佐伯 チズ(さえき ちず、1943年〈昭和18年〉6月23日… 佐伯 チズ(さえき ちず、1943年〈昭和18年〉6月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、株式会社チズコーポレーション創業者。美容師、美容・生活アドバイザー。満洲国・新京(現中華人民共和国・長春)生まれ。 外資系化粧品会社の定年退職を経て執筆活動に入り、雑誌、テレビ、各種講演などで美容・生活アドバイザーとして活動。2012年から成安造形大学の客員教授も務めた。 第二次世界大戦中の満洲国で生まれ、終戦前に日本へ帰国、滋賀県の親戚のもとに預けられ、オードリー・ヘプバーンへの羨望から15歳で美容に目覚める。1962年、成安女子高等学校(現在の京都産業大学附属高等学校)卒業後、OLとして働いていたが、20歳のときに牛山美容文化学園(現ハリウッド美容専門学校)に入学し、美容師免許を取得。
多賀 英典(たが ひでのり、1943年3月1日 - )は、日… 多賀 英典(たが ひでのり、1943年3月1日 - )は、日本の男性音楽プロデューサー、映画プロデューサー、キティ・レコードやキティ・フィルムをグループ会社としてもつキティ・グループの創業者。 台湾にて出生。その後、日本の神奈川県横浜市に移住。1966年に横浜市立大学商学部を卒業と同時にレコード会社ポリドールに入社。音楽ディレクター・プロデューサーとして、小椋佳 や井上陽水を手がけ、黒盤(アナログレコード)総生産数1位から5位中3枚のアルバムを叩き込んだ伝説のプロデューサー。特に井上陽水に対する影響は大きく、楽曲「心もよう」の曲名は多賀が命名したものである。1972年10月に独立しキティ・ミュージック・コーポレーションを設立。
西岡 郁夫(にしおか いくお、1943年生まれ- )は、株式… 西岡 郁夫(にしおか いくお、1943年生まれ- )は、株式会社イノベーション研究所の創業者、元インテル株式会社代表取締役社長・会長。大阪府出身。 1969年に大阪大学大学院工学研究科通信工学専攻修士課程修了、1981年に大阪大学にて工学博士を取得。 シャープ株式会社を経て、1992年にインテルの副社長に就任。日本のパソコン、E-mailの普及活動に力を注ぎ、同社の代表取締役社長・会長を経て、1999年に退社。同年にNTTドコモ、みずほ証券、インターネット総研との共同出資にてモバイル・インターネットキャピタルを設立。 2000年に「ベンチャーを支援するベテランの会」、2002年に「丸の内ビジネスアカデミー(丸の内西岡塾)」を設立し、ベンチャー支援やビジネスのプロフェッショナル育成に力を注いでいる。
長谷川 房彦(はせがわ ふさひこ、1943年 - )は、株式… 長谷川 房彦(はせがわ ふさひこ、1943年 - )は、株式会社アドテックス(破産)の創業者・元代表取締役会長である。大阪府出身。 1968年3月 静岡大学工学部機械工学科卒業。1968年4月 株式会社日立製作所入社。1969年8月 同社退職。 1969年8月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社。1990年1月 日本アイ・ビー・エム株式会社、藤沢工場副工場長。1991年1月 日本アイ・ビー・エム株式会社、藤沢工場SSD(ストレージシステムディビジョン)工場長、ワールドワイド製造統括部長。 1993年6月 日本アイ・ビー・エム株式会社、海外事業本部長に就任。1993年7月 株式会社アドテックス設立、日本アイ・ビー・エム株式会社から出向する形で代表取締役社長に就任。
分林 保弘(わけばやし やすひろ、1943年 - )は株式会… 分林 保弘(わけばやし やすひろ、1943年 - )は株式会社日本M&Aセンターの創業者。 学生時代に貨物船にて渡米し、各地で能楽公演を行った。 名称は一時期靖博を用いていたが、日本M&Aセンターの上場を機に保弘に戻した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
スコット津村(Scott Tsumura、1942年1月1日… スコット津村(Scott Tsumura、1942年1月1日 - )は、日本生まれのアメリカのゲームクリエイターで、Tozai, Inc. (Tozai Games) の共同創業者兼エグゼクティブ・プロデューサー。代表作にファミコン版『スペランカー』、アーケードゲーム版およびコンソール版『ロードランナー』、『ムーンパトロール(英語版)』『スパルタンX』『R-Type Dimensions』などがある。米国ワシントン州在住。
渡辺 望稔(わたなべ もちとし、1941年 - 2018年1… 渡辺 望稔(わたなべ もちとし、1941年 - 2018年11月5日)は、日本の弁理士、いおん特許事務所の創業者である。日本弁理士会副会長や、日本弁理士政治連盟会長を歴任し、日本の知的財産制度の発展と弁理士の地位向上に尽力した[独自研究?]。 1970年3月、東京大学工学部化学工学科を卒業した。同年4月、杉村萬國特許事務所(現在の杉村萬國特許法律事務所)に入所した。 1975年12月に弁理士として登録された(登録番号 第8015号)。1978年4月に渡辺特許事務所を開設し、翌1979年1月には事務所名称を「いおん特許事務所」へと変更した。 実務家として活動する傍ら、業界団体の要職を歴任した。1997年には日本弁理士会副会長に就任し、1999年からは日本弁理士政治連盟の会長として、弁理士法の抜本的改正や知的財産基本法の制定に向けた政治的働きかけにおいて中心的な役割を果たした[独自研究?]。
上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )… 上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )は、日本の実業家で、株式会社ゾフ創業者、同社元代表取締役社長である。 東京都出身で、学習院初等科、学習院中等科・高等科を経て1963年に学習院大学経済学部を卒業し、レナウンニシキに入社する。1968年に上野衣料株式会社に入社して1969年専務取締役となる。アパレル業界の不況でメガネ事業を構想し、1993年に、株式会社ゾフを設立して代表取締役社長となり、株式会社インターメスティックを設立して代表取締役社長となる。2014年に株式会社インターメスティック代表取締役会長、2015年に株式会社インターメスティック代表取締役会長兼社長、2020年に株式会社インターメタックス取締役会長となる。
羽鳥 兼市(はとり けんいち、1940年10月12日 - )… 羽鳥 兼市(はとり けんいち、1940年10月12日 - )は実業家、ガリバーインターナショナルの創業者、取締役会長。
古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月… 古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月26日 - 2018年(平成30年)7月6日)は、日本の実業家、ソディック創業者。自ら創業したソディックを一代で放電加工機の世界大手企業に育てあげた。 岡山県倉敷市の出身。東京電機大学電機学校卒業後。1976年(昭和51年)8月株式会社ソディック創業と同時に代表取締役社長に就任。1990年(平成2年)6月株式会社ソディック代表取締役会長に就任。2003年(平成15年)2月株式会社ソディックハイテック取締役会長に就任。2013年(平成25年)3月、母校の東京電機大学から名誉博士の称号を授与される。 2015年(平成27年)4月旭日小綬章を受章。
石黒靖尋(いしぐろやすひろ、1936年(昭和11年)9月15… 石黒靖尋(いしぐろやすひろ、1936年(昭和11年)9月15日 - 2011年(平成23年)1月13日)は、国内最大手ホームセンター「DCM」の源流企業である「ホーマック」「石黒ホーマ」の創業者で、元会長。日本のホームセンター業界、チェーンストア業界の礎を築いた第一人者。DCMホールディングス元代表取締役相談役。 ホーマックの前身企業の創業者の出自。 同社社長を経て、いったんは会長・相談役に退いたが、DJグループ(現DCMグループ)入りで、当時の前田勝敏ホーマック会長兼社長がDJHDの社長就任とその後のインサイダー問題による引責辞職に伴い、同社の代表権のない会長に復帰した上、取締役相談役として名を連ねていたDJHDでも相談役の肩書きのまま代表権を付与されていた。
和田 洋一(わだ よういち、1936年1月18日 - 199… 和田 洋一(わだ よういち、1936年1月18日 - 1999年8月10日)は、三才ブックス創業者。中央大学卒業。 自由国民社の編集者(経理、もしくは総務、という説もある)を経て1980年に独立、三才ブックスを創業し社長に就任。同年6月に『ラジオライフ』を創刊。 1999年に急逝し、妻の淳子が社長職を継いだ。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003… 巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003年12月23日)は、元大阪証券取引所社長、光世証券創業者。北浜の風雲児の異名を取った。 大阪市船場生まれ。同志社高等学校、同志社大学経済学部卒。アメリカンフットボール選手や応援団長を経験。卒業後、山源証券(後のヤマゲン証券、現・マディソン証券)に入社。1961年、25歳にして光世証券を創業、一代で東証一部上場企業に育て上げた。 2000年、大阪証券取引所理事長に就任。2001年、大阪証券取引所初代社長に就任。ナスダック・ジャパン市場(現・新ジャスダック市場)を創設。 長男である大介は現・光世証券社長。
小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、… 小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、がんこフードサービス(現・GANKO)の創業者。同社会長、日本フードサービス協会会長や、関西経済同友会代表幹事、なにわ淀川花火大会会長等も務めた。和歌山県西牟婁郡上富田町生まれ。和歌山県立田辺高校・同志社大学経済学部卒業。 高校時代より家業の雑貨屋『こじま』(紀勢本線朝来駅前)をきりもりする。同志社大学経済学部を卒業後、寿司屋で修行した後、1963年に大阪・十三で4坪半の「がんこ寿司」を開店。1969年(昭和44年)に法人設立 社長に就任、以後は同社を外食産業チェーンに育て上げる。2005年(平成17年)会長に就任。2021年(令和3年)賞味期限改竄問題を受け会長を辞任。
小林 照子 (こばやし てるこ、1935年2月24日 - )… 小林 照子 (こばやし てるこ、1935年2月24日 - ) は、元コーセー取締役、美・ファイン研究所創業者。東京都練馬区出身。 3歳ころ両親が離婚、再婚した父に引き取られる。1942年に実父と死別し、継母の兄夫婦の養女となる。戦争の激化により養母の故郷である山形県狩川町に疎開。1951年に養母が死去し、納骨のため上京して自立を決意。東京で保険外交員をしながら、夜間は東京高等美容学院に通い美容師免許取得。 1958年から小林コーセーで美容部員として2年勤務した後、本社教育課に配属される。1964年、長女小林ひろ美を出産。1965年、同社マーケティング部に新設された美容研究室に異動。世田谷区下北沢に転居した際、自宅近くにアトリエを構え、若手指導を始める。
新堀 寛己(にいぼり ひろき、1934年4月17日 - )は… 新堀 寛己(にいぼり ひろき、1934年4月17日 - )は、ギター演奏家、新堀ギター音楽院創業者。東京都港区麻布出身。
鍵山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう、1933年8月18日 … 鍵山 秀三郎(かぎやま ひでさぶろう、1933年8月18日 - 2025年1月2日)は、株式会社ローヤル(現 イエローハット)の創業者。創業以来続けている「掃除」運動が内外に広がった。NPO法人「日本を美しくする会」(「日本を美しくする会・掃除に学ぶ会」)の創唱者で相談役でもある。 1953年(昭和28年)に自動車業界に入る。当時の自動車業界は、職場や社員なども含め業界全体が粗野な面があり、鍵山が就職した自動車部品販売店でも一般ユーザーの来店などは期待できない状態であった。鍵山は就職した職場でこうした環境を変える必要を感じ、トイレ掃除を始める。このため当初は、社内ハラスメントにもあったが、職場や店舗が清潔になったことで客層がよくなり、ディック・ミネ、森繁久彌などの有名人も来店するほどとなる。
岩瀬 順三(いわせ じゅんぞう、1933年〈昭和8年〉5月1… 岩瀬 順三(いわせ じゅんぞう、1933年〈昭和8年〉5月19日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、日本の編集者、KKベストセラーズ・ワニマガジン社・ワニブックスの創業者。戦後を代表する名編集者の一人で、"出版界の歴代鬼才ナンバーワン"とも言われた出版事業家。 広島県尾道市三軒家町出身。野坂昭如は「尾道を代表する二大文化人、大が石堂淑郎で、小が岩瀬。ともにややこしい心根の持主」と話していた。1958年立教大学英米文学科卒業。講談社は不合格となり、バーテンダーなどの仕事をする。当時はヒロポン中毒に悩まされていたという。1961年、28歳で食品業界の業界紙・光琳書院に入社。翌1962年、60年安保闘争の総括で知られる清水幾太郎の紹介で青春出版社に入社。
逸見 稔(へんみ みのる、1933年4月1日 - 1995年… 逸見 稔(へんみ みのる、1933年4月1日 - 1995年12月9日)は、日本のテレビプロデューサー、オフィス・ヘンミ創業者。神奈川県出身。 慶應義塾大学法学部を卒業すると同時に松下電器産業に入社して、東京宣伝部に配属される。初仕事はCMソング「明るいナショナル」の担当。やがてドラマを任されることとなり、スポンサー側プロデューサーという立場の「クライアントプロデューサー」としてテレビ番組作りに参加し、青春ドラマのはしり『青年の樹』、ホームドラマのはしり『七人の孫』(森繁久彌主演)、クイズ番組のはしり『ズバリ!当てましょう』(フジテレビ)等を制作した。 1966年に開始した、NETテレビのナショナルゴールデン劇場で、時代劇、サスペンス、現代劇、フルーツ・シリーズ等ジャンルにとらわれない多数の作品を制作し、『だいこんの花』が大ヒットを飛ばした。
土江 澄男(どえ すみお、1933年 - )は、朋友書店の創… 土江 澄男(どえ すみお、1933年 - )は、朋友書店の創業者。 1933年、兵庫県に生まれる。1953年、立命館大学文学部に入学し法学部に移る。1957年に上京、出版社である株式会社大安に入社。1969年に大安が閉鎖される。1969年に準備店を構え目録1号を発刊。翌年(1970年)、朋友書店を創業。その後1973年に神楽岡へ店舗を移し、営業を続ける。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 20… 田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 2024年3月10日)は、日本の実業家で、株式会社メニコンの創業者、会長。日本コンタクトレンズ協会名誉会長。愛知県葉栗郡木曽川町(現:一宮市)出身。 国民学校高等科を卒業後、手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店、玉水屋に勤務。そこに訪れたアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞くものの、どうしても見せてもらえなかったことに発奮し、独学でレンズの開発に取り組む。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、それまで国内で研究されていた白目まで全てを被う強角膜コンタクトレンズではなく、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、日本で初めて開発した。
山崎 賢二(やまざき けんじ、1929年5月5日 - 200… 山崎 賢二(やまざき けんじ、1929年5月5日 - 2000年3月21日)は日本の実業家、桐原書店創業者。 長野県上水内郡桐原村(現・長野市)生まれ。昭和28年(1953年)法政大学文学部英文学科卒業。岩波書店入社が内定していたが、母から帰郷を厳命され、長野女子高等学校の英語教諭となる。昭和38年(1963年)に上京し、都内の私立高校教諭を経て、昭和41年(1966年)に故郷にちなんで「桐原書店」を創業した。英語の副教材を主力とする教育書や学習分野を出版していたが、『積木くずし』(穂積隆信著)のベストセラー化を契機に、人生全般にわたる文化に寄与する総合出版社に転換した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3… 植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 2019年〈令和元年〉10月15日)は、日本の実業家、東北新社創業者である。 1929年3月に秋田県由利郡東滝沢村(現:由利本荘市)前郷で生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ。戦時中は、群馬県邑楽郡小泉町(現:大泉町)にあった中島飛行機の工場で学徒動員を経験した。1945年3月に旧制本荘中学校を卒業する。 1950年代からは新橋にて「COMO」というバーを経営。黒柳徹子など当時の若手俳優が集ったという。 1961年4月1日、海外番組の日本語吹き替えを制作する東北新社を創業し、以後代表取締役社長として長く経営した。
田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2… 田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2011年4月26日)は、株式会社TASAKI創業者。日本真珠振興会会長、神戸ファッション協会会長などを務めた。長崎県出身。 長崎県大村市で、男5人、女4人の9人兄弟の二男として生まれる。家業は真珠養殖業。 海軍兵学校(77期)在学中に敗戦。その後、長崎経済専門学校(現:長崎大学経済学部)を卒業し、父・甚作が神戸の真珠を取り扱う会社で番頭をしていたこともあり、神戸へ行く。 1956年に田崎真珠商会(後の株式会社TASAKI)を設立し、1970年代に真珠の量産に成功した。真珠の養殖・加工・販売を自社で行い、国内真珠最大手の会社に育てた。1975年には、重度身体障害者の自立のため、長崎県大村市に社会福祉法人大村パールハイムを設立した。
田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2… 田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2011年4月26日)は、田崎真珠創業者。日本真珠振興会会長、神戸ファッション協会会長などを務めた。長崎県出身。
渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14… 渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14日 - 2009年(平成21年)5月9日)は、日本の実業家、経営者、中央化学創業者。 1928年(昭和3年)7月14日、山梨県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、1957年(昭和32年)東京都板橋区蓮沼町において、プラスチック製ジュース壜(びん)の製造を開始。 その後、1959年(昭和34年)に有限会社三和樹脂工業所を設立し、ポリエチレン樹脂製の醤油・ソース壜(タレビン)を開発、製造。 1960年(昭和35年)東京都板橋区清水町において、有限会社南部化成を設立し、本格的にタレビンの製造を開始。1961年(昭和36年)埼玉県鴻巣市において、中央化学株式会社を設立。
近藤 照久(こんどう てるひさ、1928年3月18日 - 2… 近藤 照久(こんどう てるひさ、1928年3月18日 - 2009年1月3日)は、東洋炭素創業者、元社長、会長。香川県出身。
大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - (20… 大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - (2001-03-16) 2001年3月16日(満74歳没))は、日本のベンチャーの父であり、株式会社CSKの創業者。元CSK社長・会長、セガ・エンタープライゼス会長、ニュービジネス協議会会長。日本の富豪である。1998年11月に個人資産2700万USDをマサチューセッツ工科大学(MIT)に寄付したことから、MITが「Okawa Center for Future Children」設立を発表。また2001年1月には、家庭用ゲーム機分野からの撤退を決めた株式会社セガに個人資産約850億円を寄付をした。ナパ・バレーのワイン農園などを所有する。一般財団法人大川ドリーム基金は、大川功氏の意志に基づき、先端的新産業分野におけるベンチャー企業家・事業創造者への助成や支援、アントレプレナーの育成を通じてベンチャー企業の振興・発展を図ること等を目的として2010年7月に発足した。
角田 式美(かどた しきみ1925年4月2日 - )は、実業… 角田 式美(かどた しきみ1925年4月2日 - )は、実業家、角栄建設(後・ジョイント・レジデンシャル不動産)、角栄ガス創業者。
木口衛(きぐち まもる、1923年9月6日 - 2006年1… 木口衛(きぐち まもる、1923年9月6日 - 2006年12月22日)は、神戸市を拠点とするアパレルメーカーワールドの創業者。岡山県総社市出身。 名前の漢字は、正しくは「衞」。 1959年、ニット問屋の光商会(のちのエンパイヤー)を退社。光商会の後輩であった畑崎廣敏との二人三脚で、裸一貫からワールドを起こし、同社を有数の大企業に育て上げた立志伝中の人物として知られる。同社の初代社長を務め(このとき畑崎は専務となる)、1972年からは社長を畑崎に譲り自身は会長となった。長らくこの体制が続いたこともあり、「畑崎社長・木口会長」として知られることとなった。 1995年には相談役に就任し経営の第一線から退く一方で、1998年には私財を投じて『財団法人木口ひょうご地域振興財団』を設立し、同財団の理事長としても活躍した。
黒木 正憲(くろき まさのり、1922年 - 2008年5月… 黒木 正憲(くろき まさのり、1922年 - 2008年5月4日)は東京出版創業者。 宮崎県西都市出身。広島高等師範学校を経て東京大学法学部卒業。予備校で数学講師をしていたが、母校である妻中学の数学授業の内容に危機感を覚えたことがきっかけで、都市圏以外に在住する学生が受験関連の情報にアクセスしやすくなることを目的に出版界に入った。1957年、東京出版を創業し、受験雑誌「大学への数学」を創刊。日本数学オリンピックにも携わった。 2008年5月4日、肺炎のため死去。 弟は工業デザイナーの黒木靖夫。「大学への数学」の表紙デザインを担当した。 20世紀日本の実業家
川野 トモ(かわの とも、1920年7月24日 - 2007… 川野 トモ(かわの とも、1920年7月24日 - 2007年8月14日)は、株式会社ヤオコー創業者、ヤオコー名誉会長。埼玉県比企郡小川町出身。義父は川野清三。子に川野幸夫・川野清巳。旧姓:門倉トモ。 そのバイタリティや商才の高さから「小川のおしん」の異名を持つ。また父親が経営していた古物商「門倉商店」は、創業当時の八百幸商店の主要取引先だったという。
斎藤 公正(さいとう こうせい、1918年11月1日 - 1… 斎藤 公正(さいとう こうせい、1918年11月1日 - 1974年2月15日)は、池上通信機創業者。神奈川県出身。 慶應義塾大学経済学部卒業後、大日本帝国海軍主計科に入り、海軍経理学校でも学んだ。横須賀鎮守府、大湊海軍航空隊、滋賀海軍航空隊で主計長を務め、終戦時は主計少佐であった。 1946年、池上通信機材製作所(現・池上通信機)を設立。一代で一流メーカーに育て上げた。 1974年2月15日、神奈川県藤沢市の江の島ヨットハーバー前の駐車場を乗用車で二・三周した後、料金所脇から猛スピードで岸壁に衝突し、死亡した。労働組合の問題で悩んでおり、自殺ではないかとされている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5… 鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5月29日 - 2007年〈平成19年〉9月29日)は、日本の実業家で、アシックスの前身のひとつである鬼塚商会の創業者、アシックス社長。 鳥取県気高郡明治村大字松上(現・鳥取市松上)に農業・坂口伝太郎 かめの3男2女の末子として生まれた。喜八郎の名は、大倉財閥を興した大倉喜八郎にちなむという。 坂口家は、もとは小作人だったが祖父・伝十郎の代に地主となった。祖父は農業の傍ら和紙、因幡紙の仲買人なども行っていたという。長兄の坂口伝三郎は後に明治村村長を務めている。 1936年(昭和11年)に鳥取県立鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。
織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日… 織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者で、アマチュアの古代史研究家。フィギュアスケート選手・織田信成の祖父。 兵庫県神戸市生まれ。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。 1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習のための献体組織「さつき会」の初代会長となる。1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析のために、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う。
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日… 福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。 千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。 戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。
西四辻 公敬(にしよつつじ きみよし、1916年〈大正5年〉… 西四辻 公敬(にしよつつじ きみよし、1916年〈大正5年〉7月17日 - 1991年〈平成3年〉1月9日、74歳没)は、滋賀プラスチックス創業者・代表取締役。スケベ椅子の開発者として知られる。 子爵・西四辻公堯(貴族院議員)の三男。次兄に冷泉為任がいる。学習院初等科を経て、1940年、立命館大学卒。 1964年から、ソープランド用バスタブで日本一のメーカーである滋賀プラスチックスを経営。雄琴のソープランド49軒のバスタブは全て滋賀プラスチックスの製品であり、日本全国では80パーセントのシェアを持つ。東京都のパレスホテル、ヒルトンホテル、ホテルニューオータニ、ホテルオークラ、リーガロイヤルホテルなど一流ホテルのスチームバスは全て同社の製品で占められている他、クレムリン宮殿のサウナやアメリカ海軍の第7艦隊の船内サウナも同社の製品である。
太田 寛一(おおた かんいち、1915年(大正4年)10月1… 太田 寛一(おおた かんいち、1915年(大正4年)10月10日 - 1984年(昭和59年)11月13日)は、よつ葉乳業創業者。 元・士幌町農業協同組合(JA士幌町)組合長、元・ホクレン農業協同組合連合会会長、元・全国農業協同組合連合会(JA全農)会長。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西谷 能雄(にしたに よしお、1913年9月8日 - 199… 西谷 能雄(にしたに よしお、1913年9月8日 - 1995年4月29日)は、出版社・未來社の創業者。新潟県佐渡島出身(北海道生まれ)。 旧制佐渡中学卒業後、ストライキで東京外国語学校ロシヤ語科を退学になり、1937年明治大学文藝科卒業。京都大学で哲学を教えていた従兄西谷啓治の世話により京都の弘文堂に勤務する。当時、弘文堂は学術出版社として名高く、「東の岩波、西の弘文堂」と言われたほどで、ほぼ官立大学・国立大学の教授の著書しか出版せず、権威主義の傾向が強かった。しかし西谷は当時まだ無名だった木下順二の『夕鶴』を弘文堂の啓蒙的叢書「アテネ文庫」に入れることを企画会議で頑強に提案した。この企画が当たって『夕鶴』が版を重ねたことから、無名の著者の原稿でも優れていれば刊行すべきであるとの信念を持つに至る。
早川清(はやかわ きよし、1912年7月28日 - 1993… 早川清(はやかわ きよし、1912年7月28日 - 1993年7月9日)は、早川書房の創業者、社長。東京府(現:東京都)生まれ。 専修大学経済学部卒業。大学時代は相撲部に参加。海音寺潮五郎、戸川貞雄主催の同人誌『文学建設』に、黒沼健、乾信一郎らとともに参加。 1935年に早川書房を設立。1945年8月に正式に創業し、文芸書、演劇書を中心として出版を始め、1947年演劇雑誌『悲劇喜劇』を創刊、1952年、株式会社に改組し社長に就任する。 海外ミステリーの翻訳に力を入れ、1953年よりハヤカワ・ポケット・ミステリを創刊し今日まで続いている。1956年『エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン』を創刊、1966年より『ミステリマガジン』として続いている。
金田 邦夫(かねだ くにお、1911年(明治44年)12月1… 金田 邦夫(かねだ くにお、1911年(明治44年)12月15日 - 1962年(昭和37年)10月6日)は、日本の実業家、サンスターの創業者。広島県安芸郡坂町出身。 大阪に出て1932年、金田兄弟商會を設立し自転車や履物用ゴム糊の製造を開始。1941年、4社のゴム製造業者統合により帝國合同護謨工業が設立され、翌年社長に就任。太平洋戦争期の空襲で工場の大半を焼失したが戦後1946年、金田軽金属チューブ工業所(同年改組し金田金属工業)を設立し、焼け残ったゴム糊を金属チューブに充填する機械を活かし、金属チューブ容器の開発に成功。その後取引先であった星光社からの相談によりチューブに歯磨剤を充填し、金属チューブ入り練歯磨剤を開発し発売した。
下河辺 孫一(しもこうべ まごいち、1909年〈明治42年〉… 下河辺 孫一(しもこうべ まごいち、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1997年〈平成9年〉10月10日)は、日本の実業家で、下河辺牧場の創業者。下河邉 孫一の表記もある。 1909年、元日本鉱業(現・ENEOS)社長・下河辺建二の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。東京帝国大学獣医科実科(実科は1935年に東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)卒業後宮内省に入省、御料牧場の獣医師として5年間勤務の後独立して成田市に下河辺牧場を開業し、サラブレッドの育成に努めた。戦後北海道沙流郡門別町(現・日高町)に支場を開設して長男の下河辺俊行が経営にあたった。1975年(昭和50年)成田空港建設に伴い牧場を香取郡栗源町(現・香取市)に移転した。
吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 199… 吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 1993年7月3日)は、日本の実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市、黒部市の名誉市民。神奈川県藤沢市に居住していた。YKK二代目社長・YKK AP創業者吉田忠裕は長男。 富山県下新川郡下中島村住吉(現在の魚津市住吉)で生まれる。魚津尋常高等小学校卒業後の1928年に上京。 古谷商店の社員を経て1934年にYKKの前身であるサンエス商会を設立し、ファスナーの生産を始める。以降、YKKを世界的な企業に育て上げた。兄弟の吉田久松もYKKの設立に貢献した。 魚津町議会議員、魚津商工会議所初代会頭(1949年~)、富山地方裁判所魚津支部民事司法委員なども務めた。
遠藤 留吉(えんどう とめきち、1907年〈明治40年〉8月… 遠藤 留吉(えんどう とめきち、1907年〈明治40年〉8月19日 - 1997年〈平成9年〉6月17日)は、大阪市西成区玉出に本店を置く会津屋の創業者。1935年にたこ焼きを開発したことで知られる。 1907年(明治40年)8月、福島県河沼郡会津坂下町に農家の子として生まれる。家業を継いで農家になるが、どれだけ熱心に働いても収入が少なく、田畑も自分の物にならないジレンマを感じ、27歳の時に僅か11銭を持って東京へ出奔する。東京では「第二食堂」という店で3年間熱心に働いたことで、店主の紹介で同じ食堂で働いていた女性と結婚。妻の妹が大阪で所帯を持っていたことをきっかけに、大阪へ転居する。大阪では屋台寿司と関東煮を出す屋台を構えるも、昭和恐慌による不景気が尾を引いていたこともあり、振るわなかった。
古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 - 1973… 古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 - 1973年10月30日)は、日本の出版人、筑摩書房の創業者、初代社長。
田宮 義雄(たみや よしお、1905年(明治38年)5月15… 田宮 義雄(たみや よしお、1905年(明治38年)5月15日 - 1988年(昭和63年)11月2日)は、模型メーカータミヤの創業者。
内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29… 内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29日 - 1996年(平成8年)2月18日)は、日本の技術者、実業家、経営者、株式会社コロナ創業者。内田力は長男。 1904年(明治37年)新潟県三条市に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、20歳の時には逓信省電気事業主任技術者の資格を取得。その技術と知識を生かすべく富山電気(現・北陸電力)へ入社。 入社後4年程で、父に呼び戻され家業であるガソリンコンロの販売を手伝うようになる。家業は順調に進み、販売や修理を通して、燃焼効率や操作性などコンロの様々な改良点を発見した鐡衛は、徐々に自分のアイデアを活かしたコンロを自らの手で作り上げたいという思いを強めていく。
池田 敏子(いけだ としこ、1904年1月13日- 1984… 池田 敏子(いけだ としこ、1904年1月13日- 1984年7月5日)は、日本の著作家、池田書店創業者。 山形市生まれ。東京保母伝習所卒業。1929年(昭和4年)高山菊次と結婚、1935年(昭和10年)に教材社を創業、高山晴洲の筆名で執筆活動を始める。 1946年(昭和21年)離婚、1949年(昭和24年)2月23日に池田書店を創業する。1960年(昭和35年)出版の『性生活の知恵』は、英語版80万部も含めて400万部以上のベストセラーに、性に関する啓蒙書を多く出すほか、『下村湖人全集』などを刊行する。近藤信緒(こんどう・のぶお)の筆名で自らも多くの著書を著し、1949年(昭和24年)出版の『人に好かれる法』は、50万部以上のベストセラーとなった。
池田平四郎(いけだへいしろう、1903年〈明治36年〉1月1… 池田平四郎(いけだへいしろう、1903年〈明治36年〉1月16日 - 1988年〈昭和63年〉2月9日)は千葉県香取市(旧佐原町)出身の実業家で、日本の電子部品メーカーSMKの創業者。旧佐原町篠原新田(十六島)の農家池田家の四男として生まれる。 1925年(大正14年)3月に東京府荏原郡(現在の東京都品川区豊町)に池田無線電機製作所を創業、ラジオ用部品の製造をはじめる。その後1929年(昭和4年)1月に昭和無線工業株式会社に改組する。1985年(昭和60年)にSMK株式会社に社名変更。 1976年(昭和51年)5月、財団法人昭和池田記念財団を設立、理事長に就任。 1976年(昭和51年)11月13日、勲四等瑞宝章を受章する。