柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6… 柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6日 - 1981年(昭和56年)7月21日)は、大正・昭和期の外交官、弁護士。 東京 で医師・柳井貴三の二男として生まれる。1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業、第一高等学校を経て、1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1919年7月、外務省に入省し外務属として電信課に配属された。同年10月、高等試験外交科試験に合格。以後、シャム、フランス、ベルギー、ブラジル、外務省アジア局第一課などで勤務した。1931年1月、領事に任じられ奉天在勤となり満州事変に遭遇した。以後、アジア局第三課長、東亜局第三課長、兼東亜局第二課長、ドイツ大使館一等書記官、同参事官、ジュネーヴ総領事兼国際会議帝国事務局次長、興亜院経済部長などを歴任。
蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 197… 蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官。自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。
新納 克己(にいろ かつみ、1895年〈明治28年〉7月4日… 新納 克己(にいろ かつみ、1895年〈明治28年〉7月4日 - 1971年〈昭和46年〉3月14日)は、昭和時代の日本の外交官、弁理士。第二次世界大戦中に、マニラ総領事や外務省通商局長を務めた。新納 克巳とも。 鹿児島県鹿児島市出身。谷村敏成の三男に生まれ、新納家の養子になる。旧制京都一中(現京都府立洛北高等学校)を経て、1916年(大正5年)第三高等学校二甲卒業。1919年(大正8年)に東京帝国大学工学部土木工学科卒業。1921年(大正10年)4月、鉄道省雇となり、同年11月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、外務省嘱託となり臨時平和条約事務局に勤務。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務事務官に任官。
鈴木 九萬(すずき ただかつ、1895年4月27日 - 19… 鈴木 九萬(すずき ただかつ、1895年4月27日 - 1987年4月4日)は、日本の外交官。 茨城県出身。第一高等学校及び東京帝国大学卒業後、外務省に入省した。 国立国会図書館に終戦連絡横浜事務局長時代の史資料436点が所蔵されている。
鶴見 憲(つるみ けん、1895年〈明治28年〉4月7日 -… 鶴見 憲(つるみ けん、1895年〈明治28年〉4月7日 - 1984年〈昭和59年〉8月18日)は、日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦前の1940年11月から在シンガポール日本総領事を務め、宣伝工作・民族工作を積極的に推進したことで知られる。日本占領時期にはマラッカ州長官を務めた。熱海市長。 1895年4月7日、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)で、官営・新町紡績所の工場長をしていた父・良憲と、母・琴子の7男(10人きょうだいの末子)として生まれる。 一家は1895年9月に東京・赤坂、1896年1月に父の郷里・岡山、1899年夏に名古屋へ転居。1900年4月、鶴見が5歳のときに母・琴子が病死。
喜多 長雄(きた ながお、明治28年(1895年)3月13日… 喜多 長雄(きた ながお、明治28年(1895年)3月13日 - 昭和22年(1947年)5月1日)は、日本の外交官。 徳島県三好郡西祖谷山村出身。徳島商業学校、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学経済学部に進学し、1922年高等試験外交科に合格。1923年に東京帝国大学経済学部を卒業し、在イギリス外交官補に任官。1924年在イギリス大使館付(オックスフォード大学留学)。1928年在中国外交官補。1929年在中国公使館三等書記官。1933年外務省情報部外務事務官。 1934年外務省情報部第二課外務事務官。1936年外務省情報部第三課長。1937年内閣情報部情報官、外務省東亜局兼欧亜局。1938年在中華民国大使館二等書記官。
大久保 利隆(おおくぼ としたか、1895年 - 1988年… 大久保 利隆(おおくぼ としたか、1895年 - 1988年)は、日本の外交官。駐ハンガリー兼ユーゴスラヴィア特命全権公使や、駐アルゼンチン特命全権大使、日本アルゼンチン協会会長を務めた。 鹿児島県出身。父大久保利貞(1846年 - 1918年)は陸軍中将で、維新の三傑の大久保利通の従弟。 1918年第一高等学校予科仏法科志望卒業。1921年東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年外務省入省(任領事官補)。 1928年聖マウリッツィオ・ラザロ勲章(シュヴァリエー、サン、モーリス、エ、ラザル勲章)受章。1931年レオポルド勲章(シュヴァリエー、レオポール勲章)受章。1934年ルクセンブルクオーク王冠勲章(オフヰシエー、クーロンヌ、ド、シエーヌ勲章)受章。
坂本 龍起(さかもと たつき、1894年(明治27年)6月7… 坂本 龍起(さかもと たつき、1894年(明治27年)6月7日 - 1969年(昭和44年)11月1日)は、日本の外交官。駐ペルー公使。 福岡県福岡市出身。旧福岡藩士の坂本百太郎と母チョウ(同藩士の池田良助の長女)の長男として生まれる。父百太郎は炭鉱王・貝島太助が宮田町の貝島炭鉱に設立した私立大之浦小学校の教員を務めていた。 1914年、第一高等学校大学予科卒業。1916年(大正5年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。 外務属、外務事務官、外交官補、アメリカ合衆国大使館三等書記官、アルゼンチン公使館三等書記官、同二等書記官、ブエノスアイレス領事、モンテビデオ領事、廈門領事・台湾総督府事務官、外務書記官・拓務書記官、通商局第三課長、同第二課長、亜米利加局第一課長、同第二課長などを歴任。
米澤 菊二(よねざわ きくじ、1894年(明治27年)3月1… 米澤 菊二(よねざわ きくじ、1894年(明治27年)3月19日 - 1983年(昭和58年)11月9日)は、日本の外交官。駐ポルトガル公使。 石川県能美郡(現・能美市)出身。1918年(大正7年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等試験行政科に合格した。農商務省に入省し、福岡鉱務署に鉱務監督官として勤務。のち外務省に転じ、事務官・条約局第三課勤務、イギリス大使館三等書記官、同二等書記官、安東領事、満州国大使館一等書記官、外務書記官・大臣官房電信課長、カルカッタ(現在のコルカタ)総領事、外務省調査部長を歴任。1939年(昭和14年)、駐ポルトガル公使に就任し、1941年(昭和16年)に退官した。
小林 亀久雄(こばやし きくお、1894年(明治27年)1月… 小林 亀久雄(こばやし きくお、1894年(明治27年)1月16日 - 1941年(昭和16年)10月9日)は、日本の外交官。駐アフガニスタン公使。 山梨県中巨摩郡明穂村(現・南アルプス市)出身。1918年(大正7年)高等試験行政科試験に合格。翌年、東京帝国大学法学部法律科を卒業し、農商務属となった。外交科試験以外の合格者を採用する「門戸解放」の一環として、1920年(大正9年)に外務省に転じ、外務事務官、国際連盟事務局事務官、外務省条約局勤務、フランス大使館三等書記官、同二等書記官、チェコスロバキア公使館二等書記官を歴任。1933年(昭和8年)外務省条約局第一課長となり、1936年(昭和11年)に通商局総務課長に転じた。
竺 縵卿(じく まんけい、1894年〈光緒20年〉 – 没年… 竺 縵卿(じく まんけい、1894年〈光緒20年〉 – 没年不明)は、中華民国の実業家・官僚・外交官。字は華雲。初期は主に実業家として活動したが、後に親日政権の中華民国維新政府や南京国民政府(汪兆銘政権)で要職に就いた。 日本に留学し、1920年(民国9年/大正9年)に東京高等師範学校理科第三部甲班を卒業した。1921年(民国10年/大正10年)からは京都帝国大学経済学部に入学し、1924年(民国13年/大正13年)に卒業している。当初は洮江第四中学主任教員兼舎監となったが、まもなく国民政府に入り、外交部江寧交渉員公署秘書兼金陵関監督公署秘書となる。その後は実業界に転じ、中日実業有限公司上海分行経理、中華電気製作廠董事、上海閘北水電公司顧問などをつとめた。
大橋 忠一(おおはし ちゅういち、1893年12月8日 – … 大橋 忠一(おおはし ちゅういち、1893年12月8日 – 1975年12月14日)は、昭和期の外交官・政治家。衆議院議員(3期)。カンボジア大使。
守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年)11月2… 守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年)11月29日 - 昭和52年(1977年))は、日本の外交官。元駐アフガニスタン公使。 元衆議院議員、元宮城県塩竈市長守屋栄夫の弟。元防衛事務次官守屋武昌の叔父。 宮城県遠田郡富永村(のち古川市、現大崎市古川)出身。守屋徳郎の三男。旧制古川中学(現宮城県古川高等学校)卒業。旧制二高を経て、大正6年(1917年)東京帝大法科を卒業し逓信省に勤務の後関東庁参事官に転じ次いで外務省事務官となる。 英国在勤大使館二等書記官同一等書記官。中華民国在勤公使館一等書記官福州総領事大使館一等書記官大使館参事官満州国在勤を歴任し昭和13年(1938年)特命全権公使に任じアフガニスタン国駐箚被仰付昭和15年(1940年)退官す。
宇佐美 珍彦(うさみ うずひこ、1893年〈明治26年〉11… 宇佐美 珍彦(うさみ うずひこ、1893年〈明治26年〉11月27日 - 1969年〈昭和44年〉12月21日)は、日本の外交官。駐エジプト公使。 長野県出身。1918年(大正7年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等試験行政科に合格した。農商務省に入省し、同年文官高等試験に合格。 外交科試験以外の合格者を採用する「門戸解放」の一環として外務省に入省し、1920年(大正9年)に外務事務官・臨時平和事務局勤務に転じ、1921年(大正10年)に外交官補・国際連盟帝国事務局勤務。フランス大使館三等書記官、同二等書記官、外務事務官・条約局第一課勤務、同亜細亜局第一課勤務を経て、1929年(昭和4年)安東領事。
山形 清(やまがた きよし、1893年(明治26年)9月10… 山形 清(やまがた きよし、1893年(明治26年)9月10日 - 1991年(平成3年)2月23日)は、日本の外交官。 茨城県出身。第一高等学校及び東京帝国大学卒業後、大蔵省を経て外務省に入省した。複数の海軍軍縮会議随員、ベネズエラ及びコロンビア初代公使、チリ公使、パキスタン初代大使などを歴任した。
清水 董三(しみず とうぞう、1893年〈明治26年〉8月1… 清水 董三(しみず とうぞう、1893年〈明治26年〉8月1日 - 1970年〈昭和45年〉12月8日)は、日本の外交官、書家、教育者。書画家として号を東翠。兄は画家の清水登之。 栃木県下都賀郡国府村大字大塚(現・栃木市大塚町)出身。1915年東亜同文書院政治科卒。1919年東亜同文書院教授(中国語担当)。1929年外務省嘱託、1933年外務省翻訳官、1943年中華民国大使館一等書記官。1946年同大使館参事官、1955年中華民国台北大使館公使、1956年外務審議官。1959年外務省退官、その後は外務省、日本クラブなどで書画を教えた。
西 春彦(にし はるひこ、1893年〈明治26年〉4月29日… 西 春彦(にし はるひこ、1893年〈明治26年〉4月29日 - 1986年〈昭和61年〉9月20日)は、大正・昭和期の外交官。太平洋戦争開戦時の外務次官である。 鹿児島県川辺郡加世田町津貫(後の加世田市津貫、南さつま市加世田津貫)生まれ。1911年3月旧制鹿児島県立川辺中学校(現鹿児島県立川辺高等学校)卒業。旧制第一高等学校一部丙類(独法・政・独文)に1911年9月入学、1914年7月卒業。東京帝国大学法学部独法科に1914年9月入学、1918年7月卒業。高等文官試験外交科に合格し、1918年10月外務省に入る。1920年結婚。外交官として長春在勤領事(1923年1月)、ソヴィエト連邦在勤大使館三等書記官(1925年8月)、外交書記官ならびに通商局第一課長(1928年2月)、欧米局第一課長(1933年3月)、欧亜局第一課長(1934年6月)、青島在勤総領事(1935年12月)、ソヴィエト連邦在勤大使館参事官(1936年12月)、欧亜局長(1939年6月)、ソヴィエト連邦出張特命全権公使(1940年9月)を歴任し、1941年5月に離任帰国。
日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 -… 日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 - 1976年6月18日)は、日本の外交官、登山家。駐イタリア、イタリア社会共和国大使、日本山岳会会長。
吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - … 吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - 1978年4月2日)は、日本の外交官。
諏訪 務(すわ つとむ、1892年〈明治25年〉9月12日 … 諏訪 務(すわ つとむ、1892年〈明治25年〉9月12日 - 1979年〈昭和54年〉6月5日[要出典])は、日本の外交官、朝鮮総督府官僚。 山形県出身。1917年(大正6年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験にも合格した。富山税務署長を経て、1920年(大正9年)に外務事務官に転じ、条約局第一課・臨時平和条約事務局勤務、三等書記官、二等書記官、メダン領事館勤務、トルコ公使館一等書記官、オーストリア公使館一等書記官、ハンガリー公使館一等書記官を歴任した。 その後、朝鮮総督府に移り、外事部長、専売局長を務め、1942年(昭和17年)に退官した。
須磨 弥吉郎(すま やきちろう、1892年〈明治25年〉9月… 須磨 弥吉郎(すま やきちろう、1892年〈明治25年〉9月9日 - 1970年〈昭和45年〉4月30日)は、日本の外交官、政治家。スペイン特命全権公使・衆議院議員。 秋田県南秋田郡土崎新城町(現秋田市)生まれ。旧制秋田中学校卒業後広島師範学校に進学するも、一転して法律家を志し中央大学法学部に転学。卒業後、1919年に外務省入省。 外国語6カ国語に堪能でイギリス、ドイツ等の在外公館に勤務を経て、1927年、在中国大使館二等書記官として赴任。在広東領事館領事等を経て、1932年、在上海日本公使館情報部長となり、対蔣介石政権の情報収集に努める。その後、南京総領事に転じる。 この中国での諜報活動の経験から、情報の一元管理と総合判断の必要性を痛感、帰国後、同じ考えを抱いていた山本五十六海軍次官とともに奔走し、1937年、対外情報収集と対外広報を目的にした内閣情報部を設立する。
岡本 季正(おかもと すえまさ、1892年8月16日 – 1… 岡本 季正(おかもと すえまさ、1892年8月16日 – 1967年11月23日)は、日本の外交官。 駐オランダ大使、日蘭協会会長。
三谷 隆信(みたに たかのぶ 1892年6月17日 - 19… 三谷 隆信(みたに たかのぶ 1892年6月17日 - 1985年1月13日)は、日本の官僚、外交官、教育者。
宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年〈明治25年〉… 宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年〈明治25年〉4月16日 - 1946年〈昭和21年〉7月12日)は、日本の外交官。駐ルーマニア公使。 愛媛県松山市出身。1916年(大正5年)、高等文官試験と外交官及領事官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。農商務省商工局、同臨時産業調査局に勤務した後、外務事務官に転じ、政務局第三課に勤務。さらにイギリス大使館三等書記官、同二等書記官、外務書記官・欧米局第一課長、フランス大使館一等書記官、イギリス大使館一等書記官、トルコ大使館参事官を歴任した。1939年(昭和14年)、駐ルーマニア公使に就任し、翌年に退官した。
大鷹 正次郎(おおたか しょうじろう、1892年〈明治25年… 大鷹 正次郎(おおたか しょうじろう、1892年〈明治25年〉2月15日 - 1966年〈昭和41年〉11月4日)は、日本の外交官。駐ラトビア公使。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。盛岡中学、旧制第七高等学校造士館を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、翌年に高等試験外交科に合格した。外交官補としてベルギーに、ついで領事官補としてハルビン、天津に勤務した。さらにドイツ大使館三等書記官、オーストリア公使館三等書記官、オランダ公使館二等書記官、ベルギー公使館一等書記官、満州国大使館一等書記官、青島総領事を歴任。1938年(昭和13年)、駐ラトビア公使に任命され、駐リトアニア公使・駐エストニア公使も兼ねた。
木村 惇(きむら あつし、1891年〈明治24年〉10月30… 木村 惇(きむら あつし、1891年〈明治24年〉10月30日 - 1969年〈昭和44年〉2月12日)は、日本の政治家、内務・外務官僚・外交官。京都府知事を務めた。 1891年10月、宮城県で平民・木村精造の長男として生まれる。旧制第二高等学校を経て、1915年に京都帝国大学法科大学政治科を卒業。 1914年に高等文官試験に合格し、1915年に内務省に入省。東京府内務部農商課長を務めたのち、外交科試験以外の合格者を採用する「門戸解放」の一環として、外務省に転じ、欧米局第一課事務官、在アメリカ合衆国大使館三等書記官・二等書記官、亜細亜局事務官、文化事業部事務官、文化事業部第一課長、第二課長、文化事業部文部書記官、シカゴ領事、マニラ総領事、在ポーランド公使館一等書記官、在ポーランド大使館一等書記官、フィリピン協会常務理事を務めた。
友田 二郎(ともだ じろう、1891年〈明治24年〉9月10… 友田 二郎(ともだ じろう、1891年〈明治24年〉9月10日 - 1969年〈昭和44年〉2月5日)は、日本の外交官。 兵庫県会議員や但馬銀行監査役を務めた友田一郎(友田酒造工場主)の弟。妻・盛子は子爵・曾我祐邦の二女。長女・二三子(1927年~2023年)は鳥取滋治郎の妻。二三子の長女・憲仁親王妃久子は孫である。 兵庫県城崎郡日高町江原(現・豊岡市)出身。俊蔵の二男。東京外語卒業。1915年、外務省に入る。終戦直後に退官した。 1939年には、フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章した。義父の曾我祐邦もレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを受賞している。 その後外務省研修所講師、宮内庁式部官を兼任した。
守島 伍郎(もりしま ごろう、1891年5月23日 - 19… 守島 伍郎(もりしま ごろう、1891年5月23日 - 1970年6月4日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員。
巌本 荘民(いわもと まさひと、1891年 - 没年不詳)は… 巌本 荘民(いわもと まさひと、1891年 - 没年不詳)は、日本の教育者、外交官。立教大学元教授。 1891年(明治24年)12月、父・巌本善治と母・若松賤子の長男として生まれる。 早稲田大学政治経済科を卒業。その後、アメリカに留学し、ハーバード大学に修学。 帰国後、外交官として在日米国大使館で務めたのち、立教大学教授に就任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三浦 義秋(みうら よしあき、1890年(明治23年)9月8… 三浦 義秋(みうら よしあき、1890年(明治23年)9月8日 - 1953年(昭和28年)12月23日)は、日本の外交官。駐メキシコ公使。 滋賀県出身。1916年(大正5年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、1919年(大正8年)、高等試験外交科に合格した。外務事務官、対支文化事務局事務官、アメリカ合衆国大使館三等書記官、中華民国公使館三等書記官、関東庁事務官・長官官房外事課長、上海領事、中華民国公使館二等書記官、廈門領事・台湾総督府事務官、中華民国公使館一等書記官、漢口総領事、ロンドン総領事、上海総領事、中華民国大使館参事官を歴任。1940年(昭和15年)、駐メキシコ公使に任命され、1943年(昭和18年)に退官した。
井上 庚二郎(いのうえ こうじろう、1890年(明治23年)… 井上 庚二郎(いのうえ こうじろう、1890年(明治23年)8月30日 - 1969年(昭和44年)11月13日)は、日本の外交官。駐ハンガリー公使。海軍司政長官。 井上喜代松の二男。神奈川県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。外交官補、領事官補、イギリス大使館三等書記官、外務事務官・亜細亜局第三課勤務、廈門領事・台湾総督府事務官、ポーランド領事、シドニー総領事、外務書記官・商工書記官・通商局第一課長、ドイツ大使館参事官、外務省欧亜局長を歴任した。1939年(昭和14年)、駐ハンガリー公使に就任した。その後、外務省職員訓練所長を経て、1942年(昭和17年)から1944年10月まで海軍司政長官・ボルネオ民政部長官を務めた。
富井 周(とみい しゅう、1890年(明治23年)8月17日… 富井 周(とみい しゅう、1890年(明治23年)8月17日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本の外交官。駐カナダ公使、駐アルゼンチン大使。男爵。
水沢 孝策(みずざわ こうさく、1890年(明治23年)4月… 水沢 孝策(みずざわ こうさく、1890年(明治23年)4月6日 - 1968年(昭和43年))は、日本の外交官。駐パナマ公使。 新潟県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部政治科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。外務属、領事官補、スペイン公使館三等書記官、ドイツ大使館三等書記官、ポーランド領事館領事、ロサンゼルス領事、アメリカ合衆国大使館二等書記官、同一等書記官を歴任。1933年(昭和8年)、外務書記官・調査部第二課長となり、翌年には香港総領事に転じた。1937年(昭和12年)、ホノルル総領事に就任し、1939年(昭和14年)に駐パナマ公使に任命された。 1940年(昭和15年)に退官した後は、南洋拓殖株式会社顧問を務めた。
赤堀 鉄吉(あかほり てつきち、1890年(明治23年)4月… 赤堀 鉄吉(あかほり てつきち、1890年(明治23年)4月3日 - 1968年(昭和43年)1月1日)は、日本の外交官。台湾総督府官僚、弁護士。 大阪市此花区西島町出身。1918年(大正7年)、東京帝国大学法学部英法科を卒業。愛知県属、台南州警務課長・理蕃課長、台北州教育課長、高雄州警務部長、同内務部長、台中州警務部長、殖産局鉱務課長・商工課長、同山林課長・鉱務課長、文教局学務課長、内務局地方課長・地理課長、殖産局農務課長、専売局庶務課長、新竹州知事、高雄州知事などを歴任した。 退官後は台湾住宅営団理事長に就任した。 1942年(昭和17年)より中華民国大使館参事官・廈門総領事を務めた。戦後に弁護士を開業。
加藤 外松(かとう そとまつ、1890年(明治23年)3月1… 加藤 外松(かとう そとまつ、1890年(明治23年)3月1日 - 1942年(昭和17年)2月12日)は、日本の外交官。元駐フランス特命全権大使。 富山県高岡市木町出身。1911年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。高等文官試験外交官及領事官試験に合格し、1914年ニューヨーク領事官補。在フランス外交官補、外務省欧米局第二課長、在中華民国公使館一等書記官、天津総領事等を経て、1935年駐カナダ特命全権公使。1941年から駐フランス特命全権大使を務め、ヴィシー政府のフランソワ・ダルラン副首相と会談するなどして、南部仏印進駐の承認を得た。1942年2月11日深夜、パリの日本大使館で呼吸困難になり、窓を開けて外気に触れようとした際に眩暈を起こして庭に転落、病院に搬送されたが間もなく死去した。
内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉… 内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉2月28日 - 1971年〈昭和46年〉11月19日)は、日本の外交官・政治家。神奈川県知事(官選、公選第1・2・3・4・5代)、テレビ神奈川初代社長。位階は正三位。日本の国際連合加盟に貢献をした人物として知られる。元丸紅ブラジル会社副社長の内山勇は三男。 1890年(明治23年)、群馬県前橋市天川原町に、父・内山岩吉、母・ちか子の三男として生まれる。1902年(明治35年)、群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学。1905年(明治38年)に校長排斥の同盟休校を起こし放校となり、正則英語学校を経て立教学院に編入、1907年(明治40年)卒業。
若松 虎雄(わかまつ とらお、1890年(明治23年)1月1… 若松 虎雄(わかまつ とらお、1890年(明治23年)1月1日 - 1949年(昭和24年)9月24日)は、大正から昭和前期の外交官、実業家、政治家。衆議院議員。カトリック教徒。 長崎県南高来郡、のちの島原市で、若松長次郎の四男として生まれ、1921年(大正10年)に分家した。第五高等学校を経て、1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年(大正3年)東京帝国大学法科大学経済学科を卒業した。 大蔵省に入省し専売局書記に任官。1917年(大正6年)久原鉱業に転じ、久原商事副支配人、同ロンドン支店長代理を歴任。1921年(大正10年)外務省に転じ、ロンドン在勤で副商務官、在英国大使館商務書記官を務めた。
柳澤 健(やなぎさわ たけし、1889年(明治22年)11月… 柳澤 健(やなぎさわ たけし、1889年(明治22年)11月3日 - 1953年(昭和28年)5月29日)は、日本の外交官、詩人。 旧会津藩士で女学校校長柳澤良三の長男として福島県会津若松市に生まれる。会津中学校(のち福島県立会津高等学校)から一高、東京帝国大学仏法科に学び、1915年(大正4年)5月卒業。逓信省に入り同年10月文官高等試験に合格。横浜郵便局長心得在職中の1919年(大正8年)4月辞職。大阪朝日新聞社に入社し論説班に所属した。 その後外務省に勤務し、フランス、イタリア、メキシコなどに駐在。外務省文化事業部第2課長や、新設された第3課(国際文化事業担当)の初代課長を務めた。上司にあたる文化事業部長は、のちに初代駐タイ大使となった坪上貞二。
河相 達夫(かわい たつお、1889年(明治22年)7月26… 河相 達夫(かわい たつお、1889年(明治22年)7月26日 - 1966年(昭和41年)10月31日)は、大正から昭和期の外交官、外務次官。終戦連絡中央事務局次長やオーストラリア公使等を務めた。旧姓・永井。 広島県賀茂郡竹原村(現竹原市)出身。永井潜の実弟で、河相保四郎の養子となる。旧制第一高等学校を経て1915年に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、北海道炭礦汽船入社。翌年退職し1918年、外交官及領事官試験に合格、外務省入省。 バンクーバー総領事代理、青島在勤外務書記官、情報一課長、関東庁官房外事課長、米国大使館一等書記官、中国公使館一等書記官、広東、上海各総領事を歴任。1937年外務省情報部長となり、同年10月の米ルーズベルト大統領のシカゴ演説(隔離演説)に反駁談話を発表、「持てる国」中国に対し「持たざる国」日本が不公平是正の戦いを挑むことの正当性を主張し注目された。
村上 義温(むらかみ よしあつ、1889年(明治22年)4月… 村上 義温(むらかみ よしあつ、1889年(明治22年)4月22日 - 1954年(昭和29年)10月20日)は、日本の外交官。駐ペルー公使。 石川県出身。1910年(明治43年)、神戸商業高等学校(現在の神戸大学)を卒業し、翌年に外交官及領事官試験に合格した。上海に領事官補として赴任し、以後大使館三等書記官、領事・関東都督府事務官、外務事務官・帝都復興院書記官などを歴任し、その間、長春、南京、ニューヨーク、イギリスに勤務した。1924年(大正13年)より香港総領事、ハンブルク総領事を務め、1931年(昭和6年)からはトルコ大使館参事官となった。1933年(昭和8年)に駐ペルー公使に任命され、1935年(昭和10年)からは駐エクアドル公使を、1936年(昭和11年)からは駐ボリビア公使を兼ねた。
山本 熊一(やまもと くまいち、1889年(明治22年)4月… 山本 熊一(やまもと くまいち、1889年(明治22年)4月8日 - 1963年(昭和38年)1月17日)は、日本の外交官。外務次官、大東亜次官、駐タイ大使。 山口県出身。1912年(明治45年)、東亜同文書院を卒業。外交科試験以外の合格者を採用する「門戸解放」の一環として、高等文官試験に合格し、1920年(大正9年)に外務事務官となり、トルコ大使館三等書記官、外務省通商局勤務、イギリス大使館二等書記官、満州国大使館二等書記官、同一等書記官、外務省調査部第五課長、同通商局長を歴任した。1940年(昭和15年)東亜局長となり、1941年(昭和16年)10月にはアメリカ局長を兼任した。さらに1942年(昭和17年)外務次官に就任し、同年11月1日大東亜次官に転じた。
中山 詳一(なかやま しょういち、1889年(明治22年)4… 中山 詳一(なかやま しょういち、1889年(明治22年)4月6日 - 1945年(昭和20年)3月20日)は、日本の外交官。駐イラン公使。 京都府出身。1913年(大正2年)、京都帝国大学法科大学を卒業。1916年(大正5年)、外交官及領事官試験に合格し、漢口に領事官補として赴任した。以後、浦塩派遣軍政務部員、ロシア在勤外交官補、外務事務官、通商局第二課勤務、在アメリカ合衆国大使館三等書記官、同二等書記官、牛荘領事・関東庁事務官、外務書記官、亜細亜局第一課長、同第二課長、在英国大使館一等書記官、中華民国公使館一等書記官、同大使館参事官を歴任。1934年(昭和9年)からはイタリア大使館参事官を務めた。
堀内 干城(ほりうち たてき、1889年(明治22年)3月7… 堀内 干城(ほりうち たてき、1889年(明治22年)3月7日 - 1951年(昭和26年)5月28日)は、日本の外交官。駐中華民国公使。 奈良県生駒郡筒井村(現在の大和郡山市)出身。1915年(大正4年)、京都帝国大学法科大学政治科を卒業した。1918年(大正7年)、高等試験外交科に合格。領事官補、外務事務官、イギリス大使館二等書記官、上海領事、中華民国公使館二等書記官、同一等書記官、天津総領事、中華民国大使館参事官、北平総領事などを歴任した。1939年(昭和14年)、外務省東亜局長に就任。1940年(昭和15年)、中華民国大使館参事官を経て、特命全権公使兼上海総領事に就任した。1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙に全国区から自由党公認で立候補したが落選した。
谷 正之(たに まさゆき、1889年(明治22年)2月9日 … 谷 正之(たに まさゆき、1889年(明治22年)2月9日 - 1962年(昭和37年)10月26日)は、日本の外交官、外務大臣。妻・澄子は島津長丸の娘。 熊本県上益城郡島田村櫛島(飯野村を経て現・益城町)出身。熊本中学、第五高等学校を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学法科政治学科卒業。同年 外務省に入る。1930年(昭和5年)アジア局長。1933年(昭和8年)満州国大使館参事官。1936年(昭和11年)オーストリア兼ハンガリー公使。 1939年(昭和14年) 外務次官。 1942年(昭和17年) 東条内閣の外務大臣兼情報局総裁。 1943年(昭和18年) 駐中華民国大使(終戦時まで)。 1945年(昭和20年)12月2日 連合国軍最高司令官総司令部による逮捕命令(第三次逮捕者59名中の1人)。
西沢 義徴(にしざわ ぎちょう、1888年(明治21年)11… 西沢 義徴(にしざわ ぎちょう、1888年(明治21年)11月21日 - 1967年〈昭和42年〉7月28日)は、日本の外交官。台湾総督府官僚。台北市尹、高雄州知事。 高知県、のちの安芸市出身。1913年(大正2年)、京都帝国大学法科大学法律科を卒業し、高等文官試験に合格。神奈川県属、同理事官、外務事務官、大使館三等書記官、同二等書記官、安東領事・関東庁事務官・朝鮮総督府事務官、福州総領事・台湾総督府事務官を歴任した。1929年(昭和4年)、台湾総督府税関長に転じ、台北市尹、高雄州知事を務めた。 1935年(昭和10年)に退官した後は、台湾合同鳳梨株式会社常任監査役を務めた。戦後は、安芸高等学校東京同窓会長を務めた。
沢田 廉三(澤田 廉三、さわだ れんぞう、1888年10月1… 沢田 廉三(澤田 廉三、さわだ れんぞう、1888年10月17日 - 1970年12月8日)は、日本の外交官。外務次官後、駐フランス特命全権大使・初代ビルマ特命全権大使を経て、再び外務次官。初代国連大使、世界経済調査会議長。 旧制鳥取県第一中学校から旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。外交官試験に首席合格し外務省入省。外務省きってのフランス語・英語の堪能者で、戦前は宮内省御用掛を兼務し、昭和天皇の通訳を務め、戦後も元首等との通訳にあたった。また、財団法人滝乃川学園理事長(第4代)などもつとめた。妻の美喜(孤児院エリザベス・サンダースホーム創設者)は、三菱合資会社社長・岩崎家当主男爵岩崎久弥の娘で、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の孫娘。
二見 甚郷(ふたみ じんごう、1888年10月16日 - 1… 二見 甚郷(ふたみ じんごう、1888年10月16日 - 1968年11月17日)は、日本の政治家、外交官。宮崎県知事(公選第3代)。宮崎市長(第9代)。衆議院議員(1期)。参議院議員(1期)。 宮崎県東諸県郡高岡町(現宮崎市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第七高等学校造士館(現在の鹿児島大学)を経て、1915年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年外交官及領事官試験に合格し外務省に入省、1923年退官。1928年に衆議院議員に当選。1933年には在郷軍人の国家主義団体である明倫会を結成し宣伝部長に就任。1941年駐タイ公使を経て、1945年宮崎市長となる。1947年の公選制となっての最初の県知事選では、得票数1位となるも法定得票数に届かず、安中忠雄との決選投票となるが、投票直前に公職追放された。
三宅 哲一郎(みやけ てついちろう、1888年〈明治21年〉… 三宅 哲一郎(みやけ てついちろう、1888年〈明治21年〉9月11日 - 1979年〈昭和54年〉1月23日)は、日本の外交官。駐チリ公使。 和歌山県出身。神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を経て、1911年(明治44年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した。1914年(大正3年)、外交官及領事官試験に合格。領事官補・関東都督府事務官、領事、公使館三等書記官、外務事務官・参事官、外務書記官・条約局第三課長、公使館二等書記官、同一等書記官などを歴任し、その間、スウェーデン、オランダに勤務した。バタヴィア総領事時代には、横浜正金銀行に学校設立を働きかけたり、シムラ会商に政府代表として参加し、イギリス、インドと通商問題の交渉を行うなどした。
藤井 啓之助(ふじい けいのすけ、明治21年〈1888年〉3… 藤井 啓之助(ふじい けいのすけ、明治21年〈1888年〉3月 - 昭和34年〈1959年〉3月15日)は、日本の外交官。 群馬県群馬郡国府村(現・高崎市)に、藤井直次郎の次男として生まれる。在ホノルル日本総領事などをつとめた伯父・藤井三郎の跡を継ぐ。貴族院議員をつとめた都筑馨六は叔父にあたる。東京府立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。 1913年(大正2年)10月外交官試験に合格。翌1914年(大正3年)から領事官補として長春、ホノルル、サンフランシスコに勤務。1918年(大正7年)からのワシントン勤務を経て、1920年(大正9年)廈門領事に任命される。1924年(大正13年)に電信・文書・翻訳課長、1926年(大正15年)に人事課長も兼ね、1930年(昭和5年)に在英日本大使館へ勤務することになりイギリスへ移った。
岩手 嘉雄(いわて よしお、1888年〈明治21年〉3月 -… 岩手 嘉雄(いわて よしお、1888年〈明治21年〉3月 - 1947年〈昭和22年〉8月26日)は、日本の外交官。駐コロンビア公使。 東京府において元津和野藩士で、下総御料牧場職員を務めていた岩手厚雄の子として生まれる。早逝した父の前妻は同藩の国学者である石河正養の二女。 1913年(大正2年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)専攻科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。領事官補、外交官補としてアメリカ合衆国に赴任した。公使館三等書記官、領事、外務事務官、総領事、外務書記官・文書課長・翻訳課長、在カナダ日本国公使館一等書記官、ホノルル総領事、イタリア大使館参事官を歴任。1934年(昭和9年)から駐コロンビア公使を務めた。