大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)… 大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)は、日本の国際政治評論家、作家、翻訳家。 岐阜県生まれ。東京大学文学部卒業後、コロンビア大学に学ぶ。電通、東京新聞外報部記者を経てフリーになる。
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大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)… 大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)は、日本の国際政治評論家、作家、翻訳家。 岐阜県生まれ。東京大学文学部卒業後、コロンビア大学に学ぶ。電通、東京新聞外報部記者を経てフリーになる。
山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年 - 2021年1… 山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年 - 2021年11月27日 )は、日本の翻訳家、児童文学研究家。 岡山県岡山市出身。神戸女学院高等部英語師範科卒業。 山陽新聞の記者として働いていた1949年に、アメリカの招待で新聞社の代表としてアメリカに派遣され、新聞事情を学ぶ。翌年、ミズーリ大学でジャーナリズムを学び、帰国後、1962年までアジア財団日本支部に勤めた。 石井桃子との出会いを機に、児童文学に関心を寄せ、「子ども文庫の会」を設立。児童書の翻訳と、家庭文庫の普及に努めた。みずからも「わかば文庫」を運営しながら、1980年創刊の『季刊 子どもと本』の刊行や、児童書に関するセミナーで、子どもの本を選ぶことの重要性を伝えた。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
北村 太郎(きたむら たろう、1922年11月17日 - 1… 北村 太郎(きたむら たろう、1922年11月17日 - 1992年10月26日)は、日本の詩人、翻訳家。本名・松村文雄(まつむら ふみお)。 東京府北豊島郡谷中村(現在の日暮里付近)にて、逓信省簡易保険局の下級官吏の家庭に双生児の兄として生まれる。関東大震災のため1923年から東京府荏原郡駒沢村字弦巻(東京都世田谷区世田谷1丁目)に育つ。駒沢小学校3年修了後、1932年、父が浅草合羽橋通りで蕎麦屋「小松庵」を始めたため、一家で東京市浅草区芝崎町(東京都台東区西浅草)に転居し、4年次から金竜小学校に転校。1935年、東京府立第三商業学校入学。同校では国語教諭佐藤義美の薫陶を受ける。 1940年、同校卒業後、横浜正金銀行に入行して帳面つけを担当するも、勤務時間中に『新潮』(を読んでいたため上司に激しく叱責され、1週間で無断退職。
弓削 三男(ゆげ みつお、1922年(大正11年)11月15… 弓削 三男(ゆげ みつお、1922年(大正11年)11月15日 - 2002年(平成14年)1月26日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 福岡県八女市出身。1950年(昭和25年)に九州大学文学部仏文学科を卒業し、同年に九州大学大学院の特別研究生として在学。翌1951年(昭和26年)に九州大学専任講師となる。1956年(昭和31年)にはフランスのストラスブール大学に、次いで翌1957年(昭和32年)にパリ大学に留学した。 1962年(昭和37年)に九州大学の教授となったのち、1964年(昭和39年)に早稲田大学第一文学部の専任講師となった。さらに翌1965年(昭和40年)に早稲田大学第一文学部の助教授となると、以降1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)まで早稲田大学大学院文学研究科を兼任した。
亀山 龍樹(かめやまたつき、1922年6月10日 - 198… 亀山 龍樹(かめやまたつき、1922年6月10日 - 1980年3月23日)は、日本の翻訳家、作家。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部インド哲学科卒業。第二次世界大戦に学徒兵として出征。 戦後は白木茂の下訳をし、小谷剛の同人誌『作家』に拠って小説を書いていた。 日本児童文芸家協会理事、少年文芸作家クラブ会長を務める。表記には亀山竜樹もある。息子に、写真家の亀山哲郎がいる。 翻訳家としては英文和訳を専門とした。英語以外の作品は、恐らく他人の翻訳をリライトしたものだが、これは児童文学の世界ではよくあることである。 最初に刊行された訳書はエラリー・クイーン『金色のわしの秘密』である。以後も英米のジュブナイルの翻訳、一般向けのSF・ミステリ・冒険小説を児童向けに抄訳することを主たる仕事とした。
西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日… 西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京大学教養学部名誉教授。 日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。 ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典] 1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。
巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995… 巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995年10月13日)は、日本の評論家、翻訳家。 福島県郡山市に生まれる。第一高等学校を経て1948年東京帝国大学文学部哲学科卒業、大学時代は出隆に師事。 東洋経済新報社に勤め、1959年カッパ・ブックスより『姦通のモラル』を刊行、一夫一婦制には無理があるとして夫婦の自由恋愛を勧め、嫉妬心を批判した。バートランド・ラッセルの結婚観の影響を受けつつ、博識に裏打ちされた優れた著作である程度売れたが、むろん現状に変化はなく、続編を四部作まで刊行したものの、以後は女性向けの恋愛論や消費者問題に移行。 日本消費者協会勤務の後、消費者問題研究所長。相模女子短期大学教授、相模女子大学教授、同学芸学部長を務めた。
佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2… 藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2005年3月10日)は、日本の図書館情報学者、翻訳家。 横浜市生まれ。愛媛県出身。東京大学文学部哲学科、慶應義塾大学文学部図書館学科で学ぶ。ジョージ・ピーボディ大学大学院図書館学修了。慶應義塾大学文学部助教授、教授、大東文化大学経済学部教授、図書館情報大学教授、1987年同大学学長。1991年退任。愛知淑徳大学教授。 1981年「オーデュボンソサイエテイブック」で日本翻訳出版文化賞受賞。
北畑 静子(きたはた しずこ、1922年〈大正11年〉3月1… 北畑 静子(きたはた しずこ、1922年〈大正11年〉3月17日 - 1990年〈平成2年〉7月13日)は、日本のロシア児童文学の翻訳家。 福島県相馬郡原町()(現・南相馬市原町区)生まれ。本名・静()。父は逓信省無線電信技師の北畑平五郎(1894年 - 1944年)。3歳のとき父の転勤に伴い東京府荏原郡大井町へ転居して、以降少女時代を過ごす。品川区立原小学校を経て、1939年3月普連土女学校卒業。GHQ民事検閲局を経て、1953年1月28日国立国会図書館に勤務。司書となり、勤務の傍ら日ソ学院に通いロシア語を学ぶ。雑誌に短編を翻訳して以来、ソ連やチェコスロバキアの児童文学を紹介。1979年同人の一人として同人誌『イワン』(露: Иванушка)創刊、主宰者の役割を果たす。
服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日… 服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日 - 1956年(昭和31年)1月1日)は日本の文芸評論家、翻訳家。 第一高等学校理科を経て京都大学文学部独文科中退(学徒兵として応召)。1954年(昭和29年)、奥野健男、日野啓三、清岡卓行、村松剛、島尾敏雄、遠藤周作、吉本隆明たちと「現代評論」を創刊。同年「新世代の作家たち」を発表。1955年(昭和30年)、評論「われらにとって美は存在するか」を「群像」3月号から9月号まで連載。マルクス主義を背景にしたイデオロギー的批評の全盛期にあって、それとは全く異質な審美的批評の確立を図り、新進批評家として注目を集める。 しかし出版社への借金が嵩み、このことを苦にして、1956年(昭和31年)1月1日、八ヶ岳山麓の清里村キリスト教団清里センター清泉寮から失踪。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2… 前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2002年10月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京出身。1939年早稲田第一高等学院に入学し、「早大童話会」に参加、1942年早稲田大学独文科に入学するが1943年学徒出陣、敗戦後上海に抑留され、1946年帰国。児童文学の出版社に勤めるがこれをやめ児童作家となる決意をし、1950年新潮社でアルバイトを始めそのまま11年間勤める。 1952年「川将軍」「村の一番星」で、児童文学者協会新人賞受賞。1963年「びわの実学校」編集同人となる。1967年『ヤン』で産経児童出版文化賞、1969年『魔神の海』で日本児童文学者協会賞、1981年『かわいそうな自動車の話』で野間児童文芸賞受賞。
前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2… 前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2003年2月6日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 1921年、大阪府で生まれた。東京帝国大学文学部で学び、1944年に卒業。卒業後は兵役に就いた。 戦後は、関西大学予科講師となった。後に助教授昇格。1950年、京都大学教養部助教授に転じた。1967年に同教授昇格。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は摂南大学教授として教鞭をとった。晩年は『フロイデ独和辞典』監修 (白水社 2003)ほか辞書編纂に関わった。 2003年2月6日、肺癌のため死去。 専門はドイツ文学で、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンなどの多くの翻訳を行った。
島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 -… 島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 - 2013年3月31日)は、日本のロシア語翻訳家、ノンフィクション作家、歌人。 東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨出身。父は慶應予科教授の島原逸三。1939年普連土女学校卒。1941年玉成保母養成所卒、森村幼稚園に勤務。1944年慶應義塾大学工業図書館勤務。1945年から1946年に母と父が死去。1961年慶應義塾大学附属外国語学校ロシア語科卒。1965年同校講師、1966年日ソ学院講師、東京ロシア語学院講師。 1946年から同人誌「創作」(若山牧水創刊)会員。 島原の遺稿をまとめた芹生一(本名・島原健三〈1928年 - 〉、成蹊大学名誉教授、工業化学)は弟。
新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - … 新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - 2006年1月10日)は、日本のアメリカ文学者、ジャーナリスト、編集者、翻訳家。本名は新庄 哲雄(読みは同じ)。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ、山口県岩国市が本籍。1943年学徒動員により青山学院英文科を繰り上げ卒業、東京新聞外報部勤務となり、戦時下の外務省、戦後のGHQを担当。1953年にハーマン・ウォークの『ケイン号の反乱』の翻訳を上梓しベストセラーとなる。1957年出版部勤務となり「週刊東京」担当、1960年の同誌廃刊とともに本社編集委員。朝夕刊のコラムを執筆、1968年に退社。 大妻女子大学短期大学部教授に就任後、数多くの英米の小説、ノンフィクションを翻訳。
近藤 等(こんどう ひとし、1921年9月2日 - 2015… 近藤 等(こんどう ひとし、1921年9月2日 - 2015年11月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、登山家。早稲田大学名誉教授。 京都生まれ。暁星中学校在学中よりフランス語と登山に親しむ。早稲田大学仏文科卒。在学中は山岳部に所属し、朝鮮冠帽峰に遠征。卒業後、同部監督、部長もつとめた。。 早稲田高等学院講師、早大商学部助教授をへて、1955年から教授。フランス文学者としてフランスの山岳文献を多数紹介した。1992年に定年退任、名誉教授。 1962年、パリ大学研究員としてフランスに滞在。この機会にフランス国立登山スキー学校の研修会に参加。以後18回の登山シーズンをアルプスで過ごし、150回ほどの山行で120余峰に登る。
酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 19… 酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 1991年8月17日)は、日本の翻訳家、エジプト研究家。文筆家。 新潟県佐渡島生まれ。1943年東京外国語学校仏語部卒業。1955年から1957年まで朝日新聞社特派員としてエジプトに滞在。古代エジプトの研究・訳業著述に従事。 1991年8月17日、頚椎損傷のため死去。
平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 19… 平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 1992年12月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 1921年、京都府で生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学フランス文学科に入学。在学中の1943年に学徒出陣で応召。戦後復員し、1948年に東京大学を卒業した。 卒業後は、東京大学教養学部仏文科助手に採用された。1952年、新制東京大学教養学部専任講師となり、1954年に助教授、のち教授昇格。しかし、1969年に大学紛争が起こると辞職。その後は、立教大学教授、桃山学院大学教授を務めた。 戦争と天皇制を批判し続け、左翼的な姿勢を鮮明にした学者であった。わだつみ会発足当時からの会員で、のち常任理事をつとめた。
矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年(大正10年)3… 矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年(大正10年)3月26日 - 1967年(昭和42年)2月23日)は、日本の言語学者、北欧文学者、翻訳家。善隣外事専門学校教授、大阪外事専門学校教授、東京教育大学助教授。 1921年、山梨県生まれ。静岡県、東京府と各地を移りながら幼少期を過ごし、成城高等学校に入学。高等学校卒業後は東京帝国大学言語学科でビルマ語を専攻した。1943年に東京帝国大学を卒業し、副手となった。1944年、善隣外事専門学校教授に着任。1945年からは大阪外事専門学校教授。 戦後の1950年、東京教育大学助教授となった。1966年、胃がんの手術を受ける。翌1967年2月16日に教授に昇進したが、その7日後に45歳で死去した。
内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日 - )… 内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日 - )は、日本の軍事航空評論家、翻訳家。筆名に嵯峨 浩一。 滋賀県伊香郡高月町(現長浜市)生まれ。1944年京都帝国大学工学部航空工学科卒。同年海軍技術中尉。 1951年事業用操縦士。1954年航空大学校教授。1959年防衛庁技術研究本部勤務、1981年定年退官。航空医学実験隊技術顧問、東海大学講師など。著述のほか翻訳も行う。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2… 大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2018年8月18日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 旧満洲旧安東市(現・遼寧省丹東市)生まれ。東京帝国大学法学部を卒業。1957年から1966年まで平凡社に勤め、瀬田貞二と出会い、米英、ドイツ、北欧などの児童文学の翻訳に携わる。特にアストリッド・リンドグレーンの作品をほとんど翻訳、アルフ・プリョイセンの「スプーンおばさん」シリーズ、ルーネル・ヨンソンの「小さなバイキング」などの翻訳が著名である。ほか自身で民話の再話絵本も執筆した。 2018年8月18日、死去。97歳没。 ※『リンドグレーン作品集 別巻3 わたしたちの島で』は、尾崎義訳。
三田村 裕(みたむら ゆう / ひろし、1921年 - 19… 三田村 裕(みたむら ゆう / ひろし、1921年 - 1980年)は、日本の編集者、翻訳家。本名・三戸森 毅(みともり つよし)。早稲田大学文学部心理学科卒業。 実業之日本社の編集者だったが、福島正実からSFの編集者としてスカウトされ、早川書房に1年間在籍。その後タトル著作権部に入るが、のちに退社して翻訳家になる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 197… 古見 日嘉(ふるみ ひよし、1920年11月4日 - 1973年1月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。主としてジャン・パウルを研究・翻訳した。 東京出身。1943年東京帝国大学文学部独文科卒。第六高等学校教授、埼玉大学助教授、旧・東京都立大学助教授、教授。1965年ジャン・パウル『美学入門』で日本翻訳文化賞受賞。
鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23… 鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23日 - 1986年〈昭和61年〉10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 20… 窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 2011年)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家、銀行員。本名・開造。 カミュ『異邦人』の翻訳で知られる。 神奈川県生まれ。1943年、東京帝国大学法学部卒業。在学中にマチネ・ポエティクに参加し詩や小説を書いた。 大学卒業後、東京銀行に入行。パリ、新橋各支店次長、国際投資部副参事役を経て、1948年欧州東京銀行頭取となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
塚原 亮一(つかはら りょういち、1920年5月15日 - … 塚原 亮一(つかはら りょういち、1920年5月15日 - 1993年4月24日)は、日本の児童文学者、翻訳家。 東京生まれ。1944年早稲田大学文学部仏文科卒。中国に出征、帰国後児童文学の翻訳・研究に従事する。国立音楽大学教授。日本児童文学学会、日本児童文学者協会理事。 父は童話作家の塚原健二郎。息子はフランス文学者の塚原史。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月1… 大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月18日- 1998年(平成10年)7月20日)は、日本のロシア文学者、評論家、翻訳家、実業家。本名は大原嘉蔵。 太平洋戦争後の冷戦期、ソヴィエト社会主義共和国連邦のモスクワ大学に初めて留学した日本人の一人である。 帝政ロシア時代の詩人ニコライ・ネクラーソフの研究、翻訳において日本の第一人者である。ネクラーソフの叙事詩『だれにロシアは住みよいか』(原題Кому на Руси жить хорошо)を日本で初めて翻訳出版した。 作家の佐多稲子によると、佐多と大原とは昭和16年頃からの知り合いで、その時大原は、法政大学の学生であった。福岡の大きな材木店の、あるいはそのときから店主だったのかもしれない。
西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2… 西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2017年6月12日)は、日本の文芸学者、児童文学研究者、ロシア文学翻訳家。 鹿児島市生まれ。幼くして両親に死なれ孤児として育つ。上京後、土方などをして苦学、東京帝国大学理学部応用物理学科に学ぶ。 第四航空師団に召集され朝鮮平壌航空隊に配属。敗戦時、ソ連の捕虜となり、のちモスクワ東洋大学日本学部講師として日本文化・文学を教え、1949年帰国。 ロシア児童文学の翻訳を多数行い、のち文学教育を中心として多数の翻訳、創作、論考、著書を著した。文芸教育研究協議会(文芸研)の理論的支柱であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)… 秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)3月2日 - 1990年(平成2年)2月7日)は、日本の声楽家(バリトン、バス)・オペラ歌手・音楽教育者・翻訳家(訳詞家)。二期会の創設メンバーの一人。本名は秋元清一(あきもと せいいち)。旧字体秋元淸一。 作曲家の関口孝明は孫にあたる。 東京府(現: 東京都)出身。1945年(昭和20年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)研究科修了。本科では戸田敏子、畑中良輔らと同級。木下保に師事。 第二次大戦後まもなくの1946年(昭和21年)4月に藤原歌劇團 ビゼー『カルメン』エスカミリオでデビュー。その後オペラへの出演を続け、20年足らずの間に約90本ものプロダクションに出演している。
柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 19… 柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 1986年9月3日)は、日本の英文学者、キリスト教学者、翻訳家。 横浜市保土ヶ谷生まれ。父の柳生光異は茅ヶ崎湧泉教会の牧師。1933年(昭和8年)、湧泉教会でキリスト教の洗礼を受ける。 1941年、大阪外国語学校を卒業。東京文理科大学英文科卒。米国コロンビア大学に留学。関東学院大学教授、文学部長、関東学院長を歴任。C・S・ルイス、ジョン・バニヤンなどキリスト教文学者を研究した。 また、湧泉教会の牧師としても活動した。
衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 200… 衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 2004年9月18日)は、日本の詩人・翻訳家。高校教諭(英語科)。本名は鎌田 進(かまだ すすむ)。香川県大川郡白鳥村(現・東かがわ市)出身。 県立大川中学(現・香川県立三本松高等学校)在学中の1935年頃から詩作を始め、詩誌『若草』に投稿。明治学院高等商業部に進学して上京し、鮎川信夫らとともに『荒地』の前身である『LUNA』の創刊に参加。以後『ル・バル』『詩集』『荒地』に作品を発表。50歳まで地元の香川で高校教諭としての職務と並立して活動していたが、退職後は詩作・翻訳活動に専念した。1976年、『庚申その他の詩』(書肆季節社)で、第1回地球賞を受賞。
阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2… 阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2001年9月3日)は、日本の銀行家・エコノミスト・思想史家・翻訳家。 愛知県生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省に入省する。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍運輸本部付となり、徴用船の配船業務に従事。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後は日本銀行に移り、調査局、広島支店、国庫局に在勤。その後日本輸出入銀行・アジア開発銀行に転じた。 2001年9月3日、肺腺癌のため死去。
長南 実(ちょうなん みのる、1920年 - 2007年)は… 長南 実(ちょうなん みのる、1920年 - 2007年)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 東京外国語大学に入学して会田由に師事。卒業後は天理大学助教授に就いた。その後、母校である東京外国語大学教授となった。大学でスペイン語を教授するとともに、多くの翻訳を手掛けた。
大橋 健三郎(おおはし けんざぶろう、1919年12月18日… 大橋 健三郎(おおはし けんざぶろう、1919年12月18日 - 2014年4月22日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 京都市中京の呉服卸商の家に生まれる。1937年(昭和12年)、京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業し、東京外国語学校英語科入学) 1941年、東北帝国大学英文科に入学。土居光知に師事し、阿部次郎、小宮豊隆の教えを受けて夏目漱石に傾倒するが、戦争のため二年で繰上げ卒業、海軍予備学生、予備士官として各地を転々とする。 戦後、仙台工業専門学校(現仙台高等工業学校)教授。1948年(昭和23年)、横浜市立経済専門学校教授、また横浜市立大学助教授。
向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 19… 向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 1983年)は、ジャーナリスト、翻訳家。ロンドン出身。向井忠晴の子。 1942年、慶應義塾大学英文科卒。45-52年、アメリカピッツバーグ大学でジャーナリズムを学ぶ。54-55年、イギリス、アフリカを視察。同盟通信社、共同通信社、進駐軍施設、凸版印刷などに勤務。
中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1… 中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1983年8月11日)は、日本の詩人、翻訳家。 本名は白神 鉱一(しらかみ こういち)。 福岡県生まれ。1939年、英作文と教練の出席時間不足により兵庫県立神戸高等商業学校で進級不可能となり、同校中退後、父の預金通帳を盗み出して金を下ろし、家出して上京。徴兵逃れで日本大学芸術学科に途中入学し卒業。読売新聞の政治部記者として働く。詩誌『Le Bal』を主催し、田村隆一と知りあう。戦後、田村、鮎川信夫、黒田三郎と『荒地』を設立。のちに詩誌『歴程』にも参加。ミステリーやSFを翻訳しつつ、英国モダニズム詩人、特にW・H・オーデンを翻訳、詩作を行い、大学でも英文学の教員として活動した。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 20… 山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 2008年12月30日)は、ドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。1976年に第49回オール読物新人賞を受賞した山口四郎は別人。 東京生まれ。東京帝国大学独文科卒。第五高等学校教授、第四高等学校教授、戦後東京学芸大学助教授、中央大学文学部助教授、教授。1990年定年退任、名誉教授。ゲーテ、ヘッセなどの詩の韻律研究を専門としたが、ドイツ児童文学の多くの翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
店村 新次(たなむら しんじ、1919年3月3日 - 199… 店村 新次(たなむら しんじ、1919年3月3日 - 1991年8月20日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 フランス文学のほか、音楽関係の翻訳が多い。 満洲奉天生まれ。1941年東京外国語学校フランス語科卒。大日本航空に入りシンガポールで終戦を迎え抑留ののち復員。京都府立第三中学校(のち京都府立山城高等学校)教諭) 1950年天理大学助教授) 1953年同志社大学商学部助教授、教授。1983年「ロジェ・マルタン・デュ・ガール研究」で京都大学文学博士。1985年定年退任、聖隷学園聖泉短期大学教授。1991年8月20日、大腸癌のため死去。
武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 19… 武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 1998年4月23日)は、日本の作家、翻訳家、アンソロジスト。蘭 妖子としても活動した。 東京出身。早稲田大学専門部政経学科卒業。 詩人の岩佐東一郎の紹介で岩谷満と知りあいとなり、1946年に岩谷とともに『宝石』の創刊に携わり、武田自身の作品も掲載された。1948年に『宝石』の編集長となったあとも、推理小説家としての活動も並行して行なった。1950年に編集長を退任すると、翻訳や子供向けリライト、アンソロジーを手掛けた。熱心な宝塚歌劇のファンでもあった。
白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 20… 白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 2014年)は、労働問題研究者翻訳家。 鎌倉市生まれ。1944年東京帝国大学経済学部卒。日本労働協会主任研究員、法政大学経営学部教授、90年定年退任、名誉教授となった。城浩一の筆名をもち、アメリカ文学の翻訳もした。
横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日 - 2… 横川 文雄(よこかわ ふみお、1918年10月11日 - 2000年4月13日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。上智大学名誉教授。専門はドイツ・ロマン派、特にアイヒェンドルフ。 東京市本郷区(現文京区)湯島天神生まれ。1936年青山学院中等部卒業、1940年東京外国語学校ドイツ語科卒業、1942年上智大学文学部独文科卒業。同年駐日ドイツ大使館勤務、1944年 - 1945年ジャワ、スラバヤに勤務。1946年上智大学カトリック辞典編纂室勤務、1950年同図書館副館長、1953年同外国語学部ドイツ語学科講師、1962年同助教授、1966年同教授、1968年 - 1969年同学部長。1979年定年退職、名誉教授。
松村 喜雄(まつむら よしお、1918年9月16日 - 19… 松村 喜雄(まつむら よしお、1918年9月16日 - 1992年1月10日)は、日本の外交官、推理小説評論家、推理作家、翻訳家。三谷 幸夫、花屋 治の筆名もあり。東京府出身。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)新小川町生まれ。実母は江戸川乱歩・平井蒼太兄弟の従妹。親戚として幼時から乱歩と交際して育つ。 小学校卒業後、花崎清太郎および石川一郎の両人と知り合い、彼らの影響で読書の世界に熱中。早稲田実業学校を経て東京株式取引所に勤務。このときの同僚に劇作家の小野田勇がいた。勤務の傍ら、フランス語を独習。のち編入試験を受けて東京外国語学校(現在の東京外国語大学)仏語科に入学。卒業後は外務省に勤務。
原田 義人(はらだ よしと、1918年〈大正7年〉8月5日 … 原田 義人(はらだ よしと、1918年〈大正7年〉8月5日 - 1960年〈昭和35年〉8月1日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。元東京大学教養学部教授。 東京生れ。1942年、東京帝国大学独文科卒業。在学中から新演劇研究会に参加、『亭主学校』では自らも舞台に立った。卒業後、応召。 戦後、俳優としてNHKに出演したこともある。復員して東大独文科助手ののち、1950年、東大教養学部助教授。1954年、ハンブルク大学日本語講師として渡独、ヨーロッパ各地を回り1956年帰国。同人雑誌「方舟」の編集長を務め、評論家・ドイツ文学者として翻訳にも健筆を振るい、将来を嘱望されたが1960年7月、教授昇任の後の8月、42歳の誕生日直前に死去。
人見 鐵三郎 (ひとみ てつさぶろう、1918年(大正7年)… 人見 鐵三郎 (ひとみ てつさぶろう、1918年(大正7年)7月10日 - 2008年(平成20年))は、日本の外交官、翻訳家。 昭和16年(1941年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年外務省に入省。 1953年ユネスコ臨時総会政府代表団、1955年ハンブルク領事、1958年在スイス大使館一等書記官、1960年法務省入国管理局資格審査課長、1962年外務省移住局振興課長、1965年在ケニア大使館参事官、在アイルランド大使館参事官などを経て、1968年ボンベイ総領事。 その後、駐コスタリカ・グアテマラ・フィンランド特命全権大使などを歴任。日本翻訳家協会・日本翻訳文化賞記念会会長。仏教徒。