谷川 唯人(たにがわ ゆいと、2002年5月27日 - )は… 谷川 唯人(たにがわ ゆいと、2002年5月27日 - )は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPB加盟球団では育成選手であった。 小学校1年時から野球を始め、4年時から捕手を務める。安来市立第二中学校では軟式野球部に所属。引退後はKボールの島根県選抜に選ばれ、全国大会でベスト4入りを果たした。 高校は立正大淞南高校に進学。1年春からベンチ入りし、2年夏までは遊撃手や投手としても出場した。2年秋からは正捕手に任命され、主将も務めた。3年夏に開催予定だった第102回全国高等学校野球選手権島根大会は、新型コロナウイルス感染症の流行により中止となったが、その代替として開催された令和2年度島根県高等学校夏季野球大会では、決勝で益田東高校に敗れて準優勝だった。
SKRYU(スクリュー、1996年〈平成8年〉9月3日 - … SKRYU(スクリュー、1996年〈平成8年〉9月3日 - )は、日本のラッパー。島根県安来市出身。本名は植田敬助。 島根県立松江工業高等学校在学中に高校生ラップ選手権を見て、ラップに興味を持つ。愛媛大学に進学後、アルバイト先で大街道サイファーを知る。サイファーを仕切っていたDisryに声をかけられ同イベントに参加。それをきっかけにラップを始める。 2018年のUMB愛媛大会で、Disryに勝利。しかしUMB本戦では一回戦敗退となる。その後、地元の銀行(山陰合同銀行)に就職。銀行員とラッパーを両立させ、MCバトルや楽曲の制作をしていた。当時の戦極令和杯で優勝。 その後、2020年に銀行を退職し上京。
山本 一徳(やまもと かずのり、1983年6月13日 - )… 山本 一徳(やまもと かずのり、1983年6月13日 - )は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 島根県安来市出身。小学校1年生の頃から野球を始め、安来高校では2年夏の県大会2回戦で7回コールドながらノーヒットノーランを達成し、ベスト4進出に貢献。3年生の5月に腰を痛め、同年夏は外野手として7安打3打点を挙げたが、ベスト8で出雲工業高に敗れた。高校卒業後は上京し浪人生活を送る。一浪の末、一般入試で早稲田大学に入学。 東京六大学では宮本賢、大谷智久の左右のエースの存在もあり未勝利に終わった。リーグ通算12試合に登板、0勝0敗、防御率4.70、20奪三振を記録。独特のスリー・クォーターから繰り出す最速144km/hの動く速球と184cm、90kgという恵まれた体格を買われ、2006年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから5巡目で指名された。
﨏畑 雄一郎(さこはた ゆういちろう、1981年3月28日 … 﨏畑 雄一郎(さこはた ゆういちろう、1981年3月28日 - )は、地方競馬の福山競馬場・徳本慶一厩舎に所属していた元騎手である。勝負服の柄は胴橙・紫山形一本輪、袖紫(益田時代)→胴橙袖白、青山形一文字。島根県安来市出身、血液型AB型、身長156cm。 地方競馬教養センター長期騎手課程第67期生。 1998年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、益田競馬場・大賀一政厩舎から騎手デビュー。同年4月11日第1回益田競馬3日目第2競走アラ系D級7組一般戦トミノダイゼンで初騎乗初勝利(6頭立て1番人気)。 1999年9月13日、第14回全日本新人王争覇戦出場(12人中6位)。 2000年に地方競馬通算100勝達成。
松本光平(旧名:松本恒平)(まつもと こうへい、1980年1… 松本光平(旧名:松本恒平)(まつもと こうへい、1980年1月19日 - )は、日本の整体師、著述家。整体院ボディーケア松本代表。癒楽心体療法創始者。京都産業大学外国語学部中国語学科卒業。柔道整復師、カイロプラクター、オステオパスなど複数の資格を持ち、国内外で施術・教育活動を行っている。 島根県安来市生まれ。安来第一中学校、安来高等学校を経て京都産業大学へ進学。在学中に吉本興業NSC第25期生として活動し、芸人「松本」として銀シャリやジャルジャルらと同期に所属。 その後、柔道整復学を学び国家資格を取得。さらに、カイロプラクティック(B.csc)とオステオパシー(D.O.)の国際基準プログラムを修了。
ネゴシックス(1978年6月28日 - )は、日本のピン芸人… ネゴシックス(1978年6月28日 - )は、日本のピン芸人。本名、根来川 悟(ねごろがわ さとし)。島根県安来市出身。吉本興業所属。ピンデビューは2001年3月。 身長163cm。米子商業高等学校(現米子松蔭高等学校)卒。大阪NSC22期生。同期には中山功太、久保田和靖(とろサーモン)、山里亮太(南海キャンディーズ)、なかやまきんに君、ダイアン、キングコング、NON STYLEなどがいる。 芸名は、母親に「あんたは6月生まれだけん、“ネゴロク”なんてどげな」と言われたことが由来。 2004年のM-1グランプリに中山功太とコンビ「たばこ」を結成して出場し、ツッコミを担当した。結果は3回戦敗退。 顔が赤木春恵に似ており、多数のほくろがあるというルックスの持ち主。
多奈部聖士(たなべ せいじ、1976年7月7日 - )はプロ… 多奈部聖士(たなべ せいじ、1976年7月7日 - )はプロキーボーディスト、ベーシスト。現:ナショヲナル・キーボード担当。島根県安来市出身。キャットミュージックカレッジ専門学校卒業。本名、田部聖士(読み同じ)。血液型はO型。 小学校5年生のとき、クラシック・ギターを始め、中学生の時、小室哲哉の「天と地と」にショックを受け、ヤマハのシンセサイザーEOS B500を購入し、打ち込みとキーボードを始める。16歳からバンド活動を始め、テクノバンド「CR-3」やTMNのコピーバンド「if-ART」を結成し、各種コンテストを受ける。中でも、『CR-3』在籍中にYAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVALにおいて予選に勝ち抜き島根県代表として、中国ブロック大会(広島メルパルクホール)に出場。
嶋田 暁文(しまだ あきふみ、1973年 - )は、日本の行… 嶋田 暁文(しまだ あきふみ、1973年 - )は、日本の行政学者。九州大学大学院法学研究院教授、自治体学会副理事長。 島根県安来市生まれ。島根県立松江南高等学校を経て、中央大学法学部卒業後、1999年地方自治総合研究所非常任研究員。今村都南雄に師事し、2002年中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学、日本学術振興会特別研究員。 2004年九州大学大学院法学研究院助教授。2016年柳川市都市計画審議会委員。2018年九州大学大学院法学研究院教授、宇美町行政改革審議会会長。2019年コミュニティ政策学会理事。 2020年国土交通省半島振興の在り方に関する検討会委員、農林水産省新しい農村政策の在り方に関する検討会委員、太宰府市自治基本条例審議会会長、宇美町町民憲章審議会会長、日本行政学会理事、日本公共政策学会理事。
廣田 衣世(ひろた きぬよ、1971年 - )は、日本の児童… 廣田 衣世(ひろた きぬよ、1971年 - )は、日本の児童文学作家。島根県安来市出身。武蔵野女子短期大学を卒業した。 2001年、「ぼくらの縁結び大作戦」で第18回福島正実記念SF童話賞大賞を受賞しデビューした。 2003年、『はっけよい、マメ太!』で第12回小川未明文学賞優秀賞を受賞した。 出身地である島根県や出雲神話を題材にした作品を多く手がける。 「」内が収録されている廣田衣世の作品
柏屋 コッコ(かしわや コッコ、1970年2月7日 - )は… 柏屋 コッコ(かしわや コッコ、1970年2月7日 - )は、日本の漫画家。島根県安来市出身。東京都在住。血液型はAB型。女性。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
竹矢 宣子(たけや のぶこ、1967年6月16日 - )は、… 竹矢 宣子(たけや のぶこ、1967年6月16日 - )は、エス・オー・プロモーション所属のフリーアナウンサー。 以前は宮崎放送に在籍した。 島根県安来市出身、神奈川大学卒業。身長は163cm。1991年宮崎放送に入社(退社年は不明)。趣味は映画鑑賞、写真、水族館めぐり、散歩。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
木戸 典佳(きど のりか、1967年2月 - )は、ロシア国… 木戸 典佳(きど のりか、1967年2月 - )は、ロシア国営ラジオ局RGRKの元日本語アナウンサー。毎週木曜日の「ヤングウェーブ」を担当。夫は中国人、娘が1人と息子が1人いる。 島根県安来市出身。実家は和菓子店。3人姉妹の長女。1989年岡山大学文学部卒業、文部省勤務後、ロシア文学に魅せられ、独学でロシア語を勉強。文部科学省勤務を経て、90年代後半にロシアへ渡り、1999年10月より同放送局の「ロシアの声」の日本語課に勤務。2008年9月に同局退社し、家族と共に上海へ移住。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
石橋 通宏(いしばし みちひろ、1965年7月1日 - )は… 石橋 通宏(いしばし みちひろ、1965年7月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。父は衆議院議員を務めた石橋大吉。情報労連組織内候補。 島根県安来市生まれ。幼少期を東京都武蔵野市で過ごす。1978年に松江市立内中原小学校卒業、1981年に松江市立第一中学校卒業。1984年に島根県立松江北高等学校卒業。1988年に中央大学法学部法律学科卒業後、アメリカ合衆国のアラバマ大学大学院に留学して1991年に修了して政治学修士号取得。現在は東京都在住。 1992年に帰国し全国電気通信労働組合中央本部入職(国際部職員)。 1994年に国際自由労働組合総連盟・アジア太平洋地域事務所(ICFTU-APRO、在シンガポール)へ出向。
べるを(1962年10月12日 - )は、島根県を拠点に山陰… べるを(1962年10月12日 - )は、島根県を拠点に山陰地方で活動しているローカルタレント、司会者、コラムニスト。 本名は周藤 浩史(すとう ひろふみ)。島根県能義郡伯太町(現:安来市)出身。血液型はO型、星座はてんびん座。 農業共済組合職員を経て1995年にタレント業を開始。1996年に『MTRサウンドスクエア』のパーソナリティに就任して以降、山陰放送(BSS)ラジオへの出演を継続しているほか、地元タウン情報誌への寄稿などライター業も行っている。地域イベントなどでは本名の周藤浩史名義で司会業も行う。 特記なき場合は山陰放送の番組。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山崎 徹(やまさき とおる、1958年〈昭和33年〉8月20… 山崎 徹(やまさき とおる、1958年〈昭和33年〉8月20日 - )は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。 島根県安来市出身。島根県立松江北高等学校理数科を経て、1982年(昭和57年)に慶應義塾大学法学部を卒業し、4月に山陰合同銀行に入行。国土交通事務次官を務めた毛利信二は高校の1年先輩に当たる。 2006年米子西支店長。2009年営業企画部長。2012年執行役員経営企画部長。2014年常務執行役員。2015年取締役専務執行役員。2018年取締役副頭取執行役員。副頭取時代には、石丸文男頭取と共に野村證券との包括的業務提携を進めた。 2020年(令和2年)6月25日、山陰合同銀行代表取締役頭取に昇格。
石原 倫理(いしはら ともただ、1957年2月27日 - )… 石原 倫理(いしはら ともただ、1957年2月27日 - )は、日本の右派・保守系の政治運動家。 島根県安来市出身。日本大学法学部卒業。維新政党・新風福岡県幹事長。2004年の第20回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から立候補、落選して現在にいたる。松江市在住。北朝鮮に拉致された日本人を救う島根の会事務局長、特定非営利活動法人新風たすけあひ機構の理事でもある。 東アジア諸国に関心を持ち、学生時代から国際交流活動をおこなっていた。1996年に韓国国内で竹島問題を発端として反日感情が高まる中、日本国民はおろか、竹島を県土としてもつ島根県民さえもが、この問題に無関心であることに疑問を感じ竹島を考える会を発足する。
実重重実(さねしげ しげざね、 1956年- )は、日本の元… 実重重実(さねしげ しげざね、 1956年- )は、日本の元農水官僚・生物学者。 島根県安来市出身。10代のとき「フジツボの研究」で科学技術庁長官賞を受賞。1979年東京大学卒業後、農林水産省に入省。微生物から植物、水生動物、哺乳類など幅広く動植物に係わった。発生生物学者・団まりなに師事し、階層生物学研究ラボに参加。農林水産省農村振興局長をへて2005年定年。全国山村振興連盟常務理事兼事務局長。
須藤 修(すどう おさむ、1955年9月9日 - )は、日本… 須藤 修(すどう おさむ、1955年9月9日 - )は、日本の経済学者、東京大学名誉教授、中央大学教授、東京大学特任教授。専門は社会情報学、医療情報学、情報経済論。 島根県安来市出身。1980年、静岡大学人文学部経済学科卒業。1985年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1989年、「資本主義経済における相互作用と自己組織化の論理」により、東京大学から経済学博士の学位を取得。静岡大学専任講師(1985年)、同助教授(1986年)、東京大学新聞研究所助教授(1991年)、改組により社会情報研究所助教授(1992年)を経て、1999年に社会情報研究所教授、2000年より東京大学大学院情報学環教授。
小林 淳一(こばやし じゅんいち、1951年 - )は、日本… 小林 淳一(こばやし じゅんいち、1951年 - )は、日本の地方公務員。島根県副知事、同県信用保証協会会長、同県社会福祉協議会会長などを歴任。 安来市出身。県外の大学に進み、民間企業に就職するつもりだったが県庁に進路を転換。島根県地方課長、同農林水産部長、同商工労働部長を経て、2012年 (平成24年) 3月 前任の松尾秀孝に代わり島根県副知事。副知事退任後は島根県信用保証協会会長、しまね産業振興財団評議員、県社会福祉協議会会長、島根県立産業交流会館理事長を歴任。 2021年、秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
渡部 哲郎(わたなべ てつろう、1950年- )は、スペイン… 渡部 哲郎(わたなべ てつろう、1950年- )は、スペイン史学者、横浜商科大学教授。専攻はスペイン史、地域研究(バスク) 。 島根県安来市生まれ。島根大学文理学部卒業、上智大学大学院文学研究科博士課程満期退学。常葉学園大学外国語学部助教授、ビルバオのデウスト大学客員教授、横浜商科大学商学部教授。
安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日… 安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日 - 2017年〈平成29年〉4月6日)は、フリーアナウンサー。元朝日放送(ABC)アナウンサー。 愛称は「アベロク」(ラジオの冠番組タイトルにも使用。他に「あべ六」「アベ六」とも)。愛称の由来(意味)は、6チャンネル(ABCテレビ)の安部から来ているという説、大学に6年通ったからという説がある。ABC時代の後輩アナウンサーで、部下でもあった名字が同じ読みの阿部成寿との区別にもなっている。 島根県安来市出身。島根県立安来高等学校から國學院大學文学部日本文学科に進学した。大学卒業後の1970年に、アナウンサーとして朝日放送(ABC)へ入社した。
三保忠夫(みほ ただお、1945年- )は、日本の国語学者。… 三保忠夫(みほ ただお、1945年- )は、日本の国語学者。島根大学・神戸女子大学名誉教授。 島根県安来市生まれ。広島大学文学部文学科卒、1973年同大学院文学研究科国語学博士課程満期退学、2008年「日本語助数詞の歴史的研究」で広島大学文学博士。弘前大学人文学部講師、島根大学助教授をへて、教授、2008年名誉教授、神戸女子大学教授、2016年名誉教授。国語史が専門。妻の三保サト子(1948-)も国語学者・島根県立大学短期大学部名誉教授。
細田 忠義(ほそだ ただよし、1944年12月4日 - )は… 細田 忠義(ほそだ ただよし、1944年12月4日 - )は、島根県安来市出身の日本のフリーミュージャン、トランペッター。 娘は「生きるために毒親から逃げました。」の著者である尾添椿(旧ペンネーム:爆心地くもり)。 セントポール交響楽団のトランペットの首席奏者ルイ・マジオ創設マジオ奏法システムを継承したカールトン・マクベスより日本で唯一マジオシステムを師事、取得。 アメリカラスベガス、テキサス、フランスでのフリーミュージシャン経験を経て日本へ活動拠点を移す。1970年代以降、演歌、アーティスト、パレード、海外アーティスト来日公演などで演奏。 布施明、マライア・キャリー、クイーン、サザンオールスターズなどのバックミュージック・演歌・CM録音の他、海上自衛隊東京音楽隊への指導歴がある。
大森 猛(おおもり たけし、1944年9月18日 -)は、日… 大森 猛(おおもり たけし、1944年9月18日 -)は、日本の元政治家。元衆議院議員(通算2期)。元神奈川県議会議員(通算1期)。現在、日本共産党南関東ブロック事務所長。
丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年… 丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年12月)は、島根県安来市出身の洋画家。武蔵野美術大学卒業。
祖田 修(そだ おさむ、1939年10月11日 - 2025… 祖田 修(そだ おさむ、1939年10月11日 - 2025年1月20日)は、日本の農学者、農業経済学者。農学、農業経済学、地域経済論が専門。京都大学・福井県立大学名誉教授。元福井県立大学学長、放送大学客員教授。農学博士。 島根県安来市出身。地方産業振興に尽くした前田正名の研究者でもある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
義原 武敏(よしはら たけとし、1937年7月29日 - 2… 義原 武敏(よしはら たけとし、1937年7月29日 - 2010年)は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(投手)。 安来中学校(現在の安来市立第一中学校)から米子東高校に進学。高校再編に伴って野球部員が分散を余儀なくされ戦力が手薄となっていたため1年春から先発投手として起用される。1953年秋季中国大会県予選決勝で境高の米田哲也に投げ勝ち本大会に進むが、準決勝でエース横溝桂を擁する岡山東商に敗れ春の選抜出場を逸する。2年時の1954年には阪神軍でプレー経験がある監督の大橋棣の下、夏の甲子園に出場。1回戦は滝川高に延長11回サヨナラ勝ち。2回戦に進出するが、榎本喜八らのいた早稲田実に敗れる。1954年は持病の肋間神経痛のため精彩を欠き、夏の県予選は準決勝で倉吉東高に敗退した。
長島 康夫(ながしま やすお、1937年 - )は、島根県安… 長島 康夫(ながしま やすお、1937年 - )は、島根県安来市出身(福岡県北九州市生まれ)の野球選手(投手)・監督。 北九州で生まれたが、1945年8月に製鉄会社に勤める父親の仕事の関係で、朝鮮東部の清津に住んでいた。旧ソ連軍の侵攻で残された家族は南を目指したが、旧ソ連占領下の平壌で収容され、小学3年時に当地で終戦を迎えた。終戦の3日前に民間召集で戦地へ行った父親は行方不明となり、母が一家を支えてきた。長島も生計を助けるため、牛乳配達をしていた。 戦後の混乱で、本土に引き揚げるまでに姉を栄養失調で失うなど、過酷な1年間を過ごしながら、母、妹と共に命からがら帰国。1946年7月に長島の家族を含む30 - 40人が収容所を脱出し、命がけで北緯38度線を越えた。
船川利夫(ふなかわ としお、1931年(昭和6年)3月10日… 船川利夫(ふなかわ としお、1931年(昭和6年)3月10日 - 2008年(平成20年)10月4日)は、島根県安来市後小路(うしろこうじ)生まれの作曲家である。箏曲家・作曲家古川太郎の高弟。代表作に、組曲「出雲路」・尺八と箏のための「複協奏曲」・交響詩「海」・飾画などがある。 富士山・九月十日・春日山懐古・峨眉山月の歌・金州城外・寒梅・常盤狐を抱くの図に題す・山行・江南の春・早に白帝城を発す 己亥の歳・静夜思・生田に宿す・海南行・川中島・夜墨水を下る・宝船・城山・楓橋夜泊・青葉の笛
横山 正克(よこやま まさかつ、1912年〈明治45年〉2月… 横山 正克(よこやま まさかつ、1912年〈明治45年〉2月4日 - 没年不詳)は日本の実業家。島根県安来市出身。 政治家の亀井久興の父親亀井茲建とは中学の同窓、高等学校で同級生だった。また亀井久興の後援会「明るい日本をつくる会」の会長を務めた。また、娘・陽子は亀井久興の妻となった。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
櫻内 乾雄(さくらうち きみお、明治38年(1905年)5月… 櫻内 乾雄(さくらうち きみお、明治38年(1905年)5月8日 - 昭和52年(1977年)4月3日)は、日本の実業家。中国電力会長を務めた。 父は商工大臣、農林大臣、大蔵大臣などを務めた櫻内幸雄。弟は衆議院議長を務めた櫻内義雄。 東京市芝区に生まれる(島根県能義郡広瀬町(現安来市)出身)。櫻内家は旧藩時代、広瀬藩士として松平家に仕えた武士の家系だった。曽祖父の四郎左衛門以前の系譜については、明らかでない。四郎左衛門の役は側用人であり、理財の道に長け、広瀬藩の財政経済については、もっぱら指導的な役割を担当した。 明治中学校(明治大学付属明治高等学校・中学校)、静岡高等学校を経て昭和5年(1930年)、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し大学院に入る。
加納 莞蕾(かのう かんらい、1904年3月1日 - 197… 加納 莞蕾(かのう かんらい、1904年3月1日 - 1977年8月15日)は、日本の画家、政治家。本名辰夫。莞蕾は雅号。島根県能義郡布部村(現在の安来市広瀬町布部)出身。マニラ軍事裁判により戦後フィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯の釈放に尽力したことで知られる。 1926年(大正15年)に上京して川端画学校および本郷洋画研究所に入り、岡田三郎助に師事し、前田寛治・佐伯祐三らと交友を深めた。 1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展に出品し、入選を重ねた。1932年から1937年まで島根県那賀郡浜田町(現在の浜田市)原井尋常高等小学校(現在の浜田市立原井小学校)に赴任し、訓導として児童の指導にあたるかたわら、中尾彰らと本格的な洋画研修会を開き、東京から中山巍を招いて指導を仰いだ。
足立 全康(あだち ぜんこう、男性、1899年(明治32年)… 足立 全康(あだち ぜんこう、男性、1899年(明治32年)2月8日 - 1990年(平成2年)12月19日)は日本の実業家。素封家。島根県能義郡飯梨村字古川(現・安来市古川町)出身。 実家は農業を営む。尋常小学校卒業後、家業を手伝う傍ら、村の商売の手伝いをし、次第に商売に深い関心を寄せてゆく。14歳の頃、炭を大八車で運搬する傍らそれを売ることで、初めて商売を手がけることになる。その後はさらに商売を手がけてゆき、類い希な商才を発揮してゆくことになる。 第二次世界大戦後は、敗戦後の瓦礫の中を駆け回り、大阪を商売の本拠地として、大阪と安来を商売で往復するようになる。その後、不動産投資を手がけるようになり、一代で財産を築く。
竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈… 竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈明治30年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の酒造家(竹内本店)、政治家。 島根県能義郡宇賀荘村(現・安来市)に岩崎庫三郎の長男として生まれ、竹内信次郎の養子となる。1921年、家督を相続する。明治大学修業。 小学校訓導を経て酒造業を営む。町会議員、町信用組合理事、出雲銀行取締役などをつとめる。 宗教は浄土宗。趣味は文学。住所は島根県大原郡加茂町(現・雲南市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
前田 孝次郎(まえだ こうじろう、1895年〈明治28年〉9… 前田 孝次郎(まえだ こうじろう、1895年〈明治28年〉9月10日 - 没年不明)は、日本の銀行家。旧姓・松本。 島根県能義郡安田村(現・安来市)の農家、松本家に生まれる。島根県能義郡立農業学校を卒業する。鳥取米子の前田家に入る。 1919年に山陰実業銀行に入り雲陽実業銀行、松江銀行勤務を経て1939年に山陰合同銀行業務部次長となり総務業務各部長を歴任、1944年に取締役業務部長に推され、同年10月に業務部長を解かれ、1946年10月に常務に進み、審査部長委嘱、1961年に監査役に就任する。 高額所得者である。米子の自宅では100本もバラを栽培して余生を楽しんだ。趣味は書画。住所は鳥取県米子市久米町。
太刀ノ海 浪右エ門(たちのうみ なみえもん、1894年7月2… 太刀ノ海 浪右エ門(たちのうみ なみえもん、1894年7月25日 - 1964年8月4日)は、現在の島根県安来市出身で友綱部屋、東関部屋、高砂部屋に所属した力士。本名は野津 貞助(旧姓草間)。8代木村瀬平。174cm、88kg。最高位は西前頭3枚目。 1913年1月初土俵。入門時は太刀山峯右エ門の弟子であった。1922年1月新入幕。突っ張りと左四つからの寄りを武器に幕内を5場所務め、1923年1月場所に最高位である西前頭3枚目まで番付を上げるが、その後病気がちで休場も多く、最後は十両であった。1925年1月に引退して8代木村瀬平を襲名した。1947年11月廃業。 1937年2月、師匠の太刀山の還暦土俵入りでは露払いを務めた。
田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月… 田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 第一次上海事変(1932年)・綏遠事件(1936年)において主導的役割を果たし、日本軍の数々の謀略に直接関与していた。太平洋戦争開戦時には陸軍省兵務局長であったため、対米作戦について関与することはなく予備役とされ、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、検事側の証人として被告に不利な証言もした。検事の求めに応じどんなことでも証言した。ことに満州国は独立国ではないと。個人的には自分と競争的立場にあった武藤章に対しては、対英米開戦の責任について徹底的に不利益な証言をした。
福島小蕾(ふくしま しょうらい、1891年〈明治24年〉7月… 福島小蕾(ふくしま しょうらい、1891年〈明治24年〉7月15日 - 1969年〈昭和44年〉2月1日)は俳人。島根県安来市今津生まれ。本名、亮。別号、梨東・梨東書屋主人。 広島高等師範学校文科中退。中学校長のち大正5年より神職。俳句は1906年(明治39年)に広江八重桜門に入り、のち奈倉梧月に師事。 「ホトトギス」「懸葵」を経て、「石楠」同人。「礼讃」(のち「白日」「契」「瓶麓」「俳句地帯」「地帯」と改題)主宰。 著書に句集『狭田長田』(昭17)。「狭田長田」「日々」「静日」「雫」。『土をしたふ』(昭和28)啓蒙書に『俳句の第一門』などがある。
河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8… 河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している。河井 寬次郎とも表記される。 当時の島根県安来町(現在の安来市)の大工の家に生まれる。旧制島根県立松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て1910年、東京高等工業学校(現東京科学大学)窯業科へ入学する。寛次郎には師と仰ぐ者がなく、師弟関係を重んじる陶工の世界にあって、学校という教育機関にて指導を受けた新しい世代の陶工となる。東京高等工業学校では、陶芸家の板谷波山の指導を受けたほか、窯業の科学的研究を行った。
釈 瓢斎(しゃく ひょうさい、1882年9月26日 - 19… 釈 瓢斎(しゃく ひょうさい、1882年9月26日 - 1945年8月6日)は、日本の作家・新聞記者である。本名永井栄蔵。別号として永井瓢斎がある。 1882年(明治14年)9月26日、島根県安来町西灘に生まれる。父親は永井彦衛門。永井家は雲伯で産出する砂鉄鋼を集出荷する鉄問屋であり、酒造業も営む地域の素封家であった。しかし、瓢斎が生まれた頃には、家運は下向き気味となっていた。松江中学校に入学したのち、万寿寺の勝平宗潤の会下に参じる。中学時代より、瓢斎の号を用いるようになる。卒業後は早稲田大学に進学するが、同郷の開業医である足立健三郎の援助を受け、第三高等学校に転学する。同校で「賄征伐の歌」を作曲。
櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年〈明治13年〉8月… 櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年〈明治13年〉8月14日 - 1947年〈昭和22年〉10月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。商工大臣、農林大臣、大蔵大臣など歴任。 元中国電力会長櫻内乾雄、元衆議院議長櫻内義雄の父。福田康夫元首相の妻貴代子や政治家の太田誠一は孫。 旧雲州広瀬藩士・櫻内和一郎の長男。東京専門学校(現:早稲田大学)中退。岐阜新聞、愛知新聞などで記者を務めていたが、実業家の雨宮敬次郎に認められ、実業界に入り、大日本軌道、日本高架鉄道の設立に参画、1907年(明治40年)に東洋競馬会を起こして理事。 また銚子、石巻、埼玉、逗子などで電燈会社を創業、1910年(明治43年)に日本電燈株式会社を設立し取締役。
広江八重桜(ひろえやえざくら、1879年(明治12年)3月1… 広江八重桜(ひろえやえざくら、1879年(明治12年)3月11日 - 1945年(昭和20年)10月8日)は、日本の俳人。 島根県能義郡赤江村大字中津(現・安来市東中津町)に生まれる。 本名・直治。蚕豆庵(さんとうあん)と号した。当時の大地主である広江忠四郎の長男。夫人コノとの間に二男二女がある。晩年に村内に郵便局を開設したが、すべて次男まかせであったという。 俳句は中学二年頃からはじめ、大谷繞石の指導する碧雲会に参加、正岡子規選の『日本』俳壇や『ホトトギス』に投句。非常な多作家で、子規は「八重桜を以って第一の多作者となす。一季優に千句を下らざるもの数年」と評した。 のち河東碧梧桐に師事、新傾向俳句を詠み「海紅」の選者も務めたが、中塚一碧楼の義弟、中塚響也と「渚」を創刊後は定型に戻った。
奥野 政次郎(おくの まさじろう、1876年〈明治9年〉3月… 奥野 政次郎(おくの まさじろう、1876年〈明治9年〉3月 - 没年不明)は、日本の農民、実業家。 島根県・奥野周義の二男。1912年、家督を相続する。農業を営む。島根県種苗社長、島根県農会副会長、能義郡農会長、米子銀行取締役、奨恵銀行監査役などをつとめる。 趣味は農耕。宗教は曹洞宗。住所は島根県能義郡母里村大字西母里(のち伯太町、現安来市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
加藤 景雲(かとう けいうん、1875年 - 1943年)は… 加藤 景雲(かとう けいうん、1875年 - 1943年)は、明治時代から昭和時代初期に活躍した彫刻家である。高村光雲の弟子であり、木彫の鬼才と言われた。岡倉天心を会頭とした日本彫刻会を立ち上げた6人の初期メンバーの一人である。近代彫刻の発展に尽力した。 1875年(明治8年)5月9日、宮大工 加藤惣太郎の次男として、島根県安来市荒島町に生まれる。本名は喜次郎。小学校を卒業すると家業の宮大工を習い、建築彫刻、寺社彫刻を学ぶ。 18歳の時八幡町の欄間に龍を彫って評判を取る。 1895年(明治28年)米原雲海の勧めで上京し、高村光雲のもとで5年間修行する。光雲塾における木彫手本の模写は常に満点であったと伝えられる。
宇山 熊太郎(うやま くまたろう、1873年(明治6年)11… 宇山 熊太郎(うやま くまたろう、1873年(明治6年)11月3日 - 1948年(昭和23年))は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 島根県出身。のちの能義郡広瀬町(現安来市)で生まれる。1896年(明治29年)11月に陸軍士官学校(第8期)を卒業し、1897年(明治30年)6月、砲兵少尉に任官。 1903年(明治36年)、砲兵大尉に進み野戦砲兵第2連隊中隊長となり日露戦争に従軍した。1920年(大正9年)4月に野砲兵第1連隊長、同年9月に陸軍砲兵大佐を経て、1924年(大正13年)12月に陸軍少将・澎湖島要塞司令官に任官。 その後、1926年(大正15年)3月に野戦重砲兵第1旅団長を経て、1928年(昭和3年)3月8日に待命、同月29日に予備役に編入した。
山田 孝道(やまだ こうどう、1863年8月1日 - 192… 山田 孝道(やまだ こうどう、1863年8月1日 - 1928年1月7日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。曹洞宗大学林(現・駒澤大学)教頭。地福寺住職、大龍寺住職、大慈寺住職。道号は哲巌、湖南と号することも。世寿満64才、数66歳。 1863年(文久3年)8月1日、島根縣能義郡廣瀨町(現・島根県安来市)、広瀬藩士山田央(益之)の三男として生れる。幼名は恭三郎。明治11年5月27日、同縣能義郡澤村地福︀寺の住職影山虚巖について得度。明治9年9月から11年8月まで廣瀨町修文館にて漢学を修める。明治11年9月から兵庫県三田村心月院の住職蘆浦黙應に随侍し、明治14年8月、島根県曹洞宗専門支校を卒業、同年冬、島根県山中村(伯耆)の退休寺太田有典の常恒会にて長老を勤める。
並河 理二郎(なびか りじろう、1860年9月25日(万延元… 並河 理二郎(なびか りじろう、1860年9月25日(万延元年8月11日)- 1926年(大正15年)6月4日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、島根県会議長、島根県能義郡安来町長。本家並河家14代当主。号・適處(てきしょ)。 出雲国能義郡安来町(島根県能義郡安来町を経て現安来市)で、本家並河家12代・三郎兵衛方月の二男として生まれた。山村勉斎に師事し漢学を修めた。1877年(明治10年)6月、本家並河家14代の家督を相続した。 安来村戸長、学務委員、所得税調査委員、安来町会議員、徴兵参事員、島根県会議員、同議長、安来町長、能義郡会議員、島根県農会長、地方森林会議員、能義郡教育会長などを務めた。
佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん/ ぜんえもん、185… 佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん/ ぜんえもん、1852年(嘉永5年1月) - 1917年(大正6年)8月16日)は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。幼名は猪太郎。 出雲国能義郡荒島村(現島根県安来市)に生まれる。生家は代々商業を営んだ。和漢学を修めた。1881年(明治14年)島根県会議員に当選し、ついで常置委員となり、副議長を兼任した。1884年(明治17年)任期満了ののち、再度県会議員に再選される。ほか、地方衛生会委員を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第2区から出馬し当選。つづく第2回総選挙でも当選した。 1890年、松江日報社の設立に参画し総代となる。
21代 田部 長右衛門(たべ/たなべ ちょうえもん、1850… 21代 田部 長右衛門(たべ/たなべ ちょうえもん、1850年10月16日〈嘉永3年9月11日〉 - 1942年〈昭和17年〉2月14日)は、明治から大正期の政治家、実業家、林業家。貴族院多額納税者議員。名は長秋。田部本家第21代当主。 出雲国能義郡母里村(伯太村、伯太町を経て現・島根県安来市)で宇山清左衛門の弟として生まれる。1874年(明治7年)1月、飯石郡吉田村(現・島根県雲南市吉田町吉田)でたたら製鉄業を営む20代田部長右衛門周重の養嗣子となる。1885年(明治18年)4月、家督を相続し、21代『田部長右衛門』を襲名する。 1879年(明治12年)、出雲国鉄師頭取に就任するが、洋鉄の流入により、1923年(大正12年)に和鉄経営を廃業した。
母里 由美子(もり ゆみこ、3月19日 - )は、日本の作曲… 母里 由美子(もり ゆみこ、3月19日 - )は、日本の作曲家、歌手、ピアニスト、アレンジャー、音楽プロデューサー。六子のサポートメンバーであり、ピアノとコーラスを担当する。有限会社ミューズランプに所属していた。 島根県安来市出身。血液型O型。年齢不詳希望[要説明]。 趣味は料理と匂い[要説明]。そして後悔しながらの飲酒。