工藤 えみ(くどう えみ、1993年〈平成5年〉2月7日 -… 工藤 えみ(くどう えみ、1993年〈平成5年〉2月7日 - ) は、日本の女性ファッションモデル、歌手。フロント所属。 大分県竹田市で生まれ、5歳の時に大分市に移住。 2007年より地元大分で学生情報誌『CHIME』の専属モデルからなる現役高校生ユニット“CHIMO”として活動。2009年2月14日、シングル『We Are CHIMO Yeah!!/Best Friend』でCDデビュー。 2009年8月、女子中高生向けファッション雑誌『Seventeen』のオーディションで「ミスセブンティーン2009」に選ばれ、同誌専属モデルとなる。これをきっかけにCHIMOを脱退、上京した。同年10月からプラチナムプロダクションに所属。
志賀 隼哉 (しが しゅんや、1991年11月21日 - )… 志賀 隼哉 (しが しゅんや、1991年11月21日 - )は、NHKのアナウンサー。 大分県竹田市出身。立教大学経営学部卒業後、2014年NHK入局。初任地は徳島放送局。2017年甲府放送局、2021年広島放送局、2024年4月東京アナウンス室。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
菊池 真琴(きくち まこと、1986年11月17日 - )は… 菊池 真琴(きくち まこと、1986年11月17日 - )は、日本の剣道家出身の元女子プロボクサーである。第8代OPBF東洋太平洋女子バンタム級王者。第4代OPBF東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者。リライブシャツアンバサダー。 大分県竹田市出身。国東町立富来中学校、熊本県立阿蘇高等学校、東海大学卒業。 幼少期から剣道に打ち込み、中学時代から国東町立富来中学校に単身越境、剣道の名門である隣県熊本の阿蘇高校に進み活躍、東海大学に進学。全日本学生にて2年時二位、3年時に三位等の実績を残す。 大学卒業後も剣道を続けつつ警察官、人力車の車夫、刑務官、リラクゼーション、映像編集、林業、水道屋など仕事を転々とした。
月亭 太遊(つきてい たいゆう、1984年4月21日 - )… 月亭 太遊(つきてい たいゆう、1984年4月21日 - )本名∶後藤 征平は、大分県竹田市出身の落語家。2004年から2010年までは漫才師として活動した。その後は落語家に転向し、2010年より上方落語協会に加入したが、政治活動の問題で2025年に退会。以後は剽軽奈 乙燦(ひょうきんなおっさん)としてフリーの落語家として活動する一方で、政治家に対する「カウンター活動」を中心とした政治活動を行う。 同級生が7人しかいない田舎で育ったとされる。血液型は血液型はO型。TV番組のモノマネをして友人らを笑わせるのが高じて、お笑い芸能人になることを夢みるようになった。大分県立緒方工業高等学校卒業。高校在学中もテレビのお笑い番組を研究したり、インターネットのサイトに大喜利を投稿するなどしていた。
古澤 剛(ふるさわ たけし、1983年9月29日 - )は、… 古澤 剛(ふるさわ たけし、1983年9月29日 - )は、日本のシンガーソングライター。所属事務所はROCK ON COMPANY(2023年末に退所)を経て、現在はフリーランス。大分県竹田市出身。
最強せつこ(さいきょうせつこ 1982年1月27日 - )は… 最強せつこ(さいきょうせつこ 1982年1月27日 - )は、日本のお笑い芸人。本名は永田 摂子(ながた せつこ、旧姓・平川 摂子 = ひらかわ せつこ)。大分県竹田市出身。松竹芸能所属。 旧芸名は『せつこ』で、2023年4月に現芸名へと改名(後述)。 身長155cm、体重60kg、血液型AB型。 実家(父方)はシイタケ商店で、母方の実家もシイタケ農家である。元々、小学生の頃からダウンタウンと吉本新喜劇が好きで、その時からお笑いをやりたいと思っていた。 大分工業高等専門学校卒業。ここでプログラミングの勉強をしていたことから、これを活かして高専卒業後はプログラマーとして就職。お笑いをやりたい気持ちがあったことから、就職先を東京にして上京。
吉野 ゆりえ(よしの ゆりえ、1968年3月6日 - 201… 吉野 ゆりえ(よしの ゆりえ、1968年3月6日 - 2016年7月30日)は、日本の元ダンサー。本名は吉野 由起恵(よしの ゆきえ)。 大分県竹田市出身。大分県立大分雄城台高等学校、筑波大学第三学群国際関係学類卒業。東京アナウンスアカデミー・アナウンス専攻科修了。大学在学中に「ミス日本」を獲得。大学卒業後、社交(競技)ダンスのプロとしてダンスの本場イギリスに10年間留学。その後、日本テレビ放送網の番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の「芸能人社交ダンス部」コーチを歴任。2002年に現役引退。 2005年、筋肉に発生する非上皮性悪性腫瘍の一つ平滑筋肉腫に冒されていることを知る。その後、視覚障害者のためのブラインドダンスの大会を世界で初めて開催。
阿南 健治(あなん けんじ、1962年2月24日 - )は、… 阿南 健治(あなん けんじ、1962年2月24日 - )は、日本の俳優。愛称は「あなけん」。ケイファクトリー所属。 大分県竹田市生まれ。すぐに兵庫県へ移り、幼少期から高校卒業まで西宮市と尼崎市で育つ。尼崎市立南武庫之荘中学校、兵庫県立武庫荘高等学校卒業。 高校卒業後に上京し、映像関係の専門学校・東京映像芸術学院に入学。同時に俳優養成所にも所属し、多数のアルバイトを経験。半年程で俳優養成所を辞めてスクールメイツの養成所「渡辺音楽学院」へ入学し、初舞台を踏む。 二十歳の時に単身渡米。帰国後、大衆演劇の巡業時代を経て蜷川幸雄スタジオのオーディションに合格し、劇団員となる。二十代後半の時に三谷幸喜と出会い、劇団「東京サンシャインボーイズ」に所属し、多数の芝居に出演。
首藤 健二郎(しゅとう けんじろう、1960年4月1日 - … 首藤 健二郎(しゅとう けんじろう、1960年4月1日 - )は日本の政治家。大分県議会議員。 以前は大分県を拠点に活動するローカルタレント。大分県竹田市出身。(有)オフィス・ケン代表取締役。ニックネームは「健ちゃん」。「豊後のスーパースター」とも呼ばれていた。 大分県立竹田高等学校卒業後早稲田大学に入学するが中退。中退後はお笑いの勉強に励み、その後大分に帰りイベントの司会などをしていたときにOBSラジオのディレクターにスカウトされ、同局の深夜番組『君のハートにナイトイン』のパーソナリティとして一躍有名になる。以来主にOBSの番組に多く出演し、大分ローカルタレントの第一人者として活躍を続けていた。
川野 里子(かわの さとこ、1959年〈昭和34年〉5月27… 川野 里子(かわの さとこ、1959年〈昭和34年〉5月27日 - )は、日本の歌人、評論家。短歌結社「歌林の会」(かりん)所属。 大分県竹田市生まれ。大分県立竹田高等学校、京都女子大学短期大学部卒業。千葉大学大学院文学研究科修士課程修了、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。山形市、カリフォルニアなどを移り住む。馬場あき子に師事。歌誌「かりん」編集委員。 朝日歌壇、日本農業新聞選者、専修大学、立正大学、放送大学非常勤講師。2008年度、2009年度、2023年度、2024年度NHK教育「NHK短歌」選者。2025年4月より、馬場あき子の後任として朝日歌壇選者に就任。
木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日… 木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日本の登山家、クライマー、山岳ガイド。 1956年2月26日、大分県竹田市生まれ。 1976年、埼玉谷峰山岳会に入会。主に夏場に沢登りを中心に活動する。1979年、山学同志会に入会し、国内外のクライミングや高峰登山で活躍。1980年9月、日英岩登り交流会でイギリスを訪れ、イギリスのクライミング事情を知る。 1985年10月30日、植村直己物語撮影隊としてエベレスト登頂。下山中、自力下山が不能になったカメラマンを救出に向かい重度の凍傷を負い、全両足指を切断する。 1986年、キリマンジャロ南西壁登攀後、急性高山病になったツアー登山者に遭遇。
田上 富信(たのうえ とみのぶ、1941年5月6日 - )は… 田上 富信(たのうえ とみのぶ、1941年5月6日 - )は、日本の法学者。専門は、民法・不法行為・使用者責任。学位は、博士(法学)(神戸大学・論文博士・2006年)。愛知学院大学法科大学院教授。関西学院大学名誉教授。大分県竹田市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月1… 阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月18日 - )は、日本の官僚、政治家、実業家。 大分県竹田市出身。かつて中国管区警察局長や参議院議員、清和大学法学部教授。ZENTA株式会社保安顧問、 アルゼ株式会社(現ユニバーサルエンターテインメント)代表取締役社長などを歴任した。 2019年まで全国道路標識・標示業協会顧問。
阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日… 阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日 - )は、日本の政治家。元大分県竹田市長(3期)。 竹田市出身。1954年(昭和29年)大分県立三重農業高等学校卒業。 竹田市役所に入り、同市助役を経て、1996年(平成8年)竹田市長に当選した。2000年(平成12年)と2004年(平成16年)の市長選挙はいずれも無投票当選だった。 竹田市は2005年(平成17年)に合併し、新しい竹田市が発足したが、合併後の市長選挙には不出馬だった。
志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は… 志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は、大分県竹田市出身のフリーアナウンサー。シオノ事務所社長を務める。 國學院大學卒業後の1956年、日本テレビへ入社。同期に本多当一郎、赤木孝男がいる。1972年、アナウンス部副部長を最後にフリーへ転身。現在も地上波やCSなどで活躍し、日本テレビアナウンスカレッジ講師や結婚式の司会業(椿山荘)なども担当する。元NHKアナウンサーの山川静夫は大学時代の同級生である。 「〜であります!」調の実況が特徴であり(後輩の徳光和夫も影響を受けている)、倒産した全日本女子プロレスではWWWA2代目コミッショナーを務めた。
藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 199… 藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 1994年7月24日)は、日本の作曲家、指揮者、音楽教育家である。 大分県竹田市生まれ。 幼児の頃から母に生田流箏曲を学ぶ。旧制福岡高等学校時代、福岡合唱協会で知り合った指揮者の石丸寛から影響を受ける。 九州大学工学部造船学教室へ進学し、1953年卒業。在学中より作曲を始める。同年、東京新聞主催の全国邦楽コンクール作曲部門で「和楽器と管弦楽協奏の為の一楽章」を自演(箏)して作曲部門の第1位となり、文部大臣賞、NHK賞を受賞。以後、放送音楽を中心とする作曲・指揮活動に入る。 作品には「東洋の楽器による交響曲・西遊記」(1967年文部省芸術祭レコード部門受賞)、「絲竹交響」、「伊勢物語抄」などの邦楽器楽曲、「北原白秋の詩による9つのカノン」、「筑紫のわらべ唄」などの合唱曲、オーケストラ作品等、作曲・編曲多数。
小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、… 小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。 1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。 大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。
本郷 公威(ほんごう こうい、 1926年(大正15年)11… 本郷 公威(ほんごう こうい、 1926年(大正15年)11月26日 - 1991年(平成3年)3月31日)は、昭和期の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 大分県直入郡白丹村(久住町を経て現竹田市)出身。1947年(昭和22年)大分師範学校卒。大分県内で小中学校の教員を務め、1972年(昭和47年)大分県教職員組合委員長となる。教職員の待遇改善、教育問題の解決に努め、日の丸・君が代反対運動などを推進した。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で大分1区から日本社会党公認で立候補して当選。この選挙で大分1区では同じ社会党から村山富市も当選し、2名当選した。翌年の第36回衆議院議員総選挙で落選した(同選挙では村山も落選した)。
飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 200… 飯尾 憲士(いいお けんし、1926年8月21日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家。大分県竹田市生まれ。 父は1916年に日本統治下の朝鮮・京城から渡日した朝鮮人、母は日本人で、戸籍上は母の私生児であった。旧制竹田中学を卒業後、1944年陸軍航空士官学校に入学するも、終戦のため中途退学。1949年第五高等学校文科卒。新制高校の教師や、業界誌編集などの後、文筆業などに従事した。 1964年「炎」(『詩と眞實』)で芥川賞候補、『文學界』に転載される。1975年初の著書を刊行、1978年父の秘密を描いた「海の向うの血」ですばる文学賞佳作。1980年「ソウルの位牌」で、1981年「隻眼の人」で芥川賞候補、1982年、終戦直後に自決した航空士官学校時代の自身の区隊長であった上原重太郎大尉の真相を追う『自決』が直木賞候補となり注目される。
秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 201… 秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 2014年9月15日)は、日本の版画家。大分県竹田市出身。 1953年に太平洋美術学校卒業後、棟方志功、布施悌次郎、坂本繁二郎に師事。 その後、独学で民俗学・仏教学・俳詩・陶芸・彫刻・水墨画を学び、1966年より、駐日アメリカ合衆国大使館主催によるCWAJ現代版画展に招待され、作品を出品している。 フクロウをはじめとする動物や民話、種田山頭火の俳句などを題材とした木版画や肉筆画作品を多数発表した。日本美術家連盟会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
佐藤 義美(さとう よしみ、男性、1905年1月20日 - … 佐藤 義美(さとう よしみ、男性、1905年1月20日 - 1968年12月16日)は、大分県竹田市出身の童謡作詞家、童話作家、詩人。代表曲に『犬のおまわりさん』など。ひらがな表記のさとう・よしみ名義の作品も存在する。 代表作の『犬のおまわりさん』は、2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。他に童謡の代表的な作品に、『グッドバイ』、『月の中』、『ともだちシンフォニー』、『おすもうくまちゃん』、『アイスクリームのうた』などがある。 また、童話集『あるいた雪だるま』は1954年(昭和29年)に第1回産経児童出版文化賞を、『佐藤義美全集』(全6巻)は1975年(昭和50年)に第5回赤い鳥文学賞を受賞している。
佐藤 初重(さとう はつえ、1902年2月19日 - 199… 佐藤 初重(さとう はつえ、1902年2月19日 - 1997年2月25日)は日本の幼児教育者。 1902年(明治35年)大分県直入郡(現・竹田市)の漢学者の家に一人娘として生まれる。17歳のときに医師を志して上京し、高等女学校を経て東京女子医学専門学校に入学するが、体をこわして中退する。青山女学院家政科に移り、そこで幼児教育を生涯の仕事と定め、夜間には東京府教育会附属幼稚園保姆傳習所に通って1923年(大正12年)に卒業する。千駄ヶ谷の幼稚園、ついで阿佐ヶ谷幼稚園に勤めたのち、1936年(昭和11年)に柿ノ木坂幼稚園を設立、1942年(昭和17年)には園長に就任した。幼稚園の運営のかたわら後進の育成にも力をそそぎ、1954年(昭和29年)には原宿高等保育学校(現・草苑保育専門学校)を設立して校長に就任、東洋英和女学院短期大学と青山学院大学の講師も長年にわたって務めた。
三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年〈明治26年〉11月… 三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年〈明治26年〉11月15日 - 1943年〈昭和18年〉6月8日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍少将。兄は弘前第8師団長を務めた陸軍中将 三好一(陸士8期)である。 1893年(明治26年)11月15日、大分県竹田市に生まれる。旧制大分県立宇佐中学校から海軍兵学校第43期入校。入校時成績順位は100名中第99位、卒業時成績順位は96名中第41位。 海軍水雷学校高等科学生、海軍潜水学校甲種学生を修了した、水雷科(潜水艦)を専門とする士官である。 戦艦「陸奥」艦長に着任した3か月後の1943年(昭和18年)6月8日、柱島泊地における「陸奥」の爆沈事故により殉職し、同日付で海軍少将に進級した。
北村 清士(きたむら せいし、1887年〈明治20年〉7月1… 北村 清士(きたむら せいし、1887年〈明治20年〉7月17日 - 1980年〈昭和55年〉4月4日)は、大分県直入郡竹田町(現・竹田市)出身の教育者・郷土史家。竹田市立図書館館長、別府大学文学部講師。竹田市名誉市民。 1887年(明治20年)7月17日、大分県直入郡竹田町(現・竹田市)の旧士族の家に生まれ、1908年(明治41年)に大分師範学校(大分大学学芸学部の前身)を卒業した。1916年(大正5年)に文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験に合格し、鹿児島県、大分県、東京府で中等学校の教諭や校長を務めた。 第二次世界大戦後に竹田町に帰郷し、1953年(昭和28年)に竹田市立図書館の館長に就任した。
衛藤 衛(えとう まもる、1883年2月3日 - 1992年… 衛藤 衛(えとう まもる、1883年2月3日 - 1992年2月16日)は、日本の宣教師。アメリカの日系人教会でも牧師を務めた。日本人マフィアのモンタナ・ジョーこと衛藤健の実父でもある。 大分県竹田に生まれる。大分師範学校卒業後、1903年(明治36年)徴兵検査に合格し、第12師団に所属。1904年(明治37年)の日露戦争の際には遼陽会戦に参加。歩兵連隊の司令部で戦闘報告書を書く任務に就く。 関西学院の創立にも関わり、体操の教師を務めた。1917年(大正6年)に日本政府より日系アメリカ人の実態調査を命じられ、カリフォルニア州に派遣される。現地の日系人の荒んだ状態を目の当たりにした衛藤は、彼らを救済するためにストックトンで教会を開く。
広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫、1868年7… 広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫、1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人。
野溝 甚四郎(のみぞ じんしろう、1852年8月5日〈嘉永5… 野溝 甚四郎(のみぞ じんしろう、1852年8月5日〈嘉永5年6月20日〉 - 1928年〈昭和3年〉9月24日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍歩兵大佐。正五位勲三等功四級。 特記のない場合『旧岡藩勤王家略伝』による
黒川 文哲(くろかわ ぶんてつ、嘉永元年11月3日(1848… 黒川 文哲(くろかわ ぶんてつ、嘉永元年11月3日(1848年11月28日) - 1916年(大正5年)11月4日)は、豊後国直入郡竹田(現・大分県竹田市)出身の医師・政治家・実業家。大分の町、郡会議員、県会副議長を務めるとともに、竹田中学校や竹田駅、黒川文庫(現在の竹田市立図書館の前身)の設立に尽力する。 嘉永元年11月(西暦1848年11)、直入郡竹田(現・大分県竹田市)に黒川正章の嫡男として生まれた。黒川家は18世紀前半から続く医家(藩医)であり、文哲は黒川家の9代目に当たる。 岡藩(竹田藩)の藩校である由学館に学び、元治元年(1864年)には外科医の佐久間純徳に師事した。明治元年12月(1869年1月)には医学修行のために上京を命じられ、明治2年4月(1869年)に東京の岡藩御屋敷に入った。
野尻 邦基(のじり くにもと、1843年12月11日(天保1… 野尻 邦基(のじり くにもと、1843年12月11日(天保14年10月20日)– 1910年(明治43年)8月1日)は、幕末の岡藩士、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。旧姓・首藤。幼名・長之助、半之允。 豊後国直入郡竹田町(大分県直入郡竹田町を経て現竹田市)で、岡藩士・野尻雙馬の長男として生まれる。藩校・由学館、経武館で学び、その後、長崎に遊学した。文武に通じ、廃藩置県後は岡県の少属、大属を歴任。その後、大分県庁に出仕し、中属、権大属、大属、兼任判事、大分県属、同警部、大分郡長、直入郡長を歴任した。その後、1886年(明治19年)大蔵省御用掛に転じ、主税官、佐賀県書記官、高知県書記官を務めた。 1901年(明治34年)7月、朝倉親為の死去に伴う第6回衆議院議員総選挙大分県第3区補欠選挙で当選し(首藤邦基名義)、1904年(明治37年)3月の第9回総選挙で大分県選挙区から出馬して再選され、衆議院議員を通算2期務めた。
朝倉 親為(親爲、あさくら ちかため、1843年7月12日(… 朝倉 親為(親爲、あさくら ちかため、1843年7月12日(天保14年6月15日)– 1901年(明治34年)5月9日)は、幕末の岡藩士、明治期の公吏・政治家・実業家。衆議院議員。 豊後国直入郡下木村(大分県直入郡会々村、豊岡村、竹田町、豊岡村(第二次)を経て現竹田市)で、岡藩士・朝倉親安の長男として生まれる。吟味見習を経て1865年(慶応元年)地方吟味役兼山林奉行となる。1869年(明治2年)岡藩租税司に就任。さらに郡尹補助、郡宰介、神社執事、刑法局管事、副検地司、山林司、少属などを務めた。廃藩置県により岡県が設置され、さらに大分県となり従前の事務取扱に任じられ、1872年(明治5年)大分県十四等出仕となる。
田能村 直入(たのむら ちょくにゅう、文化11年2月15日(… 田能村 直入(たのむら ちょくにゅう、文化11年2月15日(1814年4月5日) - 明治40年(1907年)1月21日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家。日本最後期の文人画家として知られる。 田能村竹田の養継子。幼名は、はじめ松太、のち傳太。諱は、はじめ蓼、のち痴。字は、はじめ虚紅、のち顧絶。号は、はじめ小虎、のち直入。通称は小虎とした。別号に竹翁、忘斎、煌斎、芋仙、布袋庵、無声詩客などがある。豊後直入郡竹田町(現在の大分県竹田市)生まれ。 豊後国直入郡竹田町(現・大分県竹田市)において、岡藩士三宮伝右衛門の三男として生まれる。伯父渡辺蓬島が田能村竹田の幼児期の師であったことから紹介され、文政5年(1822年)9歳のときに竹田の画塾に入門。
小河 一敏(おごう かずとし、文化10年1月21日(1813… 小河 一敏(おごう かずとし、文化10年1月21日(1813年2月21日) - 明治19年(1886年)1月31日)は、堺県知事、宮内省御用掛。通称は弥右衛門。 岡藩士の子として、豊後国竹田に生まれた。朱子学・陽明学を学び、また詩歌や文章も善くし、早くから尊皇攘夷の志をいだいた。嘉永6年(1853年)のマシュー・ペリーによる黒船来航を機に九州地方北部の各地を遊説して久留米藩の真木和泉や熊本藩の宮部鼎蔵らと交わった。安政6年(1859年)には気吹舎に入門して国学の徒となり、平田銕胤嫡男平田延胤とは懇意の間柄にあった。藩論が尊王派と佐幕派に分かれ対立すると、尊王派の指導者として活動し、薩摩藩と結んで倒幕を画策して挙兵を図るが文久2年(1862年)の寺田屋騒動で挫折した。
田能村 竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(177… 田能村 竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(1777年7月14日) - 天保6年8月29日(1835年10月20日))は、江戸時代後期の南画(文人画)家。 幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。名は孝憲。字は君彜(くんい)。通称は行蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。更に斎号(居室の名)に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。 豊後国直入郡竹田村(今の竹田市)の岡藩儒医田能村碩庵の次男として生まれる。母は水島氏。禄高12人扶持であったがこれは武士の中ではかなり低く、更に藩の財政難で実際はこの6割程度しか俸禄を得られなかった。
衛藤 ヒロユキ(えとう ヒロユキ、本名:衛藤 浩幸、1月19… 衛藤 ヒロユキ(えとう ヒロユキ、本名:衛藤 浩幸、1月19日 - )は、日本の漫画家。大分県竹田市出身。男性。血液型はO型。代表作に『魔法陣グルグル』、『がじぇっと』など。 大分県竹田市生まれ、大分市育ち。中学時代はロック少年で、大分県立大分上野丘高等学校時代に大島弓子の漫画に強い影響を受け、少女漫画、ファンタジー、オカルトなどにはまる。高校卒業後、武蔵野美術大学に進学(のちに中退)。漫画研究会に所属し、本格的に漫画を書き始める。1984年に創刊された漫画雑誌『季刊コミックアゲイン』内の新人漫画家発掘企画「アゲイン漫画スクール」のニューウエイブコースに投稿を始め、応募2作目の作品「時計屋の娘 SEKUNDEN ZEIGER GENT TICK TICK TICK」(ニノチカ・ひろゆき名義)が入賞し、翌1985年の2月冬季号(創刊3号)に掲載されてデビュー。
吉良 裕臣 (きら ひろおみ)は、日本の総務官僚。総務省大臣… 吉良 裕臣 (きら ひろおみ)は、日本の総務官僚。総務省大臣官房長、総務省総合通信基盤局長等を経て、KDDI執行役員副社長。 大分県竹田市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1978年東京大学法学部卒業、郵政省入省。総務省郵政行政部長を経て、2010年総務省大臣官房長。2012年から総務省総合通信基盤局長を務め、モバイル接続料算定に係る研究会を立ち上げ、ドミナント規制見直しにあたった。2015年退官、東京海上日動火災保険顧問。2017年KDDI執行役員副社長リスクマネジメント本部担当。 2025年(令和7年)春の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。
かわの をとや は、日本の男性俳優、声優、レポーター、元お笑… かわの をとや は、日本の男性俳優、声優、レポーター、元お笑いタレント。ジェイ・クリップ所属。大分県竹田市出身。本名は河野 靖。