大西 由菜(おおにし ゆな、2006年〈平成18年〉11月2… 大西 由菜(おおにし ゆな、2006年〈平成18年〉11月23日 - )は、香川県観音寺市出身の陸上競技選手。専門は長距離走、3000mSC。四国学院大学香川西高等学校卒業。城西大学経営学部在学中。 観音寺市立中部中学校、四国学院大学香川西高等学校卒業。 2025年の全日本大学女子駅伝では3区に出走。同学年の本間香、3学年先輩の兼子心晴の連続区間賞・区間新で城西大は独走を図る中、大西も区間3位ながら3区間連続区間新記録で1位を保つ。城西大の25年ぶり3度目の総合優勝に貢献した。富士山女子駅伝でも8区で村山愛美沙(東北福祉大)との駆け引きの末競り勝ち、城西大の初優勝に貢献した。 この頃から3000mSCを専門とする。
永田 寛哲(ながた ひろあき、1979年1月25日- )は、… 永田 寛哲(ながた ひろあき、1979年1月25日- )は、日本の実業家。株式会社ユービック代表取締役、ピクシブ株式会社取締役会長。女性アイドルグループ・虹のコンキスタドールプロデューサー。小板橋 英一の筆名で編集者・ライターとしても活動している。香川県観音寺市出身。
合田 正和(ごうだ まさかず、1977年12月22日 - )… 合田 正和(ごうだ まさかず、1977年12月22日 - )は、香川県観音寺市(伊吹島)出身でXリーグの相模原ライズ所属のアメリカンフットボールプレイヤー、二子山部屋所属の元大相撲力士。ポジションはOL(オフェンスライン)、身長191cm、体重135kg。大相撲時代の四股名は貴伊吹(たかいぶき)、最高位は序二段80枚目。 伊吹中学校在籍時は陸上部に所属し、砲丸投げで県大会優勝。 中学時代から巨漢であったため大相撲の二子山親方(元大関貴ノ花)にスカウトされ角界入り。1993年3月場所、貴伊吹の四股名で初土俵。1994年5月場所で自己最高位の序二段西80枚目。1995年3月場所限りで引退、帰郷。 その後尽誠学園高等学校に入学し、再び陸上部砲丸投げ選手となる。
Ikoman (イコマン 、1976年3月19日 - )は、… Ikoman (イコマン 、1976年3月19日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ミキシング・エンジニア、作曲家、編曲家、マルチプレイヤー。本名は生駒 龍之介(いこま りゅうのすけ)。 香川県出身。高校時代はギター同好会に所属していた。血液型はA型。 大塚愛、FLOW、エレファントカシマシ、Rie fu、WILD FLOWER、YUI、Younha、DUSTZ、ステレオポニー、紗希、外川陽子、鮎川麻弥、JOY、RYTHEM、倖田來未、鈴木亜美、SEKAI NO OWARI、藤田麻衣子、杉恵ゆりか、wacci、AAA 、penthouse、LAMP IN TERREN、嘘とカメレオン 、Dannie May、the engy 、ゴホウビ、…等のサウンドプロデュース、ミックス、楽曲提供、編曲、マニピュレートなどを手掛ける。
三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、香… 三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は中日ドラゴンズのスカウトを務めている。 香川県立観音寺第一高等学校入学時は外野手であったが、当時の監督に勧められ投手に転向。岡山理科大学は中国地区大学野球連盟の二部リーグで、本人曰く「うちの高校のほうが強いんじゃないかというぐらいのチーム」だった。当時は全くの無名選手だったため、高校は一般入試で、大学は野球とは関係ない指定校推薦でそれぞれ入学している。2年秋には2部リーグ優勝でMVP、ベストナインを獲得して3年からは主将も務めるとその春も優勝したがいずれも入替戦で敗れた。 大学卒業後は野球をやめるつもりで就職活動をしていたが、父親の知り合いの紹介で社会人野球のNTT四国のテストを受け高評価を得る。
たいぞう(本名:横山 泰三〈よこやま たいぞう〉、1974年… たいぞう(本名:横山 泰三〈よこやま たいぞう〉、1974年1月12日 - )は、日本のお笑いタレント、画家。吉本興業所属。香川県観音寺市出身。香川県観音寺市ふるさと応援大使、大阪府障害者芸術文化大使でもある。 尽誠学園高等学校卒業。マッシュルームカットが特徴。 アホキャラクターで活動する一方で、画才も認められており個展を開催している。 大阪NSC11期生。同期には陣内智則、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロック、烏川耕一がいた。他事務所では児嶋一哉(アンジャッシュ)と同期にあたる。 田野島秀和と「ギャグガスバクハツ」というコンビを結成する。当時、ぜんじろうのテレビ番組によく出演していた。
川原 実(かわはら みのる、1965年3月20日 - )は、… 川原 実(かわはら みのる、1965年3月20日 - )は、日本のプロゴルファー。観音寺ゴルフセンター所属。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、明治大学経営学部卒業。 1983年(昭和58年)日本ジュニアゴルフ選手権競技に於いて、男子選手4位の成績を残す。 観音寺第一高校卒業後、明治大学に進学。同大学体育会ゴルフ部に在籍。1985年(昭和60年)8月2日、第33回関東学生ゴルフ選手権に於いて、5位タイの成績を収める。また、日本大学1年生であった川岸良兼も同大会に初参加、9位タイの成績であった。 明治大学卒業後、1990年(平成2年)5月25日、ツアープレイヤーに転向。1991年(平成3年)7月11日、YONEXオープン広島でプロデビューする。
葛川 健司(くずかわ けんじ、1960年4月10日 - )は… 葛川 健司(くずかわ けんじ、1960年4月10日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
安藤 芳樹(あんどう よしき、1957年 - )は、日本の実… 安藤 芳樹(あんどう よしき、1957年 - )は、日本の実業家、経営コンサルタント。オフィス・ミクラス代表、「セブンチャート仕事術」の立案者でベストセラービジネス書の著者。麺通団副団長、讃岐うどんブームの仕掛け人。 1957年、香川県観音寺市生まれ。香川県立観音寺第一高等学校を経て、立教大学経済学部卒業。高校時代はサッカー部主将を務めた。 その後、ADKホールディングスで営業マネージャーとして勤務。その頃、ピーター・ドラッカーの理論と出会い、理解と実践をしようと試みたものの一度は挫折する。しかし、セミナーで学んだチャートによって構造化すると、難解な理論が理解できるようになることを知り、独自の仕事術を編み出し、2021年には書籍化した。
木川 泰弘(きがわ やすひろ、1956年10月17日 - )… 木川 泰弘(きがわ やすひろ、1956年10月17日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は棒高跳。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊工業高等学校から順天堂大学に進学し、その後は教職員。 高校2年生時の1973年、インターハイ棒高跳で優勝。準優勝は同校で1学年上の高橋卓巳だった。 翌1974年のインターハイでも連覇を達成。同年、テヘランアジア大会に出場し、5m00(当時の高校日本記録)で金メダルを獲得した。 1978年に開催されたバンコクアジア大会にも出場し、5m00で銅メダルを獲得。 1979年、東京で開催されたアジア陸上選手権でも5m00で銅メダルを獲得。 香川県内では鉄道ファンとしても知られている。
高橋 卓巳(たかはし ともみ、1956年1月29日 - )は… 高橋 卓巳(たかはし ともみ、1956年1月29日 - )は、日本の男子陸上競技(棒高跳)選手。名前については、現役時代のマスコミ報道で「高橋卓己」と表記されていた例が複数あり、2015年の時点でもそのように表記されていた。 香川県三豊郡大野原町(現:観音寺市)出身。香川県立三豊工業高等学校3年時の1973年、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)の棒高跳で準優勝。この時の優勝者は、同じ高校の1学年後輩である木川泰弘だった。 中京大学卒業後は香川県教職員となる。1978年、日本陸上競技選手権大会で初優勝。バンコクアジア大会棒高跳に出場し、5メートル (m)10で金メダルを獲得。 1980年、日本選手権で2年ぶり2回目の優勝。
立野 政治(たちの まさはる、1955年10月5日 - )は… 立野 政治(たちの まさはる、1955年10月5日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手(投手)。1985年の登録名は立野 正士(たちの まさし)。 PL学園高では3年夏にチームは府大会準優勝も平山正人らに隠れていた。社会人野球の日本楽器に入社。1976年の日本選手権1回戦では日鉱佐賀関・藤沢公也と9回を投げ合って1失点で惜敗するとプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名されるも入団せずに残留。 1980年は都市対抗野球に補強選手として登板、秋の日本選手権でも決勝で救援登板し、オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団する。 1年目の1981年に6勝を記録する活躍を見せた。 2年目以降は成績が伸び悩み、5年目の1985年限りで現役を引退。
浜田 恵造(濵田 惠造、はまだ けいぞう、1952年〈昭和2… 浜田 恵造(濵田 惠造、はまだ けいぞう、1952年〈昭和27年〉1月10日 - )は、日本の大蔵・財務官僚、政治家。香川県知事(公選第17・18・19代)を務めた。 香川県観音寺市観音寺町出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。官庁訪問の時に財政だけではなく、金融や国際的なことなどもできると思い、1975年(昭和50年)に大蔵省(現:財務省)へ入省。配属先は大臣官房調査企画課(現:総合政策課)。経済見通しの調整を担当。理財局の係長時代は道路公団や住宅金融公庫の査定結果の取りまとめ業務に携わる。銀行局総務課長補佐時代では金融関係の税制を担当。1986年(昭和61年)6月に主計局主計官補佐(農林第四係主査)。
芦原 すなお(あしはら すなお、1949年9月13日 -)は… 芦原 すなお(あしはら すなお、1949年9月13日 -)は、日本の作家。本名 蔦原 直昭(つたはら なおあき)。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、早稲田大学第一文学部独文科卒業。 小学校の教員をしていた実父が、子供たちのために買ってくれた世界少年少女文学全集が文学に親しむきっかけとなった。小、中学で全巻を読破する。物語一つ一つがおもしろくて、まるで魔法にかけられたかのようだった。いずれ自分も魔法を使う側になりたい、そのうちいつか自分も物語を書くだろうと思っていたという。大学もすんなり文学部を選び、早稲田大学第一文学部に進んだ。 早稲田大学大学院博士課程中退後、帝京短期大学講師を務める傍ら執筆活動を行う。
日下 潤一(くさか じゅんいち、1949年 - )は、日本の… 日下 潤一(くさか じゅんいち、1949年 - )は、日本のブックデザイナー。香川県観音寺市生まれ、大阪育ち。 大阪を拠点にデザイナーとして活動し、あわせて映画自主上演グループ「フィルムジャム」、シルクスクリーン工房「絹屋」を主宰。雑誌「プレイガイドジャーナル」のアートディレクションや「春一番コンサート」のポスターのデザインなどを担当。編集者村上知彦と共同作業をする中で、村上が編集した双葉社の書籍のデザイナーを担当。1984年から東京に拠を移す。 多数の書籍のブックデザインと、雑誌「芸術新潮」「小説現代」のアートディレクション等を担当。1991年から病気治療の平野甲賀に代わって1996年頃まで晶文社の装幀を担当した。
小松 秀樹(こまつ ひでき、1949年(昭和24年) - )… 小松 秀樹(こまつ ひでき、1949年(昭和24年) - )は、日本の医師。元亀田総合病院副院長・泌尿器科顧問。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学医学部医学科卒業。 専門分野は、胃がん、膀胱がん、前立腺がん、泌尿器科悪性腫瘍、医療倫理、医療制度。 1974年(昭和49年)東京大学医学部卒業後、東京大学医学部附属病院分院泌尿器科助手、三楽病院泌尿器科医長、青梅市立病院泌尿器科医長、山梨医科大学泌尿器科助教授、虎の門病院泌尿器科部長などを経て、2010年(平成22年)から亀田総合病院副院長。 臨床医の立場から、日本の医療問題に関する積極的な発言を行っている。自身が感じた医療提供者と患者との間にある意識・認識の差異、医療に関する報道と現実との差異などへの問題意識がそれらの発言の端緒であるとしている。
薦田 義明(こもだ よしあき、1946年〈昭和21年〉5月3… 薦田 義明(こもだ よしあき、1946年〈昭和21年〉5月3日 - )は、日本のバリトン歌手。指揮者。香川大学名誉教授。元四国二期会理事長。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。東京芸術大学大学院音楽研究科声楽専攻修了。フライブルク音楽大学卒業。香川県観音寺市出身。 香川県観音寺市出身。東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、同大学大学院音楽研究科声楽専攻を修了。声楽を柴田睦陸に師事。 東京藝術大学のオペラ定期公演で「コジ・ファン・トゥッテ」に出演しオペラのデビューをする。その後は四国二期会に所属し、「修禅寺物語」、「ロドレッタ」、「魔笛」、「俊寛」、「フィガロの結婚」、「バスティアンとバスティエンヌ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「那須与一」、「ディドとエネアス」、「奥様になった女中」、「イル・カンピエッロ」、「四人の頑固者」、「脳死をこえて」、「ヘンゼルとグレーテル」、「ファルスタッフ」などのオペラに出演した。
吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日… 吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日本の映像作家、アニメーター。香川県観音寺市出身。 アニメーション制作会社、株式会社スリー・ディ代表。「きらけいぞう」名義で活動することもある。 1968年、多摩美術大学日本画科卒業後、鈴木伸一、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫らが設立したアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」に入社。 1970年12月に解散が決まり、一旦はフリーとなるが、翌1971年10月、赤塚にスカウトされるかたちでフジオ・プロのグループ企業「不二アートフィルム」の設立に参加。 コマーシャルやNHKの音楽番組『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』などのための実験的アニメーションやキャラクターデザインに携わる。
久保 紘章(くぼ ひろあき、1939年11月1日 - 200… 久保 紘章(くぼ ひろあき、1939年11月1日 - 2004年8月2日)は、日本の社会福祉学者。専門分野は、精神医学ソーシャルワーク、セルフヘルプグループ等。香川県出身。 香川県観音寺市生まれ。 1965年四国学院大学文学部基督教学科(社会福祉学専攻)卒業。保健所の精神衛生相談員(PSW)を務めた後に、1969年関西学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻修士課程修了(社会学修士)。 同年よりケースワークの専任教員として四国学院大学に赴任する。 四国学院大学教授、東京都立大学 (1949-2011)教授等を歴任し、2000年より法政大学現代福祉学部教授に就任するも在任中に逝去。1975-76年キングス・カレッジ・ロンドン精神医学研究所(IoP)客員研究員。
近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は… 近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、日本企業のグローバルマーケティングの研究。博士(経済学)。京都大学名誉教授。マーケティング史学会名誉会員。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、香川大学経済学部経済学科卒業。京都大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。 1989年(平成元年)「成立期マーケティングの研究」で学位修得(京都大学 経済学博士)。 研究は、主に3つに分かれる。第1にマーケティング発祥の地アメリカにおける成立期のマーケティングの研究を通じて、マーケティングの本質に迫ろうという研究。第2に国際マーケティング研究において、日本の家電企業の対米輸出マーケティングに関する歴史的研究。
岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は… 岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、学習院女子短期大学文科英語専攻卒業。 1962年(昭和37年)に大蔵省職員の岡下昌浩と結婚。1989年(平成元年)に夫が大蔵省を退職し、政治活動を始めると、秘書として夫を支える。昌浩は、1990年(平成2年)の総選挙には無所属で、1993年(平成5年)および1996年(平成8年)の総選挙には自由民主党から出馬するがいずれも落選。その後、1998年(平成10年)に昌浩が急逝する。 2000年(平成12年)の総選挙に、岡下は夫の地盤を引き継ぎ、大阪17区から自民党公認で出馬し初当選。
白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月… 白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月11日 - )は、日本の実業家、テレビドラマのプロデューサー。ビーエスフジ(BSフジ)社長、鹿児島テレビ放送副社長を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1962年(昭和37年)東京大学卒業後、フジテレビジョン入社。編成局に勤務し、『鉄腕アトム』 『鉄人28号』 『夜のヒットスタジオ』 『北の国から』 など数多くのヒット番組の編成・企画・プロデュースに携わる。 1981年(昭和56年)10月9日、『北の国から』の第1話が放映される。初回視聴率16.4%、最終回は21.0%を獲得した。視聴者からの反響は絶大で、以後20年間で8本のスペシャルが放送される国民的ドラマとなった。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7… 加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の政治家。実業家。香川県観音寺市長(4期)。加ト吉(現・テーブルマーク)創業者。 香川県三豊郡観音寺町(現・観音寺市)出身。1951年、観音寺町立観音寺中学校(現・観音寺市立観音寺中学校)卒。中学卒業後、魚の行商を始め、1956年、20歳で加ト吉水産を創業し、社長となる。1967年、観音寺市議会議員となり、2期務め、1973年に市議会議長となった。1975年、観音寺市長に当選、1991年までの4期16年務めた。その一方で1974年、加ト吉会長に就任、冷凍食品開発で業績を伸ばした。1994年、居酒屋チェーン店の村さ来を傘下に入れ、社長を兼務。
月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月… 月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月2日 - 2019年〈平成31年〉1月19日)は、日本の政治家、防衛官僚。本名:月原 重明。 衆議院議員(通算3期)、参議院議員(1期)、郵政政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、国土交通副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任した。 香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。学生生活は民法学者である中川善之の私塾冲和寮で送る。 1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任。
山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2… 山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2017年4月3日 )は、日本の近代文学研究者。専門は太宰治の書誌研究。 元神戸女学院大学学長、神戸海星女子学院大学学長。神戸女学院大学・神戸海星女子学院大学名誉教授。 香川県三豊郡(現在の観音寺市)出身。香川県立観音寺第一高等学校、関西学院大学文学部日本文学科卒業。関西学院大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位修得退学。 1961(昭和36)年4月樟蔭中学校・高等学校に国語教師として着任、1964(昭和39)年4月神戸女学院中学部・高等学部に転任し、1972(昭和47)年4月神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授、以後1998(平成10)年3月まで、教授、文学部長、評議員、理事、学長を務めた。
井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版… 井上 員男(いのうえ かずお、1932年 - )は、日本の版画家。ペーパー・ドライポイント(紙凹版画)において独自の技法を開発した。 香川県観音寺市出身。1950年(昭和25年)香川県立観音寺第一高等学校卒業。1954年(昭和29年)香川大学教育学部美術科卒業、地方公務員として公立高校の教員となり兵庫県立高校美術教諭となる。1970年(昭和45年)紙凹版画独創技法開拓。1979年(昭和54年)香川県立高校美術教諭を辞め、東京都羽村市に転居。1988年(昭和63年)在仏日本大使館主催ユネスコ日本週間展覧会に招待出品(『版画平家物語』、『雪国』、『アヤメ』)。2003年(平成15年)8月、香川県中学校美術教育研究会の活動の一環として、香川県の中学の美術教員に対して紙凹版画の技法を教えるなど、技法の普及にも力を入れている。
大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2… 大塚 布見子(おおつか ふみこ、1929年11月30日 -2020年4月12日 )は、日本の歌人。1977年歌誌『サキクサ』創刊。歌集、評論集など多数。夫は小説家・歌人の大塚雅春。孫に劇団アマヤドリ所属の女優・大塚由祈子。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊高等女学校(現・香川県立観音寺第一高等学校)在学中に、「形成」同人で同校の南信一校長に短歌を学ぶ。東京女子大学国語科在学中、担任の藤森朋夫に万葉集を学ぶ。一時勤務したスタイル社の『スタイル』、ロマンス本社の『モダン・ロマンス』で、宇野千代、北原武夫、和田芳恵のもとで編集者として仕事をする。歌誌『藝林』を経て、1977年歌誌「サキクサ」を創刊、サキクサ短歌会を主宰。
琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 -… 琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 - 1981年6月7日)は、香川県三豊郡(現在の同県観音寺市)出身(出生地は宮崎県)で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は宇草 貞雄(うくさ さだお)。最高位は東大関。現役時代の体格は177cm、117kg。得意手は左四つ、内掛け、上手投げ。 宮崎県で馬の仲買人の長男として生まれ、後に香川県へ移った。幼い頃から大柄な体格で17歳の時には身長169cmに達した。 高等小学校を卒業すると父親が早世した影響で1944年9月に海軍に志願、その体格から上官に見出され海軍相撲に参加することになった。敗戦により軍が解散すると故郷に帰ったが食うに困らないとの理由で力士になろうと思い、同郷の初代・琴錦を紹介してもらい、二所ノ関部屋に入門した。
福田 宏年(ふくだ ひろとし、1927年8月31日 - 19… 福田 宏年(ふくだ ひろとし、1927年8月31日 - 1997年6月8日)は、日本の文芸評論家、ドイツ文学者、翻訳家。 専門は、登山にまつわる随筆、紀行、ドイツ文学などの翻訳のほか、トーマス・マン、 テオドール・フォンターネ、ロベルト・ムジールを中心にドイツ近代小説の研究。また、井上靖夫人の次兄の娘婿で、最もよき理解者である。『井上靖の世界』『井上靖評伝覚』は、文献的にも作家論的にも井上靖に関する最高の業績である。 香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、1952年東京大学文学部独文科卒業。同年東京大学文学部助手。 1953年茨城大学講師、1955年立教大学文学部講師を経て、1967年立教大学文学部教授。
久地 明(くじ あきら、1927年7月27日 - 2017年… 久地 明(くじ あきら、1927年7月27日 - 2017年9月17日)は、日本の俳優、殺陣師。本名は千葉 太郎。香川県観音寺市出身。 ※いずれも殺陣の担当作品 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は… 塩田 重利(しおた しげとし、1926年3月16日 - )は、日本の歯学者。専門は、歯学、口腔外科学、顎顔面外科学、中医学。 博士(医学)。東京医科歯科大学名誉教授。
阿部 貞市(あべ ていいち、1923年12月7日 - 201… 阿部 貞市(あべ ていいち、1923年12月7日 - 2016年10月21日)は、日本の実業家。元大気社社長。
琴錦登(ことにしき のぼる、本名:藤村登、1922年3月7日… 琴錦登(ことにしき のぼる、本名:藤村登、1922年3月7日 - 1974年7月14日 )は、香川県観音寺市出身で二所ノ関部屋所属の大相撲力士。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り、とったり。最高位は東小結。現役引退後は佐渡ヶ嶽部屋を興し、横綱琴櫻たちを育てた。
堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - … 堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - 2013年1月20日)は、日本の建築学者。専門は建築構造学。第8代神戸大学学長、第3代大学入試センター所長を務めた。 香川県観音寺市出身。1939年、愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)卒業。1941年、徳島高等工業学校(現・徳島大学工学部)機械工学科卒業。 1942年に東京工業大学(のちの東京科学大学)附属高等工業教員養成所建築学科に入学。1944年に卒業し、同年9月に神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)に着任する。 1947年、神戸工業専門学校教授。1951年、神戸大学助教授。1959年、東京工業大学工学博士。 神戸大学教授を経て、1981年から1985年まで神戸大学学長を務め、神戸大学名誉教授の称号を受けた。
田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年… 田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年4月12日)は、日本の洋画家。春陽会会員。 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、日本大学芸術科卒業。 1937年(昭和12年)三豊中学4年生の時に美術部を創る。1939年(昭和14年)東京美術学校油絵科に入学、小林万吾が保証人であった。その後、海老原喜之助に出会い日本大学芸術科に転校を薦められて入学した。在学中、独立美術協会展などに出展する。 兵役に就き復員後、第15回独立美術展に出品する。1947年(昭和22年)自由美術協会展に出品、同年4月に上京して以後出展を続けた。1950年(昭和25年)春陽会の出展して研究賞を受賞。
島 比呂志(しま ひろし、1918年7月23日 - 2003… 島 比呂志(しま ひろし、1918年7月23日 - 2003年3月22日)は、日本の小説家。本名 岸上薫(きしうえ かおる)。 香川県観音寺市出身。旧制香川県立三豊中学校、東京高等農林学校獣医学科卒業。 1940年(昭和15年)東京高等農林学校卒業後、満洲国立大陸科学院獣疫研究所に勤務。1943年(昭和18年) 東京高等農林専門学校(現 東京農工大学)助教授に就任。 1947年(昭和22年)6月、ハンセン病を発病し、国立療養所大島青松園に入所。1948年(昭和23年)6月、国立療養所星塚敬愛園へ転園。1958年(昭和33年)より、同人雑誌『火山地帯』を主宰。1990年(平成2年)6月、エイズ裁判原告赤瀬範保から「癩患者はなぜ怒らないのか?」という手紙を受け取る。
岡崎 耕三(おかざき こうぞう、1913年10月26日 - … 岡崎 耕三(おかざき こうぞう、1913年10月26日 - 1993年8月13日)は、日本の裁判官、弁護士。元日本弁護士連合会副会長。 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、日本大学専門部法律科卒業。 三豊中学卒業後、同郷の先輩の白川朋吉弁護士事務所に書生として勤務しながら法律の勉学に励み、1931年(昭和6年)普通文官試験合格。更に、1935年(昭和10年)日本大学専門部法律科卒業後、1940年(昭和15年)高等文官試験司法科合格。1942年(昭和17年)判事任官。大阪、神戸、姫路、岡山の各地方裁判所判事を歴任。 1947年(昭和22年)岡山県にて弁護士開業。1968年(昭和44年)4月から1969年(昭和45年)3月まで岡山弁護士会会長、1980年(昭和55年)4月から1981年(昭和56年)3月まで日本弁護士連合会副会長を務めた。
門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2… 門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2006年)は、日本の画家、版画家。「現代の浮世絵師」とも呼ばれる。 1913年6月23日に、香川県三豊郡観音寺(現在の観音寺市八幡町)で門脇百太郎とみねの六男として生まれる。家は代々木材彫を営んでいた。 1994年にフランス国立高等美術学校(パリ)にて開催した個展がきっかけとなって、1995年8月、セントビンセント・グレナディーンから木版画「不動明王」の郵便切手が発行された。
川端 喜久治(かわばた きくじ、1912年10月25日 - … 川端 喜久治(かわばた きくじ、1912年10月25日 - 1982年9月18日)は、香川県三豊郡観音寺町大字伊吹(現・観音寺市伊吹町、伊吹島)出身の政治家。伊吹村議会議員、観音寺市議会議員、観音寺市議会議長。 1912年(大正元年)10月25日、香川県三豊郡観音寺町大字伊吹(後の三豊郡伊吹村、現在の観音寺市伊吹町)に篠原三吉の五男として生まれ、川端虎吉の養子となった。1925年(大正14年)3月に観音寺町立伊吹尋常高等小学校を卒業した。 1932年(昭和7年)12月には応召されて佐世保海兵団に入隊し、支那事変や大東亜戦争に参加した。1945年(昭和20年)9月に召集解除されて帰郷した。 川端家の家業である漁業を継ぐと、鯛さわら縛網漁、いわし巾着網漁、いわしパッチ網漁、伊吹いりこの製造等を行い、また漁具や漁法の改良に努めた。
森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年… 森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年1月23日)は、日本の官僚、実業家。元通商産業省軽工業局長。元石油資源開発社長。 香川県三豊郡常磐村(現 観音寺市流岡町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。 1934年(昭和9年)商工省入省。特許、貿易、工務、機械、電力の各局を担当、電業課長、機械課長を務める。1939年(昭和14年)三豊中学の同級生であった蒙疆の張家口に勤務する大平正芳(大蔵省派遣の興亜院事務官)を訪問。 1943年(昭和18年)フィリピン島戦線に応召。三豊中学の頃から親しんで来た短歌に於いては、社会人になって間もなく斉藤茂吉が育てた結社「アララギ」に所属。
佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年… 佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年7月5日)は、日本の東洋史学者。専門は、宋代より清代に至る中国近世史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。 1910年、香川県三豊郡萩原村(現:観音寺市大野原町)で生まれた。旧制香川県立三豊中学校を経て、旧制第六高等学校に入学。第六高等学校で、生涯にわたって薫陶を受ける宮崎市定と出会った。1931年、京都帝国大学文学部に入学、東洋史を専攻する。六高から転任していた宮崎の指導を再び受けることになった。1935年、京都帝国大学文学部史学科を卒業し、同大学大学院に進学。同時に、東方文化学院京都研究所研究嘱託となった。 1940年、京都帝国大学人文科学研究所助手に採用。
合田 好道(ごうだ よしみち、別呼称・こうどう、1910年〈… 合田 好道(ごうだ よしみち、別呼称・こうどう、1910年〈明治43年〉 - 2000年〈平成12年〉2月6日)は、日本の画家・陶芸家。 益子焼の窯元や陶芸家志望の若者たちを指導し、「民芸の町・益子」「陶芸の町・益子」を作り上げた、戦後の益子の歴史における象徴的な人物の一人であり、「益子のお目付役」と呼ばれ、濱田庄司を益子焼の中興の祖とするならば、同じ益子焼の陶芸家であった島岡達三から「濱田の精神の伝導者」と呼ばれ、益子の陶芸家たちへの思想的影響力が強かった人物である。 1910年(明治43年)、香川県三豊郡豊濱町(現・観音寺市)に、味噌醤油醸造業であった父・合田辧治、母・まつの4人兄弟の次男として生まれる。
石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1… 石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1978年8月24日 )は、日本の実業家。元神鋼商事社長。 香川県三豊郡一ノ谷村(現 観音寺市中田井町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1934年(昭和9年)東京帝国大学卒業後、神戸製鋼所に入社。 1952年(昭和27年)10月、東京支社鉄鋼部次長在任時、鉄鋼市場視察のため、南米西欧に出張。線材製品協会を稲山嘉寛理事長の下で主宰、アルゼンチンに線材販売のため訪問する。 1954年(昭和29年)鉄鋼販売部長に昇進。 1956年(昭和31年)神鋼商事常務に就任。1966年(昭和41年)専務を経て、1970年(昭和45年)社長に昇任。
伊瀬 芳吉(いせ よしきち、1905年 <明治38年> 10… 伊瀬 芳吉(いせ よしきち、1905年 <明治38年> 10月8日 - 2000年 <平成12年> 12月22日)は、日本の実業家。元ダイハツ工業社長。位階は従四位。 香川県三豊郡観音寺町(現 観音寺市伊吹町)出身。旧制香川県立三豊中学校、大阪高等工業学校機械科(現 大阪大学工学部)卒業。 三豊中学在学中は、伊吹島を出て下宿先から通った。家が貧しかったので学費を稼ぐために、下宿先の手伝いをしながら勉学に励んだ。数学と理科が得意だったこともあり、先生の薦めもあって大阪高等工業学校に進学する。 1926年(昭和元年)大阪高等工業学校卒業後、日本生命保険に就職。入社後、間もなく応召され入隊。その1年後に除隊となり、22歳の時、發動機製造に入社。
岸井 寿郎(きしい としろう、1891年5月28日 - 19… 岸井 寿郎(きしい としろう、1891年5月28日 - 1970年10月1日 )は、日本の実業家、政治家。 元衆議院議員(通算1期)。岸井成格(毎日新聞特別編集委員)の実父。 香川県豊田郡常磐村(現 観音寺市村黒町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。『連盟を脱退すべし』『満洲の我移民村』等の著書を刊行。 1917年(大正6年)東京帝国大学卒業。満洲旅行、司法官試補を経て、1919年(大正8年)11月に大阪毎日新聞入社、東京日日新聞社に勤務する。 1924年(大正13年)同社印刷部長に昇進。創立以来、社会教育協会評議員として参加。1927年(昭和2年)より1年4ヶ月間、欧米各国を視察。
日満(にちまん、1873年3月5日 - 1951年1月7日)… 日満(にちまん、1873年3月5日 - 1951年1月7日)は、大石寺第63世法主。讃岐阿闍梨。自照院。道号は慈円。秋山姓。
香川 善治郎(かがわ ぜんじろう、1848年6月14日(嘉永… 香川 善治郎(かがわ ぜんじろう、1848年6月14日(嘉永元年5月14日)- 1921年(大正10年)3月7日)は、日本の剣道家。流派は一刀正伝無刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。一刀正伝無刀流山岡鉄舟の高弟。 讃岐国豊田郡古川村(現香川県観音寺市)の中農の二男として生まれる。幼少時に母が他界し、父も病弱であったため祖父母に養育される。祖父磯五郎は武術を好み、自宅に道場を備えていた。 15歳で丸亀藩剣術師範の直清流矢野市之進に入門。3年後の1865年(慶応元年)江戸に出て、田宮流島村勇雄の道場に1年間留学。1866年(慶応2年)に帰郷し矢野から直清流目録を授けられる。その年祖父磯五郎が死去。 1870年(明治3年)、赤心報国党に参加し挙兵を企て捕縛される。
投石 菊治郎(なげいし きくじろう、1837年〈天保8年〉 … 投石 菊治郎(なげいし きくじろう、1837年〈天保8年〉 - 1887年〈明治20年〉6月22日)は、讃岐国豊田郡(現在の香川県観音寺市)出身で雷部屋、音羽山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は長田 菊治郎。6代井筒。最高位は西前頭4枚目。身長体重は不明。 1860年3月に雷部屋から初土俵を踏んだ。のちに雷部屋と縁が深い音羽山部屋に転籍し、十両昇進は初土俵から11年が経った1871年3月のことである。十両で4年が経過した1875年4月、東十両筆頭の地位で6勝3敗の成績を上げて同成績の藤田川利助と優勝を分け合い(ただし番付上位の投石が優勝扱い)、1876年1月に新入幕を果たした。1878年に師匠の8代音羽山が亡くなり、1879年1月以降は年寄・井筒として二枚鑑札となった。
寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年… 寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年〉 - 1858年8月26日〈安政5年7月18日〉)は、雷部屋に所属した力士。大坂相撲時代には朝日山部屋、東京へ移行してからは粂川部屋にも所属していた。本名は佐伯 石五郎。 身長,体重とも不明だが、体格は大きく3尺(約90cm)の入り口では常に体を斜めにして入ったと伝わる。出身地は現在の香川県観音寺市(旧・讃岐国豊田郡。 最高位は西前頭筆頭。丸亀藩の抱え。 最初は4代朝日山(真鸖政吉)の弟子として大坂相撲で取り、その後東上して1840年10月初土俵(序二段附出し)。1848年1月新十両(東二段目10枚目となり十両相当となった)。1849年3月場所では7勝1敗1分の好成績を挙げ、優勝相当成績を挙げた。