藤川 拓也(ふじかわ たくや、1992年12月17日 - )… 藤川 拓也(ふじかわ たくや、1992年12月17日 - )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。広島県庄原市出身。三次市立十日市中学校・広島県立世羅高等学校・青山学院大学国際政治経済学部卒業。中国電力陸上競技部所属・同陸上部主将。
広島県 庄原市:33人
※有名人ナビに登録されている33人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
藤川 拓也(ふじかわ たくや、1992年12月17日 - )… 藤川 拓也(ふじかわ たくや、1992年12月17日 - )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。広島県庄原市出身。三次市立十日市中学校・広島県立世羅高等学校・青山学院大学国際政治経済学部卒業。中国電力陸上競技部所属・同陸上部主将。
池田 敏樹(いけだ としき、1984年7月29日 - )は、… 池田 敏樹(いけだ としき、1984年7月29日 - )は、地方競馬の笠松競馬場栗本陽一厩舎に所属していた、広島県庄原市出身の元騎手。地方競馬教養センター騎手課程第75期生。 2002年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月13日第1回福山競馬1日目第5競走アラブ系3歳条件戦ナタリーサンダーで初騎乗(9頭立て3番人気6着)。同日第8競走アラブ系C2条件戦をタッカーコトワで優勝(10頭立て2番人気)し、3戦目で初勝利。 2003年NARグランプリ2003、地方競馬優秀新人騎手賞受賞。同年第36回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞地方競馬新人賞受賞。 2004年地方競馬通算100勝達成。同年3月22日第18回全日本新人王争覇戦出場(12人中4位)。
田森 大己(たもり だいき、1983年8月5日 - )は、広… 田森 大己(たもり だいき、1983年8月5日 - )は、広島県庄原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 1990年に庄原フットボールクラブ所属、後1996年にサンフレッチェ広島ジュニアユース、1999年に広島ユースへ昇格。主に中村重和から指導を受けた。同級生に宮本卓也。ユース時代はボランチとして活躍。2000年には全広島サッカー選手権大会初優勝に貢献し、天皇杯に出場している。 その後法政大学に進学し、ボランチとCBを務め、関東大学サッカーリーグ戦の準優勝に貢献する。 2005年にヴァンフォーレ甲府の練習生としてトレーニングに参加。2006年シーズンから甲府のメンバーとなる。豊富な運動量を武器にすばやいプレスをかける。
坂口 赤道(さかぐち せきどう、本名:坂口 直樹(さかぐち … 坂口 赤道(さかぐち せきどう、本名:坂口 直樹(さかぐち なおき)、1977年5月21日 - )は、日本の書家、詩人。世界遺産広島県宮島観光大使(厳島)。シンガーソングライター、料理アドバイザーとしても活動する。 書家としての雅号は坂口赤道、本名は坂口直樹、詩人としてのニックネームはぐっち。その時々の活動スタイルに応じて、3つの名前を使い分けていた。 雅号の坂口赤道という名は、地球儀上の赤道のように、熱き情熱の書家として、世界中を駆け巡れ、との思いを込めて、複数の書道家の先達に名づけられる。ぐっちというニックネームはメモリアルポエムを書く際によく用いられていたが、現在は詩人名も坂口赤道で統一している。
JUJU(ジュジュ、1976年2月14日 - )は、日本の歌… JUJU(ジュジュ、1976年2月14日 - )は、日本の歌手。広島県庄原市出身。ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ所属。身長166cm。
瀬尾 公治(せお こうじ、1974年7月26日 - )は、日… 瀬尾 公治(せお こうじ、1974年7月26日 - )は、日本の漫画家。広島県庄原市(旧比婆郡高野町)出身。血液型O型。
谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - … 谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - )は、元プロ野球選手(捕手)、元監督、野球解説者。2014年シーズンより中日ドラゴンズ選手兼任監督、2016年シーズンは専任監督を務めた。
金光 一昭(かねみつ かずあき、別名:BB金光、1968年〈… 金光 一昭(かねみつ かずあき、別名:BB金光、1968年〈昭和43年〉1月12日 - )は山口県を拠点に活動するフリーパーソナリティで、元エフエム山口(FMY)のラジオパーソナリティ。 広島県庄原市出身。近畿大学を卒業後は、フリーアナウンサーとして中国放送(RCC)を中心に広島県内の各放送局で活動。 1993年8月、エフエム山口入社。以降、ラジオパーソナリティとしての活動のほか技術や作家を含め番組製作業務全般に携わる。最終肩書は「編成制作部次長」。2022年7月31日をもって同局を退社。 同年8月、株式会社「SWING E.C.」設立。フリー転向後も、社員時代の出演番組等は変わらず、社員時代に収録したCMはそのまま継続使用されている。
小林 誠二(こばやし せいじ、1958年1月22日 - )は… 小林 誠二(こばやし せいじ、1958年1月22日 - )は、広島県比婆郡高野町(現:庄原市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。解説者時代から中日二軍投手コーチ時代の2010年までは小林 聖始(読みは同じ)と改名していた。
藤谷 道夫(ふじたに みちお、1958年 - )は、日本のイ… 藤谷 道夫(ふじたに みちお、1958年 - )は、日本のイタリア文学者、慶應義塾大学教授。 広島県庄原市出身。1983年慶應義塾大学文学部仏文科卒、1991年筑波大学大学院博士課程単位取得退学。慶應義塾大学文学部准教授、2013年教授。
茶木 則雄(ちゃき のりお、1957年 - 2024年9月)… 茶木 則雄(ちゃき のりお、1957年 - 2024年9月)は、日本のライター、書評家、書店員。日本推理作家協会会員。 『このミステリーがすごい!』大賞選考委員を第15回まで務める。 広島県庄原市生まれ。東京大学を目指して、3年浪人。青山学院大学中退。在学中は推理小説研究会に所属。 アルバイトをしていた阿佐ヶ谷の書店「書楽」で白夜書房の藤脇邦夫と知り合い、PR誌『白夜通信』に寄稿。1986年に開店した神楽坂のミステリー専門書店「ブックスサカイ深夜プラス1」の店長を務める。そのかたわら『本の雑誌』に連載をはじめ、書評家、エッセイストとしても活躍し、10年後にフリーライターに転身。2002年に書店の現場に復帰し、ときわ書房本店・聖蹟桜ヶ丘店・いわき店の兼任店長。
西田 篤史(にしだ あつし、1956年7月8日 - )は、広… 西田 篤史(にしだ あつし、1956年7月8日 - )は、広島県庄原市出身のローカルタレント。身長173cm。体重59kg。血液型A型。放送番組の制作などを行う『OFFICE AT'S』の代表取締役[4]でもある。
林 英哲(はやし えいてつ、1952年2月2日 - )は、日… 林 英哲(はやし えいてつ、1952年2月2日 - )は、日本の太鼓奏者、作曲家。 広島県庄原市東城町出身。実家は真言宗御室派の寺院で、8人兄弟の末っ子である。広島県立東城高等学校を卒業後の1970年(昭和45年)に、美大を目指して上京した。翌1971年(昭和46年)に「佐渡・鬼太鼓座」の創設に誘われて参加。「鼓童」の創設にも関わり、11年間のグループ活動を経た1982年にソロ奏者(ソリスト)として独立した。 1984年(昭和59年)にはオーケストラ曲『交響的変容』(水野修孝作曲)で、和太鼓ソリストとして初となるカーネギー・ホール(マンハッタンのコンサートホール)での演奏を果たした。 若手和太鼓奏者と組んだ「英哲風雲の会」というユニットでの活動もある。
友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )… 友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )は、日本の陸上競技選手。日本陸上競技連盟副会長、日本実業団陸上競技連合理事長。 広島県庄原市宮内町出身。 1967年、広島県立三次工業高校(現・広島県立三次青陵高校)卒業後、日立に勤務。1969年 - 1974年、日本選手権400m6連勝。1972年 - 1975年、日本選手権200m4連勝。1970年、第6回アジア競技大会(バンコク)400mで46秒6の日本新記録で優勝。1972年ミュンヘンオリンピック400mに出場した。 日本実業団陸上競技連合理事長(2007年12月の五島哲会長の急死で一時会長代行兼務)を務め、企業チームの縮小問題や小林祐梨子の実業団大会出場問題などの折衝にあたる。
竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日… 竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日本の陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)出身。町立の美古登小学校、西城中学校を経て、盈進高等学校卒業。日立造船に所属。1971年、第11回実業団・学生対抗陸上競技大会の3000メートル障害で優勝。 1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。記録は1次予選で5着(8分40秒4)で、予選通過はならなかった。
大竹 美喜(おおたけ よしき、男性、1939年5月14日 -… 大竹 美喜(おおたけ よしき、男性、1939年5月14日 - )は、日本の実業家。アメリカンファミリー生命保険(AFLAC)日本支社設立者、元日本における代表者・社長・最高顧問。日本における外資系生命保険・がん保険の草分け。広島県庄原市出身。 中国山地豪雪地の農家の生まれ。広島県立庄原実業高校在学中は、サッカー部を創設するなどスポーツ少年だった。広島農業短期大学(現県立広島大学)卒業後、市長から農村の指導者になって欲しいと頼まれ、1960年に畜産技師を目指し米国に留学。ところが帰国した時は高度成長期の最中で農業は衰退しかかっており、転換期で諦め、地元選出の代議士・永山忠則(元自治大臣)の秘書となる。
宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月… 宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月21日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業会長、元日本自動車工業会会長。 広島県庄原市出身。1961年に法政大学経済学部を卒業し、1966年に本田技研工業に入社する。米国法人アメリカンホンダモーター社長などを経て、1984年に取締役、1987年に常務、1989年に代表取締役専務、1990年に代表取締役副社長に就任する。1997年6月から代表取締役会長に就任し、退任後、特別顧問を務める。2002年5月、ホンダ出身者で初めて日本自動車工業会会長に就任する。同年、日本自動車研究所理事長。 北米におけるホンダブランドを確立し、また早くから中国市場開拓を強力に推進した。
亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、… 亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。通常は新字体で亀井静香と表記。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。
亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、… 亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。通常は新字体で亀井静香と表記。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。
亀井 郁夫(かめい いくお、1933年〈昭和8年〉11月1日… 亀井 郁夫(かめい いくお、1933年〈昭和8年〉11月1日 - 2019年〈令和元年〉5月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。学校法人萩学園理事長、学校法人こおりやま東都学園理事長。弟は衆議院議員の亀井静香(誕生日は1936年の同じ日)。 広島県比婆郡山内北村(現・庄原市川北町)出身。旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立国泰寺高等学校)、広島県立広島皆実高等学校を経て、東京大学法学部を卒業。1957年に旭化成工業に入社し、1985年には取締役合成樹脂第一事業部長兼会長付に就任したが、翌1986年に退社。 1987年に広島県議会議員に初当選し、以後二期連続当選。1993年に県議を辞職して広島県知事選挙に立候補するが藤田雄山に敗れる。
湯川 仁(ゆかわ まさし、旧姓:藤原、1933年6月3日 -… 湯川 仁(ゆかわ まさし、旧姓:藤原、1933年6月3日 - 1980年5月28日)は、日本の哺乳類研究家。広島県出身。 広島県比婆郡比和町(現庄原市比和地区)に生まれた。比婆郡を中心とする広島県北東部で、主に小型哺乳類の研究、特に食虫類やげっ歯類の標本収集、生活史の研究を行なった。比和自然科学博物館を基盤として行動していたが、その立場は博物館の学芸員補(1953年 - 1958年)、および比和町教育委員会職員(1958年以降)であり、実質的には在野のアマチュア研究家であった。1980年没。 死後に湯川の研究は再評価され、1997年には「第1回 野生動物の保護をめざすもぐらサミット」が比和町で開かれた。
田中 茂樹(たなか しげき、1931年(昭和6年)4月7日 … 田中 茂樹(たなか しげき、1931年(昭和6年)4月7日 - 2022年(令和4年)10月4日)は、日本の元マラソン選手、日本人初のボストンマラソン優勝者。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。身長162cm。庄原市民栄誉賞。 1931年(昭和6年)4月7日、中国山地山間の農村・広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)に生まれる。 14歳の時、国民学校での朝礼中、130キロ離れた広島市に投下された原爆の閃光を見た。まもなく大やけどを負った被爆者が、田中の村にもたくさん運び込まれて寺で焼かれた。「アメリカは人殺しの国じゃ」と憎悪を募らせた。 14歳で父を亡くし、2人の兄は軍隊に召集された。そのため牛の手綱を取り田畑を耕作し、母の農作業を手伝いながら1年遅れで広島県比婆西高等学校(現・広島県立庄原実業高等学校、庄原格致高等学校)比婆西高校に進学。
山口 信夫(やまぐち のぶお、1924年12月23日 - 2… 山口 信夫(やまぐち のぶお、1924年12月23日 - 2010年9月14日)は、日本の実業家。第17代日本商工会議所会頭、元旭化成代表取締役会長・代表取締役名誉会長。2007年旭日大綬章。 広島県甲奴郡総領町(現・庄原市)出身。1942年広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)卒業、1943年陸軍予科士官学校卒業を経て、1945年6月陸軍士官学校(58期)を首席で卒業し、少尉として平壌へ出征。ソ連タタール共和国での抑留生活を経験した。 復員後の1952年東京商科大学 (旧制)(現・一橋大学)卒業、同年旭化成入社。同社の「中興の祖」宮崎輝元社長の右腕となり、1974年住宅事業部長に就任し赤字部門からグループ内で最も利益を上げる部門に転換させた。
田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正1… 田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正13年)9月12日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の政治家、医師。京都市長。広島県出身。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)の生まれ。1937年(昭和12年)12歳で大阪に出て旧制四条畷中学(現・大阪府立四條畷高等学校)を経て京都府立医科大学進学。1948年(昭和23年)卒業後、同大学整形外科助手を務めた後、1957年(昭和32年)京都市四条通沿いに田辺医院を開業。1966年(昭和41年)京都府医師会理事から副会長を経て1984年(昭和59年)京都府医師会長就任。 1989年(平成元年)古都税紛争を引き起こした今川正彦前市長の任期切れに伴う京都市長選挙で、2位の共産党推薦の木村万平と321票差の僅差で当選。
西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日… 西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日 - 2006年6月7日) は、日本の精神科医。モンテッソーリ教育による幼児・障害者教育にも携わった。 広島県庄原市出身。1944年、台北帝国大学医学部を卒業する。台北帝国大学医学部精神科、九州大学医学部精神科に勤務した。1951年、国立久里浜病院医長となる。 1952年、九州大学にて医学博士号を取得し、慶応義塾大学医学部精神科に勤務した(他に群馬大学医学部および広島大学教育学部講師を務める)。 1957年、呉市に「安浦病院」を開設、同時に現在の広島市西区に「教育医学研究所」を設立した。「モンテッソーリ子どもの家」を中心に、精神科リハビリの生理学的治療を実施した。
高橋 成通(たかはし せいつう、米国名: Seytsu Ta… 高橋 成通(たかはし せいつう、米国名: Seytsu Takahashi、1905年(明治38年)12月1日 - 1984年(昭和59年)4月1日)は、日本の高野山真言宗の僧侶。ロサンゼルス高野山別院・第4代主監であり、仏教伝道師でもある。広島県庄原市出身。 1905年(明治38年)、広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で出生する。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、後に京都社寺信用組合(現・京都信用金庫)理事長、京都市観光局長を務める小橋確治がいた。1925年(大正14年)3月に同校を卒業。その後、僧侶として修行する傍ら、高野山大学一般仏教学科へ進学し、1931年(昭和6年)同校を卒業する。
中津井 真(中津井 眞、なかつい まこと、1903年(明治3… 中津井 真(中津井 眞、なかつい まこと、1903年(明治36年)4月1日 - 1986年(昭和61年)9月29日)は、昭和期の政治家。参議院議員(2期)、広島県議会議長、大竹市名誉市民。 広島県比婆郡西城町(現庄原市)で生まれる。1920年(大正9年)広島教育養成所を中退した。 1947年(昭和22年)広島県議会議員に選出され5期在任し、この間、同議長も務めた。その他、自由民主党広島県連幹事長、広島県私立学校審議会会長などを歴任した。1964年(昭和39年)2月、大竹市文化会館建設費として10万円寄付により1966年(昭和41年)10月19日、紺綬褒章受章。 岩沢忠恭の死去に伴い、1966年(昭和41年)1月に実施された第6回参議院議員通常選挙広島県地方区補欠選挙に自民党公認で出馬して初当選し、1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
永山 忠則(ながやま ただのり、1897年(明治30年)10… 永山 忠則(ながやま ただのり、1897年(明治30年)10月14日 - 1984年(昭和59年)6月13日)は、昭和期の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、自治大臣・国家公安委員会委員長、広島県庄原市長を歴任した。勲一等旭日大綬章受章(1969年)。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。庄原市名誉市民(1981年)。 広島県立広島中学校(現・広島県立国泰寺高校)出身で岩畔豪雄と同級。1924年に中央大学法学部予科を卒業後、女子師範学校の教師を務めた。1926年、20代で敷信村(現・庄原市)村長となり、八期務めた。その後、広島県議会議員を経て1936年の第19回衆議院議員総選挙に昭和会公認で初当選。
細川 鉅(ほそかわ つよし、1895年(明治28年)6月21… 細川 鉅(ほそかわ つよし、1895年(明治28年)6月21日 - 没年不明)は日本の実業家である。野村證券に務めた後、野村財閥直系・航空用ガソリンメーカーであった帝国潤滑油社長を務めた。広島県庄原市出身。 1895年(明治28年)広島県比婆郡東城町(現:庄原市)の細川平左衛門の次男として出生する。1908年(明治44年)地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1914年(大正3年)に同校を卒業する。その後、岡山市にある旧制第六高等学校へ進学する。1918年(大正6年)に同校を卒業する。同年、京都帝国大学法科大学政治経済学科へ進学。1921年(大正9年)京大を卒業する。
藤井 深造(ふじい しんぞう、1893年12月13日 - 1… 藤井 深造(ふじい しんぞう、1893年12月13日 - 1970年9月8日)は大正~昭和期の実業家。新生三菱重工業初代社長。広島県三次郡庄原(現庄原市)出身。 旧制三次中学(現三次高校)から第一高等学校を経て1918年、東京帝国大学法学部卒業。三菱合資長崎造船所に入社。営業畑を歩み常務を経て戦後1950年、過度経済力集中排除法により、同社が地域別に三分割されたうちの中日本重工業社長に就任。三社の中で最も赤字が多く、貧乏くじを引いたと言われたが、朝鮮戦争の特需などにより三社のトップに業績を引き上げた。1959年、一旦会長に退いたが、吉田義人社長の病死で再び社長に再登板。続いて日本の開放経済への移行に備えて企業体質の強化を図り1964年、三菱系3重工の合併を実現させ新生三菱重工業初代社長に就任した。
沢原 精一(澤原 精一、さわはら せいいち、1871年9月1… 沢原 精一(澤原 精一、さわはら せいいち、1871年9月18日〈明治4年8月4日〉 - 1953年〈昭和28年〉7月1日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家、広島県多額納税者、地主・家主。貴族院多額納税者議員。勲四等。呉商工会議所顧問。族籍は広島県平民。 広島県比婆郡山内東村(現・庄原市)出身。戸谷次助の二男。幼少の頃に賀茂郡荘野村の叔父岡崎鼎の養子となる。1896年(明治29年)7月に先代ウタの入夫となり1902年(明治35年)9月に家督を相続した。 1896年(明治29年)以降、呉貯蓄銀行取締役、呉陽倉庫、瀬戸内海横断電力、呉製氷各社長、沢原銀行取締役のほか、呉商業会議所会頭、呉市会議長、日本放送協会理事、広島県商工団体連合会顧問、呉信用組合長などを歴任した。
山内 吉郎兵衛(吉郎兵衞、やまうち きちろべえ、1849年1… 山内 吉郎兵衛(吉郎兵衞、やまうち きちろべえ、1849年10月4日〈嘉永2年8月18日〉 - 1927年〈昭和2年〉8月21日)は、日本の弁護士。政治家、衆議院議員(1期)。諱は春正。 備後国恵蘇郡本郷村(のち広島県比婆郡山内西村、現・庄原市)生まれ。国学と仏学を学ぶ。村吏、広島藩御用掛、戸長、学区取締、地租改正郡代議員、小区及び村総代、地租改正郡米価選定委員を経る。また、代言人となる。広島県会議員、同副議長、同議長、地方衛生委員、検疫委員を務めた。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において広島9区からで自由党公認で立候補したが17票差で落選した。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で憲政党から立候補して当選する。
金藤 理絵 は、日本の元競泳選手。2016年リオデジャネイロ… 金藤 理絵 は、日本の元競泳選手。2016年リオデジャネイロオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト。広島県庄原市山内町出身。平泳ぎを専門種目としており、特に200mを得意としている。2018年3月に現役引退。血液型はA型。