助教授。1970年コロンビア大学法科大学院客員スカラー(客員研究員)(~71年)。1972年、広島大学政経学部教授。
神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 20… 神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 2002年3月26日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手。 明石中学校から関西大学に入学。1950年には春のリーグで最高殊勲選手を受賞する。 1951年に大洋ホエールズへ入団。1953年に引退。 その後、大都魚類の取締役を務めていた。 2002年に肺炎のため死去。 1男1女の父であり、それぞれ医者になっている。 ロビンスの選手時代に監督であった小西得郎が長男の名付け親である。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - … 清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - 1979年2月5日)は、兵庫県明石市出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は鉾浦 光男(ほこうら みつお)。最高位は東小結(1951年1月場所、1953年5月場所、1958年1月場所)。引退後は、年寄・間垣として日本相撲協会に残った。身長176cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ。 14歳の時に角界入りし、1940年5月場所に於いて、元大関・清水川元吉が率いた追手風部屋から初土俵を踏んだ。幕下時代に兵役に服したが帰還後1947年6月場所で十両昇進、僅か1場所で十両を通過して1947年11月場所で新入幕を果たした。1950年9月場所では優勝した横綱・照國から金星を奪い、翌1951年1月場所では小結に昇進した。
江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 … 江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 - 2015年〈平成27年〉1月13日)は、日本の画家。本名は荻野絹子。夫はフランス系アメリカ人の船乗り、長女は芥川賞受賞作家で慶應義塾大学名誉教授の荻野アンナ。 兵庫県明石市二見町生まれ。兵庫県立加古川高等女学校(現兵庫県立加古川西高等学校)卒業。女学校では絵画クラブに所属しており、油絵は男のすることと見なされた時代において、大反対する父を説き伏せ、卒業後に油絵の道へ進んだ。後に二紀会会員となる洋画家の伊川寛の個人教授を受けた後、戦後は神戸市立洋画研究所で学んだ。 神戸市立太田中学校の図画教師を経て、1949年(昭和24年)、第4回行動展(行動美術協会の公募展)に初入選、翌1950年(昭和25年)、第5回展で奨励賞を受賞、1952年(昭和27年)、第7回展で最高賞である行動美術賞を受賞、1953年(昭和28年)に行動美術協会で初の女性会員となった。
奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 20… 奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍兵士(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、アナーキスト。 昭和天皇パチンコ狙撃事事件のほか、不動産業者刺殺事件、皇室ポルノビラ事件、元上官家族への殺人未遂など、過激な行動や事件を度々起こしては逮捕・服役した。また、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演したことでも知られる。 自らを「神軍平等兵」と称していた。 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営し、後に中国の九江にある工兵隊へ転属。
松下 繁二(まつした しげじ、1916年8月16日 - 戦死… 松下 繁二(まつした しげじ、1916年8月16日 - 戦死(年月不明))は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。
橋本 純次(はしもと じゅんじ、1916年(大正5年)1月2… 橋本 純次(はしもと じゅんじ、1916年(大正5年)1月27日 - 1983年(昭和58年)4月18日)は、日本の数学者。専門は一般代数学、束論(特に分配束)。神戸大学理学部長。勲五等瑞宝章。兵庫県明石市出身。一般には数学教育分野、特に参考書であるチャート式数学の著者として知られる。 1916年父橋本久一、母ぬいの長男として兵庫県明石市に生まれる。県立明石中学、東京高師、文理大を卒業後山梨県等で教職に携わった後、戦後神戸工専から神戸大学文理学部創設とともに同大学助教授、教授、理学部長。
楠本 保(くすもと たもつ、1914年(大正3年)12月19… 楠本 保(くすもと たもつ、1914年(大正3年)12月19日 - 1943年(昭和18年)7月23日)は、昭和初期の中等学校野球及び大学野球で活躍した野球選手(投手)。
吉田 貫三郎(よしだ・かんざぶろう、1909年 - 1945… 吉田 貫三郎(よしだ・かんざぶろう、1909年 - 1945年)は、昭和時代前期の挿絵画家。本名は貫一。 兵庫県明石市出身。1928年(昭和3年)に神戸商業学校を卒業し、一時は電気会社の会計などをしていたが、在学中から凝っていた漫画の投稿に力を入れ、漫画雑誌『月刊マンガ・マン』で入選したのをきっかけに、1929年(昭和4年)に上京。同年、同誌の版元である東京漫画新聞社に入社する。1932年(昭和7年)から横山隆一、近藤日出造、矢崎茂四を中心とする新漫画派集団に加わり、当初は漫画家として活動していた。1933年(昭和8年)頃より『新青年』などで小説の挿絵を描くようになり、怪奇推理小説から現代小説、時代小説の挿絵まで幅ひろく手がけた。
曽我廼家 明蝶(そがのや めいちょう、本名:北村 弘一(きた… 曽我廼家 明蝶(そがのや めいちょう、本名:北村 弘一(きたむら ひろかず)、1908年〈明治41年〉6月3日 - 1999年〈平成11年〉4月13日)は、日本の俳優。兵庫県明石市出身。旧字体「曾我廼家明蝶」。 明石の寺の次男坊として生まれるが、まもなく大阪・船場の呉服商の養子となる。成器商業を経て東京の明治学院に進むも中退する。芝居の台本作家をめざして栗島すみ子の父・栗島狭衣の紹介で、1927年に明石潮一座に文芸部員として入る。同期には伴淳三郎と河津清三郎が俳優部にいた(河津は同級生でもある)。1928年に俳優の欠員から舞台にかりだされたのがきっかけで俳優に転じ、その後は曾我廼家五郎劇団に移籍し二枚目として活躍する。
吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月… 吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月13日 - 1993年(平成5年)10月22日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。最後の官選鳥取県知事。 兵庫県明石市出身。大阪高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県属となる。 以後、労働局事務官、島根県書記官・警察部長、厚生省会計課長、同勤労局長などを歴任。 1947年2月、鳥取県知事に就任。昭和22年度当初予算を編成し、知事選挙を執行して、同年4月に退任。その後、埼玉県副知事に就任した。 1950年、警察予備隊に参加し第1管区総監となるが、部下の不祥事の責任を取り辞職。
岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 19… 岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 1964年1月25日)は、日本の宗教学者。東京大学教授、東京大学附属図書館の館長などを歴任。文学博士(東京帝国大学)。ユニテリアン主義である日本自由宗教連盟の理事長。 兵庫県明石市出身。宗教学者の岸本能武太の次男として生まれる。1916年、東京高等師範学校附属中学校に入学、同級生に美濃部亮吉、正田英三郎、芳賀檀、諸井三郎などがいた。1920年同校4年次修了(四修)で第六高等学校に進学を果たす。1923年春に六高理科甲類を卒業し、東京帝国大学へ進学する。1926年に東京帝大文学部宗教学科を卒業、同大学院進学を経て1930年からハーバード大学大学院に留学、1934年同大M.A.取得。
高橋 虔(たかはし まさし、1903年(明治36年) - 1… 高橋 虔(たかはし まさし、1903年(明治36年) - 1992年(平成4年)7月30日)は、日本の神学者、聖書学者。
中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年〈明治34年〉3… 中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年〈明治34年〉3月11日 - 1970年〈昭和45年〉3月6日)は、日本の実業家。大洋漁業副社長。大洋漁業創業者中部幾次郎の三男。 兵庫県明石市出身。中部幾次郎の三男。1924年、神戸高等商業学校を卒業。中部農事、林兼商店各監査役、大洋捕鯨取締役、林兼商店、林兼工業各常務、林兼造船副社長同社長を経て1951年、大洋漁業副社長。1955年、林兼産業社長。1963年、長崎放送社長。1964年、藍綬褒章・紺綬褒章を受章。 宗教は浄土宗、仏教。趣味はゴルフ、将棋。住所は山口県下関市上田中町3丁目、同町1丁目、同市竹崎町、兵庫県明石市東魚町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1… 山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1969年7月1日)は、日本の政治家、内務官僚、従四位勲二等瑞宝章。 青森県知事(第42代)、満洲国警務総局長兼保安局長官、福岡県知事(第35代)、逗子町長(1期)、逗子市長(4期)を歴任した。 兵庫県明石市生まれ。父は逗子開成中学校の創設、経営に尽力した漢学者の山田武臣。代々三日月藩主に仕えた漢学者の家系であった。逗子開成中学校、東京陸軍幼年学校を経て、東京中学校、第七高等学校造士館、東京帝国大学経済学部を卒業。特に東京陸軍幼年学校時代に生徒監であった阿南惟幾に目をかけられ、後に同期に先んじて知事に抜擢されたのは阿南の推薦があったからだという。
林 正之助(はやし しょうのすけ、1899年〈明治32年〉1… 林 正之助(はやし しょうのすけ、1899年〈明治32年〉1月23日 - 1991年〈平成3年〉4月24日)は、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。 風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。 兵庫県明石市出身で、大阪府大阪市北区育ち。米穀商を営んでいた林豊次郎の長男として出生。母親は林ちよ、姉は吉本興業創業者の吉本吉兵衛(後に泰三と改名)の妻の吉本せい。弟は旧吉本興業株式会社(初代東京吉本)の社長を務めた林弘高。実子は林マサで、その夫(娘婿)は林裕章。 1917年、18歳の時に吉本興業の前身、吉本興行部に入社し、19歳で総監督となった。1948年に吉本興業合名会社が株式会社に改編されたのを機に、初代の社長に就任。
菅原 明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgah… 菅原 明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgaharat、1897年(明治30年)3月21日 - 1988年(昭和63年)4月2日)は、日本の作曲家、音楽の教育者、指導者、啓蒙家。本名は吉治郎。 兵庫県明石市大蔵町生まれ。菅原道真の菅原氏の末流。プロテスタントの幼稚園に通ったことから、明石第二尋常小学校(現在の明石市立人丸小学校)通学中の1908年(11歳)、洗礼を受ける(後年、カトリックに改宗)。1910年(13歳)京都二中(現在の京都府立鳥羽高等学校)に入学。その時代、陸軍軍楽隊長小畠賢八郎にホルンとソルフェージュを習った。 1914年(17歳)上京し、1918年(21歳)まで川端画学校洋画科で藤島武二に学んだ。
中部 謙吉(なかべ けんきち、1896年(明治29年)3月2… 中部 謙吉(なかべ けんきち、1896年(明治29年)3月25日 - 1977年(昭和52年)1月14日)は大正~昭和期(1920年代後半~1970年代前半)の実業家。大洋漁業(現・マルハニチロ)元社長。プロ野球チーム・大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の元オーナー。父は林兼商店(大洋漁業の前身)創業者の中部幾次郎。 1880年に父・幾次郎が起こした林兼商店に入社した謙吉は1924年に28歳で常務に就任、終戦前の1945年には大洋漁業の副社長まで出世した。戦後の公職追放で謙吉は大洋漁業の経営から退き、兄の兼市が2代目の社長となった。1952年に公職追放令が解かれると、謙吉は大洋漁業の副社長に復帰し、1953年に兄の兼市が急死すると、大洋漁業の社長に就任した。
田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)… 田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)8月12日 - 1953年(昭和28年)12月24日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県明石郡大久保村江井島(大久保町を経て現明石市)で生まれる。同志社大学、法政大学で学んだ。 兵庫県会議員に選出され、同参事会員も務めた。1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から立憲政友会公認で出馬して当選したが、1939年(昭和14年)8月4日、衆議院議員選挙法違反事件の上告が大審院で棄却され判決が確定したため議員を退職した。戦後、1946年(昭和21年)4月の第22回総選挙で兵庫県第1区から日本自由党公認で出馬して再選され、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で兵庫県第3区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に通算3期在任した。
寺島 紫明(てらじま しめい、1892年〈明治25年〉11月… 寺島 紫明(てらじま しめい、1892年〈明治25年〉11月8日 ‐ 1975年〈昭和50年〉1月12日)とは、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。 鏑木清方の門人。名は徳重、兵庫県明石郡明石町字樽屋町にて生れる。父は綿布問屋柿屋の当主寺島徳松、母は「とし」。上に二人の姉がいる三人兄弟の末っ子であった。幼少時は病弱で尋常小学校に通う頃から健康になったが、当時の男の子に似合わぬおとなしい気性で、姉たちとままごとなどしたりするのを母としは案じた。やがて徳重は九つになると読書に熱中するとともに、目に付くものをスケッチするようになり、十一になると『源氏物語』を原文で読破する。しかしこの徳重の様子に、親や姉また親類の者は将来を心配するばかりであったという。
中部 兼市(なかべ かねいち、1892年2月25日 - 19… 中部 兼市(なかべ かねいち、1892年2月25日 - 1953年3月25日)は、日本の経営者で、プロ野球チーム・大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の初代オーナーも務めた。 兵庫県明石市出身。中部幾次郎の長男で、弟には中部謙吉、中部利三郎。1924年9月に林兼商店専務を務め、1945年12月に大洋漁業社長に就任。1947年8月に公職追放を受け、いったん辞任し、1950年10月に社長に復帰。 1941年に水産功労者の表彰を受ける。 1953年3月25日在職中に胃潰瘍のために山口県下関市の自宅で死去。61歳没。
松嶋 喜作(まつしま きさく、1891年(明治24年)10月… 松嶋 喜作(まつしま きさく、1891年(明治24年)10月7日 - 1977年(昭和52年)2月17日)は、日本の政治家。実業家。参議院副議長(第2代)。参議院議員(1期)。 兵庫県明石市出身。1918年京都帝国大学卒業。卒業後は日本興業銀行に入る。1941年理事に就任。戦後の1946年大和証券の会長となる。翌1947年第1回参議院議員通常選挙で全国区から立候補して当選(3年議員)。自由党政調会長を務める。1949年参議院副議長に就任した。議員を1期で退任後、1952年日本製鋼や東京螺子の社長に就任。1956年国鉄諮問委員、翌年に富士航空社長を務めた。 1965年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 1977年2月17日死去、85歳。